その日の深夜、悠月は窓辺に腰掛け、夜風を浴びながらすっかり見慣れてしまったこの世界、アードレストの星空と月を見ていた。月とは言っても、その実は隣を公転している別の惑星なのだが。その惑星も生物の生息が可能なのか、雲や海、陸地に緑が確認できる。まだ、この世界から向こうの星へ行った者はいないが。 そんな事に思考を巡らせる事も無く、悠月はぼんやりと風景を眺めていた。(……あ~……、張ってた何かが切れちゃったな……) 遊びで相手をされるほどの実力差を見せつけられて、その上で完膚なきまでに打ちのめされた。大口を叩いたのに情けないにも程がある。(こっちに呼ばれた中では、あいつを外せば一番強かったのに……。井の中の蛙もいい所だったわけよね。足首は右も左も、重度の捻挫とか……。流身系で回復を早めてるし、痛みも殆ど無いけど、被ダメは私だけ) 口をついて出るのは溜息ばかり。 言い伏せられなければ実力行使と思い切ったものの、戦闘能力でも及びもしなかった。文字通り、全てにおいて格が違ったと、嫌でも『実感』させられた。「さぁて……。ここで私はどうする?」 声に出して自問する。取れる選択肢は多くない。「このままイグに乗って帰る、華月を縛りつけて連れ帰る、徹底的に話し合う、闇討ちす――」「最後のは、悠月じゃ無理だ」「……華月?」 いつの間にか悠月に貸されている一室の扉が開かれ、扉の枠に華月が背を預けて悠月を見ていた。「何の用よ……。もう、私に話なんて無いんでしょ」「ああ、悠月が今日の内に素直に帰っていたならな」「どういう事よ」「納得できない、諦めきれない……。だから、迷っているんだろ」 見透かしたような事を言いながら、華月は悠月に近づいていく。「……随分、言うようになったわね」「こっちには何のしがらみも無い。好き放題やれるわけだ。向こうじゃ、『学校』って閉鎖空間に作られた人間関係の上下関係があったからな。『今の俺』にはこう言ったものの一切が『関係無い』」 窓の近くに置いてあった二脚の椅子の一脚に華月は座り、皮肉も、嘲笑も、負の感情が一切無い普通の顔で淡々と語っている。「何よ……、人間らしい感情も忘れちゃったわけ?」「いいや。ちゃんとあるさ。ドラゴンたちだって悠月とヴェルラの対決を楽しむような感性を持ってるんだ。そっちに移ったからって感情をなくすわけ無いだろ。ただ、もうその辺りは完全に割り切れてるから、どうでもいいから何の感慨も湧かないだけだ」「……? 昨夜は物凄い顔してたじゃない」「ああ、作ってたからな。悠月があれでキレてくれたのは予想通りだった」 半分種明かしをされて、悠月の眉間に皺が寄る。「怒るな」「怒るわよ! 何? 私は華月に踊らされてたってわけ!?」 窓枠から飛び降り、悠月が華月に掴みかかろうとする。「途中までは、な」 華月はそれをするりと避けると、体勢を入れ替えて自分の座っていた椅子に悠月を座らせる。そして自分はもう一脚の方に座り直す。「……途中まで?」「ああ。俺は悠月を怒らせて、俺を憎ませてその勢いで愛想も尽かして悠月が帰ると予想してた。まぁ、見込みが甘すぎた」 華月が苦笑する。強情な姉の性格を読み違えたことに対するものだ。「……あんたのご主人様にケンカを売った事?」「ああ。予想外の予定外だ。まったく、悠月が生きてて良かった。正直殺されないかと冷や汗掻いてたんだからな」「心配、してた……?」 意外な事を知り、それを確認する。すると華月は馬鹿を見る顔で悠月を見る。「元、とは言え、家族の心配をしない奴は居ない。そんな奴が居たら、そいつは人間じゃないな」「解りにくいわよ、自分で自分を人間じゃないって言いきった奴が言ってるんだから。素直じゃないのは直らなかったのね」「これでも前より素直だろ? まぁ、人間の定義については割愛だ。 ……俺は、悠月を心配した。それは事実だ」 そこを正面から言えない華月。明後日の方を見ていた。「……? 華月、あんた、矛盾してる」「何も矛盾してない。悠月が知らない事が多すぎて、俺の考えを理解できてないからそう感じるんだ」 華月が腹を決めたらしく、一度だけ深呼吸する。「俺はな――」 華月が自分の状況をつぶさに説明する。 その様子を、扉の外の壁に背を預けながら、聞いている影が在った。 アルヴェルラだ。まだ拗れる様なら出しゃばるかと思い、待機していたが――。(どうやら、杞憂だったか。まぁ、それならそれでいい) ほんの僅かな笑みを浮かべる。 華月の説明を受けて、呆然となる悠月。「さて、ここまで言えば何のために、俺が、あんな芝居を打ったか、悠月、解らないか? 俺より頭が良いんだ、客観的に考えれば解るんじゃないのか?」「……そうね。ああ、客観的に考えれば理解出来るわ。重要なのは、華月に帰る意思がない。これが強制でも何でも無く、本人の自意識からの思考だってこと。 そして、私たちの立場と、華月の立場……。そこが今後、交差すると予想される点と、その時現れる選択肢――これは竜種、とりわけ闇黒竜族と人類種の因縁に左右される。 成程ね。それが理由なら、確かに私に憎まれていた方がやりやすいわね」 悠月が華月の頬に両手を添え、切なげな表情を浮かべる。「でもね――」 添えられた両手が華月の顔を掴んで固定する。「それなら最初ッからこの説明をしなさいよ!」 悠月の貌が変貌し、こめかみに青筋が浮かび、華月の額に悠月のヘッドバッドが炸裂する。「……」「……痛い……」「当り前だ。俺の身体は、竜種に近くなってるからな。もうその程度じゃ何ともない。 それに、聞く耳が無かったのは悠月の方だろ。一方的にヴェルラやテレジアに噛みついてたじゃないか。 親身になって動いてくれるのは感謝するけどな、冷静さを無くすのは何とかした方がいいぞ。これから先、俺はもう悠月をフォローできないんだからな」 華月の一言に、悠月の顔が驚愕に染まる。「……私をフォロー?」「ああ。悠月が俺の為に色々やってくれた事、それの半分ぐらいは知ってる。それで、暴走しかけて周囲に撒いたヤバそうな種は、俺が刈っといた。幾つか間に合わなかった分は、そっちまで行ったのが在るけどな」 そこまで言われて、思い出した記憶が幾つか。悔しい事に思い当たる事があった。(……ああ、私が一方的に華月を護っていたわけじゃなかったんだ……)「華月……本当に、戻るつもりは無いのね?」「ああ。俺はこっちで選ばれた。俺は納得して、承諾した。盟約を結んだ。向こうには悠月が帰ればそれで充分だ」 悠月は華月の眼を観て、ようやく納得した。「解ったわ。私は明日、朝一でみんなの所に帰る。 でも、何があっても私は華月の味方――」「いいや、悠月は状況次第で俺の敵になれ。悠月が他の連中と敵対するのは許さない。この世界に縛られてない連中を纏めて元の世界に帰れ」「なっ!? 事と次第によったら、華月……」「解ってて、言ってるんだ。俺は大丈夫だ。説明したとおり、簡単には死ねなくなったからな。 ただ、俺の事、この国の事は伏せておけ。勘繰られるな。俺は、見つからなかったんだ」「それで、いいのね?」「ああ」 総てを決めた華月は、何の迷いも無くなっていた。「話は、纏まったか?」「あ……」「ああ、一通りな。ヴェルラにも、迷惑を掛けた。ありがとう」「何、私の騎士の為だ。それを苦にする主は居ない。予想以上に楽しめたしな。私も満足だ。 初めは、礼儀を知らない小娘に現実の厳しさを教える為に、それこそ徹底的に潰してやろうかとも思ったんだが」 アルヴェルラが二人に近づき、悠月の頭をくしゃくしゃと撫でまわす。「昨夜の経緯を聞いて、状況と事情を考慮して考え直し、カヅキがやろうとしている事の手助けをすることにしたんだ。だったら、楽しまなければ損だろう?最近は、私と遊んでくれる者も居なくてな」「……華月を、助けてくれてありがとうございました」「ん?」 撫でまわされるまま、悠月はアルヴェルラに礼を言った。「華月から全部聞きました。色々変わっちゃったけど、華月の命を助けてくれて感謝しています。もう一度、私は華月に逢う事が出来ました」「……あ~、いや、その……なんだ、そう素直に礼を言われると困るな……。こちらの都合で色々弄繰り回しているし、面倒に巻き込んだし、まだ厭味や皮肉を言われる事を覚悟していたんだが」 悠月の頭を撫でまわすのを止め、自分の後ろ頭を掻く。どうにもバツが悪い。「私はそこまで馬鹿じゃありません。貴女が放置すれば、華月は死んでいました」「私が重傷すら治す回復魔法も使えればよかったんだがな。万能とは言え、得手不得手が無い訳ではなくてな。簡単なものなら使えるんだが、瀕死の人間を回復させるほどの魔法は使えなくてな」 アルヴェルラの顔が少し引き攣る。「教育係を付けてまで、華月の面倒を見てくれて」「ほ、本当はもっと人当たりの良い適当な者を付けたかったんだがな……。少し癖のある者ばかりになってしまってなぁ」 悠月が感謝すればするほど、アルヴェルラは肩身の狭い思いが強くなっていく。「いいえ、それでも、華月がこうして私の前に居てくれる事が一番です。ありがとうございました」「……そうだな。その感謝、受け取っておく」「それと、華月の事……宜しくお願いします」「ああ、それは全力で受けよう。任せてもらおう。この私、アルヴェルラ=ダ=ダルクの名に誓って」 アルヴェルラは右手を左胸に当て、腰を折って一礼する。その行為に、華月が内心驚く。(おいおい、それって皇が行う最敬礼だろ……)「それでは、私は明日、仲間の元へ戻ります。お世話になりました。女皇陛下」「私の名はアルヴェルラと言う。と、言っただろう? ヴェルラと呼べ、ユヅキ」「え……でも……」「まぁ、それなりの場では仕方無い場合もあるが、他に誰もいない時ぐらいはそう呼んでくれ。私の、これから先を共に往く者の肉親だ、その位構わん」「――解りました、ヴェルラさん」「では、私は戻る。 残りの時間は、カヅキと語らうと良い。次があるかどうか、解らないからな」 アルヴェルラは踵を返し、ひらひらと手を振りながらいつもと変わらない様子で出ていった。 残された二人は、もう少しお互いの事を話し合う事にした。