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No.25741の一覧
[0] 人妖都市・海鳴 (リリなの×あやかしびと×東出祐一郎) 弾丸執事編、開始[散々雨](2012/08/03 18:44)
[1] 序章『人妖都市・海鳴』[散々雨](2011/02/16 23:29)
[2] 【人妖編・第一話】『人妖先生と月村という少女(前編)』[散々雨](2011/02/08 11:53)
[3] 【人妖編・第二話】『人妖先生と月村という少女(後編)』[散々雨](2011/02/08 01:21)
[4] 【人妖編・第三話】『月村すずかと高町なのは』[散々雨](2011/02/16 23:22)
[5] 【閑話休題】『名も無き従者‐ネームレス‐』[散々雨](2011/02/20 19:45)
[6] 【人妖編・第四話】『人妖先生と狼な少女(前篇)』[散々雨](2011/02/16 23:27)
[7] 【人妖編・第五話】『人妖先生と狼な少女(中編)』[散々雨](2011/02/20 19:38)
[8] 【人妖編・第六話】『人妖先生と狼な少女(後編)』[散々雨](2011/02/24 00:24)
[9] 【閑話休題】『朽ち果てし神の戦器‐エメス・トラブラム‐』[散々雨](2012/07/03 15:08)
[10] 【人妖編・第七話】『人妖都市・海鳴の休日』[散々雨](2011/03/29 22:08)
[11] 【人妖編・第八話】『少女‐高町なのは‐』[散々雨](2011/03/27 15:23)
[12] 【人妖編・第九話】『人妖‐友達‐』[散々雨](2011/03/29 22:06)
[13] 【人妖編・第十話】『人間‐魔女‐』[散々雨](2011/04/06 00:13)
[14] 【人妖編・第十一話】『人間‐教師‐』[散々雨](2011/04/08 00:12)
[15] 【人妖編・第十二話】『海鳴‐みんな‐』[散々雨](2011/04/14 20:50)
[16] 【人妖編・最終話】『虚空のシズク』[散々雨](2012/07/03 00:16)
[17] 【人妖編・後日談】[散々雨](2011/04/14 21:19)
[18] 【閑話休題】『人狼少女と必殺技』[散々雨](2011/04/29 00:29)
[19] 【人造編・第一話】『川赤子な教師』[散々雨](2011/05/27 17:16)
[20] 【人造編・第二話】『負け犬な魔女』[散々雨](2011/05/27 17:17)
[21] 【人造編・第三話】『複雑な彼女達』[散々雨](2011/05/27 17:17)
[22] 【人造編・第四話】『金色な屍』[散々雨](2011/05/27 17:17)
[23] 【人造編・第五話】『弾無な銃撃手』[散々雨](2012/03/14 03:54)
[24] 【人造編・第六話】『Snow of Summer』[散々雨](2011/06/08 15:56)
[25] 【閑話休題】『マジカルステッキは男性用~第一次魔法中年事件~』[散々雨](2012/03/14 21:29)
[26] 【人造編・第七話】『無意味な不安』[散々雨](2012/03/14 21:33)
[27] 【人造編・第八話】『偽りな歯車』[散々雨](2012/04/05 05:19)
[28] 【人造編・第九話】『当たり前な決意』[散々雨](2012/06/21 20:08)
[29] 【人造編・第十話】『決戦な血戦』[散々雨](2012/07/02 23:55)
[30] 【人造編・最終話】『幸福な怪物』[散々雨](2012/07/02 23:56)
[31] 【人造編・後日談】[散々雨](2012/07/03 00:16)
[32] 【弾丸執事編・序章】『Beginning』[散々雨](2012/08/03 18:43)
[33] 人物設定 [散々雨](2013/06/07 07:38)
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[25741] 【人妖編・第九話】『人妖‐友達‐』
Name: 散々雨◆ba287995 ID:862230c3 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/03/29 22:06
―――――――再度、高町なのはという少女の事を語ろう。
とはいっても、前回と同様に何か特異な点があるというわけではない。いたって普通に生れた少女は、生れも育ちも海鳴という人妖隔離都市だった。それは彼女の両親が海鳴に住んでおり、隔離都市になっても住み続けたという点に他ならない。
この街の事が好きだ、と両親は彼女に言っていた。些か奇抜な能力を持った人間は沢山いるが、それが人間である事には変わりは無いという言葉は、幼い彼女にはよくわからなかった。だが、両親がそう言うのであればそうなのだろう。そういう事にしておく事にしておこう。
ともあれ、海鳴で生まれ、海鳴で育ち、海鳴で生きる彼女の出生には特におかしな点は見当たらない。
彼女の母はこの街で喫茶店を経営する普通の女性。
父はかつては少々人には言えない危険な仕事をしていたが、彼女が生まれた辺りでそれとは手を切っている。
兄は父から剣術の手ほどきを受けて常人、下手をすれば人妖よりも強いだろう。
姉の方も兄には及ばなくとも、才能は限りなく高い位置にある―――ただ、姉の料理の味は酷いを通り越しているのは有名だった。
そんな【普通】の家庭に生まれた高町なのはは【普通】に育った。
何の変哲もない家族だ。
何の障害もない家族だ。
何の不幸もない、幸福を絵に描いた様な家族だ。
家庭の問題なんて言葉は余所の事情、この家にはまったく不釣り合いな言葉だろう。当たり前の幸福によって、当たり前に育った彼女は結果的にそこいらの子供と変わらない、【普通】の人生を歩んでいた。
月村の少女の様に、家にとらわれる事はない。
バニングスの少女の様に、闘争に足を踏み入れる事も無い。
ただただ、【普通】の少女として育っていった。
そんな少女―――なのはの人生は誰の眼から見てもおかしな所はない。
現に彼女の通っている学校の中でも特に目立つ生徒ではない。無論、他の生徒に比べれば多少優しく、多少我が強いという点では目立っているかもしれない。だが、それは精々【良い子】だと想われる程度に過ぎない。
誰からも好かれる子。
誰にも迷惑をかけない子。
誰にも嫌われず、誰も傷つけない子。
それが高町なのは。
【普通】を絵に描いた様な【良い子】の姿。
しかし、だ。
仮に、本当に仮に、なのはの過去を知る者が存在するとするのなら、きっとその者はこう言うのかもしれない。

彼女は、変わった

無論、それはきっと誰にも理解されない言葉だ。なのはの何処が昔とは違うというのか、それを証明、説明できるはずはない。子供は常に成長し、ゆっくりと人間という人格を創り上げていく存在だ。変わるのは当然だ。変わらない事が異常だ。そして、この言葉を吐く者は誰も居ない時点で、誰もそれを知りはしない。
高町なのはは変わったのだ。
彼女を知る者は【いない】。
彼女の過去を知る者は【いない】。
【普通】な高町なのはと【良い子】な高町なのはの両方を知っている者は誰も無い。
つまり、こういう事だ。
誰もが知っているのは【現在の良い子】な高町なのは。
誰も知らないのが【過去の普通】な高町なのは。
誰も昔を知らず、今を知っている――――だが、それは本当だろうか。
過去を知らないのは当然だとしても、今を知る事が当然だとは言えないのではないか。
人を知るというのは簡単な事ではない。何故なら、人を知るというのはあくまで主観であり、自身の思いこみがもっとも多い部分なのだ。それだというに、他人を知るなんて行為は出来るものなのかと考えればどうだろう。
これは屁理屈で言葉遊びに過ぎない。
だが、考えてみて欲しい。
人を知るという行為は――――それほど、簡単な事なのだろうか、と。
そして、本当の意味で人を知り、結果がプラスではなくマイナスだった時、彼女に関わる人々はどういう変化をするのだろうか。



人を知ると言う事は―――――知りたくない何かを知るという事なのかもしれない。








【人妖編・第九話】『人妖‐友達‐』














「高町さん、ちょっといいかしら?」
霙は廊下を歩いているなのはに尋ねた。
「はい、何ですか?」
「実はね、さっき教頭先生から聞いたんですけど……アナタ、昨日夜遅くまで外を出歩いてたんですって?」
なのははしまった、という顔をした。ソレを見るだけでそれが事実だという事が一目でわかった。霙は小さく溜息を吐き、手を腰に当ててなのはを見る。
「駄目ですよ、高町さん。学校が終わったら早く家に帰らないと……」
「ごめんなさい……」
「友達と遊ぶのは良いんですけど、日が暮れる前には家に帰れる様にしないと駄目です。最近、色々と物騒なんですから」
霙自身、こんな事はあまり言いたくない。だが、教師としては生徒の為を想ってこういう事はしっかりと言っておかねばならない。
本人が自覚していても、それが善意だとしてもだ。
しゅんっとなってしまったなのはを見て、霙は真面目な顔を崩し、微笑む。
「バニングスさんのお見舞いに行ったそうですね……偉いですよ」
そう言ってなのはの頭を優しく撫でた。
「友達を大切にするのは良い事です。そういう気持ちは大切ですから忘れてはいけませんよ」
自分のした事を肯定してくれた事に安心したのか、なのはは頬を紅めて恥ずかしそうにうつむく。
「今日もバニングスさんはお休みですけど、きっとすぐに元気に登校してきますから大丈夫ですよ。その為に、アナタが危険な目にあったら駄目ですからね。バニングスさんや月村さんと一緒に楽しく遊ぶ為に必要な事ですよ」
「はい、わかりました」
嬉しそうに笑うなのは。
それを見て微笑む霙。
霙はなのはが入学してから、今までずっと彼女の担任だった。それ故に霙はなのはにとって一番親しい教師という認識が強い。
「あ、そうだ。霙先生。この間、先生に教えてもらったお菓子のレシピの通りに作ったら、凄く美味しくできました」
「あら、そうなの?」
「はい!アリサちゃんもすずかちゃんも、美味しいって言ってくれました」
「それは良かったわ。それじゃ、今度はステップアップして別のお菓子を作れるようになりましょうね」
二人は楽しそうに話す。
その姿を見た他の生徒や教師は微笑ましい光景だと心の底から思った。
無論、その中には虎太郎も含まれる。
「…………お菓子か」
ただし、この男の場合は少し違う。
お菓子という単語に反応したのは空腹感のせいだった。金欠のせいで今日もゆで卵だった虎太郎にとって砂糖が沢山入っているお菓子など高級品以外の何物でもない。
腹を押さえながら、カレンダーを見る。
給料日まで残り三週間。
霙に借金して借りた三万が在るとはいえ、そう簡単に手を付けるわけにはいかない。少なくとも、豪勢な食事などもってのほかだ。
「週末……いや、日曜日になれば」
虎太郎の頭の中には一発逆転の秘策があった。
今週の日曜日、彼が大敗を喫したパチンコ店のイベントデー。
軍資金は財布の中に三万(借金)がある。
そう、この男はよりにもよって生活費という名目で借りたお金を、失った家族(お札)を取り戻す為に使おうと計画しているのだ。
「大丈夫だ。俺ならやれる、俺ならやれる……あぁ、やれるとも」
一人ブツブツ呟き続ける虎太郎。
「――――虎太郎先生、どうしたのかな?」
そんな虎太郎を見て、首を傾げるなのは。
「わかりませんが…………何やら、不審な気配がします」
まさか、自分が貸した金を早々にパチンコ台に突っ込もうとしているとは思いもしない霙だったが、それでも嫌な予感はあったらしい。
「ふふふふ、目に物みせてやる……まってろよ。今度は魚群で大フィーバーしてやる」
当然、この呟きは霙となのはにはまる聞こえだった。
魚群というのが何かはわからないが、フィーバーという言葉にピンときたのか、
「加藤先生……」
ニッコリ――――感じに直すと煮ッ虎裏な笑顔を浮かべながら霙は虎太郎の肩を叩く。空腹のせいで相手に接近に気づかなかった虎太郎は錆びた機械の様にゆっくり、ギギギという擬音を響かせながら振り向いた。
修羅がいた。
悪鬼羅刹がいた。
こめかみにバッテンマークを浮かび上がらせ、目を三角眼にした霙。
虎太郎という名前の癖に猫みたいに縮み上がる虎太郎。
それを見て苦笑するなのは。
「あ、アナタという人は……」
「いや、待て、待つんだ帝先生!」
「何を待てというのですか?先程、なにやらフィーバーという言葉が聞こえた気がするのですが――――まさか、私の貸した、私が善意で貸したお金を」
「思ってない!!絶対に思っていない!!決して日曜のイベントで魚群でマ○ンちゃんとサ○に会おうなんて、絶対に思っていない!!」
「…………」
なのはの様な子供でもわかる。
「墓穴を掘るって、こういう事なんだ」
勉強になりました。
「こ、こここここここ――――――虎太郎先生!!」
学校は今日も平和だった。






すずかの気分はとてもじゃないが良いとは言えない。
体調がすぐれないというわけではく、むしろ好調だ。最近はそう思える程に楽しい毎日だったから尚更だ。故にこういう感覚には敏感に反応してしまう。
「――――――腹減ったな」
腹を押さえながら黒板に数式を書き込む虎太郎。虎太郎をジト目で見据える霙。誰も座っていないアリサの席。そして、黒板をじっと見つめ、ノートを取っているなのは。
「…………」
高町なのは。
友達。
自分に出来た初めての友達。
月村である自分に一番に話しかけ、友達なってくれた大切な友達。
そう、友達だ。
一緒に通学バスに乗る。一緒に校門をくぐる。一緒に教室に行く。一緒に同じクラスで勉強する。一緒に休み時間におしゃべりする。一緒にお弁当食べる。一緒に掃除をする。一緒に下校する。また明日と一緒に行って、また一緒になる。
学校だけじゃない。家にいてもメールや電話でおしゃべりはする。休日は一緒に遊んだりする。すずかの家に遊びに来たりもする。
ずっと一緒だ。
ずっと一緒にいる大切な友達の一人だ。
「…………」
だというのに―――いや、だからこそなのかもしれない。
不安になっているのだ、自分は。
昨日、教頭と話している時に見せた【空っぽの笑顔】が気になってしょうがない。愛想笑いの様な作り物ではない。人間が普通に見せる普通の笑い、笑みが、空っぽなのだ。
無論、すずか自身がそれを見極める程に人生経験が豊富なわけではない。むしろ、人との関係という点においては三年もサボっていた程だ。だからこそ、あれが自分の見間違いなのか、それとも見間違いで済ませてはいけないものかの違うがわからない。
「それはこの問題を……高町、やってみろ」
虎太郎がなのはを指名し、なのはが黒板の前まで来て数式を解いていく。
なのはは理数系、特に数式を解く事を得意としている事は知っている。他の教科はすずかやアリサの方が成績はいいが、この教科では未だになのはに勝った事がない。アリサが悔しそうにしている姿は今でも思いだせる程にだ。
スラスラと問題を解いてくなのは。
「出来ました」
「ん、正解だな……にしても、アレだな。お前はこういう授業だけはしっかりしているな」
「あぅ、すいません」
「いや、別に駄目だというわけじゃない――――でも、流石にこの間の国語のテストの点数はちょっとな……得意な教科を伸ばすのもいいが、他の教科もそれなりにな、というだけの事だ」
前回の国語のテスト。
三人で点数の見せっこをした時、なのはだけが逃げ出そうとして、アリサに関節を決められて捕獲された。
あの時の点数は見事だった。
それはもう、バッテンで絵を描いているかのような見事なバッテンの嵐。
アリサは即座になのはを解放し、何事も無かったかのようにテスト用紙を仕舞いこみ、別の話題に切り替えた。
あの時のなのはの不満そうな顔とアリサのなんかゴメンな顔はしばらく忘れられそうにない。
「だかまぁ、学校で習う事なんて社会に出ると案外役に立たないんだな、これが」
「あの、加藤先生。あまりそういう事を生徒前で言わない方が……」
「……まぁ、それもそうだな。うん、今のは無し。全員、忘れる様に。忘れずに教頭にチクッたりしたら連帯責任で宿題倍にするからな」
全員からブーイングの嵐を受けながらも、平然と流す虎太郎に頭を抱える霙。
「虎太郎先生、横暴だぞ~!!」
「人でなし!!」
「女たらし!!」
「女たらしって何?」
「わかんない。昨日のテレビで言ってた」
「そうなんだ……虎太郎先生の女たらし!!」
「女たらし~」
「女たらし~」
何故か巻き起こる女たらし旋風に虎太郎も若干顔を引き攣る。
「お前等、頼むからそれをクラスの外で言うなよ。じゃないと、また俺が教頭にクドクド言われるからな――――あと、女たらしって行った奴は全員は宿題倍だ」
「やっぱり横暴だ~!!」
これは何時もの光景。
虎太郎が来る前にはなかった楽しげな、そして騒がしい光景。
すずかが自分の殻に閉じこもっていた時には知らなかった微笑ましい光景。
何時の間にか、自分もその中の一人になっていた。
皆が笑い、すずかも笑う。
誰もが笑っているのに、
「――――あ、」
やはり、一つだけの空白がそこにあった。
楽しげな笑顔だというに、何も感じていない、周りに合わせている様な空白で空っぽな笑顔。笑顔をいう仮面を嵌めているのは、自分の大切な友達だった。
「どうして……」
胸が苦しくなる。
笑っているのに、悲しい。
笑っているのに、苦しい。
笑っている事が、笑える光景があるこの場所が、その空っぽな笑顔一つに否定されている様な気分が心を占める。
そして気づいた。
どうして今まで気づかなかったのか、そう思える程に当たり前な事に気づいた。

高町なのはの笑顔は、【ずっと空っぽだった】のではないか

嘘だ。
嘘だ、そんなのは。
不意の襲い掛かる考えたくもない事実に、一人すずかは怯える。
今までの思い出や時間、その全てが嘘になってしまった気がした。
それに気づかないはずはないのに、今になってそれに気づいたのは、恐らくは人として成長してしまった事が原因だろう。
人と人との関係から目を反らしていた頃の自分なら、そんな事には気づかなかった。だが。今は他人との交流という当たり前を手に入れた事で成長してしまった心が原因だった。
人を知らないなら知らないまま。
人を知れば、知ってしまう。
すずかは成長した―――成長してしまった。
あの笑顔が、優しいと思える笑顔の全てが、仮面の様に冷たい素材で出来た嘘であり偽りであり、心の無い笑顔だったと言う事を。
確信ではないが疑問にはなっている。疑問が疑惑を生みだし、疑心を育てる。
果たして、自分は高町なのはという友達の、少女の、人間にとってどう思われているのだろうか。
わからない。わからない事が怖い。
言い様の無い不安が、友達――――友達だと信じたい【他人】を見る目にフィルターを作りだす。
月村すずかという自分は、高町なのはにとって、何なのだろう。
疑心と不安は連結し、連鎖する。
生み出されたのは、根本的な何か。
自分は自分の事を知っている。しかし、自分は他人の事を知っていない。なら、自分は友達の事を一体どれだけ知っているのだろう。
なのはは友達だ。
クラスメイトで友人―――――だが、知らない。
「私……知らない」
月村すずかは知らない。
友達である高町なのはを知らない。
得意な事を知っている。不得意な事を知っている。好きな食べ物を知っている。嫌いな食べ物を知っている。好きな動物を知っている。好きな歌手を知っている。好きな、好きな、好きな、好きな、好きな―――――なのはの好きな【情報】だけを知っている。
その中に、なのは自身の何かはまったく含まれていない。
高町なのはがどういう人間なのか知らない。
高町なのはがどういう人間が好きで、どういう人間が嫌いか知らない。
高町なのはがそういう趣向を持ち、どういう趣向を好むのかもしれない。
知らない、知らない、知らない。
知らない事ばかりで、知らない事が不安になってくる。
だからこそ、すずかの視界に写る少女の姿が、



恐ろしい化物に見えてきた。





放課後になり、生徒達は自宅に帰るが、生徒以外の者にとってはまだ仕事の時間である事には変わりは無い。
白髪隻眼の男もそれは同様なのだが、彼の片方だけの眼に映る壁はもう完成まじかという状態だった。
ようやくここまできた。長い長い戦いだった。しかし、それも漸く終わりが見えてきた。この速度なら明日の夕方にはかたはつくだろう。
工具を起き、少しだけ休憩に入る。煙草が吸いたかったが、唯一の喫煙所は自分のせいでなくなってしまった。自業自得だからしょうがないだろうと思い、煙草は諦める事にする。
その代わりに取り出したのは飴玉。しかも男の様な喫煙者にとって毒薬と同じ禁煙する為の飴だ。
正直、こんなものは舐めたくもないのだが、一緒に住んでいる女性から弁当の一緒にこれを渡された時の事を思い出す。
「…………自分だって喫煙者のくせに」
これを渡した女性も男と同じ喫煙者なのだが、最近はあまり吸わなくなった。なんでも家庭教師として通っている家の子供の為にしばらく禁煙する事にしたらしい。だが、自分だけ禁煙して男が禁煙しないというのは不公平だという。
「不公平というか……いや、不公平だな」
少なくとも自分は止める気などこれっぽっちもない。四十代も後半に差しかかろうとしているが、健康趣向なんてなよなよした思考はどうも受け入れられない。だが、それでもあの女性の提案をこうして受け入れているのは、
「まったく、他人の善意というのは……」
善意という敵。
受け入れれば心は安らぐが、反対に退ければ心が痛む。
なんて厄介な敵なのだろうか。
禁煙飴を口に放り込み、何とも言えない奇妙な味に顔を顰める。
「――――――だが、まぁ……悪くは無い」
そういう事にしておこう。そうした方が色々と気が楽になる。
強くなくていい、弱くていい。
昔と今は違う。
これからも、ここからも、この前も。
飴を舐めながら、男は新聞を読む事にした。仕事前にコンビニで買ってきたはいいが、結局一度も目を通していない。
新聞を読みながら、ふとこんな状態の自分は爺臭いのかもしれないという不安が襲いかかる。もう若くないのは自覚しているし、心なしか昔ほど身体が動かなくなった気がした。しかし、その事を女性に話すと呆れ顔で、
『アナタがそれを言うと、嫌味にしか聞こえませんよ』
という指摘を受けた。
なるほど、どうやらその部分は思いすごしらしい、と言ったら今度は、
『その歳になっても未だに【成長】している時点で、本当に同じ人間か怪しいですよ……いや、むしろ人妖の私よりも異常だよ、アナタは』
とうとう化物扱いだ。
「成長している、か」
昔ほど鍛錬を毎日の様にしているわけではないが、男の中ではそれが身体が鈍っている理由な気がする。無論、歳のせいという線は捨てる気はない。
「むしろ退化しているのだろうな、俺の場合は」
強くはならない。
弱くなった。
強いが成長していない。
弱いが成長している。
戦いから退き、平穏な日々にいる自分は確実に弱くなっている。
恐らく、これが数年も続けば自分は二度と戦えない程に弱くなるだろう。
ならば、どうすれば強さを取り戻せるのか――簡単だ。
平穏を捨てればいい。
平穏を捨て去り、闘争という日々に溺れてしまえばいい。
そうすれば強さを取り戻し、弱さへの成長を捨てられるだろう。
だが、それはあくまで考えただけで終わる。
少なくとも、
「彼女は、それを求めないだろうな」
一人なら、男が未だに孤独だというのなら、自分は真っ先に闘争への日々を選択したのだろう。だが、男はそれを選ばず、共に暮らす女性の傍を選んだ。いや、選んだと言えるほど、大したものではない。
何となくそうなり、何となく今の位置になり、何となく今の関係になっているだけにすぎない。
男の女の関係ではない。
上司と部下の関係でもない。
「ふっ、ならどんな関係なんだよ」
苦笑して、馬鹿な事を考えていると自重する。
男には過去がある様に、女性にも過去がある。その過去に繋がるのは一人の少年であり、今は一人の男、恐らくは父親になっているのだろう。
決着を付けたのは、自分だけ――――表面上は。
決着を付けれないのは、女性だけ――――表面上は。
だとすれば、こういう関係はきっと傷を舐め合っているだけに過ぎないのかもしれない。
「――――――はぁ、何を考えてるんだか」
自分で自分の事をどうこう考えるのが馬鹿らしくなってきた。
新聞を広げ、静かに読みふける事にした――――のだが、視界の隅に見覚えのある少女が見えた。
確か、高町なのはというこの学校の生徒だった。
向こうのこちらが見ている事に気づいたのか、
「こんにちわ」
そう言って近づいてきた。
こんなオッサンにわざわざ話かけるなんて、随分と変わった子供だ。
「帰りか?」
「はい。オジサンは……まだお仕事ですか?」
背中越しに壁を指さし、
「もうすぐ終わりだな。今日の分が終われば、明日でようやく解放されるだろうな」
「そうなんですか……それじゃ、オジサンとも会えなくなっちゃうんですね」
少し寂しそうな顔をするなのは。
「おいおい、こんなオッサンと会えない事に寂しがるなよ」
たった二回。その程度しか会った事がない相手に、わざわざ寂しがるなんて、随分と心の優しい子供だ―――そう思えたら楽だったのだろう。
「そんな事ないですよ。人との出会いは大切にしろって、お父さんが言ってました」
「そうか。なら、俺もそういうお嬢ちゃんとの出会いを大切にするように思うさ」
思い出すのは、昨日感じた【飢え】という子供らしくない感情。そして今は、まるで文章を読み上げているかのような空白な言葉の羅列。
本人は気づいているのかどうか知らないが、男は昨日の違和感がまったく気のせいであるというわけじゃないという事を確信した。
「それで、昨日のお嬢ちゃんとは一緒じゃないのか?」
台詞を口にする気分だった。そして、自分はこれからこんな子供の【内側】を盗み見ようとしている事に反吐が出る。
だが、このまま捨て置くなんて事は出来ない―――善意ではなく、使命でもなく、言い様のない何かによって。
「すずかちゃんは掃除当番なんで、まだ教室です。だから、私はその間ちょっとブラブラしてなくちゃいけないので」
「掃除、ね。前々から思っていたんだが、幾ら学校が拾いからといってどうして掃除を生徒にやらせるんだろうな」
何時か、世にいる馬鹿親達が学校に言いがかりつけるのではいかとずっと思っている。
「楽しいですよ、お掃除」
「好きな奴は好きだろうな……ちなみに、俺はあまり好きじゃない」
「楽しいのに、お掃除……」
「そういう奴もいるって事さ。俺は好きじゃない。でもお嬢ちゃんは好き。誰もかれもが同じなわけじゃないさ」
掃除なんて言葉は、綺麗な意味だけを含んでいるわけじゃない。男が過去の行ってきた掃除という作業は、相手の命を、掃除してはいけない命という物を世界から消し去るという行為。
手が赤く染まり、赤い色に汚れる掃除。
そんな自分がこうして子供と話している事が、許されない行為なのかもしれない。
「掃除といえば、今の掃除ってのは昔と同じ様にバケツに水を貯めて、床を雑巾で拭くタイプなのか?」
「それはしますけど……毎日やっているのは箒でゴミを掃いたり、モップをかける程度ですね。雑巾がけは夏休みとか冬休みの前に一度やるくらいですし」
「へぇ、随分と楽になったもんだな。俺がガキの頃なんて毎日の様に雑巾がけだ。教室はもちろん、廊下や体育館もな」
「体育館もですか!?」
どうやら、今のご時世に毎日の様に体育館を雑巾がけする習慣はないらしい。
「すごいですね……」
「すごくというよりは、面倒だな。特に冬なんてキツイぞ。体育館は寒いし、水も冷たい。冷たい水でしぼった雑巾で冷たい床を雑巾がけ――――まったく、思い出しただけで嫌になる作業だな」
だが、こうして思い出話に出来るというのは、本当に嫌だったというだけではないのだろう。
辛い過去を笑い話に出来るのは、きっと辛い中にある幸福を持っていたという意味になる。子供の頃の辛い事は幸福の一部。しかし、数年前までの過去、大人になってからの自分に笑い話で語れる幸福なんて一つだってありはしない。
「大変だったんですね、昔って」
「あぁ、大変だったさ。お嬢ちゃんも、そういう時代に生まれなくて良かったな」
「う~ん……でも、楽しそうですよ」
本気で言っているのなら、素直に拍手をしよう。
だが、
「本当にそう思うか?」
本気ではなく、お世辞でもなく、
「はい、思いますよ」

それが【義務】の様に話すのなら、それは間違っている。

「…………」
男は考える。
見えてはいけないもの、自分の様な人間が見えてはいけない【空っぽ】を見つけてしまった事に悩み、考える。






掃除を終え、職員室に戻ろうとした虎太郎をすずかは呼びとめた。
「あの、少し良いですか?」
「どうした、月村。授業でわからない所でもあったか?」
「いえ、そうじゃないんですけど……」
言おうかどうか迷っているのか、すずかが両手を握りながら虎太郎を見ては目を背け、また見るという行為を続ける。
「―――――話し難い事なら、屋上に行くか」
すずかは頷き、二人は屋上に行く。
屋上には誰もいない。
太陽が夕陽に変貌し、街に黄昏色の光を放つ。
黄昏時は人と妖怪が交わる時間。
人の時間から妖怪への時間に変わる一時、それが黄昏時。
何時も三人で使っているベンチに腰掛け、すずかは静かに呟いた。
「虎太郎先生は……なのはちゃんの事を、どう思います?」
「どう思うか……か。それは随分と難しい質問だな」
相手をどう思うかという質問に、虎太郎は微かに戸惑う。友達であるなのはの事を、どう思うかという質問をするのは、どうにも腑に落ちない物を感じる。
「虎太郎先生がどう思ってるのか、知りたくて……」
それは違うだろう、とは言わない。
誰がどう思ってるのかは関係ない。恐らく、すずかは本当に虎太郎がなのはの事をどう思っているかを知りたいのではない。
ただ、確認したいだけなのだ。
無論、それを直接指摘する気はさらさらない。
「そうだな…………まずは、真面目な生徒だな。宿題は毎日キチンとやってくるし、授業態度も良い。教師の俺から見ても高町は良い生徒って感想が第一に出てくる。もっとも、宿題をキチンとやってきても間違いは多いし、態度が良くても勉強が出来るわけでもない」
だからと言って良い悪いを決める気はない。
頭が良いなんてものは関係ない。悪いのだって関係ない。授業中の態度も同様だ。相手を、生徒をどういう基準で評価するかなど教師によって分かれる。それこそ、十人十色というものだ。
「後はそうだな。明るくて優しいっていうのを絵に描いた様な子供という感じかな」
「…………」
「――――――だが、お前が聞きたいのは、そういう事じゃないんだろう?」
すずかはゆっくりと頷く。
視線を膝に置いた手に合わせ、その手は微かに震えている。
「高町と何かあったのか?」
頭を振って否定する。それこそ、一生懸命に否定する。悲しい程に、痛々しい程に。
「なのはちゃんが、悪いんじゃ……ないんです」
一語一句を絞り出す様に、すずかは語る。
「私が……私が、わからなくなっちゃったんです」
「わからない?」
「なのはちゃんの事が、わからないんです。今まで、全然そんな風に思わなかったのに、昨日になって急に……急に、わからなくなったんです」
すずかは語る。
昨日、アリサの家にお見舞いに行った事。そこで教頭と会った事。そして教頭との会話の中で笑ったなのはの表情が、空っぽに見えた事。それが見間違いだと思っていたが、今日一日なのはの様子を見ているとそれが見間違いでも気のせいでもない様に思えたならなくなった。
わからなくなった。
なのはが何を考えているのか、何を想い、どうしてあんな空っぽな笑顔を向けているのか。そして、それ以上にどうして自分の中でなのはを見る目が変わってしまったのか。
何もかもがわからなくなった。
わからない事が怖くなった。
「今までそんな事なかったんです。なのはちゃんが笑ってるのを、あんなふうに……あんな嫌な考えで見る事なんて一度も無かったんです。なのに、急に怖くなって。ただ笑っているのに心がない人形が笑っている様に想えて――――」
友達が怖いと想えてしまった。
自身を恥じた。
自身を蔑んだ。
だが、消えない疑惑。
「私……どうしちゃったんだろう?大切な友達なのに、そんな風に思っちゃうなんて」
すずかの手に、水滴が堕ちる。
「嫌なんです……こんなの、嫌、です……嫌だよぅ、こんなの」
疑心する己が許せない。
疑惑を持つ己が醜悪に思える。
なのはの全てが偽りで、何かを騙している様に思えている事が、友達としては思ってはいけない感情である事は理解しているつもりだった。
だからこそ、情けなくて、悲しくて、苦しくて、涙が出てきた。
「……な、なのは、ちゃんの……こと、真っ直ぐ……み、みれ、なくて、お話して、るのに表情ばっ、かり見て……観察し、てるみたいで……」
手の甲で涙を払うが、止まる事はない。
止められず、流れ続ける涙。
それを止める術を持つのは虎太郎―――ではないのだろう。止めるのは己自身。己の中で大切な何かを想う心を疑い、それによって失う事が辛い。だからこそ、その感情をどうにかするのは己しかいない。
だから、虎太郎に出来るのはすずかにハンカチを差し出すだけ。
「月村。お前のその想いは間違っちゃいない」
「でも……私、なのは、ちゃんのことを」
「わからなくて当然だ、そんなものは」
無意識の内に煙草を口に咥えていた。屋上は禁煙だから吸ってはいけないのだが、そんな事は知った事ではないとばかりに、火を灯す。
「誰だってそうだ。人の心の中を覗ける奴だって人の心なんてわかりはしない。お前がそうして自分の事がわからないのなら、他人だってわからない。月村が高町の事を疑いたくない気持ち、信じたい気持が在る様に、高町の事を信じられない気持があるのも当然だ」
わかり合えないから、わかり合おうとする。
知らないから、知ろうとする。
「相手の気持ち、心なんてモノを真に理解する事は不可能だ……悲しいが、これが現実だ」
頭を殴られた様な衝撃がすずかを襲う。
当然という現実を前に、手を伸ばす事すら馬鹿らしいと言われた様な気分になった。
「―――――だがな、月村」
煙草の煙が空に昇る。
ゆっくりと昇り、自然と消えていく。

「わからないから、諦めるなんて事は出来ないよな?」

煙草は身体の害になるから止めろと言われても、止める事なんて出来ない、それと一緒だと虎太郎は思う。無論、ニコチン中毒の自分とこの話を一緒にするなんて、見当はずれな気がしないでもない。
「好きだろ、高町の事」
「…………はい」
「好きだから、怖いんだろ?高町がお前の事をどう思っているのかわからない。アイツの空っぽは自分にとっても空っぽなのかわからない。その全ては相手の事を理解出来ない事が辛いから、お前は悲しい―――そうだろう?」
「どうすれば……いいんですか?」
「わからない」
教師は万能の神ではない。
一人の人間である事には変わりは無い。
だから人として、教師という役を得た虎太郎の言葉で紡ぐしかない。
「生徒と向き合っても心の中を見えるわけじゃない。生徒と話して、相手が自分に心の一部を見せてくれて、そうしてやっと心が見れると思う様になる。当然、心の中だって見れるわけじゃない。カウンセラーだって心理学者だって、心の中を見る事が出来ないから言葉や仕草で相手がどういう状態かを想像するしかない」
教師は心理学者ではない。当然、カウンセラーでもなければ森羅万象を司る神でもない。ただし、神が人の心を見れるとは思わない。
「人も動物も神様も、誰も相手の事を真に理解できるわけじゃない。むしろ、理解できないからこそ、言葉や想いがあるんだ」
「理解できないからこそ……」
「例えば、お前が相手の気持ちや心を想像できるとしよう。そして、それが全人類がそうであったとしたら――――それは素晴らしい事だと思うか?」
すずかは考え、首を横に振る。
「それは……怖いです」
「どうして怖い?」
「自分の心の中が、相手に全部わかっちゃうのは怖い……」
「そうだな。怖いな。俺の頭の中を覗いたら、きっと皆が白い目で見るだろうな。ギャンブル好きの博打打ち。頭の中にあるのはギャンブルと煙草の事だけでパンパンだ」
心を理解する事と覗き見る事は同一ではないだろう。
人の心の中には善悪があり、欲求だってある。その欲求を相手に知られるなんてのは、知られたくない全てを相手に晒す最悪な行為だ。
「人の心の全てがわかる奴に、相手を思いやる事なんて出来はしない」
心は見るべきものじゃない、想像するものだ。
想像して、相手を理解したつもりになって、そうして相手が喜ぶと思う事を行動する。
思いやりというものは、相手を想う事。
相手を想うという事は、相手を知ろうと努力する事。
相手を知ろうと努力する者は何時だって相手の事を想い、理解しようと頑張る。
「何を考えているのかわからないなんて皆一緒だ。俺だってそうだ。お前等生徒がどんな想いで俺と接するのかわからない。実は嫌っているかもしれない。目にも止めたく無い程に嫌悪しているかもしれない―――でも、だからと言って全てを放り出す事はしたくない」
虎太郎は煙草を消し、携帯灰皿の中に放り込む。
「月村。お前はどうだ?お前は高町の事を理解できないから―――逃げるか?」
「―――――――――いや、です」
何時の間にか、涙は止まる。
「逃げるのは、いやです」
視線は下でも上でもなく、前に。
「逃げても変わらない事なんて、わかってますから……前までずっとそうやって逃げて、目を背けて、耳を閉じて、何も口にしなくて…………けど、それじゃ変わらないって、知りましたから」
目を背けては、相手を見れない。耳を閉じたら、言葉が届かない。口にしなければ想いは届かない。
「私は、知りたいです」
昔はそうでも、今は違う。
「大切で、大事な、友達だから……」
それが迷惑になったとしても、知りたくもない何かになったとしても、逃げて前に進めるわけじゃない。
「なら、そうすればいいさ」
虎太郎は立ち上がる。
「どうなるかなんて誰にもわからない。神様だってわかりはしない。仮に神が全てを知っている全知全能だっていうのなら――――そんな思い違いして、何もしない奴とお前は違う」
虎太郎の頭の中に知り合いの神様の顔が浮かんだが、あれは神であって神じゃない。というより、威厳もへったくれもないから神扱いはしない。何より、全知全能でないからこそ、自分達の上に立っているのだろう。
「少し怖いけど……頑張ってみます」
そう言ってすずかも立ち上がる。
「迷惑かもしれないけど、このままじゃ嫌ですから」
あぁ、こうやって少女は大人に一歩踏み出すのかもしれないな、と虎太郎は思った。今まで高校生を相手にしてきたが、こんな子供の頃にどんな事をして、どんな影響があって高校生になったかなど知る事は出来ない。
だが、今の自分は小学校の教師。
これから成長し、中学、高校、大学、そして社会になっていく大人の最初が此処。
自然と笑みが零れる。
最初はどうして自分が小学校の教師なんて思ったが、それこそ思い違いだ。自分なんてまだまだの半人前だ。高校生を長年相手にしてきたが、それは教師として時間を重ねて来ただけに過ぎない。もちろん、それが無駄な時間だとは思わない。
自分の生徒は成長する。
そして、その生徒達のおかげで自分も成長する。
教師と生徒の関係は、そういうものなのかもしれない。
人と人が共に支え合い、歩む様に。
教師と生徒が互いに成長し、歩む。
「やれやれ、俺もまだまだというわけか……」
頭を掻き、溜息を吐く。
「ありがとうございました、虎太郎先生」
頭を下げ、急いで走っていくすずか。
後ろ姿は、先程までの小さな背中ではなく、少しだけ背が伸びただけの、大きな背中に見えた。
「あ、そうだ」
不意に脚を止め、すずかが虎太郎を見て、



「私は虎太郎先生の事は―――――大好きですから!!」



先程、虎太郎は自分で生徒に好かれているかどうかわからいと言っていた。だから、これはその生徒からの返答。
「だから、自信を持ってください!!」
そう言って、すずかは走って行ってしまった。
虎太郎はしばし呆然としていたが、すぐに噴き出す様に笑った。
教師が生徒を励ますのならいざ知らず、まさか生徒に教師が励まされるとは思ってもみなかった。
孤独の殻に閉じ籠っていた生徒がいた。
だが、その生徒は成長した。
心を成長させ、こうして走りだした。
「まったく……これだから教師は辞められないな」
ギャンブルを止められない、煙草を止められないのとは違う意味で、こういった嬉しさがあるから教師を続けているのかもしれない。
「―――ネコマタ、これもお前もおかげだな」
かつての大事な存在の名を口にして、虎太郎はまた煙草を口に咥える。

「何をしているのですか、加藤先生?」

そして、時間が止まった。
いつの間にか、屋上のドアの前に眼鏡を夕陽でキラリとさせた教頭が立っていた。
「まさか、こんな場所で煙草をお吸いになる気ではないでしょうね?」
「あ、いや、その……」
言い逃れは可能か―――否、不可能だ。
「駄目、ですかね?」
「駄目に決まってるでしょうが!!」
生徒は成長し、教師も成長する。
だが、それでも全てが成長するわけではない。
「もしや、体育倉庫で煙草を吸っていたのは、あの業者の方だけじゃなくてアナタもじゃないんですか!?」
それを指摘するように教頭の声が響き、空の上から鴉が一鳴き。
アホ~、と鳴いた









どの様な流れでこうなったのかは知らないが、男はなのはに尋ねる様にこう言った。
「お嬢ちゃんは想いについてどう思う?」
突然の質問になのはは首を傾げる。
「想いですか?」
「あぁ想いだ」
「それは……えっと、よくわからないです」
突然そんな事を言われても即答できる者などそうはいない。そもそも、男が何を尋ねたいのかすらわからないのだ。
「それもそうか―――なら、こう言い変えようか」
男は新聞のある記事を指さす。
そこには最近起こった事件が記されていた。
内容は海鳴のあるホテルの最上階が急に爆発炎上したという事件。死者こそでなかったが、怪我人は多数でたという事件。真相は何もわからず、ホテル側はガス漏れ事故と発表している。
「この記事を読んでお嬢ちゃんはどう思う?」
「…………大変だな、とは思いますけど」
「そうか、ならこれはどうだ」
次に見せたのは海鳴ではなく、日本の外で起きた事件。
北欧にあるバレルガニアと呼ばれる小国で起きた革命という事件。そこでは終身永世大統領、コリキア・リンドマンと呼ばれる男は国を独裁していたが、革命によって男は死んだという事件。
これは新聞やニュースが大々的に報道している事件の一つだ。
「このリンドマンという男は独裁者という奴でな。自分に従わない連中を全員殺すような残虐非道な奴だったらしいな」
自分の中にある冷静な部分で、こんな話を九歳の子供にしている自分も立派な残虐非道な奴なのではないかと疑い、そして同意する。
「だが、そんな奴も市民によって殺され、この国は平和に向けての一歩を踏み出したらしい……どう思う?」
なのはは混乱しているのか、「え」とか「う」とか一つの単語しか吐けない。
「別に世界情勢を理解しろと言っているわけじゃないさ。ただ、お嬢ちゃんはどう思っているか聞いているだけさ」
聞きたいだけだ。
この少女が【心の底でどう思っているか】を聞きたいだけ。
だが、それは無理な話だ。
そんな事は男も百も承知だろう。
だからこそ、そんな【餌巻き】を終え、糸を垂らす。
「悪いな。お嬢ちゃんには難し過ぎたか」
「えっと……ごめんなさい」
「いや、いいさ。むしろ、こんなモノは誰だって興味が無い話題だ」
「そうなんですか?」
「あぁ、そうさ」
きっと、自分の顔は酷く嫌らしい顔をしているのだろう。
「だってそうだろう?」
わざとらしく、肩をすくめて、
「誰が死のうが苦しもうが、遠い国の事なんて誰も気にしないだろさ」
反応を待ち―――すぐに手ごたえを感じた。
「そんな事、ないと思います」
なのはは口にした。

【空っぽ】な顔で【空っぽ】な言葉を口にした。

「死んじゃった人は可哀想だし、そんな事件があったら悲しいです……」
【空っぽ】な言葉。
「自分に関係無くても、人が死んだら悲しいです」
【空っぽ】な悲しみの顔。
やはり、と男は嬉しくも無い確信を得た。
「どうだろうな……自分に関係の無い事故や事件。そんなものにまで重苦しい想いを浮かべるのはどうかと思うがね」
これは間違った意見だと男は重々承知している。
「所詮は他人事さ、他人事」
この事件を見た時、正直な事を言えば悲しいとは思わなかった。ただ、嬉しい事ではないとは感じた。
遠い国の事だとしても、朝のニュースで流す程度に見たとしても、微かでもそういう想いを抱く事はある。
しかし、目の前の少女は違う。
「誰かの悲しみは自分の悲しみ……そういう風に教えられました」
「へぇ、誰にだ」
「先生です」
「そうか、それは確かに正しい意見だ」
だが、そうじゃない。
その【空っぽ】にはそんな想いなんて一欠けらもありはしない。
違和感は決して違和感ではない。
この少女の表面は確かに喜怒哀楽はあるだろう。だが、男の嬉しくもない長年の経験からそれはあっさりと仮面である事を理解させた。
少女に感じた【空っぽ】と【飢え】。その内の一つはこうして暴きだす事が出来た。嬉しくも無いが。
だが、なのはは気づかない。
「オジサンは、悲しくないんですか?」
「いいや、ちっとも」
半分本音、半分嘘。
「テレビの向こう側だからな、こういうのは」
「それ、間違ってると思います」
正しさではないだろうと主張する。
しかし、見れば見る程滑稽に思えてならない。
【空っぽ】の言葉を吐き出す、【空っぽ】な仮面。
「なら、この事件もお前の悲しみか?」
「悪いんですか?見ず知らずの誰かも、知っている誰かも、嫌な事や悲しい事があれば同じくらいに悲しい気持ちになるのは……悪い事なんですか?」
「―――――意味はないな」
これは殆どが本音。
「意味はないんだよ、お嬢ちゃん。テレビで見ただけで悲しくなる気持ちも、新聞で読んだだけで悲しくなる気持ちも―――意味はないんだ。なにせ、それで悲しいと思えるのはお嬢ちゃんじゃない。その事件事故に関係のある者達だけだ。ただ見て、聞いて、感じただけじゃ、その人たちの何倍にも劣る」
この革命は確かにその者達にとっては幸福だろう。同時に悲しみも生み出す。死んだ者も沢山いる。戦う力もなく死んでいった者もいれば、戦って死んだ者もいる。
英雄なんて存在がいない現実だからこそ、そういう現実を目にする事が多い。
強いから死なないわけじゃない。強くても死ぬ者は死ぬ。反対だってある。弱いから死ぬわけじゃない。弱い者は戦う事を選ばず、逃げる事、自身を守る事を選択する。
そして、今回は両方死んだ。
強い独裁者も死に、弱い市民も死んだ。
人は死ぬ。
あっけなく、あっさり、ありきたりに―――死ぬのだ。
「そんな事、無い筈です!」
なのはは力強く否定する―――いや、そういう【演技】をしている。
「そんな考えは間違ってます!そんなの、変ですよ!!」
変だろう、おかしいだろう、間違ってるだろう。
だが気づけと男は言葉にしない言葉を想う。
「間違っているのは、おかしい事か?」
「当然じゃないですか。誰だって悲しい事は悲しいと思うべきです。間違った事は間違いだって思うべきです」
「俺はそうは思わない。少なくとも、自分に関係のない事で悲しいとはこれっぽっちも思わない」
「どうして、そんな事……言うんですか?」
男は手を伸ばす。
男となのはの距離は遠くは無い、むしろ近い。だが、男が手を伸ばしただけでは届かない。
近いのに遠い距離。
「届かないからさ」
この状態で手を伸ばしても、届かない。
「どう足掻いても、手は届かない。そして、この目に写らない者は悲しめない。ましてや、俺の人生の中になんの接点も無い国に生きる者達の為に悲しめる事も不可能だ」
最低な人間だな、自分は。
男は心の中で自分自身を殴りつける。しかし、自分の吐きだした言葉の全てが間違いだとは思う事が出来ない。
届かない手は、どう足掻いても届かない。
目に写らない事件は解決できない。
手が届かない人は救えない。
努力しても、不可能なのだ。
「俺達はヒーローじゃない。テレビみたいに悪の怪人が悪い事をして、偶然ヒーローがそれを見つけて悪の怪人を退治する。だが、普通はそういう【偶然という力】すらない。そんな力は奇跡と呼べる代物だ。全ての者達がそれを手に入れる事は出来ない」
知っている事には悲しめる。
知らない事には悲しめない。
だからと言って、悲しい事を本当に悲しめる者などいるのだろうか。
自分に関係のない世界で起こった事件を悲しめる者などいるのだろうか。
いるかもしれないが、多分この少女は出来ない。
少なくとも、今の少女には出来る気はしない。
「―――――仮に、ある男がいるとしよう」
気づくべきなのだ。
その行為がどれだけ自身を苦しめているという事を。
「その男には家族がいた。妻はいないが最愛の息子がいた。男は息子さえいれば幸せだ感じていた――――だが、それが何者かの手によって壊された」
思い出す過去。
遠い過去だというのに、心は切り裂かれる様に痛い。
「…………その男の悲しみをお前が知ったら、お前も悲しいか?」
「当然です」
なのはは即答した。
虚しい程に早い即答だった。
「大切な家族がいなくなったら、悲しいと思うのが【普通】じゃないですか」
痛々しい。
「その人が悲しい気持ちなら、それを理解して悲しいと思う事が【普通】ですよね?なら、私は悲しいと思います。悲しいとしか、思えません」
痛々しいからこそ、気づけた。
少女の姿は、まるで断崖絶壁に縋りつき、今にも堕ちそうな哀れな者に見えていた。
「…………」
訂正しよう。
この少女は【空っぽ】であると同時に【縋りつく者】だ。
縋りつく為に【空っぽ】だった。
「確かにそれは普通だろうな……だが、普通だと思うのはその男以外の話だ」
「え?」
「男にとっては―――そんなものは必要が無い」
男は静かに言葉を紡ぐ。
「むしろ、悲しい思う事自体が許せないんだろうな」 昔を思い出す様に。
手を組み、握りつぶす様に息を吐く。
「お前が悲しむのは勝手だが、別にお前が失ったわけじゃないんだろう?お前が当事者なわけでもないんだろう?」
地面を睨みつけ、

「だから…………他人のクセに悲しむなってな」

普通な感情。
普通な対応。
普通、普通、普通―――だが、それは時に人を傷つける事がある。
悲しみを分かち合う事は良い。だが、悲しみを分かち合うには【想いの重さ】が違う。誰かの悲しみは自分の悲しみというかもしれないが、本当にそうなのだろうか―――否、そんなはずはない。
何故なら、人は人の心を真に理解する事はできない。
誰かの悲しみの重さと、それを理解しようとする者、分かち合おうとする者の想いの重さは決して同質ではない。
「悲しいと思うなら、自分と同じ事をしろ。悲しいと同情するならお前も血涙が出るまで涙しろ。悲しみを分かち合うというのなら――――お前も大切な何かを失ってみろ」
それが救いとなる時だってある。
苦しい時、悲しい時、誰かが傍に居る事は確かに救いになる。しかし、それを救いと見れない者だって確実に存在する。
「仮にお嬢ちゃんがその男の悲しみを理解しようとしたら、きっと男はお嬢ちゃんを殺すだろうな」
「どうして、ですか……」
少女は理解できないという顔をする。
それだけは【空っぽ】ではなかった。
恐らく、男が初めて目にする【空っぽ】ではない少女の顔。
「簡単な事さ。人は他人と同じじゃない。同じじゃないから分かち合えない。苦しみも悲しみも絶望も渇望も何もかも、それを感じた本人じゃないとわからない」
「おかしいですよ、そんなの」
「おかしくはないさ……おかしい事なんて何もない――――それが【普通】だ」
わかって欲しかった。
なのはの言葉は全てが【空っぽ】だという事を。
なのはの言葉の全ては聞こえは良い言葉―――台詞を口にしているに過ぎない。それを言葉にする為の想いが抜けている。だからこそ【重み】を感じられない。
想いは重いのだ。
演技するような言葉に重みはない。
清々しい程の綺麗な言葉は人を癒すだろう。だが、それを理解できない者だっている。人の優しさを理解しない者は重みもない言葉に心など動かさない。人として何かが欠けている者に上辺だけの善意など届かない。
故に【空っぽ】な少女の言葉は、わかる者にとっては本当に【空っぽ】なのだ。
それを理解して欲しかった。
下手をすれば、それが大切な何かを失う事をなるかもしれないから。
しかし、
「―――――」
男は過ちを犯した。
「―――――」
そう、これは立派な過ちだ。
「―――――」
男は気づくべきだった。
自身が重みのない言葉は相手を傷つける。だからこそ、【空っぽ】な言葉を紡ぐのは止めるべきだという想いを口にした――――しかし、それは別の見方をすれば違う意味を持つ。
「―――――がう」
男は気づいていない。
「――――ちがう」
男自身の想いは、確かに男の目線からすれば真実だっただろう。
だが、気づかない。
当然だ。
他人が他人を理解出来ない様に、【自分も自分を理解していない事】だってあるのだ。
それはつまり、



男自身が―――――【空っぽ】の言葉を口にしていたという事だ。



「ちがう、ちがう、ちがうちがう、ちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう
ちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう―――――ちがう!!」
仮面が崩れた。
崩してしまった。
断崖絶壁に縋りつく者の、掴んでいる部分を壊してしまった。
「ちがうよ、そんなのちがうよ?」
崩れた仮面の中にある【本物】が姿を見せた。
「だめだよ?そんなのダメだよ?駄目にきまってるよ?だめ、だめ、だめだめだめだめだめだめだめ――――そんなの、駄目!!」
そこに高町なのはという少女はいない。
いるのは目を見開き、言葉の全てを否定の言葉に変えた別の何か。
もしくは、先程のまでいた偽物の高町なのはではなく、【本物の高町なのは】が現れた、とういう意味にもなるのかもしれない。
「ちがうよ、オジサン。そんなのちがう……だって、そんなのまちがってる。へんだもん、おかしいもん」
「―――お前」
「かなしいときはね、かなしいっておもわなくちゃだめなんだよ?」
嗤っている。
壊れそうな程、嗤っている。
「だれかがかなしいとおもったときはね、かなしいとおもうの。かなしいひとにはね、かわいそうだとおもわなくちゃだめだの。そうおもわないのはね、わるいこのすることなんだよ?」
善意とは綺麗なモノだと理解するべきなのだろうが、この時だけはそうじゃない。
この少女の紡ぐ呪いにも似た善意は、善意の怪物。
「だから、おじさんはわるいこなんだね……でも、だいじょうぶ。わるいこにも、しんせつにしなくちゃだめなんだよ?わるいからひとりぼっちにしちゃだめ、わるいからしかるだけじゃだめ、わるいことはわるいことだってしっかりおしえて、そしてなかよくなるんだよ?みんながなかくよくしなくちゃだめ、なかがわるいのはだめ、わるいのはだめ、わるいのはよくしなくちゃだめ……だめなの、だめ、だめだめだめだめ」
紡ぐ言葉は聞こえが良いなんてモノではない。むしろ、気味が悪い言葉だった。善意の濁流とも思える羅列は人が聞いてはいけない、理解してはいけない恐ろしい呪い。
男は漸く気づいた。
自分の行った行為が、仮面を外させてしまった行為が、どれだけ恐ろしい事なのかと言う事を。
仮面を外した少女は、化物だった。
仮面を外せば本当の少女が出てくるとばかり考えていた。しかし、仮面を外した瞬間に現れたのは仮面を付けていた時以上に【空っぽ】な存在。
「おとうさんがいってたよ?みんなとなかよくするこは、良い子なんだって。おかあさんがいってたよ?ひとのためになるこは良い子なんだって。おにいちゃんはいってたよ?やしいこにはきっといいことがある、良い子にはいいことがあるんだって。おねえちゃんもそういったよ?だからね、なのはは良い子になるんだよ?良い子になってれば、みんながしあわせになって、わるいこがみんないなくなって、良い子だけがいるせかいになるんだよね?ねぇ、そうだよね?そうだよね?そうだよね?そうだよね?ね?ね?ね?ね?ね?ね?ね?ね?ね?ね?」
人間は天使と悪魔が同居している生き物だと誰かが言った。
だが、あれはきっと嘘だと男は苦笑する。
これの何処に悪魔がいるというのだ。
悪魔がいるならまだ可愛げがある。
しかし、悪魔なんていない。
天使だった。
善意を押し付ける天使という怪物がいる。
「だから、なのははおじさんのことをゆるすよ?おじさんはわるいこだけど、なのははおこらないよ?わるいことをしたら、あやまればいいんだよ?そうすればみんなゆるしてくれるし、なのはもゆるすよ?」
「…………お嬢ちゃん、もう喋るな」
壊れる。
このままでは、この少女が壊れてしまう。
「俺が悪かった。あぁ、全部俺が悪い。だからもう―――喋るな」
誠意のない言葉の羅列だが、少女にとっては十分な言葉だった。
「ほら、おじさんもちゃんとわるいことしたって、わかってたよね?うん、ゆるすよ。ゆるしてあくしゅするんだよね?そうしたらみんななかくよくできるんだよね?そうなったら、みんな良い子になるんだよね?おじさんも良い子だし、なのはも良い子だよね?」
藪を突いて蛇を出す―――昔の人の言った言葉は強ち間違いというわけじゃないらしい。
まさか、こんな怪物が潜んでいるとは思ってもみなかった。
「あぁ、お嬢ちゃんは良い子だよ」
気味が悪い程に、という言葉は心の中だけで言う事にした。
少女はえへへ、と嬉しそうに嗤う。
「うん、なのはは良い子なんだよ?だから、ともだちもできたんだよ?すずかちゃんも、ありさちゃんも、なのはのたいせつなおともだちなんだよ?あ、そうだ!おじさんもきょうから、なのはのともだちになろうよ?ね?ね?そうしよう?そうしようよ?ともだちがたくさんいるこは、良い子なんだよ?」
喋り続ける少女。
こんな少女の姿を見たら、あのすずかという少女はどう思うのだろうか。
驚くのか、悲しむのか――――もしくは、嫌悪するのか。
「まったく、自分が嫌になる」
「ねぇ、しってる?ともだちがほしいっていうこがね、ともだちがほしいっておもってね、ともだちになってくださいっていったらね、ともだちになってあげるのが良い子なんだよ?」
どうすれば元に戻るのだろうか。
まさかこんな子供に手刀を打ち込んで気絶させるわけにはいかない。
だが、一向に戻る気配のない少女を前にどうするべきかと考えている――――その最中、男は見た。
「だから、ともだちになってあげたんだよ?」
少女の背後に、見慣れた少女の姿があった。
すずかだった。
何も知らない様に、なのはを見つけて嬉しそうに走ってくるすずか。
少女は紡ぐ―――呪いの言葉。
「わたしは良い子だから、すずかちゃんにやさしくしてあげたんだよ?」
少女は紡ぐ―――心を突き刺す刃の言葉。
「すずかちゃん、ひとりでさみしそうだから、やさしくしてあげたんだよ?」
少女は紡ぐ―――全てを否定する悲しみの言葉を。
「だからね、すずかちゃんとともだちになってあげたんだよ?」
少女は紡ぐ―――絆を破壊する絶望の言葉を。
「良い子のなのははね、ともだちになってほしいっていうすずかちゃんをね、ともだちにしてあげたんだよ?」
呪いの言葉は、すずかの足を止める。
心を突き刺す刃の言葉は、すずかの耳に突き刺さる。
全てを否定する言葉は、すずかの心を切り裂く。



「すずかちゃんのことは、べつにすきでもなんでもないけど――――ともだちになってほしいっていったから、ともだちにしてあげたんだよ?」



絆を破壊する絶望の言葉は、すずかを打ち砕く。
「なのは、ちゃん?」
呆然としたすずかの声に、少女は振り向いた。
仮面を外した【空っぽ】の【群れ‐レギオン‐】がそこにいた。
「あ、すずかちゃん」
嬉しそうにすずかを見る少女。反対に、少女を見たすずかは言葉を失くす。
アレは、誰だろう。
目の前にいる友達の姿をしたアレは、一体誰なんだろう。
「おそかったね、ずっとまってたんだよ?」
嬉しそうに嗤う誰かは、すずかに歩み寄る。
その言い様のない不気味な存在に恐怖をすら抱く。だが、身体が動くよりも先に口が動いた。
「今の……本当なの?」
「なにが?」
「わ、私の……ことが、好きでも、何でも、ないって」
言葉にした瞬間、心が悲鳴を上げる。
この悲鳴を止めるには、否定の言葉が必要だ。
魔法の様な、奇跡の様な、素敵な否定な言葉。
今のは全部嘘。何となく口にしただけの出鱈目。そうであったのなら、ちょっと泣きそうになっただけで何とかなる。何とか自分を保つ事が出来るかもしれない。
だから、願う。
嘘だと願う。

「うん、すきじゃないよ?」

嘘だと願う。

「すずかちゃんがかわいそうだったから、ともだちなったんだよ?」

嘘だと願う。

「でも、すずかちゃんがともだちになってほしいっていったから、ともだちになったんだよ?」

嘘だと、願う。

「えへへ、なのはは良い子だから、すずかちゃんとともだちになってあげたんだよ?ねぇ、なのははえらいでしょう?良い子でしょう?」

嘘だと願う―――事すら、馬鹿らしくなった。
「あれ?どうしたの?すずかちゃん、どうしてないてるの?」
自分は泣いているらしい。
これは悲しいから泣いているのだろうか。それとも苦しいから泣いているのだろうか。わからないが、涙は流れ出る。
「かなしいの?くるしいの?なら、なのはもかなしいし、くるしくないとだめだよね?まってて、わたしもなくからまっててね?」
そう言って少女は自分の頬を力いっぱい抓った。
抓った事によって痛みを覚え、涙が流れた。
身体の痛みからの涙。そこには心の痛みを理解するそぶりすらない。
「うん、なみだがでたよね?だから、なのはもかなしいんだよ?すずかちゃんといっしょでなのはもかなしいんだよ?」
「―――――もう、良いだろう」
男は漸く気づいた。
己がどれだけ愚かな事をしてしまったかと言う事を。
「もう喋るな。それ以上、苦しませるな……」
少女はわからない、と首を傾げる。
「え?どうして?すずかちゃんがかなしいから、なのはもかなしいんだよ?ほら、ないてるよ?かなしいから、なのはもないてるんだよ?」
「お前は、人の心が理解できていない」
「そんなことないよ?なのはは良い子だから、すずかちゃんがかなしいのがわかるんだよ?かなしみをわかちあってるんだよ?」
「それは冒涜だ……お前のそれは、善でも偽善でもない―――醜悪だ」
「…………ちがうよ?どうして、おじさんはそんなひどいことをいうの?だめだよ?わるいことしちゃだめだよ?良い子でいないと、だめなんだよ?」
その口を今すぐ閉じたい。
物理的に、暴力的に、少女の皮を被った怪物の口を消し去りたい衝動にかられる。
だが、それよりも早く、
「――――なのはちゃん」
すずかが少女の前に歩み寄り、

パチンッと頬を打った。

「―――――え?」
少女の視界に写るのは、すずかの姿だけ。
溢れんばかりの涙が頬を伝い、睨みつける様に少女を見据えていた。
頬を感じる痛みに、混乱しているのか、そこに居たのは怪物でも少女でもない。
「なのはちゃんなんか……」
【ソレ】に向けて、

「なのはちゃんなんか――――――大っ嫌い!!」

拒絶の言葉を口にして、逃げる様に走り去って行った。
そして、残ったのは静寂。
其処に先程までの空間は存在せず、あるのは言い様の無い不快感。後味の悪い料理が並んでいるかのような気分。
「…………」
呆然としているのは男ではない。
むしろ、男は微かに驚きの表情を浮かべていた。
「…………」
頬を抑え、すずかが走り去って行った方向を見つめる【ソレ】は、
「…………ッ」
同じく逃げる様に走っていく。
すずかを追うのではなく、すずかから逃げる様に走って行く。
その時、男の隻眼に写った【ソレ】は、今までこの場に一度として姿を見せなかった存在。
【ソレ】は何か―――言うまでも無い。
【空っぽ】ではない。
【普通】ではない。
【善意】でもない。
【醜悪】でもない。
【ソレ】は紛れもなく、



友達を傷つけた事に後悔し、泣いている【高町なのは】だった。










【魔女】は嗤う。
その光景にひたすら楽しそうに嗤っている。
あぁ、最高だ。
こんな最高な喜劇を見たのは久しぶりだ。
これでいい、これがいい、こうでなければ面白くない。
【鍵】は自分の予想以上に【鍵】として育っている。
【鍵】に友達なんて必要ない。他人との繋がりなんて必要ない。必要なのは【鍵】が望む願いと、それを渇望するが故に願う愚かな想いだけ。
「渇望せよ」
【魔女】は謳う様に、
「渇望し、捨て去れ」
呪いの唄を紡ぎ続ける。
「渇望する為に善意で在れ。渇望する為に孤独で在れ。汝が望みは必ず叶う。その為に善意で在れ、孤独で在れ、誰からも好かれる善意で在り、そして誰も必要としない孤独で在れ」
【魔女】は踊り、謳い、そして狂喜する。
日は近い。
我が望みを叶える日は近い。
【鍵】が望みを叶えし時、【魔女】の願いも叶うだろう。
あと二日。
運命の日まで、あと二日。
嗤う。
嗤って狂う。
狂って嗤い転げる。
「あぁ、愚かな【鍵】よ。お前の望みはもうすぐ叶う」
不死の王に捧げる【鍵】。
そして【魔女】が異界を超える為の【鍵】。
その為にどれだけの人間が傷つこうと構わない。あんなガキ一人が悲しんでも構わない。むしろ、もっと他の者も苦しむべきだ。
苦しみのた打ち回り、もっと自分を楽しませろ。
前夜祭としては最高の出し物だ。
あと二日。
あと二日。
あと二日。
あと二日で――――







「あと二日で、満月か……」
アリサはそう呟き、完治した傷の部分の包帯を取る。
夕陽が沈み、夜が来る。
夜は人間の時間ではなく、妖怪の時間。
それが終われば人の時間が来る。
「さっさと満月になりなさいよね……」
そうすればこの傷も治るし、全力で身体を行使する事が出来る。
「はぁ、我ながらなんて身体なのかしら」
毒吐きながら――――笑う。
笑っているが、その笑いに隠された心は噴火寸前だった。
「何処の誰かは知らないけど、この落し前はしっかりと付けさせてもらうわよ」
今は牙を砥ぐ。
この牙を突き立てる相手を探し、一切の手加減なしに突き立てる。
あと二日。
あと二日で相手を探し出し、

「―――――首を洗って待ってなさいよ……ぶっ潰してやるんだからッ!!」

狼が月夜に吠える。
子供に似つかわしくない笑顔を浮かべながら、吠える。
その遠吠えは【魔女】には届かない。



だがそれは―――――【今はまだ届かない】だけに過ぎない、些細な事だ。








次回『人間‐魔女‐』





あとがき
あれ、なのはさんが壊れた……ま、いっか。
そんな感じな九話です。
なんか書いている何時になのはさんが壊れました。展開的に問題ないんですが、ここまで壊れなかったはずなんだけど……うん、何時もの事だ。
プロット通りに書けた事なんて一度もないしね~
そんな今回は
オッサン、やっちまったぜ
なのはさん、ヤンでる化
の二本立てでした。
いやぁ、ああいうシーンを書いてるとすっげぇ楽しい!!
そんな腐れ外道な事を考えながら、次回は【魔女】の正体が!な感じになるはずです。まぁ、別に隠してすらいないんですけどね、これが。
それでは、次回までさようなら~




PS、この作品の【鬱展開のままじゃ終らねぇぜ!!】です。


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