赤熱する金属は、終に形を成した。「……」 ヴェルセアの力で轟々と火焔を上げながら燃える炉に打ちあがったそれを突っ込み、ふらふらとヴィシュルは戸棚に向かった。「お願い、足りて……」 取り出したのは100リットルの圧縮容器と50リットルの圧縮容器だ。中は、セフィールの水と樹液だ。 それを石造りの風呂桶みたいなものの中に一気にぶちまける。 粘度の低い樹液は水に簡単に溶け始める。更にそれを攪拌し、良く混ぜる。計算上、これで足りるはずだ。 そこへ、炉から取り出したチンチンに焼けている金属を放り込む。 耳を劈く混合水の悲鳴が、剣の誕生の産声にも聞こえる。 膨大な熱量を持った金属を水で急冷する。これは金属加工では『焼き入れ』と言う工程だ。普通はこれで金属の組成を変え、強度を増すのだ。「……」 水位が見る間に減っていく。樹液の匂いを含む水蒸気が鍛冶場に充満し始める。『……ヴィシュル、足りない』「え?」『これでは、必要な温度まで下がる前に冷却水が尽きる。後、ほんの2リットル程度なのだが』 ヴェルセアとガトレアが脇から口を挟む。だが、たった2リットル程度の量など誤差と言えなくもない。しかし、ヴィシュルの顔から血の気が引く。「ポット、ポットにまだ水が残ってたはず!」 テーブルに載っている茶器から、お湯を入れて置くポットを掴みあげる。中の水は休憩の時にお茶を煮出すために使うセフィールの水だ。流石に長時間放置されていたため完全に熱を失い水に戻っていた。だが、今はそれが丁度良い。「1リットルぐらいしか残ってない……」 蓋を開けてみれば、微妙に足りない量しか入っていない。その事実に絶望感が足から這い上がってくる。 この最後の工程でしくじれば、ここまでの努力が水泡に帰す。それほどにこの『焼き入れ』は重要な工程だ。『済まない、火勢が強すぎた。熱量を持たせ過ぎていた』 ヴェルセアが静かに詫びる。ヴィシュルはその言葉に、思わず反論してしまった。「……わ、私は諦めません!!」 テーブルの上にあった細工用の小刀を反対の手に取る。 冷却槽の淵から先ず、ポットの中身をぶちまける。 ポットを投げ捨て、ぼうぼうと蒸気が吹き上がり、ゴボゴボと沸騰する水面の上に左腕を出す。『待て! それは――』「こうするしかっ!!」 右手に持った小刀で左腕を切り裂く。「~~っ!!!!」 傷口からは鮮血が噴き出す。どうやら狙ってそれなりに太い動脈まで切ったようだ。 沸騰する水面が紅く染まっていく。 蒸気の熱が傷口を焼いていく。 自分の中から血液が失われていくのと同時に、意識も遠のき始める。『もう十分だ! 早く傷口を手当てしろ!! ガトレア!!』『解っている!』 冷却槽の縁が不自然に盛り上がり、ヴィシュルの腕の傷口を塞ぐ。土属性の強いドワーフだから有効な緊急処置だ。『無茶をする! また打ち直せば――』「それじゃダメです!」 ヴェルセアの言葉を強く否定する。「ヴェルセアも、ガトレアも、どっちも力を使いすぎてるのは解ってます! 私が手間取ったから!! これ以上、短い間に力を使うことが難しい事は、私にだって解ります! 契ったんです、お二人の事は私にも感じられます!!」 終に沸騰が止み、蒸気が薄れ始める。 冷却槽の水位は殆ど無くなり、底の方にほんの1㎝あるかないかだ。 ヴィシュルは恐る恐るその薄紅い水に浸かる金属の棒を取り出す。 幾ら冷却水が足りないとはいえ、自分の血液を入れるなどという暴挙を行ったのだ。どんなモノになってしまったか予測すら出来ない。 光源の近くに持っていき、確認する。『「『…………ん!?』」』 精霊を含め、三者三様の驚きの声を上げた。 華月も剣を抜き、両手で柄を持って正面に構える。弓弦葉は琉獅華を突き出したまま、智華を左後方下に向け、右半身を前にし、重心を下げる。 弓弦葉の構えは独特のものだが、華月の方は至ってオーソドックスな構え方だ。「……」「……」 華月が仕掛ける。真正面から上段からの振り下ろし。琉獅華に遮られ、智華の横薙ぎが反撃に打たれる。 自ら切刃の角度を変え、琉獅華の表面を滑らせ、鋭く切り替えし、智華を迎撃する。 石舞台の遥か上空に、一つの影があった。「……」 舞台で繰り広げられる試合を静かな目で見続ける影。(……思惑は大分外されたけれど、カヅキは半強制的に成長させられたわね) 珍しく仮面を外しているテレジアだった。当然表情の仮面は外していないが、内心は本来の言葉使いで思考していた。(ん~……。ユヅルハの秘技やらを盗めていれば儲け物程度に考えていたけれど、これは案外予想以上の効果があったかしら?) 初めから見ていたわけだが、教えなかった技術や技法が幾つか見て取れた。(まぁ、最後まで見てからどうするか決めましょうか) 性悪のテレジアはまだしばらくここから傍観するようだ。 華月の連撃を左右の刀で器用に捌きながら、適度に反撃を織り交ぜている弓弦葉。その表情には焦りも何もない。寧ろ華月の顔に焦りが浮かんだり消えたりしている。 ここまで見事に切り返され、あまつさえ反撃までされているのだ。やはり技量には相当の違いがあると言わざるを得ない。(解っててもキツイな。もう少し通じるかと思ってたんだけど!) 渾身の振り下ろしを交差させた二刀でがっちり受け止められた。「一刀での連撃には限界があったが……二刀の連撃、受けてみろ」 華月の剣を弾き飛ばし、弓弦葉が両腕の纏身防御を強めた。華月には理解できない行動だったが、次の瞬間から襲い掛かってくる連撃を回避することに全ての脳内リソースを持って行かれた。(――!) 単純に攻撃回数が増えただけではなかった。 防御する側が嫌う、もしくは回避が難しい角度で次が来る。または、そう思わせておいて最短距離で引き戻された刃が向かってきた。 剣で防御、または弾くだけでは追いつかない。全身のあちこちに切創が出来始める。(竜楯ごと切られてる!? トレイアの武器と同じ効果があるのか!)(流石に最高位の纏身防御・竜楯は堅いな。琉獅華と智華でもすんなり切れないか。大抵の纏身防御は楽々と切るだけの魔法効果が付与されているんだがな) 華月の意識が琉獅華と智華に十分集中したところで、弓弦葉はこの二刀の本領を発揮させることに決めた。「琉獅華、灼熱を! 智華、凍結を!」 弓弦葉の言葉が発せられると、琉獅華と智華、二刀が答えるようにハバキと柄尻にある『玉』が緋と蒼の光を発し、刀身に超高熱と極低温を纏わせる。「迂闊にこいつ等に触れるな? 琉獅華は切断力が、智華は破砕力が上がっているからな」 実に単純な話だ。琉獅華は高熱で焼き切る。智華は凍結させ砕く。(……性質悪いな……。熱と冷気とか、人体にもモロに影響するじゃねぇか)「元は完全殺傷武器として設計されたこの二刀は、森羅万象悉くを切り砕く」 弓弦葉が刀を振るい、華月が回避するたびに、華月の近くを熱気と冷気が掠めていく。竜楯で防護しているのにもかかわらず熱気と冷気を感じると言う事は、その温度は計測したくないほどのものになっていると言う事だ。 剣で琉獅華を打ち払うと、刀身同士が触れた辺りが一気に赤熱した。 同様に智華を打ち払うと、刀身同士が触れた所から一気に凍結した。 そんな事を繰り返したらどうなるか。(金属にこんな事をしたら!) 華月も理解している。これを繰り返したら、間違いなく、どんなに強靭な金属だろうが――簡単に、砕け散る。 これは金属に限らない。過熱と冷却を繰り返せば、物質は脆くなる。(畜生!!) 華月が何度目か、刃を打ち払ったとき、剣から、聴きたくない音が聞こえた。(もう保たない! 最後に斬り込むしかない!!) 華月がそう判断し、ようやく掴んできた弓弦葉のリズムに乗り、起死回生の一撃を放つ。「カヅキさん! ダメです!!」 石舞台の脇に、いつの間にか布包みを持ったヴィシュルが居た。 ヴィシュルの叫びは、カヅキには遅すぎた。既に停止不可能な勢いを載せた斬撃が奔る。 だが、華月は何としてでも攻撃を停止――もしくは、せめて斬撃を逸らす必要があった。「お前はいつも、詰めが甘い」 弓弦葉の双刀が華月の剣を迎撃する。 金属が奏でる悲鳴。 華月の剣が半ばで砕かれ、切っ先が宙を舞う。「な……!?」「希少金属程度では、やはり足りないな。 少し、頭を冷やすか?」 弓弦葉が左手に持つ刀、『蒼闇き叡智の華婦人・智華』は刀身から周囲の空気すら凍てつかすような凍気を発している。「無限凍結」 その刃が優雅に華月の胸板を横一文字に刻む。 肋骨ごと肺腑を切り裂かれ、その傷口から急速に全身が凍結していく。「カヅキさん! これを!!」 ヴィシュルが華月に向かって持ってきた何かを投擲する。 怪我をしているからだろうか、どうも力加減と投射角を間違えている気がする軌道で、包みを自ら解く様に姿を現したソレは、剣だった。 華月の為の形状で、華月に振るわれる為に、永劫とも言える時間を共に過ごす為に生み出された、華月の為にのみ存在する、一点の変色もない漆黒の刃。「貴方の為の絶対武具、永劫を共に在る物! 闇夜よりも尚昏く、惹き付ける闇! ファスネイト・ダルク(Fascinate Dark)!!」 華月が柄を掴もうと、動きが鈍っている手を伸ばすが――。「「「あ――」」」 ファスネイト・ダルクと呼ばれた剣は、華月の腹に真正面から見事に刺さり、貫通した。