漆黒に無数の星。 華月の心象世界。「……私たちと同じような風景だな」「基本属性は、元から闇だったみたいねぇ……。年季が入ってるわ」 普通の格好のアルヴェルラに対し、その脇に居るディーネは随分と縮尺が縮んでいた。「ディーネ、随分縮んでいるようだが?」「この私はお目付け用よ。心配だから付けることにしたの。と言っても、最低限の分割意識体だから特に何か出来るわけじゃないわ。本体と他はカヅキ君の記憶をどうするか検討、処理中よ」 SDディーネが指差した先に、あちこちが解け掛け、目を閉じた華月と、それの背後にいつものディーネ、周囲にはSDディーネが無数に動き回っていた。「カヅキ……? 何であんなに欠けているんだ?」「繋がった記憶に対しての防御反応よ。自分でも受け入れようとしたみたいだけど、受け入れる前に破綻しちゃったわけね。 本人にとっては、それだけ重い過去ってことでしょ」「本人にとっては。か」「そう、本人にとっては。他人からすれば全然大したことないかもしれないし、何で受け入れたくないのか理解出来ないかもしれない。でも、この反応をするってことは、本人にとっては、拒否したいことなのよ。意識的、もしくは無意識的にね」 SDディーネが腕を組んで告げる。「まぁ、異世界の人間の生活様式や文化はほとんど知らないけど、根底は似たり寄ったりでしょ。 ……あ~、あんまりコレ観せられないわねぇ」「なんだ?」「アルが知らない感情よ。残念な事に完璧な万能型だった貴女には理解できないわ」「どういうことだ?」 勿体ぶった会話に嫌気がさしてきたアルヴェルラは、苛立ちを隠さずぶつけた。「ここで強い感情を出さないで。って、言ったでしょ。弾き出すわよ? 要点だけ教えるわ。残念な事に、カヅキ君は向こうの世界で、何度も期待を掛けられ、いつも望まれた結果までは出せずに終わって、終わって、終わり続けてきたみたいね。ここまでの堅牢な精神構造体は、何度も心が折れて、それでも組み直してきた結果というわけ。期待の度合いは、そりゃ向こうの基準だから解らないけど」「その時の言葉とか、聴けないのか?」「深く心を削ったり抉ったりしたものは幾つか聴けるわよ。どういう感情を抱くかは保障しないけど」「やってくれ」「カヅキ君に知られたら、拒絶されるかもしれないわよ?」「……構わない。ここでお前に任せっぱなしにはしたくない。独善だといわれても」「アルがここまで入れ込むなんて思わなかったわ。何かあるの?」 ディーネに言われ、アルヴェルラは考える。が、明確な答えは出なかった。「解らない。だが、何か……。そう、何かが私と繋がっている気がするんだ。初めて逢った時から、強く、そう感じた」「……カヅキ君の前世に、アルと係わりがあったのかもしれないわね。この世界じゃ、他の種族には稀にあることだけど」「それもまた、憶測の域を出ないが」「まぁね。 それじゃ、少し流してみましょ」 SDディーネが両腕を広げると、華月の背後にいるディーネの口から、ディーネでは無い声が流れ出した。『華月……何で悠月(ゆづき)みたいに出来ないの? あの子はやれるのに……』『華月、お前には失望したぞ。こんな点数を取ってくるなんて』『華月、せめて、さ? あたしと同じぐらいに出来ないの? コレじゃあたしも恥ずかしいじゃない』「なんだ? 女と男と、少女か?」「どうやらカヅキ君の両親と、双子の姉みたいね。家族からの言葉が最深部にまで刺さってるわ」「そんな……。一方的に責める様な、これが家族の言うことか!?」「……怒らないの。他にも似たような、色々な関係の人間からの叱責と失望の声が色んな場所に刺さってる」 SDディーネが華月に向かって左腕を突き出し、左手を開く。そして何かを掴むように手を握り、腕を引く。すると、華月の意識体から、虫に食われた林檎の様な、ボコボコに穴の開いた球体が引き抜かれるように現れた。「これは華月の『心』よ。貫通するような傷こそ無いけど、核に至るような深いものが幾つか。記憶の再結合に、この傷が反応したのね」「何故、直っていないんだ?」「心の傷って、直るものじゃないでしょ。別の何かで埋めるか、忘れた振りして無視し続けるだけ。アルだって、昔の事を言われるのは嫌でも、過去を忘れていないでしょ」「……」「カヅキ君は、忘れた振りをしてた。こっちに来て、一時的に本当に忘れてた」 SDディーネが華月とアルヴェルラの間に浮かび、アルヴェルラを見据える。「さ、どうする? このまま記憶を繋ぐと、カヅキ君はこの世界でも失敗を恐れ、消極的になるでしょうね。掛けられている期待は経験したことの無い特大のものだし。もし、それで何かしくじれば、完全に壊れるかも」「……教えてくれ。私に何が出来る」「私を頼るのかしら?」「……頼る。どうにかできる手段があるのなら、誰にだって頭を下げる。教えてくれ」 アルヴェルラが深くSDディーネに頭を下げる。「……はぁ。アルヴェルラに真摯に頭を下げられたら、教えないわけにはいかないわね。 いいわ、教えてあげる」 SDディーネが諦めた様に呟く。「じゃ、服のイメージを消しなさい」 心が痛んでいた。 思い出してしまった。理由はまだ思い出せないが、自分が散々失敗を積み重ね、期待を裏切り続け、その結果として、係わったほとんどの人間から突き刺さる『失望』を告げられてきたこと。その事実だけを思い出し、心がジクジクと、ズキズキと、痛んでいた――。(痛い、なぁ……) 考えたくない。 思い出したくない。 何もしたくない。 失敗に身が竦み、失望に恐怖する。 いっその事、このまま無意識の深淵に解けてしまえれば――。「カヅキ……?」「……ヴェルラ?」 ふ、と。華月は自分に触れる暖かな感覚と声を聞いた。以前にも感じた、あの温もり。「消えるな。大丈夫だ」 触れていた温もりは、いつの間にか『華月』を完全に包み込んでいた。「……大丈夫じゃない。いつも、俺は足りなくて――」「足りない分は私が補ってやる。お前の中には私の血という『私の一部』がある。解けて混ざり、お前と一つになっている。お前はいつだって私と共に在る。 この地上で最強の竜が一緒なんだ。何を恐れる必要がある?」「でも、それはヴェルラの力で――」「カヅキ自身の力だって、着実に増している。元の世界での価値基準がどうだかは知らないし、必要ない。この世界で、私が必要としている力が確実にカヅキに在るんだ」「……」 自分を包む温もりが、少しずつ、心の痛みを和らげていた。「カヅキ。もう一度選べ。 我が騎士として生きるか、死ぬか」 自分を包んでいるものが、アルヴェルラの『心』だとようやく気付く。「私の期待は大きいし、テレジアだって、他の誰かもこれからお前に期待する。だが、常に『私』が居る。カヅキを見限らない私が。それだけじゃ、お前の不安と恐怖は消せないか?」 直に触れるこの状態で、虚勢も虚偽も意味を成さない。お互いに筒抜けになっているのだから。 だから、華月には伝わった。言葉にしてないアルヴェルラの気持ちも。 だから、アルヴェルラは理解する。華月の裡に巣食う不安と恐怖感を。「ありがとう、ヴェルラ。 ここまでしてもらわないと駄目とか、どうしようもないよな」「私の方こそ、今まで気付いてやれなくて済まない」「いや、大丈夫だ。もう大丈夫だ。 もう一度誓う。 俺は、アルヴェルラ=ダ=ダルクの騎士に成る」「ああ、期待しているぞ。我が騎士殿」 華月の心の傷は、『アルヴェルラ』が塞いだ。『今から順に記憶を繋ぐわ。アルヴェルラ、離れなさい。カヅキ君、自分を保つことに全力を傾けなさい』 華月の忘却していた記憶が繋がれていく。