その日の夜、浮かぶ月を見ながら華月は風呂に入っていた。「ふゅいぃぃぃ~……」 どうやら自覚がなかっただけで身体には随分無理をさせていたらしい。リラックスした瞬間、身体が「動きたくないでござる」と言わんばかりに気だるさを訴えてきた。「うぁ~……何だこのだるさ……」「四柱もの上級精霊の力を一日で立て続けに享ければ当然だろう。私の竜血を享けた時はどれだけ苦しんでいたか忘れたのか?」「……何でわざわざここに来るんだ? ヴェルラ」「健気に頑張る自分の騎士を、主が労いに来るのが可笑しいか?」 華月の左隣にいつの間にかヴェルラがいた。隠行でも使ったのだろうか。 そもそもがアルヴェルラを含め他の者と風呂で会わないように常に人気のない、小さいところを見つけたのだ。なのに、華月の居所は簡単にアルヴェルラにバレていた。「そう拗ねるな。自分の一部が混ざった者が何処に居るかなど、この国の中位の範囲なら感知できる」 アルヴェルラは苦笑しながら華月の頭をぽんぽんと撫でる。「別に拗ねてなんかいない」「そうか? まぁ、そこは重要なところではないしな」 アルヴェルラが言葉を切り、華月の正面に回り込む。更に華月の頭を両手で押さえ、顔の向きを自分の方へ固定する。「カヅキ、頑張ってくれるのは嬉しい。だが、無理をするな。身体は幾らでも直る。私が存在す(い)れば。だが、魂や心と言った別次元に関する部分はそうもいかない」「……」「上級精霊から精霊石を享けろとは言ったが、一日で四柱も一気に済ますなんて無茶は止めてくれ……。下手をしたら、冗談抜きで――」「壊れていたかもしれない、か?」「そうだ」 自分のやったことに文句を付けられる。これは面白くない事だ。 だが、自分の迂闊さが招いている事で、アルヴェルラの叱責は当然で、心配はありがたいことだ。「ゆっくりでいい。本当に、少しずつでいいから」 ぎゅっと抱かれる。「解った。心配性のご主人様に、負担を掛けたくないからな。適度にやる事にするよ」「本当に解ってくれているか? 前にも似たような事を言っていなかったか?」「今度こそ解った。解ったから――」 鋼鉄の自制心も、欲情の熱で融解寸前だ。「離れてくれ。我慢にも限界があるんだから……!」「おや、何が限界なのですか?」「えっ!?」 華月の右脇にテレジアが居た。それこそ何時の間にか。吃驚して縮みあがった。「い、何時の間に?」「さっきですが、何か?」「テレジア、私とカヅキの時間に何の用だ?」 アルヴェルラの顔に若干険が乗る。「別段用などありません。そもそも、ここは私が主に使っている場所なのですが」「ここの使用頻度の低い事は、俺がそれなりに時間を掛けて調べたんだぞ?」「カヅキが寝ている時間に使っていましたから」 さらっとテレジアに言われ、華月は、諦めた。色々と。「はぁ、もういい。 じゃぁ、色々知ってそうな二人が居るから聞くけど、光と闇の精霊に会うにはどうすればいい?」「……さっき言ったばかりだろう。立て続けに――」「闇の精霊はこの国ならどこでも会えますよ。光の精霊は白光竜族の住処に向かわないとなりません」「テレジア!」 涼しい顔で教えてしまったテレジアをアルヴェルラが非難する。「闇の精霊については放って置いても明日には気付かれたでしょう。口では無理をしないと言って無理をするのがカヅキの様です。そこは許容するところでしょう。 保険は掛けてあります」「くっ……。凄く面白くないな」「拗ねないでください、陛下」「拗ねてなんかいない」「そうですか。まぁ、別に構いませんが」 テレジアとアルヴェルラのやりとりを聞いていて、華月はつい噴き出した。「何ですか、突然」「いや、さっきの俺とヴェルラのやりとりと同じだな。と、思って」「~~っ! カヅキ、上がるぞ! テレジアはゆっくりしていろ!!」 上がったアルヴェルラに腕を掴まれ、湯船から引っこ抜かれた華月。そのまま連行されていく。「湯冷めして体調を崩さないようにしてください」「そんなに軟じゃない!」 その姿を見送ったテレジアは、「……アルって、意外と嫉妬深かったのね」 小さく、仮面を外したテレジアは笑っていた。 部屋に連れ込まれた華月は、(さて、どうしたもんかな。ヴェルラの機嫌がすっごく悪い事は解るんだけど) 見るからにイライラしているアルヴェルラは、戸棚から一本の瓶を取り出すと、そのまま、所謂ラッパ飲みを始めた。「ヴェルラ、それは何の瓶だ?」「ん? 蒸留酒だ」 答えるアルヴェルラの呼気から強いアルコールの匂いがする。呼気に混じっただけだというのに、その香りは豊潤で、如何にも良質の酒だという事が窺える。「酒か……。ドラゴンって酒に酔うのか?」「一定量を飲めば酔うぞ。まぁ、よっぽどの下戸でもない限り正気を失くしたりしないが」 またグイッと呑む。「その酒はどのくらい強いんだ?」「そんなに強くはない。火を近づけると燃える程度だ」「大体40%って所か」 華月は同じ戸棚からグラスを二つ取り出した。「せめてグラスを使おう。それ、割りと良い酒だろ? 匂いが違う」「……」 アルヴェルラは素直にグラスを受け取り、窓を開け放って窓枠に腰掛ける。「カヅキは椅子を持ってこい。まさか、そのグラスは私と呑むために出したんだろう?」「え……。あ、はい……」 正直酒を呑むつもりはなかったが、アルヴェルラの機嫌が若干とはいえ良くなったようだから、言われた通りにする。(俺、そんなに強くなかったんだよな……。伯父さんとかによく潰されてたっけ) 昔を少し思い出し、微妙な気分になった。 アルヴェルラの対面位に椅子を置き、座ってグラスを出す。 アルヴェルラはそのグラスに瓶の中身を注ぐ。月明かり越しに見る色は、薄ら蒼みが掛かっていた。「原料は何なんだ?」「詳しくは知らん。これはドワーフの火酒とか言うらしい。エルフの葡萄酒も悪くはないが、酔いたい時に呑むならこっちだな」「自分たちでは作らないのか?」「無論作っている。が、私が満足できるような味の物は中々出来なくてな。自分で醸してもみたが、上手くいかなかった」「ひと段落したら、その辺をやってみるのも面白そうだな」 華月が少し呑んでみると、強いアルコールの感覚に翻弄されそうになる。含んだ口はもとより、食道から最終的に広がった胃の形まで解りそうになるほどだ。 香りと呑み口が悪くないだけに性質が悪い。「……キッツい」「酒好きのドワーフが一瓶空けられずに昏倒する程度だ」 アルヴェルラは華月の様子を慈しむように見る。「美味いけど……」 アルヴェルラもグラスで呑み始める。「俺が注ごうか?」「今日は気にするな。今度はカヅキに注いでもらう」「解った」 そのまま一瓶空けるまで、華月はアルヴェルラに付き合った。