そうしてその日の夕食、テレジアとフェリシアが給仕をする悠月と華月の重苦しい会食が始まった。 双方、当初から無言で食事を進めていく。 悠月は華月の様子を時々ちらちらと見ているが、一方華月はそんな事を気付いているが気にも留めずにいる。≪テレジア、すっごく居辛いんだけど……≫≪諦めてください。本日の私たちの務めです。……陛下からのせめてもの計らいなのですから≫ 近距離の同族と会話する際に単なる呼気に言霊を含ませる事ができることを利用して、フェリシアとテレジアは二人に悟られないように会話していた。 給仕の人事はアルヴェルラが直接命じ、実行させていた。これは比較的人間に対し偏見の薄いフェリシアと、そんなものも押し殺せるテレジアの二人という部分が計らいなのだろう。華月は女皇の騎士見習いということで人間扱いやそう言った目では見られていないが、悠月は人間だ。 穏健派の多い闇黒竜族にもやはり多少は存在する過激派の動きを制するという意味でテレジアの肩書が役に立つこともある。 実際フェリシアは今日だけでも幾つもの視線を感じていた。興味からのものと、明らかな負の感情のものと。「……悠月、話があるんじゃないのか?」「えっ!? あ――う、うん……」 いい加減うんざりしたのか、華月が訊いた。「幾つか、言って置く事が在る。 俺は俺の意志でそっちに戻らない。それに、仮に戻る気が在っても戻れない」「……え?」「逃げだと思ってもらって構わない、元の世界の人間関係にはうんざりしてたんだ。認められない努力の実行は疲れるだけだった。結果が全てなのは解ってるが、理解しているのと実感は別物だからな」 華月が今までフェリシアやテレジア、増してやアルヴェルラの前で見せなかった厭世観の強い酷く醜い貌を見せる。「俺は、『嬉々』として『そんな世界』から『逃げさせて』もらう。折角のチャンスだ。この世界で、実感できる達成感を感じながら期待に応えて往く事にする」「……な、何よ、それ……」 悠月が目を見開いて華月を凝視する。「ふ、巫山戯んじゃないわよ!? 何よその理由!! アンタ色々ナメんのも大概にしなさいよッ!!」「優等生に、劣等生の気持ちは理解できないだろ。悠月、お前に朔の気持ちがわかるか?」「……苑影が何よ」「お前には解らないだろ? 俺が朔の名前を出す理由が」 華月は完全に繋がった過去の記憶を夜な夜な整理しながら思い返していて思い出したことがあった。 何人かの友人が残っていたこと。同じクラスに二人、友人が居たこと。その一人が、苑影 朔薙(そのかげ さくな)だ。 華月と朔薙が友人だった事には、お互いの境遇に似たような部分があったからだ。 他人の視線に弱く、肝心な場面で期待に今一歩届かない華月。 他人の視線に華月以上に弱く、実力を全く発揮できず、期待されない朔薙。 二人は、常に失望と呆れに晒されてきた。だから、弱者が集まるように、華月と朔薙は近づいた。「華月は違うでしょ……」「結果で見れば俺も変わらない。 ああ、それじゃ今頃朔は大変な目にあってるのか? あいつだけは何とかしてやりたいな」「華月ッ!」 ついに悠月がキレた。華月の胸ぐらを左手でテーブル越しに掴みあげた。「そうやって愚図って捻くれてみせて! でかい子供のつもり!?」「人間、幾つになったって中身は子供だ。図体がでかくなって、見栄を張って『大人ぶってる』だけだ。体裁の為に相応に回る頭を使うようになるからな。注意して見て観ろよ、いつも真面目に品行方正な奴だって、俺からしたらバカやって群れてる連中と同じだ。結局、糞下らない理由で他人を嫌うもんだろ。見た目が云々、あいつはこうだから云々」 華月がニヤニヤと嗤う。これも、こっちに来てから誰にも見せていない、酷い貌。「そんな連中に嫌気が差したんだ。こっちから切り捨てるつもりの所に、戻る阿呆が居ると思うか? それとも、悠月は阿呆だったか?」「このッ……!」 悠月の怒りは内から魔力を引き出して、振りかぶった右拳に収束される。「私が昨日まで、どれだけ心配したと思ってんの!!」「昨日も言ったが、そんなもの、俺は知らない。寧ろ、心配されていた事に驚いたな。出来の悪い弟なんて、居なくなって清々してたんじゃないのか?」 悠月を嘲笑う華月。的確に悠月の怒りの琴線を、爪弾くどころか刃物で切断するような真似をする華月。テレジアとフェリシアからすれば、華月が非常に『らしくない』振る舞いをしているように見えて仕方がない。 が、テレジアは何かを察したらしい。浮かべかけた僅かな動揺を消した。「――もういい!!」 悠月が華月の顔面に拳を叩き込んだ。 何度も、何度も、何度でも。 華月は血に塗れ、変形していく顔など全く気にせず、ただ、悠月を見ていた。その視線に、悠月は本能的な怖気を感じる。「こんな、こんなのって――!!」「……」 華月の胸倉を両手で掴んで一回転。遠心力を足して投げる。「カヅキ!」 フェリシアが飛翼を展開して華月に向かって飛ぶ。華月が投げられた先には大窓。その先は――。(地面まで結構落差があるのに!) 地面まで約百三十メートル。このノーブル・ダルクの一階は地表から八十メートルの位置にあり、今、会食の会場に使われている部屋は四階部分にある。天井が高く作られているこの城は、通常の建物よりも地上高がある。 フェリシアの瞬発力は素晴らしかったが、それでも間に合わなかった。窓を派手な音を立てながら突き破り、硝子の破片と窓の骨子を纏って華月の身体が宙へ舞う。運悪くテラスの無い窓だった。華月は重力に引かれ、地上へ向けて落下する。 フェリシアは急激な加速と方向転換を敢行し、華月の後を追う。 部屋に残ったテレジアと、思わず華月を投げ捨ててしまった悠月。「気が済みましたか」「……私、何で……」「……理解したようですね」 テレジアの言葉に、呆然としかかった意識を無理やりに引っ張り戻し、悠月は睨みを効かせ虚勢を張る。「何が、理解したって?」「貴女の無意識が、華月を『自分と違うモノ』だと、感じ取ったという事です。凄まじい拒絶反応でしたね。まさか窓から投げ捨てるとは思いませんでした」 と、嘯くが、テレジアなら華月が窓から落ちる前に捕まえる事ができただろう。だが、それをしなかった。(カヅキの意図など、気付かぬフリをした方が良かったかもしれませんが、まぁ、ここまでやれば効果は十分でしょう。私は仕上げるとします)「拒絶? 私が華月を拒んだって言うの!?」「事実、拒んでいるではありませんか。 見たくなかったのでしょう? 感じたくなかったのでしょう? かつては己が傍らにあった者が、別なモノへと成り果てた姿など。だから、自分の視界の範囲外へと弾き出した。 普通の人間のままなら、それで永久に貴女の前から消えたところですが、残念でしたね。カヅキはあのまま、在り続けます」 テレジアが語りながら悠月の正面に廻り、両手でスカートを掴み広げながら足を交差させて一礼する。「我ら一族の竜皇が竜騎士、セギ=カヅキ。彼は、如何でしたか?」「――ッ!!」 最早、否定の言葉すら出ない。悠月はテレジアから眼を逸らし、走って部屋を出た。「小娘には、少々酷な事でしたか、ね……」 小さく嘆息し、いつもの直立不動に戻った時、窓から華月を抱えたフェリシアが入ってきた。「ふ~……焦ったよ」「手間を掛けたな。でも、落ちても俺は別に――」「そういう問題ではありませんよ。カヅキ、流石にやり過ぎです。しかし、見事な演技でしたね」「演技ね……。 ま、良い感じに演れてただろ? あれなら俺の事を切り捨てる口実が出来るだろ」「やり過ぎです。と、言ったでしょう。あそこまで露骨にやるものじゃありません。気付かれはしないでしょうが、人生経験も浅い小娘に、あの手の搦め手は効き過ぎます」 薬も過ぎれば毒となる。と、言う事だろう。「やってしまった事はどうしようもないですから、なるようにしかなりませんね。 明日、多少覚悟が要るかもしれませんね」 テレジアはやはり小さく嘆息してその場を締めた。