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No.25741の一覧
[0] 人妖都市・海鳴 (リリなの×あやかしびと×東出祐一郎) 弾丸執事編、開始[散々雨](2012/08/03 18:44)
[1] 序章『人妖都市・海鳴』[散々雨](2011/02/16 23:29)
[2] 【人妖編・第一話】『人妖先生と月村という少女(前編)』[散々雨](2011/02/08 11:53)
[3] 【人妖編・第二話】『人妖先生と月村という少女(後編)』[散々雨](2011/02/08 01:21)
[4] 【人妖編・第三話】『月村すずかと高町なのは』[散々雨](2011/02/16 23:22)
[5] 【閑話休題】『名も無き従者‐ネームレス‐』[散々雨](2011/02/20 19:45)
[6] 【人妖編・第四話】『人妖先生と狼な少女(前篇)』[散々雨](2011/02/16 23:27)
[7] 【人妖編・第五話】『人妖先生と狼な少女(中編)』[散々雨](2011/02/20 19:38)
[8] 【人妖編・第六話】『人妖先生と狼な少女(後編)』[散々雨](2011/02/24 00:24)
[9] 【閑話休題】『朽ち果てし神の戦器‐エメス・トラブラム‐』[散々雨](2012/07/03 15:08)
[10] 【人妖編・第七話】『人妖都市・海鳴の休日』[散々雨](2011/03/29 22:08)
[11] 【人妖編・第八話】『少女‐高町なのは‐』[散々雨](2011/03/27 15:23)
[12] 【人妖編・第九話】『人妖‐友達‐』[散々雨](2011/03/29 22:06)
[13] 【人妖編・第十話】『人間‐魔女‐』[散々雨](2011/04/06 00:13)
[14] 【人妖編・第十一話】『人間‐教師‐』[散々雨](2011/04/08 00:12)
[15] 【人妖編・第十二話】『海鳴‐みんな‐』[散々雨](2011/04/14 20:50)
[16] 【人妖編・最終話】『虚空のシズク』[散々雨](2012/07/03 00:16)
[17] 【人妖編・後日談】[散々雨](2011/04/14 21:19)
[18] 【閑話休題】『人狼少女と必殺技』[散々雨](2011/04/29 00:29)
[19] 【人造編・第一話】『川赤子な教師』[散々雨](2011/05/27 17:16)
[20] 【人造編・第二話】『負け犬な魔女』[散々雨](2011/05/27 17:17)
[21] 【人造編・第三話】『複雑な彼女達』[散々雨](2011/05/27 17:17)
[22] 【人造編・第四話】『金色な屍』[散々雨](2011/05/27 17:17)
[23] 【人造編・第五話】『弾無な銃撃手』[散々雨](2012/03/14 03:54)
[24] 【人造編・第六話】『Snow of Summer』[散々雨](2011/06/08 15:56)
[25] 【閑話休題】『マジカルステッキは男性用~第一次魔法中年事件~』[散々雨](2012/03/14 21:29)
[26] 【人造編・第七話】『無意味な不安』[散々雨](2012/03/14 21:33)
[27] 【人造編・第八話】『偽りな歯車』[散々雨](2012/04/05 05:19)
[28] 【人造編・第九話】『当たり前な決意』[散々雨](2012/06/21 20:08)
[29] 【人造編・第十話】『決戦な血戦』[散々雨](2012/07/02 23:55)
[30] 【人造編・最終話】『幸福な怪物』[散々雨](2012/07/02 23:56)
[31] 【人造編・後日談】[散々雨](2012/07/03 00:16)
[32] 【弾丸執事編・序章】『Beginning』[散々雨](2012/08/03 18:43)
[33] 人物設定 [散々雨](2013/06/07 07:38)
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[25741] 【人妖編・第六話】『人妖先生と狼な少女(後編)』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/02/24 00:24
胴切という怪物が動くのか、すずかという少女が斬り殺されるのか、どちらが早いかと言われれば、言うまでも無い。


どちらよりも早く、風を切って奔る金がいる。


「頭下げなさい!!」
突然聞こえた声に、すずかは反射的に頭を下げる。それと同時に彼女の頭上を飛び越し、目の前にいた胴切に向かって襲いかかる獰猛な攻撃。
ガンッという音が響き、胴切の身体が吹き飛ぶ。壊れて廃車となったタクシーにぶち当たり、胴切の口から奇天烈な声が漏れる。
すずかが頭を上げると、目の前には自分と同じ制服を来た少女―――アリサが立っていた。
「バニングス、さん?」
「立てる?立てるならさっさと逃げなさい」
アリサは胴切から眼を反らさず、構える。しかし、その顔には冷たい汗が流れていた。阻原因はすぐにわかった。
すずかの眼に赤い液体が写る。それはアリサの足から流れ、彼女の履いている靴を真っ赤に染めていた。
「その足……」
「大丈夫。ちょっと思った以上に鋭かっただけよ、アレの身体がね」
タクシーが電柱に激突した音は、アリサの耳にも入っていた。
何が起こったのかはわからなかったが、本能的に何かを察知したのだろう。
アリサは即座に駆けだし、すずかと、すずかに襲いかかろうとしていた怪物を目にした瞬間―――すずかの頭上を飛び越えて胴切に蹴りを叩きこんでいた。しかし、それが仇となった。
胴切の胴体は刃で構築された鋼にも似た性質。そして、それに触れた者を問答無用で突き刺す鎧と化していた。
結果、アリサの足には胴切の身体の一部、胴体に生えていた刃が突き刺さっていた。
「それよりも早く逃げなさい……邪魔よ」
「で、でも―――」
「良いから逃げなさい!!」
アリサが叫ぶと同時―――胴切は跳び上がり、アリサに襲い掛かる。
小さく舌打ちをし、アリサはすずかを抱えてその場から跳ぶ。だが、今日は前回の時とは違い、空には半分以下の月、三日月が上っていた。
ソレが原因で彼女の脚力は胴切の身体能力の半分以下―――恐らくは、胴切になる前に少女よりも下だったのだろう。
胴切は上昇した身体能力をフルに使い、地面に斬手を叩きこむ。コンクリートで舗装された道路は豆腐の様にスッと切られた。そしてすぐに斬手を抜き取り、後方に飛んだアリサを追撃する。
アリサの腕にはすずかがおり、未だ跳んだまま。跳んだままで方向転換など出来ない事は物理的法則が教えてくれる。
故に、彼女に出来る事は跳んだまま―――すずかの身体を道路に向かって放り投げる事だけ。
放り投げた事で空になった腕で、突き出された斬手を受け止める。白刃取りの用量で斬手を両の掌で挟み込む。
「――――ぅくあ……ッ!」
挟み込んだ手の甲から刃が伸びた。胴切の斬手は掌、甲、両方に鋭く尖った刃が生えている。その手を挟みこめば、結果的にこうなる事は眼に見えていたが、あのままでは確実に胴体を突き刺されていた。
両の手に刺さった刃を抜く暇はなく、胴切は空いた片手で貫手を繰り出す。五本の指は針の様に尖り、そして長い。
斬ッと突き出される斬手。
真っ直ぐにアリサの頭部を狙ったソレを、アリサは蹴り上げる事で回避する。だが、それもまた悪手となるのだった。
アリサが蹴り上げたのは、胴切の肘。グンッと進行方向が代わり、貫手はアリサの頭部を擦るだけで済んだ。だが、蹴り上げたには更に深いダメージを負う事になった。
だが、それでも攻撃の手を緩める事は出来ない。
手に刺さった刃を抜き、蹴り上げた足を戻して頭部に踵を叩きこむ。
血が飛び散る―――アリサの足から。
これで三回。
三回の攻撃で片足は深刻なダメージを負う事になった。
だが、それは無意味には終わらない。頭部に叩きこんだ一撃で、胴切の頭部にある刃の一部を破壊。そこへ身体を回転させてのバックブロー。
拳の痛みは忘れる。
今はこの胴切をどうにかする事の方が先決だ。
だが、それでも今のアリサには荷が重いのも事実。満月のときの彼女の力ならこの程度の相手にここまでダメージを負う事はない。そもそも、満月の時のアリサの身体能力の向上は再生能力にも比例する。
胴切と距離を取り、片足に感じる激痛。満月時なら即座に回復を開始していたであろう傷は、一向に治る気配はない。
足下に真っ赤な水溜りを作る。
「これは……ちょっとヤバいわね」
苦笑できるだけ、まだ余裕はある。その余裕もハリボテであるのは明確。アリサの視界には未だにすずかがいる。そして、その後方に新しい邪魔が入る。
「すずかちゃん!!」
「なのはちゃん!?」
なのはが追って来たのだ。
今度は大きく舌打ちする。
胴切は刃で出来た銀の瞳でアリサ、すずか、そしてなのはを見る。
「な、なに……アレ?」
震える声でなのはは胴切を見つめる。それはすずかも同様だった。如何に夜の一族、月村の名を持つ少女だとしても、戦闘経験など殆ど皆無に等しい。つまり、足手まといには変わりは無い。更に、アリサが見てきた限り、人並み以下の運動能力をもってしまっているなのはもいるのだ。
「手札は最悪―――でも、やるしかないか……」
足の痛みは忘れる。
「アリサちゃん!!」
「うっさい!!さっさと逃げなさい!!」
血が漏れる足で――地面を蹴りつける。
今は二人が逃げる時間を稼ぐしかない。
胴切の身体が横に回転し、鋭い鞭の様な尻尾が飛んでくる。その一撃を頭を下げて避け、懐に入り込む。
構えるのは右手。
恐らく、撃てば刺される。
「だから――――」
しかし、迷いなどない。
「どうだってのよぉおおおおおおおッ!!」
轟ッと響く爆音と衝撃。
今の渾身の一撃を胴切に叩きこむ。胴切の口から耳障りな悲鳴が轟き、身体が宙に浮き上がる。浮き上がった身体に同じく右手でアッパーを叩きこみ。それから肘で再度追撃。空中で動きを止めた胴切を追い越す様に跳び上がり、
「潰れ――――ろッ!!」
両足で背中を蹴り抜く。
地面に叩きつけられた胴切は大きくバウンドし、そのがら空きの胴体に再度右手を打ち込む。
地面に亀裂が走り、胴切の身体にめり込む。結果、右手は完全に使い物にならなくなった。
胴切から距離を取り、動かない二人を睨みつける様に見て、
「逃げるわよ」
そう言って走り出す。
二人はその後を追う様に走りだすが、なのはは脚がもつれて転びそうになる。それをすずかが支え、二人は手を繋いで走りだす。背後で倒れた胴切を見ると、ゆっくりとたが動きだす姿を見て、二人は顔を真っ青にしながら懸命に走る。
先頭を走るアリサは周囲を見る。
こういう時は人気の多い場所に行くのは不味い。あんな化物を人の多い場所に向かわせたらそれこそ大惨事になる。だからと言って此処から警察がいる場所まで逃げるのも得策とは言わない。
走りながらも足には激痛が続く。そして、右手はそれ以上に出血している。自分の眼で見ても眼を背けたくなる程の怪我だった。恐らく、肉がズタズタになり、骨も何本か折れている。折れているだけならいいが、下手をすれば切断すらされているだろう。
「なんだってのよ、あの化物は」
とりあえずわかる事は、あの化物はすずかを狙っている事。そしてその能力は並の人妖では歯が立たないという事。そして、恐らくは最近この街を騒がせている殺人鬼はアレに違いない。
「あ、アリサちゃん。その手……足も!」
なのはの悲痛な声が耳障りだった。手の怪我を抑え、無言を突き通す。
「治療しないと」
「そんな暇はないわよ。グダグダ言っている暇があったら走りなさい!!」
背後には耳障りな刃物の音が響いている。追ってきている。自分とすずかを追ってきているに違いない。
その原因の一つは自分の足の怪我だろう。思った以上に傷が深いのか、走る度に地面に血が零れ堕ちている。コレを辿れば馬鹿でも後を追ってこれるという話だ。
だとすれば、
「高町、月村。次の曲がり角でアンタ等は左に逃げなさい。私は右に行くから」
二手に別れるしかない。そして、相手は確実に自分の方に来る。
「で、でも、それじゃバニングスさんがアレに―――」
「それが狙いだって言ってんのよ。それとも何?アンタがアレの相手をする?言っておくけど、アンタじゃ無理よ」
もっとも、今の自分でも無理だ。
「このままじゃ絶対に追いつかれる。だから二手に分かれる。アンタ等の生存確率は私よりは高いし、アンタ等が居ない方が私の生存確率は少しは上がるわ」
我ながら冷静にだとアリサは思った。
死の恐怖がないわけじゃない。ただ、こういう場面にはそれなりに慣れているのも事実。その理由はこの二人には言えないが、経験からわかる。
このままじゃ、三人とも死ぬ。
「そんなのダメ!!」
なのはが叫ぶ。
「アリサちゃんを置いて逃げるなんて……」
「そ、そうだよ!そんなのは駄目に決まってるよ!」
あぁ、五月蠅い連中だ。
アリサは二人を睨みつけ、叫ぶ。
「邪魔なのよ、アンタ等二人は!!」
そう言って曲がり角に差し掛かると二人を無理矢理右方向に押し出す。
「私の足手まといになりたくなかったら、さっさと逃げなさい!!」
二人は中々その場から動こうとしない。
まったく、なんて鈍い連中だ―――だから、
「―――――大丈夫よ」
だから、こうして笑ってやれるのだろう。
「あんな化物に殺されるほど、私は弱くないわよ」
そう言って走りだす。背後から二人の声が響くが無視する。そして、躊躇するようだが走りだす足音が聞こえた。
これで安心できる。
五月蠅い連中だ。自分の心配をする暇があったら、自分達の生存確率を上げれば良いモノをと考える。
本当にお人好しな馬鹿だ。

「だから……守らなくちゃいけないじゃない」

足を止める。
周囲には誰も居ない。
あるのは建築途中の鉄筋がむき出しのビルだけ。
そこでアリサは相手を迎え撃つ。
他人なのだ、あの二人は。
友達でも家族でもない、唯のクラスメイトに過ぎない。
そんな者の為に命を張るなんて馬鹿らしい限りだ。
孤独であり孤高。
他者と共にいるのではなく、一人で迎え撃つ。
何の為に―――守る為だ。
あぁ、わかっているとも。

わかっているから、見捨てられなかった。

自分でも認めたくない本当の自分の一部がコレだった。コレがあるから、数日前にすずかを助けてしまったのだ。
唯、満月だから助けた――言い訳だ。
唯、顔見知りだから助けた――これも言い訳。
何を言っても言い訳にしかならない。
だから正直な気持ちで言葉にするしかない。
「高町の言う通りね。私、全然自分の事がわかってないわ」
笑ってしまう。
こんな時になってようやく認める気になれた。
地面を刺す音が聞こえる。
「結局、こういう事しか出来なかったのよね……私、結構臆病なんだ」
音は自分の元に近づいている。
「何が友達の作り方を知らない、よ。ただ作る勇気がなかっただけじゃない」
音が、目の前で止まった。
「ねぇ、アンタもそう思わない?」
胴切へ話しかける。当然、相手はこっちの言葉などわからず、首を傾げている。言葉が伝わっていないのではなく、この状況で清々しい笑みを浮かべているアリサが奇妙に思えたのだろう。
「――――本当は誰かの傍に居たかった。でも、その勇気がなかった。話しかける勇気も、行動する勇気も私に無い。だから月村が羨ましくて、周りが羨ましかった」
暗い空には月がある。
手を伸ばしても届かない月。
だが、本当は届くのだ。どんなに遠い月だろうと、星だろうと、届くかもしれない。届かないものだと決めつけ、手を伸ばす事すらしない愚か者には、届く可能性すら在りはしない。
「だからなのかな……綺麗だと思った。尊いと思った。友達がいる人達みんなが綺麗で大切な者に思えてならなかった……そう思えたから―――守らなくっちゃと思った」
奪われるのも壊されるのも嫌だった。
高町なのはという友達を得た少女の笑みを、壊してはならないと思った。
だから助けた。
勝手助けて、勝手に見ていた。
「アンタはどう思う?こんな馬鹿みたいな私の事を……」
胴切は答えない。
代わりに刃で出来た舌を伸ばし、唸る。
言葉は通じない。こちらに伝わるのは背筋が凍るような殺気だけ。恨まれる筋合いはないと思うが、薄々は感じている。
アレは、目の前にいる化物は、数日前に自分が病院送りにした人妖の少女だったのだろう。
確信は無いが、そんな気はする。
「――――壊させないわよ」
意思は込める。
ガラクタな手に力を入れ、ズタズタな足に踏ん張りを利かせる。
この先は通行止め。
この先の向こうは自分やお前の様な者の歩む道ではない。
「絶対に、壊させない」
どうしてか、この時に脳裏に浮かんだのは虎太郎の言葉だった。
この街を好きになりたい。この街が嫌いなら一緒に好きにならないか。そして、言葉にある別に意味―――これは走馬灯になるのかは知らないが、今だけははっきりとわかる。
自分はきっとこの街が嫌いなのではない。この街に居る人々は外の世界と変わらず誰かと共にある。そんな当たり前の事が出来ない自分が嫌いで、それが出来ている周りが羨ましくて、だから嫌いになって―――それでも、そんな嘘には誤魔化されなくなっていた。
一緒に好きになる事なんて出来ない。
何故なら、最初から好きだからだ。
外にも出れない、外から憎悪を受ける、しかし中では生きている人々がいる。
「来なさいよ、化物……相手してあげるわ」
少女の決意に、薄らと瞳に赤い色を宿す。
本来の力には程遠い赤だが、後は意思で補うだけ。
負けは考えない。勝ちも考えない。

考え、そして守るべきは―――他者の絆。

アリサという人妖の意味。アリサという人間の意味。アリサという存在の意味。ソレを今、この場で叩きつける事にしよう。
胴切とアリサ。
怪物と人妖。



互いは互いを障害とみなし―――激突する。









【人妖編・第六話】『人妖先生と狼な少女(後編)』









虎太郎は一人家路に着く。
元々は日が暮れる前に帰るはずだったのだが、とある場所に寄っていたせいで帰りが遅くなった。しかし、その成果は上々だった。
その成果は彼のビニール袋の中に入っている代物―――言いかえれば、景品である。
軽く捻って銀の玉を飛ばして、穴に入れて抽選して、数字が三つそろって万々歳。
むふふ、と間抜けな笑みを浮かがら煙草を咥え、その笑みを隠して無表情で歩く。
周囲には誰もいない。実に静かなものだと小さく笑みを零す。だが、この静けさの裏には闇が在り、今もこの街を騒がせている。その原因となるのは謎の殺人鬼。刃物で人々を次々と惨殺する怪物。
「―――――」
家に向かう足を止め、周囲を見回す。
「―――――」
人の気配はない。
「―――――」
しかし、何かがいるという事だけはわかる。
「―――――」
これは、何だと考える。

「――――――――――――――――――俺に何の用だ?」

ヌッと背後で影が動いた。
影は虎太郎の背にある影から生まれた様に蠢き、形を成す。
ソレは影でありながら人の様に動き、人の様に嗤っていた。
『―――――加藤虎太郎さん、でよかったですか?』
聞こえたのは機器で加工したような声だった。その声は虎太郎の背後にある奇妙な影の口から洩れていた。
「そうだが……お前は誰だ?」
『誰でもいいではないですか。私はただ、忠告に来ただけです』
「忠告?」
影が頷き、虎太郎の耳元に這い寄る様に囁く。

『月村に手を出してはいけません』

なるほど、確かに忠告だと思った。
「それはどうしてだ?」
『理由は一つです。月村という存在自体がこの街に平和を崩し、全てを破壊するのです』
「全てを破壊とは、また大きく出たな」
『嗤い事ではありませんよ。私が言っているのは事実です』
「アイツ等がそんな奴等には見えんがね」
『それは見せかけです。如何にアレが人間の姿を取っていようとも、人ではない。人妖でもない。紛れもない怪物だ。月村忍という女も、月村すずかという少女も―――互いに怪物でしかない』
虎太郎は煙草を地面に吐き捨てる。
「お前、何様のつもりだ?」
そして、その声には静かな暗さが籠っている。
『私は唯の忠告者です。アナタの為、街の為にね』
「だったら大きなお世話だな。俺は俺の意思で相手を選ぶ。お前の言葉を素直に受け取って、はいそうですかって頷くわけにはいかないな」
『それはそうでしょう。ですが、それは間違った考えです……月村は化物の一族だ。アレは根絶やしにしなければ海鳴の街に未来はない』
妙に力強く力説する影。だが、それは何処か焦っている様にも見える。
『出来れば、アナタは私達側について欲しい。ですが、アナタは一般市民。唯の一介の市民に過ぎないアナタを危険な目には会わせられない―――それ故の忠告です』
「そうかい。それはありがとう―――そして、大きなお世話だ」
コレ以上は話す気はない、と虎太郎は歩き出す。
『お待ちください。私の話をちゃんと聞いていましたか?』
「あぁ、聞いていた。聞いていたからこそ、こう答える」
周囲の空気が重くなる。
それを一番に感じたの―――影だった。
影が焔の様に揺らめき、形を崩そうとしている。
「――――人の生徒を悪く言う貴様の言う事を、わざわざ聞いてやる程、俺は暇じゃない」
眼鏡の奥の瞳は、猛獣の様に鋭く光る。
『アナタは、わかっていない』
「わかってなくて結構。俺は俺の眼で見た事しか信じない。少なくとも、お前の言う事を信じよりはよっぽど自信があるぞ、俺の眼は」
『化物を庇うのですか?』
「生憎、いい女の味方なんでな」
『…………なるほど、良くわかりました。アナタはあちら側の人妖というわけですか』
「あちら側とかこちら側とか、一々線引きしないと何も出来ない阿呆とは仲良くする気はないね」
馬鹿にした発言に、影の声が微かに震える。
『私は善意で教えてあげたのに、阿呆呼ばわりですか』
正常な精神を保とうとしている様だが、虎太郎の耳に届く声からは確かな怒りが感じる。
だからそれを助長させてやる事にした。
「あぁ、阿呆だな。お前は人類最高の阿呆だ」
『………………口を慎め』
ほら、あっさりと地を出したと虎太郎はほくそ笑む。
『人が下手に出ていれば良い気になって……いいか、人妖。私はお前と違って【高貴なる者】だ。貴様の様な一人妖風情が私に楯突く様な発言をしていいと想っているのか?』
「阿呆に阿呆と言って何が悪い?文句があるなら姿を現せ。人の影に忍しか能のない阿呆の相手をしている程、俺は暇じゃない」
影が震えている。怒りによる震えは影の形を崩す。どうやら相手の力は精神の高ぶりによってあっさりと崩れ去る程の力らしい。もしくは、それを扱う事すらままならない雑魚なのどっかだろう。
『後悔するぞ』
「させて見ろ」
すぅっと影が消えた。残るのは虎太郎の影だけ。背後を見ても誰も居ない。周囲を見回しても同じだった。
「さて、まさか本当に俺に接触してくるとはな……」
こればかりは驚いた。予想外というわけではないが、こんな【迂闊な事を平然としてくる】とは思ってもみなかった。
「やれやれ、だな」
無駄な時間を過ごした、と虎太郎は頭を掻き、

「―――――ご苦労様です、先生」

その背後で静かな声が響く。
虎太郎は肩をすくめて背後を見る。
そこには先程まではいなかった白銀色の髪をした女が立っていた。
「向こうは随分とおバカさんだったようで、先生の手を借りるまでもなかったですね」
虎太郎をそう呼ぶ女は二十代前半と若い。背はあまり高くないが、スラッとした身体はモデルの様にも見えるだろう。もっとも、モデルというには少々身長は足りないし、胸の脹らみ足りない。
「そうかい、それは良かったな……」
そう言って虎太郎は手に持っていた袋の中からホットコーヒーの缶を取り出し、女に向けて放り投げる。女はそれを片手で受け取り、
「本来なら私がお礼する側なんですが」
「生憎、俺は自分の受け持った卒業生から施しを受ける気はないがね」
卒業生と虎太郎は言った。
女は微笑み、
「ですが、双七くんからは随分と巻きあげている様ですが?」
「あれはあれだ。言っておくが、別に俺がだらしない人間というわけじゃない。如月に世間の荒波に呑まれない様に鍛えてるんだ」
どの口が言うのか、女はやれやれと首を竦める。

「まぁ、それはさておきだ――――これで良いんだな、トーニャ」

「問題ありません。相手は確実にこちらの網にかかりました」
女は悪巧みが成功した子供―――どころではない。悪巧みが成功した悪徳金融の社員の様な笑みを浮かべる。それを見た虎太郎は、彼女に行った自分の教育方針は本当に間違っていないか心底不安になった。
女の名はアントニーナ・アントーノヴナ・ニキーチナ―――通称トーニャ。国籍はロシア。虎太郎が神沢学園でかつて受け持っていたクラスの卒業生である。
「―――にしてアレだな。久しぶり顔を出したと思ったらいきなり囮になれとはな……お前、教師を何だと思ってるんだ?」
「生憎、使える物は何でも使うタチでして。永久子狐からバカップル夫婦まで」
「殆ど如月家だな」
「幸せなんてぶっ壊すべきだと思いません?」
「そういう事を平然と口に出すような教育をした覚えはないんだがな」
彼女の口の悪さは昔から変わらない。というより、かつての恩師との感動の再会でいきなり、
『先生。ちょっと囮になってください。大丈夫です。危険じゃありません、全然危険じゃありません。何かあっても先生が頑張れば乗り越えられますので頑張って囮になりましょうレッツらゴー!!』
というこっちの話をまったく聞かない強引な言葉だけで虎太郎を囮にしたのだ。もっとも、それを平然と受け入れる虎太郎も虎太郎だった。
「理由はさっぱり教えてくれんようだが……なにか変な事に首を突っ込んでないだろうな?」
「変な事には首を突っ込んでいません。むしろ突っ込まれる側?いやん、先生のセクハラ~!!」
「突っ込まんぞ」
「……ッチ、これかだから中年は」
本当に自分の事を教師だと想っているのだろうか、この女は。
「まぁ、いいです。先生のギャグセンスとツッコミセンスは皆無だという事は学生時代から知っていました……先生、少しは如月くんを見習ったらどうですか?」
「それはお前の被害者になれという事だな。あぁ、それはお断りだ。お前の担当は昔から如月と如月妹の係だ」
「トーニャ係ですか……ふむ、随分とダンディな香りがします」
どの辺にダンディな香りがあるかは知らないが、こういう所は昔と変わっていないので安心する。そして、少しだけ進化している様で不安になる。
「話が全く先に進まないから、勝手に進めるが―――」
「いえ、もう少しやりましょう。学園生活が懐かしくて悶々してきました」
「女が下ネタを口にするなよ」
「え?こういう女は嫌いですか?」
「人をからかって面白がる女は好きじゃないな……嫌いでもないが」
一向に話が前に進まない。
「それで、今度はどんな厄介事に首を突っ込んでるんだ」
「いやん、突っ込むなんて先生の―――」
ゴンッと脳天に拳骨を炸裂。
もんどりをうって転がるロシア女。
「……………せ、先生。幾らなんでも元・生徒に手を出すのは如何なものかと……あと、しっかりと拳を石化しないでください」
「いい加減に話せ。今度は手加減なしでいくぞ」
割と本気な口調で言う虎太郎に、流石にふざけるのを止めたトーニャはやれやれと首を振りながら立ち上がり―――真剣な表情を浮かべる。

「――――先生はバニングスという者を知っていますか?」

バニングス―――知っていないはずがない。
「知っているか、知らないかなんて、既に調べが付いてるんだろ?」
「えぇ、不躾ながら調べさせてもらいました。お叱りは後で受けます―――逃げますけど」
「あぁ、後にするよ―――逃がさんからな」
真面目にやる気がある様にない元・生徒だが、その眼にはふざけるという態度は無い。
「数日前、この街にある機関の工作員が潜入しました。目的はある実験体のテスト、という題目らしいです」
「実験体?」
何やらキナ臭い匂いがしてきた。
「えぇ、実験体です。といっても、実際は実験体のテストではなく、その機関が極秘で作り上げた薬のテストというのが正しいのでしょうね。実験体はその薬を打ち込む為のモルモットというわけです」
トーニャの顔が歪む。
怒りという表情だ。
「実験体は機関が数年前に誘拐した少女。その少女は幼くして人妖病が発病し、国の病院に閉じ込められていました。ですが、それはあくまで治療という目的の為です。その国では人妖病を治す為の研究を進めている為、少女は酷い扱いを受けてはいません――――少なくとも、その病院に居た時は……」
「誘拐された後は違うってわけか」
胸糞悪い話だった。続きを聞く気も失せる程に吐き気がする。そういう連中は大半はマモトじゃない。自分達をマモトだと思うのではなく、人とは違う相手をマトモだと思えない異常を持っている。
「私達の調べによれば、工作員と少女はこの街に来る前にある人物と接近していました」
「それがバニングス、か?」
「正確に言えば少し違いますね。バニングスに関係のある者としかわかっていません。その者の狙いは、この街の支配者の一つである月村の令嬢、月村すずかの殺害」
殺害という言葉に、無意識に拳を握る。
「もっとも、それはどうやら失敗した様ですがね。詳しくはわかりませんが、邪魔が入って断念した様です―――ですが、それはあくまで接触した相手に理由です」
「工作員の任務は薬の実験。月村の暗殺はついでというわけか……」
「ついでというよりは、最後のチャンスだったんでしょうね。そんなチャンスを与える気もなかった癖に……」
最後のチャンスとは、想像だが工作員にではなく実験体の少女のチャンスだったのだろう。仮にすずかの暗殺に成功しても失敗しても、結果は変わりはしない。
「――――通り魔の正体は、その少女なのか?」
「恐らくは……最初の事件のあった病院を調べて見ましたが、国籍不明、名前もわからない少女が運び込まれたという履歴がありました。それを見る限り、工作員が連れて来た実験体の少女である事は確定でしょうね」
とある機関の工作員。
とある機関が開発した薬。
とある機関が誘拐した少女。
その三つが海鳴の街を騒がせている通り魔殺人事件に繋がっている。
「先程、俺に接触してきたのは、その工作員か?」
「いえ、恐らくは工作員に接触した者でしょう。詳しい能力はわかりませんが、頭の緩いおバカさんである事は明確です。今、兄さんが後をつけています」
パーツが少しずつ揃っていく。
この街で起きた事件。
詳しく、そして早すぎる報道。
バニングスに関係があり、月村を狙う者。
「……なるほど、そういう事か」
「接触した者の狙いは月村の暗殺ですが、どうもそれだけじゃない気がします。これは私の想像なのですが、月村の暗殺を皮切りに何かをしようとしているのではないかと思われます――――恐らくは、両者の激突を」
それは想像などでは済まないだろう。
必ず起きる事だ。
すずかを殺されて、その原因がバニングスにあると【勘違い】すれば確実に抗争が起きる。話だけで聞いた、十年前の冷戦などという生易しいものではなく、血で血を洗う抗争が勃発するだろう。
「十中八九そうだろうな。まったく、嫌な予感ばかり当たるのが恨めしいよ」
だとすれば時間は少ないのかもしれない。
月村は忍がどうにか抑えているが、バニングスはどうかはわからない。虎太郎の知っているバニングスは、自分が担当するクラスの生徒、アリサだけ。
下手をすれば、すずかとアリサの関係が最悪な事になる可能性だってある。
「――――トーニャ。その少女は今何処にいるかわかるか?」
止めなければならない。
その火種になる少女を。
だが、トーニャは申し訳なさそうに顔に影を落とす。
「すみません。私達は昨日ようやく海鳴に入ったばかりなので、この街での情報収集は始まったばかりなんです。ぶっちゃけ、先生に協力してもらわなかったら黒幕を探す事に難しかったのかもしれません」
「俺が月村と関係があるというのは、知っていたのか?」
「えぇ、それはまぁ………でも、実際は知っていたわけじゃありませんよ」
顔には影がある。だが、顔を上げれば写るのは虎太郎の顔。その顔を見れば微かだが希望が感じられた。
「勘、でしょうか」
だからトーニャは言う。
「先生のクラス名簿は元から入手していました。その中にバニングス、月村の名前があったら――――絶対に先生はその二人に関わっていると思っていました」
自信満々に、それを誇るべきだと胸を張る様に、

「だって、先生は私達の先生だったんですから……」

正直、そう言われた瞬間に笑みを零す事が我慢できなかった。数年前とはいえ、トーニャは自分の元から巣立った。巣立てばそこからは自分の力が無くとも世界で生きる術を見つけ、生きていくだろう。故に教師であり、生徒達に関係する事が出来るのは高校三年間だけだった。
だが、それでもトーニャは未だに自分の事を先生だと言う。トーニャだけじゃない。如月双七も、如月刀子も、如月すずも、そして、トーニャも。それだけじゃない。沢山の卒業生が自分の事を忘れていない。自分が教鞭を振るい、関わってきた過去を捨て去る事なく未来に生きている。
それを喜ばない教師はいない。少なくとも虎太郎はそう思う。
「――――まったく、嬉しい事を言ってくれる」
「ふふ、泣いてもいいんですよ、先生」
「馬鹿たれ、お前みたいなジャジャ馬生徒の言葉一つで誰が泣くか」
自分は教師だ。
すずかとアリサは自分の生徒だ。
それだけで、動く理由にはなる。
街を支配する二つの勢力の激突は、この街にとっては死活問題になっているのだろう。だが、そんな事は二の次でいい。今自分がすべき事は大切な生徒を守り、最悪なんていうクソッタレな未来を殴り飛ばす事だ。
「トーニャ、悪いが付き合ってくれるか?」
「それはこちらの台詞です。私達の問題に、首を突っ込んでくれますか?」
互いに互いの答えを知っている。
トーニャの目的はこの街に入り込んだ機関。
虎太郎の目的は月村とバニングスに抗争をさせようとする黒幕。
間に合うかどうかはわからない。しかし、絶対に間に合わせるという覚悟を持って挑む。
来て一か月も満たない街だが、これから好きになれる街だとは思う。だから動き、そして止める。
「それじゃ、とりあえずはその少女を探す所から始めましょう。黒幕の狙いは兄さんに任せます」
「あぁ、そうしよう。だったら、とりあえず忍の所に―――」
タッタッタ、と小さな足音が聞こえた。
荒い息を吐きながら、薄暗い道の先から小さな影が走ってくる。
その影は自分の前方にいる虎太郎を見て、
「虎太郎先生!!」
と叫んだ。
その声は知っている。
忘れるわけがない、知らないわけがない、アレは自分の生徒の一人だ。
「高町!?」
向こうからフラフラになりながら、なのはが走って来た。
なのは一人、走って来た。
その前にも、後ろにも誰も無い。
彼女一人だけだった。
なのはは虎太郎に抱きつき、
「助けて……」
顔を上げて懇願する。

「アリサちゃんと……すずかちゃんを助けて!!」

その言葉で十分だった。
何が起こったのかを想像するには十二分だった。
詳しい話は途中で聞けばいい。虎太郎はなのは抱き上げ、トーニャに視線で会話する。
トーニャは頷き、虎太郎と同時に走りだす。

夜の海鳴の街を、三日月が光る街を―――二人は駆ける。






アリサの身体の事がバレたのは六歳の時。
それが原因で母が泣いたのは六歳の時。
周囲の眼が変わったのは六歳の時。
周囲を見る眼が変わったのは六歳の時。

母が死んだのは、六歳の時。

覚えている。
忘れられるわけがない。
あの日の事は忘れる事なんて出来はしない。
確か、満月だった気がした。満月の光を見ながら、寝室に籠った母の大事を願った。子供の自分にはそれだけしかできない。だからアリサは神に祈る様に願った。
使用人達は忙しなく動き周り、アリサの事など眼にも入っていなかっただろう。もちろん、そんな事は良い。何の問題もなかった。だから願うしか出来なかった。何に祈る事が一番得策なのかもわからず、神という曖昧な者に頼り―――そして、裏切られた。
アリサが母を見た最後の姿は、眠る様に、もしかしたら明日の朝には眼を覚ますかもしれない、そんな清々しい寝顔だった。だからアリサは誰しもが無言の中でベッドに眠り母に歩み寄り、その身体を揺する。
何度も何度も揺すり、そして語りかける。
何と言ったのかは忘れてしまった。恐らく、他愛もない事だったのだろう。もしくは子供らしい母への願いだったのかもしれない。
絵本を読んでほしいと言ったのかもしれない―――返事はない。
怖いテレビを見たので一人でトイレにいけないと言ったのかもしれない―――返事はない。
怖い夢を見たから今日は一緒に寝て欲しいと言ったのかもしれない―――返事はない。
明日は一緒に何処かに遊びに行きたいと言ったのかもしれない―――返事は、ない。
嫌いな食べ物も残さず食べる様にすると言ったのかもしれない―――返事は、ない。
良い子にするから、我儘を言わないからと言ったのかもしれない―――返事は返ってこない。
ママを泣かせてごめんなさい、と言ったのだけは覚えている―――だが、返事は返ってくるはずはない。
母にねだった。
何でも言う事を聞く、良い子になる、勉強もいっぱいがんばる―――だから、返事を返してほしい、そう言ったのは覚えている。
母は答えない。
視界が歪み、霧がかかった様に母の姿を隠す。
揺すっても言葉をかけても何をしても母は起きない。
使用人も、医者も、母も、何も言ってはくれない。
「――――――アリサ……」
大きな父の姿あった。
走って来たのか、それとも何かの事故に巻き込まれたのか、赤いスーツはボロボロで頬には切り傷があり、頭からは血を流している。その姿を見た使用人は何かを言っているが、父はそんな言葉には眼もくれず、眠っている母と、それに縋るアリサを見た。
父はアリサを抱きしめはしなかった。母の死に涙を流す事もしなかった。
ただ、アリサに向けて一つの言葉を紡ぐ。

「汝、孤独で在れ……汝、孤高で在れ……」

そう言ってアリサを撫で、部屋から出て言った。
それっきり、あまり父は家に帰ってはこなかった。時々連絡をしてくるし、手紙だって送ってくる。
だが、本当に必要な時にはいなかった。
小学校の入学式―――アリサは使用人も連れず、一人で門をくぐった。
授業が始まり、始めてのテストで満点を取った―――それを誰にも言わず、ゴミ箱に放り捨てた。
授業参観の知らせを貰った―――海に向かって放り投げた。
運動会の日―――周りの家族の姿を見ながら一人でお弁当を食べた。
家に帰っても数人に使用人がいるだけ。それは家族でありながら家族ではない。一番欲しかったそれは既にこの手にはなく、あるのは空を切る虚しい手だけ。

そして、学校で喧嘩をした。

喧嘩なんて言葉では済まない事をした。理由はわからないし、始まりも終わりも覚えていない。怪我をさせたし、怪我もした。教師も使用人も心配をした。だからアリサは何となく電話をかけた。
父に、電話をかけた。
心配するだろうか、怒るだろうか、理由を聞いてくれるだろうか、何か言ってくれるだろうか――――電話すら、繋がらなかった。
母を助けた日から全てが変わった気がした。それは決して気のせいではない。絶対に違うとは言えない。誰かが否定しても、結局はそれだけの事で心には届かない。
だからアリサは一人になった。
父の言葉の通り、孤独になり孤高になった。
友達もいない。
学校では常に一人だ。
周りを観察するだけで、自分から行動する事なんて一度も無く、まるで川に流されている木の葉の様な気分になった。
だからわからなかった。
一人でいる事が多過ぎて、一人ではいけない理由がわからなかった。
教師や生徒が友達の大切さなどを語ってもわからない。所詮は言葉でしかなく、実際に体験もした事がないものでしかない。
現実味のない光景だった。
世界が自分を取り残した様でもあり、自分が世界から逸脱した様な気分でもあった。
その原因は誰のせいでもない。何時だって自分一人に問題があったのだ。
母を守ろうとして、嫌われた。
嫌われたから、きっと誰にも嫌われる。
嫌われる事がわかっているから、誰にも心を開けない。
自分を好きにはなれないし、誰も好きになれない。
それがアリサ・バニングスという自分自身の意味。
絶対に変わらない、最低な意味だった。

「――――――全然わかってないよ」

素直に頷こう。
自分は何もわかっていない。
わかる筈がない。
なにせ、自分は常に自分の殻にこもってばかりだったからだ。
勝手に悟って勝手に諦め勝手に荒んで勝手に堕ちて―――全てが勝手に悟り切った代償だったのかもしれない。
わかっている。
最初から間違った悟りを開いたせいで気づかなかった。
自分という個人はこんなにも馬鹿で弱くて、寂しがり屋のウサギだと思っていた。
ウサギは寂しいと死んでしまう。死ななかった原因は、寂しいウサギの皮を被って逃げていたからだ、隠れていたからだ。

ウサギの皮を被った狼は、寂しがり屋の狼だった。

同じ者達はすぐ傍にいるだけなのに、ウサギの皮を被って自分は別物だと誤魔化していた。群れる事を望んでいるにも拘らず、他とは違うと誤魔化して逃げていた。クラスという群れの中にいるのに孤独だと思い込んでいた。
だが、違った。
そう思っていたのは自分だけだった。
その代償は三年間という時間。
そのツケを払う時は今なのだろう。
誤魔化し、隠れ、そして逃げた自分の最後は―――こんなにも馬鹿らしい最後なのだと嗤ってしまいそうになる。
「……………」
空には星と月。
無限とも思える星が煌めき、その中で三日月は大きく輝いている。
見上げている自分は地面に転がり、身体からは大量の血液が失われていく。
顔を横に向ければ横倒しになった重機。砂袋の多くは破れて煙の様に周囲に砂埃をまき散らす。鉄骨の数本は綺麗に切断され、切断された一本が自分のすぐ横に転がっている。
冷たい鉄に手を触れ、身体を起こす。
動くだけで身体に激痛が走り、視界が横やら縦に、周り出す。
【ギギギギィギィギィ】
耳鳴りに似た声に視線を向ける。
刃の怪物、胴切はひび割れた身体を砂利の山に半分ほど埋もれ、出ようともがいている。あれではすぐに出てきて、アリサに襲い掛かるだろう。そして、ソレに対抗する手段も体力も、今のアリサにはない。
それでも立ち上がる。
靴は真っ赤に染まっている、両足共だ。制服のスカート部分はスリット入ったドレスの様に縦に切り裂かれ、そこから見える幼い足には何か所も刺された痕がある。立ち上がった瞬間に血が垂れ、地面にまき散らされる。
それでも立っていられるのは、どうしてだろうと考え―――わかりきった事を考えるのは馬鹿らしいと考える。
【ぃぎいぎぎぃぎぃぃぃぃッ!】
胴切は山の中から抜け出した。
両腕を上げて構えようとしたが忘れていた。自分の腕はもう使い物にならない。両の甲には風穴が開き、右手は肘から先が上がらず、左手だけが何とか動く程度。こんなにやられたのは初めてだ。
そもそも、満月の日以外で戦闘などして事がない。それ以外の日はどんな事があっても逃げるという選択肢を選んでいたはずだ。だから今まで生きてこれた。
その終わりが今日だというのなら、全部はあの二人のせいだ。
「ほんと……馬鹿よねぇ……私も」
見捨てれば良いのだ、他人だから。
たかだかクラスメイトというだけで守る必要なんてありはしない。今までもそうだったではないか、守るのは常に己一人。誰かの為に自身が傷つくなんて行為は愚か以外のなにものでもないではないか。
「でも、見捨てられなかったなぁ……」
眩しい笑顔を守りたいと思った。
楽しそうにしている姿を守りたいと思った。
自分でも気付かない内に、守ろうとなんて馬鹿な考えを起こしていた。
あの時に償いというわけではない。他人を守れば自分も幸せになれる、変われるかもしれない、なんていう自己犠牲でもない。
踏み出すのは身体が拒否する。しかし、意思を持って身体の怠慢に鞭を打つ。
「ねぇ、アンタはどう思う?」
胴切は答えない。人間の言葉を理解していないのか、ただ佇むだけ。
「私はね、思うのよ……あの子に言われるまで気づかないなんて間抜けだなって、さ」
しかし、理解しなくても困惑はするらしい。
これだけ自分に追い込まれているアリサが、笑っているからだ。
「私は……見てたのよ」
地面に血を滴らせながらも、
「皆が楽しそうにしている姿を見て、心の底から羨ましいと思っていた。あの子達が楽しそうにしている姿を見て、本当に羨ましいと思ってた」
傷だらけになりながらも、
「そう思ってたら……私も楽しくなってた……自分には関係のない他人の姿がよ?私の事なんて関係ないって感じで楽しんでいる皆を見て、なんで私が楽しんでるんだろうって、自分でも不思議でしょうがないわ」
前に進む。
後ろにさがらない。
向かうべき己は常に前。
前に進む意味は、己の意思。
「不思議なのよねぇ……壊れちゃえ、とか。喧嘩しちゃえ、とか。全然、これっぽっちも思わないのよ。思ってもすぐにどっかいっちゃうの。自分の中の暗い考えなんか、皆の楽しそうな姿を見ているだけで消えちゃって、忘れちゃうのよねぇ……なんか、馬鹿みたいだけで、悪くないと思った」
胴切が体勢を低く構え―――跳んだ。
「だから、さ……」
両の斬手でアリサに襲い掛かり―――それを、受け止める。
壊れた両手で、切れ味が鋭すぎる斬手を掴んだ。

「――――守らなくちゃ、いけないんでしょうがッ!!」

力を込めた瞬間、斬手にヒビが入った。
「見捨てられるわけがない!!見捨てていいわけがない!!誰もが見捨てて当然だなんて口にしたら、そんな連中は私が全員ぶん殴る!!」
亀裂は指先から手首まで、
「アンタがあの子達の関係を壊すような事をするなら、私が許さない!!私の眼に見えるのは私の【クラス‐群れ‐】よ、私に大切なクラスメイトなのよ!!」
胴切の口から耳障りな音が漏れるが、それは明らかな驚愕と苦痛。
「孤独が何よ、孤高が何よ、そんな言葉の意味なんて関係ない……」
亀裂が走る。
「孤独だからって守っていけないわけじゃない!!」
刃の亀裂が大きく広がる
「孤高だからって見殺しになんてしない!!」
そして――――粉砕する。
胴切の腕が割れた。指先から肩まで、皮膚の様に覆っていた刃が割れた。ガラスが割れる様な音を響かせ、破片が宙に舞う。
アリサの手の中に残った刃が悔し紛れの様に掌を裂くが、関係ない。痛みも、傷も、流れ出る血も―――全てを握りつぶす勢いで拳を握る。
「アンタに、」
拳を、弓を引く様に引き絞り、
「アンタなんかに、」
全力を込めて、壊れた拳で、未だ無傷の胴切の胴体目がけて、

「壊させて、たまるもんですかぁぁぁああああああああああああああああああ!!」

打ち出す、撃ち出す、射ち出す――――
一撃で胴体に拳を打ち、二撃で胴体に拳を撃ち込み、三撃で全力を込めた拳と云う矢を射る。
全てを討つ為に。
今まで見てきた世界に害を成す敵を、一匹残らず討ち滅ぼす為の力。
それが己の力。
己の為なら諦められるが、他者の為には諦めない己の力。
それは孤独でも孤高でもないだろう。
なら、そんな言葉の意味なんていらない。
意味に縛られ守れない方がよっぽど最悪だ。
「―――――消えなさいよ」
どちらが優勢かなど、他者の眼から見れば一目瞭然だろう。身体を砕かれようとも、身体を覆う刃が再生を始めている胴切。再生などしない普通の人間の様に傷だらけのアリサ。
見比べるまでもない。
考えるまでもない。
「この街から消えなさい……」
人の瞳には輝きがある。
赤い輝きは炎の如く。
烈火の怒りではなく、決意の炎。
満月でもないアリサの瞳は、身体の法則すら無視して輝く。
「何処にでも行けばいい。他の街で好き勝手に暴れたければ暴れれば良い……でも、この街では許さない……私が、許さない」
胴切が初めて後退する。
優勢なはずの怪物が足を前ではなく後方へ。
言い様のない重圧に逃げる様に、後ろへ後ろへと下がっていく。それでも怪物、化物という意味のない誇りの為か、胴切は咆哮する。
咆哮した胴切は再生途中の斬手をアリサに突き出す。
しかし、それはアリサの身体に届く事なく空を切る。
何故なら、



真横から弾丸の如く飛んできた―――すずかによって邪魔されたからだ。



すずかはアリサを抱え、跳んだ。だが、あまりにも勢いをつけ過ぎたのか、それとも怪我をしているアリサを庇ってなのか、背中から地面を擦る様に堕ちた。
「痛たたた……」
突然現れたすずかに、アリサは一瞬呆け、現実に帰った瞬間に、
「な、なななな、」
「なのはちゃんじゃないよ?」
「知ってるわよ!じゃなくて、なんで居んのよ!?」
「何でって言われても――――ッ!?」
話の途中ですずかはアリサの身体を抱えてその場から跳び上がる。今度はキチンと着地する。
「何でって言われても、バニングスさんが心配だったからとしか言えないよ」
当たり前の事をなんで聞くのか、と不思議そうな顔をするすずか。反対に、アリサは不思議そうな顔をすること事態に怒りを感じる。
「馬鹿!大馬鹿!!アンタってそんな馬鹿だったの!?信じられないんだけど!!」
酷い言われ様に、流石にすずかも苦笑する。
「その辺は、まぁ……うん、自覚してる」
アリサを降ろし、胴切を見ながら言葉を進める。
「でも、謝らないよ」
はっきりとした意思を込めた口調だった。
「バニングスさんがこんな無理してるのに、私だけ逃げるなんて嫌だから」
「理由になってない……」
「そうかな?」
まったく理由にはなっていない。あの場で二人を逃がした一番の理由は足手まといを増やさない事だった。アリサ一人なら戦うなり逃げるなり、色々と方法が浮かぶのだが、そこにすずかとなのはがいれば話は別問題になる。
なのはは運動神経が終わっている。これは体育の時間を見ているので確認済み。すずかは身体能力は今のアリサよりは上だろう。しかし、あの状況を見る限りでは戦闘経験は愚か、危険な目に会う事自体に慣れていない様だった。
「足手まといは要らないのよ」
「今のバニングスさんには言われたくないなぁ」
少なくともアリサは重傷だが、すずかは無傷。先程の行動を見る限りでは、確実にすずかの方が動けるだろう。
だが、それ故に逃げるべきなのだ。
胴切が動く。
瞬間、すずかの身体が硬直する。
「止まるな、馬鹿!!」
今度はアリサがすずかを抱える様にして跳ぶ。無論、自身の体重よりも重くなっている状態で跳んだため、足からの出血は更に増える。激痛を噛みしめながらも、アリサはすずかを抱えて建築途中のビルの中に逃げ込む。
「バニングスさん!?」
「騒がないで……」
限界は近い。
出血のためか頭がクラクラする。これは想像以上に身体にダメージを負っていると判断する。それでもアリサは止まる事なく鉄骨を足場に二階、三階と昇っていく。
作業用の足場に降りた瞬間、とうとう足から力がなくなり、その場に倒れ込む。
「…………ヤバ、いわね」
「酷い傷だよ……すぐに病院に行かなくちゃ」
行けるものならさっさと行きたいものだ。だが、追跡者は既にビルの中に侵入している。薄暗いせいかアリサ達の姿を見えていないのだろう。周囲を見回し、一番下をウロウロしている。
「…………」
「…………」
二人は息を殺して視線を下に向ける。胴切は二階に上がる為の足場を探しているのか、同じ場所を行ったり来たりしている。戦闘でわかった事だが、胴切は殺傷能力と防御能力は高いが、運動能力は今のアリサよりも格段に低い。だからアリサの様に鉄骨を足場にして上に登ってくるという芸当ができないのだ。
「…………此処じゃまだ低いわ。もう少し上にいく」
「わかった……」
立ち上がろうとするが、足に力が入らない。手すりを掴んで立ち上がろうとするが、すぐに身体がガクンッと落ちそうになってしまう。そんなアリサをすずかが支え、
「上に登ればいいんだよね?」
と、言ってくる。
あまり頼りたくないが、この状態ではしょうがない。アリサは静かに、という指示を与えるとすずかも頷いて跳ぶ。
跳ぶというよりは飛ぶという表現が合っている気がする。流石は月村、夜の一族の末裔なのだろう。常人よりも上なんていうレベルでは無い跳躍を見せ、一気に六階の部分にまで飛び上った。
「これで少しは時間が稼げるかな?」
「そうね……」
満月時の自分には負けるかもしれないが、今の自分の状態なら負けるかもしれない。もっとも、戦闘経験の差から自分が勝つだろうがな、と意味のない対抗意識が湧きあがってきた。
「――――さっきの続き。なんで来たの?」
「だから、バニングスさんが心配だったからだよ」
またこれだ。
「アンタに心配されるほど、私は弱くないわよ」
ピンチにはなっていたが、逆転だって不可能ではない―――どういうわけか、先程から対抗意識が妙にわき上がってくる。いや、これは対抗意識というわけではない。むしろ、認めたくない何を認めてしまいそうな気分に似ているかもしれない。
「それでも心配だったから……」
「心配だったらこんな危険な所に飛びこむの、アンタは?」
すずかは苦笑して否定する。
「正直、身体の震えが止まらないよ」
そう言ってすずかは自分の手を見せる。綺麗な手は小刻みに震えている。
「怖いなら来なくていいのに……」
「――――バニングスさんは、怖くないの?」
「怖いわよ」
あっさりと言葉が出た。
「怖くないわけないじゃない。あんな化け物を相手にするなんて初めてだし、相手が例え普通の人間でも自分よりも大きければ怖いわ……怖くないのに戦えるわけないじゃない」
「怖いと、戦えるの?」
矛盾している、とすずかは言う。
確かに矛盾しているかもしれない。だが、これは決して全てが間違っているというわけではない。
「怖いから警戒するし、緊張する。初めて出会った相手に警戒も無しに突っこむ馬鹿はいないわ。相手がどう来るのか、こっちの想像の外から来るのか、そんな事を考えていると自然と緊張してくる。この緊張がないとすぐに死ぬでしょうね」
すずかはポカンとした表情でアリサを見る。
「何よ?」
「あ、あの……バニングスさんは何時もこんな危険な、怖い事をしているの?」
確かに普通は疑問に思うだろう。
人妖であってもアリサは小学三年生、九歳の少女なのだ。そんな少女が戦い慣れしています、なんて言葉を普通に言うのはおかしいだろう。
「こっちにも色々とあるのよ。自分の身は自分で守れるくらいじゃないと、逆に危険な事もあるわ」
「それって、どんな事なの?」
「アンタに言う必要はない」
冷たく突き放す態度で言うと、すずかはすぐにシュンッとしてしまった。自分は特に悪い事をしたつもりはないのだが、そんな顔をされると無性に反省してしまいそうになる。
「…………第一、アンタが心配するのは私じゃなくて高町の方じゃないの?あの子、ちゃんと逃げてるんでしょうね」
置いて来た、とか言ったらぶん殴ってやろうと思った。
「えっとね……途中まで一緒だったんだけど、バニングスさんが心配だったからすぐに戻って来たの。多分、安全な所まで行ってたと思うし、私の家の近くだったからそっちに向かって逃げれば心配無いって言っておいたの」
「それで、あの子はアンタが私の所に来る事を心配しなかったの?」
「危ないから駄目だって」
「それじゃ素直に言う事を聞きなさいよ」
「危険なのは、バニングスさんも同じだから」
「だ、か、ら!!なんでアンタが私の心配すんのよ」
話が一向に前に進まない。
すずかは恐る恐るアリサの顔を見る。
「怒ってる?」
「今すぐアンタを殴りたいくらいにはね」
「あうぅ……」
幾ら可愛い仕草で唸っても駄目なものは駄目だ。事と次第によってはタダじゃおかないとアリサは心に決めた。
「――――――謝りたかったからじゃ、駄目かな?」
「謝りたかったから?」
「うん……あの時の事、謝りたかったの」
あの時というのは三年前の事だろう。
「記憶が曖昧だけど、バニングスさんに酷い事したのは覚えてる」
「むしろ、アンタの方が私に酷い事をされたんじゃないの?」
「それでもだよ……ううん、違うね。きっと関係ない。覚えてない事が駄目だし、覚えてないから謝らなくていいってわけでもない。悪い事を悪い事だってわかってるから、ちゃんと謝らなくちゃ駄目だと思ったの」
チラリとアリサを見て、申し訳なさそうに顔を反らす。
「本当はずっと謝りたいと思ってた。でも、前までも私はそれ以前に教室で、みんなと一緒にいる勇気が持てなかった。教室に行ける様になってからも同じ、なのはちゃんが友達になってくれるまで怖くてしょうがなかった……多分、バニングスさんとこうして話す事も駄目だったんだと思うよ」
でも、今は違うとすずかは言った。
「前にね、なのはちゃんに思い切って聞いていたの。あの時の事を謝ったら、バニングスさんは許してくれるかなって」
「そしたら、あの子はなんて言ったの?」
「――――わからないって」
なんだそれは。いや、当然といえば当然の事なのだが、それでは何の解決にもなっていないではないか。
「私もわからない。なのはちゃんもわからない。許すか許さないかはバニングスさんにかわからないって……そしたら急に怖くなったの」
「普通はそうでしょうね。誰だって謝れば必ず許しても貰えるなんて保証がないんだから」
しかし、すずかは頭を振る。
「違うよ。そうじゃないの……謝る事は怖いよ……でもそれ以上に怖いのは―――そのままにしていたら、何も変わらないんじゃないって事」
変わらない事が怖いと口にした。
「変わったつもりだけど、それは【つもり】だけなんじゃないかって。頑張って教室に来れる様になって、友達も出来たのに、変わったつもりなだけじゃ、それが嘘になっちゃうような気がしたの……全部、嘘だと思う事が怖かった」
つもり、になる。
それは自分も同じだった。
悟った【つもり】とわかった【つもり】になっていた自分。それは諦める事と変わらない。自分の場合はそうであり、すずかの場合もソレに近かったのかもしれない。
「すごく自分勝手な事を言ってるのはわかってるよ……でも、それじゃ嫌だったの。言葉にしないて諦めても何にもならない、何にもならない事よりも駄目だって事を知っていたから、尚更嫌だった」
すずかがどうして教室に来れたのか、その理由はわからない。それを知っているのは本人と、多分虎太郎だけだろう。その辺の事を何も知らないアリサだが、何かがあって教室にこれたすずかの―――勇気に似た何かだけはわかっているつもりだ。
つもり、という言葉をまた使ったが、これは前までのつもりではない。
多分、この子は強くなったんだと思う。
強くなれたから、同じ教室にいて、クラスメイトになった。そんなすずかだから友達が出来て、その笑顔を見て、守りたい、助けたいと思った。
「…………」
少しだけ自分に似ていると思った。違うのは、自分よりもソレに早く気付き、気付いて行動に移し、結果を出していると言う事。
「…………羨ましいなぁ」
「え?」
「私、アンタの事が羨ましいわ。私と違って勇気があるし、頭は良いし、可愛いし……ホント、自分が情けなくなってくる」
「そんな事はないよ」
「あるのよ、そんな事もね――――でも、そんなアンタだから言えるのかもしれないわね」
そう言ってアリサはすずかの眼を見る。
綺麗な瞳だった。
汚れていない、輝き始めた宝石の様な瞳。
「―――――私も、そう思うべきだったのよね」
苦笑して、血で染まった手ですずかの手を取る。
「ねぇ、月村……まだ、間に合うかな?」
「……間に合うよ。だから私も聞きたい……まだ、間に合うかな?」
「えぇ、間に合うわ……」
そして、死が迫った状況だというのに、二人は静かに瞳を見つめ合い、小さく呟いた。
三年かかった。
遠回りもした。
勇気が足りなかった。
言葉も交わし足りなかった。
でも、遅くはないだろう。
二人は同時に、同じ言葉を口にする。



―――――ごめんなさい



そこから始めよう。
だから、始める為に生き残ろう。
「あの……バニングスさん」
「なに?」
「その、出来れば……で良いんだけど……」
モジモジしながら、すずかは小さく呟いた。
「わ、私と……その、と、とと……友達に―――」
意を決して何かを伝えようとする姿に、少しの悪戯心が浮かんだ。
「アリサ」
だから言葉を遮り、
「アリサでいいわ。そんな他人行儀に呼ばれても嬉しくわよ」
「――――――うん……それじゃ……私のことも」
「えぇ、すずかって呼ばせてもらうわ」
今はそれだけでいい。
大切な言葉は―――後に回す事にしよう。大丈夫、後悔はしない。後悔する様な結末なんて死んでも迎えはしない。
今は過去と戦うべきではない。そして未来と戦うべきでもない。今は今と戦い、過去には既に勝利を手にし、未来には想像だけで笑みが零れるような未来を想像しよう。
カン、カンと金属が上ってくる音が聞こえる。
その音は地獄から響く様に恐怖を生ませるのだろう―――だが、今は生まれない。
すずかはアリサの手を取り、アリサもその手に身を任せる。
足場も向こうから、暗闇に光る刃の塊が見えた。
【ギィィギギギギギギッギ……】
胴切が二人を捉えた。
だが、それは正しくはない―――二人が胴切を捉えたのだ。
しかし、それに気づかない胴切は手を横に広げ、手すりに斬手を擦りつける。鋭い刃は鉄の手すりを擦るだけ火花を散らし、ゆっくりとこちらに近づいてくる。恐らく、怪物の中では自分達は追い込まれているのだろう。
「アリサちゃん……良い考えがあるの」
「一応聞いておくわ……でも、何となくわかるわ」
今のアリサでは胴切は倒せない。すずかは倒せるかもしれない、という能力を持ってはいるが、戦闘慣れしていないすずかでは無理だ。
なら、戦うのではく考えるべきなのだ。
倒す方法ではなく、勝つ方法を考える。
負けない方法ではなく、生き残る方法。
殆ど言葉を交わした事のなかった二人は、一度視線を合わせる。そしてアリサが視線を反らし、その方向をすずかが見る。そこに見えたのは剥きだしの鉄骨。それがこのビルの全重量を支える一つでもある。幾つもの鉄骨は壁にもなれば足場にもなる。だが、それ以上にこれは【組み合わされている】のだ。
胴切が駆ける。
アリサはすずかに抱きつき、すずかはアリサを抱えて飛ぶ。とりあえずは二人が見た方向に飛び移る。当然、胴切もそこへ飛んでいる。空中で連結刀の様な尻尾を振りまわし、叩きつける。
それを間一髪で避ける―――鉄骨があっけなく両断され、地面に向かって落下する。
「イケると思う?」
「わからないよ……でも、アリサちゃんは出来ると思うんだよね。なら、信じる」
アリサも考えた。
すずかも考えた。
自分達よりも強い相手に勝つにはどうすればいいのか。
それを自身の力量に合わせてプランを練る。
不意に、すずかは呟いた。
「そっか……こういう意味もあったんだ」
次々と鉄骨の上を飛び回りながら、すずかは微笑む。
「手は綺麗に、心は熱く、頭は冷静に」
「なによ、それ」
「今の私達の事だよ」
「ふ~ん……良い言葉ね」
「魔法の言葉なんだってさ」
楽しげに会話する二人に襲い掛かる胴切の攻撃を避けながら飛び回る。ただ飛び回るだけじゃない。飛んで鉄骨の上に着地した瞬間、アリサが次の移動先を指示する。すずかも一切の迷いなくその場に移動し、胴切もその後に続く。
月夜の中、作りかけのビルの中を二人の少女と刃の化物が飛び回る。
それには二つの見方がある。
方や、怪物に追われ、逃げ惑う哀れな少女。
方や、月の光に照らされて踊る妖精。
そこには三体の人妖がいた。
吸血鬼、人狼、そして胴切。
創作された物語の中では吸血鬼と人狼は敵同士だが、ある物語によっては吸血鬼は死んだ後に人狼になる。

吸血鬼と人狼が手と手を取り合って踊る。

今宵は月夜。
空には無数の星があり、月の光と共に世界を照らす。
その光に包まれ、踊る二人の小さな人妖。
「――――アリサちゃん!!」
「もうすぐよ―――後三回!!」
腕の中にいるアリサの指示ですずかは自身の能力の最大まで行使する。六階にいた二人は徐々に下に降りて行き、残るは後二階分。
鉄骨は次々と切り裂かれ、それでも二人に当たらない胴切は苛立っていたのだろう。
胴切の身体に変化が起こった。身体の表面、肌を構築している刃物が浮き上がり、まるで華が開く様に刃がめくれ上がる。
その結果、胴切は跳んだだけで次々と鉄骨が切り裂かれる―――それが、自分の失態だと気づく思考能力は消失している。
仮にこれが薬を打たれる前、人間の少女の形をしていた時の胴切であったのなら気付いただろう。自分が次々と鉄骨を切断する度にビルが軋む様な音を響かせ、その内部だけで地震起こったかの様に鉄骨が震えている事に。
すずかは地面に着地する。
上空から胴切が襲い掛かる。
避けるか、防ぐが、
「当然――――」
アリサは残った全体力、そして現在での最高最強の一撃を叩き込む為、覚悟を決める。
「迎え撃つ!!」
すずかはアリサを降ろし、アリサは地面にしゃがみ込み、地面を足で掴み取る。
溜めて溜めて溜めて――――解放する。
この一撃に覚悟を込める。
この一撃に耐える意思を注ぎ込む。
この一撃を外しなどという可能性を殺す。
この一撃で最後とし、終幕とする。
赤い瞳が力を示す。
地面を蹴り上げ、弾丸の如く天空へと突撃する。
「これで……」
空から襲いかかる胴切は刃。
地上より突撃するアリサは拳。
「決めるッ!!」
全てを切り裂く刃はアリサの拳に突き刺さる。
全て砕く勢いで撃ち出された拳は刃に突き刺さる。

矛盾という言葉の意味を考える。

最強の盾と最強の矛。
どちらも最強が故の矛盾という言葉。
しかし、この時だけは別の意味を持つ。
矛盾とは力を比べるという意味。
矛盾とは同等の力では終わらせないという意味。



矛盾とは【盾が矛を超え、矛が盾を超える】という意味



故に、勝負は決する。
拳と刃。
砕く拳と斬る刃。
勝者は超える可能性を秘める者だけ。既に超えてしまった者にそれ以上の可能性はありはしない。それどころか片方は進化ではなく退化している。退化しているが故に協力になったが、それは後ろに戻るという意味、後退するという意味―――今の自分を諦め、過去を振り返るだけの行為に過ぎない。

刃は拳に刺さり―――刃が砕ける。

アリサの一撃が胴切の斬手を砕き、胴に突き刺さり、刃の鎧を砕き、鎧の中に隠された刃の肉に突き刺さり――――刃を天へと打ち上げる。
上空へと殴り飛ばされた胴切の眼に、中指を立てたアリサの姿が写る。アリサは下にいたすずかにキャッチされ、すずかはアリサを受け止めた瞬間に駆けだす。
逃げた、と胴切は確認する。ならば追うだけだ。今受けたダメージは今まで最高のダメージだが再生は既に始まっている。上空に飛ばされても重力が在る限り地面に落下するだけ。そしたら地面に激突するなり着地するなりして降り、それから追跡し殺害するだけだ。
そんな考えを抱き、落下する胴切。
その耳に、胴切の声以上に大きな耳障りな音を聞き取った。
戦慄する。
恐怖する。
背後―――上を見る。
上から無数の槍が振ってくる。
いや、槍ではない。
あれは鉄骨だ。
先程から胴切が切断し続けた、何も考えずに【切断させられた鉄骨】が槍の雨の様に降り注ぐ。
気づいた時には既に遅く、振って来た鉄骨の一部が胴切に激突する。それから逃げる様に鉄骨を切り裂くが、その瞬間に次の、また次の鉄骨が降り注ぐ。
鉄骨という骨組で作られたビルは倒壊していた。
骨組のもっとも加重がかかる部分を集中的に切断させられたビルは、力のバランスを完全に崩されていた。それに気づいた時にはもう遅い。幾つもの鉄骨によって胴切は地面と挟まれ、その上にさらなる鉄骨が降り注ぐ。

そして、ビルは胴切を生き埋めにしたまま―――倒壊した





胴切は呻く。
身体に感じる違和感に苦しみ、鉄骨に挟まれ、埋もれて唸る。
身体を構築していた刃は再生を開始するが、今まで違って速度が格段に下がっている。いや、それどころではない。再生した個所が錆びた様に垢色に染まり、崩れ落ちる。
異常な再生速度が死んでいく。限界まで行使した身体は怪物になったが元は人間の身体。少しの異能と微かな訓練によって作られた身体はあっさりと限界を迎えていた。
痛い、という感覚を知る。本来なら知っているはずの感覚を忘れていた。もしくは、失っていたのかもしれない。それ故に思い出した瞬間に身体を駆け巡る電気に唸り、悲鳴を上げる。
胴切は違和感を感じた。
自分の叫び声に【ようやく】違和感を感じた。
なんだ、この金属と金属を擦り合わせる様な耳障りな音は―――自分の声はこんなにも耳障りで気味の悪い声だったのだろうか。
なら、元はどんな声だったのかと云われれば、思い出す事はない。今の胴切を動かすのは単なり本能だけ。ただ相手を切り刻むというだけに特化しすぎた本能は、人のそれとは違う領域にあったのだろう。それを不思議とは思わず、最初に与えられ、植え付けられた記憶と情報も忘れた。
思い出せない。
どうして自分は他者を切り裂きたいのだろうか。
今の胴切には思い出せない。
薬を打たれた記憶もなく、最後の記憶は薄暗い部屋の中の記憶だけ。
怪物になった記憶もない。沢山の人を殺した記憶もない。無関係の人を殺して楽しんでいた記憶もない。誰を殺さなくてはいけなくて、誰を殺してはいけないか、そんな区別があったはずだが、記憶と一緒に何処かに消えた。
何もなかった。
空白で伽藍で無個性な自分。
悲しい、という感覚を思い出した。
ギィと声を漏らしたのは痛みだけではなく、心が泣いているからだろう。この身体に涙はない。流れたとしてもそれは他人の血液が頬に飛び、それが流れて涙の様に見えるだけにすぎなかった。
泣かない、悲しまない、それが怪物。
再生しない、刃が身体から次々と剥がれていく。刃で形成された肌が崩れ、その中に今までとは比べ物にならない程に柔な肌が姿を現す。
肌の色だった。
肌の色をもって小さな腕だった。
指先には刃はなく、あるのは細い指と割れた爪。指先を地面にさし、身体にかかる重圧から逃げる様に張って進む。冷たい鉄骨に押しつぶされそうになりながら、少しずつ、少しずつ前に進み―――光が見えた。
月の光だった。
星の光だった。
人の光だった。
ギィと唸る声。言葉を忘れた自分は助けを求める様に手を伸ばし、それでも届かないから自分の身体で前に進む。
ゆっくりと進み、ようやく外の世界が見えた。
満天の星空と小さく光る三日月。
その下で自分を見つめる小さな少女が二人。
驚愕していた。
だが、どこかおかしいと思った。
本能の赴くままに動いてはいたが、壊れかけた意識という部分で思い出す。それは自分が生きていて驚いているという表情ではなく、自分の姿を見て驚いている様に思えた。
別におかしい事はない。
あんな状態なのに生きていたのなら、驚くのも当然だろう―――だが、違和感があった。
「――――女、の子?」
少女の一人が言った。
「アンタ、やっぱりあの時の……」
血だらけの少女が言った。
女の子、二人は女の子と言った。自分を見て、怪物になった自分の姿の何処にそんな容姿があるというのだろうか、あり得ない、馬鹿らしい、化物の自分は人ではなく―――人ではなく、誰なのだろう。
胴切は立ち上がり、すぐに倒れ込んだ。
足が痛かった。
自分の足を見ると、そこには手と同様に人間の様な足が二本あるだけ。張って進んだせいか、膝に擦り傷があるし、足首は紫色に変色している。もう一度立とうとしたが痛みによって倒れた。
痛い、これは痛いという感覚だ。
思い出せないから知った。
知ったから、痛いと思えた。
ギィ、ギィ、ギィ――――自分の言葉は、これだけ。
何と言えばいいのかわからず、ギィギィと鳴く事しか出来ない。
自分はどうすればいいのだろうか。
殺せばいいのだろうか、切り刻めばいいのだろうか、それとも二人に殺されればいいのだろうか、誰も教えてくれないからわからない。
わからない故に唸るだけ。
唸り、唸り、唸って鳴いた。
教えて、と鳴いた。
耳障りな音で鳴いた。
口からポロポロと刃が抜け落ちる。
身体から刃が消え、身体から力がどんどん薄れていく。
まるで自分が煙の様に消えてしまうのでないかと思えるほど、身体が軽くなっていく。
あぁ、どうすればいいのだろう。
どうすればいいのだろう、どうすればいいのだろう、どうすればいいのだろう。
誰か教えて欲しい、教えて欲しい、示して欲しい、導いて欲しい。
自分は、胴切は、どすれば、何をすればいいのだろうか――――やはり、殺すしかないのだろうか。
手を上げ、腕を変化させようとする―――しかし、変化は起きない。腕も手も指も爪も、身体のどの部分も、一つして刃に変化しない。
壊れたのだ。
完全に、壊れたのだろう。
壊れたら、どうやってあの二人を殺せばいいのだろうか――――ふと気付いた。
二人の少女の背後に、誰かが立っている。
女だ。
白に似た銀色、白銀に近い髪の色をした女が立っている。
無表情で立っていて、何やら悲しそうな顔で自分を見ている。そして、意を決した様に歩き出す。女に気づいた少女は驚いたが、女は二人を見ずにまっすぐに胴切を目指す。
そして、倒れた胴切と女の眼が合った。
この女なら教えてくれるかもしれない。
どうすればいいのか、答を聞かせてくれるかもしれない。
喉の奥に異物が突っ込まれた気分だったが、小さな声でやっと一言だけ言葉を漏らす事が出来た。

―――――どうすれば、いいの?

女は首を横に振る。
「何も、しなくていいわ」
それはおかしい。自分は何かをしなくてはいけない。多分、殺すとか切り刻むとかそういう類の事をしなくてはいけないのだ。
だが、女は再度言う。
「もう、何もしなくていいのよ」

―――――何も、しなくていいの?

「えぇ、そうよ」
女は胴切を優しく抱き上げる。
良い匂いがした。
少しだけ血が混じった匂いだが、女性的な良い匂いがしたので気にならない。
何故か、目頭が熱くなるのを感じた。

――――本当に、いいの?

「本当はもっと前に助けに来れれば良かった……でも、お姉ちゃん、少し遅かったね」
胴切の頬に雨が堕ちた。
温かい、雨だった。
「ごめんね……ごめんね」

――――もう、殺さなくていいの?

「殺さなくていい」

――――もう、戦わなくていいの?

「そんなの、女の子の仕事じゃないわ」

――――怒られない?

「怒らないわ」

――――痛い事、されない?

「されないわ。そんな事は絶対にさせない」

――――痛いのも、苦しいのも、熱いのも、寒いのも……本当にされないの?

「…………うん、させない」

――――嘘じゃない?

「嘘じゃない」
安心した。
よくわからないけど、安心はできた。
覚えてはいないが、きっと自分は痛い事が嫌いだった。苦しいのも嫌だった。同じ顔、能面の様な大人達は自分が痛いと言っても、苦しいと言っても、何もしてくれない。同じ様にビリビリと何かを流し、何かを身体に流し込み、身体に何かを刺し、何かを折り、何かを壊し、何かを苛め、何かを楽しみ、何か観察し、何かを見捨て、何かを廃棄して、何かを、何かを何かを何かを何かを――――そんなものは、もう無いのだとわかった。
苦しかったのは覚えてない。でも、忘れても身体には残っていた。
「此処にはアナタを苛める人は誰もいないわ。誰もアナタを傷つけない。だから、安心していいのよ」

――――そっか、じゃぁ……いいや

眠くなってきた。

――――私、もう眠いや

「そう……それじゃ、もう眠りましょうか……」

――――起きたら、また苛められない?

「起きたら、お母さんに会いに行きましょう。きっと喜ぶわ」
お母さんとは誰だろう。
自分にはお母さんという誰かがいたのだろうか。
わからない。
思い出せない。
でも、わからない事が、思い出せない事が無性に悲しいという事だけはわかった。
どうして思い出せないのだろうか。
お母さんとは誰なのだろうか。
自分は誰なのだろうか。
どういう存在であり、どういう為に生まれ、どういう為に生きてきたのだろうか。
何もわからず、眠気だけは襲ってくる。
眠い、本当に眠い。
意識が切れる前に尋ねた。

――――お母さんって、誰?

「アナタの大事な人。アナタを一番思っている人よ」
そんな人なんて、いるのだろうか。
「ずっと待ってるわ、アナタの事を。だって、世界で一番大切な家族なんだから……」
家族、なんだろうか。
「アナタが眠ってる間に連れて行ってあげるわ。眼が覚めたら、お母さんに会えるのよ」
それはきっと―――多分、凄く幸せな事なのだろう。
「だから、ゆっくりと休みなさい」

――――うん、わかった

胴切は瞳を閉じる。
頬に当たる温かい雨が気持が良かった。多分、誰かを斬り殺すのよりも気持が良いし、安心できた。
「おやすみなさい―――――アンネ」
女がそう言った瞬間、



少女は、アンネは思い出した



自分の名前を思い出した。
自分の生れた場所を思い出した。
自分の家族を思い出した。
自分の大切な何かを思い出した。
胴切などいう名前ではなく、アンネという大好きな母親から貰った名前があった。そして、母親に会えなくて泣いていた事を思い出した。
泣いても泣いても母親には会えず、能面の大人達は痛い事ばかりをしてくる。だから助けてと母親を呼んだ。
来てはくれなかったから忘れようとした。忘れようとしたアンネの記憶を弄くり、能面の大人達はアンネという個人を消し去った。消された後は記憶が嘘という言葉にすり替わる。毎回毎回別の記憶が存在し、アンネという名前を完全に闇の奥に捨て去られた。
でも、思い出した。
意識が消える寸前、アンネは女に笑みを浮かべた。
おやすみと言ってくれた人に、おやすみなさいと言葉を返した。
そして眠りについた。
眼が覚めれば、きっと母親に会えるだろう。
それまでは眠っていよう。もしも寝過したら、この人がきっと起こしてくれる。嘘はつかないって言ってくれたから、信じて眠ろう。




静かな世界だった。
暗くはない、明るい世界だった。
何も斬らなくていい、何も傷つけなくていい、痛い事も苦しい事もない世界が其処にあった。
草原だった。
農場があった。
小さな木造の家があった。
そこで白いエプロンをつけた母親がいた。
その周りに弟と妹が遊んでいた。
父はそれを見て笑っていた。
そして、母親がアンネに気づき、こう言った。
「おかえりなさい」
アンネも言った。
「ただいま」
草原の中、牧場に農場の横に立てられた家に向かって走り、母親に抱きついた。母親の匂いを嗅ぎ、安堵の息を漏らす。
そして二人は手を繋ぎ、家族と一緒に家の中に入る。
残されたのは何も無い。
あるのは幸福だけ。
少女はようやく己を思い出し、手に入れ、家族に会えた。
現実の世界には存在しない家族。いたはずの家族はアンネをずっと待っていた。そして出会えたから一緒に向かう事が出来た。
こうして一人の少女の物語は終わる。
誰かの物語のついでだったのかもしれない。だが、少女にしては絶対無二の大切な物語だった。

世界には静寂を、家族には平穏を―――そして、少女には幸福を






そして、悪には雷の鉄槌を








さて、酷くのつまらない話をしよう。
少女がこの世を去った時と同じくして、一台の車が海鳴の街を疾走していた。運転席に一人、助手席に一人。運転しているのはガタイの良い表情の薄い男。助手席には眼鏡をかけ、白衣を着たひょろ長の男。
彼等の国籍はロシア。
所属は軍でなくフリーの何でも屋。言い方を変えれば金さえ払えばどんなに汚い事も平気で請け負うという糞ったれのド腐れ野郎である。
そんな彼等でも現在はとある機関の専属となっている。主な仕事は物資の移送と実験の手伝いである。今回、彼等が海鳴に来たのは二つ目の実験の手伝いが目的だった。廃棄処分が決定された実験体に、この島国で開発された薬のデータを貰って作り上げた試作品を打ち込み、その結果を観察、報告するというものだった。
しかし、その実験の途中に実験体は死亡した。
故に彼等は車を走らせている。
逃げているのではない―――ただ、国に帰るだけだった。
「思った以上に良いデータが取れたね」
眼鏡をかけた男の名は―――語る必要が無いだろう。当然、もう一人の男も同様だ。語るだけ無駄であり、語るだけ文字数の無駄になる。
「あれでか?アレでは本国の連中が納得しないぞ。薬は効いてはいたが、実験体は暴走状態。こっちの命令は効かず、ターゲットの事すら忘れてひたすらに暴走と殺害を繰り返す失敗……まぁ、それが依頼主にとっては好都合だったんだろうがね」
「そだね。実験と小遣い稼ぎとしては十分だったよ。あの薬は実験段階だから失敗しても当然。こっちの予想外だったのは、実験体の肉体が思っていた以上に変化に耐えられなかったという事だね。まさか、最後になって元の姿に戻るとは思ってもなかったよ」
「本来なら【戻らず融解】するはずだったんだがな……まぁいいさ。アレだけの力を出せたんだ、最後の個人を判別させない融解なんて現象は諦めた方がいいだろうな」
「そのせいで何匹も実験体を殺したからねぇ……ぶっちゃけさ、僕達が実験体を攫うのだって苦労してるって事、あっちは理解してるのかな?」
「理解はしないだろうな。だが、金を貰っている分の働きはするさ」
「はぁ、出来れば楽に儲かる仕事が欲しいね、僕は」
「俺もだよ」
そう言って二人は嗤う。暗い笑みを浮かべる。死んだ少女の事などこれっぽっちも考えず、この街の罪なき者達を殺したという点においても同様だった。
「それよりも気になったんだけど、最後に実験体と戦っていたのがバニングスの令嬢だったんだよね?」
「らしいな。依頼人も随分と驚いていたよ」
「やっぱりアレだね。相手を月村って設定しておいきながら【身内】に手を出すのは流石に不味いと持ったんじゃない?」
「正確には身内じゃないらしい。だが、限りなくデビット・バニングスに近い奴らしいぜ。なんでもバニングス家の当主、デビット・バニングスの血を引く奴らしいぞ、あの依頼人」
「へ?でも、あのお譲ちゃんが娘なんじゃないの?」
「アレは今の娘だ。デビットいう男は、世界中に女がいて、世界中に子供がいるんだよ。十年以上前からそうやって世界中に自分の子種を巻いて、認知もせずに放っておいてる羨ましい奴なんだよ」
「へぇ、酷い奴もいるもんだね」
「だが、そんなデビットも人の子らしいな。あの娘、バニングス家の令嬢だけはしっかりと認知しているらしい。なんでもよ、死んだ娘の母親、つまりは【最後の妻】だけは特別らしいな」
「そりゃあれだ、世界に散らばっている他の人達に放ってはおかれないね」
「それ故に、相続争いも激しいのさ」
だが、それも今の彼等には関係のない話だ。依頼人とは既に手は切れている上に、こちらの事を詳しく探られない内に出て来たからだ。
依頼人がどのような理由があるかなど彼等には関係はない。
「あ、次の道を横に。そこを通ると港への近道で、しかも目立たないんだ」
「了解」
ハンドルを切り、車は狭い裏路地へと進む。

そして、ライトに照らされた男を見た。

眼鏡をかけた細い男だった。
地味なスーツを着て、眼鏡をかけていた。
足下には何本も煙草の吸殻が堕ちており、口にも一本咥えている。
運転手の男はクラクションを鳴らして邪魔だと伝えるが、男は一向に動かない。それどころか、
「ねぇ、もしかして……」
ライトに照らされ、光を反射する眼鏡のレンズの奥にある瞳。
それを見た瞬間に気づく。
「あぁ、敵だな」
「うわぁ、マジで……」
敵だと認識する。
両者の距離は少なくとも五十メートル以上は離れている。そして狭い裏路地は車一台が通れば人も通れない程に狭い。つまり、目の前の男には逃げ場がない。無論、こちらには逃げる方法なんて幾らでもない。
後ろに下がって普通の一般道に出てもいい。後部座席にある銃を持って撃ち殺しても良い。
だが、二人はそのどちらも選択しない。
二人の顔に腐りきった笑みが浮かぶ。
運転席の男はアクセルを―――踏み込んだ。
車は唸る獣の様な音を響かせながら、タイヤを数秒地面にこすりつけ、イノシシの様に突進してきた。
目指すは前だけ。
障害があれば跳ね飛ばし、跳ね殺すだけ。
轢いて殺したら犯罪だが、それは警察などに捕まる阿呆だけ。
自分達は捕まらない。
自分達は強者であって弱者ではない。
奪う側であり奪われる側ではない。


もっとも、それは勘違い以外の何者でもない。


ライトに照らされた男はうろたえる事も、恐れる事もなければ、動く事すらしない。
煙草を咥えたまま、微かに腰を落とし左手を腰に据える。
迫りくる鉄の怪物。
迎え撃つは初老の男。
「別に正義の味方を気どる気はない……俺には一生縁の無い話だからな」
鉄の鎧を纏う怪物。
ただの布で出来たスーツを纏う男。
「だが、俺は教師だ。生徒を傷つけられたら腹も立つし、生徒でもない子供をあんな目に合わせて腹が立たないなんて事はない」
高速で襲いかかる怪物。
動かない男。
「そして何より――――俺の生徒に殺しの片棒を担がせる様な事をさせたお前等を許す気はもっと無い」
車に乗った二人は嗤う。
「お前らみたいな腐りきった連中はな――――――」
車と男の間の距離は、わずか数メートル。
次の瞬間、男の身体は空を舞うだろう―――しかし、それは男達の中だけで想像であり妄想だ。目の前の男を知らない男達は妄想する。轢き殺せると、殺せると、そして自分達は国に帰る事が出来ると、本気で妄想していた。
故に知る事になる。
例え、この国で彼等の行いに気づかずに法的機関が逃がしたとしても、空の上から余所身をしていた神様が逃がしたとしても、それを当然と考える愚かな連中がいたとしても―――



「生徒の教育に――――悪いんだよ!!」



加藤虎太郎という【教師】が見逃す筋合いも可能性も皆無。
虎太郎の拳と車が―――激突した。




それと同じ時間。
とあるマンションの一室にて。
子供がベランダで天体観察をしていた。天体望遠鏡から見える星空は見事の一言だった。心を奪われる程に素晴らしい光景だった。そして、母親からそろそろ寝なさいと言われ、子供は眼を離す―――その時だった。
子供の眼に奇妙な光景が写った。
「ねぇ、ママ……」
思わず母親に声をかけた。
テレビに夢中な母親は気づかないが、子供は呆然とその光景を見ていた。
「ママったら」
その光景から眼が離せないでいた。
たったの二回で子供は呼ぶのを諦めた。なにしろ、その時には既に眼に映った信じられない光景は終わっていたからだ。
夢だろうかと考えたが、きっと現実に違いない。だから明日になったらクラスメイトにこの話をする事にしようと心に決めた。
だが、恐らくは誰も信じないだろう。
子供の眼に映った光景は、まるで映画の様な現実だった。
「すごいなぁ……」
夜の街。
小さなビルとビルの屋上。

そして、それよりも高く空に舞い上がった―――車。

「車って空も飛べるんだ」
間違った認識を植え付けたまま、子供はベッドに入った。


これがつまらない話の終わり。
実につまらない。
当然の結果の話をして、面白いと思う者はいない。
それほど、当然の結果だった。
「――――相変わらず凄いねぇ」
間近で見ていたガタイの良い、背の高い男は呆けた様子で言った。
「これりゃあれだね、日本の漫画雑誌、少年が跳ぶ的な雑誌に出てくる主人公みたいだよ、虎太郎は」
虎太郎は新しい煙草を咥えながら、空を見上げる。
「俺は主人公などに向いてないさ……それで、その二人はどうするんだ、ウラジミール」
ウラジミールと呼ばれた男は笑いながら、
「ちょっと世間話をしてから解放するさ」
と、言ってはいるが眼は少しも笑っていない。
「まぁ、世間話に耐えられれば―――の話だけどね」
空か堕ちて廃車となった車の中には奇跡的に死んでいない男が二人。
「…………まぁ、勝手にすればいいさ。でもな、ウラジミール。あんまり妹のトーニャを危険な目に合わせるなよ」
「わかってるよ、虎太郎。だからかな……僕の妹を泣かせた原因の二人を、優しく囁くように世間話をする気は起きないね」
「言っている事が変わってるぞ」
「そうだね。うん、実はさっきのは嘘。こっちが本音だよ」
勝手にすればいいさ、と虎太郎は歩き出す。
とりあえず、今日は帰る事にしよう。
その前に二人を拾って、アリサを病院へ送り届けて―――
「今日は徹夜だな……」
苦笑して、虎太郎は歩く。

騒がしい夜がようやく終わりを告げる。






夜が終われば、朝が来るのも当然。そして朝の次は昼が来るのも必然。
だが、こんな時間にかかってくる電話だけは素直に驚くのは当然だろう。
「―――――もしもし、パパ?」
『おう、愛しの娘。こんな時間に何の用だ?というより、まだ昼休みには早いと思うぞ』
「そうね……さぼっちゃった」
電話の向こうから笑い声が聞こえる。
『カカッ、おい鮫島。俺の娘がとうとうグレたぞ?どうすればいいと思う?とりあえず、バイクを盗む前に最高級のモンスターエンジンを乗せたバイクを送るべきか?』
「要らないわよ、そんなの」
でも、免許を取ったら買ってもらおう。是が非でも買ってもらうとしよう。もっとも、それを成すにはまず、自分が【バニングス家の者と認めさせる】という試練があるのだろう。
「それよりも聞きたい事があるんだけど……」
『――――何だ?』
真面目な声で尋ねた娘に、父は静かに答える。
「今回のアレは、何時ものアレと同じと考えていいのかしら?」
『何時ものアレ、が良くわからんな』
「今更とぼけなくてもいいわよ―――パパが若い頃に作った私の兄妹達の事よ」
『知らないな。俺はママ一筋の愛妻家だぞ?』
「ママは死んでるわよ」
『死んだからといって愛していないわけじゃないさ。俺は死んでもママの事を愛しているし、ママが残したお前の事だってずっと愛してる』
相変わらず嘘臭い台詞だと娘は思った。だが、前よりかは信じられる様にはなった。どうやら、心の錘というものは何時の間にか随分と軽くなったらしい。
「それじゃ、他の子供達の事はどうなの?愛してないのかしらね」
『愛してるさ』
これで愛していない、なんて事を言ったら家族の縁を切ってやるつもりだった―――いや、それは少しやり過ぎだ。とりあえず、一か月くらいは口も聞いてやらない事にする―――それも少しやり過ぎだと持ったのか、とりあえず一週間、一週間だけ無視してやろうと思った。
『愛しているからこそ、俺の遺産を相続する権利は誰にでもある』
「おかげで私はそういった連中から目をつけられる始末なのよね」
『すまんな。反省はしてる―――でも、後悔はしていない』
「そうね。私も嫌だけど、後悔はしていないわ。パパの娘だって事も後悔していないし、バニングスの名を持った事も後悔していない」
だが、と娘は一旦区切り、
「それで私の周りが迷惑するのだけは、許せないわ」
自分のせいで誰かが不幸な目にあうのは許せない。自分という存在にそんな権利はない。そんな自分を狙う相手にもそれは同様だ。
「ねぇ、パパ……このつまらないゲームは何時になったら終わるのかしらね」
『お前が一言、降りると言えば終わるさ。少なくとも、お前とその周囲だけは救われる』
それが言えたらこんな話はしていない。
「それは嫌。パパの人生を、相手を潰せば手に入れられるなんてふざけた事を言い出す輩に、パパの遺産は渡せない」
『親孝行なのはいいが、パパとしてはちょっと心配だな……あと、遺産とか言うな。パパはまだ死んでない』
「大丈夫よ。私はパパの娘よ?そう簡単には死なないし、死ねないのよ。だから、パパも殺しても死なないわ」
『そうか……あぁ、そうだったな』
そして、父と娘は少しだけ今回の事件について話をした。
この馬鹿騒ぎというには悲惨すぎる事件の首謀者、父が母以外の女の間に作った子供が起こした事件だった。
自分の身体には偉大なる父の血が流れている。その父の為に敵である月村を根絶やしにしたかった。だが、それには理由が必要だった。その為に暗殺者を雇い、月村の令嬢を殺して戦争の火種にしようとした。そして、戦争が起こった時には意の一番に自分が赴き、月村を倒してバニングスに勝利を与える―――そんな妄言が理由だった。
「…………言いたくないけど、少しは教育に手を出した方が良くない?そんな偏った考えを持つ奴が誰かの上に立っていいわけないじゃないの」
『出来るもんならそうしてるけど、やっぱり女性に優しいパパは他の女性にも優しくし過ぎて、子供に会えない事が多いんだね、これが』
「全部パパの自業自得じゃないのよ」
娘の痛烈な一言に、電話の向こうで父は苦い顔をしているだろう。
「それで、ソイツはどうなったの?」
『何時もと同じさ。ぶつかり合い、闘争に負けた者に俺の遺産を継がせる気はない。だから早々に記憶を操作して、今は普通の会社員として別の国で働いているよ』
記憶の操作。
バニングス――いや、父の血を継いでいるという記憶を失えば、それは今までの全て失い、新しい誰かになるという事と同じ意味を持つ。
「もしも、もしもよ?」
だから娘は少しだけ不安だった。
「もしも私が後継者争いに負けたら―――パパが私のパパだっていう記憶も消すの?」
『…………』
父は答えない。
それが真実だとすれば、
『俺は……』
「いいよ。何も言わなくても……」
それが敗者の末路だとするのなら、

「その時は、思い出すから」

知った事ではない。
『―――――――は?』
父の呆けた声を聞きながら、娘は笑って答えた。
「勝手に思い出すわよ、その時はね。だって、パパは私のパパだもん。他の誰かのパパかもしれないけど、私のパパでもある。だったらきっと忘れないわ。忘れても思い出す。絶対に、どんな手を使っても思い出してみせる」
『…………アリサ』
「だから、だから――――安心して良いよ。私は大丈夫だからさ」

父は―――デビットは自然と微笑んだ。
「そっか……そうだな。お前は俺の娘だ。だから絶対に大丈夫だな」
『そうよ。だから今の内に私の椅子、空けておきなさいよ』
「それは駄目だな。何事も平等だ。男たるもの、平等であるべきだ。男が贔屓していいのは愛すべき女だけと相場が決まってる」
『なるほどね。それじゃ、私はその席を無理矢理にでも奪わなくちゃいけなって寸法なのよね――――上等ね』
力強い娘の、アリサの言葉を聞いて、デビットは笑みを止める事が出来なかった。
強くなった、そう思った。
少なくとも、前に電話で話した時よりもずっと強くなっている。
「――――なにか、良い事でもあったか?」
そう尋ねると、アリサはしばし無言になり、
『―――――が、できた』
小さな声で、



『友達が、できた』



そう言った。
「そうか……それは良かった」
『…………怒らないの?』
「どうして怒る必要があるんだ?」
むしろ、怒るがおかしいのだろう。
『だ、だって……パパは言ってたじゃない、孤独でいろ、孤高でいろって』
あぁ、あれかとデビットは思い出す。
「あれはそういう意味じゃない」
『へ?』
「お前はそのままの意味で聞いていたみたいだが、それはそのままの意味じゃない」
『それじゃ、どういう意味なのよ』
「それを考え、答えを見つけるのも俺の後継者の義務だな」
だが、恐らくは時間はかかるまい。
電話の向こうで混乱しているであろう娘の姿を想い、デビットは答えが近い事を知る。アリサは言ったのだ―――友達ができた、と。
それが最初の一歩だ。
それがわかれば、後は自然と答えにたどり着くだろう。
友ができたという事は、仲間ができたという意味だ。
デビットは思い出す。
それは妻が死ぬ前の晩。
デビットの妻は電話でデビットにこう言っていた。
自分は辛い。アリサがデビット同じ様な力に目覚め、そのせいで遺産の継続争いに巻き込まれるかもしれない。だから辛い、苦しいと泣いていた。
だが、泣く時間はすぐに終わる。

それでも信じていたい、と妻は言った。

アリサは自分とデビットの娘なのだから、どんな困難にも負けはしないだろう。そして、例えその身に異能が宿っていたとしても孤独にはならない。孤独になど負けず、周囲に手を伸ばす事を諦めはしないだろう―――そう信じていると妻は言った。
その時、デビットは遥か昔を思い出す。
夜の一族と争うきっかけとなった女性の事を。
その女性は自分にむかってこう言い放ったのだ。
「孤独で在れ、孤高で在れ―――そうすれば、自然と仲間が寄ってくるのよ。自身を求め、自身に縋り、自身という存在をリーダーと認める素質があると周りが理解する、理解させる事が出来る……だから私はアンタに勝てたのよ」
女性はデビットの敵だった。
女性一人では大した事の無い敵だった。だが、その数が多い。女性をリーダーとした集団、軍団がデビットを打つ為に集まり、吸血鬼という超越種を打倒した。
「群れとは、意思の集まり。種族も何も関係ない……故に群れを率いる者は常に孤独であり孤高なのよ。そんな者でなければ仲間を守れはしない。そして、仲間もリーダーを求めはしない」
自分一人の力など大した事はない。だからこそ仲間が出来た。自分から望んで作ったわけではないが、いつの間にか自然と集団ができ、軍団ができ、そして群れができていた。
そう言い放った女は、まるで狼のボスの様だった。
だから惚れた。
だから愛した。
だから夜の一族というつまらない一族を裏切り、彼女の群れの一人になった。その為に一族全員を打倒する必要があったが、苦とは思わなかった。
欲しいと心の底から思ったからだ。
孤独と孤高、この二つを持つ女性が魅力的過ぎて、他の何もいらないと想う。だから何処までも、何時までも戦えた。
その結果、彼は今の地位にいる事になる。
この事を知っているのは、生涯で二度目の愛を教えてくれた女―――アリサの母だった。
「まぁあれだな。この宿題は俺の椅子を手に入れるまでに出せばいいさ」
『実は答えなんて無い、なんてオチじゃないでしょうね』
「どうかな?」
唸る娘の声。
微笑む父の顔。
何時かたどり着く答えが存在する。しかし、その答えはきっと一つではない。あの事件を起こした子供の一人が別の答えにたどり着いた様に、アリサも別の答えに辿りつくかもしれない。
何故なら、意思とは関係なく人は動く。
デビットが知らない内に、彼の予想以上の価値を叩きだす事だって普通にある。
それが生きている者の特権であり、誰にでもある異能だ。
人である限り、歩みよる。
人で在る限り、言葉を交わす。
人で在る限り、自身の意思で誰かと共にある。
アリサ・バニングスはそういう少女になる―――もしかしたら、既にそういう少女になったのかもしれない。
群れを率いるのではなく、自ら群れを作り、群れを導き、群れを守り、群れと共に生きる。
それは今ではなく未来の話かもしれない。
しかし、それは絶対に訪れない未来なはずはない。
何故なら、言葉の意味、言葉に宿る意思は―――人の数だけ存在するのだから。
それから少しだけ電話で話し、通話は終わる。
「――――鮫島、今日は自宅に帰る」
「帰れますかね……本日のご予定では少々困難かと」
「馬鹿野郎。男である俺が、父親である俺が娘を祝ってやらんでどうする!?」
「そう言って毎回誕生日とか学校行事に行かない旦那様が言っても、説得力がないですな」
「そ、それはアレだ。そういう日に限ってとんでもないトラブルが湯水の様にわき上がって――――っていうか、鮫島」
デビットは運転している鮫島を見る。
「なんか、後ろから黒いワゴン車の群れが近付いてないか?」
「それだけではなく、前からは装甲車。上空にはアパッチが飛んでますな」
「此処、日本だよな?」
「日本は日本でも、人気の無い山道ですらなぁ……はぁ、だから普通に高速道路を選ぶべきだったんですよ」
横目に鮫島は後部座席を見る。
そこには山の様に詰まれたお土産。
「まったく、旦那様は少しばかりアリサ様に甘過ぎでございますね」
「娘が怪我した時にも帰らない父親の唯一の償いだ」
「物で釣るとは……いやはや、何とも嘆かわしい」
「お前さ、主人の事をどう思ってる?」
「尊敬しておりますよ?――――この不運の大きさに」
背後の車のドアが開き、銃を持った男達が見える。前方の装甲車では屋根の上に備え付けられた大型銃器の照準がデビットと鮫島の乗った車を狙う。
そして、上空に待機していたアパッチからは既にミサイルが発射されていた。
「―――――撃ちやがったな」
「―――――えぇ、撃ちやがりましたね」
主人と執事に一切の焦りの色はない。
むしろ、上等だと言わんばかりにニヤッと壮絶な笑みを創り上げる。
「正当防衛だよね、コレ」
「えぇ、正当防衛ですな」
それが開始の合図となった。
結果的にこの日もデビットは家には帰れなかった。
車に積んだ大量のお土産はミサイルによって灰になり、その怒りでアパッチを撃墜。そのせいで翌日の新聞に『謎の爆発事故!!他国の攻撃か!?』などという一面が飾り、日本と他国の間に戦争一歩手前の膠着状態が生まれそうになり、それを回避する為に一児の父と執事は世界中を飛び回って事件を収拾するという映画が一本取れるくらいの出来事になる。
そして、父がそんな大変な事に遭ってとは夢にも思わず、例え思っていても父ならなんとかするだろうという信頼で放置して、アリサは屋上で昼ご飯を取り出す。
この日は何時もの様にコッペパンと水ではない。
今日は久しぶりに菓子パンとジュース。
ソレを持ってチャイムが鳴るのを待つ。
数分後、チャイムが鳴って屋上のドアが開く。
そこにはお弁当を持った少女が二人。アリサを見つけて文句を言いながら、アリサの座っているベンチに腰掛ける。



菓子パンの甘い味は、まるで今のアリサの心を現す様な―――幸せな味だった。



















そしてこれはどうでもいい余談なのだが、デビットと鮫島がなんとかトラブルを収め、ちょっとアリサへお土産でも買っていこうかな~とか思って、とある街で【クラブ】なる組織が行っていたエンターテイメントに巻き込まれ、そこで異常な戦闘能力、殺傷能力持った少年と出会い共闘、そしてそのククリナイフが羨ましいからお土産にどっかで買っていこうかな~とか考えていたら、結果的に巻き込まれて戦うはめになって一国を救うってみたりしたが――――基本的に本編とはまったく関係のない話である。
ちなみにこれも関係のない話なのだが、その騒ぎが終わった後も、ククリナイフが欲しいな~とか思っていたら、某漫画家と某編集者の格好をした二人の少女と出会い、
『アナタにこのマジカルステッキをあげるよ~』
と言われて受けった瞬間に変身魔法少女(筋肉モリモリ)に変身して、警察に追われたりしたらしい。
そしてこれは少し未来の話なのだが、この時のマジカルステッキが原因で海鳴の街に死と絶叫とちょっぴり塩辛い感動もクソも無い様な事件が起こる事になるのだが―――それはまた別の話という事になる。




次回『人妖都市と休日』




あとがき
うん、長いね。
アリサ編を全部合わせるとページでは110くらいで、メモ帳だと172KBだった。今回の話だと50Pになりました(過去最高でした)。
というわけでアリサ編の終了です。虎太郎先生はあんまり題名に関係はなかったすっね。まぁ、虎太郎先生が主人公というわけじゃないから、アレですけどね。
さて、それはさておき、アンケートを適当に集計したら2が優勢という事で、もう2でいこうかなって思います。
というわけで、【リリなのキャラであやかしびと】な話になりました。というより、既にそっち寄りですね。
とりあえず、現段階で設定が決まっている方々。

クロノ
テスタロッサ家
リィンフォース

です。
次回はシリアスがほとんどない話にしようとおもっております。もしくは、ちょっと寄り道して別の話もいいかもです。それが終われば人妖編の最後、なのは編を開始します。





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