その日の深夜、最早虫の音も絶えた頃。自室で物思いに耽っていたアルヴェルラの元に来訪者が現れた。「テレジアか」「はい。お邪魔しても宜しいでしょうか」 無表情でいつもの通りだ。「二人だけの時は敬語は止めろ。と、言ってるだろう。お前に敬語を使われるとむず痒いんだ。本当に慣れないな」「変わらないわね、いい加減慣れて欲しいわ」 テレジアの口調が一変する。表情も苦笑の形になっている。「お前の豹変振りのほうが変わらないがな。昔から自分を偽るのが巧い」「無表情で動じない、礼儀正しく教本通りに見える方が、纏め役はやり易いのよ。カヅキの教育も、ね」 実に表情豊かだ。普段のアレは何なのだろうと思うほど。「そうだ、カヅキはどうだ? 直接テレジアからは聞いていなかったな」「カヅキの前では辛口で言っているけど、正直驚いているわ。焚き付ければ焚き付けるだけ激しく燃え上がって成長していく。通常の何倍の速度よ? 信じられないわ」 テレジアが肩を竦める。「……今日、妖精種たちに会ってきた。ロミニアに先達たちにもな」「随分気が早いわね。その段階にはまだ――」「こちらの予想を遥かに超える成長を見せているんだ。先に色々済ませておかないと後でつっかえそうだったからな」「まぁ、一理あるわね」 テレジアはポケットから何かビンを取り出し、栓を銜えてキュッポンと引き抜いたと思ったら、口から栓を取るとビンの口に自分の口をつけて中身をラッパ飲みし始めた。「……本当に豹変だな」「ふぅ、飲む? 倉庫の奥で酢になりかけてた葡萄酒のケースに、何本か無事だったのがあったのよ。あの子に掃除させて正解だったわ」「……。おいおい、何年物の葡萄酒だ?」「さぁ? ラベルも霞んで全く読めないのよ」「百年単位のものみたいだな。寄越せ」 アルヴェルラもラッパ飲みで飲む。「……はぁ、これは何とも言えない味になってるな」 顰め面でテレジアにビンを返す。「ま、管理もしなかったらこんなものでしょうよ。 で? その様子だとロミニアと先達様たちに何か言われたみたいね」「……お前のそう言うところが嫌いだ」 楽しそうなテレジアに、アルヴェルラはぶすっとした顔になる。「ロミニアに、カヅキは私が呼んだのではないかと言われた。この世にあるのは、偶然という名の必然だけだと」「あの古精霊の言いそうなことね。それについては、私も同じ意見よ。昔聞いたっていう《声》を信じて、異界人を竜騎士にってずっと頑張ってたものね。無意識にあの召喚魔法に干渉していても不思議じゃないわ。都合よく、あの召喚魔法は資質者を一斉召喚する英雄召喚だったみたいだし」 また葡萄酒をラッパする。「同族で最強の貴女が干渉すれば、大規模儀式級とは言え、人間の召喚魔法から対象の一人を引っ張り出すことも余裕でしょうよ? まぁ、それでカヅキは死に掛けちゃったわけだけど。あ、それも好都合だったわね」 くすくす。と、テレジアが笑う。普段のギャップと相まって非常に魅力的に見えるが、何処となく悪女の雰囲気がある。「まぁ、そんなのどうでもいいじゃない。結果として、カヅキは貴女の騎士として変性し、慣れない世界で健気に頑張って急成長! 人柄から何から、貴女好み! 文句のつけようがないじゃない。何か気に入らないの?」「カヅキに文句? 気に入らない? そんな事は何もない。ただ、ロミニアにカヅキは竜騎士に成らなくても、この世界で一角の存在になっていただろう。とか、私はカヅキを竜騎士にしてよかっ――」「そんなものこそ予測でしかないじゃない。例えば竜騎士に成らず、私たちと知り合わなかったら、敵として相対していたかもしれない。そんな未来も、確かにあったかもしれないわ。 でもね、アル? そんな事気にしてもしようがないわ。そんな未来は潰え、今があるのだから。貴女が呼んだかもしれない? 上等じゃない。貴女の問い掛けに、カヅキは即答したのよね。限られた状態であれど、彼は自分で選んだ。それについては与えられた状況かもしれないけど、そこに選択肢を出したのは貴女、選んだのは彼。そうして創った今」 流暢に喋りながら、テレジアはアルヴェルラの口にビンの口を突っ込んだ。「現在の結果に胸を張りなさい。貴女は最高の騎士を得たと思うのなら、その主人に相応しい者に成りなさいよ。普段の立ち振る舞いを地にしなさい。普段は自信満々にしている癖に、ちょっと不安になると途端に陰でウジウジするのは貴女の悪癖よ」「好き勝手に言ってくれるな」「反論できるなら聞くわよ」「……ちっ」 ビンを引っこ抜いて言い返すが、反論できない自分の性質だと理解しているのか、アルヴェルラは苦虫を噛んだような顔で舌打ちをする。「まぁ、そのちょっと弱い所も、昔のアルを知っている私からすれば、変わらない可愛いところなんだけどね。 泣きながらリーディアル様に扱かれていた頃が懐かしいわ」「何時の話をしている」「二千と百……細かい数字は忘れたわ」「それだけ覚えていれば十分だろう。この性悪め」「あら、品行方正な侍従総纏め役に向かって、それは酷いわね」 テレジアはアルヴェルラの頬に手を添える。「その弱った顔、カヅキに見せればもっと頑張るかもしれないわよ?」「……」「そんなことは出来ない? カヅキの前では、カヅキが誇れる主でありたい?」「……」「そんな調子だと、私かあの子がカヅキのこと盗っちゃうわよ?」「なっ!? テレジアは竜騎士なんて要らないといっていただろう!」「そうね。イナティルの一件で人間には絶望していたし、一生要らないかとも思ってたんだけど、カヅキみたいなのだったら居てもいいかな。何て、思い始めてるわ。本当に私も期待してるのよ、カヅキには」「あの話の時は珍しく神妙な顔をしているかと思ったら!」「あの時はアルが着てくれるって思ってたもの。カヅキの前であの性格を演じるなら、あそこはああしないとね」 華月にダークネス・ドラゴンと人類種の確執を話していた時の事だろう。確かに今とは立場が逆転している。「計算ずくか……」「自分が知っている範囲なら、読めないことなんて無いわ」「お前もロミニアと同類だな」「あの天然の毒吐きと同類は言いすぎじゃない?」「口が過ぎるのはどちらも同じだろう。いや、計算している分、テレジアの方が性質が悪いな」 そこまで言われると、テレジアは肩を竦めるほかなかった。「まぁいいわ。 あ、そうそう。今日此処に来たのは、カヅキの教育で魔法担当と武器術担当を決めたから報告に来たのよ」「ん、だったら最初からそれを言え」「その前に文句を言ったのは貴女じゃない。 カヅキの魔法担当はディーネ、武器術担当はトレイア。もう話は通してあるわ」「……何で教え方に癖のあるヤツばかり選ぶんだ?」「癖はあっても、どっちも国一番の使い手でしょう?」 テレジアの言うことは正しいのだろう。アルヴェルラが反論しない。「しかしなぁ、閉じ篭りのディーネと壊し屋トレイアか……」「どこかの言葉に可愛い子には旅をさせろ。って、あるじゃない。少しぐらい手荒に扱ったほうがカヅキは伸びるわよ」「その手荒さが悪い方向に両極端な気がするんだが」「心配性ね、アルは。大丈夫よ、カヅキはちょっとやそっとじゃ壊れないわ。あの子の精神構造、馬鹿みたいに頑丈だったもの」「観たのか?」「昏睡させたときにちょっとね。本人には言ってないけど、あの頑強さと自己保持の構造は一線を画すわ。一体どんな環境で暮らしてたんだか……知りたいような、知りたくないような」「お互いをもっと知れば、見えてくるだろう。 もう解った。話を通したのなら彼女らに任せよう。責任はテレジアが持つのだろう?」 テレジアは伸びをして、軽い感じで言った。「そこは任せてもらうわ。貴女に誓ったのは私だしね。 さて、話は済んだし、明日からまた忙しくなるわ。今日は戻るわね」「そうだな。 お休み、テレジア」 アルヴェルラの言葉に、テレジアは一礼し。「お休みなさいませ、陛下」 あの顔に戻り、去っていった。「……やっぱり違和感が拭えないな……」 溜息をついて、ベッドに身を投げ、眠ることにする。テレジアのおかげで、悩んでいたことが馬鹿らしくなり、眠る気にようやくなったのだった。