基本的に、女皇の仕事には密度にムラがあるものだ。「今日は平和だな」 数枚の書類を片付け、今日はもう基本的にやる事が無くなったアルヴェルラは、執務室で茶を飲みながら一息ついていた。「ん~、やはりデジネア茶が一番だな」 ゆっくりとお気に入りの茶を啜っていると、聞き馴染みの無い足音が近づいてくることに気付いた。(……歩幅が小さいな。このリズムはフェリシアでは無いようだが……。誰かと約束があったか?) 足音は執務室の前で止まり、ドアがノックされた。「入れ」「失礼します」(ん? この声は――) ドアが開き、執務室にヴィシュルが入ってきた。「ヴィシュルか。どうした?」「先日のお詫びと、報告に上がりました」 一礼し、ヴィシュルが来訪理由を述べる。「先日の詫び?」「はい。父が陛下の騎士に対し、大変な暴言を吐いたことへの謝罪です。 誠に申し訳ありませんでした」「……ああ、そのことか。いや、私も大人気ないことを言ってしまったからな。その事に関してはお互い様だろう。 謝るなら、私ではなくカヅキに謝ってやって――」「カヅキさんには陛下に謝るように言われました」「ん、そうなのか?」「はい」 ヴィシュルは苦笑する。アルヴェルラも同様に苦笑する。「なら、その件については手打ちだ。気に病む必要はない。 それで、報告とは何だ?」「竜騎士カヅキの武器、製作は私が担当させて頂きたく思います」「ヴィシュルが、か?」「はい。頭領からは未だ半人前と扱われている身ですが、是非私に」 ヴィシュルの言葉から、強い意志を感じるアルヴェルラだったが、今一つ煮え切らなかった。(確かに、ヴィシュルの腕が上がってきているということは聞いているし、普通の金属を扱わせれば十分な腕前になっているのだろうが……) 一つの懸念があったからだ。 竜騎士の武器には不朽金属を使うことが原則になっている。不朽金属に類するものは扱いが非常に難しく、アーズ流ならば上級鍛冶師以上の力量が要求される。ヴィシュルがそのレベルに達しているのか、そこが引っかかっている。「ヴィシュル。一つ聞きたいんだが、構わないか?」「私にお答えできることならば」「不朽金属類を、扱えるのか?」 アルヴェルラの言葉に、ヴィシュルの体が強張っていく。「……まだ、精製法の修練段階です」「それで、任せても大丈夫だと言えるのか?」「……」 真っ直ぐにアルヴェルラを見ていたヴィシュルが、視線を外した。「職人とは、職種に係らず自らの仕事に確かな自信を持つと聞く。 ヴィシュル、敢えて聞こう。 ――任せても、大丈夫だ。と、答えられるか?」 アルヴェルラから、異様な圧力が掛けられる。 半端な答えで中途な仕事は許さない。と、全身が言っている。 その圧力に、ヴィシュルは息を呑む。(竜騎士の武器が不朽金属で作られるには、理由がある。主たる竜種の加護を享け、尋常ではない力を発揮する。それらに耐え、遺憾無く機能する必要があるからだ。 生かな代物では役に立たないどころか、所有者を危険に晒す) その事があるから、アルヴェルラは確かな腕を持つドレンに頼もうとした。そして、それはヴィシュルも理解している。 だが、それでも、ヴィシュルはテレジアに言われたあの言葉、「ドレンの鼻を明かす」という自分を最大限に燃やす燃焼剤で、燻っていた何もかもが燃えようとしていた。 視線をアルヴェルラに戻し、決意を言葉にしようとした。 そこで、ドアがノックされる。「誰だ? 今は少し取り込んでいるのだが。急ぎでないのなら後にしてもらえるか?」「セフィール一族のリフェルアです。お手間は取らせません。許可をいただきに参上しただけですので」「リフェルア? 珍しい客が続くな。入れ」「失礼致します」 ドアを開け、リフェルアが入ってきた。 室内に満ちる異様な雰囲気に一瞬繭を顰めるが、直ぐ何時もの顔に戻し、優雅に一礼した。「陛下に置かれましては、本日もご機嫌麗しく――は、無いようですね」「ん? そんな事は無いぞ。私が不機嫌だったら誰もこの部屋に入れたりしない。 それで、どうした?」「カヅキの視察を許可していただきたく思いまして。彼の儀礼正装の制作担当としましては、実力の程を確かめたく思います」「ああ、今日にしたのか。 いいぞ。好きに見ていってくれ。私も後で行く」 リフェルアとアルヴェルラのやり取りに眼を丸くするヴィシュル。その内心に、父親に対するものとは別種の炎が盛ろうとしていた。「はい。ありがとうございます。 では、お取り込みのようなので、私はこれで失礼します」 ちらり。と、ヴィシュルを一瞥し、アルヴェルラに一礼して、リフェルアは退室した。「さて。それで――」「陛下、儀礼正装と竜騎士細工はリフェルアさんが作るんですか?」「ん? ああ。彼女が今、工房長をしているらしい。フィーリアスのお墨付きだからな。本人も自信満々で、むしろカヅキに不安があるというぐらいだ」「……そう、なんですか……」 ヴィシュルの裡で、悔しさと対抗意識、自身に対する不甲斐無さ等も追加で燃える。「陛下、自分が未熟な身であることは重々承知の上です。 ですが! 私にお任せください……!! 必ず、必ず自信を持って献上できる武器を鍛え上げてご覧にいれます!」 最早アルヴェルラを睨む勢いだ。「その言葉、後で後悔するなよ?」「はい!!」「なら、成し遂げて魅せろ。 名に恥じない仕上がりに期待する。ヴィシュル=アーズ」 そう結び、退室を促す。「失礼します」 最敬礼で一礼し、ヴィシュルも退室する。「はは、若い者たちは元気だな。しかし、二人とも親によく似たなぁ」 昔を思い出し、アルヴェルラはこみ上げる笑いを必死に堪えた。今でこそ涼しい顔で接するようになっているフィーリアスも、昔はリフェルアのような態度だったし、若い頃のドレンもヴィシュルのように真っ直ぐに熱い奴だった。「やれやれ。こんな感覚を覚えるようになるとは、私も歳を取ったということか?」 種族に違いからくる寿命の違い、思考の変化速度の違い、その辺りがそろそろ如実に出始める頃になっていた。「フィーリアスとは千余年、ドレンとももう百数年の付き合いか。そう考えると、まぁ、仕方の無いことか」 アルヴェルラは、冷めてしまった茶を淹れ直す事にした。