皇宮の執務室は、とても質素なものだった。「……」「……」「……」 一通りの説明を終えたフェリシアは鼻息も荒く、興奮状態であることが容易に推測できる。 一方、アルヴェルラはフェリシアの様子に一瞥もせず、淡々と書類を黙読していた。「で、テレジアにそう言われ、言われた通り私の所へ来たわけか」「そう!」 女皇に対し、普段と同じ口調というのはいかがなものかと思う華月だったが、そんなことを一々口にすることもないかと思いなおし、テレジアの言葉を反芻しながら分割思考を連携させながら同時に幾つも色々と考え込んでいた。「それで、フェリシア。お前は私にどうして欲しいんだ?」「え?」「テレジアを叱りつけ、もっと手緩く教えるように言って欲しいのか?」「そ、それは――」 そこでアルヴェルラが書類から目を離し、フェリシアを見据える。いつもと変わらないように見えるが、どこかが決定的に違っていた。「テレジアにはカヅキの教育を全面的に一任した。テレジアはそれに対し、最敬礼で『名』を懸けてと答えた。どういう意味か、理解できるな?」「……最敬礼での『名』を懸けるという答えは、己の総てを懸けてということ……」「そうだ。その答えをもって引き受けた竜騎士の教育で、テレジア=アンバーライドは個人的な感情を挟んで効率を落とすような不真面目な奴か?」「……」 アルヴェルラにそう言われ、フェリシアは答えに窮する。その様子に少しだけ溜息をつき、アルヴェルラは傍からはボケっと話を聞いているようにしか見えない華月に矛先を変える。「カヅキ、お前もテレジアがわざと回りくどく教えていると思うか?」「ああ、いや。そうじゃないような気がする。 さっきから考えてたんだけど、あの訓練の中には色々ヒントがあったんだよな。俺が分割思考の使い方に気付いていれば、それこそあっという間に身につけられるよう、わざと見せつけてたような」 まだどこか上の空っぽい状態で華月が答える。どうやら主体ごと考え事に集中しているようだ。答えているのは問われた時用に空けてあった分割意識体の一つなのだろう。「今現在も分割思考の自主訓練か。カヅキは頑張るな」「ちょ、ちょっと待って! それってどういうこと!?」 華月の襟首にとりついて、ガクガクと揺すりながらフェリシアが問い詰める。「分割思考に気付いていれば、陽炎みたいに見えてた、魔力を攻撃に使う事について、テレジアの攻撃を凌ぎながら考えられたし、記憶を引っ張り出すこともできた。知識は詰め込まれたおかげでいくらでも引き出せるから……。 ああ、そうか。今日の訓練は俺が教えられたことをちゃんと使えてれば、階段を飛ばすように幾つか上の段階へ上がってたんだな」「そうだな。本来なら知識をある程度仕込んでから、分割思考を教え、魔力の在り方について実感させ、巧い身体の動かし方を教えるという、段階と手順を踏む。それだけでまともにやっていたら体術の訓練に漕ぎ着けるまでに半月程度は掛かるだろう。 感覚さえ掴めれば、後は本人の才覚次第だが順調に慣れていくだろう。それは早ければ早いほど時間の短縮になる」「それって――」「そうだ。テレジアは決して不親切でもなければ理不尽でもない。下地を作り、本人が自覚すれば直ぐに動けるようにしていた」 アルヴェルラが静かに結ぶ。「『名』を懸けるとは、こういうことだ」 立ち上がり、フェリシアに近づいていく。「さぁ、フェリシア。お前がするべき事は何だ?」「……」 顔を背けるフェリシアの頭に手を載せ、くしゃくしゃと撫でる。そのアルヴェルラの顔は仕方がない奴だなぁ。と、言わんばかりだ。「……カヅキ、戻るよ!」「ん? ああ――あぁぁぁぁぁ」 また、来るときと同じようにドップラー効果の音声を響かせながら、華月はフェリシアに引っ張られていった。 執務室に残されたアルヴェルラは、右手を額に当て、苦笑していた。「全く、誰に似たのやら」 ひとしきり笑ってから、公務の続きに取り掛かった。 こそこそと修練場に戻ってきた二人は、そこでえらいモノを見た。 修練場に残されていたテレジアが直立不動で目を瞑り、魔力を高密度で全身に纏わせ、その圧力を高め続けていた。次第にそれは陽炎のように立ち上るのではなく、鱗の様に形を整えていった。「うわ、凄い……」「ん? 何だ、あれ?」「あれは、人型のまま防御力を本来の姿並みに高める『竜楯』(りゅうじゅん)って技だよ。纏身(てんしん)防御系の技でも習得が難しくて、使い手が少ないんだ」「へぇ……。あの状態だとどうなるんだ?」「物理攻撃は一切通らないよ。通るのは高位魔力付与攻撃とか、中級以上の魔法攻撃ぐらいかな。恒常的に打撃の魔力付与効果もあるから、打撃力も高いよ」「ふぅん。 だったら丁度良いや」 華月はフェリシアを残し、修練場に躍り出た。「――戻りましたか。フェリシア様はどうしました?」「ちょっとバツが悪いらしい。出てくるまで少し時間をやってくれないか?」「そうですか。構いません。 それで、その間どうします?」「俺はテレジアのやり方に文句もなければ不満もない。さっきの続きといこう。ただ、もう簡単にはやられない」 ぐっと拳を突き出し、ニヤリと笑う。「さて、その言葉……どこまで信用したものか――」 テレジアの姿が前触れもなく消失した。「考え物ですね」 華月の背中に強力な前蹴りが直撃した。「これは――」「見様見真似、でも、多少は何とかなるもんだな」 華月は吹き飛ばされもせず、そこに立っていた。しかし、かなりの衝撃があったようで少し息苦しそうだ。「竜楯程ではないですが、魔力を纏いましたか。一つ、階段を登りましたね」「これで、多少は勝負になるか?」「さて、どうでしょう。何も馬鹿正直に――」 次の瞬間、華月は空中で縦回転していた。「殴り合うだけが、体術ではありませんよ」 テレジアに両足を片足で掬い上げられ、簡単に回されたのだ。一回転して地面に落ちる。「ふっ――ははは! やっぱりまだ敵わねぇな!」「当然です。私がどれだけの年月、月日を費やして修練に励んでいたと思っているのですか。文字通り年季が違います」「そりゃそうだ。なら俺の教育はテレジアにやってもらうのがいい。この圧倒的な差を覆す瞬間が堪らなく気持ち良さそうだ」「陛下が変えない限り、私が貴方の教育係です。 それで、いつまで寝ているつもりですか」 言われ、華月はひょいっと起き上がる。魔力を使った纏身防御の真似をしていた為か、殆どノーダメージ。今すぐにでも続きをやれる。「まぁ、そろそろだろ。 フェリシア、言う事言ったらどうだ?」 華月の声に後押しされて、フェリシアが修練場に現れた。「あの、テレジア……」 言い辛そうに言葉に詰まる。テレジアは何も言わず、フェリシアを見ていた。「生意気な事言ってごめんなさい!」「はい。気にしていません。私が言いたい事は陛下が言ってくれたのでしょうから」「私も、自分の騎士を持つ時は、テレジアみたいに教えるよ」「いや、それはやめたほうがいいと思うぞ……」 若干の悲壮感を漂わせる華月の呟きは、どうやら二人には聞こえなかったようだ。