「ん…………」
そんな声を上げながら闘牙は意識を取り戻す。少しずつ目が覚め、自分の今の状況を確認する。今、自分は机の上に突っ伏している。そうだ。確か俺は今日の最後の授業を受けていたはず。だが苦手な数学と言うこと、そして四月という暖かくなってきた季節と言うこともあり居眠りをしてしまったようだ。既に授業は終わり、クラスメイトたちも次々に教室を後にしていく。そんな光景を闘牙は何をするでもなく眺め続けている。
何だろう。いつも見慣れている光景のはずなのにどこか違和感を感じる。どうやら先程まで見ていた夢のせいらしい。それがどんな夢だったのかは思い出せない。だがとても長い夢だったような気がする。まるで
「ちょっと、いつまでボーっとしてるの、闘牙?」
闘牙の思考を断ち切るようにそんな少女の声が闘牙に向かってかけられる。闘牙は反射的に振り返りながら名前を口にしようとする。だがその瞬間、闘牙は口を噤んでしまう。
振り返ったそこには自分の恋人、日暮かごめの姿があった。
「………なんだ、かごめか。びっくりさせんなよ。」
「何よ、私じゃ文句があるっていうの!?」
かごめは不機嫌な様子で闘牙に食って掛かってくる。だがそれは無理もないこと。せっかく声をかけたのにまるで闘牙が自分以外の誰かを期待していたかのような反応したのだから。
「そ……そんなこと言ってねえだろ………」
かごめの機嫌を損ねてしまったことに今更ながらに気づいた闘牙は慌てながら弁明するが時すでに遅し。だが闘牙自身も何故自分がそんなことを言ってしまったのか分からない。きっとさっきまで見ていた夢のせいだろう。だが今は現実。そして今の最大の問題は目の前のかごめの機嫌をどうやって治すか。闘牙がその方法を模索し始めていると
「また夫婦喧嘩?」
「いつも飽きずによくやるねー。」
「二人ともいつも仲いいもんね。」
聞きなれた三人の少女たちの声が二人に向かって響き渡る。それはかごめの中学からの友人達。だがその表情はどこか楽しげだ。三人にとっては今の闘牙とかごめの姿は日常茶飯事らしい。だがそんな友人たちの指摘に顔を赤くしながらもいつも通りかごめが反論としようとするがそれよりも早く三人に友人の一人、由加によってかごめははがいじめにされてしまう。
「ちょ……ちょっと、何するのよ!?」
「いいからいいから、闘牙君、今日はちょっとかごめを借りてきたいんだけどいい?」
突然の事態に混乱し、抵抗するかごめを見ながらもどこ吹く風と言った風に由加は話を進めていく。それに続くように他の二人、絵理とあゆみもかごめをどこかに連れ去ろうとしていく。
「あ、ああ……俺は構わねえけど………」
闘牙はそんなかごめたちの様子にどこか引く様子を見せながらもそう口にする。何にせよ今の機嫌が悪いかごめを連れて行ってくれるならこちらからお願いしたいくらいだ。だがそんな闘牙の言葉と姿が気に入らなかったのかかごめは何かを言おうとしているが三人の友人に確保されているためそれも叶わない。かごめはそのまままるで売られていく子牛のように教室から姿を消してしまう。闘牙はそんなかごめの姿を見届けた後、慣れた様子で帰り支度を整え、教室を後にする。
これが十七歳、高校二年生の闘牙の日常だった――――――
「で………一体何の用でこんなところまで私は連れてこられたわけ?」
目の前のテーブルに置かれているデザートと飲み物を口にしながらかごめはそう三人に問いかける。だがその姿から今かごめが不機嫌なことは誰の目にも明らかだった。今、かごめは友人たちによって高校から近いファミレスまで文字通り連行されてきたところ。だが何故こんなところに連れてこられてしまったのかかごめには全く見当がつかなかった。
「ごめんごめん、でもあれぐらいしないと闘牙君から引き離せないと思って。」
「そうそう。かごめにはちょっと聞きたいことがあったんだ。」
「聞きたいこと………?」
二人の言葉にかごめは首をかしげることしかできない。自分に聞きたいこと。勉強のことだろうか。だが三人とも自分と比べても成績は悪くはない。わざわざ自分に勉強を教えてもらうことはないはず。何か他にあっただろうか。そんなことを考えていると友人の一人絵理がどこか真剣なまなざしでかごめに迫ってくる。その迫力にかごめは思わず緊張してしまう。そして少しの間の後
「かごめ………………闘牙君とはどこまでいったの……?」
そんなかごめの予想の斜め上をいった質問が繰り出される。
「…………………………は?」
瞬間、かごめはその場に固まってしまう。それはまるで石化してしまったかのよう。かごめの頭は混乱の極致にあった。だがそんなかごめなどお構いなしに友人たちは盛り上がりながら矢継ぎ早に話しかけてくる。
「だってもう闘牙君と付き合いだして一年でしょ?あれからどれだけ進んだのか聞きたいと思ってたの!」
「そうだよ。キスまでいったのは聞いたけどそれからどうなったのかは全然知らないんだもん!」
「わ、私も興味があるかな……」
三人はそうどこか目を輝かせながらかごめへと迫って行く。皆十七歳の女子高生。そういった話には目が無いらしい。そして自分たちの知り合いの中での彼氏持ちはかごめだけ。そのため必然的にその対象はかごめに向けられているのだった。
「ど……どこまでって、何もないわよ!変なこと聞かないでよね!」
そんな友人たちの好奇心に満ちた質問にかごめはきっぱりとそう答える。それは紛れもない事実。だがそれを聞いた友人たちはどこか驚いたような表情を見せる。それはまるでかごめが言っていることが信じられないと言った様子だった。
「な、何、どうかしたの………?」
思わずかごめは逆に友人たちに聞き返す。まるで自分が何か間違ったことを言ってしまったのではないかと思ってしまうような雰囲気がある。友人たちも互いに顔を見合わせるしかない。どうやら友人たちの予想とは全く異なる答えをかごめが口にしたことが原因らしい。
「かごめちゃん………本当にあれから何もしてないの?」
「え…………う、うん。」
どこか静かに確認するようなあゆみの言葉にかごめはどこか緊張しながらも嘘偽りなく答える。何だろう。何か問題があるのだろうか。かごめがどこかそんな不安を抱き始めるのと同時に由加が少し言いづらそうにしながらも口を開く。
「かごめ………闘牙君は何もしてこないの……?」
「う、うん……いつも通りだけど………」
かごめはそうこれまでの闘牙を思い浮かべながらもそう答えることしかできない。だがいくら鈍感なかごめといえども流石に気づき始める。友人たちが何に驚いているのか、そして自分が何にこれまで気づいていなかったのか。
「かごめ……………闘牙君にちゃんと彼女として見られてるの……?」
絵理はそう言いづらそうにしながらも単刀直入にかごめに尋ねる。その言葉にかごめは冷や汗を流すことしかできない。
そう、自分たちはもう十七歳。高校二年生。中学生ではない。そして自分と闘牙は恋人同士。ならばもっと進展があってもおかしくないはず。だが自分は神社で犬夜叉、闘牙と再会した時キスして以来まだ何も進展していない。それを全く意識していなかったわけではないが、一緒にいられる、そのことだけで満足してしまっている自分がいたことも大きな理由だ。だがそれはかごめだけの責任だけではない。
かごめは戦国時代での最後の闘いの時、四魂の玉に取り込まれ選択を迫られた。『闘牙と共にいたいか』と。それを間違えればもう二度と闘牙と会うことはできないと。それはかごめにとって最大の試練。そしてかごめはそれを乗り越え、再び闘牙と出会うことができた。それ故にかごめは闘牙と共にいられる今に満足してしまっていたのだった。
「でも確かに闘牙君とかごめって恋人っていうよりも夫婦みたいだよね。」
そんなかごめの姿を見かねた由加がそう話題を変えようする。それは冗談ではなく友人たちが感じている事実。かごめと闘牙の間には何か長年連れ添ったような雰囲気がある。それを指した言葉だった。
「そうよね、今まで見向きもしなかった闘牙君と急に付き合いだしたのには驚いたわよ。」
「そ……それは…………」
かごめはその言葉に思わず口を噤んでしまう。それはかごめにとっては如何ともしがたい問題、いや話すことができない事情があるため。
それは闘牙の憑依に関係するもの。闘牙は十四歳、中学二年の時には既に戦国時代の旅を終えており自分のことも知っていた。だが自分は中学三年の卒業式を終えるまで闘牙のことを認識することができなかった、いや正確には認識できないようになっていたらしい。だがそのせいで大きな問題にかごめは直面する。
それは闘牙と付き合うこと。それは闘牙と再会したことから当然のこと。そこには一切の迷いもない。だが一つ大きな問題があった。それは友人たちはかごめが一つ年下の少年と付き合っていると思っていたこと。
実際それは間違いないのだが様々な事情で自分と闘牙は同い年になってしまった。今更それが闘牙のことだと言っても信じてはくれない。かごめは悩んだ末に年下の彼氏とは別れ、闘牙と付き合いだしたという嘘をつきとおすことを決断した。これで問題はなくなるはず。そうかごめは安堵した。しかしそう簡単にはいかないことをかごめはその後知ることになる。
それは闘牙との関係。
友人からすれば闘牙は中学二年の時にかごめに何度も迫り、結局振られてしまった男子。だがそんな闘牙とかごめが高校に上がった途端に付き合いだしてしまう。しかもあんなに惚気話を聞かされた彼氏とあっさり別れた後で。
加えてその態度。まるで前から付き合っていたのではないかと思わざるを得ない程の自然な関係に友人たちは驚愕するしかない。友人たちは実はかごめが二股をかけていたのではないかと疑いながらもそれを口にすることができずにいる。かごめは自分がそんなあらぬ誤解をされているとは知らずに今に至っているのだった…………
「でも闘牙君も結構もてるからかごめちゃんもしっかりしないとだめだよ。この前も新入生に告白されてたみたいだし。」
「えっ、ほんとっ!?」
かごめはそんなあゆみの言葉に驚きをあらわにする。そんな話は自分は闘牙から聞いていない。明日会ったら確認しなくては。そんなかごめの姿に友人たちは苦笑いするしかない。それは間違いなく尻に敷かれているであろう闘牙に同情してのもの。実際にはかごめの方が圧倒的に告白されている回数は多いのだが本人は自覚していないらしい。
「まあ闘牙君もかごめもどこか大人っぽいっていうか落ち着いてるところがあるからね……」
絵理がそんなかごめを見ながらもそう補足する。闘牙は中学二年の時から、かごめは中学三年の時から自分たちに比べて急激に大人らしくなった、いや度胸が座ってきたと言ったほうがいいかもしれない。それは身近で見てきた三人だからこそ分かるもの。そして言うまでもなくそれは戦国時代での現代では経験することができない旅によるもの。その変化は周りの人から見れば魅力的に映るものだったようだ。かごめもそのことに今更ながらに気づきどこか考え込むような仕草を見せる。そんなかごめを見ながら
「かごめ、応援してるからね…………頑張って………」
由加はそうどこか慰めるような言葉をかごめにかける。その言葉に驚きながらかごめは他の二人にも目を向ける。そこにはどこか自分を心配し、同情するような感情が見られる。かごめはその視線に何も返す言葉を持たなかった…………
「はあ。」
一人溜息をつきながらかごめは家路を歩いていく。その胸中は様々な想いで満ちていた。それは闘牙と自分の関係。友人たちの言葉を全て鵜呑みにするわけではないがそれでもやはり付き合って一年以上、戦国時代も含めればそれ以上になるにも関わらずキスから先に進んでいないのは遅すぎるのではないか。そんな不安が生まれてしまった。
だがそれを闘牙から感じたことがない。それがかごめの不安をさらに大きくしていた。そういうことは恐らくは男性の方が興味があるはず。にも関わらず闘牙は自分に手を出してこない。考えたくはないが本当に自分は彼女として見られていないのではないか。そんなことまで考え始めてしまう。そしてそれを振り払うかのようにかごめは自らの頬を両手で叩く。
(うじうじ考えるのは私の性に合わない……とにかく明日闘牙に会ってから考えよう!)
かごめは持ち前の性格で気を取り直しながら自宅に入って行く。それは家族に余計な心配をかけないようにするためでもあった。何より思ったよりも帰ってくるのが遅くなってしまった。もう夕飯を食べ始めている時間だろう。
「ただいま!」
かごめが少し慌てながら居間へと襖を開けながら入って行くと
「おう、おかえり。かごめ。」
夕食を食べている闘牙がそうかごめを出迎える。瞬間、かごめはまるで何かに躓いてしまったかのようにそのまま床に倒れ込んでしまった―――――
「姉ちゃん、どうしたの?」
「何をしておるんじゃ、かごめ。騒がしい。」
「どうしたのかごめ、調子でも悪いの?」
かごめの母、祖父、そして弟の草太がいきなり倒れてしまったかごめに向かって話しかけてくる。皆何故かごめが倒れてしまったのか理解できていないようだ。
「と……闘牙、どうして家にいるの!?」
何とかその場から立ち上がり、落ち着きを取り戻そうとしながらもかごめは問いかける。だが対照的に闘牙はそんなかごめをどこか不思議そうに眺めている。その姿はまさに自然体。完全に日暮一家に溶け込んでいる。
「ああ、今日は草太と遊ぶ約束してたからな。言おうと思ってたんだが由加たちにお前も連れてかれちまってできなかったんだ。」
「うん、今日新しいゲームが出たから闘牙兄ちゃんに手伝ってもらってたんだ!」
闘牙の言葉に続くように草太が嬉しそうに答える。かごめと付き合うようになってから闘牙は何度も日暮家にお邪魔することになり、草太とは本当の兄弟のような関係になっていた。そのためよく約束をしては二人で遊んでいるのだった。
「それでちょうど良かったから闘牙君にも夕食を一緒にって誘ったの。闘牙君一人暮らしだからみんなで食べたほうがいいと思って。」
楽しそうな笑みを浮かべながらかごめの母がそう事態を説明する。間違いなく今の状況は母の仕業であることにかごめは気づき、溜息を吐く。どうやらそれにまんまとやられてしまったらしい。
「でも何でそんなに馴染んでるのよ。驚いちゃったじゃない………」
「そうか?いつもこんなもんだろ。」
かごめのどこか恨めしさすらこもった言葉に闘牙は何でもないように答える。それは嘘偽りない闘牙の本音。そしてそれはかごめもいつも見ている光景。だが先程の友人たちとの会話のせいでそれに今更ながらにかごめは気づいたのだった。
そういえばいつからこんな風になったのだろうか。再会した当初はどこか気恥ずかしさや、戸惑いもあったはずだが今は一緒にいることが当たり前になり、それがなくなってしまっている。そして先程の帰り際に友人に言われた言葉が蘇る。
『かごめと闘牙君、倦怠期なんじゃないの?』
それは友人の冗談半分の言葉。だがそれはある意味正鵠を射ていたのかもしれない。このままではよくない。何とかしなければ。かごめが一人、内心で焦りを抱いているのを知ってか知らずか闘牙はかごめの家族たちと賑やかに騒いでいる。
「闘牙君、いつでも来てくれていいんじゃぞ!君は日暮神社の跡取りなんじゃからな!」
「いや……跡取りになる気はねえんだが。」
「そうですよ、お義父さん、まだ早すぎますよ。」
「僕も継ぐつもりないからね、じいちゃん。」
「そ……草太、お前までそんなことを……わしは悲しいぞ……」
それはいつも通りの日暮家の団欒。いや、闘牙がいることでそれはさらに賑やかさを増しているようだ。それは自分が望んでいた日常。闘牙がいて、母さんが、じいちゃんが、草太が、友人がいる。それがどんなに大切なことか自分は分かっている。
だがこれだけは話が別だ。自分はまだ十七歳の高校二年生。ならばそれに相応しい、恋人らしい関係が必要なはず。かごめはそう一人決意する。
「?どうかしたのか、かごめ?」
「う、ううん、何でもない!」
どこか様子がおかしいかごめに気づいた闘牙がそう声をかけるもののかごめは慌てふためくだけ。そんなかごめを不思議に思いながらも闘牙は目の前の料理を平らげていく。それに負けじと草太も夕食を平らげ、再び闘牙を自分の部屋に誘い、ゲームを再開する。どうやら今日は泊まって行くらしい。母も祖父もそのことを全く気にしていない。いや、泊まるように言ったのは母らしい。
今まではこれが普通だと思っていたがよく考えればおかしいのではないか。かごめは自分の意識、価値観と友人たちとの一般的(と思われる)意識、価値観との齟齬に悩みながらも計画を立てることにする。そうとは知らず闘牙はいつものように草太と遊び続けている。
余談だが闘牙もかごめと再会してからそういったアプローチを何度かかごめにかけたことはあった。それはある意味当然の物。だがかごめはそれに全く気付かなかった。その無防備さと鈍感さに呆れた闘牙はそれ以来それを完全にあきらめていた。それはあきらめと同時にまだ焦ることはないだろうという判断から。
それはかつて戦国時代で闘牙がかごめと一緒に寝ることに抵抗がなくなってしまった状況と酷似していた。だがかごめはそうとは知らず一人、焦燥を感じている。
致命的なまでにすれ違った二人の想いをよそに日暮家の夜は静かに更けていくのだった――――――