その日の夜。城の屋根から夜空を見ながら、弓弦葉が酒を飲んでいた。 貸し出された部屋に備え付けられていたドワーフの火酒だ。だが、弓弦葉は一向に酔う気配がない。「……」「火酒を呷っても全く酔わないとはな。魔族は便利な体をしているな」「そうでもない。これでもそれなりには酔っている。 何か用か?」 弓弦葉が振り返ると、アルヴェルラが立っていた。「私は後で。と、言ったはずだぞ。お前が聞き流していたんじゃないのか?」「かもしれないな」「相変わらず連れない奴だ」 アルヴェルラはそのまま弓弦葉の隣に座る。「お前が動くなんて、『今回の魔王』は一体どんな手を使ったんだ?」「……俺の、『目的』を邪魔しないと約束してくれただけだ」「興味があるが、どうせ教えてはくれないんだろう?」「言う必要がない」 アルヴェルラが笑いを堪えながら「それはそうだ」と、答える。「アルヴェルラも、ようやく騎士を見つけたみたいだな」「ああ。実に好い騎士だぞ」「解っている。アイツは環境が悪くてもひねくれはしても腐らなかったからな。俺とは違う」 また酒瓶をラッパし、呷る。「何だ、本当に知り合いだったのか」「ああ、俺の後輩だ。『学校』という教育機関の、な」「学校か。噂には聞いた事があるな」「大人数が知識を、知恵を教示してもらうために通う所だ。それ以外は、シガラミの多い、小さな社会と変わらない」「あんまり面白くなかったか?」「……否定も肯定もしない。最早俺には――」「関係無い事だ。か? カヅキも似たような事を言ったな」 アルヴェルラの言葉に、弓弦葉はまた酒を呷る。「おいおい、あんまりガバガバ飲むな……。それなりに上等な酒を準備しておいたんだぞ?」「どうせ自分だって普段はこういう呑み方をするんだろう? 人にどうこう言えた口か?」 弓弦葉にそう言い返され、キョトンとしたアルヴェルラだったが、「それもそうだな」と、爆笑する。「……。話に出てきた華月だが、用事が済むまでの間、俺がしごいて構わないか?」「何だ、カヅキに頼まれたか?」「ああ、まぁ、そうだ、な」「歯切れが悪いな。もしかして、ユヅルハから提案したのか?」「……この世界に来た頃の俺と、ダブるんだ。力を求めて、それでも、力を得るのが遅すぎて、後悔しか残らなかった、あの無力だった俺と」「ダブるの意味が解らないが、自分の昔と重なって観えるといいたいのか?」「そうだな。己が必要としたときに、必要とするだけの力を、出来る限り与えてやりたいと思ったんだ。俺みたいに、後悔しか残らないような、そんなモノは――」「……いいぞ。他の者には私から言っておく。好きにしてくれ」「感謝する」「感謝するのは私の方なんだがなぁ。何だか、カヅキに関してのことは礼を言うべきところで逆に礼を言われることが多いなぁ」 アルヴェルラは苦笑する。悠月といい弓弦葉といい、どうも思考基準が自分と離れているようにアルヴェルラは感じた。「まぁ、気の済むようにしてくれ。それがいずれ、どこかで実を結ぶと良いな」「ああ、そうだな」 弓弦葉は、気付けば手にしていた酒瓶を空にしてしまっていた。「少し呑みすぎたな。今日はこのくらいにして寝ることにする」「夜も更けてきたからな。ふぅぁ……。私も寝よう。 お休み、ユヅルハ。中々楽しかったぞ」「ああ、それは何よりだ。お休み、アルヴェルラ」 そうして数十年振りに再会した二人はそれぞれ寝室に戻っていった。 夜空には、半月が輝いていた。 甲高い音が一定の間隔で鳴り続ける。 深い地底の奥底で、ヴィシュルが一心不乱に金属を鍛造していた。 直立し、全身を用いて大鎚を高速で、ただ正確に振りかぶり、振り下ろし続けている。だが、叩かれている金属は赤灼に焼ける金床の上で鍛造さているというのにほとんど火花を散らない。 そして、終に完全に火花を散らすことがなくなった。 そこでようやく、ヴィシュルは鎚を振るう事を止め、床にへたり込んだ。「ようやく完全に火花が出なくなったぁ~……。これで下準備は完了!」『開始からの時間を鑑みると、ギリギリだがな』『ヴェルセア、そう厳しい事を言うな。まだ日が浅いのだから』 ヴィシュルの背後には陽炎のようなヴェルセアと、土の塊のままのガトレアが居た。『そうは言うがな、ガトレア。抽出、精製に掛けられる時間は制限付きだと解っているだろう』『まぁ、な。だが、一回目から完璧を求めるのは行き過ぎというものだろう。寧ろ、この結果は上々の結果だろう』『これから莫大な力を消費するお前がそういうなら構わないが。 ヴィシュル、このまま鍛造まで始めるのか?』「え? いや~……さすがに疲れが……」 諸々に手間取ったおかげで時間に追われる精神的な疲労と、長時間連続で鎚を振り続けた全身が休息を要求していた。 実際、ヴィシュルの全身は汗で濡れていない個所が存在しないほどだ。作業着も肌に張り付いているし、未だに汗は止まらない。『だが、今ほど神経が冴えている事はそうそうないのではないか?』 ヴェルセアに言われ、ヴィシュルは自分の神経が普通では考えられないほど研ぎ澄まされている現実に気が付いた。『形状の粗製はガトレアが行える。ヴィシュル、先ずは一振り打ち上げてみた方がいい』『それには賛同する。不朽金属類は完璧な鍛造が出来なければ、普通の金属よりかたい程度のモノに成り下がる。一回で完全な武器が出来ると思わないことだ』 ガトレアもヴェルセアに同意し、先の工程をヴィシュルに要求する。「で、でも……。そんなに失敗できるほどの素材が――」『確かに余裕は余り無い。が――』 ヴェルセアが不自然なほどの溜めを作る。『アルヴェルラに、何よりドレンに、お前の実力を示す最高の一振りを見せるのだろう? カヅキがこの先、使命を終えるその時まで、傍らに在り、象徴として恥ずべく事の無い至高の一振りを授けるのだろう? お前が引き受けたのは、そう言う類のモノだ。後世にまで語り継がれ、聴く者を引き付け、観る者を虜にする曇り無き剣だ。 我々が今までに力を貸し、打ち上げられた武具に、例外は無い』 厳と言われ、ヴィシュルは再認識する。竜騎士の武具を創り上げると言う事。その重責を。 だが、同時に理解する。それを打ち上げる事は鍛冶師としての到達点の一つであると言う事。 ヴェルセアとガトレアの言葉が重なる。『『打ち上げろ。己が総てを注ぎ込んだ、確実な納得と絶対の自信の基に、誇るべき刃を。その為の研鑽は、今、始まったばかりだ』』 ヴィシュルは立ち上がり、ヴェルセアが超高温状態を保ち続けている金床に向き合った。 その手にもう一度、大鎚の柄を握り締め、振りかぶる。「ガトレア、お願いします。私の描く通りに」 芯の通った声で、ガトレアに指示を出す。本来なら全て自身の手で作り込んでいく所だが、この金属塊はそこから始めると手間が掛かりすぎる。 ガトレアが力を作用させ、粗く、ヴィシュルの空想通りの形に整える。 刃の祖形が出来た所で、再び大鎚が振り下ろさせる。 甲高い、独特の金属鍛造音が響き始める。 ここには半月の光は差し込めない。 住処としている大樹と枝で連結された、すぐ近くの泉の畔に生えるまだ歳若いセフィールの枝に設えられた裁縫所。大きなテーブルが一つに椅子が三脚。 その内の一脚にリフェルアが座り、生地に刺繍を施していた。背後にはやはり、水と樹の精霊であるミルドリィスとシュリゼリアが、簡易形態で鎮座している。 枝葉の間から差し込む月明かりに照らされた手元を見ながら、一針一針、確実に精霊の力を織り込んでいく。織り上がった個所は月光の反射具合や、その存在感が違っている。(精霊の力って、ここまで作用するのね) 集中力は途切れる事は無く、寧ろ増していくばかりだ。ミルドリィスとシュリゼリア、両方と綿密に打ち合わせをし、描く紋様を図面に起こし、生地に書き込んであるが、二人の力と素材である生地と糸のバランスを感じ取り、現物合わせにその都度紋様を微修正しながら縫い続けている、 その為に要求される集中力はとても高く、その水準を維持し続ける労力は計り知れないものがあったが、不思議と、ある一線を越えた所から、集中力は寧ろ増し、糸を手繰り、縫い込む針の速度は上がっていた。『的確、適確。父親を上回る手際だな』『……。まぁ、上々と言えるか』 簡易形態の二柱は、手厳しい発言をしているが、言われている当のリフェルアは一顧だにしない。『だが、ここから先が見所だろう』 ミルドリィスがテーブルに広げられている生地と縫い糸の山を見ながら嗤う。『難所は複数枚の薄い生地にそれぞれ異なる紋様を施し、全く目立たせる事無く裏地にし、それらを重ね繋いで一枚の生地とする事。 その後に裁断し、効果を落としたり変えたりする事無く縫い合わせ、衣装とする事。 一度の取り組みで何とかなるほど生易しくはないぞ。しかも三昼夜という期限付き』『矛盾まで含む工程だ。そうそう易い事では無いのは確かだが……。これはもしかするかもしれないな』 ミルドリィスとシュリゼリアのやり取りなど何処吹く風。リフェルアの集中力は完全に外部と意識を隔てていた。もう、朝から作業しているというのに。(見える……視得る! 縫うべき軌跡、描くべき紋様! 避ける点、繋ぐ線!) 最早リフェルア自身も今、自分の指がどんな動きをしているのか把握出来ていない。もしも華月がこの状況を見ていたのなら「刺繍ミシンみたいだ」と、形容するだろう。腕の反復に手首の反し、指の押し抜きが機械動作並みだ。『こちらは至って順調。面白味が無いな』『贅沢な話ではあるが、な。導く事も楽しみの一つと言う事だな。人間に言わせれば、手の掛かる子ほど可愛い。と、言う事だろう』 両者から弛緩した雰囲気が滲み出てくる。『まぁ、たまにはこっちの風景と空気を感じるのも悪くはないと思う事にしよう』『そうだな。特に、ミルドリィスは引き籠りだ。たまにはこちらに在るのも悪くないと思っておけ』 そう言われ、ミルドリィスは多少不機嫌になるが、怒りを持続させるのも面倒になったのか、その空気をすぐに霧散させていた。『好きに言っていろ』『ああ、好きに言う』 対極の空気と雰囲気が一所に在る奇妙な空間を形成しながら、儀礼正装の製作は滞り無く続いて行った。 半月の光は十分にリフェルアの手元を照らし続けている。 自己鍛錬を終え、その汚れを温泉で落としていた華月の元へ、本日も侵入者が現れた。「あ、カヅキ~」「……今度はフェリシアか」 やはり全裸である事に一切の羞恥を感じる様子が無い。「ん? 他に誰か居たの?」「いや、こういう状況が何回かあっただけだ。 ……しかし、まぁ、見事に平らだな」「どこ見て、誰と比べて言ってるかな……? ま、成体にならないとこの辺も大きくならないんだよ~」 華月の脇に腰掛け、身体を洗い始める。「人の事を言う割に、カヅキだって大して良い身体してるってわけじゃないでしょ」「俺は体質だからな。筋肉が付き難かったんだ。人の倍鍛錬しても、腕も足も太くならなかったんだよなぁ」 中肉……と言うにも少々足りない。アバラが浮いたりはしていないが、線は細い。「それより、こんな夜中まで何してたんだ?」「ん~? ま~色々と。年中暇してるわけじゃないんだよ」 わしゃわしゃと身体を洗いながらフェリシアが気の無い返事を返す。「そっか」 沈黙が下りる。 華月は自分の身体を洗い終えると、湯に浸かる。 続いてフェリシアも湯に入ると、華月の首に腕を回し、背中側に抱きついた。「……ねぇ、カヅキ?」「……どうした?」「何処にも、行かないよ、ね?」「変なことを聞くな? 俺はヴェルラの騎士だ。ヴェルラの傍を離れて何処かになんか行かないさ」「そうだよね……。ごめんね、変なこと聞いて」「別にいいさ。突然、そんなことを聞きたくなることもあるもんだ」 少しの間、そのままで。 半月だけがその様子を見ていた。