そして、弓弦葉が『総仕上げ』と称したその日は来た。 修練場の石材の舞台には華月と弓弦葉の二人と、ヴァーナティスが居た。 ヴァーナティスは二人の間に立ち、優雅にスカートを両側に広げながら持ち上げ、一礼する。「両者、準備はよろしいですね? この場は私、侍従四番、ヴァーナティスが取り仕切らせて頂きます。 この試合に制限は在りません。双方、己が持てる全てを以て、相対者を叩き潰す為に全能を惜し気無く振り絞り――」 両手を下腹部あたりで重ね、目を瞑り朗々と口上を唱えていく。「――どうぞ、気の済むまで、死合ってください」 片目を開き、妖艶に微笑むと、バックステップの跳躍一回。舞台の端ギリギリに着地。両腕を広げ、舞台に施されている魔法を作用させた。舞台の対物理防護と対魔法防護だ。更に重ねて舞台の外と舞台の内側を空間的に遮断し、外部に影響が出ないようにした。 舞台の準備は整った。それを確認した弓弦葉が口を開く。「華月、準備は良いか?」「……はい!」 華月は取り換えた剣を左腰に、闘気を滾らせ既に臨戦態勢だ。 一方弓弦葉は両腰に一振りずつ刀を差し、何の高ぶりも感じさせない腕組みという装丁だ。 両者、纏う気質が真逆。「それでは昨日の宣言通り、今日で仕上げるぞ。先ずは格闘。 着いて来い」 弓弦葉が両膝を少し落とし、重心を落とす。 華月はその動きを見て、即座に動いた。『最速行動』で弓弦葉の眼前に。 瞬間移動に等しいその動き。繰り出される左の掬い上げる様な掌底。正確に弓弦葉の下顎を狙っている。 少し前とは全く違う動き、攻撃精度。華月の基礎能力は弓弦葉によって一気に引き上げられていた。テレジアの仕込んだ基礎があったからこそ応用に発展できたお蔭だが、テレジアの「カヅキ自身が次第に身に着けられるように」と言う思惑は半分ほど砕かれてしまっている。 弓弦葉はその掌底に右の手刀を叩きこんで止めた。「動きの初動とキレは格段に上がったな。そして、ファスト・ドライブをモノにしたか」「……」 今の自分の最高速度で動いたというのに、あっさりと止められた事実に、華月は内心動揺していた。 だが、今そんな動揺を見せれば直ぐに弓弦葉に叩き潰される。華月は前もって組み上げていたロジックを分割意識体に実行させる。 止められた左を下げながら今度は右の拳で弓弦葉の左頬を狙う。 しかし、今度も弓弦葉の右手に悠々と掴み止められる。 更に弓弦葉が右手を捻る。たったそれだけで華月の右腕は肘関節と肩を鈍い音を立てて捻じり抜かれた。それだけで止まる弓弦葉ではなく、そのまま華月を放り投げた。「鋭いが単調だ。その程度では魔将軍クラス以上には通用しないぞ。せめて――」 着地した華月が弓弦葉を見ると、既にその場に弓弦葉は居なかった。「この程度は、やらないとな」 華月は声のした右側を見ようと顔をそちらに向ける最中、頭を鷲掴みにされ、顔面にクソ重い一撃を喰らった。頭を掴まれているので逃げることもできない。「ほら、切り返せないと――」 同じ威力の拳打が続々と襲い掛かってくる。「顔面の原型どころか、頭が砕けるぞ」 均等な威力で次々と打ち付けられる拳のダメージは華月の頭部に残留し始め、次第に頭蓋に亀裂を生み始めた。顔面の凹凸はとっくに均され、壊滅状態だ。「おっ、と」 華月が無言で左の貫手を無造作に放っていた。弓弦葉は危なげもなく華月の頭を手放して距離を取る。「開始早々顔面と右腕か。少し情けないな」 苦笑を浮かべる弓弦葉に対し、華月は修復されつつある歪な顔で、不敵にニヤリと哂う。「……避けた、つもりですか?」「何……?」 突如、弓弦葉の右足が力を失い、姿勢が崩れる。「……成程。既に抉っていたか」 見れば、弓弦葉の右膝が大きく抉り取られ、一部分が消失していた。 華月の貫手は抉っていたのだ。弓弦葉の右膝の一部を。「だが、竜騎士ほどでは無いにしても、魔族も回復や修復速度には定評がある」 弓弦葉の視線が一瞬自分の膝に向く。 見る間に抉られたはずの膝が再生し、復元されていく。「……それも知ってますよ」 華月の声は弓弦葉の頭上から降ってきた。さっきの一瞬で弓弦葉の頭上に飛び上がり、空中で体を捻り、回転力と落下速度をつけながら、弓弦葉の頭へ向け強力な踵落としを打ち込んだ。 視線を外した一瞬で対処が遅れ、弓弦葉はその破砕鎚のような鈍重な一撃を避ける事しかできなかった。「……。 左腕を、鎖骨と肋骨ごと持っていかれたか」 華月の踵落としは左肩に直撃し、その衝撃と破砕力は左腕どころか鎖骨を砕き、肋骨に罅を入れていた。当然左肩の関節部は粉々に粉砕され、左腕は使い物にならない。 弓弦葉の顔に苦笑が浮かぶ。(……回復に約三分。それまで全く左腕が使えない他、背筋の一部も使えないか) 支点として可動を確約する関節が完全に壊された。これではそこから先の機能は喪失したも同然だ。ましてや盾代わりに使うこともできない。千切れているわけではないのだから。 華月の追撃は止まらない。弓弦葉のダメージを目測して次の行動に入った。 肘と肩の関節を抜かれている右腕を鞭のように撓らせ、弓弦葉の顔面に右手を叩きこんだ。遠心力のみの平手かと思われたその一撃は、十分な流身系と纏身系で強化された『右拳』だった。同時に、肘と肩の関節が嵌る。「筋肉と筋も、切っとくべきでしたね」「それは、お互い様だろう……?」 顔面に華月の右手をめり込ませたまま、弓弦葉は左手の指を真っ直ぐ揃え、手首を固定した。そして、右手で左手首を掴むと、華月の右腕に左手を突き立てた。左指は橈骨と尺骨の間を縫い、右腕を縦に貫通。そのまま橈骨側を握る。(俺の流身系と竜楯を抜いた!?)「右腕は、完全に貰うぞ」 そのまま弓弦葉が左手を右手で引く。当然華月の右腕から橈骨が捥ぎ取られる。 弓弦葉は右手を左手から離し、華月の右足を払った。自分の右側に向かって倒れる華月だが、右腕で手をつくわけにはいかない。今、右腕の強度は殆ど無いのだ。自分の体重を支えられる訳がない。 咄嗟に右足を引き戻し、倒れる事だけは回避。だが、その隙に弓弦葉は華月から大きく距離を取っていた。 まだ完全に治らない左腕を気にしつつ、弓弦葉は、今まで見せていなかった、愉しそうな貌をする。「泥臭いやり方だ。お綺麗な騎士道や武士道なんぞの高潔を謳う精神は欠片も無い」 くっくっく。 まるでしゃっくりをするかのような、そんな哂い方。「だが、いい。それがいい。寧ろそれでいい。 そうだ。どこまでも意地汚く、最後に必ず勝利者として立って居る事。それが大事だ」 華月はその語りが、時間稼ぎだと理解できた。自分の左腕が使えるようになるのを待っている。だが、それは華月としても同じことだ。右腕が使えるようになるまで、まだ掛かる。「そろそろ、一段階上げよう」 弓弦葉はそう言うと、ワザとだろう。解りやすく威圧するように魔力を放出した後、それを身に纏う。(……今まで流身系のみでやってた、ってことか。まだまだ舐められてるな。 まだ三指が動かない。が、やれる) 華月の右腕は修復率七十%程度。骨格の復元が済み、筋肉、血管、神経との再接続と皮膚の再生待ちだ。だが、強度は確保できる。十分使える。 無言で華月は立ち上がる。 弓弦葉は頷くと、左腕は治ったと言う証明のように、握っていた華月の骨を投げ捨てると、今度は見える速度で突っ込んできた。だが、見える速度で来ると言う事は即ち――。(一撃に込める魔力量が増えているってことだ!) 霞んで消えた弓弦葉の拳打の嵐を、華月はギリギリのタイミングで受け流し続ける。 このままでは防戦一方。それでは意味がない。(ここだ!) 弓弦葉の右拳を左腕で受け流し、左拳が放たれた瞬間に左腕を弓弦葉の引き戻され始める右腕に巻き付け固定。左拳を右手で払うと同時に右足で弓弦葉の左側頭部に蹴り込む。 普通なら頭蓋が砕け、頸椎が折れて、首から頭が千切れた挙句に脳髄を撒き散らしている事間違い無しの一発。だが、弓弦葉には全くダメージが通っていない。「纏身系防御を抜くには、こうするんだ」 弓弦葉の右足だけ、魔力量が増えた。そして、その状態で華月の左脇腹に蹴りこんできた。 蹴られた箇所の竜楯が中和されたように消失し、弓弦葉の蹴りの威力がそのまま華月の左脇腹に炸裂した。内臓を軒並み損傷し、寧ろ撒き散らしかねない威力だったが、流身系が功を奏し、そうなることだけは回避できた。ただ、それなりのダメージは徹ってしまった。 華月の口から息が漏れる。 それでも弓弦葉の右腕は離さない華月。弓弦葉は素早く足を引き戻すと、体を捻り、華月の足を払って投げ飛ばしにかかる。 半円を描く軌道で地面に叩き付けられる前に、華月は弓弦葉の腕を離し、投げられた勢いを利用して距離を取る。(竜楯が戻った……。と、言う事は一時的にこっちの竜楯以上の魔力出力で抜かれたってことか) 非常に単純な話だ。 そう、単純な話だ。単純な話と言う事は、それは華月にもできると言う事だ。 両腕、両脚、そして頭部に纏う魔力量を一気に増やす。(防御はあっさり捨てる。か……。自分の特性をよく理解し、利用することは良いことだ。だが、そう簡単に防御を捨てることは――)「得策とは、言えないな」 低姿勢で射られた矢のような速度で弓弦葉が距離を詰めながら体を捻ってさっきの華月のように加速度と回転力を加えた踵蹴りを華月の胸部目掛けて放つ。当然、華月の竜楯を抜くだけの魔力を纏った踵だ。「四角防御(ダイア・プロテクト)」 分割意識体が準備していた魔法を発動。華月は弓弦葉の踵を止めた。 動きが止められた弓弦葉。そこへ、華月の左裏拳が直撃。当然纏身防御を抜いている。「爆裂拳打(ブロウ・ブロー)」 接触した瞬間、華月の魔法拳打が初めてのクリーン・ヒット。弓弦葉は煙に巻かれながら吹き飛び、一度地面をバウンドし、その後体勢を立て直し着地。「一つ一つの技能では、先輩にはまだ、及ばないのは重々承知してます。なら、芸を凝らすことにしました」「……良い、判断だ」 弓弦葉はゆらっと起き上がり、両方の刀の鯉口を切り、柄に手を掛け、抜刀する。「体術は俺の想定していたレベルに達している。魔法のタイミングと選定も、問題ないようだ」 ひゅぅん、ひゅん。と、鋭い風切音がする。「最後の確認だ。抜け、華月」 きゅぅっ。と、弓弦葉の眼が鋭くなる。ヒュッ! と、言う音と共に、華月に右手の刀、紅色の刀身を持つ『琉獅華』(りゅしか)が真っ直ぐに向けられる。