1448時 馬走信用金庫
「あれ?」
金を下ろしにATMコーナーに来ていた東雲。
いつも通りに紙幣を受け取るだけの、簡単な作業。
しかし、この日は違った。
タッチパネルに表示されるのは
『残高をお確かめください』
の、無機質な文字列。
(おかしいなぁ? あと一万は残ってるはずなんだけど……)
首をひねりながら、ATMの指示に従って残高照会。
おおかた公共料金の引き落としで、一万を少し割ってしまったのだろう。
そんな軽い気持ちだった。
だが、東雲に突き付けられる現実は容赦がない。
『2193円』
画面に表示される現実。
預金の全額。
「あ、あれ?」
見間違いかとも思ったが、何度見直しても表示金額は変わらない。
(金が……ない?)
今月はめぼしいタイトルがなかったので、ゲームもアニメのBDも買っていない。
特にオタグッズを買った訳でもない。
大きな買い物は、何一つしていないはずだった。でも、お金だけは減っている。
(何かしったっけ? …………)
記憶をたどる東雲。
と、
──タンタン
「?」
靴底が床を叩く音。
チラと後ろを見れば、いらたただしげにこちらを見ている中年男性。その後ろには時計を気にする主婦。さらには自動ドアをくぐったばかりの青年が、携帯をいじりながら列に加わる。
(やべ……)
気付けば列が出来ている。しかも自分が原因で。
思考を中断すると、東雲は二千円だけを引き出し、ATMの前から離れた。
1903時 コーポ長島
(今月、何そんなに使ったかな……)
「東雲。夕飯が出来たぞ」
「あ、うん」
考えるのを止め、バルクホルンとちゃぶ台を挟んで向き合う。
本日のメニュー
・鶏肉のソテー
・ジャガイモのポタージュ
・マッシュポテト
・アスパラとトマトのサラダ
・パン 二種
「すまんな。簡単なものばかりで……」
(……これが原因か……)
合点がいった。
バルクホルンが来てから、食費は単純に二倍。
それにバルクホルンが作る食事は、東雲が作る食事に対して、はるかに豪勢。
そこに服や、日用品等々。一つ一つの金額は大したことはなくとも、塵も積もればなんとやら。
たかだが学生一人分の仕送りなど、あっという間に尽きてしまう。
「どうした? 食べないのか?」
「え? あ、うん。いただきます……」
マッシュポテトを口に運ぶ。
やわらかなジャガイモの香りが、口の中に広がっていく。滑らかで、クリーミーな舌触り。その滑らかさは、まるで雪を舌に乗せたかのよう。ジャガイモをただ潰しただけでは、こうはならない。芋を一度潰し、さらに裏ごしすることで、ジャガイモとは思えない程、クリーミーな仕上がり。イメージと裏腹に、手間がかかっている。
他の料理にしてにも然り。
バルクホルンは『簡単な』と言ったが、それなりの手間が掛けられている。
「美味い……」
単純に、そんな言葉しか出てこなかった。
東雲の中にあったマッシュポテトのイメージを、大きく塗り替える。
一人だった時と比べ、食事ははるかに改善された。
今まではレトルトを中心に、野菜炒めや、カレーなどの簡単に作れるものしか食べてこなかった。それがバルクホルンが調理するようになってからは、品数が増え、野菜も増え、レトルトは駆逐された。
自分が出していた食事を思い出すと、申し訳ない気分になる。
「そ、そうか。口に合えばいいんだ……」
安堵の言葉を漏らすと、パンをちぎる。
(い……言えない……)
バルクホルンの料理が美味しいので、ついつい忘れそうになるが、この食事こそが東雲の財布を圧迫しているのだ。なんとしても節約してもらわなければならない。
だが、言えない。
ここで「食費を削って欲しい」などと言えば、せっかくの料理が逃げてしまいそうな気がして、言えない。
当のバルクホルンは、東雲の葛藤など分かるはずもなく、うれしそうにアスパラなどつついている。
「どうした東雲?」
「え? あ、いや……うれしそうにたべるなぁ~って思って……」
「そ、そうか?」
「うん」
「んっ、まぁ……何だ……こんな真冬にアスパラが食べられるとは思わなかったからな。つい……」
恥ずかしげに、軽く頬を染めたバルクホルンの視線が、宙を泳ぐ。
確かにアスパラは春の野菜。国産は今の時期獲れないが、輸入品が出回っている。
トマトは九州の温室で栽培されたもの。
バルクホルンの時代と比べれば、生産や輸送に関わる技術が、飛躍的に発展したため、一年を通して豊富な野菜を食べられるようになった。
だから、真冬のアスパラが余程珍しく、うれしかったのだろう。
「そういえば東雲。パンがこれで最後だ」
「え?」
「ジャガイモもなくなりそうだ」
「え??」
「また買ってこないといけない」
「えーっ???」
ついこの間、買ってきたばかりだったはずなのに、もう食材がないという。
「どうした?」
「え……あ、あ~。うん……」
改めてちゃぶ台に乗った料理を見る。
十分な量の食事。
だがこれは、今までの食生活を考えれば、過ぎたものだ。
やはり言わなくてはならない。
「バルクホルン……」
「どうした? 先程から変だぞ?」
「あの……実は……」
東雲は申し訳なさそうに、事情を話始めた。
1942時 コーポ長島
「金がない……だと?」
「うん……」
「私としたことが……すまない」
バルクホルンが申し訳なさそうに、目を伏せる。
「いや、違うよ! バルクホルンは悪くない!」
慌てた東雲が取り繕うが、納得しない。
悪いと言えば二人とも悪いのだ。
バルクホルンは軍に入ってからというもの、食事は支給されるものだったので、『食費』という概念が希薄になっていた。
東雲は金の管理を怠り、調達から調理まで、食事に関わる一切をバルクホルンに丸投げしてしまった。
双方共に確認が足りなかったのだ。
ともあれ、『金欠』という事態に陥ったのは事実。今、重要なのは反省ではなく、現在の状況確認と、打開策の模索。
残った食材を確認する。
米──健在
味噌──健在
パン──全滅
卵──全滅
ジャガイモ──僅少
その他野菜──全滅
麺類──パスタ一食分。他全滅
レトルトのパックも軒並み全滅。米と味噌が残っているのが唯一の救い。
「これだけか……」
「うん……これで次の仕送りまでの、一週間ちょっとを過ごさないと……」
東雲一人であれば、何とかしのげる。
しかし、今はバルクホルンと二人。
厳しい。
バルクホルンに不自由を強いるのも嫌だったし、何よりも彼女の料理が食べられないのが嫌だった。
「東雲。軍資金はあとどのくらいあるんだ?」
「二千円ちょっと……」
「そうか……ではそれで買えるだけの食材を買って……」
「だ、ダメだよ! これはガソリン代に回さないと! 大学どころか偵察にも行けなくなる!」
東雲の愛車は、燃費と取り回しの良さが取り柄のリッターカーではあるが、一週間を過ごすとなると二千円では足りない。
スタッドレスタイヤはただでさえ燃費が悪くなるし、凍りついた車を始動するには、多少なりとも暖機運転をしなければならない。冬の北海道では『燃費の良さ』というメリットを十分に発揮できないのだ。
「だが、そうなると……」
「…………」
これから一週間、食卓には白米と味噌汁だけの生活。
わびしい。あまりにもわびしい。
チャーハンやおじやといったバリエーション展開をするにしても、限度というものがある。一人暮らしの男子学生が作れる料理のレパートリーなど、高が知れている。
バルクホルンにしても『パン』と『ジャガイモ』が主食の国で育ったので、米を使った料理は不得手。
「すまない東雲……私が居るせいでこんなことになってしまって……」
「ちがっ、違うよ! そんことない! そんなことはないんだ!」
「だが、私が居ることで、お前の生活が圧迫されているのは事実だ……」
「ぅ……」
それは紛れもない事実。
バルクホルンを引き止めたのは東雲。あの時冷静に考えることが出来れば、こういった事態が起きることは、容易に想像できたはずだ。
しかし、それも仕方の無いことかもしれない。社会経験の足りない一介の学生に、『人一人を養うコスト』を考え、意識しろと言ってもピンっと来る訳がない。
「だ、大丈夫。何とかする……何とかするから……」
「何か当てがあるのか?」
「ぅぅぅ……あまり頼りたくないけど……」
おもむろに携帯電話を取り出すと、震える手で目当ての人物にコール。
待つこともなく、相手はすぐに出た。
『何だ、我が愚弟よ?』
開口一番これである。
やたらと尊大な態度で、電話に出たのは東雲の兄。今は実家を出て、中堅の商社勤めをしている。
「あ、兄ちゃん? ちょっとお願いがあるんだけど……」
いつも通りの尊大な態度に、気圧されそうになるが、何とか持ちこたえ端的に用件を伝える。
「金貸して」
『死ね』
「ぐおぉぉぉぉぉぉ、こんなかわいい弟がお願いしているというのに!」
『誰がかわいいんだ? あ?』
「俺」
『死ね。一回死んで来い』
「ぁぁぁぁぁぁ……俺はやっぱり日本一不幸な美青年だ……」
兄の攻撃に、わざとらしく嘆く東雲。
執拗に食い下がる東雲。兄も無慈悲に電話を切ったりしない。なんだかんだと付き合っている。
(兄弟……か……)
東雲兄弟のやり取りを見ながら、遠い目をするバルクホルン。
(クリスは今、どうしているだろうか……)
思い出すのは最愛の妹『クリス』。
この世界に来て、もうそれなりの日数が経ってしまった。
そんなバルクホルンの心中などお構いなしに、東雲兄弟の交渉と言う名のじゃれあいは続く。
「この前のコミケだって店番したじゃん! そのバイト代だと思って……」
『んなもん、チケットでチャラだ』
「な!? 買いに行けたのなんて午後からだし、一時間しか回らせてくれなかったじゃん! あれじゃチケットの意味がないよ!」
『企業ブースも回ったろ!』
「あれ『ファンネル』じゃん! 俺が欲しいとこ回ってないし!」
『回れるだけありがたいと思え!』
「ひでぇ! ね、ちょっとだけでいいんだよ? 金貸してよ~」
『ダメだ! どうしてもと言うなら親父に頼め!』
「父ちゃんに頼める訳ないだろ!」
父に頼めば、怒られるのは火を見るより明らか。何より母の耳にも入ってしまう。その母に、要らぬ心配をかけてしまうのが嫌だった。だから実家には電話をせず、兄に頼んだというのに。
「東雲、無理なようなら……」
『!? 浩二……今、女の声が聞こえたようだが?』
「え? え……え~、と……気のせい?」
「一週間程度であれば、工夫次第で何とでも……」
『聞こえる! 確かに聞こえるぞ! この兄の耳を誤魔化せると思うなよ!』
(バルクホルン、静かに!)
忙しない身振り手振りで、黙るように伝えるも後の祭り。
『貴様、仕送りで生活する身でありながら、女を囲っているとは何事かぁっ!』
「ご、誤解だ! これには色々と事情があって……」
『許るさーん! この兄を差し置き、きゃっきゃうふふのレモンエンジェルでわっほーいしてるようなヤツに貸す金などない!!』
「いや、『きゃっきゃ』も『うふふ』もねーから! ってか『レモンエンジェル』って何だよ?!」
『もげろ!』
──プツっ
切られた。
もはや取り付く島もない。
兄の怒声の後に残されたのは、呆然とたたずむ東雲の姿。
「し、東雲……その……すまない……」
「……どうしよう……」