時は夜…ここはアパートの志貴の部屋。「………」「………」ちゃぶ台をはさみ無言の志貴とアルクェイドであるが、別にけんかをしているわけではない。そう、この日も志貴愛用の果物ナイフとトマトがちゃぶ台の上に置かれていた。これはいわゆる例の『サイン』である。前回は、女子会の誘いのせいでお預けを喰らってしまった志貴ではあったが、この日こそはと万全の状態で望む。お互いそれを意識しているのか、志貴とアルクェイドはややぎこちない感じで、ちゃぶ台と周辺を片付け始める。「………」「………」なんとなく気まずくもこそばゆい時間…二人は無言のまま、そのまま布団を敷―――ピンポーン…前回のデジャヴであろうか…?こういうときに限って来客とはあるものである。「居留守使う……?」アルクェイドの問いかけに、本来なら居留守を使いたい志貴であったが、やや真面目な性分がそれを許さず、前回同様来客を迎えてしまう。「はーい…どちらさまですか……?」「僕だ」玄関のドア越しからは、どこか聞き覚えのある声が聞こえてくる。アルクェイドが玄関のドアを開けると、そこには総帥が立っていた。「そ…総帥!?」突然の…しかもこんな時間帯にありえない、やんごとなき身分の来客……「と、とりあえずあがってよ」「うむ、すまない」さしものアルクェイドも一旦はうろたえるものの、すぐに片付けたちゃぶ台を再び出し、総帥を接客するのはさすがであった。居間に上がりこむ総帥はちゃぶ台の前に座り込むと、例によって自ら用意した高級そうなポットからミルクティーをティーカップに注ぎ、それを一口啜る。その様相は、背景がおんぼろアパートの、しかも和室であるがため何とも滑稽なものである。「…で、今夜はどうしたんですか?」総帥とちゃぶ台をはさみ、志貴とアルクェイドが並んで座っている。こんなおんぼろアパートでまさかティータイムを楽しみに来たわけでもあるまい。総帥の用件について大体の予想はついたものの、志貴はとりあえず総帥に何の件で来たのかを問いかける。「…じ、実は……」志貴の問いに対し、当初は奥歯に物が挟まったかのような、なんとももったいぶった様相であったが、しばしの葛藤の末、ついに本件について口を開いた。「まいが最近、『彼氏…欲しいかも……』などというのだよ!!!」「………」「………」まあ、大体の予想通りの答えである。そのあまりの予想的中っぷりに、志貴もアルクェイドも若干呆れた表情で総帥を見ていた。とはいえ、相手は自身の所属するグループの頂点に立つお方。下手な対応は命取りにもなりかねない。「……べ、別にいいんじゃないのかな~……って思うんだけど」まずはアルクェイドが、あくまで核に触れない程度に、とりあえず『総帥の娘』を擁護するような意見を出してみる。「いいや!まだまいには早いのだよ!!!」しかしながらその答えはNGッッ!!言うまでもなく、総帥は聞く耳を持たなかった。「そもそも、なんでウチに来るんだ」と思った志貴ではあったが、総帥の機嫌を損ねるとろくなことが起きなさそうなので、あえて黙っていることにした。「まあ、最近まいの友達の『みちる』君に彼氏が出来た…などというものだから、うっかり出来心で口走ったのだと思うが……。しかし、まいが彼氏が欲しいともなれば、可愛いまいのことだからすぐに彼氏が出来てしまうだろう!!!父親としては心境複雑というかなんと言うか……」以後も、聞いてもいないような話を総帥は、女々しくもうだうだと話し続けていた。それにしてもこの総帥、親ばかである。「…ま、まあ、財閥総帥の娘とあってはかなり敷居が高いとは思うから、そうそう簡単に告白してくる人なんていないと思いますけど……」一方、志貴、ここはうまく総帥を否定せず…かといって肯定するでもない当たり障りのない意見を述べる。「それに、あんまり家族ががんじがらめにしちゃうと、女の子ってつい反抗して、余計彼氏とラブラブしたくなるんじゃないかな?ロミオとジュリエットみたいにさぁ」「むむむ……」志貴の意見に便乗し、追撃するアルクェイドの言葉。まあ、この人もなんだかんだで周囲(というか妹)の反対により志貴とともに駆け落ちしてきたわけであり、妙に説得力のある意見であった。「しかし!僕とて、別に無碍にダメだというわけではない!!」とはいえ、ここで志貴やアルクェイドの言葉を飲み込んでしまうようでは総帥の名が廃る…そんなちんけなプライドさえ醸し出しているような総帥の発言に、志貴とアルクェイドはとりあえずは聞いてみることにした。「まあ、まいの彼氏になるには、当然、英・独・仏・中・伊・露語はマスターの上、MBAの修得、弁理士か公認会計士、もしくは税理士の資格を持ち―――」「かぐや姫より無理難題だわっ!!!」案の定の『娘を手放す気ゼロ』発言であったが、志貴は思わずツッ込まざるをえなかった。ピンポーン…「ん?今度はどちら様だろ」再び呼び鈴が鳴り、それに反応する志貴。すると、ドアの向こうより女の子の声が聞こえてきた。「あの…パパ……来てますか?」*来訪者は、総帥の娘である『まい』であった。まいは部屋に上がるや否や、その『パパ』を無理やり玄関まで引きずり出す。「もう!そんなことのために人に迷惑かけて……」「いや、パパはまいが心配で……」「まず私の前に、パパが再婚相手見つけてくれないと……じゃないと、私の方が心配で彼氏なんか作れないよ」「じゃあ、パパは再婚しない」「そういうことじゃないよ」玄関先でも喧嘩をする親子ではあったが、まあ、これも仲のいい証拠ではあるのであろう。最後に総帥と娘が「迷惑かけました」と謝罪をし、志貴の部屋を後にした。「なんだかどっと疲れた……」「人間の親子って大変だね……」もはや布団を敷くのも億劫になり、そのまま畳の上に根っころがる二人。今の彼らには『あの事』をする気力すらないであろう。「でも、志貴も娘が出来たらあんなふうになるのかな?」「さあね……」それでもアルクェイドは、総帥親子を若干微笑ましく思っていたようである。志貴もアルクェイドの問いにそっけなく答えるものの、そういう親子関係も悪い気はしていなかった。「でも、子供云々の前に、まずはお金ためないとな……」「切実な問題だね……」とはいえ、子供を産むにも育てるにも金がいる社会であり、契約社員の志貴にとって子供はまだまだ先の話であった。