360°の暗闇の世界。小さい無数の星が方向を問わずに薄蒼い心細い光で輝いている。「カヅキの心象風景は、人間にしては我ら寄りですね……」「へぇ、ダークネス・ドラゴンの意識の中も似たようなもんなのか」「はい。基本的なダークネス・ドラゴンはこんな感じの心象風景をしています。暗闇は自らの属性、無数の星は記憶の塊です。 カヅキ、何を手間取っているのですか。同時に幾つか仕分ければそんなに掛からないでしょう」「簡単に言うけど、俺はそんな器用な真似出来な――」「出来ます。下地はあるのです。竜騎士に変質したその身体は、無数の思考を同時に展開できます。人間が発動まで長い時間を使って呪文の詠唱をしないと魔法が使えないのは、無数の思考を同時展開し、連携演算できないからということも原因の一つです。竜族にはそれが出来ます。応用すれば記録の整理など手短に済ませられます」「また無茶を……」 だが、出来る事だと言われた以上、やってやれない筈は無い。「具体的に、どんな感じで連携演算ってのをやればいいんだ?」「他の竜騎士たちは口を揃えこう言います。『頭の中に、自分の他に無数の自分が居て、それらに何をするか指示を出す』感じらしいです。どの位別の自分が居るのかは個人差があるので貴方の中に何人居るかは知りません」「そうですか……」 なんとも参考にならない助言だ。だが、他の竜騎士たちがそう言うというなら、感覚としてはその通りなのだろう。「自分の中に無数の自分ねぇ」 軽く左目を閉じ、意識を凝らす。 確かに、何か居る感覚がある。自分の周りに、自分と同じ何かが。 すると、華月の目の前に華月そっくりの人型が一体現れた。「なんだ、俺の場合はこれだけ――」「では、無いようですね」 華月の正面にいたテレジアは、華月の背後を見ながら呆れたような声を出した。 華月も振り返って、空いた口が塞がらないというのを体感した。「1、5、10……。どんだけ居るんだよ……」「探知出来る範囲で35の分割意識体を確認できます。訓練無しでこれだけ分割出来るという事は、魔法適性も高いということになりますね」 同時に、華月は覚えることが増えたことになり、テレジアは教えることが増えたことになる。「ほら、カヅキ。この意識体たちに指示を出しなさい。総てが貴方なのですから、これらの作業結果も貴方の物になります」「ぜ、全員でこの記録を記憶にする! 掛かれっ!!」『おーっ!!』 オリジナルと違って随分とノリが良い。「……本来の貴方は快活な性格をしているのですね」「さてな。これが俺の本質とは限らないだろう」 華月は鼻を鳴らしてそっぽを向いた。「しかし便利だな、この分割思考は」「統率する主体が脆弱だと破綻する事もあるんですが。貴方は大丈夫でしたね」「テレジアの訓練を受けて思うんだけどさ……」「何でしょう」 華月が凄い微妙な顔をしながら呟いた。「テレジア、俺が壊れたらどうするつもりだ?」「さて。壊れる事など考慮していません」「は? ――な?」 何を馬鹿な事を。と、言う様な調子で返され、華月は流石に何も意味ある言葉を返せなくなった。何か言おうとするのだが、纏まってくれず、喘ぐように単音を発するのが限界だった。 テレジアは両目を伏せ、事実勧告を開始した。「私には、貴方が壊れることを、考慮する必要が、在りません」「だ、だから、何で!? 理由は!!」「理由、ですか」 そこで半分だけ目を開いた。「貴方がアルヴェルラ女皇陛下の竜騎士だからです」「意味が解らないって!」 女皇の騎士というなら、それこそ壊れないように教育するものではないか? そんな疑問が華月に芽生えるが、自らそれを問うほど華月は自己中心的な性格はしていなかった。だからそれの回答が聞けるように誘導する。「何故竜皇の竜騎士が壊れる心配をしないのか。その答えは非常に簡単です」 テレジアの目が完全に開いた。「壊れないからです」 言い切った。完全無欠に断言した。「竜騎士についての説明も十分ではありませんでしたが、ここで少し教えましょう。 竜皇の祝福を受けた竜血の作用は、同種のものよりも数倍……いえ、数十倍の効力を持ちます。それだけ、その血を享ける竜騎士候補に強い資質を要求します。今まで1000年間、陛下の血を享けた候補7名の中で、自我を残し、変質段階で崩壊しなかったのは貴方を除いて他に居ません。言い方は悪いですが、それ以下の資質で務まる竜騎士たちが同様の訓練で壊れることがそもそも稀です。 故に、この程度の基礎訓練で壊れる心配など不要なのです。要らない事を考慮する必要は無いでしょう」「……マテ、俺はヴェルラの血に耐えられなかったら、どうなってたんだ?」「竜血の力に意識を喰い潰された場合、肉体が崩壊します。皮膚が剥げ、肉が腐り、血液が沸騰し、神経が爆ぜ、骨格が塵芥になります。 一説には魂にまで傷を負い、取り返しがつかなくなるとかならないとか」 これが本当だとすれば、文字通り『命懸け』だったわけだ。「まぁ、そんな過ぎ去った事はどうでもいいのです。これから、その拾った命で陛下の為に頑張ってくれればいいのですから」 このセリフだけを抜き出すと、トンデモなくアクどい奴の吐く最高に下衆な類のものだ。「その為に必要な知識――は、揃いましたね。技術も何もかも、私が教えます。陛下に対し、私はこのテレジア=アンバーライドという『名』を懸けて約束しました」 自分の胸に右手を当て、テレジアは華月を見据える。「今、私たちはお互いの意識と意識で直に触れています。少し集中すればお互いの思考も筒抜けになるような状態です。そんな状態で、私は貴方にこう言います。 セギ カヅキ、私は貴方を一人前の竜騎士にします。同時に、私の人間に対する志向を変えるべきかどうかの指針とします。 どうか、強く在ってください。一番大きな期待は陛下ですが、その他にも貴方に期待する者が居ることを、忘れずにいてください」「え――?」 また、唐突に華月の意識は遠くへ行こうとし始める。「整理が終了しましたね。現実へ戻る時です。私も自分の身体へ戻ります。 今の話、努々忘れないように。戻ったら食事を摂って訓練です。今日からしばらくは体術をみっちり、文字通りに叩き込みます」 今までのシリアスな顔を台無しにする素晴らしい笑顔で、テレジアは微笑んだ。