華月が二人の後を追って皇宮内を歩いていると、前からリフェルアが歩いてきた。「あら、どうしたの?」「二人が気になったから追いかけてきたんだ」「何が気になったのよ」「いや、ほら、二人の属性の相性は――」「属性の相性……ああ、あの子は火と土で、私が水と樹だってこと?」「反発するだろ?」 華月の言葉を、リフェルアは鼻先で笑った。「そんなの、自分の意志一つでどうとでもなるわ。私は、だけどね」「そうなのか?」 不思議そうな顔になる華月に、リフェルアは勝ち誇ったような表情で返す。「属性の相性は本能に作用するの。だから、反発する相手とは会話したりすると何と無く苛立ったりするわ。でも、それは属性の特徴が性格に現れたりするからで、それを踏まえていればそこまで引き摺られたりしないわ。 私が飄々と手応えのない性格をしているのも、水の属性の影響よ」 水は掴もうとしても手応えが無いでしょう。と、言われ、華月は納得した。が、納得したのは属性と性格の関係性の部分で、リフェルアの性格については認められなかった。(リフェルアの性格はどう考えても絡み付く蔦だよ……間違いなく樹の属性が影響してるよ)「まぁ、解説はこのくらいでいいわね。 テレジアさんのところに戻るわよ」「え?」 華月の脇をすり抜け、先に進むリフェルアに、戸惑った。「え? じゃ、無いわよ。私は貴方の訓練風景を見に来たの。貴方が、私が儀礼正装を作るに相応しい相手かどうか確認するために」「あ、今日なのか」「都合が悪かったかしら?」「いや、いつでも変わらないな」 リフェルアの脇に並んで歩く。ついつい華月の視線はリフェルアの横顔に向けられる。「何?」「え、いや、別に何も……」「そう」 君の横顔が綺麗だから。などと歯の浮くようなセリフは決して言えない。その手の言葉がリフェルアの気に障ると学習済みだからだ。同じ轍を踏み、失敗するのはもう御免だった。(しかし、本当に凄い造形だよなぁ。このバランスは) つい、平々凡々な自分の容姿と比べて、軽く凹む華月だった。(ヴェルラとテレジア、フェリシアにトレイア、ディーネ……は、よく見えなかったけど、ダークネス・ドラゴンも今のところ美人ばっかりだしなぁ……。エルフはまぁ、当然として。あの頭領とヴィシュルを基準にすると、この世界だとドワーフも美形が多いのか?)「本当に何もないのかしら?」「あ、悪い。不躾だったな」「じっと観られると気になるのよ」「いや、この世界の竜種や妖精種ってみんな美形なのか? って、気になってな」「貴方の美意識の価値観が解らないから何とも言えないわ。どんなものが美しいとか思うの?」「ヴェルラ、テレジア、フェリシア、トレイア、リフェルア、ヴィシュル……。俺が会った全員がそうだな」 華月の言葉に、リフェルアは眉根を寄せた難しい顔になった。「見慣れた名前ばかりだけど……まぁ、基準をそこに置くのなら、美形が多いということになるでしょうね。 でも、それだと亜人種の全般には嫌悪感を感じそうね」「は?」「亜人種には、獣の特徴があるって知っているわね? オークやゴブリン、コボルト、オーガ、トロール、ケンタウロス……人間たちがモンスターなんて呼んでる種族は外観が異形よ。 そして、注意しないといけないのが人類種の試作品として創られた、最低最悪の亜人種のニルダ族。他の種族に物凄く嫌悪されているのだけど、まぁ、気が向いたら調べてみるといいわ。多分、ダークネス・ドラゴンの蔵書には記載されていないと思うけど」「そ、そうなのか?」「亜人種の中にももっと人型に近いのも居るわ。詳しくは列挙するのが面倒だから人類種が括ってる呼び方で言うけど、俗に獣人族って呼ばれる、身体の一部にだけ――耳とか尻尾とか、手足ね。そこに獣の特徴を持って、それに応じた身体能力を発揮する亜人種がそうね。 ……外見が人類種に近い種族は、何かと人類種相手に苦労しているのだけど」最後は、苦虫を噛み潰した様な顔を一瞬見せ、声音に怨嗟が乗った。「お話はここまでね。 さぁ、魅せて。貴方の力を」 リフェルアが指す先には、仁王立ちするトレイアとテレジアが居た。 修練場に、何とも威圧感のある二人が揃っていた。「テレジア、何でトレイアが居るんだ?」「丁度ヴィシュルが来ましたから、あの原型を持ってきてもらいました」 近づいてみれば、トレイアのこめかみにはちょっとだけ青筋が浮いていた。「……昼寝してる最中に、大声で呼びつけられたんだよ……。共鳴音叉なんて使いやがって」「共鳴音叉?」「あの岩を砕いた技法の本来の使い方です。離れた相手に声を届かせるために使います」「糞ウルセェからみんな使わねぇんだけどな。コイツはお構いなしに使いやがる」 余程響くのだろう。トレイアは明らかに苛立っている。「更に丁度良いので、二対一で訓練します。ああ、トレイアは素手でも強いので心配要りませんよ」「心配すんな。加減なんかしねぇから」「……そんな心配してない」 華月が思わず溜息をつきたくなった時、テレジアとトレイアは同時に華月から距離を取った。 空気が変わり、華月は反射的に二人に意識を向ける。「ああ、一つ忠告します。 眼は二つで、焦点は一つです。それでは全周囲を把握することはできません」「あ? 当たり前――」 華月はそこで言葉を止め、思考を廻す。含みと裏がありすぎる忠告だからだ。「……了解。始めようか」「結構。 トレイア、行きますよ」「あいよ。 カヅキ、簡単に砕けんじゃねぇぞ」 自然体のテレジアと、構えるトレイア。対照的な静と動だ。(なら、先に仕掛けてくるのは、トレイアだ) と、判断し、トレイアに意識を集中し、竜楯を纏った華月だったが――。「油断大敵、ですよ」 聞こえたその声が、華月に空を仰がせた。 下顎に峻烈なアッパーカットが綺麗に決まり、茫然としたまま宙に殴りあげられた。「決まっちまうぞ」 華月の飛ぶ高度に達したトレイアが右の回し蹴りを華月の腹に直撃させる。 踏み固められているはずの修練場の地面に大きなクレーターが出来上がる。 その中心から、華月が起き上がる。「……」「これ以上は教えませんよ」「……解ってる」(二人とも纏身系は使ってない。魔力を感知するのは無理、と……)(竜楯でダメージは無し。全然動ける)(習い始めの魔法は隙が大きすぎる。実戦での使用は不可……) 同時にいくつも思考しながら、テレジアのヒントも合わせて考える。(全体を確認するためには焦点を増やす? 構造的に無理だな。焦点を遠くに置く、のか? でも、それだけじゃ背後までカバーできない……) 纏身防御を解き、全速でテレジアの背後を取る。(ん?)「甘いぜ」 テレジアの背後に着いた瞬間、微妙な違和感を肌で感じた華月は、一瞬動きが鈍った。そこをトレイアに狙われ、横っ面に左ストレートをクリーンヒットされてしまった。 通常あり得ない縦回転をしてから地面を滑る華月。 起き上がり、纏身防御をまた纏い、二人に掛かっていく。 答えが出るまで体を動かして体感するようだ。 様子を見ながら、リフェルアは思考する。(未知の状況に対する対応力が低いわね。基礎能力が高いから、それに頼ってる節が目立つ。気づけば一気に学習、応用するタイプね。 だから、結果として評価が高くなるわけか……) 現時点での戦闘能力は、正直リフェルア以下と言わざるを得ない。総合的にはリフェルアの方が経験値が高い。(まぁ、竜騎士になって二週間程度でこの段階というのは、確かに凄い事だけど、速成な分熟練度で劣るわね。 ああ、そこはその避け方じゃ――) また華月が宙を舞う。下に打ち下ろされる。真横に飛んでいく。岩に激突して何かが華月から剥離して周囲に散った。「うわぁ……。悲惨に飛散……」「ん? ああ、今のは肋骨ね。正面から殴られて広範囲で砕けた肋骨が、岩に背中から激突して、衝撃で弾け飛んだんでしょう」「か、解説ありがとう……」「いいえ。礼には及ばないわ。 それより、許可は貰えたのかしら?」 そこで、リフェルアが顔を横に来ていたヴィシュルに向ける。「まぁ、条件を付けられたけどね。一応」「そう。まぁ、頑張りなさい」「リフェルアさんも――」「私は私に出来るだけの事をするのよ。全力でね」 冷たく感じる返し方だが、リフェルアが本気になっている。と、それが読み取れたヴィシュルは何も言わなかった。「あ、リーフェとヴィシェだ。珍しいね?」 上から、フェリシアがふわりと降りてきた。「久し振り、元気だったかしら?」「こんにちは。お邪魔してるよ」「なんで二人がカヅキの訓練を――。あ! 華月の儀礼正装と武器、二人が作るの?」「そうよ」「一応、ね」 普段通りのリフェルアと、少し決まりの悪いヴィシュル。自信の有り無しの差だろう。 三人がそんなやり取りをやっている間にも、華月はどんどん削られていっていた。「おらおら、そろそろ左腕をモグぞ!」「右足は、要らないようですね」 左上腕がトレイアに鷲掴みにされ、肉を千切り取られた。 右脹脛がテレジアのローキックで吹き飛ばされる。「うわ、グロい……」「竜騎士の身体で竜楯を纏っていても、純竜には、今のままだと力比べで負けるわね。それに、早く気付かないかしら。知覚域に」「か、カヅキ~……」 三者三様にその様を観る。 華月の内心の焦りは限界近くにまで高まっていた。(突破口がっ! 見えないっ!?) 分割意識体は戦闘に振っていない分が臨界速度で思考を廻している。(テレジアに近づいた時の違和感、あれは――)(二人の背後を取っても、まるで知っているように対処された)(行動予測や先読みじゃない。パターンから外れた動きや、即興の動きも完全に捌かれた) 今度は右胸部にテレジアの貫手が突き刺さる。 構わず右手で殴ろうとすると、右腕を背後からトレイアに捻られ、肘関節を折られる。「おいおい、いい加減学習しろよ」「これは難しかったですか?」 流石に動けないと判断したのか、二人が攻撃の手を止めた。 テレジアが右手を抜き、トレイアが右手を放すと、竜楯の維持も出来なくなった華月が地面に倒れ伏す。(……なん、だ? この違和感は――?) やはり感じる周囲の違和感。目には見えない何かが、薄く二人を囲んでいるように感じる。(なぁ、やっぱり無理だったんじゃねぇか? コレをあれだけのヒントで体得させんのは)(出来る筈です。認識できるよう隠蔽せず、こうしてやっているのですから。これでカヅキは予想外にも魔力察知を出来るようになりました。) 華月の頭に、《声》が、幽かに聴こえた。(とは言え、コレは本来気配察知が自然に出来るようになってから教えるもんだろ。拙速すぎるって)(華月は魔力察知が出来ているのです。難易度の高い方が自然に出来ていて、より単純な気配察知が出来ないわけがありません) 意識すると、声ははっきりと聴こえるようになってきた。(拗ねてねぇといいけどな。普通、ここまで一方的に嬲られたら心が折れるぞ?)(そんな軟弱になるような教育はしていません。この程度で折れるなど、論外です)(この程度って……おいおい、どんな教え方してんだよ……)(もっと削って、砕いても、カヅキは小竜化した私に挑んできました。この程度で音を上げる筈はありません) 断言される絶対的なテレジアの信頼の言葉。これを聞いて裏切れる奴は、人でなしのレッテルを貼られても仕方ないだろう。 身体は直った。もう動ける。 華月は一挙動で撥ね起き、二人から距離を取る。「お、もう動けるのか。まだ寝ててもいいぞ?」「無理はしない事です。少し手加減しましょうか?」 挑発ともとれる二人の言葉。だが、華月は怒ったりしない。「……」 静かに息を整え、二人を良く『視る』。視覚は元より、その他の部分でも。(魔力察知と同じ……なら、気付けば視える筈だ。そのチャンネルが解れば――) 一点集中し、意識を凝らすのではなく、二人を眺める感じに視点を遠く、焦点をあやふやに。 自分を周囲と馴染ませ、知覚領域を拡大する。 出身国の独自武道に通じる、静の状態に置ける観察術。相手の動きの総てを察知する、自身の背後すら見通す。 その内に分割意識体の一つが、自然と身体から解放され、自分の周囲に広がる。その領域は次第に広がり、終に――。(お~? これは……気付いたか)(カヅキ、聴こえますね? 知覚域の展開が出来ましたか)「な、何だ、これ?」「自身の周囲を察知する、知覚域という領域です。それは自分の意識を周囲に薄く展開することで形成します。慣れれば意識せずとも常時展開していられます」「基本的に視認不可。同じく知覚域の展開が出来る奴にも見えなくすることもできる。あたしらはお前に解り易いよう隠蔽も遮断もしていない状態だ」 広がった華月の知覚域は、傍で見ている三人にも届いた。 気付いたのはリフェルアだった。「カヅキが知覚域の展開に成功したわね。これで二人と勝負になるわ」「え、これ知覚域の訓練だったの? 二人が憂さ晴らししてるだけだと思ってた……」「いくらあの二人でも、そんな事しないよ。 でも、そっか……。テレジアの手を離れるのも、もうすぐだね」 やはり三者三様の感想が出た。「さ、再開みたいよ」 リフェルアが自分の知覚域を不可視状態で広げる。遠くの目標を狙撃するリフェルアの知覚域の広さは、最大で華月が広げた三十倍以上にもなる。 テレジアとトレイアの二人が同時に動く。華月は動かない。が、今度は正面から繰り出される攻撃、死角からの攻撃、フェイント有りの攻撃までも何とか避けられるようになっていた。「応用力は高いのよね……だからテレジアさんも体感させて体得させる」「一見単なる虐めだけど」「あたしもそう勘違いしたんだよね。でも、もう解ってるから」 そうして華月の訓練風景を見ている内、リフェルアの顔付きが普段よりも真面目なものになっていく。(いまだに発展途上。でも、速成でも着実に進歩している。認めないわけにはいかないわね。戻ったら、地下に潜るとしましょうか) リフェルアは決めた。自分が華月の儀礼正装を、きっちりと作り上げると。 ヴィシュルも神妙な顔つきになる。(ぶっつけ本番で、あそこまでやられても諦めない……。私だって、負けられないね!) 新たな領域に踏み込み、必ず約束を果たすと、心に刻む。(カヅキがどんどん一人前に近づいていく……でも、あたしは――) 一人、小さな孤独感を感じ始めたフェリシア。華月が眩しく見えてきていた。 華月の訓練は、日が暮れるまで続いた。