――――――エヴァンジェリン
朝、目が覚める。
それはいつもと同じ一日で、そしてきっと、明日も同じ一日。
ふぁ……。
「おはようございます、マスター」
「ああ、おはよう茶々丸」
ベッドから上半身だけを起こした状態で、欠伸を一つ。
起こしに来た茶々丸にそう応え、下がる様に言う。
窓から差し込む光が、今日も快晴だと教えてくれる。
……吸血鬼なのに、何をやってるんだか。
こんな朝早くに目を覚まし、夜もそう遅くない時間に眠りにつく。
そんな生活。
そんな生活が、ここ数カ月で当たり前になっていた。
朝早く起き、朝食をしっかり食べ、学校へ行き、帰って来てからは弟子の面倒を見て、遅くならないうちに寝る。
その繰り返し。
当たり前のように過ぎていく時間。
在り来たりな日々。
どうしようもないほどに退屈な毎日。
そして……とても、暖かな日常。
それが、私はそれなりに気に入っている。
まるで、窓から差し込む陽光のよう。
眩しくて、暖かくて……吸血鬼の、対極。
私には手の届かないものだと思っていた。
でも、案外簡単に――簡単でもない、か。
苦笑し、着替える為にベッドから抜け出す。
「着替える。朝食の用意をしておけ」
「かしこまりました」
茶々丸を下げ、制服に着替える。
そう言えば――もう随分と長く、授業をサボっていない。
まぁ、今はサボる必要が無いからだが。
それでも、これだけでも随分とした変化のようにも思う。
そう言えば、私は以前は、どうして学園に行くのをああまで嫌がっていたんだったか……。
思い出せない思考に苦笑してしまう。
なんだったかなぁ。
だがきっと、下らない事だろうな。
じじいが気に入らなかったとか、多分そんな所だろう。
この学園に来た最初の頃は、そんな事は無かったんだがなぁ。
ああ、そうだ。
そろそろ『登校地獄』の呪いが面倒になってきたからだ。
そうだそうだ。
そして――。
「……はは」
――そして私は、副担任の先生に“目を付けられた”のだ。
そこは覚えている。
あの日。
サボリ魔の私を迎えに来た先生を。
そして。
何も知らないくせに、私をちゃんと卒業させると言った事を。
バカだな、と。
そう笑ってしまう。
何も知らなかったくせに、と。
何も知らないくせに、当たり前の事を当たり前にしようとする。
その事が、たまらなく――。
着替えが終わり、最後に鏡の前で身嗜みを軽く整える。
……うん。
「茶々丸、用意は出来ているか?」
「はい」
二階から降りると、鼻孔を擽る暖かな香り。
それが食欲をそそり、少し足早に席に着く。
「腕を上げたか?」
その温かな料理を一口食べ、一言。
「そうでしょうか? レシピ通りに作っただけですが」
「ふふ……まだまだだな、お前も」
「申し訳ありません」
「怒っている訳ではないさ」
苦笑する。
まだまだだな、と。
料理は確かに美味くなった。
よく覚えてはいないが、きっと数か月前より格段に美味しくなっていると思う。
……あの頃は、特にそう言うのは気にしていなかったからな。
用意されていたのものを、食べていただけ。
きっと、言葉にするなら私の毎日はそんなものだった。
そこの意味は無く、永遠のうちの一日として、その日を生きていた。
その積み重ねたものが、どれだけ薄っぺらかも気にせずに。
また一口、料理を食べる。
うん……美味い。
「美味いぞ、茶々丸」
「……………………」
返事は、無い。
どうしたんだろうか、と振り返ると……その見慣れた無表情の中に、微かな驚き。
そうと判るのは、きっと私が茶々丸と一番長い時間を過ごしているからだろう。
そして――最近は感情と言うモノが、確かに育っている事を知っているからか。
「どうした?」
「いえ。そう言っていただけたのは初めてでしたので」
「……そうだったか?」
「はい」
そうだったかな?
確かに言った覚えは無い、な。
ふむ。
「気紛れだ、気にするな」
「はい」
そう言う事にしておく。
そう。ただの気紛れだ。
……だが、私は茶々丸にそんな事も言っていなかったのか、と。
簡単な挨拶だけの関係。
会話と呼ぶには事務的過ぎる話。
確かに。
そんな生活では育つものも育つ訳は無いか。
そう思い、苦笑する。
ならどうして、茶々丸がここまで成長できたのか。
判っている。
茶々丸を育てたのは私ではない。
だが、それをそう悪くは思わない。
「まだあるか?」
「はい、お注ぎしてきます」
空になった味噌汁の器を渡し、小さく一息入れる。
こうまで静かな朝は、初めてのような気がする。
だからだろうか? こうも色々と考えてしまうのは。
静かで、ゆっくりな時間。
最近はこんな時間が多いと思うが……今朝は特別そう感じる。
茶々丸が居ない部屋で、秒針が時を刻む音が耳に届く。
そして少し遠くでは、料理を用意する茶々丸の気配。
チャチャゼロとさよは、昨日は遅くまで起きていたのか、物置に籠っているのだろう。
まぁ、あのオコジョ妖精が来たら出てくるだろう。
何だかんだ言って、仲良くやっているみたいだしな。
「おはよーございますー」
「オウ、今日モ早イナ御主人」
そんな事を考えていたら、件の2人……2体か? が部屋に入ってきた。
「おはようチャチャゼロ、さよ。珍しいな、朝から起きてくるなんて」
「御主人ニダケハ言ワレタクネーヨ」
「くく、そうだな」
早起きする吸血鬼には言われたくないだろうな。
「さよ、その身体には慣れたか?」
「はいっ。ここずっとカモさんにお相手をしていただいてましたから」
「そうか。それは良かったな」
「えへ。ありがとうございます」
チャチャゼロに似た、だが細部ではさよ本人に似せた人形が小さく笑う。
うん。そう笑ってもらえるなら、その身体を用意した甲斐があったというものだ。
しかし、カモ?
あのオコジョ妖精、さよにまた変な事を吹き込んでないだろうな……。
今度一度、問い詰めておくか。
「エヴァさん?」
「ん? ああ、なんでもない」
そんな事を考えていたら、低い位置からさよがこちらを見上げて来ていた。
いかんいかん。
さよとあのオコジョ妖精は最近仲が良いみたいだからな。
気付かれでもしたら、何か気まずくなりそうだ。
そんなことを考えていたら、茶々丸がおかわりを持ってきた。
「どうかなさいましたか? 姉さん、さよさん、おはようございます」
「オー、今日モ調子ハ良イイミテーダナ」
「はい。私はいつも通りです」
「……ケケケ、ソリャ良カッタゼ」
「?」
チャチャゼロ、それだときっと、茶々丸はまだ判らんだろ。
……まぁ、それも含めて、楽しんでいるんだろうけど。
茶々丸が持ってきた味噌汁を啜りながら、一人ごちる。
そう言えば、チャチャゼロってこんなに喋る奴だったかな?
確かに、退屈しないように造ったんだが……もう、その辺りも思い出せない。
判っているのは、チャチャゼロもまた、今のこの時を楽しんでいると言う事。
きっと、私と同じくらいに。
私と同じように長い時間を生きてきた。
そんなコイツだからこそ、この時間がどれほどのものか、私と同じくらいに理解しているだろう。
「ドウシタヨ?」
「いや……楽しそうだな、とな」
「オウ。ココ最近ハ、暇ダガナ」
「良い事じゃないか」
「まったくだ」
2人して小さく笑い、食べ終わった朝食を置く。
「美味かった。今晩も期待している」
「かしこまりました」
そう言って、一礼。
……礼儀正しいヤツだ。
もう少し砕けても……まぁ、それはまだ難しいか。
差し出された紅茶を受け取りながら、もう一度苦笑。
「それじゃ、少し早いが行くか」
「はい。用意してまいります」
ふぅ、と。
食後のお茶を口に含みながら、内心で小さく溜息。
こうものんびりとした時間を過ごしていると、まるで人間に慣れたかのように錯覚してしまいそう。
そう思えるほどに、穏やかで、暖かで、満たされて、少しだけ退屈な時間。
それが悪いとは思わない。
手の届かないモノだと思っていた。
見ている事しか出来ないと思っていた。
だが、こうして私は、そのただ中で――生きている。
そのことを実感しながら、紅茶を一口。
「エヴァさん、何か良い事でもありました?」
「ん? どうした、さよ?」
どうしてそう思う? と聞いてみる。
良い事?
どうだろうか。
確かに、良い事なのかもな。
こんな静かな時間を、感じられると言うのは。
「んー……どうしてでしょう?」
「朝カラ笑ッテルカラジャネーノ?」
「……失礼だな、お前」
私だって、朝から笑うさ。
……気分が良ければな。
朝は弱いから、そんな気分には到底なれないが。
今日は特別だ。
「ソウイウ風ニ造ッタノハ御主人ダケドナ」
「ふん。お前のその生意気な物言いは、聞いていて飽きないからな」
と言うか、きっとどこかで魔法式を間違えたんだと思うが。
今となっては、それで良かったとも思う。
長年一緒に生きてきたからか、愛着もあるしな。
そう言うと、小さく笑われた。
「仲が良いんですね、2人とも」
「マ、付キ合イ長イカラナ」
「そうだな」
もうどれくらいか……。
「マスター、登校の準備できました」
「そうか」
では、今日も退屈な授業を受けに行くとするか。
そう思い席を立つ。
「行ってくる」
「行ってきます、姐さん」
「オウ。楽シンデ来イ」
「行ってらっしゃい、2人ともー」
さよ、お前は後から来るだろうが。
そう苦笑しながら、家を出る。
「そうだ、茶々丸」
「なんでしょうか?」
ふと、朝食の事を思い出す。
「洋風の朝食に味噌汁はどうかと思うぞ?」
「……そうでしょうか?」
「ま、いいか」
そして、今日も1日が始まる。
明日からは、麻帆良祭だ。
きっと――楽しくなるだろうなぁ。
「茶々丸」
「はい」
「……最近は、楽しいか?」
チャチャゼロも、さよも、楽しそうだったから。
だから、そう聞いてしまった。
その感情を、茶々丸は、キチンと理解しているのか。
「はい。……私は、きっと毎日が楽しいです」
「……そうか」
それは良かったな、と。
本心から、そう言えた。
・
・
・
くぁ。
「ま、じ、め、にっ」
「……判ってるよ」
「やる気の無い声ですわねぇ」
誰が好き好んでメイドの真似事なんかしたがるか……。
そうは思うが、これがクラスの出し物なのだからしょうがない。
くそう……やっぱり抵抗があるぞ、コレは。
教室で、他の連中は内装やらの準備をしているのに私と明日菜、刹那は居残りで演技練習をしていた。
「そんなに嫌ですか?」
「う……」
雪広あやか?
お前、ちょっと笑顔が怖いぞ……。
「ですが、明日までには完全にマスターしていただきます」
エヴァンジェリンさんだけなんですからね、と。
うぅ、判ってるよ、そんな事は。
だがなぁ。
「雪広あやか? ほら、人には得手不得手と言うものがあってだな……」
「はいはい、その言い訳は聞き飽きましたわ」
「…………はぁ」
「いま、溜息吐きました?」
「まさか」
どうして私は、厨房担当に回してもらえなかったんだろうか?
そこだけはどうしても納得がいかん。
そして、雪広あやか? お前、本当に笑顔が怖いぞ?
「別に良いだろうが……私一人くらい」
「いけませんっ」
「むぅ」
だがなぁ、他人に御主人様など……言えるか。
この私がだぞ?
滑稽以外の何物でもないだろうに。
……魔法関係者に見られでもしたら、私は首を吊るな。絶対に。
そう内心で達観しながら、再度……溜息を吐こうとして、止める。
いかんいかん、溜息なんか吐いたら、何を言われるか判ったものじゃないからな。
「ネギ先生の御迷惑になるじゃないですかっ」
「やっぱりそっちか、このショタコンっ」
「ショタコンではありませんっ」
じゃあ何だと言うんだ、このショタコン。
なーにがぼーやの迷惑だ。
結局そっちじゃないか。
まったく。
……まぁ、何となく判ってはいたがな。
雪広あやかの後ろに控えていた明日菜と刹那が苦笑していた。
くそ……良いよな、お前らは。
あの下らん三文芝居で合格が出て。
何であの棒読みが合格で、私は不合格なんだ? 理解が出来ない。
「あちらは諦めてますから」
「私も諦めろよ……」
「それはそれでショックなんだけど?」
「うぅ……」
うるさい、外野は黙れ。
何故だ?
もはや、最初の頃のように怒る気すら失せるな、コレだと。
「いいえ、エヴァンジェリンさんなら立派なメイドになれると思いますっ」
「誰も立派なメイドになんかなりたくはないっ」
好き好んで人に仕えようとは思わん。
まったく……。
「ネギ先生も言っておられましたよ? エヴァンジェリンさんは頑張れば出来ると」
ヤツか。
この前の年齢詐称薬に対する嫌がらせか?
……今晩の修行は覚悟しとけよ……。
とりあえず、絶対泣かす。
そう心に決めながら、溜息を一つ。
「む」
「よし。雪広あやか、一つ取引しないか?」
「……断ります。私は雪広財閥の一人娘として――」
「ぼーやの事なんだが」
「なんですか?」
「変わり身早っ!?」
「エヴァンジェリンさん? その、流石に本人不在で取引とかは……」
おい、外野うるさいぞ。
「見逃してくれるなら……」
「なら……?」
「何を言ってるんだ」
そこまで言って、頭を軽く叩かれた。
くっ。
「まったく。雪広? お前もこんな裏取引に応じるんじゃない」
「ぅ、い、いえっ。一応……聞くだけ聞こうかなぁ、とか」
ウソだろ。
お前絶対最後まで聞いて、私を見逃してただろ。
後ろの2人も同意見だったらしく、疑わしい視線を雪広あやかに向けていた。
「な、何ですかその目はっ」
「はぁ。わかりやすいわねー」
「明日菜さんにだけは言われたくありませんっ」
「はいはい」
「くっ……屈辱ですわ」
「そこまで言わなくても良いでしょ!?」
仲良いよなぁ、お前ら。
「ま、それより急いで準備終わらせろよ?」
「はぁい」
「判ってますわ」
「はい」
一応放課後も準備できるらしいが、遅くまでは何かと物騒だしな。
しないで済むなら、それに越した事はないだろう。
「マクダウェルも、本番ならちゃんとするだろう?」
「ふん……」
また軽く、頭を叩かれる。
……くそ。
「判ってるさ、ちゃんとやる」
「と言う訳だ。とにかく、まずは準備を終わらせてしまおう」
「判りましたわ」
そう言って、我先に駆けていく雪広あやか。
生き先は……まぁ、判ってはいるが、何となく目で追う。
その先には、宮崎のどかの代わりに思いものを持っているぼーやが居た。
あー……まぁ、なんだ。
「あれは大変ねぇ」
「お前も他人事じゃないだろうが……」
「う」
はぁ。
そう溜息を吐く。
「はいはい。喋ってないで手を動かすように」
「……判ったよ」
まぁ、あの変な練習から解放されただけマシか。
……はぁ。
まさか、こんなにメイドの真似事が面倒だとは思わなかった。
そう思っていると、先生が教室の外に出ていくのが見えた。
どこに行くんだろうか?
「どないかしましたか、エヴァンジェリンさん~」
「月詠か」
――お前、バランス感覚良いな。
まぁ気で強化してるんだろうけど。
器用に右手に食器の山、左手に水の入ったペットボトルを持っている。
……私が言うのもなんだが、どうやってバランス取ってるんだ?
あんまり気にしないでおくか……。
「いや、先生が外に出ていったんだが、何か聞いてるか?」
「あー。なんや、忘れ物あったみたいで、それ取りに行かれるみたいですよ~」
「ふぅん」
「量多いみたいですから、お手伝いにでも行かれます~?」
どうして私が、とも思い視線を周囲に向ける。
木乃香は、荷物持ちは得意じゃないだろうな。
茶々丸はすでにクラスの連中と作業をしている。
明日菜と刹那は……どっか行った。
多分どこかで手伝ってるんだろう。
むぅ。
「ま、いいか」
どうせ、私が居ても手伝える事なんて他と大差無いだろう。
それに……あっちの方が楽そうだ。
「それでは、いいんちょさんにはそう伝えときますね~」
「ああ、頼んだ」
教室から出て、小さく溜息。
そう言えば、服装がコレだった。
しまったな……だが、一度出た手前、何か中に戻るのも気が引けると言うか……。
雪広あやかが用意したメイド服のスカートを軽くつまみ、どうするかな、と。
コレで職員室に?
……無理だ。
瀬流彦やら葛葉刀子に会ってみろ。
……考えるだけでも恐ろしい。
今まで作ってきた私のイメージが崩れてしまう。
「――まぁ、いいか」
少し、屋上で時間でも潰してこよう。
この時間なら、誰も居ないだろうし。
大体、こんな狭い教室で作業するのがいけないんだ。
狭いんだよ。
雪広あやかと宮崎のどかの周りは面倒だし。
あんなぼーやのどこが良いんだか……。
まぁ、ナギの息子なんだし、将来はそれなりに期待は出来るが。
そんな事を考えながら、屋上へ。
ドアを開けると、夕日が眩しい。
……はぁ。
そう言えば、一人で屋上に来るのは、随分久し振りだな。
ここ最近は、ずっと誰かが一緒だった。
だからだろう、一人の屋上と言うのが――酷く、寂しく思えた。
苦笑する。
今まではずっと孤独だったのに、今はもう賑やかなのに慣れてしまっている。
すぐ傍の石畳に腰を下ろし、その夕日をぼんやりと眺める。
あと1時間ほどで、今日が終わる。
明日は、学園祭だ。
……もう飽きたはずの麻帆良祭が、今はこんなにも待ち遠しい。
そう思うのは、変だろうか?
きっと、殆ど変わらない。
出し物も、イベントも、きっと去年とそう大差無い。
なのに、今はこんなにも楽しみだ。
……そう思うのは、変かな?
「はは」
きっと、変なんだろうな。
私は変だ。
ここ最近、きっと……変なんだ。
明日菜が居て、木乃香が居て、真名が居て……気の許せる連中が居る。
茶々丸も、チャチャゼロも楽しそうだ。
……そして、私も、楽しい。
今見ているのが夕日だからだろうか?
妙に感傷的な思考に、笑ってしまう。
口元を隠し、肩を振わせ……笑う。
この私が、随分丸くなったものだ。
寂しい、のかもしれない。
あの賑やかさに慣れなくて。
「……本当に居たよ」
「ん?」
屋上のドアが開く音と一緒に、声。
「……先生か」
「あのなぁ。何を堂々とサボってるんだ……」
「いいだろ。偶には感傷的にもなる」
一瞬の間。
しかし、
「誰かから聞いたのか?」
「ん?」
「私がここに居ると」
さっき、そんな事言ってたみたいだしな。
大方、月詠か……後は、勘が鋭いのは明日菜か?
「ああ。絡繰からな」
「……そっちか」
どうしてそんな事を先生に言ったのかは判らんが、ま、いいか。
隣をポンポン、と小さく叩く。
「何かあったのか?」
そして、その意図を察してくれて、そこに座る先生。
膝を立て、そこに顎を乗せるように座っている私の隣に座る先生の顔を、見上げる。
少し、遠いなぁ。
慎重さもあるし、座った距離もある。
……少し、遠い。
「なぁ、先生?」
「どうした?」
どうして、私の問いかけに、そう簡単に応えてくれる?
私は吸血鬼で、先生は人間。
話を聞いてくれる、今まで通りに接してくれる。
でも、そこまでする必要はないんじゃないだろうか?
教師だから、と。
そこまでしなくても、十分に教師としての職務は全うしていると思うんだが。
「……先生」
「どうした、マクダウェル?」
トクン、と。
小さく、ココロが鳴る。
マクダウェル。
そう私を呼ぶのは、この人だけだ。
私が人とは違うと判っても、それでも変わらない――この人だけの、私の呼び名。
その声が、耳朶を擽る。
「うん」
「……?」
変わらない事が、こんなにも嬉しい。
変わりたいと思う私が、変わらない事を喜ぶのは変だろうか?
でも、今くらいは良いだろう。
夕日が眩しい。
その眩しさに目を細め、小さく笑う。
「どうしたんだ、先生? 準備はまだ終わってないだろう?」
「お前なぁ……」
そして、呆れたように、その大きな手が私の頭に乗せられる。
大きな手だ。本当に。
それとも――私が小さいだけか。
「先生、どうしてここに来たんだ?」
「お前がサボってるからだろうがっ」
そう言い、その大きな手が、撫でるように、私の頭を揺らす。
「まったく。他の皆は頑張ってるってのに」
「少しくらい良いだろ」
「駄目に決まってるだろうが」
融通が聞かない先生だなぁ。
そう苦笑するが、腰は上げない。
もう少しだけ、このままで。
「先生だって座ってるじゃないか」
「お前が……ま、いいか」
はぁ、と隣から小さな溜息。
「あと5分な?」
「細かいな」
ま、それで良いか。
あと5分だけの、この時間。
どう使うかな……。
トクン、トクン、と。
小さく、淡く、でも確かに高鳴る鼓動が心地良い。
よく茶々丸と2人で居た屋上に、今は先生と2人。
「なぁ、先生」
「ん?」
「血を吸って良いか?」
「…………は?」
「くく」
どうしてそんな事を聞いたのか。
自分でも良く判らないが……その気の抜けた声に、笑ってしまう。
でも、私からは離れないんだな。
「血だよ。先生の血」
「大丈夫なのか?」
「ん?」
「いや……何と言うか、だな」
ああ。
「冗談だよ。それに、血を吸うだけじゃ吸血鬼になったりしない」
「あ、そうなのか?」
「血を吸い、私の血を分ければ吸血鬼になる……ま、擬似的なモノだけどな」
「……ふぅん」
よく判ってないような声。
それがまた、可笑しい。
「楽しそうだな」
「……ああ。楽しいよ」
そりゃ良かった、と。
そう言い、その大きな手が、退けられる。
「んじゃ、5分経ったし戻るか」
「もうか?」
「はぁ……マクダウェル?」
判った判った。
そう言い、立ち上がろうとして……その手が、差し出された。
「ほら」
「……はは」
その手を見ながら、悪いとは思ったが笑ってしまった。
「どうした?」
「いや……」
その手を握り、立ち上がる。
ナギの時のような力強さは無い。
でも、確かな感触が、この手に在る。
その事が――嬉しい。
……ああ……。
「先生」
「ん?」
一瞬、言い淀み、
「迎えに来てくれて。ありがとう」
「礼を言うくらいなら、まずサボるなよ」
この私が礼を言ったと言うのに、この人は私を注意する。
……今まで通りの在り方。
それはきっと、これから先も変わらないのだろう。
私の事を知っても、変わらなかったように。
「先生の血は不味そうだな」
「そりゃ良かった」
……そうだな。
でもな。
「それじゃ、教室に戻るか」
「ああ」
その背を追いながら、思う。
……トクン、と小さく、でも、確かに――ココロの内に、在るソレ。
渇望とも言えるのかもしれない。
「早く終わらせて帰ろう。明日からは学園祭だしな」
「判ってるよ」
――でも、我慢しなければならない。
知ってるか、先生?
こうまで誰かの血を吸いたいと思ったのは、貴方が初めてなんだ。