志貴とアルクェイドは、周囲(というか妹)の反対で駆け落ちしてきたカップルである。ほとんど無計画に逃避行を決行したため、職なし、家なし、財産なしのm満貫状態であったが、知り合いの財閥総帥が住まいとしてボロアパートを紹介した上に、契約社員として研究所所属の調査局の仕事までもらうという、至れり尽くせりの助け舟までだしていただいた。「……なんだか最近、物事がうまく行き過ぎている気がして少し怖いかもな」ここはそのボロアパートの志貴の部屋。志貴は居間で茶を飲みながら、これまでの出来事をぼんやりと思い返していた。根がネガティブな感のある志貴は、どうやら今の平穏な生活に若干の不安を覚えていたようである。確かに前の街にいたころは、臨死体験やら魔眼の弊害やら、あまつさえアルクェイドと出会ったことをきっかけに、死徒やらなにやらと殺し合いまでし、その八方美人な性格も災いして女性関係(というか、主に妹)にも悩まされたりしていた。その頃に比べれば、たとえ安月給の契約社員とはいえ、今の生活に幸せを感じずにはいられないであろう。ゆえに志貴は、この何もない平穏な日々にかえって不安を抱かずにはいられなかった。「志貴は考えすぎよ。そもそも、これまで起こったことが異常すぎるんだもん。こういう日々が続くのも悪くないと思うな。なんだかんだ言いながらも、今もこうして全うな仕事もしてるわけなんだし……」ちゃぶ台をはさみ志貴の対面…分厚いハードカバーの本を読みながらも、アルクェイドは気休めにも似た安心の言葉を志貴にかける。「…そうだな」アルクェイドのあたたかい言葉が多少なりとも効いたのか、志貴は少しはにかんだ表情でつぶやいた。……しかしながら、その志貴自身を巻き込んだ事件の元凶は、おおよそ『自分』にあることを忘れてはならない。「それでね、なんか志貴にばっかり働かせるのも悪い気がして―――」「えっ…?」一転……次にアルクェイドの口から出た言葉……すべてをいい終えぬうちに、先ほどようやく調和されかかっていた志貴の不安は、言葉が続くごとにより確実なものとなってくる。「私、パートはじめようと思うんだ」「や、やっぱし……」圧倒的ッッ……不安ッッ……志貴の思ったとおり、アルクェイドは一般社会の仕事に興味を持ったようであった。「お隣の岡崎さんの奥さんも、ファミレスでパートしてるって言うし…ダメ…かな……?」「え?いや…ダメというかなんと言うか……」アルクェイドはお隣の奥さんを引き合いに、なんとか自身も働きたいという意思を志貴に訴えかける。しかしながら志貴には、このアルクェイドがまともに一般就労が出来るイメージというのが一切もてなかった。それでも志貴は、なんとか必死で出来る限りアルクェイドに可能そうな仕事内容を脳内で検索してみた。まずアルクェイドは、見てくれは誰もが見とれるほどの金髪美女ではある。よって容姿に関して彼女が不合格になるということはまずないであろう。しかしアルクェイドは吸血鬼であり、一般人との感覚がだいぶズレている……というより、常識がまるでない。よって、彼女に接客業をやらせるのはあまりにも危険すぎる。器用ではあるから仕事自体はソツなくこなしそうではあるが、タチの悪い客とひと悶着が合った場合、『返り討ち』とまでは行かないまでも必ず大事になりそうな気がする。よって、接客業はムリ!かといって、工場の流れ仕事も無理であろう。アルクェイドは非常に気まぐれであり、単純作業はすぐに飽きそうな気がする。半日持たずに辞職…あるいはサボり発覚の上での解雇の可能性は大である。……もとより、彼女の破天荒な性格から、まず面接を通ること自体が至難…最大の関門といっても過言ではあるまい。「ち、ちなみに…なにかバイトのアテはあるの…か?」そもそもアルクェイドはなんの仕事を候補に入れているのか…禍々しい葛篭を開けるかのような心境で、志貴はアルクェイドにたずねてみる。「うーん…そうね……」アルクェイドは唇を人差し指で押さえながら考える素振りを見せ…「とりあえず、帝愛グループの『遠藤金融』ってところが『取り立て』のバイト募集してるらしいんだけど……」「ゼッタイダメッッ!!!」このいかにもな悪徳の高利貸しの闇金…一秒空かずに却下する志貴であった。「だってさー…私って吸血鬼じゃない」「ま、まあ…そうだけど…」即却下の志貴に対し、若干ぶりっ子でアルクェイドは志貴に何かを訴えてくる。さすがの志貴も、女の子の言い訳も聞く耳持たないほどの鬼畜外道ではない。志貴は多少うろたえながらも、とりあえずはアルクェイドの話に耳を傾けることにした。「実はこの間も志貴に内緒で、『ヨツバグループ』の会社に履歴書送ったんだけど…」「またえらいところに送ったな…」『ヨツバグループ』は一流の企業グループであり、そんなところが中途採用するという考えが既に甘い気がするが……「とりあえず自己紹介で『吸血鬼』…って言ったら門前払いで……」「あたりまえだ莫迦!!!」というか、内定もらう気ないだろといわんばかりの履歴書であり、ここは志貴も思わず声を荒げる。「これって、民族差別じゃない!!?」「……」…というより、人間が会社の面接に来ることがまずは前提である以上、差別もへったくれもない。よしんば面接が許可されたとして、いきなり『吸血鬼』などといわれても『頭のオカシイやつが来た』程度にしか思わず結果門前払いであることに変わりはない。しかし、志貴は大人なのでそれを合えて口には出さなかった。「…でも、『遠藤金融』なら人種は問わないらしいから、吸血鬼でも大丈夫かなーって……」とはいえ、このまま何もしなければアルクェイドは『遠藤金融』の恐怖の取立人となってしまうであろう。それだけは阻止するべく、志貴は……「アルクェイド!お前は家にいるだけでいいんだ!!!」「ええ!?」「アルクェイドが家にいて俺を待っててくれる……それだけで幸せなんだ。もし俺が仕事終わって家に帰って、そこにアルクェイドがいなかったら……それだけで、俺には耐えられない……」「………」顔を真っ赤にしながらも、これでもかというくらいの『口八丁』をアルクェイドにぶつけた。アルクェイドは無言のまま志貴を見つめる。あまりにも無言の時間が長いため、「さすがにワザとすぎたか…?」と反省をし、次の手を考える志貴であったが……「やだぁ、もう!志貴ったらっ!!」「え?」次の瞬間、アルクェイドは志貴を、これでもかというくらい強く抱きしめていた。「そんなに言うんだったら、私、ここにいるわよっ。それで一番に志貴にこうするわよっ」「い…いや……ハハハ……」まあ、結果オーライ…何とか『遠藤金融』へのパートは思いとどまったアルクェイドであった。そこで志貴は「今度は『午前中だけのパート』でも見つけるなんていうんじゃないだろうな…」と勘ぐったりもしたが、志貴の『口八丁』は予想以上に効果は抜群であり、アルクェイドはそのまま志貴に何度もキスをするのであった。という暑苦しいカップルを、レンは物干し竿と化した『ぶら下がり健康器具』の上から冷ややかな目で見ていたことは言うまでもなかった。