様々な情報が駆け巡る。 何かの数式だったり、化学式のような何かだったり、意味の分からない呪文だったり、幾何学模様だったり、紋章だったり、意匠だったり。 溢れる情報の洪水が、自分の記憶と混ざっていく。 それをただ眺めているわけにはいかなかった。一つ一つ、ラベルを付け何の情報だか分かるようにしておかなければならない。 総数は一体どの程度になるのだろう。 考えたくも無くなる。 しかし、何の因果か、これら全てが理解できるし、何だか判ってしまう。 相応に時間が掛かるが、出来ないことではない。 華月はため息をつきたい所だったが、期待していると言ったアルヴェルラとテレジアの顔を思い出し、苦笑して作業に取り掛かった。 ベッドで横になり、寝息を立てている華月の周りに、人垣が出来ていた。「ねぇ、これが陛下の竜騎士なの?」「そうです。 というより、貴女たちは仕事に戻りなさい」「今は休憩時間ですよ、纏め役」 ベッドの脇にはテレジアが座っており、華月の様子を看ていたのだが、手隙になった皇宮に使える者たちが噂になった『女皇陛下の竜騎士』を見物にきたのだ。「異界人の竜騎士って珍しいよね」「確か二人目じゃない?」「線が細いわね、大丈夫なの?」 姦しくなっていく。 直接的に人間を知らない大部分の同胞が大抵こんな反応をするのが、テレジアにしてみれば面白くないのだが。「こうしてると、人間ってそんなに怖く無いわね」「生物としたら、私たちより脆いんだよ? 怖がる事も無いじゃない」「でも、ほら、変なもの使って色々するって話だし」「いい加減にしなさい。 彼は今、私が教育中の身です。全てが終わった後、陛下から全員に紹介があるでしょう。それまで待ちなさい」『わ、解りました!』 全員が声を揃えて返事し、そそくさと出て行った。こめかみに青筋を浮かせながらも何時も通りの口調で注意してきたテレジアが恐ろしかったのだろう。「全く……」「テレジアも大変だね」 少し離れた窓枠に、一人の少女が座っていた。「フェリシア様、今日は――」「お休みだよ」 窓枠から飛び降り、テレジアが座るのとは反対側に回り込む。「あたしだってサボってばっかりってわけじゃないんだからね」「解っています。貴女は優秀です」 静かに目を瞑り、フェリシアに誰かの姿を重ねているようだった。「あたしの事は、今はいいよ。 それより、随分無茶したんじゃない?」 寝ている華月の頬を突っつきながら、フェリシアはテレジアを見る。「ほんの数日前まで唯の人間だった奴に、図書室の記述を全部転送するなんてさ」「無茶ではありません。出来ると判断したから行ったまで、です」「ふぅん。テレジアにしては、豪い高評価を付けたもんだね。異界人とは言え、人間にさ」「能力的には問題ありません。人格もまずまずでしょう。胆力は十二分にあるようです。危うさはまだ見えませんが、大丈夫だと推測できます。 交わした言葉の数、過ごした時間は私が一番長い物となっています。陛下より教育に関し全権を預かっている身です。その上で判断し、合理的な手段を取ったに過ぎません」 フェリシアは意地の悪い笑顔を浮かべるだけで何も言わない。 普段の、それこそ平常運転しているテレジアなら、まず言わない言葉が並んでいると分かっていながら黙っている。「テレジアの人間嫌いは食わず嫌いと同じだったか」「……どういう意味ですか? 私は変わらず人間が嫌いですよ。 ただ、正当に評価しただけです」 頑なに意見を曲げようとしないテレジアに、フェリシアは肩を竦めてため息をつく。「まぁ、いいけどね。 それで、今日で二日目の昏睡ってことになるけど、本当に大丈夫なの?」「元々頭が良くない部類だったのでしょう。記録の整理に手間取っているだけのようですから、そんなに心配しなくても大丈夫です」 テレジアはそんな質問に華月の額に左掌を乗せ、さらっと答える。「竜宝珠(カーヴァンクル)使って干渉してるの?」「一応の状態確認はして置きませんとなりませんから。こう言う時、異界人だと楽ですね」「そりゃぁ、あたしら竜族のカーヴァンクルと異界人の玉は互換性があるからね」 純竜種の竜族は、その身体のどこかに竜宝珠(カーヴァンクル)と呼ばれる属性色の宝珠を持つ。それらは竜の力が大きさを決め、竜の知識が色を深める。ダークネス・ドラゴンのカーヴァンクルは漆黒の宝珠だ。普段目にすることはできないが、それらは他の同色の宝石よりも美しいと言われる。 カーヴァンクルは異界人の玉に干渉することができるが、異界人の玉はカーヴァンクルに干渉することはできない。保有魔力量の違いが大きすぎて、玉の方から干渉しようとすると弾かれてしまう。「この調子だと、後三日ほどこのままでしょう」「三日とか、長いね……。カヅキってそんなに頭悪かったんだ」「……頭が悪いというより、これは要領が悪いというほうが正しそうですね。丁寧に一つ一つ片付けているようです」 今も現在進行形で干渉中なのだろう。「自分の判断でそうしちゃったから、カヅキにずっと憑いてるの? テレジアの仕事だってそんなに空けっ放しでいいもんじゃないでしょ。大丈夫だって思ってるなら放って置いていいんじゃないの?」「確かに、放置していても問題ないでしょう。ですが、今後もこんな調子では困るので、今から強制介入を行います。変質した肉体の使い方に慣れてもらうには、やはり実践させないと駄目な様なので」「え? ちょっと、まさかカヅキの中に意識を送るつもり!?」「はい。一時間少々で戻ってきます」「あ!」 テレジアは目を閉じ、掌に意識を集中したかと思うと、寝息を立てていた。「あ~あ……。テレジア、何だかんだ言って入れ込んでるじゃない。こんな無茶するの初めて見たよ」 少しだけ呆れ顔になって、肩を竦めたフェリシアは窓に向かって歩き、おもむろに窓枠に足を掛けた後。「まぁ、そういうテレジアも嫌いじゃないな」 一度だけ眠るテレジアを見て、窓から外へ飛び出した。 背中から皮膜の翼を一対生やし、皇宮の下へ滑空していく。