「ん………。」
ゆっくりとまどろみの中から意識が戻ってきていることを感じながら瞼を開く。そこには巨大な屋敷があるどこかの庭園が広がっている。その光景はどこか現実感を忘れさせるものだった。
「ここは……?」
ゆっくりとその場から立ち上がりながらりんは辺りを見渡す。そこには倒れている犬夜叉を庇うように抱きかかえているかごめ。互いに身を寄せ合っている弥勒と珊瑚。気を失っている邪見、七宝、雲母。そして闘鬼刃で体を支えながら何とか立ち上がろうとしている殺生丸の姿があった。そこでりんは自分たちが竜骨精たちに追い詰められその攻撃に襲われたことを思い出す。自分たちは間違いなくそれに飲み込まれてしまったはず。それなのになぜこんな場所にいるのか。りんが混乱しながらも今の状況を理解しようとした時
「誰かと思えばお前たちか。」
自分の後ろからどこかで聞いたことのある女性の声が響き渡る。りんが驚いて振り返った先にはかつて自分を救ってくれた殺生丸の母、御母堂の姿があった。
「御母堂様……?」
思わずりんは驚きの声を上げる。何故御母堂がこんなところにいるのか。そこでりんは自分たちがいる場所が御母堂の屋敷の庭園であることに気づきそのことを尋ねようとする。しかしその瞬間、立ち上がった殺生丸がその傷ついた体を引きずりながらその場を離れて行こうとする。
「殺生丸様っ!」
そのことに気付いたりんは慌てて殺生丸に近づきそれを止めようとする。だが殺生丸はそんなりんの制止を振り切りそのままどこかに向かおうとする。しかし
「どうやら手ひどくやられたようだな、殺生丸?」
そんな殺生丸の前に御母堂が立ちふさがる。御母堂はそのまま殺生丸と向かい合い互いに見つめ合う。
「……………」
殺生丸は御母堂の言葉に何も答えぬまま御母堂の横を通りその場を通り過ぎようとする。しかし御母堂はそんな殺生丸の前に立ちふさがりながら
「そんな体でどこに行くつもりだ、殺生丸?」
そう改めて殺生丸に問いただす。二人の間に緊張が走る。殺生丸はそんな御母堂を一瞥した後
「奴を斬りに行く……それだけだ……。」
そう言い残した後もう用はないといわんばかりにその場を離れ竜骨精の元に向かおうとする。そのまま御母堂は殺生丸の姿を眺めた後
「仕方あるまい………少し頭を冷やしてくるがいい。」
そう告げながら懐の中にある石を取り出す。その瞬間、御母堂の持つ石からまばゆい光が放たれる。そして見えない力が突然殺生丸を襲う。
(これは……!!)
その光と力を感じながら殺生丸は強い既視感に襲われる。自分はこの力に覚えがある。それは二百年前、父が竜骨精たちとの戦に出向き自分もそれに付いていこうとした時のことだった。その時にも自分はこの力に体の自由を奪われてしまった。殺生丸は何とかその力に抗おうとするが満身創痍の今の体ではそれもかなわない。殺生丸はそのまま御母堂の持つ石に封じ込められてしまった。
「全く……手間をかけさせおって……。」
殺生丸を封じた石を再び懐にしまいどこか安堵した表情を見せながら御母堂はそう呟く。りんはそんな御母堂の様子をしばらく見つめた後殺生丸がどうなったのか尋ねようとするが
「犬夜叉……っ、犬夜叉しっかりして……!!」
かごめの悲痛な叫びがそれをかき消す。かごめの腕の中には満身創痍の犬夜叉の姿があった。しかしその顔は青白く呼吸も次第に小さくなっていく。その傷からは血が流れ続けている。かごめはそれを何とかしようとするが犬夜叉の体力はもう持たないところまで来ていた。
「犬夜叉っ!!」
「珊瑚……何か薬はないのですか!?」
そんな二人に慌てて珊瑚と弥勒が走り寄る。しかし二人にも今の犬夜叉を救う手立てはなかった。どうしようもできない状況に三人があきらめかけたその時
「どけ、娘。」
かごめに向かってそう御母堂が言い放つ。
「え………?」
涙の枯れ果てた目でかごめが御母堂の姿に気づく。自分の知らない女性がなぜこんなところにいるのか、さっきの言葉はどういう意味なのか、様々な疑問がかごめの頭によぎるも御母堂はそんなかごめを無視したまま倒れ伏している犬夜叉に目をやる。御母堂はそのまま犬夜叉をしばらく見つめた後、先程殺生丸を封じた物とは違う石を取り出しそれを犬夜叉の胸の上に置く。その瞬間、石から光が溢れだしそれが犬夜叉の体を包み込む。そしてそれに呼応するように犬夜叉の体の傷が次々に癒されていく。
「これは……!?」
「凄い……!!」
その光景に弥勒と珊瑚は思わず驚きの声を上げる。そしてその光が収まった後には完全に傷が治りきった犬夜叉の姿があった。
「う………っ」
うめき声をあげながら犬夜叉がその体を起こす。そこで犬夜叉は自分を取り巻く状況が理解できず混乱した様子を見せる。しかし
「犬夜叉……っ犬夜叉……っ!!」
「かごめ………。」
自分に縋りつきながら泣き続けるかごめに気づいた犬夜叉はそのままかごめを優しく抱きしめる。弥勒と珊瑚もその様子に安堵の声を上げる。御母堂はそんな犬夜叉たちを少し離れた所から見守っているのだった……。
それから大事を取って犬夜叉たちは御母堂の屋敷で休息をとることになった。そしてなんとか皆が落ち着きを取り戻した次の日、犬夜叉たちは御母堂と向かい合い状況把握することになった。そしてまず犬夜叉たちはなぜ自分たちがこの屋敷にいるのかという疑問を投げかけた。御母堂はそんな犬夜叉たちの問いに淀みなく答える。
「それはその小娘が持っている首飾りの力だ。」
「え……これ……?」
その言葉にりんは不思議そうに自分が掛けてある首飾りを手に取る。そしてりんはその首飾りが放っていた輝きが今はもうないことに気づいた。
「その首飾りには殺生丸に危機が迫った時にこの屋敷に殺生丸を転移させる力が備わっている。お前たちもそれに巻き込まれたのだろう。」
犬夜叉たちは殺生丸の危機に反応した首飾りの力によってここに導かれたことを知り安堵の声をあげる。もしそれがなければ自分たちは間違いなくあそこで皆殺しにされていただろう。
「しかしこんなに早くにこうなるとはな……。」
そう言いながら御母堂はりんに掛けられている首飾りに目をやる。御母堂は竜骨精の封印が早ければ数十年のうちに解けることに気づいていた。そして竜骨精が復活すれば殺生丸がそれと闘うことは間違いない。しかし相手は父ですら倒しきれなかった竜骨精。数十年後の成長した殺生丸といえど闘えばどうなるかは分からない。そこで御母堂は殺生丸と行動を共にするであろうりんにそれを持たせることにしたのだった。
「御母堂様は竜骨精を知ってるの?」
「こ……これ、りん!無礼なことを聞くでない!」
りんの言葉に慌てながら邪見がそれを制止しようとする。しかし御母堂はそんなことは全く気にせずそれに答える。
「当然だ……父は奴との戦いの傷が原因で死んだのだからな……。それに私と父は奴とは旧知の間柄でもある。」
「旧知の間柄……?」
御母堂の言葉にりんが再び疑問の声を上げる。犬夜叉たちも声には出さぬもののそれに同調するように聞き入っていた。
「私というよりは父のほうが奴とは縁があった。二人は幼少のころからの知り合いであり兄弟同然だった。……だが考え方の違いで仲違いし争うことになった。」
「考え方の違い……?」
今度はそれにかごめが聞き返す。かごめはそれが様々な因縁の根底にあるのではないかと直感したからだ。
「奴……竜骨精は強者が生き残る道こそが覇道だと考え……それゆえに弱い人間には生きる価値がないと断じていた。しかしそれに対し父は人間と妖怪が共に歩む道こそが覇道だと信じていた。それ故に二人は争うことになった……直接の契機になったのは父が十六夜と結ばれたことだったようだが……。」
御母堂はどこか遠くを見るような目をしたまま黙り込んでしまう。かごめはそんな御母堂を見ながら
「十六夜って……誰なんですか……?」
そう聞きづらそうに尋ねる。その言葉に邪見は思わず体をこわばらせる。邪見もかつてそのことで御母堂の逆鱗に触れてしまったからだ。しかし御母堂はそんな邪見の様子に気づいていないのか何のことはないかのように話を続ける。
「そこにいる犬夜叉の母の名だ。奴はどうやら父が人間の女と結ばれたことが許せなかったらしい。」
御母堂の言葉に犬夜叉たちは何も答えることはできない。特に犬夜叉は自分のことではないとはいえ犬夜叉の体である以上この話題には触れるべきではないと考えていた。しかし
「あなたは……犬夜叉のお父さんが人間の女性と結婚することに反対しなかったんですか……?」
そうかごめは意を決して単刀直入に尋ねる。それは犬夜叉たちが知りたいと思いながらも聞くべきではないと思っていたことだった。犬夜叉たちの間に緊張が走る。しかし御母堂はそんなかごめが気に入ったのか笑みを浮かべながらそれに答える。
「当然だ。あれは私が認めた女でもある。私からすれば人間だの妖怪だのと騒ぐお前たちのほうが理解できん。」
御母堂は人間だろうが妖怪だろうが強い者、魅力がある者はだれであれ認めるという信条の持ち主だった。御母堂はそのまま犬夜叉に目を向ける。犬夜叉はそれにどこか戸惑うような表情を見せる。御母堂はそんな犬夜叉を見ながら
「犬夜叉……お前は父と十六夜の子供だ……それを誇るがいい。父は十六夜とお前を救うために命を懸けたのだから……。もっとも、惚れた女のために命を懸けれないような男などに私が惚れるわけがないがな。」
そう絶対の自信を持って告げる。かごめはそんな自分の常識では測れない女としての考えを持った御母堂に圧倒されてしまう。そして犬夜叉は初めて妖怪に半妖である自分を認め肯定されたことに驚きながらもその言葉を胸に刻み込むのだった……。
そして話がひと段落したところで
「御母堂様、殺生丸様はどうしちゃったの?」
りんが不安そうな表情を見せながら御母堂に尋ねる。御母堂はそのまま懐にある石を皆に見せる。その石は微かに光を放っていた。
「殺生丸はこの石の中に封じ込めてある。あのまま行っても竜骨精に返り討ちにされるだけだからな。」
御母堂はそう溜息を突きながら告げる。殺生丸は父に対して異常ともいえる執着を持っている。鉄砕牙がそのいい例だった。それが父の仇である竜骨精を前にすればこうなることは分かり切っていたもののその頑固さに御母堂は頭を痛める。
「傷が癒えるまで……恐らく一週間ほどはこのなかに封じておけるだろう。」
しかしそれは一週間経てば殺生丸が再び竜骨精に挑むことを意味していた。そして一行は竜骨精の強さを思い出す。自分たちの攻撃はなにも通じず、その圧倒的な力の前に為す術もなく惨敗してしまった。犬夜叉たちの間にあきらめの気持ちが生まれてくる。
「そういえば……竜骨精たちは今どうしてるんだ?」
犬夜叉は思いついたようにそう呟く。自分たちが去った後に竜骨精と瑪瑙丸がどうなったのか全く知らなかったからだ。それはかごめたちも同様だった。
「…………見てみるか?」
そんな犬夜叉たちを見た御母堂が手をかざす。その瞬間、犬夜叉たちの目の前にこの屋敷から遥か遠くにある光景が映し出される。犬夜叉たちがそれに驚きの声を上げる前に犬夜叉たちはその光景に言葉を失ってしまう。
それは一言でいえば地獄だった。自分たちが目にしたあの村の状況が際限なく広がっている。女子供も関係なく人間たちが次々に殺されていく。それは竜骨精に従っている妖怪たちの仕業だった。人間たちもそれに応戦していく。しかし力のある坊主や巫女、武者たちもその妖怪たちの強さの前では無力だった。家は破壊され燃え続け畑は荒らされ荒野と化している。そんな光景が際限なく広がりそしてそれがさらに広がって行こうとしていた。
「ひどい………。」
「…………。」
かごめがそう絞り出すように声を出している横で犬夜叉は何かをずっと考え込んでいる。その手には鉄砕牙が握られていた。そして
「かごめ……刀々斎のところに行く……付いてきてくれるか……?」
そうかごめに頼み込む。かごめはそんな犬夜叉の言葉に驚きが隠せない。いつもの犬夜叉なら危険な目に合わせたくないと言い自分をここに置いていこうとすると思っていたからだ。そしてかごめは改めて犬夜叉に向かい合う。その表情は何かを決意したものだった。かごめはそのことに気づき
「当たり前でしょ。」
そう微笑みながら犬夜叉の言葉に頷いた。そして二人が歩き始めようとしたところに
「あたしたちも忘れてもらっちゃ困るよ。」
「全く……少しは周りにも気を使ってほしいものですね。」
珊瑚と弥勒が笑いながら話しかけてくる。
「お前ら……。」
「修行に行くんだろう……?あたしも飛来骨を直しに行くから途中までは一緒に行くよ。法師様はどうする?」
「私も珊瑚に付いていきますよ。じっとしているのは性に合いませんし……。」
珊瑚と弥勒はそう言いながら当然のように犬夜叉たちの後に付いてくる。
「おらたちも付いていくぞ!」
七宝と雲母もその後に続く。皆一緒に戦うことは当然だと言わんばかりだった。
「いいのか……相手は奈落じゃねえんだぞ?それに……はっきり言ってあいつらは化けものだ。勝てるかどうかも分からねえ……。」
自分たちと一緒に戦ってくれるのはありがたいが相手は奈落ではない。それにこれは犬夜叉の因縁による戦いだ。それに巻き込むわけにはいかないと少年は考えていた。しかし
「何をいまさら……それに犬夜叉、言葉は悪いですがこれは奈落などとは比べ物にならない程の問題です。奈落を倒せたとしても竜骨精たちを止めることができなければこの国の人間たちは根絶やしにされるでしょう。そうなれば私たちに未来はありません。これは私たちの問題でもあるのですよ。」
弥勒は自分の風穴を見ながらそう告げる。風穴がまだあることから奈落は間違いなく生きている。しかし奈落にとっても竜骨精の強さは予想外のものだったのだろう。その強さは決して利用できるようなものではなかった。
「それにやられっぱなしってのも目覚めが悪いしね。悪いけど嫌だっていっても付いていくよ。」
笑いながら珊瑚も弥勒の言葉に続く。犬夜叉とかごめはそんな仲間たちを見ながら笑みを浮かべる。そして
「ああ……頼むぜみんな!!」
「一緒にあいつらをやっつけましょう!!」
そう決意を新たに宣言する。そして犬夜叉たちは殺生丸が封印を破るであろう一週間後に再び合流することを約束する。そのまま犬夜叉たちは支度を整え御母堂の屋敷を後にしようとする。
「ありがとうございました。」
犬夜叉が皆を代表して御母堂にお礼を述べる。御母堂はそんな犬夜叉をしばらく見つめた後、近づきながらその顔に手を添える。
「え……?」
突然の出来事に犬夜叉は驚き固まってしまう。しかし御母堂はそのまま犬夜叉の顔を見つめ続ける。御母堂は犬夜叉の中に今は亡き十六夜の面影を見出していた。そしてゆっくりとその手を離し
「…………死ぬのではないぞ。」
そう言い残し屋敷へと戻って行く。犬夜叉はその後ろ姿に向かって頭を下げた後、仲間とともに旅立っていった……。
「よう、そろそろ来るころだろうと思ってたぜ。」
いつもの飄々とした態度で刀々斎が犬夜叉とかごめを出迎える。竜骨精たちがまだここまで攻め込んでいないためか刀々斎はまだ自分の工房に住んでいるままだった。そして珊瑚たちは飛来骨を直すため途中で犬夜叉たちとは別れていた。七宝も自分がいては犬夜叉の邪魔になると思い珊瑚たちに付いていったのだった。
「どうやら竜骨精に手を出しちまったみてえだな。だが命があっただけ幸運だと思いな。」
刀々斎は犬夜叉と鉄砕牙を一目見てそのことに気づく。犬夜叉はそんな刀々斎の言葉を聞きながらも
「刀々斎……頼みがある……。」
そう言いながら腰から鉄砕牙を抜き刀々斎に差し出す。刀々斎はそれを眺めながら
「何だ、鉄砕牙を強くしてほしいと頼みに来たのか?」
そう犬夜叉に問いただす。かごめも犬夜叉は鉄砕牙を強くするために刀々斎の元に訪れたのだと思っていた。しかし
「鉄砕牙の守り刀の力を失くしてほしい。」
犬夜叉の言葉はかごめにとって完全に予想外のものだった。
「そんな……そんなことしたら!!」
思わずかごめが犬夜叉に詰め寄って行く。鉄砕牙の守り刀の力が無くなるということは犬夜叉の中を流れる妖怪の血を抑えることができなくなることを意味していた。犬夜叉が妖怪化をすればどうなるか犬夜叉本人を除けば一番理解しているかごめはそのことに驚きそれを止めようとする。しかし犬夜叉はそんなかごめの姿を見ながらも自分の言葉を撤回しようとはしなかった。
「…………本当にいいんだな?後で戻してくれといってもできるもんじゃねえぞ。」
しばらく犬夜叉を見つめた後、刀々斎は確かめるようにそう犬夜叉に問いただす。だが犬夜叉はそんな刀々斎の言葉にも全く動じずに語り始める。
「竜骨精と闘って分かった……鉄砕牙とあいつの刀に大きな力の差はねえ。あれは俺自身とあいつの力の差だった……。だから鉄砕牙じゃなく俺自身が強くならなきゃいけねえ……そのためには俺の中に流れてる妖怪の血の力を使いこなさなきゃいけねえんだ。」
それが犬夜叉が鉄砕牙の守り刀の力を失くそうとしている理由だった。妖怪化の力を制御できれば自分は間違いなく強くなれる。今更付け焼刃の能力を鉄砕牙に与えたところで竜骨精たちには通用しない。以前刀々斎が言っていたようにこれは犬夜叉の、少年自身の問題。鉄砕牙に頼るわけにはいかなかった。
「分かった……だが犬夜叉、言っちゃ悪いが今のお前じゃあ妖怪の血を使いこなせたとしても竜骨精には勝てねえぜ。」
刀々斎は犬夜叉の決意を感じ取り鉄砕牙を受け取りながらそう犬夜叉に告げる。それは紛れもない事実だった。だが
「分かってる……俺の役目は竜骨精を倒すことじゃねえ……瑪瑙丸を竜骨精から引き離すことだ。」
犬夜叉は刀々斎の言葉に驚くことなく冷静にそう答える。刀々斎はそんな犬夜叉に面喰ってしまう。
(こいつ……宝仙鬼と同じことを……)
刀々斎は犬夜叉の言葉にかつての宝仙鬼を思い出す。宝仙鬼は犬夜叉の父の友人である大妖怪。その力はまさしく大妖怪にふさわしいものでありこことは違う世界での犬夜叉はその妖力によって金剛槍破を授けられていた。先の大戦で宝仙鬼は竜骨精から瑪瑙丸を引き離すために闘っていた。犬夜叉の父と竜骨精は実力伯仲。そこに瑪瑙丸が加われば犬夜叉の父といえど勝ち目がなかったからだ。そしてその結果、犬夜叉の父は倒しきることはできなかったが竜骨精を封印することができたのだった。そしてそれと同じことを無意識に犬夜叉は行おうとしている。それは殺生丸なら竜骨精を倒すことができるという少年の絶対の信頼があってのことだった。
「そこまで分かってるんならもう言うことはねえ。少し待ってな、すぐに仕立ててやる。」
そう言いながら刀々斎は鉄砕牙を持ったまま奥に姿を消していく。犬夜叉はそれを黙って見続けるのだった……。
「御館様、準備が整いました。」
そう言いながら瑪瑙丸は竜骨精の前で頭を下げる。竜骨精はそれを黙って聞き届けた後、崖の上から眼下に広がる妖怪の軍勢に目をやる。竜骨精が殺生丸たちと闘ってから既に三日が経とうとしていた。殺生丸たちがあの場から逃げたことには当然気づいていたがあの程度の者など放っておいても問題ないと判断し見逃したのだった。そしてたった三日の内に竜骨精は東国の妖怪たちを束ねてしまった。初めのうちは竜骨精を知らない若い妖怪たちが竜骨精に歯向かっていったがその全てを竜骨精と瑠璃丸は葬っていった。そして今となっては竜骨精たちに歯向かう者はだれ一人いなくなってしまっていた。そしてその軍勢はすでに千を越えようとしていた。元々竜骨精に従っていたもの、その力に屈服したもの、様々な経緯を持つ決して徒党を組むはずのない妖怪たちが竜骨精という一人の妖怪の元に集っていた。それを見下ろしながら竜骨精は先の大戦を思い出す。
(なぜだ……こんな弱く醜い人間などのために……お前は……)
その脳裏にはかつて兄弟といえるほど自分を慕っていた殺生丸と犬夜叉の父の姿があった。
「どうかされましたか、御館様?」
竜骨精の様子に気づいた瑪瑙丸がそう竜骨精の身を案じ話しかける。その言葉によって竜骨精は我に返る。そしてしばらく目を閉じた後
「行くぞ、付いてこい。」
「はっ!」
竜骨精は妖怪たちに向かって号令をかける。それに答えるように妖怪たちから大きな歓声が上がる。そして竜骨精による覇道、妖怪による弱肉強食の国の建国が始まろうとしていた………。
「ハァ……ハァッ……」
荒い呼吸をしながらも犬夜叉は鉄砕牙を杖代わりなしながら何とか立ち上がろうとする。しかしついに力尽き犬夜叉はその場に倒れ込んでしまう。
「犬夜叉っ!」
かごめが慌てて犬夜叉に近づきその体を支える。その体はボロボロだった。刀々斎によって守り刀としての力を失った鉄砕牙を手に犬夜叉は妖怪化の制御の修行に入っていた。
犬夜叉の妖怪の血は少年の強い感情の高まりによって呼び起こされる。少年はそれを自らの意思で呼び起こしコントロールする必要があった。そして妖怪の血を呼び起こすことはすぐにできるようになったがそのコントロールは困難を極めていた。妖怪化した瞬間、目の前が赤と白に点滅し凄まじい破壊衝動が襲ってくる。血がたぎり全てを壊したい、犯したいという感情に圧倒される。まるで自分が獣になってしまうようなものだった。最初は一分も妖怪化を保つことができなかった。今は何とか二、三分は保つことができるようになりつつあったがそれだけの時間ではとても瑪瑙丸と闘うことはできない。最低でも五分。それが瑪瑙丸と闘うために必要な妖怪化の時間だった。
「大丈夫……犬夜叉……?」
そんな犬夜叉をかごめは心配そうに抱きとめながら見つめ続ける。かごめは犬夜叉の修行にずっと付き添っていた。それは犬夜叉の頼みでもあった。それはもし自分が妖怪の血に飲まれてしまったときに言霊の念珠で沈めてもらうためだった。しかし修行を始めてかごめはまだ一度も言霊の念珠を使ってはいなかった。それは少年の意地ともいえるものだった。
少年は思い出す。
初めて妖怪化をしてしまった時、自分はかごめを傷つけてしまった。あの時の後悔と恐怖は今でも忘れられない。
だからこそ自分はかごめを守れる強さを手に入れるために鉄砕牙を求めた。
しかしそれは自分の力ではなく鉄砕牙に頼った強さだった。
そして今、自分の中に流れる妖怪の血は鉄砕牙でも抑えることができないほど強くなってしまった。
これは自分が先送りにしてしまっていた問題に他ならない。
今度こそ自分自身が強くなりそして鉄砕牙と対等の存在にならばければならない。何よりも
「犬夜叉……?」
少年はそのまま自分を支えてくれている少女を見つめ続ける。
かごめはこんな自分のために危険な戦国時代に何度もやってきてくれている。
もしかごめに出会えなかったら。
もしかごめがこちらの世界に来てくれなくなっていたら。
きっと今の自分はなかっただろう。半妖と蔑まれ続けることで誰にも心を許せない孤独な人生を送っていたかもしれない。
『かごめを守るために強くなりたい』
それが少年が求めた強さでありそれは今でも変わっていない。
これは少年の人としての心と妖怪の血の闘い。
なら絶対に自分は負けるわけにはいかない。
今、少年は半妖の強さでもなく、犬夜叉の記憶の強さでもなく、本当の自分自身の強さを手に入れようとしていた………。
「りん、いつまで落ち込んどるんじゃ?」
邪見がぶっきらぼうな調子でそうりんに話しかける。しかしりんはそんな邪見の言葉にも全く反応しなかった。そんなりんに邪見は何度目か分からない溜息を突く。
犬夜叉たちが出て行ったあと邪見とりんは殺生丸が封印から出てくるのを待つため御母堂の屋敷に留まっていた。しかしこの屋敷に来てからというものりんはいつもの元気さが嘘のように落ち込んでしまっていた。それに気づいた邪見が何度もりんに声をかけるが結果は変わらなかった。そして今日は犬夜叉たちが出て行ってからちょうど一週間目。御母堂がいう殺生丸が出てくるであろう日だった。
(殺生丸様…………)
りんは心の中で殺生丸のことを考え続ける。りんにとって殺生丸は絶対の存在。負けることなど想像すらしたことがなかった。しかしそれは竜骨精と瑪瑙丸によって覆される。自分を庇いながら傷ついていく殺生丸の姿がまだ目に焼き付いている。りんはあの時、初めて殺生丸がいなくなってしまうという恐怖を感じた。
出会ったあの時からりんは殺生丸が強さと同じほど優しさを持っていることを感じ取っていた。そして自分と邪見を加えて旅した日々はりんにとって何物にも代えられない程の大切なものだった。邪見も自分に厳しいことを言いながらもちゃんと自分が追いつくのを待ってくれる、自分が危ない時には身を呈して守ってくれる父親同然の存在だった。でも自分は人間。二人と同じ時間は生きられない。難しいことまでは分からないがそのことは何となく理解していた。殺生丸にとって戦いは避けて通れないもの。だが自分には犬夜叉やかごめのように闘うことはできない。じゃあ何のために自分は殺生丸と一緒にいるのか、一緒にいていいのか。りんは分からなくなってしまっていた。
そしてついにその時がやってくる。大きな音とともに光が放たれ殺生丸が封じられていた石が砕け散る、そしてその後には傷が癒えた殺生丸が佇んでいた。
「殺生丸様っ!」
邪見が喜びの声を上げながら殺生丸に近づいていく。
「少しは頭が冷えたか?」
御母堂が殺生丸の前に姿を現す。殺生丸はそんな御母堂を一度睨みつけた後そのままその場を去って行く。御母堂はそんな殺生丸の後ろ姿を見ながら
「死ぬなよ……殺生丸……。」
そう呟く。そして殺生丸がそのまま御母堂の屋敷を後にしようとした時、
殺生丸の前に両手を広げたりんが立ちふさがった。
「…………何のつもりだ?」
殺生丸はそんなりんを見ながら静かにそう問う。しかしりんはそんな殺生丸の目を見ながらも臆することなくその前に立ち続ける。二人の間に緊張が走る。
(これまで一度も殺生丸様に逆らったことのないりんが……!?それほど今回の闘いが危険であることを感じ取っておるのか……!!)
殺生丸に逆らうりんに驚きを隠せない邪見。そしてしばらくの時間の後
「邪魔だ。」
殺生丸はそう冷たく言い残したままりんの横を通り過ぎそのまま竜骨精の元に向かっていく。りんはそのままそこを動くことができなかった。そしてその両目には涙が溢れていた。邪見はそのまま殺生丸に付いていくかりんの傍にいるべきかで迷ってしまう。しかしりんは自分の目の涙を拭うとすぐに阿吽がいる屋敷の外に向かって走り出してしまう。
「ま……待たんか、りん!!」
その後を邪見は慌てて追っていく。そして二人は阿吽に乗り御母堂の屋敷を去って行ってしまった。御母堂はそんなりんを見ながら
「……どうやら二人とも女を見る目だけは確かなようだな。」
そう微笑みながら呟くのだった……。
「もう大丈夫なのですか、犬夜叉?」
「ああ、心配いらねえ。」
弥勒の言葉に自信満々の様子で犬夜叉が答える。今、犬夜叉たちは修行を終え再び合流したところだった。犬夜叉の様子から弥勒たちはどうやら修行は上手く言ったことに気づき安堵する。
「珊瑚こそ飛来骨は大丈夫なのか?」
今度は逆にそう犬夜叉が尋ねてくる。珊瑚はそんな犬夜叉の心配をよそに新しく生まれ変わった飛来骨を担ぎながら
「心配いらないよ、何ならここで試してみる?」
そんな冗談を口にする。その言葉に一行が笑いに包まれる。竜骨精の戦いを前にしても一行に迷いは見られなかった。そしてそのまま犬夜叉たちが御母堂の屋敷に向かおうとした時、一匹の妖怪がこちらに向かってくることに犬夜叉たちは気づく。最初は竜骨精の手の物かと思い警戒するがすぐにそれがりんと邪見が乗った阿吽であることに気づいた。
「どうしたんだ、りん?」
「りんちゃん、何かあったの?」
犬夜叉とかごめが慌ててりんに駆け寄る。りんは二人に向かって顔を上げ涙をこらえながら
「……殺生丸様に力を貸してほしいの!」
そう力強く犬夜叉たちに助けを求める。その瞳には絶対の意志が宿っていた。そのことに気づいた犬夜叉とかごめは
「言われるまでもねえさ。」
「一緒に行きましょう、りんちゃん。」
そうりんに力強く答える。
「……うん!!」
りんはそのまま大きく頷き犬夜叉たちとともに竜骨精たちがいる谷に向かっていく。そこには辺り一面に妖怪たちの軍勢がひしめいていた。そしてその中心にはその妖怪たちを遥かに凌ぐ妖気がある。
今、人と妖怪の未来を懸けた決戦の火蓋が切って落とされようとしていた………。