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No.25741の一覧
[0] 人妖都市・海鳴 (リリなの×あやかしびと×東出祐一郎) 弾丸執事編、開始[散々雨](2012/08/03 18:44)
[1] 序章『人妖都市・海鳴』[散々雨](2011/02/16 23:29)
[2] 【人妖編・第一話】『人妖先生と月村という少女(前編)』[散々雨](2011/02/08 11:53)
[3] 【人妖編・第二話】『人妖先生と月村という少女(後編)』[散々雨](2011/02/08 01:21)
[4] 【人妖編・第三話】『月村すずかと高町なのは』[散々雨](2011/02/16 23:22)
[5] 【閑話休題】『名も無き従者‐ネームレス‐』[散々雨](2011/02/20 19:45)
[6] 【人妖編・第四話】『人妖先生と狼な少女(前篇)』[散々雨](2011/02/16 23:27)
[7] 【人妖編・第五話】『人妖先生と狼な少女(中編)』[散々雨](2011/02/20 19:38)
[8] 【人妖編・第六話】『人妖先生と狼な少女(後編)』[散々雨](2011/02/24 00:24)
[9] 【閑話休題】『朽ち果てし神の戦器‐エメス・トラブラム‐』[散々雨](2012/07/03 15:08)
[10] 【人妖編・第七話】『人妖都市・海鳴の休日』[散々雨](2011/03/29 22:08)
[11] 【人妖編・第八話】『少女‐高町なのは‐』[散々雨](2011/03/27 15:23)
[12] 【人妖編・第九話】『人妖‐友達‐』[散々雨](2011/03/29 22:06)
[13] 【人妖編・第十話】『人間‐魔女‐』[散々雨](2011/04/06 00:13)
[14] 【人妖編・第十一話】『人間‐教師‐』[散々雨](2011/04/08 00:12)
[15] 【人妖編・第十二話】『海鳴‐みんな‐』[散々雨](2011/04/14 20:50)
[16] 【人妖編・最終話】『虚空のシズク』[散々雨](2012/07/03 00:16)
[17] 【人妖編・後日談】[散々雨](2011/04/14 21:19)
[18] 【閑話休題】『人狼少女と必殺技』[散々雨](2011/04/29 00:29)
[19] 【人造編・第一話】『川赤子な教師』[散々雨](2011/05/27 17:16)
[20] 【人造編・第二話】『負け犬な魔女』[散々雨](2011/05/27 17:17)
[21] 【人造編・第三話】『複雑な彼女達』[散々雨](2011/05/27 17:17)
[22] 【人造編・第四話】『金色な屍』[散々雨](2011/05/27 17:17)
[23] 【人造編・第五話】『弾無な銃撃手』[散々雨](2012/03/14 03:54)
[24] 【人造編・第六話】『Snow of Summer』[散々雨](2011/06/08 15:56)
[25] 【閑話休題】『マジカルステッキは男性用~第一次魔法中年事件~』[散々雨](2012/03/14 21:29)
[26] 【人造編・第七話】『無意味な不安』[散々雨](2012/03/14 21:33)
[27] 【人造編・第八話】『偽りな歯車』[散々雨](2012/04/05 05:19)
[28] 【人造編・第九話】『当たり前な決意』[散々雨](2012/06/21 20:08)
[29] 【人造編・第十話】『決戦な血戦』[散々雨](2012/07/02 23:55)
[30] 【人造編・最終話】『幸福な怪物』[散々雨](2012/07/02 23:56)
[31] 【人造編・後日談】[散々雨](2012/07/03 00:16)
[32] 【弾丸執事編・序章】『Beginning』[散々雨](2012/08/03 18:43)
[33] 人物設定 [散々雨](2013/06/07 07:38)
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[25741] 【人妖編・最終話】『虚空のシズク』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/07/03 00:16
高町なのはの自宅。
周囲から忘れられたというより、周囲から見限られた様な家と言えなくもない。
隣にある家は時間が進んでいるが、高町家の外装は完全に時が止まったままだ。
表札はヒビ割れ、柵は錆びて開き難く、動かすと耳障りな音を響かせる。庭を覗けば伸びたまま放置された荒れた庭があり、元の姿を想像する事すら出来ない。
玄関を開ければ、流石に開きはするが軋む音は隠すことは不可能だった。
インテリアは壊れている。
玄関脇に置かれた鏡は割れている。
靴箱は壊れ、中を見てもカビ臭い匂いを漂わせる異臭を放ち、口を覆いたくなる。
居間に入れば人が住んでいた記憶は読み取れるが、今でも住んでかどうかと問われれば否と答えるしかない。
掃除した後がない。
絨毯は煤汚れた様に灰色に染まり、テーブルは脚が壊れて斜めに傾いている。ソファーは中の物が飛びだし、軽く叩いただけで埃が舞う。
テレビは壊れたと言うよりも壊したという表現が似合う。ブラウン管の画面に何かを突き刺したのだろう、完全に画面が割れてテレビとして使用するには不可能なレベルになっていた。
何処もかしくも、この家は完全に時間を止まっていた。
人が居ないからか、それとも人が住まなくなったからか、人が住まうべき時間を失くした家は家という言葉すら当てはまらない廃屋の一言に尽きる。台所に行けば赤黴によって浸食された水洗い場。冷蔵庫は空いたまま放置され、中にあった野菜は黒く染まり、肉は乾燥しきった様に堅く、振れただけで崩れ落ちる。
洗面台を見れば鏡が割れており、周囲には水垢がこびり付いていた。
見ても聞いても、嗅いでも感じても、そこはとても人の住めるような場所ではない。
そんな場所が未だにこうして此処に存在している。此処にある事がおかしいと思うべきだというのに、誰もソレを疑問に思わない。
忘れているのかもしれない。此処に高町という家があった事を誰もが忘れ、認識の外に放り投げた。それは忘れたという言葉よりも見限られたという言葉が良く似合う。
忘れた記憶は思い出す事が出来る。
だが、見限った物は思い出す事すらしようとしない。
見限られた家は寂しく、寒い。
誰もいない。
寝室を開けても誰も居ない。
個人の部屋を開けても誰も居ない。
少女の、高町なのはの部屋を開けても―――当然、誰も居ない。
だが、この部屋だけは他の部屋と違って誰かが居た形跡がある。周りはまったく掃除していない、壊れたままだというのに、此処だけはそうじゃない。
ベッドには誰かが寝ていたあとがある。
壁に掛っていた制服は今日も着たのだろう、振れれば微かに体温と人の匂いを感じる事が出来る。机の上には教科書と鞄が置かれ、先程まで宿題をしていた様なあとがある。
唯一壊れているとすれば、それは鏡が壊れているという事だけだ。
この場所だけが、この部屋だけが唯一の人が生活していた形跡があった。
だが、それがどういう意味なのかを考えた時、悲しくも恐ろしい事を想ってしまう。
誰も居ない家の中で、この部屋の主はたった一人で生活していたのだ。
誰も居ない家の中で、誰とも会話もせずに部屋だけに籠って生活していたのだ。
誰も居ない家の中で、そんな生活を誰にも知られずにずっと続けて生活していたのだ。
驚くよりも悲しくなる。
どうして誰も気づかないのか。どうして誰もこんな事になっているのに気付けなかったのか。そして、こんな状態にあるにも拘らず、どうして彼女はあんな風に振舞う事が出来たのか。
想像する。
自分が同じ立場になったらどうなるか、想像して―――恐怖に身体を震わせる。
耐えられるはずがない。
こんな状態の家に、たった一人で生活している時点で心が折れるだろうし、それでも意地を張って生活をしていたらきっと心が壊れる。
だが、壊れなかった。
高町なのはは壊れなかった。
壊れず―――狂ったのかもしれない。
「…………」
彼女は、すずかはこれから会おうとしている少女の事を考えて、怖くなった。知っているはずの全てが偽りで、目の前にある全てが現実であるというのなら、あの少女の中にある闇は予想以上に大きく深い闇なのかもしれない。
もしくは、それを闇とすら思わないのかもしれない。
「…………」
だから逃げる事は出来ない。
何が起こったのか、何があったのか、それを知らなければならない。義務感なんて他人凝議な事は思わない。知らなければならないと思ったのは、知りたいと思ったからだ。
部屋を後にした。
扉を閉める前に、もう一度だけ部屋を見る。
少女は、なのはは、毎日の様にこの部屋に帰って来たのだろう。この家に帰るのではなく、この部屋にだけ帰ってきて、この部屋から学校に向かい、またこの部屋に帰ってくる。
それは家に帰るのではなく、部屋に帰ってくるという意味。
家に帰るという選択ではなく、部屋にしか帰って来れないという意味。
「…………」
また、なのははこの部屋に帰ってくるのだろうか。この部屋にしか帰って来れない毎日を過ごす事になるのだろうか。
扉を閉め、歩きだす。
何処にいるかは―――自然と理解した。
初めて着た家だが、人の気配がするのはもっと奥だ。
奥の方に誰かがいる。
家を出て、裏にあるのは剣道場の様な建物。
その中に誰かが居る。
足を止め、大きく深呼吸をする。
そして、足を踏み入れた。

高町なのはは、そこにいた。

外からの見た目通り、そこは剣道場であり、広かった。そこだけは家の様に荒れ果ててはおらず、床も壁も綺麗に掃除されている。
そんな道場の真ん中に、なのははポツンと座っていた。
窓から零れた月の光を浴びながら、何も考えない人形の様な悲しい姿をしながら、静かに、何も語らず何も見ず何も感ずに、そこにいる。
「…………」
すずかが足を踏み入れると、床が鳴る。
その音に気づいたのか、ゆっくりとなのはがすずかを見る。
「―――――あ、すずかちゃんだ」
その声は、最後に聞いたあの声と同じだった。
空っぽでありながら、善意の塊の様な冷たい声。正しさと優しさだけを詰め込んだ肉袋の様な物から発せられた声に、背筋がゾッとした。
変わらなかった。
あの時と同じ、高町なのはという【良い子】の姿があるだけだった。
「どうしたの?こんな時間に……」
不思議には思わないらしい。どうしてすずかが此処にいるという事すら、不思議に思わないのは、何処か壊れているのかもしれない。それとも、元がこうなのかもしれない。【かもしれない】という想いが続く。わからないから【かもしれない】なのだ。
「なのはちゃん……」
名前を呼ばれ、
「なに?」
なのはは笑顔で答える。
空っぽの笑顔で答える。
何を言えば良いのだろうか。
スノゥの事を聞けばいいのだろうか。
彼女がなのはに何をさせようとしているのかを、聞けばいいのだろうか。
いや、それだけじゃない。
聞きたい事や言いたい事は山ほどあったというのに、一つたりとも言葉に出来ない。
まるで、目の前のなのはという存在を前に、全ての言葉も想いも無駄にされるかもしれないという恐怖があったのかもしれない。
何も言えないすずかに、なのはは笑って、空っぽな笑みで迎える。
「遊びにきたの?」
すずかは違うと首を振る。
「そっか……でも、よかった。すずかちゃん、今日は学校に来なかったんだもん。帝先生がすずかちゃんも風邪で休んだって言ってたから心配してたんだよ?」
「…………」
「本当はお見舞いに行こうとしたんだけど、帝先生が迷惑かけるから駄目だって言ってた。だから、なのはは帝先生の言う事をちゃんと聞いて行かなかったんだよ?でも、本当は行きたかったの。いってだいじょうってききたかったんだよ?しんぱいだったからだよ?ともだちのしんぱいをしたからだよ?」
善意の言葉は、これほどまでに空っぽに聞こえるものなのだろうか。
「だいじょうぶだった?かぜはなおった?」
すずかは首を横に振る。
「なおってないの?それじゃだめだよ。すぐにかえってねないと、だめなんだよ?」
「風邪は、引いてないよ」
「え、そうなの?それじゃ、どうしてやすんだの?」
「ずる休みしたんだ」
「…………ずるやすみは、だめだよ」
にへらと笑うなのは。
「だめ、だめ、だめだめだめ、だめ、だよ……そんなことをするのは、わるいこなんだよ?がっこうをずるやすみをするのは、わるいこのすることなんだよ?」
「そうだね。私は、悪い子かもしれない」
「なら、ちゃんといわなくっちゃ……ごめんなさいって……ずるしてごめんなさいって……いわなくちゃだめなんだよ?じゃないと、良い子になれないんだよ?」
押し潰されそうになる。
目の前の同い年の少女に、何もかもを壊され、潰されそうになる。それでも何とか足を踏ん張り、なのはを見据える。
「――――私は良い子じゃないけど、なのはちゃんだってそうだよ。なのはちゃんだって、良い子じゃないよ」
言いたい事はこんな事じゃない。だが、この少女を前にして話す言葉は肯定ではなく、否定でなければならない。
そうじゃないと、
「どうして、そんな事を言うの?」
そうじゃないと、本音が聞けないと思ったからだ。
良い子じゃないと言われた瞬間、なのはの表情が変わる。
笑っていた顔が能面の様に表情を失い、口調が甘ったるい声ではなく冷徹な声に変わる。
「良い子じゃないからだよ……誰だってそう思うよ」
「違うよ。なのはは良い子なんだよ?」
肯定はしない。
「私は良い子っていうのが、どういう子の事を言うのかはわからない。でも、みんなに何も言わない子を良い子だとは思わない」
「どういうこと?」
すずかは道場の入り口、なのはの家を指さす。
「だってなのはちゃんは、誰にも言ってなかったよね?なのはちゃんの家がああなっている事を誰にも言わないで、秘密にしてたよね。それは、良い子のする事かな?」
「…………」
なのはは黙る。
何かを言おうとして黙り込み、口を噤む。だが、すぐに元の空っぽの笑顔を作り出し、にへらと笑う。
「ひみつになんてしてないよ?だれもきかなかったから、いわなかっただけだよ?」
「それを秘密にするって言う事だと、私は思うよ……それは、良い事じゃない」
「良いことだよ……良いことなんだって、せんせいがいってたよ?」
先生、あんな魔女の事を、まだ先生と言うのかと激しい怒りが湧き上がってくる。
「あの人の言う事なんて、聞かなくて良いのに……ッ!!」
「あ、だめだよ、すずかちゃん。せんせいのいうことをきかないこは、わるいこなんだよ?」
「…………言う事しか聞けない子が、良い子だとは思わない」
「…………」
「自分の想う事を何もしないで、誰かの言う事だけを聞いているのが良い子なんだとしたら、私はそんな子にはなりたくない。確かに自分の事が前部正しいとは思わないし、間違っている時だってあると思う……けど、もしかしたら相手が間違っている事だってあるはずだよ?そうじゃないの?そういうものなんじゃないの!?」
確かに誰の言う事を聞く人間は良い人間かもしれない。だが、それは良い人間なのではなく【都合の良い人間】という事にはならないだろうか。
自分の意思を隠し、自分の意思を全て放り捨てて誰かに合わせる事は確かに必要な事だろう。だが、それだけをしているだけでは意味がない。
自分を隠すのは必要でも、自分を捨てる事が必要だとは思わない。
「どうして、そんなひどいことをいうの?」
「なのはちゃんが、心配だからだよ」
「なのはは良い子だから、誰にもしんぱいなんてかけてないよ?」
「それも違う。誰にも心配かけない事は絶対に良い子はじゃない。少なくとも、なのはちゃんのそれは違う。それは……誰にも心配されないって事なんじゃないの?」
「…………」
「それじゃ……寂しいよ。私も寂しいし、なのはちゃんだって寂しいはずだよ。誰かに心配されるのはちょっと心苦しいけど、少しだけ心が温かくなる。自分は一人じゃない、誰かが自分の事を想ってくれる事が嬉しいと思える。それは、間違った事じゃないし、悪い事なんかでもない」
誰にも心配されない事は悲しいと思う。
それを知らず、自分の殻に閉じ籠っていた自分だから、それを知る事が出来た。
家族に心配されて、他人から心配されて、そんな自分が情けないと思いながらも、嬉しいと感じる事ができたのは、間違った事じゃない。
だからこそ、こうしてすずかは心配できる。
目の前の少女の事を、心配する事ができる。
「大きなお世話かもしれない。邪魔だと思うかもしれない。でも、私はなのはちゃんの事を心配したい。私の我儘かもしれないけど、これだけは本当だから」
「――――それじゃ、なのはは良い子になれないんじゃないかな?」
空っぽの笑顔は崩れない。
「それじゃめいわくをかけるだけ。それじゃなのはは良い子にはなれないから、やっちゃいけないことだよね?なのはは良い子なんだよ?わるいこにはなれないんだよ?」
「それは、変だよ」
「どうして?」
「だって……だってそれじゃ、何時まで経ってもなのはちゃんは―――ずっと一人のままだよ」
「良い子はがまんできるんだよ?」
「それは我慢して良い事じゃないッ!!」
すずかは叫ぶ。
「我慢する事が良い事なんかじゃない……痛いのも、苦しいのも、悲しいのも、我慢する為にあるんじゃないよね?痛ければ痛いって言えば良い。苦しければ苦しいって言えば良い。悲しければ、悲しいって言えば良い。そんな想いを我慢しても何も始まらない。周りに壁を作って、誰とも触れ合えない自分を作るだけだよッ!!」
「………すずかちゃんが、何を言いたいのか、わからないよ?」
「どうして、わかってくれないの?」
同じ言葉を話しているはずなのに、言葉に込められた想いはまるで伝わらない。
目の前にいるのに、言葉が届く距離にいるのに、なのはにはちっとも届いていない。
その虚しさに涙が流れそうになる。
「どうして、どうして……」
「…………わからないよ、全然わからないよ」
月光は冷たく、二人の少女を映し出す。
一人は想いを伝えようと必死になっているにも拘らず、届かない。
一人は想いを伝えようとする者の想いを拒み、受け入れられない。
やはり、駄目なのだろうか。
自分みたいな者の言葉が、化物の言葉で人の心を動かす事など出来る筈が無いのだろうか。
静寂が道場を包み込み、呼吸の音すら聞こえない。
「――――――そういえば、さ」
そんな中でなのはが口を開く。
「わたし、すずかちゃんにあやまろうとおもってたんだよ?」
「謝る?」
「うん、そうだよ。わたし、すずかちゃんにだいきらっていわれたから、あやまろうとおもってたんだよ?」
あの時の事が脳裏に蘇る。
だからこそ、あの時と同じ顔をしたなのはの言葉は、
「ごめんね、すずかちゃん。なにがわるいのかぜんぜんわからないけど、わたしがわるいんだよね?だから、ごめんなさい」
空っぽの言葉を紡ぎ、頭を下げる。
それがどれだけ残酷で心を傷つける事をしているのか、まるで理解していない。
天使の様な残酷な笑みを浮かべながら、
「ごめんなさい。ゆるしてください。だから、もういっかいともだちになろうよ?」
「あ、あぁ……」
「わるいのはなのはだけど、あやまったらゆるしてくれるよね?わるいことをわるいってみとめるなのはは、良い子だからあやまるんだよ?だから、ゆるしてくれるよね?ね?ね?ね?」
床が軋む音がする。
すずかが、膝を尽く音がする。
「どうしたの、すずかちゃん?」
届かない。
届くはずがない。
言葉だけでは届かない。
想いも届かない。
何もかもが、届かない。
今度こそ、涙が流れた。
情けなくて悲しくて、虚しくて寂しくて、
「うぅ、うああ……」
顔を覆って涙を隠す。
どうして泣いているのか理解していない様に、なのはは首を傾げる。
「どうしてないてるの?おなかいたいの?どこかいたいの?なら、わたしもかなしいよ?すずかちゃんがないてたら、私もかなしいんだよ?」
高町なのはは、機械である。
プログラムされた事を繰り返すだけの、残酷な機械である。
誰かが泣けば、自分も泣く様にプログラムされている。だが、簡単に泣く事は出来ないので、自身の身体を傷つけて涙を流す。
あの時と同じ様に頬を捻り、冷たい涙を流す。
「ほら、わたしも悲しいんだよ?」
「もう、やめて……」
耐えられない。
「わたしも悲しいからなみだをながすんだよ?かなしみは、かなしいとおもう気持をともだちと分かち合うのが良い子なんだよ?」
「やめてよぉ……お願い、だから」
機械はプログラム通りの行動しか出来ない。だからすずかが止めろと言えば、機械は素直に頷くしかない。冷たい涙は拭えば消える。最初から空っぽの冷たい涙など、その程度でしかない。
「うん、それじゃなかないよ?」
「……う、あぁぁぁああああ……」
絶望する。
どれだけの勇気を振り絞っても、あれだけの危険な目に会いながらも此処に来ても、駄目だった。こんな駄目な自分に行けと言ってくれた九鬼と教頭に申し訳ないという想いがあり、姉にがんばってこいと言われたのに、それが出来ない自分が情けない。
こうして泣く事しか出来ないのは、自分が弱いから。
こうして跪き、何も出来ないのは、自分が化物だから。
「化物じゃ……駄目なのかな?」
悲しみに怒りが湧いてくる。
「友達が欲しいと思うのは、駄目な事なの?化物は、人間じゃない私みたいな奴は、友達を作っちゃ駄目なの?」
「すずかちゃん?」
「ねぇ、なのはちゃん……私の事、好き?」
「べつに」
即答されて、心に亀裂が走る。
「すきじゃないよ?でも、好きじゃないから―――すきじゃないけど、ともだちになってあげたんだよ?」
「そっか……そうだよ、ね」
「うん、そうなんだよ?」
冷たい風が道場に入りこむ。
身体と心を冷たく、凍えさせる為に吹き荒み、残るのは虚しき傷跡。
もう誰も語らない。
もう語る時間すら与えられない。
あるのは希望ではなく絶望。
奇跡は一瞬だけで、全てを円満にする様な奇跡は起きない。
奇跡など、ない。
甘ったるい想像は砕け散り、目の前に立つのは砕かれる事のない不屈の空白。
砕くに足りない。
故に砕ける者などいない。
そうして、時間は進み。



約束の時はきた



冷たい風ではない。
風も何も無いというのに、背筋が凍るような冷たさを感じた。
顔を上げると、なのははすずかを見ていない。彼女が見ているのは自身の背後。先程までなのはが座っていた場所。
そこにきてすずかは漸く気づいた。
なのはが座っていた場所は、ただの床ではない。地面に奇妙な文字が無数に刻みこまれており、それが円を成す様に永遠と書き綴られ、魔法陣の様な形をしていた。
その魔法陣が、光っていた。
鈍く光るは紫色の邪光。
周囲の空気を変貌させるには十分すぎる程に奇怪な光は、道場の中を淡い空間に様変わりさせ、言葉を失う光景を作り出す。
魔法陣から何かが生まれる。出てくるのではなく【生れる】のだ。
「わぁ……」
それをなのはは嬉しそうに―――涙すら浮かべて見つめる。
反対にすずかは本能的に理解した。あの中から生まれるモノはマトモなモノではなく、何よりも奇怪であり、否定しなければいけない暗黒だと。
魔法陣から、黒い靄が吹き出す。
吹き出した靄は形を成し、まるで人の影の様に集まり、立ち上がる。
靄によって作りだされた影は大人の男性の形をしている。影はゆらりゆらりと動きながら【分裂】した。男性の影から分かれ生まれたのは女性の影。髪の長い、成人した大人の女性の影。その影もまた同じ様に分裂する。
一度に二つ。
男性の影よりも少しだけ小さい、子供の様な影が二つ。子供の影は別れた瞬間に身長を伸ばす様に周囲の靄を吸い込み、大きくなる。
そして生まれたのは、男と女の影。
影が四つ。
異形の影が四つ。
人の形をしながらも、人を否定した冷たさと暗さを兼ね備えた影が魔法陣の上に立っていた。
「―――――――」
すずかは目を背けたかった。
この現象から、生れ出た影から、それを歓喜の表情で見つめるなのはから、この場で起こった全てから目を背けたかった。だが、身体が動かない。動く事を空間が許さず、同時に影の頭がまるで自分を見つけているかのように思え、金縛りにあった様に動けない。
影が揺らめく。
揺ら揺らと蠢き、揺ら揺らと囀り、揺ら揺らと―――存在してしまう。
駄目だ。
あれは駄目だ。
あれは、あの影は存在してはいけない影だ。
あんなものは存在してはいけない。
「――――――ほら、せんせいのいったとおりだ」
なのはが呟く。
「なのはが良い子にしていれば、ちゃんとあえるって」
涙を流しながら、【空っぽ】な笑顔を浮かべながら、
「おとうさんにも、おかあさんにも、おにいちゃんにも、おねえちゃんにも……みんなに、あえるっていってた」
絶句。
あろうことか、あんな存在を【家族】だと言った。
そんなはずがない。
あんな人間でも化物でもない、【何でも無いモノ】を前にして家族だと言えるはずがない。
「はははは……あはははははははははッ!!」
歓喜の笑い。
感謝の笑い。
この世の全てに感謝し歓喜し、そして手に入れた瞬間が此処にある。
「あいたかったっ!!ずっとあいたかったんだよっ!!みんなに、なのはのかぞくに、あいたかった!!だからあえた!!あえた、あえた、あえた、あえた、あえたよ、やっと!!」
影の手が揺らめき、なのはに手を伸ばす。
なのはも応える様に手を伸ばし、
「なのはちゃんッ!!」
すずかがなのはを突き飛ばす。
アレに、あの影に触ってはいけない。そんな想いが身体の呪縛を破り、すずかを動かした。だが、それだけ。なのはを突き飛ばした瞬間、影の手が鞭の様に唸り、
「―――――ッ!?」
すずかの身体を叩いた。
「ぃ、あ……ッ」
腹部に衝撃が走り、壁に叩きつけられた。
身体を強打した事によって呼吸が困難になり、同時に腹部に熱い何かが走る。
「すずかちゃん!?」
なのははすずかに駆け寄る。
「大丈夫!?ねぇ、大丈夫なの!?」
大丈夫なわけがない。
たった一撃だが身体中に激痛が走り、言葉にならない。
すずかに攻撃した影が動き、すずかに近づく。
「――――駄目!!」
それを妨げたのは、なのはだった。
「すずかちゃんを傷つけちゃ、駄目だよ!!」
なのはの叫びに、影が動きを止める。
「すずかちゃん、大丈夫?」
心配そうな声に、すずかは疑問を感じた。

自分を心配するなのはの顔、そして声が【空っぽ】――――ではないような気がした。

それを見逃さない。
それを見逃した瞬間、終わる。
それを見逃さず、言葉を構築する。
否、言葉ではない。
想いは構築する。
構築した想いは言葉となる。
言葉で引き金に当てに想いを【叩きこむ】のだ。
意思を紡げ、想いを紡げ、言葉を紡いで己の全てを成して事を起こす。
一瞬の真実は勘違いかもしれない。だが、それを勘違いとするのならば、勘違いすら真実にしてしまえばいい。
何故、それを信じるのか―――簡単だ。
言葉と想いしかないからだ。
自分に力はない。
化物と自分を称しようとも、その化物としての力はあまりにも小さい。
それ故に力ではなく己自身を武器とする。
さぁ、戯言を喚き散らそう。
さぁ、綺麗事で世界を埋め尽くそう。
さぁ、想いの丈の全てを持って、言葉での闘争を始めよう。



奇跡の起こらぬ世界に、己が【軌跡】を魅せつけるとしよう






漸く会えた。
ほら、やっぱり会えたじゃないか。
目の前にいる影は私の大切な家族だ。
先生の言う様に良い子にしていれば、必ずみんなと会えると言っていた。その言葉は嘘ではなく、真実だった。
長かった。
三年という時間は私にとってはとても長い月日だった。でも、その長い時間を果てに私はこうして手に入れる事が出来た。
やっと手に入れた、家族の絆。
【でも、本当に良かったの?】
良かったに決まっている。
これ以上の幸福なんてあるはずがない。
先生は言っていた。
良い子にして、自分の言う事をちゃんと聞けば必ず家族に会えると何度も言っていた。時々、その言葉が嘘なんじゃないかと疑った時もあったけど、それが杞憂でしかなかった。
先生は言っていた。
今日、深夜零時に此処にいれば必ず家族と会える。
アナタを捨てた家族に会う事ができて、これからはずっと家族と共に居る事ができると言っていた。その為に捨てるべきモノはあるが、そんなモノは些細なモノだ。
捨てても良い。
三年という地獄の様な時間を耐え抜いた今、私は何って捨てる事が出来るに決まっている。それが例え、【私自身の命】だとしても関係はない。
孤独は嫌だ。
孤独は寂しい。
病室のずっと待ち続けて、来ない家族を待ち続けた日々と同じ様に、三年は長かった。
朝起きて、全てが嘘だと思った―――もちろん、そんな事はない。
部屋の中は変わらなくても、居間に降りれば変わっているかもしれない―――でも、変わらない。
おはよう、と口にしても返してくれる人は誰も居ない。
居間に置かれたテーブルは綺麗だったけど、次第に壊れて行った。テーブルの上に埃が溜まり、使っていないのに亀裂が入っていた。初めの内はテーブルを掃除するのが日課になっていた。毎日掃除して、みんなが何時でも帰ってきても良い様に綺麗にしてあげた。
それを苦とは思わない。
だから毎日毎日掃除した。
テーブルだけじゃない。
家中をくまなく掃除して、綺麗な家にみんなを迎え入れようと思っていた。
それは、一年で止まった。
「先生。みんなとはまだ会えないの?」
「えぇ、まだ会えません。もう少し、もう少しだけ時間がかかります」
そっか、すぐには会えないんだ。なら、すぐに掃除しても関係ない。すぐに会えないのなら、今掃除しても意味がない。私は一年で掃除を辞めた。でも、自分の部屋だけはちゃんと掃除する事にした。自分の部屋くらいは綺麗にしておきたかった。だって、毎日暮らすのはこの部屋だけなんだ。
家に帰り、私は何時も居間を通らずに自分の部屋に行く。自分の部屋だけが私の空間だから……私の空間は此処だけ。居間は家族のみんなと過ごす為に使わないでおこうと決めた。
そうして、私には【家】という存在が意識の中から消えた。
使わない場所ばかり。
一人では広い場所ばかりで、使う必要が無い。
そうしている間に三年が経ち、何時の間にか家はボロボロになっていった。
少しだけ寂しかった。でも、みんなが戻ってきたらみんなで直そう。そう決めて、私は家という存在を放置した。
結局、家なんてものは意味がないと知る。

一年目が終わると、次は二年目がきた。
誰も居ない場所に一人暮らす事に慣れて来た。食事はコンビニ弁当や先生の料理で日々を過ごした。時々は自分で作ったけど、すぐに止めた。自分で作るのは良い事かもしれないけど、料理はお母さん習いたかった。だから料理は覚えなかった。でも、お菓子を作る事だけは始めた。みんなが帰って来た時に私の作ったお菓子でみんなをびっくりさせるんだ、そう決めてお菓子の勉強をした。
その頃からだろうか。
私は周りを観察するようになっていた。
他の子達はみんな楽しそうにしているけど、時々やんちゃな子もいたから悪さをしていた。悪い事はいけない、良い子でないといけない、だから私はその子達に言った。
悪い事をしてはいけない。
良い子でいなくちゃいけない。
でも、伝わらなくなっていた。
どうしてだろう?
あぁ、そうか……
私もそんな良い子じゃないからだ――――駄目、そんなの駄目に決まってる!!
私は観察する。
みんなを観察する。
みんなの【良い所】だけを観察する。
そうして私はみんなの【マネ】をする事を覚えた。
悪い事を覚えず、良い事だけを覚えた。そうする為に自分の中で変な感情が浮かんできたけど、それが邪魔をするのなら消して忘れた。
良い子であろうとした。
良い子でいなければいけないとした。

次第に心が空っぽになっていった気がした。

私の言葉は、自分で言っていて酷く空っぽで軽い言葉の様に思えてきた。悪い事はいけない、良い事をしよう、そんな事を言っている私の口から出る言葉と、私の中にある変な感情がぶつかり合い、次第に心が変化する。
それが何かわからないから、先生に聞いてみた。
「先生。私、なんか変なんです」
「何が変なの?」
「なんだか、ここが……気持ちが、変なんです」
拙い言葉でもなんとか伝えた。すると、先生は笑ってそれはおかしい事じゃないと言ってくれた。それが正しい想いであり、正しい心の形なのだと。
そっか、そうなんだ……なら、いいや。
私は深く考えない事にした。
考えるよりも、私が思った事をそのまま口にする様にした。
【けど、それはあまりにも空っぽ過ぎる】
関係ない。
良い子であるのなら、善意だけを信じれば良い。
これで良い。
これが良い。
これがいい。
これでいい。
何時しか、空っぽな自分に違和感を感じなくなった。

空っぽなまま二年が過ぎ、三年目が訪れた。
気づけば家の中は酷い有様になっていた。子供の私の手には負えない程に酷い現状になり、どこから手を付け、何処を直せばいいのかもわからない。なら、このままで良いか、という考えによって放置を決め込み、家は私の部屋を除いて誰も住めない環境になった。
新学期がきた。
新しい先生がきた。
加藤虎太郎という先生だ。
少し変な先生だった。だって、最初の授業がいきなり作文で、内容が【将来の夢】だった。私は知っている。みんな、こんな内容の作文が嫌いだっていう事を。でも、私はちゃんと書いた。
【内容は忘れた。それだけ、つまらない内容だった】
良く出来たと思う。
先生にも誉められた。
【けど、私自身はそれを覚えていない】
それからしばらくして、月村すずかちゃんがクラスに顔を出す様になった。聞けば私とはずっと同じクラスだったのだが、まったく授業は受けなかったらしい。
そこで私は思い出した。
そういえば、私が退院して初めて学校に着た時、すずかちゃんはアリサ・バニングスちゃんと喧嘩していた。理由はわからないけど、その場にいた私はその喧嘩に巻き込まれた。
凄く怖かった。
死ぬんじゃないかと思うほどに、怖かった。
すずかちゃんもアリサちゃんも、まるで殺し合いをするみたいに怖い顔で喧嘩していた。私はそれが怖くてずっと震えていた。胸の中で病院で感じた黒いモヤモヤみたいなものが吹き出しそうになったけど、我慢した。
結局、喧嘩は何時の間にか終っていた。
そっか、そういえばそれからだった。すずかちゃんが来なくなった時期とアリサちゃんが周りと仲良くしなくなったのは……
でも、それは今はどうでもいい。
だって、すずかちゃんとアリサちゃんも私のお友達なのだから。
【でも、好きじゃなかった】
すずかちゃんと仲良くなったのは、すずかちゃんがずっと一人でいたからだ。一人で寂しそうにしていたから、私はすずかちゃんに声をかけた。声をかけて、沢山話して、一緒にお弁当を食べて、体育の時間に一緒にペアを組んで、掃除も一緒にした。
そしてある日、すずかちゃんが友達になって欲しいと言ってきた。
当然、私はそれを受け入れた。
【好きでもないくせに】
だって、断るのは可愛そうだったし、良い子でいなくちゃいけない私は、誰とでも仲良くしなくちゃ駄目なんだ。
すずかちゃんは喜んだ。
私は全然楽しくないけど、喜んだフリをした。
【それが、すずかちゃんを悲しませる原因だった】
それからしばらくして、私はアリサちゃんとも友達になった。
アリサちゃんはすずかちゃんみたいに友達になって欲しいとは言わなかったけど、なんか自然とそんな風になっていた。
友達が増える事は良い事だ。沢山友達が居る子は、良い子なんだ。
それからしばらく三人で遊んだ。
学校でも、休みの日でも、ずっと三人で遊んだ。
【楽しかった?】
楽しいとか、面白くないとか、そういうのは良くわからないけど……うん、きっと【二人】は楽しめたんだから良いよね?
でも、ある日私はすずかちゃんに大嫌いだと言われた。
【――――――】
頬を叩かれたけど、許してあげた。
【――――――】
どうして叩かれたのか、どうして大嫌いと言われたのかはわからないけど、謝ればきっと許してくれるに違いない。
【――――――】
許して、くれるよね?
【――――――】
許してくれるに、決まってるよね?
【――――――】
ねぇ、どうなの?
【――――――】
………………………心を空っぽにしたら楽になった。
【ほら、そうやって逃げてる】
何時もみたいにこうやって空っぽにすれば、何も感じなくて良い。悲しい事も苦しい事も全部忘れて、私は高町なのはとしての形を維持できる。
【逃げてるだけじゃない】
そうして、私はずっと生きてきた。
【そうして、私はずっと逃げてきた】
良い子でいれば家族に会える。
【良い子を演じて逃げてきた】
良い子でいれば全てが元に戻る。
【良い子を演じる事で周囲から逃げてきた】
私はおかしくなんてない。
これが私だ。
こうなるっている私は普通なんだ。
【―――――でも、本当にそれは私なの?】
そうして、私はとうとう手に入れた。
家族を、取り戻した。
もう何もいらない。
こんな幸せな気分でいられるのなら、何もかもを捨て去っても構わない。
【嘘つき……】
嘘じゃない。
【嘘だよ】
嘘じゃない!!
【本当にそう思っているの?本当の本当に?】
当たり前じゃないか。
私は良い子なんだ。良い子にしてたから、こうしてみんなが、家族が戻ってきてくれた。それが真実で、それが私が間違っていなかったっていう証ではないか。
【…………それじゃ、どうして見ようしないの?】
見ようと、しない?
【そう。どうして、見ようとしないのかな?】
何を見ようとしないって言うの?



【世界を、だよ】







言葉は嘘と偽る事ができる。だが、全てを嘘だと見ぬ事はできない。その為に人は言葉だけではなく、表情を読み取り、相手の気持ちをわかったつもりになるしかない。
それは間違った事なのか。
それは自分よがりではないのだろうか。
関係ない。
そう見えて、そう思えてしまったのなら、それは己が真実である事に変わりは無い。全てが間違いだというのならそれでも良い。それこそ救いようの無い現実だという事に他ならない。
だが、それでも挑むべきだ。
目の前の現実から。
空っぽの中に隠された本当から。
「―――――嘘、だよね?」
すずかは言った。
「全部、嘘なんだよね?」
「―――――え?」
なのはは放心した顔をする。
嘘だと言うすずかの顔には、現実に縋りつく様な悲惨は表情は感じられない。それどころか、まるで全てが見えたと言わんばかりに、澄み切った表情をしていた。
「すずかちゃん?」
すずかはなのはの手を取る。
「なのはちゃんは、家族に会いたかったの?」
「…………うん、そうだよ」
そう言ってなのはは笑う。
影を指さし、あれが自分が会いたかった家族だと言った。
しかし、

「嘘だよ、それ」

すずかはあっさりと否定する。
「どうして……そんなこと、いうの?」
「だって、なのはちゃん……全然嬉しそうじゃないもん」
「そんなこと、ないよ」
そんな事は無い。自分は嬉しいのだ。やっと家族に出会えた。やっと家族を取り戻す事が出来た。家族のいない寂しさに【飢え】すら感じていた。その【飢え】はこうして解消され、今こそが彼女にとって至福の瞬間なのだ―――そう、言った。
しかし、すずかは首を横に振る。
「私は……なのはちゃんの本当を知らない。何時だってなのはちゃんは嘘ばっかりだった。私と居る時も、アリサちゃんと居る時も……私達が出会う前からそうだったんじゃないの?」
否定する。
そんなわけがあるはずない。
力強く否定する。
すずかがそっと手を差し出し、なのはの頬に手を当てる。
「誰かの心なんて私はわからないよ。でも、なんとなくだけど想像はできるかもしれない。なのはちゃんの顔は……作り物みたい」
「つくり、もの……」
「うん、作り物。仮面みたいに冷たくて、笑った時も冷たい。そして、それ以外の顔が一つもない。私が最初になのはちゃんと話した時からずっとそうだった。なのはちゃんは何時だって笑っていた―――笑っているだけだった」
喜怒哀楽が人の表情を作り出す。だが、なのはの表情には喜怒哀楽の喜しか存在しない。まるでそれ以外の感情を忘れた様に―――もしくは、それ以外の感情を隠す様に。
「なのはちゃんは言ったよね?私の事なんて全然好きなんかじゃない。それじゃ、きっと私と一緒に居る時も楽しくなんてなかったんでしょう?」
頷く―――事が、何故か出来なかった。
「なら、それは仮面と変わらないよ。つまらない時はつまらない顔をしていい。悲しい時は悲しい顔をしていい。怒った時は怒った顔をしていいの……じゃないと、本当の顔を忘れちゃうんだよ」
「そ、そんなの……そんなの、あるわけない」
「今の顔も、嘘だよ」
「うそじゃない!!」
「ううん、嘘……そっか、こんなに簡単だったんだ。こんな風に何時も同じ顔なのに、どうして気づかなかったんだろうな、私」
「うそじゃない、うそじゃない……ぜんぜん、うそなんかじゃないよ!?」
どれだけ否定しても、言葉は届かない。何故なら、その言葉の全てが嘘であり偽りだから。
どれだけ他人に良い顔を見せたとしても、良い顔しか出来ない者の顔が本物であるわけがない。
笑う事しか出来ない者なんていない。
その裏に本当が潜んでいるからこそ、それを知る事が出来る。
なのはの頬から手を放し、すずかは言う。
「ねぇ、なのはちゃんの【本当】って何?そんな顔で隠した本当のアナタは何処にいるの?それは私達に見せられない顔なの?そんなに……見せたく、ないの?」
仮面が崩れる。
仮面で在る事すら忘れた顔が、仮面である事を思い出す。
それが恐ろしくなり、なのははすずかから離れようとするが、
「逃げないで」
その手をすずかが握る。
「お願いだから……逃げないで」
「は、なし、て……」
「知りたいの。アナタの本当を……それがどんなモノかはわからないけど、私は―――知って受け入れたいから」
「はなしてよッ!!」
なのはの叫びが影を動かす。
影の一つが母親の様になのはを抱きしめ、すずかを突き飛ばす。
「おかあさん」
それが母親だとなのはは言った。
「…………ほら、それも嘘だ」
突き飛ばされたダメージはあるだろう。だが、すずかは立ち上がる。
「それがなのはちゃんのお母さんなら、なんでそんな顔でお母さんを見るの?自分を助けてくれたお母さんを、そんな風に見るなんて変だよ」
何を言っているのかわからない。
母親の影に抱きしめられながら、なのはは自分の顔を触る。
仮面だと言った。
この顔が仮面だとすずかは言っている。だが、自分がどんな表情をしているか自分自身ではわからない。
そして、気づいた。

鏡を見た事がない。

自分は鏡で自分を見た事がない。
身嗜みを整える時も、洗面台で顔を洗う時も、玄関で靴を履く時も、学校で手を洗う時も、何処に居ても自分は―――鏡を見ない。
そして、この場所にも同じ様に鏡はない。
「嬉しいって感じがしないよ、なのはちゃん……全然、そんな顔をしていない」
「うそだ……そんなの、うそだよ」
それではまるで、
「うそみたいじゃない……」
自分の全てが、
「うそなんかじゃない……」
自分でもわからぬ程に、
「うそなはずがない!!」
わからないという話ではないか。
敵がいる。
自分の全てを否定する敵が其処に居る。
そう思ってしまった瞬間、影が動いた。
父親の影が動き、すずかに手を伸ばす。
「―――――駄目ッ!!」
それが止まる。
なのはの声で、止まった。
すずかは動きを止めた影―――ではなく、なのはを見る。何故か、嬉しそうに微笑みながら、
「今のは、嘘じゃない」
そう指摘されるが、なのはにはわかる筈がない。
「さっきもそうだった。私が傷つけられた時、なのはちゃんはそうやって止めてくれた。その時のなのはちゃんは、嘘じゃない」
「…………」
「ねぇ、もう止めようよ。そんな顔じゃなくて、本当のなのはちゃんを見せてよ」
こんな状況でも微笑みは壊さない。
目の前の現実を前にしても、崩れ去る事のない笑顔は嘘ではないと思えた。反対に、こんな状況なのに自分の顔はすずかの言う様に嘘で出来ているというのだろうか。
軋む。
歪む。
壊れる。
何かが音を立てて崩れようとしている。
「―――――――――」
なのはは自分の顔に手を当て、
「ぅううう、ぅあああああああ……」
唸る。
騙されるな、と声がする。
すずかの言う事に耳を貸すな、と声がする。
声がするのは自分の頭の中から。
頭が割れる様な痛みと共に声は響く。
しかし、

【眼を、反らさないで】

【心】は違う事を口にする。
「なのはちゃん……」
頭と心は違う事を口にする。
「なのはちゃんッ!!」
【理性】と【意思】は違う事を口にする。
「お願い、なのはちゃんッ!!」
そして、
高町なのはの、
仮面は、



崩れた



「―――――――言わないでよ」
暗い声が響く。
「勝手な事、言わないで……」
地の底から響く様な、【人間味】のある言葉は漏れ出した。
「何にも知らない癖に、勝手な事を言わないでッ!!」
喜怒哀楽の怒の感情が其処にある。
「私の事なんて何にも知らない癖に、何でそんな勝手な事が言えるの!?私はアナタの事なんて嫌いなの、大嫌いなのッ!!」
痛烈な言葉に意思を宿す。
「最初からそうだった。一人だけ自分は不幸ですみたいな顔して、周りが自分から避けてる事が当然で、それを我慢しなくちゃいけないって思いこんだ様な顔をして……それで自分が可愛そうだと思ってたの!?そんな風にしてれば、何時か誰かが自分に話しかけて、友達が出来るとでも思ってたの!?」
仮面ではなく、空っぽでもない。
「苛々してた。アンタみたいな根暗な奴、見てるだけで苛々してたッ!!目触りだし、邪魔だし、はっきり言ってどっか行っちゃえって思ってたッ!!……でも、可愛そうだから話しかけてあげた。あんまり寂しそうにしてたから、つい話しかけちゃったけど、本当は全然話したくなかったのよ、私はッ!!」
酷い言葉ばかりだ。
心が引裂かれる様な言葉ばかりだ。
だというに、
「わかった?私はアンタの事なんて大嫌いなのよ……大嫌いだって、言ってるの……大嫌いだって言ってるのに――――なんで、笑ってるのよ!?」
そう言われて、すずかは自分が笑っている事に気づいた。
わざわざ自分の顔を触って、顔は笑みの表情を作っている事を確認した。
「笑ってる……私、笑ってる?」
「見りゃわかるわよ、この根暗馬鹿……こんなだけ言われて、なんでそんな顔で笑ってられるのか信じられない……もしかして、見た目は根暗だけど頭の中は温泉が湧いているような天然?はんっ、そんなお嬢様ぶっても見た目が根暗なのは変わらないのよ、アンタは!!」
これだけ言われても、どうしてか笑みが消えない。
「わ、笑ってんじゃないわよ、馬鹿!!馬鹿、馬鹿、ば~かッ!!」
罵詈雑言を受けながらも、少しも嫌な気分になれない。それどころか、こうして喚き散らすなのはを見て、どんどんおかしくなってくる。
「――――――ッ!!」
笑われてる事に怒ったのだろう。なのはは顔を真っ赤にしながら尚を痛烈な言葉を繰り出す。
仮面の様な空っぽではない。
良い子の様な綺麗な言葉ではない。
其処に居るのは、

「笑うなって言ってんのよ、この根暗馬鹿ッ!!」

口の悪い、一人の少女の姿だった。





恨んだ。
私を置いていなくなった家族を、私は恨んだ。
大嫌いだと心の中で言った。頭では良い子にしていれば、何時か戻ってくると思っていながらも、本心では何時も家族のみんなに酷い事を言っていた。
私がこんなに悲しいのに、寂しいのに、どうして私一人を置いて何処かにいってしまったんだと、喚き散らしたかった。
でも、そんな事を言うべき家族が私の前にはいない。だから心の中で何度も何度も叫んで、何時しか声が枯れ果てた。
それが諦め、なのかもしれない。
私がどう足掻いても家族は帰って来ない。なら、先生の言う様に良い子でいれば先生が私の願いを叶えてくれるかもしれない。
そうすればこの文句を家族の前で口にする事が出来る。
その為には良い子になろう。
見せかけだけの良い子になろう
そう思っていると――――何時しか、私の中で裏と表が逆転してしまった。
学校で良い子にしても、本当は違う事がしたかった。悪い事をしている子に駄目だと言いながらも、心の中でそれが羨ましいと思っていた。だって、悪い子が悪い事をすれば怒られる。あまりにも酷いと親を呼ばれる事だってある。それが羨ましかった。
私には誰もいない。
誰も私を迎えに来てはくれない。
「良い子にしていれば、必ず家族に会えますよ」
「はい、わかりました」
嫌だ。
何時かなんて待てない。今すぐにでも会いたい。お父さんに、お母さんに、お兄ちゃんに、お姉ちゃんに、みんなの会いたい。
「良い子にしていれば、必ず会えます」
良い子になんてなりたくない。
私もみんなと同じ様に生きてみた。
自分の好きな事を、子供みたいに好き勝手やって、誰かに怒られて、泣きべそ掻いて、家に帰ってお母さんやお父さんに慰めてもらいたい。その後、自分が悪い事をしたんだって叱られて、ごめんなさいと言いたい。
嘘じゃない、ごめんなさいという言葉。
嘘じゃない、自分自身の言葉。
悪い子になりたい。
悪い事をして、それを怒られる普通の子になりたい。
誰からも好かれるなんて嫌だ。誰も本当の私を見てはくれないじゃないか。誰もが高町なのはという自分を見ずに、見せかけだけの【良い子の自分】しか見てはくれない。
誰も気づいてくれない。
誰も知ってはくれない。
高町なのはは良い子などではなく、何処にでもいる普通の子供として扱ってくれる誰かが欲しいと願った。でも、誰もそれに気づいてはくれなかった。当然だ、私がそれを隠していた。わからない様に、気づかれない様に、先生に言われるがままに良い子を演じ続けた。
でも、そのせいで何時しか本当の私が何かのわからなくなった。
本当の私は何処?
良い子なのが私なの?
こんな自分じゃないと家族には会えないの?
なら、こんな自分を消してしまえば良い。
仮面で隠して、本当の私を忘れて、良い子の高町なのはとして生きていけばいい。
そうすれば会えるのだ。
大好きな家族に。
文句を沢山言いたい家族に。

「嘘だよ、それ」

薄暗い闇の中。
仮面の中に隠した私のそんな声が聞こえる。この声は誰の声なのだろう。綺麗な声で、可愛らしい姿をした誰かだった気がする。
そんな声が私を嘘だと言った。
何もかもが嘘で、私の全てが嘘だと言いきった。
仮面が歪む。
私が―――手を伸ばしたから。
仮面が崩れる。
この声の少女に、手を伸ばしたから。
仮面が―――ゆっくりと剥がれ堕ちた。




一通りの罵詈雑言を吐き出した後、なのはは不意に黙り込んだ。
母親の影に抱かれたまま、俯いたまま黙り込み―――静かに口を開いた。
「何で、アンタが来るのよ……」
疑問を口にする。
「あれだけ酷い事を言ったのに、どうして来るのよ」
「どうしてって言われても……来たかったから、じゃ駄目かな?」
困り顔ですずかは言う。
「意味わかんない」
「私もわからないな。でもね、今は後悔してない。ちょっと後悔しそうになったけど、後悔しなくて良かったって思ってる」
なのはは顔を上げる。
「だってさ、本当のなのはちゃんにこうして会えたから」
嬉しそうな顔をするすずか。反対になのはは顔に影を落とし、
「…………がっかりしたんじゃないの?私、本当はこんな子なんだよ?こんな我儘で、アンタに酷い事を平気で言える様な……嫌な子なんだよ?」
「だったら私は根暗な子なんだよね?」
意地の悪い、まるで九鬼の様な顔をしてすずかは笑う。そんな顔を見て、なのはは何とも言えない顔をする。
「うん、自分でもわかってる。さっきなのはちゃんが言った様に、私はあの時、誰かが話しかけてくれる事ばかりを願って、自分では動こうとしなかった。自分が怖がられてるのはしょうがない、これが当たり前なんだって……それは紛れもない事実だから、否定しないよ」
「…………」
「けど、そんな私に話しかけてくれたのは、なのはちゃんだけだった。なのはちゃんが話しかけてくれたから、優しくしてくれたから、私はなのはちゃんが好きになった。これ、今思えば勝手だよね?自分に優しくしてくれる人を好きになるのって、優しくしてくれない人は嫌いになるって事だからさ」
「…………」
「だから――――ありがとう」
透き通る声が響く。
「私なんかと、友達になってくれて本当にありがとう……私と居ても全然楽しくないのに、ずっと付き合ってくれてありがとう……こんな私と一緒にいてくれてありがとう」
何度も何度も、ありがとうを口にする。
その想いは嘘ではない。
すずかの、心の底からの感謝の言葉。
「なんで、そんな事……言えるの?」
「楽しかったからだよ。なのはちゃんと一緒にいた時間は凄く楽しかった。今まで生きてた中で、家族以外であんなに楽しかった時間はなかったと思う。なのはちゃんとアリサちゃん、三人で居る時は時間が早く進み過ぎて、一日じゃ足りなくて、毎日でも続けたいと思えるくらいに、素敵だったから」
次第に声が小さくなり、
「だから、本当はも、もっと……もっと、一緒にいたか、った……この、時間がずっと、ずっと続いて欲しい、と、思って、たんだ……」
嗚咽を漏らしながらも、伝えるのは本当の気持ち。
「だ、だめ、なのかなぁ……」
顔を涙でグシャグシャにして、溢れる涙を拭う事もせず、
「私じゃ、だめなの、かなぁ……」
ずっと友達でいた。
ずっと仲良しでいたい。
だが、その友達という関係は嘘で塗り固められた偽り。どれだけ綺麗な思い出だとしても、片方から告げられた真実はどうしようもない程に悲しい別れの言葉と同じ意味を持つ。
「嫌だよぉ……なのはちゃんに、嫌われたまま、は……嫌なの……」
「―――――ふざけないで」
勝手に口は動いた。
「何なのそれ?私が、私が勝手にアンタの事を嫌いで、友達なんかになりたくないって言ったのに、なんでそんな私と一緒にいたいと思ってんのよ!?」
「大好きだからだよッ!!」
純粋な想いは胸に突き刺さる。
「なのはちゃんの事が大好きだから。本当のなのはちゃんを知っても、その想いは全然変わらないから……だから、一緒にいたいの。一緒に、ずっと一緒にいられる……友達になりたいの」
どうして。
どうして、彼女はそんな事を言えるのだろうか。
こんな自分なのに、嫌われて当たり前の自分なのに。
「あ、う……あ」
何かを言いたい。けど、言葉は出ない。伝えるべき言葉は無い。伝えるべき言葉は見つからない。こういう時にどうすればいいのか、どんな言葉を伝えるべきなのかわからない。
仮面をかぶっていた頃の自分なら、きっとすんなり言葉は出て来ただろう。
だが、今の自分はそうじゃない。
語るべき言葉も、相手を想うべき言葉も、何もありはしない。
空っぽでなくなった今でも、自分はこんなにも空っぽだった。
「私、は……」
伝えたい想いはあるのか―――ある。
あるが、伝えて良いのだろうか。
自分は選んだ。
三年前に選んだ。
他者の絆ではなく、家族を取った。
自分を抱きかかえてる影を見て、言葉を詰まらせる。
そんな自分に、



「―――――伝えればいいさ。お前の本音をな」



不意に、道場に第三者の声が響いた。
何時の間にいたのか、道場の入口に背を預け、煙草を吸っている教師がいた。
一体何があったのか、全身をボロボロにして、頭に包帯まで巻き付けて、それでも何時もの様に振舞う姿は、紛れもなく、
「加藤先生……」
すずかとなのは、二人の生徒の視線を受けながら虎太郎は微笑む。
「言いたい事を言えば良い。月村がやったように、お前の中にある本当を……そのまま伝えれば良いさ。支離滅裂でも良いし、うまく伝わらなくても良い……そんな言葉でも届くんだよ、想いって奴はな」
虎太郎はそう言って、歩きだす。虎太郎が歩き出した瞬間、影達は虎太郎に何かを感じたのか、戦闘態勢と整える様に手に何かを出現させる。
影により生み出された小太刀。
両の手に構え、虎太郎を威嚇する。だが、そんな相手が居るにも関わらず、虎太郎はなのはを促す様に顎で指す。
「言わないで後悔するのも良いが、俺は言って後悔する事を進める……それに、だ」
すずかを見て言った。
「お前はわかってるんじゃないのか?お前の言葉を正面から受け止めてくれる奴が居るって事に。そいつがいるって事への安心感にな」
すずかも頷く。
嘘じゃない言葉なら、聞くと言っている。
嘘ではなく、本当の自分の言葉を聞くと、言っている。
だから、言葉を紡ぐ。

「―――――そんな資格なんて私にはない」

視線は合わせない。
恥ずかしいからだ。こんな自分の言葉を聞いてくれる、好きだと言ってくれた少女の顔が見る事が出来ない。
「アンタに―――すずかちゃんに、そんな風に言ってもらえる資格なんて私には無い」
口調はこれでいい。
今までの自分の言葉は本当だが、これも本当の自分で在る事には変わりはない。
「ずっと一人だった……私の家族は私を捨てて、何処かに行っちゃった。そんな家族の事が許せなかった。でも、許せない自分がいても、それを諦めきれない自分もいた……会いたかった。会って沢山文句を言いたかった。どうして私を一人にしたのかって、どうして私を捨てたのかって――――言いたかったッ!!」
そんな時、なのはは魔女と出会った。
魔女の言葉は優しく、人をおかしくさせる蜜の様に甘い言葉だった。
「だから、私は良い子になった。良い子になっていれば、良い子を演じていれば、何時か家族に会えるんだって思ってた。今でもそれは変わらない。先生の言う事を聞いていれば、絶対に会えるんだって信じてる……でもね、そう信じているのに、信じて、いるはずなのに」
過去は敵だ。
「思い……だせないの」
記憶という過去が今と未来を食いつくそうする。
「忘れそうなの……お母さんの顔も、お父さんの顔も、お兄ちゃんもお姉ちゃんも……みんなの顔が、ね……わからなくなってきたの……」
恐怖した。
記憶にあるはずの顔が、何時も自分を見てくれた顔が思い出せない。頭の中にあるはずの顔は、顔を失くしたのっぺらぼうの様にぼやけた顔になり、笑っているのか泣いているのか、怒っているのかもわからない。
のっぺらぼうが自分に手を伸ばし、自分はその手を掴んで笑っている。
それがおかしくて、怖くて、寂しくて。
「………夢も、見なくなった。何時も見ていた夢でも、顔がわからなくなった。そしたら、今度は……声が、声が、聞こえなくなったの」
過去が消えていく。
顔も思い出せず、声すらわからなくなった。どんな声で自分の名を呼んでいたのか、どんな風にその声に応えればいいのかもわからなくなっていた。
それを知ったのは、家族が消えて二年が過ぎた頃だった。
「忘れたくなんてないのに、忘れちゃいけないのに……わからないッ!!わからないのッ!!みんなの顔も声も思い出せなくなってきて……そしたら今度は思い出も、思い出せなくなって……ほ、本当に、いたのかも、わからなくなってきて」
もしかしたら、家族なんて自分には最初からいなくかったのかもしれない。高町なのはという少女は病院から始まり、その前は存在しない架空の存在だったのかもしれない――そんな思いが脳裏を過った。
そんなはずはないと知りながらも、それを否定する事が出来なくなっていた。
だから縋りついた。
魔女の言葉を信じ、良い子になろうと頑張った。
だが、どれだけ頑張ろうと家族の顔は思い出せず、のっぺらぼうである事には変わりはなかった。
忘却という敵は自分自身。
過去を忘れた己が何よりも憎い敵だった。
そんな自分が周りとどうこう出来るはずはなかった。周りには家族がいる。親しい友人だっている。自分の様に誰かを忘れる様な心の冷たい人達じゃない。
そんな人達を前に、自分がどれだけ小さい人間かを知る事が出来た―――その事に絶望した。
だからなのかもしれない。
自分を抱えている母親の影。自分を守ろうとしている家族の影。彼等を見た瞬間に確信した。
自分は、もう家族の顔を思い出す事は出来ない。
記憶は無くても、心は覚えているなんて嘘だ。それが嘘でないとするのなら、どうして自分は家族の顔を思い出す事が出来ないのだ。
だが、これは半分予想していた。
予想していながらも、縋りついた。
家族に会えるという願いに縋りつき、なりたくもない良い子になった。
「それは、悪い事なの!?」
叫ぶ。
心の底から叫ぶ。
「良いじゃない!!怖かったんだから!!忘れるのが怖くて、それが嫌だから良い子を演じて、誰からも好かれる子になろうとしたって良いじゃない!!みんなには誰かが居るけど、私には誰も居ない!!私だけが誰もない……誰も、傍にいてくれない」
見せかけの希望かもしれない。手の伸ばせが消えてしまう儚い幻かもしれない。だが、それに縋るしか方法はなかった。
家族の顔を完全に思い出せなくなるくらいなら、自分なんて捨てても良いと本気で思った。
「ねぇ、悪いの!?こんな私は、悪い子なのッ!?」
良い子にしていれば必ず会えると言ってくれた。
だから良い子にしていようと思った。
良い子になるにはどうすればいいのか、考えた。
まず、悲しい事に悲しいと思える事が大切だと思った。
まず、嬉しい事を素直に嬉しいと思える事が大切だと思った。
まず、誰かとは仲良くしなければいけないと思った。
誰かの迷惑になってはいけない。だが、誰かの迷惑を見捨てずに受け止める事が大切だと思った。
そうすれば良い子になれるんだと気づいた。
だが、それは全てがまやかしだった。
「………頑張ったんだよ?私、頑張ったんだよ……嫌な事でも進んでやった。間違っている事は間違っていると言った。誰かが泣いていれば慰めようとした。誰かが嬉しいと想っているのなら嬉しいと思える様になった」
それが、これっぽっちも共感できないとしても。
彼女にわかるのは相手の顔を見て、考えている事、苦しんでいる事、悲しんでいる事を想像しているに過ぎない。そこから生まれるのは行動ではなく対処。同情ではなく対処。
対処という機械じみた行動だった。
本当は知った事ではない。
「でも……駄目だった」
そんな対処の方法を知っても、心は平気になんかならない。
あの日、すずかに酷い事を言ってしまった時、気づいた。
「どれだけ形を見繕っても、私の中身は空っぽだった……オジサンの言う様に、人の心を汚す様な酷い事をずっとしてきだけなんだって。そんな事をしている自分に言い訳して、ずっと誰かの心を傷つけてきた」
気づけば、空っぽの心にあるのは悲しみだけ。
心は切り裂かれ、心は腐っていき、心は何も理解できない寂しい塊になった。
そんな自分に、
「そんな私なんかが、誰かの友達になんて……なれるはず、ない」
すずかを見る。
「友達なんかじゃない……私は、友達になんかなっていなかった。それどころか、すずかちゃんに好きだって言われる資格すらない……」
こんな汚い自分、人の感情を弄ぶ事しか出来ない自分に、誰かの友人なんて立ち位置にいられるはずがない。
だから、本当は苦しかった。
だから、本当は悲しかった。
だから、本当は嫌だった。
友達なんていらない。
友達なんてほしくない。
友達なんて―――――私には、相応しくない。
「私は……ずっと、孤独なんだ……孤独で、良いんだ」
目の前には家族がいる。
手を伸ばせば手に入れられる家族がいる。
誰かの想いを踏みにじり、手に入れた家族がいる。
なのに、ちっとも素直に喜べない。
わかっている。
これは本当の家族なんかじゃない。
自分の家族は既に存在しない。
消えた。
自分一人を残して、消え去った。



「だからね、すずかちゃん……私は、アナタの友達じゃないの……ずっと前から、今も、そしてこれからも……」



これでお終い。
伝えたい事は全部言った。
これだけ言えば、自分がどんな人間か良くわかったはずだ。
後悔はない―――だが、少しだけ悲しい。
想いの全ては吐きだした。
ずっと誰かに聞いて欲しい事は、これで全部だ。
「もう、いいや……」
だから終っても構わない。
心の何処かで気づいていた事。
魔女が隠していた何かを、何となくだか知っていた。
「私……死ぬんだよね?」
天井を見上げると、そう尋ねると

「えぇ、そうですわ。なのはさんは物分りの良い素敵な子ですわね」

天井から巨大な爆音と共に何かが堕ちて来た。
「―――――ッ!?」
虎太郎はすずかを抱えて後ろに飛ぶ。飛んだ瞬間、すずかが居た場所に炎が噴き上がる。
「あら、外しちゃった」
呑気な声を上げながら、現れたのは魔女。
「もう、駄目ですよ害虫さん。月村さんをせっかく蒸し焼きにしてあげようとしたのに……」
「…………空気も読まずに現れるんだな、お前は」
すずかを抱えながら、虎太郎は魔女を睨みつける。
「そんな事を言わないでくださいな。これでも基本的に空気は読みますわよ?もっとも、今回はあまり私の大事な生徒に変な懺悔をさせるアナタ方にちょっとお仕置きしようとしただけですわ」
「どうだか……」
「それにしても害虫さん。アナタよく生きてましたわね。生命力はゴキブリ並とはまさに害虫ですわねぇ」
「あの程度で死ぬほど、柔な鍛え方はしていないんでな―――そういうお前も、随分とボロボロじゃないか」
虎太郎の指摘した様に、スノゥは服の所々をボロボロにしており、身体の至る所にダメージを負っていた。その事に触れると、スノゥは気分を害した様に顔を顰める。
「あぁ、これですか。先程、ちょっと野蛮な獣に会いましてね。殺しても良かったのですが、今はこちらの方が先決なので、巻いてきました」
「つまり、逃げて来た、というわけか」
「違いますわッ!!」
憤慨の表情を浮かべ、スノゥは叫ぶ。
「あんな小娘なんて何時でも殺せます。ですが、世界には優先順位というものがあります。それ故、仕方が無く……本当に仕方が無く、巻いて来ただけですわ」
言い終わると、自分が叫んでいた事に気づいたのか、誤魔化す様に咳払いをしてスノゥはなのはへと視線を送る。
子供を見る様な顔ではなく、残酷な笑みを浮かべたまま。
「先生……」
「お待たせしました、なのはさん。どうですか、家族と会えた感想は?」
「…………」
なのはは何も言わない。
「そうですか、感動のあまり声も出ませんか」
勝手な解釈をして、ケタケタと嗤う。
「ですが、やはりアナタは素晴らしい子ですわね、なのはさん」
なのはの頭を撫でながら、囁く。
「それで良いの。それが良いのですよ……アナタが自分の愚かさを受け入れ、真に孤独を知り、そして絶望する心―――それが足りなかった。でも、今のアナタにはそれがあった。あったから、アナタは完全な意味で私の王に捧げる生贄に相応しいのですわ」
確かに今、なのはの心には絶望があるだろう。
「最初は、アナタに友達なんか作らせるのは間違いだと思っていましたが、それは私の間違いでしたのね……だって」
スノゥの冷たい瞳がすずかを狙う。
「ああいう道具があったからこそ、今のアナタがいる。道具の為に悲しみ、そして別れを受け入れられるアナタだからこそ、私は欲しいのですわ」
「…………」
「ですから、もうアナタは悲しまなくて良いのですよ?これからアナタは終わるのです。後悔はありませんね?あるわけがないですわよね?だって、アナタは念願の家族に会う事が出来たのですから」
こんな影を、こんな出来そこないを家族だと囀る。
「これはアナタの心から願った家族そのもの。アナタの記憶から構築した家族という存在。ですから、当然の如くアナタが家族の顔を忘れたのなら顔が無いのは当然ですわ」
なのはの身体がビクッと震える。
「私はアナタの願いは叶えました。なら、今度はアナタが私の願いを叶える番ですわ」
スノゥはそう言ってなのはに向けて指先を向ける。指の先に怪しい光が宿り、なのはの胸に押し付けようと動かす。
「――――やめて」
指が止まる。
「もう、やめてください……それ以上、なのはちゃんを苦しめないでください」
「ふ~ん、どうしてそんな事を言うのですか、月村さん」
振り向けば、すずかがスノゥを睨んでいた。小さな少女が精一杯睨みつける姿を見ても、怖さなど感じない。だが、すずかの言葉には確かに敵意がある。
「どうして……そんな風に人の心を簡単に傷つける事ができるんですか?アナタだって、人間じゃないんですか?」
「私が人間?馬鹿な事を言わないでください。私は人間ではなくエルフです。アナタ方の数十倍の年月を生き、何百倍の知識を持つ賢者の一族……一緒されるのは不快ですわ」
「なら、お前のその年月は実に無駄だと言う事だな」
虎太郎は煙草を吐き捨て、鋭い眼光を見せつける。
流石にその眼光には怯んだのか、スノゥは言葉を返す事に躊躇する。
その隙に、虎太郎はスノゥではなく、なのはに問いかける。
「おい、高町。お前はそれでいいのか?」
虎太郎の眼は、真っ直ぐになのはへと向けられている。
「このままでいいのかと、聞いてるんだ」
「私は……どっちでも良いです。もう、どうでも良いですし、どうなっても良いんです」
もう家族には会えない。三年間の頑張りはここで終わる。無意味に終わり、無価値に消され、何も残りはしない。
「本当にそうなのか?本当に無価値だと決めつけるのか?」
なのはから、すずかへ。
「月村、お前はどう思う?高町の今までの【頑張り】は、本当に無価値なのか?」
「違います」
考えるまでもなく、自然と否定を口にする。
「無価値なんかじゃない。無意味なんかじゃない。なのはちゃんが頑張ってきた三年間は、そんな人の為に無い事にしちゃいけない事です」
何を言っているのだろう、となのは思う。
頑張ってきた三年間―――自分は苦しんだ。苦しみ悲しみ、そして何も成し遂げられなかった三年を、二人は【頑張ってきた三年間】だと口にする。
「そんなの、違う……私は頑張ったけど、何にも出来なくて」
「何にも出来てないわけ無いッ!!」
少なくとも、すずかにとってはそうだ。
「なのはちゃんが三年間、ずっと頑張ってきたから、私は此処にいるの。なのはちゃんがどんなに辛い目にあってきても、投げ出さずに頑張ってきたから、私はなのはちゃんと出会えたんだよッ!!私だけじゃない。アリサちゃんだってそうだよ。ううん、私達だけじゃない。もしかしたら、私達の知らない誰かもなのはちゃんに会って変わったかもしれない」
「そんなわけないよ」
「あるかもしれないよッ!!」
憶測でしかないだろう。だが、そうでなければ報われない。
たった一人の少女が、たった一人で耐え抜いてきた三年という長い月日。
本来なら別の生き方があったかもしれない。
魔女ではなく、他の誰かが彼女の為に動けば、こんな想いはしなくて済んだかもしれない。
あくまで可能性であり、あり得たかもしれない可能性。それを否定する事は出来ない。魔女であろうと、神であろうと、誰であろうと。
「私はあると信じる。なのはちゃんがしてきた事には意味がある。そんな人の言う様な事の為にあった三年じゃなくて、誰かの為にあった三年であると私は信じる。だって、そうじゃなかったら、クラスのみんなはきっとなのはちゃんの事を好きになんてならない」
「え?」
みんな、クラスのみんな、とすずかは言った。
「なのはちゃんは知らないよね?みんながどれだけなのはちゃんの事が好きなのか……なのはちゃんは演技でみんなと一緒にいたかもしれないけど、そんななのはちゃんと一緒にいられたみんなは、なのはちゃんの事が大好きなんだよ?」
そんなはずはない。
だって自分は、
「高町。お前は周りの事をわかっていないが、同じく位に自分の事をわかっていないんだよ」
虎太郎は言う。
「お前はお前が思っている以上にクラスの中心にいるんだよ。俺みたいな新参者でもわかるくらいにな」
「そうだよ。加藤先生よりもずっとみんなに好かれてるだよッ!!」
「…………」
ちょっと苦い顔をする虎太郎。
「意味が無いなんて言わせない。なのはちゃんが居た事に意味が無いなんて悲しい事は、なのはちゃんにも言わせないッ!!だから、お願いだから言わないで……お願いだから、どうでも良いなんて、言わないで」
「アナタ方、勝手に盛り上がるのは勝手ですが、あまりなのはさんを刺激する様な事を言わないで欲しいですわね」
なのはとすずかを遮る様にスノゥが立ち塞がる。
「大体ですね、アナタがどれだけ綺麗事を口にしようとも、所詮は言葉でしょうに……それともアレですか?月村さん、アナタはなのはさんの苦しみを理解して、共にわかり合うとでも言うつもりですか?」
その孤独を、その絶望を、悲しみと苦しみの全てを分かち合う事が可能なのかとスノゥは言っている。
あり得ないだろう。
そんな事は絶対に出来ない。
誰かの不幸を分かち合う事は出来ない。仮にそれを分かち合うとするのなら、それは自分自身も不幸になるという意味だ。
自ら望んで不幸に堕ち、傷を舐め合う愚かな行為をするはずがない。
それが出来る様な者は人間ですらない。ましてや、心ある者ですらないだろう。
「それは……できません」
「ほら見なさい。どれだけ綺麗な言葉を並べたてようとも、所詮はその程度なのです。言葉は言葉でしかなく、他人は他人でしかない」
勝ち誇り嗤うスノゥ。
だが、それを覆すのは、魔女よりもずっと若い、ただの子供。
「私はなのはちゃんの苦しみを分かち合う事は出来ない……だってさ、私はなのはちゃんに……笑ってほしいから」
すずかは言う。
「苦しみなんて、分かち合いたくない。分かち合っても、何にもならないから」
誰かの痛みは誰かしか抱えられない。だが、人が分かり合うには、本当に分かち合う事が必要なのかと問われれば――――答えは否。
「私は……苦しみ合いたいんじゃない、悲しみ合いたいんでもない」
願うは辛い未来でも、茨の道でもない。



「私は……笑い合いたいの」


願うなら希望ある未来。
勝ち取るのなら、誰かと共に歩んでも楽しい道。
「私はなのはちゃんと一緒にいたい。なのはちゃん一緒に遊びたい、学びたい、共に歩きたい……だってさ、どれだけ裏があろうと、偽りであろうと、なんであろうと――――なのはちゃんが私に見せてくれた想いは、私にとっては本物なんだから」
誰かにとっての嘘は、時に人を傷けるだけ。だが、時にはその嘘が人を救う時だってある。高町なのはの空っぽの想いは確かにすずかを傷つけ、涙を流させ、絆を壊して否定した――-だが、それでも確かにあったはずだ。
嘘の笑みに救われた。
嘘の言葉に救われた。
全てが偽物だとしても、彼女の感じた想いは、すずか自身にとっては本物以外のナニモノでもない。
なら、嘘から始めれば良い。
偽物から始まる絆があっても良いはずだ。
この世に奇跡なんて物はなくても、奇跡を起こそうとする者がいなくても、勝手に起きる奇跡なんてものもある。
望まない奇跡に感謝しよう。
傷だらけの奇跡に感謝しよう。
傷だらけの【奇跡の軌跡】には、少女達にかけがえの無い日々があった。
奇跡が起きないのなら、軌跡を辿ろう。
過去から始まり、今を伝い、そして未来への軌跡となる道を。
そうすれば、それは何時しか奇跡になる。
奇跡なんてものは、何時だって――後付けの言葉なのだから。
「わ、私、は……私は―――」
「なのはさん、惑わされてはいけません。アレの言葉は全てが妄想だらけの綺麗事。そんな言葉に惑わされてはいけませんッ!!」
「黙るのはお前だ」
道場の床を踏み抜く程の勢いで、虎太郎が動く。
雷鳴の如く。
閃光の如く。
虎太郎の姿は何時の間にかスノゥの背後を取り、なのはを抱えていた母親の影に拳を振るう。
衝撃で影は吹き飛び、なのはを抱えて虎太郎は元の場所に戻る。
その間、一秒にも満たない刹那。
「な、……」
スノゥの驚愕には目もくれず、虎太郎はなのはをすずかの前に降ろす。
「高町……お前が決めるんだ。俺でもなく、月村でもない。お前が決めろ……俺はお前の家族じゃない。教師と言っても、所詮は他人だ……だからお前が決めるんだ。消える事に足掻く友人を選ぶのか、それともただ消える事を選ぶのか」
突き付けられた二択。
困惑しながらも、虎太郎を見る。
その眼には、スノゥにはない本当の想いが込められている。
「どちらを選ぶかを決めるのが、お前のこれからを決める事になる……だが、良く覚えておけ。後悔する事だけはするな。お前が後悔しなければ俺はどちらを取ってもお前を責めはしない―――だから、後悔しないように決めろ」
今度はすずかを見る。
「――――私も、それでいい。なのはちゃんが決めればいいと思う。でも、後悔する事はしないで……後悔するのは凄く苦しいよ。苦しいから考えて考えて、それで決めてほしいな」
もう、何もわからなくなる。
「いい加減にしなさいッ!!その口に、二度と喋れない様にしてあげますわ」
パチンッと指を鳴らす。
スノゥの足下に魔法陣が出現し、そこからゴーレムが召喚される。ダイヤモンドで出来たゴーレムが三体、土色のゴーレムが五体。
「なのはさんは、私の大切な【鍵】なのです。どれだけの戯言を口にしようとしても、そんな絆というものは偽物に過ぎない。故に、それをアナタ方のくだらない戯言など―――」

「勝手な事を言ってんじゃないわよ、糞ババアッ!!」

道場の壁が轟音を響かせて破壊される。
弾丸の如く、そして獣の如く速度で出現したのは金色の狼。その狼の拳が土色のゴーレムに叩きつけられ、一撃で破壊する。
「アリサちゃん!?」
現れたのは、アリサはスノゥ同様にあちこちに傷を負い、ボロボロだった。だが、それでも疲れの色など一切見せることなく、そこに立っていた。
「しつこいですわね、獣の癖に」
「獣だからしつこいのよ、糞ババア。それにね、私は自分の友達の為なら何処にでも現れるし、何時だって三百六十五日、二十四時間体制。悪いけど、二十四時間しか働かないアメリカドラマの主人公とは違うのよ」
「アリサちゃん……」
突然現れたアリサを呆然と見るなのはに、アリサはキッと睨みつける様に見据え、
「何をウジウジしてんのよ、このバカチンがッ!!」
「あ痛たたたたたぁぁッ!?」
なのはの頬を思いっきり引っ張った。
「いひゃい、いひゃいよ、ありひゃはん!?」
「さっきから黙って聞いてれば、何をウジウジしてるのよ。そんなウジウジしてるのはこの口?それともその頭?洗浄液で洗ってあげようかしら……」
涙目になるなのはの頬を放すと、今度は思いっきり頭を殴りつけた。
「ミギャッ!?」
ゴーンと鐘が鳴る様な音を響かせ、大きなタンコブを創り上げる。
「まったく、なんて様なのよ、このバカチンは」
「アリサちゃん、やり過ぎだよ……あと、さっきから聞いていればって言ってたけど―――もしかして、スタンバってたの?」
すずかのツッコミは無視。
ほんのり頬が赤いのは、きっと図星だからだろう。
そんな若干空気が緩みそうな時、スノゥが忌々しげに呟く。
「まったく、獣といい、害虫といい……どうして私の【鍵】の周りにはこうも邪魔する連中が多いのかしら」
その言葉を聞き逃す程、人狼の耳は悪くない。
「――――友達よ」
「はい?」
「友達だって言ってんのよ、糞ババアッ!!」
親指を真下に突き出し、スノゥへと吐き捨てる。
「この子は【鍵】なんてモノでもなければ、アンタの生徒もでもないッ!!この子は、高町なのはは、私達の学校の生徒で、そこにいる加藤虎太郎の生徒で、私とすずかの大切な友達なのよ!!だから、アンタなんかが足を踏み入れるスペースなんて何処にも無いって言ってんのよ!!」
「……そんなお友達が、アナタの事なんて友達だなんて思ってないのにですか?だって、あの子の中の友達なんて要素は、他人に良い子だと想われるだけの要素でしかないですよ」
その言葉は鼻で笑うには十分すぎた。
スノゥが、ではなく。
アリサが、だ。
「……偽物だっていいわよ」
不敵な笑みは決意の証。
そして、先程殴ったなのはへの【宣戦布告】。
「その偽物の友達に私は救われた。孤独がいい、孤立がいいって恰好つけるよりも、誰かと一緒に恰好悪くしてるほうが、百倍マシよ……だから、私はアンタの言う偽物の友達の為に戦うのよ」
「それをなのはさんが望まなくても?」
「私が望んでるのよ。あの子がどうかなんて関係ない。あっちが勝手に私を見限るのなら、私は諦めない。偽物の友達だっていい。偽物だってずっと続いていれば本物になるかもしれない。そもそも、偽物は偽物が故に――――本物なのよ」
諦めなどしない。
放してなどやらない。
なのはには悪いが、こっちは既に覚悟を決めている。
共に歩む道を、苦楽を共にするのではなく、楽だけを共にする覚悟を持って【友達】という言葉を宣言する。
「それにね、どこかの誰かが言っていたわ。偽物が本物に勝てない、なんて道理はないってね……だからね、返してもらうわよ。私の偽物の友達を。偽物が唯一無二に偽物になるまで、あの子を振りまわすって決めてんよ、私はねッ!!」
また、わからなくなる。
どうしてこの人達は、こんな自分の為に優しい言葉をかけてくれるのだろうか。自分にそんな価値はないというのに。今まで騙しただけで、アリサの言う様な何かを与えたつもりはまったくないと言うのに。
迷うなのはに【最後の一人】が声をかける。


「悩む必要などあるのか、お嬢ちゃん?」


靴音を響かせ、九鬼耀鋼という男が姿を見せる。
此処にスノゥ・エルクレイドルの邪魔をする者達が集合する。
たった一人の少女の為に、己の損得も関係なしに集まった。
「オジサン……」
「まず、一言謝るとしよう。俺がお嬢ちゃん達の間を色々と厄介にしたみたいだ……すまないな」
頭を下げ、
「そんな俺から言うべき事は特にないが……お嬢ちゃん、これだけは覚えておけ」
鬼の顔に不釣り合いな顔で、静かに言う。
「強い人間は何でもかんでも手に入れられるし、失敗もしない……だけど全ての人間がそうじゃない。お嬢ちゃんがどちらかは俺にはわからない」
その顔は、きっと笑っているのだろう。
「だから―――自分が強い人間じゃないと思うのなら……誰かを頼っても良いんだよ。お嬢ちゃんは弱くはないが、強くもないんだからな」





良いのかな?
こんな私でも、みんなと一緒にいたいと想っても許されるのかな?
今まで沢山の人を騙して、心を踏み躙ってきた。
それはきっと許されない事だろう。でも、それをしてでも手に入れたい絆があった。手に入れる事が叶わない願いだとしても、それが私の全てだった。
【――――――たい】
そんな私が、また欲しいモノができてしまった。それは手を伸ばせばすぐに届くモノかもしれない。だけど、それは今まで願ったモノよりも尊く、眩しい光だ。それに手を伸ばす資格なんて私には、きっと無い。
【―――――いたい】
それでも、
そんな私でも、
手を伸ばして良いのなら、
【――――に、いたい】
思い出せない家族の顔。
思い出せない家族の声。
思い出せない家族の記憶。
諦める事は出来ないと知りながらも、それに縋りつく事は出来ないと知りながらも、私の目の前にはそれと同じくらいに眩しいモノがある。
【私は―――に、いたい】
良い子じゃなくても良いのなら、
悪い子な私でも良いのなら、
空っぽじゃなくなり、ただの私で良いのなら、
【私は―――――】





「みんなと、一緒にいたい……」




その言葉で十分だった。
「アリサちゃんと、すずかちゃんと、みんなが一緒にいる……今が、いい」
勇気を振り絞り、本当の自分の言葉で紡いだそれを、拒む者は此処には居ない。
「なのはちゃんッ!!」
すずかがなのはを抱きしめる。
人の温もりを感じ、それを三年も放棄してきたなのはの瞳には、自然と涙があふれ出す。
それが勝ち取るべき勝利。
少女の小さな勇気と、絆を信じた少女の軌跡の先にある奇跡。
綺麗事だと笑えば良い。
誰が笑おうとも、此処にそれを信じる者がいるのなら、世界中の誰もが笑っても構いはしない。
「はぁ、世話の焼ける友達持って、私も大変ね」
そう言いながらも、なのはを抱きしめるすずかを見ながら羨ましそうにしているアリサに、虎太郎は、
「お前も抱きしめてやればいいじゃないか」
「それは……その、恥ずかしいじゃない」
「今更恥ずかしがる事があるのか?あんな大見え切っておきながら、恥かしいも糞もないだろう」
「…………なら、お願いがあるんだけど」
アリサはすっと腕を上げ、
「アイツ――――ぶっ飛ばしてよね」
敵を指定する。
「あぁ、任せろ」
言われなくてもやってやる。
拳を鳴らし、歩きだす。それを見たアリサは自分の出番が無い事を悟り、素直に虎太郎の言う事を聞いて、なのはの元に歩み寄る。
「なのは……」
「アリサちゃん、私……私」
「良いのよ。何も言わなくて良いわ――今は泣いても良いの」
すずかとアリサの二人がなのはを抱きしめる。
「好きなだけ泣きなさい。でもね、何時までも泣いてはいられない。だって、ここにはアンタの涙を止めようとする連中がいるんだから――――だから、涙はすぐに止まるわ」
この時、虎は初めて本当の意味で怒りを宿らせたのだろう。
海鳴の街に来た時から何度か抱いた怒りなど、この想いに比べればなんて事のない、小さな感情だった。
知るべきだったのだ、魔女は。
知っておくべきだったのだ、愚かな魔女は。
そして、その隣に並ぶは虎に匹敵する鬼が一匹。
その背中を見ながら、アリサは言う。
「だから、心配しないで……アンタが泣いている間に―――全部終わると思うから」
怒れる虎の前に立つという事は、死に最も近いという事。
怒れる鬼の前に立つという事は、死にも勝る恐怖だという事。
本気を出す。
この街に来て、初めての本気。
相手が如何に弱かろうと関係ない。
目の前の魔女が如何に本気を出すに値しない存在であろうと関係ない。
この瞬間、相手が強者でも弱者でもない者だとしても―――ただの怒りだけで本気を出す。
「たった二人で、私に勝つ気ですの?」
それを理解しようとしない愚かな魔女。
「勝つ?お前は何か勘違いしている様だな」
虎は牙を隠さない。
「あぁ、同感だ。この阿呆は大きな勘違いをしている」
鬼は角を隠さない。
隣に立つ鬼を虎は知らない。
隣に立つ虎を鬼は知らない。
だが、本能的に察知する。
それ故に、異口同音にて吐き捨てる。



【勝つ以前に、生き残る事を考えるんだな……】












【人妖編・最終話】『虚空のシズク』













敵の数は関係はない。
目の前にいる全てを【破壊】する事だけ目的とする。
まずは一番近くにいる土色のゴーレム。
「死になさいッ!!」
スノゥの命令によってゴーレムが動き出す。
だが、遅い。

「八咫雷天流――――散華」

それは見えない拳。
虎太郎の前に立ちはだかったゴーレムの視界にもスノゥの視界にもそれは見えない。所詮は捉えられない視界を持っているだけに過ぎない視界には映らない高速の拳がゴーレムに叩きこまれる。
十にも百にも関係なく。
無数の連打が怒涛の勢いでゴーレムの身体を撃ち抜き、撃ち砕く。
一撃の拳にも耐えられない脆い身体はあっさりと崩れ落ち、無に帰す。
「―――――ッ!?」
驚愕するスノゥ―――されど、まだ足りない。この程度で驚愕するなど愚の骨頂。
八咫雷天流の真骨頂は、まだ終わらない。
「ふん、これを出すのはサービスをし過ぎたかな?」
苦笑しながら、虎太郎は次の獲物へと襲い掛かる。
踏み込みの速度は鈍足の愚物では捉えきれない速度となり、雷鳴の如き速度と一撃でゴーレムの身体を通過と同時に破壊する。
「ッチ、ならばこれでどうですか!?」
指を鳴らし、出現させるのは異形の人形達。
それを、

「八咫雷天流――――飛礫」

出現と同時に、破壊する。
異形の数はおよそ十数体。それを一秒に満たない時間の間に全てを破壊する。
「なん、ですか……それは?」
まさか、虎太郎も自分と同じ様に魔法を使うというのかと、スノゥは驚愕する。
「何を驚く事がある?こんなもの、ただ【速く動いて殴ってるだけ】だろうが」
「それを平然とするのが、奴さんには驚きなんだろうよ」
九鬼は馬鹿にした笑みを浮かべながら、間抜けな顔で固まるスノゥを指さす。
「そういうアンタは見えたのか?」
「俺なら全部捌くさ」
「あぁ、そうかい。なら、今度試してみてくれ」
「機会があればな」
笑い合いながら、次なる敵を索敵。
残るはダイヤモンドゴーレムと影。
「あっちの透明なのは、俺がやる……アンタはあっちの黒いのを頼む」
「了解した」
そう言って散開。
虎太郎はダイヤモンドゴーレムへ。
九鬼は影の元へと走りだす。
「さぁ、リターンマッチと行こうか」
拳を握り、虎太郎は両腕を構えて力を練り込む。
前回、虎太郎の拳はダイヤモンドゴーレムには通用しなかった。
「一度やって無理な事は二度目も無理―――などと言う道理は在りはしないッ!!」
ダイヤモンドゴーレムの拳が虎太郎に迫る。虎太郎は動かず、迎え撃つ。
拳には拳を。
己が信じる、長年連れ添った信じるべき拳を全力で叩きこむ。



「八咫雷天流――――砕鬼ッ!!」



拳と拳が激突する。
石の拳とダイヤモンドの拳。
以前と同じ構図でありながら、以前とは違う事は一つだけ。
「腹が減っては戦は出来んとは、昔の人は良い事を言った……勉強になったよ」

亀裂が走るのは石ではなくダイヤモンド。

小さな亀裂は大きな亀裂へと変化し、次第にダイヤモンドの身体をあっけなく崩壊させる。
「そういえば前回、お前は面白い事を言っていたな」
砕け散るダイヤモンドの化物を背にし、虎太郎はほくそ笑む。
「俺の拳は石の様に堅いがダイヤモンドすら砕く、なんて事はない―――とか言っていたな?」
スノゥは絶句する。
「まさか、本当にそんな事を信じていたのか?世界一硬いというのは単なる噂だ。仮にそれが本当で、世界一硬いなんて程度で何を誇る?」
煙草を口に咥え、火を灯す。
「世界で一番堅い?それだけか?世界で一番力が強いわけじゃない。世界で一番速いわけでもない。世界で一番軽いわけでも重たいわけでもない。ただ、堅いだけ―――その程度で一体全体、何を誇るっていうんだ?」
鉄すら砕く石の腕。
ダイヤモンドすら砕く石の腕。
砕けぬモノなどありはしない。
「お前は最後だ……逃げるなよ」
そう言って、次なる敵へと襲撃する。


影は素早く動く。
闇に包まれた道場の中を信じられない速度で動きまわり、手にした小太刀で襲い掛かる。
「――――フンッ」
背中から襲いかかる小太刀を捌く。
前、後ろ、横、上、そして真下。あらゆる所から攻めてくる刃を二手にて捌く技術は人とは思えぬ神技―――否、鬼の技。
「やはり、見た目の通りの【あの流派】という事か……」
相手は速い。
剣筋も確かに鋭い。
しかし、九鬼の脳裏にある【本物】に比べれば、
「蚊の方がもっと早いだろうなぁッ!!」
背後から襲いかかる刃を捌き、カウンターで回し蹴りを叩きこむ。影は女の形をしたが、所詮は影。そして相手が男だろうと女だろうと関係なしに全力で蹴り込むのが九鬼耀鋼。
女の影は九鬼の蹴りを腹に受け、くの字に曲がる。そこに追い打ちの貫手を突き出す。
影であろうと人の形をしている。そして、その強度も人に似ている。ならば、人の身体程度の強度しかない身体など、貫ける筈も無し。
九鬼の手が女の影を貫く。
悲鳴を上げる様に痙攣し、影はゆっくりと霧散する。
それを見送る筋合いもなく、九鬼は横に跳ぶ。跳んだ瞬間に頭上から若い男の影が小太刀を叩きこんできた。いや、それだけじゃない。影は腕を振るうと、その手からワイヤーの様な影を射出し、九鬼の腕に絡まる。
「こんなモノまで猿マネか……だが、荒いッ!!」
本来なら腕が斬りおとされてもおかしくない強度を誇るワイヤー。そこだけは本物とそっくりだったが、生憎と使う者が本物を下回ってる。
ワイヤーを掴み、逆に相手をこちらに引き寄せる。九鬼の腕力の影は耐える事など出来る筈もなく、あっさりと釣りあげられた魚の様に跳んできた。だが、ただ跳んできたわけではない。その手に鋭い針を仕込み、投げつける。
「――――邪魔するぞ」
その針が九鬼に届く前に虎太郎の蹴りが全て撃ち落とす。
「援護御苦労」
九鬼は影のワイヤーをまるで自分も物の様に操り、跳んできた影の首にワイヤーを巻きつけ、
「終りだ」
背負い投げの要領で投げ飛ばす。影は投げ飛ばされると同時に首に絡まったワイヤーで自身の首を切断され、先程の影と同じ様に消え失せた。
「さて、残りはアレか……」
「どう見てもアレだけ別口といった所だな」
最後に残った影は、恐らくは父親の影だろう。両の手に小太刀を備え、構えている。今までの二体と違って構えも違えば雰囲気も違う。
「一緒にやるか?」
虎太郎の提案に九鬼は首を横に振る。
「アレのオリジナルにはちょっとした借りがあってな……悪いが、俺に任せてもらおう。お前はあの阿呆を叩けばいいさ」
そう言ってスノゥを顎で指す。
「良いのか、俺が貰っても?」
「構わんさ。お前さんはお嬢ちゃん達の先生なんだろ?だったらケリはお前さんが付けるべきだ。それと、前に喫煙所を駄目にした借りもあるしな」
「あぁ、あれか……わかった。そっちはアンタに任せよう」
そう言って二人は互いの敵に向きあう。
「――――まさか、こんな所であの高町と死合う事になるとはな……だが、偽物というのは何とも拍子抜けだ」
掌を突き出し、構える。
「悪いが、貴様は目触りだ。アレの猿マネをする偽物は此処で消えろ」
影は微かに重心を低く構え、九鬼を見る。
九鬼は相手が動く瞬間まで動きはない。
「見せてみろ。お前が高町士郎の偽物だというのなら、神速の剣技で俺の首を落す事など簡単だろう?」
挑発には乗らないのだろう、影は動かない。
勝負は一瞬で決める。
影の脚が床を踏みしめる。
九鬼の視界が全てを見据える。
影が―――消える。
その脚捌き、その速度、まさに神速。
床、天井、壁とあらゆる場所を駆抜け、九鬼の背後から襲いかかる―――様に見せかけ、本命は九鬼の眼帯で隠された視界から。
「――――――見えてるぞ」
が、その言葉で全てが決着している。
確かに眼帯で隠された眼は誰の眼から見ても死角だろう。されど、九鬼耀鋼という男に死角は死角に在らず。
見えなかろうと関係無しに、それすら九鬼の領域。
右の小太刀を捌き、左の小太刀を脇で挟んで折る。そして、直線に振り上げた爪先が影の顎の部分を砕き、踏鞴を踏ませる。
「剣士の真似事は金輪際しない事だな……そして、」
左腕を突き出し、右腕を引き絞る。ただし、その手は何時もの掌ではなく貫手に様に構え、



―――九鬼流絶招 肆式名山 内の弐――――

        焔錐


影の身体を突き刺した。

「あの世で詫びろ。お前が汚した剣士達にな」



あり得ない光景だ。
こんな事はあり得ない。
己の兵士がこんな簡単に撃破されるなど、あってはならない。
「残りはお前だけだ……」
「何故、何故アナタ方の様な者達に」
「簡単さ。お前は俺の生徒を傷つけた。心も身体も傷つけ。傷ついた心に入り込み、三年という生徒の大切な時間を奪い去った……そのツケを俺達が払わせる。それだけだ」
逃がす気はない、そんな鋭い瞳で射抜かれたスノゥは後退する事しか出来ない。魔法で戦うという選択肢は存在しない。例え無詠唱の魔法でも、虎太郎の圧倒的な速度を前には無意味だ。
恐らく、放つ前にやられる。
「…………私を、どうする気ですの?」
「どうする、か……そうだな。とりあえず殴ってから考えるさ。貴様を警察に突き出すのもいいし、忍に任せるのも良い。それで駄目なら俺の知り合い、【お頭】にでも頼んで永久に出られない空間にでも放り捨てるというのも良いな」
どちらにせよ、逃げ場はない。
ならば、
「三年です」
スノゥは腕を突き出し、交戦構えを取る。
「私は三年も待ちました……この日を、この時を三年も待ち続けたのです。それを、それをこんな所でふいにしてたまるものですかッ!!」
「それがどうした。貴様の三年よりも俺にとっては生徒の三年の方がよっぽど尊いものだ」
「黙りなさいッ!!」
炎が噴き出し、暴風が襲う。
魔女の使う魔法はそれだけ威力は秘めているだろう。しかし、そのどれもが虎を殺す事は叶わない。
「アナタにわかりますか?私がこの三年間、どれだけの屈辱を味わってきたのか……本来いるべき王の住まう世界ではなく、こんな辺境の世界に飛ばされた私の気持ちが……」
「飛ばされた?」
スノゥの言葉をそのまま理解するとするのなら、それはまるでスノゥは【別の世界】から来た、と考える事も出来る。
「屈辱です。えぇ、屈辱ですとも。私が何をしたというのです?私はノーライフキングの為にどれだけの事をしてきたか誰も知らない。この世界では、誰もそれを理解しようとしない。そんな屈辱にまみれた生活を三年も耐え、やっと見つけた【鍵】を―――私があの世界に、【ゴルドロック】に帰る為の【鍵】をやっと手に入れたというのに」
「お前の事情は知らない。だが、聞く限りだと貴様は……帰りたいだけ、と言う事か」
「そうですとも。私は、帰りたいのですよ。私の世界に、私を必要とする世界にッ!!」
「…………だが、その為に俺の生徒を犠牲にするのは許す事はできないな」
如何なる理由があろうとも、スノゥの行った事を許す事は出来ない。
仮に、本当に仮にだが、彼女がこんな事をせずに助力を求めて来たのなら、恐らく力をかしていたかもしれない。だが、そうはならなかった。彼女は己が目的に為になのはを利用した。
そして何より、
「それこそ関係ありませんわ。私はノーライフキング、我が魔王の元に馳せ参じる為なら、どんなものでも利用する。あの【鍵】を生贄にして、私と【同類の末裔】である彼女を、利用してでも異界の扉は開き、私は帰るのですッ!!」
こんな腐りきった考えしか持てなかった魔女は放ってはおけない。
「違う世界から来たとか、魔王への生贄だとか、そんなものはどうでもいい……好きなだけ思え、好きなだけ企め、好きなだけ行動して好きなだけ暴れればいい―――だがな、俺の生徒の前ではするな……貴様も仮にもアイツ等の先生だったんだ。その位はわかれ」
これは最後通告だ。
聞き入れれば、【少しは加減しても良い】だろう。
「知りませんわ、そんな事は」
しかし、聞き入れては貰えない。
当然だな、と虎太郎は大きな溜息を吐く。
「なら、好きにしろ……だがな、貴様は二度と教師を名乗るな」
「名乗る気など―――――」
拳を石に。
意思を込めた石に。
その拳を引き絞り、狙いは魔女が一人。
如何なる想いも暴虐も、それが自身の守るべき生徒に仇成す牙となるのなら、
「貴様のような奴が教師を名乗って、間違った教鞭を振るうなんざ――――」



虎の牙は、如何なる時でも猛威を振るう覚悟が在ると知れ




「―――――生徒の教育に悪いんだよ」




石の拳が突き刺さる。
魔女の顔面に叩きつけられ、宙を舞う。



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