フェリシアの『声』を聴き、真っ先に現れたのはテレジアだった。手にしている極太の鎖が何だか物々しさを放っている。「……カヅキ、事の次第を」「突然、そこで伸びてるトロールが襲いかかってきた。俺が初撃を喰らって動けなかった間、フェリシアが応戦してくれたが、荷が重かったらしい。復調した俺が気絶させた」「殺してはいませんか、上出来です。 フェリシア様、大丈夫ですか?」「何とかね……成竜になってないのがこんな所で徒になるとは思わなかったけど」 強烈に圧迫されていた両腕と胸が鈍く痛むのか、返事をしている最中にもフェリシアは顔を顰める。「それは……。まぁ、纏身系の修練をしなかった己の不出来を憾む事です。 さて――」 テレジアが竜眼を発露し、トロールの全身を見据える。「……額に変性陣……。この記述は……どうやら人間に操られていたようですね。忌々しい」 テレジアは眉を顰めると手にしていた極太の鎖の一端を、自分が立つ位置からトロールの体の向こう側に投げた。「何をするんだ?」「拘束するに決まっているでしょう。私は魔法に明るくありません。この遠隔操作の変性陣を消せません。目を覚ましてまた暴れられる訳にはいきませんから」「だったら、俺も手伝――」「不要です」 テレジアは華月の申し出をさらりと断ると、非常に軽い動作でひょいっとトロールの体を右腕一本で頭上まで持ち上げた。 しかも縦に、だ。 そして垂れている鎖を左手で何度も放り投げ、トロールの体に巻き付けていく。 巻きつけ終わるとトロールの体を地面に降ろし、鎖の両端を持って絞り上げてから、自分の両手ぐらいありそうな錠前を懐から取り出して鎖を連結する。「コレで良し。このトロールがどれだけ怪力であろうとも、この鎖は切れませんし、錠前は壊れません。 カヅキはフェリシア様を運んでください。皇宮に戻ります」「あ、ああ……」 華月がフェリシアをお嬢様扱いでお姫様抱っこするのとは対照的に、テレジアはトロールを肩に担いで荷物扱いだ。 しかし何より、華月はよくもまぁあんなデカブツをそんなに軽々と担ぐことが出来るものだと感心していた。「さ、行きますよ」 そのままテレジアが走り出した。華月も置いて行かれないようその速度で追いかける。「やっぱり成竜になると扱える力が違うなぁ」「早く成竜になる方法を見つける事です。条件が揃えば自然となれます。と、言うよりも、五百年も幼生体のままと言う方が珍しいのですが」「うぐっ……」 華月の腕の中でぼやいたフェリシアは、ちらりと裏を振り返ったテレジアの軽い一言で強制的に沈黙させられた。「ね、ねぇテレジア。あたしの両親は、どんな条件付けをしたのか知ってる?」「存じません。仮に知っていても周囲がそれを漏らすことはありませんし、在り得ません。それは本人の為になりませんから」 テレジアの正論にやはり黙るしかないフェリシアだった。「テレジア、少し急ぐか?」「ついてこられますか?」「ついていくさ」「なら、少し速度を上げます」 テレジアの走る速度が増した。ぐん。と、一気に加速される。(あの荷物を担いでその速度は反則――!!) 負けじとその後を必死で追いかける。 だが、速度が上がれば上がるほど、樹木や岩塊などの障害物の回避が難しくなる。難しくなるはずなのだが。「何でそんなにひょいひょい避けられるんだよ!?」「慣れです」 にべも無い。 テレジアは目の前に現れる総てを最適な位置取り、角度で避け続けている。一方華月は危なっかしく、時々障害物に蹴りを入れながら何とか避けている状態が続く。そうしているとテレジアとの距離が徐々に空き始める。「もう少しでこの森を抜けます。そうすれば皇宮までは一直線です。……根性を魅せなさい」「ヴェルラみたいな事を言うな! 恨畜生!!」 木々を蹴りながら、華月は半分ぐらい忍者のような動きになっていた。下を走るより枝を跳んで進んだ方が速かった。 最後の枝を踏み越え、森を抜ける。「加速勝負と行きましょう。私よりも先に皇宮に辿り着いたら、今晩の夕食は少々色を付けてあげます」「言ったな!? 後悔すんなよ!」 着地と同時に華月は両脚に魔力を纏わせる。森を抜けたテレジアも同様に魔力を纏う。 二人が踏み出した地面が爆ぜる。跳ねるように前に進んでいく。加速度は互角。本来ならテレジアの方が速いのだろうが、背負っているウェイトが違いすぎる為、互角なだけだ。(ハンデがコレで互角とか、話にならねぇだろ!) 何とか先に進もうと、華月は自分の体を必死に動かす。(味はともかく、ヘルシーすぎで物足んねぇんだよ!) 食事の質素さが少々物寂しいらしい。(もっと回れ、廻れ!) 華月が意識を集中すると、脚を覆い強化していた魔力の他に、体内を流れる魔力が変化した。全身の隅々まで魔力が流れ込み、内側から身体を強化していく。 骨格や筋肉、神経などが通常よりも出力や感度を上げていく。 動作速度が跳ね上がる。 加速度が増し、テレジアを置き去りにする速度で走り出す。(な、何だコレ!?) 本人が一番驚いていた。「外環の纏身系と、内環の流身系の同時使用ですか。やりますね」「る、流身系?」 テレジアも速度を上げ、華月の横を並走していた。「体内の魔力の流れを操作し、内側の機能を引き上げる技術です。森羅万象に魔力が宿るからこそ、意志を持つ存在が可能とする魔力の使用法です」「そんなの知識になかったぞ!」「当然です。純竜種ならこれは本能的に使いますから」「何だよ、それ……」 そうこうしている内に皇宮が近づいてくる。「そろそろ減速しないと止まれませんよ」 テレジアが速度を緩め始める。「勝負だからな、ギリギリまで引っ張らせてもらう!」「ご自由に。 ああ、フェリシア様に怪我をさせないでください。カヅキとは違いますから」 言われて華月は自分一人ではなかったことを思い出した。皇宮の入口へ続く大階段まで後約500m程。速度を緩めるには遅い。「ち、畜生っ!」 左足を前に、右足を後ろにし、全体重を両足に掛ける。 地面を盛大に削りながらスライドしていく。「と、止まれっ!!」 速度は急激に落ちていくが、どう考えても間に合わない。「うらぁっ!」 ぶつかる寸前で大階段の三段目に左足の裏を使って蹴りを入れ、残っていた速度を完全に殺した。「いっ……てぇ……」 流石に無理が祟ったのか、左足全体にジンジンとした痺れに似た鈍痛が起こった。だが、これで華月の勝ちだ。「負けてしまいましたね」 少し遅れてテレジアが悠々と到着した。何だかどっちが本当の勝者か解り難い状況になっている。「その余裕がムカつく……」「ムカつく? どういう意味でしょう」「腹が立つって意味だよ」「何故です? カヅキの勝ちですよ」「何だよその余裕! 勝った気がしない!」 華月の完全な八つ当たりだが、何故だろう。理不尽という感じが全くしない。「まぁ、カヅキの勝ちに間違いはありませんから。夕食は期待しているといいでしょう。 私はこのトロールの処遇を決めるので、方々に連絡を入れてきます。 カヅキは医務室にフェリシア様を連れて行ってください。失礼」 テレジアは大階段を上らず、そのまま脇の方へ向って行った。「医務室なんて知らないんだけど」「……皇宮の一階、一番奥だよ」「ああ、フェリシアは知ってるよな。案内宜しく」「う、うん……任せて」 黙っていたフェリシアは、何だか表情が硬かった。