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No.25730の一覧
[0] 【完結・改訂完了】リリカルなのはSts異伝~子連れ武人活人劇~(×史上最強の弟子ケンイチ)[やみなべ](2013/07/16 20:55)
[1] BATTLE 0「翼は散りて」[やみなべ](2013/07/16 00:16)
[2] BATTLE 1「陸士108部隊」[やみなべ](2013/07/16 00:17)
[3] BATTLE 2「新たな家族」[やみなべ](2013/07/16 00:17)
[4] BATTLE 3「昼の顔、夜の顔」[やみなべ](2013/07/16 00:18)
[5] BATTLE 4「星を継ぐ者達」 [やみなべ](2013/07/16 00:18)
[6] BATTLE 5「不協和音」 [やみなべ](2013/07/16 00:19)
[7] BATTLE 6「雛鳥の想い」 [やみなべ](2013/07/16 00:19)
[8] BATTLE 7「一人多国籍軍、起つ」[やみなべ](2013/07/16 00:20)
[9] BATTLE 8「断崖への一歩」[やみなべ](2013/07/16 00:20)
[10] BATTLE 9「地獄巡り 入門編」[やみなべ](2013/07/16 00:21)
[11] BATTLE 10「古巣への帰還」 [やみなべ](2013/07/16 00:21)
[12] BATTLE 11「旅立ち」[やみなべ](2013/07/16 00:22)
[13] BATTLE 12「地獄巡り 内弟子編」[やみなべ](2013/07/16 00:22)
[14] BATTLE 13「誕生 史上最強の○○」[やみなべ](2013/07/16 00:24)
[15] BATTLE 14「機動六課」[やみなべ](2013/07/16 00:25)
[16] BATTLE 15「エースの疑念」[やみなべ](2013/07/16 00:26)
[17] BATTLE 16「5年越しの再会」[やみなべ](2013/07/16 20:55)
[18] BATTLE 17「それぞれの事情」[やみなべ](2013/07/16 00:27)
[19] BATTLE 18「勢揃い」[やみなべ](2013/07/16 20:54)
[20] BATTLE 19「守護の拳」[やみなべ](2013/07/16 00:28)
[21] BATTLE 20「機動六課の穏やかな一日」[やみなべ](2013/07/16 00:29)
[22] BATTLE 21「初陣」[やみなべ](2013/07/16 20:53)
[23] BATTLE 22「エンブレム」[やみなべ](2013/07/16 20:52)
[24] BATTLE 23「武の世界」[やみなべ](2013/07/16 20:52)
[25] BATTLE 24「帰郷」[やみなべ](2013/07/16 00:34)
[26] BATTLE 25「前夜」[やみなべ](2013/07/16 00:34)
[27] BATTLE 26「天賦と凡庸」[やみなべ](2013/07/16 20:51)
[28] BATTLE 27「友」[やみなべ](2013/07/16 00:38)
[29] BATTLE 28「無拍子」[やみなべ](2013/07/16 00:38)
[30] BATTLE 29「悪魔、降臨す」[やみなべ](2013/07/17 21:15)
[31] BATTLE 30「羽化の時」[やみなべ](2013/07/16 00:39)
[32] BATTLE 31「嵐の後で」[やみなべ](2013/07/16 00:40)
[33] BATTLE 32「地獄巡り~道連れ編~」[やみなべ](2013/07/16 00:41)
[34] BATTLE 33「迷い子」[やみなべ](2013/07/16 20:50)
[35] BATTLE 34「I・S」[やみなべ](2013/07/16 20:50)
[36] リクエスト企画パート1「vivid編 第一話(予定)」[やみなべ](2013/07/16 00:43)
[37] BATTLE 35「ファースト・コンタクト」[やみなべ](2013/07/16 00:43)
[38] BATTLE 36「お子様散策記」[やみなべ](2013/07/16 00:44)
[39] BATTLE 37「強い奴らに会いに行け!」[やみなべ](2013/08/01 03:45)
[40] BATTLE 38「祭囃子」[やみなべ](2013/07/16 00:45)
[41] BATTLE 39「機動六課防衛戦」[やみなべ](2013/07/16 00:45)
[42] BATTLE 40「羽撃く翼」[やみなべ](2013/07/16 00:46)
[43] BATTLE 41「地獄巡り~組手編~」[やみなべ](2013/07/16 00:46)
[44] BATTLE 42「闘いの流儀」[やみなべ](2013/07/16 00:47)
[45] BATTLE 43「無限の欲望」[やみなべ](2013/07/16 00:47)
[46] BATTLE 44「奥の手」[やみなべ](2013/07/16 00:48)
[47] BATTLE 45「絆」[やみなべ](2013/07/16 00:48)
[48] BATTLE 46「受け継がれた拳」[やみなべ](2013/07/16 00:49)
[49] BATTLE 47「武人」[やみなべ](2013/07/16 20:49)
[50] BATTLE FINAL「それぞれの道へ」[やみなべ](2013/07/16 00:50)
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[25730] BATTLE 7「一人多国籍軍、起つ」
Name: やみなべ◆d3754cce ID:1963cf14 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/07/16 00:20

ギンガ達のいる廃ビルで異変が起きる瞬間から、いくらか時を遡る。
丁度通勤ラッシュに当たる時間帯であり、まさに最も人通りの多くなる頃合いだ。
そんな時間帯の市街地を、地味な帽子を被った一人の男が人ごみに溶け込むようにして歩いていた。

「やれやれ…仕事とはいえ、前途豊かな若者の未来を閉ざすような仕事は、心苦しいねぇ……」

相も変わらず、本音なのかどうか判然としない口調で、誰にともなく呟く。
ギンガ達が連れ込まれた廃ビルを出た後、男は用意してあった車で市街地に戻ると、車を乗り捨てて人ごみに紛れたのだ。

元々、車自体は依頼主から拝借したもので、依頼後の移動手段の用意も条件の内。
故に、乗り捨てたと言っても、後で依頼主の関係者が回収する手筈になっているので、特に問題はない。
別に転送をはじめとした何らかの魔法で移動してもよいのだろうが、それだと魔力発動の痕跡で足が付く可能性があった。それを用心しての移動手段の確保である。

とはいえ、市街地に入り、こうして人ごみに紛れてしまえば見つかる可能性は極めて低い。
念のために車内で着替えも済ませたので、服装は手掛かりにならない。
あとは、こっそりとこの地を離れ、ほとぼりが冷めるまで近づかなければそれでおしまい。

「まぁ、済んだ事を思い返しても仕方がない。
 だが、それはそれとして…………これはどうしたものか」

そう言って男が懐から取り出したのは、一枚の紺色のハンカチ。
それを丁寧に開くと、中から出て来たのは鳥籠を模した小物。
その存在に気付いたのは、迂闊な事に車内で着替えをしていた時。
着替えている最中に、聞きなれない音がしている事に気付いて発見した物だ。

「確か……あの坊やがこんな物を持っていたか。
 ふむ、悪い事をしてしまったな」

転送先からさらに廃ビルに移動する際、まだ毒の抜けきらないギンガと抵抗する翔を車に運び込む為に抱きかかえたので、その時に引っかかってしまったのだろう。
決して他人様に誇れるような生き方をしていないと自覚している男だが、さすがに子どもの持ち物…それも、見た所小さいがかなりいい物だ。そんな物を、知らなかったとはいえ結果として盗んでしまったのは気が引けるのだろうか。

「戻って返す…と言うわけにもいかんし、かと言って捨てたり売ったりするのも気が引ける。
 はてさて、どうしたものやら……」

とはいえ、持ち続けていればこれが決定的な証拠になりかねない。
なので、出来れば早々に処分してしまいたいのが男の本音だった。

しかし、時すでに遅し。
小物一つと油断し、決断が遅れたのが運の尽き。
あるいは、プロにあるまじきミスをしてしまったのが、そもそもの分岐点だったのか。

いずれにしろ、このタイミングでそれを出してしまったのは最悪だった。
ハンカチを開いた際の振動で僅かに生じた、「リーン」という微かながらも澄んだ音色。

だが、それで男を「迂闊」と責めるのは酷という物かもしれない。
なにしろ、本来であれば朝の喧噪に呑まれ、誰の耳にも届かず消える音色だった筈はずなのだから。
そんな物にまで気を配るなど、さすがに気にし過ぎと言う物かもしれない。

だが、それは――――――――届いてしまった。
偶然か必然か。我が子と同居人を探して偶々市街地を疾走していた、一人の怪物に。



「っ!? 今の音は!」

微かに、本当に微かに耳が拾った馴染んだ音色。
危うく聞き逃してしまいそうなそれを、しかし兼一は聞き逃すことなく捉えていた。

時にビルとビルの間を飛び越え、時に車や電車を追い越し、時に人の死角をついて動いていたのが嘘のように停止すると、兼一はビルの柵の上に立って耳を澄ませる。
だが、再度あの音色が響く事はない。

一瞬、兼一の脳裏に勘違いの可能性がよぎるが、直にそれを否定する。
裏付けもなく、ようやく見つけた手掛かりの可能性を放棄することはできない。
なにより、十数年慣れ親しみ耳になじんだあの音色を、聞き間違える筈がないのだ。

「なら、後は手当たり次第だ!」

音の出所を特定できないのなら、後は直接探すしかない。
幸い、大雑把な方向くらいは絞る事が出来る。

兼一は柵から飛び降りると、誰に気付かれる事もなく人ごみの中に入り込む。
そのまま人込みをかき分けるのではなく、道行く人々の感覚の隙間を縫って動く。
常に通行人の死角をつき、存在感を薄くしながら彼らの身体を一瞬のうちに調べ上げていく。

(違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う)

そうして地道に調べ上げていく事、早数十人。
さしもの兼一にも焦りが生じ始めた所で、一つの違和感に気付く。
それは巧妙に擬態された、だが一般人とは異なる気配の持ち主の存在。

(まさか!)

兼一はそれまでの地道な捜索を辞め、その人物に狙いを絞った。
気付かれないよう細心の注意を払い、同時に迅速に接近し、その人物の懐を調べる。

(ん、いまなにか……)
「見つけた!」
「は? なに…を!?」

奇妙な感覚がしたかと思うと同時に耳元で告げられた一言。
それに反応し、その呟きの主を確認しようとした所で、男は形容しがたい体験をした。

あらぬ方向に加わるG、流れる風景、左脇に回された何者かの腕。そして、悪魔に背筋を撫でられたかのような……悪寒。
しかし、その意味を理解する事も、頭の中で思案する間もなく、先に感じた全てはなくなっていた。

ただし、風景は一変している。
先ほどまで人ごみの中にいた筈なのに、今はやけに見晴らしの良いビルの屋上。
吹き荒ぶ風は心地良いを通り越して、乱暴に身体を叩いてくる。
明らかに地上10階を優に超えるその場所に、気付けば見知らぬ男と向き合う形で立っていた。

(なっ!?)

ここにきて、ようやく男の頭は状況の異常さを理解した。
何もかもわからないことだらけだが、三つ確かな事がある。
一つ、自分は今、尋常ならざる事態に直面しているのだと言う現実。
一つ、それを為したのが、視線の先にたたずむ何ら目を引く物がないのに目を離せない、矛盾した一人の男であろうということ。
そして、何故か未だに頭の上に行儀よく乗っていた帽子が、たった今ビル風によって吹き飛ばされたと言う事だ。

「火急の用件だったもので、強引な形になってしまったのは謝罪します。
 ですが、一つ確認させてください。あなたはこれを、どこで手に入れたんですか?」

丁寧な、いっそ下手に出ていると言っていい口調で、視線の先の男…兼一は問いかける。
その手にあるのは、今しがた男の懐から抜きとったハンカチ…より正確には、その上に乗せられた鳥籠を模した小物。

男は反射的に自身の懐を確認しそうになるのを、有りっ丈の自制心で抑える。
今まさに目の前にあるものが懐にある筈もないし、そもそも懐に感じていた異物感がない。
つまり、アレは間違いなくつい先ほどまで彼の懐にあった代物に相違ないと言う事だ。

(なに者だ、この男。魔導師…と言う感じではないが)
「……たいしたものですね。この状況でその自制心、感服します」

実際、男の自制心はたいしたものだ。
反射的に懐を確認しそうになるのを抑えた事もそうだが、兼一の問いかけに無言のまま「質問の意味がわからない」と言う表情と仕草を違和感なくやってのけた点は、見事の一言だろう。

だが、同時にその自制心が意味を為さない事を、両者は理解していた。
温厚で荒事を好まない兼一だが、我が子と同居人の危地とあってはその限りではない。
一度の問いかけで答えが得られないとなれば、実力行使も止むを得ない。
その判断を降す事に、些かの迷いもありはしない。
そして、その変化を男は鋭敏に感じ取っていた。

(っ! 何者かは分からんが、この男は………危険だ!)

裏社会で生きていく上で、男が最も重宝しているものは何か。
それは転送魔法をはじめとした逃げ足でもなければ、物事に深入りしないスタンスでもなく、目の前にある存在の危険度を察知する能力。

自分より強いのか弱いのか。強いとして、その程度は如何ほどなのか。
ほとんど差がないのか。それとも、上手くすれば勝ちを狙えるのか。はたまた、手も足も出ない程の差があるのか。
彼我の戦力差を見極め、適切に対処できる事が、男の考える自身の一番の長所であり、これこそが長年に渡って裏社会で生き残る事が出来た理由だ。

しかし今、かつてない異常事態…正確には、異常な存在が目の前にいる。
なぜなら、男にとって白浜兼一と言う存在との邂逅は、理解不能な未知との遭遇に他ならなかったのだから。

(わからない。なんなんだこの男は? 私より強いのか弱いのか……いや、それ以前に、どういう相手なのかすら判別できないというのは、初めての経験だ)

今まで経験した事もない、全く以って何一つ測る事の出来ない存在との遭遇。
だが、男の中での混乱は思いの外、小さかった。
わからない、と言う事はある意味最も危険な事だと本能的に理解していたからだ。
どう対処して良いかわからないのなら、今できる最大限の対処をすべき。
それが、男が下した決断だった。

男は迷うことなくナイフ型のデバイスを展開すると、それを高々と振り上げる。
そして勢いよくそれを振り下ろし、コンクリートの地面に深々と突き立てた。

「何者かは知らんが、そう簡単に行くと思わん事だ!」

輝きながら広がる、薄桃色の転送系魔法陣。
やがてその輝きが収まって行くにつれ、異形が姿を現す。

【ガルルルルル!】

見た目の第一印象は虎。鮮やかな黒と黄の縞模様、逞しい四肢で大地を踏みしめて唸りを上げる姿は、猛獣の名に相応しい威風堂々とした物だ。
ただし、この虎の場合はその範疇には収まらない。
まず、明らかにサイズが違う。虎本来のサイズより倍以上も大きい。

これだけでも十分大問題なのだが、真の問題はその背中から飛び出しているもの。
それは『翼』。しかも、その大きさたるや虎の前兆に匹敵するほど。
そんなものが、前足の付け根あたりから生えているのだ。

「どうかね。こいつは私が呼べる中でも一番の大物だ。
 私自身の戦闘能力は低いが、こいつだけでもおつりがくると言うものさ」

自身が呼び出せる中で最も強力な召喚獣を召喚した事で、精神的に余裕が出て来たのだろう。
男の表情からは、先ほどまであった警戒が僅かに薄れている。
こんな街中で召喚獣を呼びだすのは色々な意味で危険だが、急ぎ兼一を処理して逃げれば問題ない。
そう言った計算をした上での余裕なのだろう。

実際、男の余裕はそう間違ったものではない。
一般的な虎に倍する体躯と言うだけで、充分過ぎる程に危険なのだ。
魔力の有無を問わず、生物として本能的な恐怖を感じて当たり前。
ましてや、その身体から迸らんばかりの魔力が溢れているとなれば、よほどの魔導師であっても覚悟せねばなるまい。
ただし、当の兼一はと言えば……

(窮奇(きゅうき)…とでも呼べばいいのかな?
中国の魔獣と次元世界で出会うなんて、なんだかシュールな気もするけど)

と、実にどうでもいい事を考えていた。
ちなみに窮奇とは、古代中国の西方で暴虐の限りを尽くしたと伝えられる、四凶と呼ばれる四体の魔獣の一角である。厳密には違うのかもしれないが、虎の身体に鳥の翼、より正確には猛禽の翼を生やしたその姿をしているからには、こう呼ぶのはそう間違っていないだろう。

イヤ、呼び方などどうでもいい。
普通、こんな頭に超が付いてもおかしくない程の大型の猛獣を前にすれば、恐怖で身体が竦むか、あるいは錯乱してもおかしくない。
そう言う意味では、どうでもいい事を考えていると言うのも、ある種の錯乱と言えるか。

ただし、それが白浜兼一の場合はその限りではない。
そもそも彼に「普通」を求めるのが間違っている。あるいはこれが普段の彼であれば、取り乱すなり恐怖に震えるなりしただろう。
男も兼一の不動をその様に捉えたのか、威勢よく窮奇をけしかける。

「すまんね。可哀そうな気もするが、あまり時間もないんだ。運がなかったと思って、諦めてくれたまえ。
さあ、行け!」
【グオオオオオオオ!!】
「うん、怖い。鋭い牙、逞しい四肢と爪…っていうか、何もかも怖い。
正直に言えば、逃げ出すどころか足が震えて身動き一つ取れなくなりそうなくらいに怖いよ」

男の指示と共に、兼一目掛けて真っ直ぐ飛びかかってくる窮奇。
それに対し、兼一は内なる恐怖を素直に吐露しながら軽く一歩前に出る。

確かに兼一は窮奇の存在に恐怖している。
しかし、彼の精神は、息子と同居人の危地を前に、既にある一線を越えていた。
この域に達した彼は、あらゆる恐怖を克服する勇気を発揮するのだ。
刃物への恐れはそのままに、銃火器への怖れもそのままに、猛獣への畏れもそのままに。
無論、それが目前の化生であろうと例外ではない。

「でも、僕も…………………怖いとか言っていられる状況じゃないんだ」

そして、窮奇の鼻っ面に向けて右手を差し出しながら、その煌々と輝く瞳を直視する。
その瞬間、窮奇は己が一体何に挑もうとしていたのかを、本能的に理解した。

確かに男の目の前の相手の力を察知する能力は優れているのかもしれない。
白浜兼一と言う、様々な意味で特殊な存在を「理解不能」と感じ取り、それを「危険」と判断した事が、その能力を裏付けている。
だがその能力は、野生の中に身を置く獣のそれには届かなかったようだ。
男には理解できなかった物を、窮奇は理解したのである。
これは決して、例え戯れにでも噛みついてはいけない「何か」であると。

「なっ……」

知らぬうちに、男の口からは驚愕の声が漏れる。
それも当然。乗り気ではないとはいえ、兼一が多少の抵抗はしても、最終的には窮奇の餌食になると男は疑っていなかった。
ところが蓋をあけて見れば、窮奇は兼一のすぐ手前で「伏せ」の体勢。

そんな窮奇の頭を、兼一は穏やかな手つきで撫でる。
すぐ目の前にいなければ気付かない程小刻みに震えるその姿に、憐れみと申し訳なさを感じながら。

「ありがとう。正直、気が引けたんだけど、君の方から退いてくれて本当に良かった」
【きゅ、きゅ~ん……】
「そして、ごめんね。怖がらせるつもりはなかったんだけど……君が何もしないのなら、僕も何もしない。
 だから、安心してくれると良いな」

言葉が通じる筈もないのだが、強い思いの籠った言ノ葉を理解したのか、窮奇の目から怯えの色が失せて行く。
人間、案外強い思いを以って臨めば、言葉は通じなくても思いは伝わるものらしい。
『魂語』とでも呼べばいいだろうか。

「さて」
「な、何をしたんだ! あ、アイツを闘いもせずに何て!?」
「動物は敏感、と言う事ですよ。ところで……」
「……」
「先ほどの質問の答えを、教えていただけませんか?」

男も、ことここに至って徐々に理解し始めていた。
全く以って訳がわからないが、自身に向かって歩みよってくるこの一見平凡そうな男は、絶対に関わってはいけない種類の何かなのだと。
その脅威が全く実感できない事、それが何よりも恐ろしいと男は感じている。
だがそれでも、男はプロとして精一杯の虚勢を張ってみせた。

「知らない、と言ったら?」
「無理は言いません。でも……」
「でも?」
「どうしても聞いてほしいと仰るなら、聞いて差し上げない事もありませんよ?」

どこまでも柔和で、穏やかな声音によって語りかけて来る。
ただし、それはあくまでも言葉だけの話。
近づくにつれ、いつの間にか眼から放たれていた怪光線が突き刺さり、のしかかる様な圧迫感が総身を包む。
『要請』と言う形をとってこそいるが、その実体は有無を言わせぬ『強制』。
これを前に、男に与えられた選択肢はあまりにも少なかった。

(わりぃ、旦那。こりゃ、逆らえるような相手じゃないわ)

男とて、まがりなりにもプロだ。
正直、相応にプライドもあるし、洗い浚い吐いてしまう事に抵抗がない訳ではない。
口の堅さもまた、この業界でやって行くために必要な条件の一つ。
実際、生半可な拷問にかけられたくらいでは口をわらない程度の覚悟はあるつもりだ。

だが、今回は本当に相手が悪い。
プライドやプロ意識と、目の前の謎の生命体の不興を買う事に対するデメリット。
両者を天秤にかけた結果、男の針はあっさりと保身へと傾いた。

(そりゃね、依頼主の事をあっさりはいたなんて知られたら干される事請け合いなんだけどさ……)

この相手に捕まった時点で、そういう方面での先の心配をする事自体、無意味に違いない。
ならせめて、少しでも良い落とし所に持っていく方に労力を割くべきだ。
それが、『足洗って、田舎で畑でも耕すかなぁ』と若干現実逃避しつつ、男の出した結論だった。

そうして語られる、依頼内容に関する情報の数々。
聞けば、翔はついでで攫われただけらしい。そう言う意味では、幾らか緊急性は下がったと言える。
しかし、問題なのはギンガの方だった。

「まぁ、私が言うのもなんだが、あまり時間をかけない方がいいと思うよ。
 彼女は貞操観念も強そうだったしね。正直、女の尊厳は保障しかねる」

男よりもたらされた、依頼主の取り巻きたちの様子についての情報は、兼一の脳裏に最悪の未来像を紡がせる。
我が子を実の弟のように慈しみ、その才と意思を守る為に真剣に怒ってくれた、年の離れた友人。
そのギンガが、心ない理不尽な暴力により、汚されようとしている。
それは兼一にとっても、到底許容できない、許し難い暴挙だった。
沸々と煮えたぎる怒り。脳髄が灼熱し、その怒りの全て犯人達にぶつけてやりたい欲求に駆られる。
そのどうしようもない様な衝動が、兼一に声ならぬ咆哮を上げさせた。

「――――――――――――――――――――――っ!!!!」

大地を震わせ、大気を揺るがす気当たりの発散。
もしこの場に見ず知らずの第三者がいれば、兼一が得体のしれない何かに取り憑かれたかのように映っただろう。
まあ、そんな人間がいれば、先の気当たりの開放で腰を抜かすなり気絶するなりしていただろうが……。

だが、兼一が怒りに飲まれたのかといえば……否だ。
身を焦がす怒りを深く深く呑み込み、感情の見えない無表情で「静」の気を練り上げる。

「お、お~い?」
「どこのだれか知らないけど……人の息子と友人に手を出した事、ちょっとだけ後悔してもらおうか」
(あっちゃ~、こりゃホントに終わったな)

意識が飛びそうになる程の威圧感の中、男は依頼主達に胸中で黙祷を捧げる。



手に入れた情報を伝えるため、与えられた通信端末でゲンヤの個人端末を呼びだす。
本来、兼一が使っている翻訳機は通信越しには使えないが、それ用の機器があればある程度融通は利く。
幸い108にはその危機があるので、通信越しでもなんとかなる。

とはいえ、正直あちらも忙しい筈なのでそう簡単にはつながらないのでは、と思っていた。
しかし、そんな予想に反し、一度目のコール音の最中に繋がったのは兼一にとっても割と驚きだった。

「どうした! 何か手掛かりが……」
「二人の居場所がわかりました。偶々見つけた相手が、どうやら二人を拉致した犯人だったようで」
「マジか?」
「はい、マジです」

まさかいきなり二人の居所が分かるとは思っていなかったのか、ゲンヤの表情はなんとも形容しがたい物になっている。それはゲンヤの背後に映る会議室と思しき場所に詰めた隊員達も同じらしい。
吉報が飛び込みにわかに活気づくのだが、徐々に難しい顔になる物がちらほら。

純粋に喜びたいのは山々なのだが、まさかこんな一足飛びに事が運ぶとは思っていなかったのだろう。
なにより、自分達がようやく転送先からさらに移動先を割り出そうとしている中での、この情報。
喜ぶべきだし、実際に喜んではいるのだが、捜査のプロとしてなんとも微妙な気持ちになってしまうのはどうにもならなかったようだ。

「ま、まぁいい。で、場所は?」
「僕のいる場所から、南西に約10キロ行った先の廃ビルだそうです」
「情報元は?」
「一応拘束はしてあります。どこかの管理局の出張所にでも置いてくればいいですか?」
「おう、それで問題ねぇ。近くの出張所を指示するから、そこに運んでくれや」
「はい」

締め落としておいた方が安全なのだろうが、それだとこれ以上情報を引き出す事が出来ない。
それはそれで困るし、相手には最早抵抗の意思がないのは明白。
なので、手荒な事はせず「馬家 縛札衣(ばけ ばくさつい)」という、相手の着衣を利用して身動きを取れなくする技で捕縛したのだ。
女性相手には少々使用が憚れる技なのだが、相手が男だったのはありがたい。

「さて……んじゃ、行くぜ野郎ども!!」
『ハッ!!』

居場所さえ判明してしまえば話は早い。
あとはただ、現地に赴き然るべき対処をするのみ。
ゲンヤの背後が慌ただしい雰囲気に包まれ、誰もが全速力で廊下を駆け巡る。
ゲンヤもまた陣頭指揮に当たる為に会議室を後にしようとするが、その前に兼一の移る画面へと視線を戻す。

「で、お前はどうすんだ?」
「え?」
「てめぇのことだ。どうせ、止めたって聞かねぇんだろ?」
「……………ごめんなさい。
突入班が向かうにしても、十分や二十分じゃ無理でしょう。
その間に手遅れにならないとも限りません。でも、僕なら五分以内に着けます!」

そう、ここから先は時間との勝負。
翔やギンガに何かある前にたどり着き、迅速に犯人達を制圧しなければならない。
制圧するだけならなんとでもなるだろうが、問題なのは時間。
突入班はいつでも動けるように準備していたが、それでも隊舎を出るまでに多少なりとも時間はかかる。
その上ヘリは全員を輸送するだけの数はなく、どうしても陸路を通らねばならない。
緊急車両として望み得る限り最速で現場に急行する事はできるが、それでも時間はかかるだろう。

だが、兼一一人なら今すぐにでも向かう事が出来る。
それも、道路や交通状況などに左右されず、目的地までの最短距離を突っ走って。
更に言えば、現在地においても兼一の方が近いと来た。
ここまで条件が揃っている以上、兼一がいかない理由がない。

「だろうと思ったぜ。まぁ今更、車以上の速度で走ったって驚きゃしねぇよ。
だが、無理はするな。ヤバそうならこっちの到着を待て、いいな」
「…………善処します」
「ったく……ホントに、しょーのねー野郎だ」
「ごめんなさい。お叱りは、後で必ず!」
「ああ、俺の説教は長ぇぞ!」

ゲンヤの声を背に、兼一は再度コンクリートジャングルを疾駆する。
ただし、今度は当てもなく動き回るのではない。
確たる目的地を以って、今の彼に出せる最大速度で。

(翔、ギンガちゃん! 今、助けに行くよ!!)

この日、この瞬間、あの男達の運命は決した。
眠れる獅子……いや、爪も牙も持たない不思議小動物を彼らは目覚めさせてしまったのだ。
かつて第97管理外世界「地球」において「梁山泊、史上最強の弟子」「一人多国籍軍」と謳われた武人を。



BATTLE 7「一人多国籍軍、起つ」



件の男を出張所において行く瞬間を除き、止まる事も、緩める事もなく一定の速度を維持していた兼一は、ある6階建ての雑居ビルの前で唐突に足を止めた。

108へと通信した際に兼一がいた地点からは、凡そ十キロは離れた場所である。
しかし、先ほどゲンヤに宣言した通り、兼一はかなりの距離があった筈のここまで、五分とかかる事なく辿り着いたのだ。それはつまり、時速に換算すれば120キロ以上を叩き出したという事。
ちなみに、地上最速の生き物であるチーターですら瞬間時速は110キロ。
それ以上の速度を長距離に渡って維持したのだから、悪夢に等しい非常識である。
それも、これでも道に迷わない様に、人を撥ねないように少し慎重に走ったというのだから……。

だが、今この場にその事を突っ込む常識人はいない。
何より、兼一自身そんな些事にかまけているほど暇ではなかった。

「さて……ここの筈だけど」

見上げるのは、なんの変哲もない廃ビル。かつて新白連合がアジトにしていたような、そんな建物だ。
あの男から聞き出した情報によれば、ここで間違いない筈だ。
人の影はなく、その気配もない。しかし兼一は確かに感じ取っていた。
その奥から、いくつも人の気配がする事を。

しかし、相手は幼い翔と武術家としては未熟なギンガ。
とてもではないが、気配から察知することは難しい。
なんとなく近い気配は感じるのだが、それなりに数がいるようで断定できない。
相手方に達人でも含まれていれば、その強大な気の波動でより多くの事が分かる事もあるのだが……。

「確かあの人の話だと……あそこか」

あの男の証言が正しければ、ギンガと翔が連れ込まれた部屋は丁度兼一の視線の先。
何はともあれ、確認しない事には始まらないと結論付ける。

「正面から行ってもいいけど、二人の安全を考えるなら……」

正面から行けば、咄嗟に二人を人質に取られるかもしれない。
それでも救出する自信はあるが、より万全を期すべきだろう
一応居所が分かっているのだから、そこに強襲を掛けるのも一つの手だ。
相手の裏もかけるし、上手くすれば即座に二人を奪還できる可能性がある。
恐らく、現状ではよりベターと言える策だろう。
まだ二人とも無事だとしても、それが十秒後もそうである保証はないのだから。
ならば、可及的速やかに二人を救出せねばならない。

兼一はビルの壁際に立ち、大きく息を吸い込んでから、ゆっくりと吐き出す。
そのまま彼は深くしゃがみこみ、眼を見開いて跳躍した。

「とう!!!」

土の地面は陥没し、兼一の身体が天高く舞い上がる。
5階のガラスのない窓の前まで来たところで、覚えのある二つの気配を捉える。

「そこか!」

そのまま兼一は右腕をつきだし、その縁を掴んだ。
五指はコンクリートの壁に深々と食い込み、片手一本で姿勢を維持する。
兼一は、残った左手で人が出入りをするにはやや小さい窓の縁に殴りかかろうとする。
だがその直前、兼一の耳が廃ビル内で交わされる言葉を拾い上げた。

「痛いのに、辛いのに……がんばった、ね。カッコよかったよ、翔」
「…………………………カッコよくなんか、ないよ。僕…僕、姉さまを守れてなんか……」
「そんな事、ない。翔はちゃんと、私を守ってくれた、よ。私が言うんだから、間違い、ない」

聞こえてきたのは、何かを蹴る音と苦痛を堪えるギンガ、そして今にも泣き出しそうな翔の声。
続く、苦悶に歪みながらも優しくかけられるギンガの声音は、まるで翔を褒め、あやしているように思えた。

正直、得られた情報はささやかな物。
わかった事と言えば、翔がギンガを守ろうとして…それが叶わなかったのだろうという事くらい。
兼一は急いで二人の下に向かおうと拳を振りかぶるが、それを翔の言葉が縫いとめた。

「泣かない、で。ちゃんと、私が守るから……」
「………………………………………………………………悔しい」
「え?」
「悔しいよ、僕じゃ姉さまを守れない。弱い僕は、父様や姉さまに守ってもらってばっかりで……」
「翔……」

涙ながらに訴えられるのは、弱い自分への怒り。大切な人を守れない事への悔しさ。
理不尽な暴力をふるう相手に向けたものではなく、それを撥ね退けられない自分に翔は憤っていた。
その感覚、感情には兼一も覚えがある。かつては兼一も、不条理な世の中で、弱い自分を嫌っていた。
だからだろう、なんとなく…この先翔が何を口にするのか分かる気がする。
そしてその言葉を、自分は決して聞き逃してはならないのだと……。

「強く…強くなりたい!! 勝てなくてもいい、でも負けたくない!! ただ、正しいと思った事をできるくらい!!! 守ってくれるみんなを守れるくらい!!! 強く、なりたい!!!!」
(ああ、君も選んだんだね……翔)

翔の精一杯の魂の叫びに、兼一は天を仰ぐ。
いつか来るかもしれないと思って覚悟していたその時。それは、兼一が思っていたよりもずっと早かった。
それを望んでいたのか、それともそんな日が来ない事を願っていたのか。
それは、兼一自身にすらわからない。ある一面ではこれから息子に降りかかる数々の苦難を嘆き、別の一面では息子がこれほどの想いを持ってくれた事を喜んでいる。
何よりその言葉は、兼一にとっても懐かしい、遥か昔を想起させる言葉だった。

(そう言えば、岬越寺師匠が言っていたっけ。血は水よりも濃い、しぐれさんも……どこか亡くなったお父さんに似て行くって。馬師父も言っていた。どれだけ隠したところで、子は親に似るものだと。
それにしても、僕自身が師匠達に言った言葉を、翔が口にするなんて……)

兼一の肩が震える。眼には一滴の涙が浮かび、拳は強く強く握りしめられた。
まるで若き日に立ち戻ったかのような心の脈動を、兼一は噛みしめている。

「大丈夫だよ、翔。君にその信念があるのなら、強くなれる。誰よりも、何よりも。
 どんな理不尽にも、不条理にも負けない。大切なものを守れる強い人に…必ず」

最早心に一片の迷いもない。つい先ほどまでは息子の前で武を振う事に僅かな躊躇があったが、それは消えた。
元よりこの拳は、大切な人を守る為に鍛え上げた活人の拳。
ならば、我が子と友人を助ける為に使う事を、どうして躊躇う必要がある。
何より、その小さな胸に強い想いを宿した翔に、何を隠す事があろうか。

「美羽さん、ごめんなさい。やっぱりあの子は……僕たちの子だ。
 親の思惑も、宿命も関係なく、自分自身の意思であの子はこの道に踏み込んだ。
 結局僕はあの子を武から遠ざけられなかった。そして、今この拳をあの子に晒します。
でも………許して、くれますよね? あなたもきっと、同じ気持ちだろうから」

美羽との約束を破ったとは思わない。他ならぬ翔自身が、理不尽と戦う道を選んだのだから。
ならそれは、今際の際に美羽が残した「自分の意思で武門に入るかを選ばせる」という言葉に反しない。
なにより、美羽もきっと同じ気持ちだろうという確信が兼一にはあった。

故に、兼一は一切の迷いなく、憂いなく、今度こそその拳を振り抜いた。

「しっ!!」

無数の突きが窓の縁を打つと、まるで爆発したかのように吹き飛ぶ。
一瞬のうちに小さかった窓の縁は力づくで拡張され、一面の壁が跡形もなくなった。

兼一は振り子の要領で部屋の中に入ると、破壊の余波でたちこめる靄を払いながら進む。
そして、目当ての人物たちの姿を発見したところで、努めて穏やかな声音で安心させるようにこう言った。

「遅れてごめん。助けにきたよ、翔、ギンガちゃん」

混乱して浮足立つ男達を無視して、兼一は二人の下へ歩み寄る。
ギンガの服は所々が無残にも引き裂かれ、白い肩や長く蒼い髪の隙間からのぞくうなじ、そして鎖骨が露わになっていた。動きやすさを優先した下着も白日の下にさらされ、無意識のうちに腕で隠された胸元と共に扇情的な光景を演出している。

どうやら最悪の事態は回避できたようだが、そんなものは気休めにもならない。
ギンガが心身に受けた痛み。それを考えるだけで、兼一の怒りはなお一層燃え上がる。

同時に、兼一は急いでそこから目を逸らし、着ていたジャケットを脱いでギンガにかけた。
うら若い乙女がそう肌を晒すものではないと、どこか古臭い考えが脳裏をよぎっているらしい。
ギンガはまだ目の前に立つ人物の存在が信じられないようで、目を瞬かせながら兼一を見上げている。

「兼一…さん? そんな、どうしてここに……」
「父様? 本当に、父様なの?」
「ああ、そうだよ。だけど二人とも、よく…頑張ったね。えらいよ」

ギンガ同様信じられないという眼差しで兼一を見る翔に対し、兼一は右手で優しく頭をなでてやった。
残った左手もギンガの頭に回され、絹糸の様に柔らかく光沢を帯びた髪を撫でる。
どちらも特に意識したものではなく、無意識のうちに。

その感触が、二人に目の前の人物が現実である事を実感させる。
二人はそこでようやく強張っていた身体を緩める事が出来た。

そんなギンガと翔を見る兼一の目は細められ、安堵と申し訳なさに染まる。
安堵は翔とギンガに重篤な怪我がない事に対するもの。
申し訳なさは、それでも決して無傷とは言えない二人に対する自身の不甲斐なさから。
特にギンガは翔を身を呈して守ってくれたのだろう。背中は汚れ、所々から血が滲んでいる。
その上衣服を剥ぎ取られている所から、強姦寸前だった事は明らかだ。

もっと早く助けに来ていれば、そもそも誘拐などさせなければ、こんな事にはならなかったのに。
そう思うと、兼一の胸のうちはギンガと翔への申し訳なさで一杯で、今にも張り裂けそうだった。
故に兼一は、ギンガに向けた言葉に有りっ丈の感謝と謝罪を込める。

「ありがとう、ギンガちゃん」
「え?」
「翔を、守ってくれたんでしょ? 本当は僕が守らなきゃいけないのに、代わりに守ってくれて。
翔がいまこうしていられるのは、君のおかげだ。本当に…ありがとう」
「そ、そんな! 違うんです、そもそも翔は私に巻き込まれただけで……!!」
「でも、それは君の責任じゃない。責任は君達を誘拐した彼らにある。だからやっぱり…ありがとう。
 そして、ゴメン! 君に、取り返しのつかない傷を負わせるところだった!!」

心底悲しそうに、悔しそうに、兼一はギンガに頭を下げる。
大切な人を守る為にこの拳はあるというのに、危うくその大切な人に一生ものの傷を負わせる寸前だったのだ。
運よく辛うじて間にあったが、それは本当に運が良かったからにすぎない。
もしほんの少しでも何かが違っていたら、兼一がたどり着いた時には手遅れになっていたかもしれない。

そう思うと、兼一の背筋が凍る。
会ってまだ一ヶ月程度だが、それでもギンガもまた兼一にとって守るべき人なのだ。

深く深く悔いる兼一の表情に、ギンガの目が惹き付けられた。
自分の為にこれほどまでに心を痛めてくれる人がいる。
つい今朝方まで対立していた筈の自分の身をこれほどまでに案じてくれる人がいる。
それはなんと、素晴らしくも喜ばしい現実だろうか。

気付けば、それまで心身に重く圧し掛かっていた恐怖と絶望は霧散し、代わりに言葉にできない温もりに包まれた。
それは本当に心地よく、今にも涙が出そうなほどの安心感をギンガに与えてくれる。
その現実に、不謹慎と分かっていながらも心が暖かくなる自分を自覚していた。
そうして兼一はギンガから一端眼を離し、今度はギンガの懐から顔を出した翔の眼を見る。

「翔」
「ぁ……」
「ギンガちゃんを、守ろうとしたの?」
「……う、うん。でも、全然ダメで……僕が、僕が弱いから……」

あの時の事を思い出し、翔の瞳からボロボロと涙がこぼれる。
そんな翔に対し、兼一は目線を合わせて問いかけた。

「そうか……なら、後悔しているかい? 弱いのに立ち向かった事を……」
「…………」

返事は返ってこない。代わりに翔は、全力で首を左右に振った。
後悔はないと、守ろうとした事は間違っていないと、そう言外に主張するように。
その答えはわかっていたのだろう。兼一は小さく微笑み、さらに翔に問いかける。
まるで自分自身の気持ちを、はっきりと翔に自覚させるように。

「なら、痛かったから泣いているの? それとも、怖かったから?」
「…………」

思いの丈は言葉にならず、ただただ首を横に振って否定する翔。
痛かったのも、怖かったのも本当だ。不安でたまらず、怖くて仕方がなくて、痛くて痛くて泣きだしたかったのは間違いない。だが、今その頬を濡らす熱い雫の理由は別にある。

「じゃあ、なんで泣いているんだい?」
「………………………悔しかったから。ギン姉さまに守ってもらってばっかりで、何もできないのが嫌だった!
 でも、守りたいのに僕には何にも出来なくて、戦おうとしても簡単に負けちゃって…………それが、悔しい!!」

嗚咽交じりの声で、翔は喉から絞り出す様にして言葉を紡ぐ。
泣いているのは、自分自身の弱さが情けなくて、悔しいから。
想いはあるのに、それを貫く強さがない事が堪らなく悔しい。

「あの人たち、『強いから正しい』って言ってた……そんなのってないよ!
 だったら僕は、間違ってる事を間違ってるって、正しい事を正しいって言えるようになりたい!!
 正しいって思った事をやれる大人になりたい!! 正しい事をできる強さが欲しい!!」
「僕に、反対されても?」
「…………………………………うん!」

兼一の問いかけに、翔は決然として頷く。例えどれだけ反対されても、もう退けない。
知ってしまったから、弱いままではいたくないと願う自分を。

「…………………わかった」
「父様?」
「兼一さん?」
「そこで見ているんだ。これが、僕が君たちに見せてあげられる、答えだよ」

そう言って、兼一は二人に背を向ける。
それは見限ったとかそういう事ではなく、二人を守る為に。
大切な人を背負い、兼一は強い眼差しで男達を睨む。
そんな兼一に向けて、「兄貴」と呼ばれていた男がドスのきいた声をかける。

「てめぇ、確かあの時の腰抜けじゃねぇか。見た所、魔法も使えないゴミだろ?
驚かせやがって、いったいどうやってあんな所から入ったかしらねぇが、覚悟はできてるんだろうな!!」
「……君たちこそ、覚悟はできてるんだろうね。生憎今の僕は、心っ底……アッタマにきてるんだ!!
 活人拳的にとは言え…………物理的に地獄に落ちてもらうよ!!」
「訳わかんねぇ事言いやがって……うるせぇんだよ、このチビが!!」

珍しく大声を張り上げた兼一に向けて、真横に立っていた男がナイフを手に襲いかかった。
男達は兼一の身体が血に染まる姿を想像し、翔とギンガは兼一に「危ない」と叫ぼうとする。
だが、二人の声帯が音を発するより早く、襲いかかった男に異変が起こった。
兼一が鋭く男の方を睨んだその瞬間、男の体が硬直し、その口から奇怪な叫び声が漏れる。

「ぁ…ぃ、ひぎぃあぁあぁぁぁあぁぁぁ!!!」

仰け反りながら叫ぶとともに、ナイフは手から離れ床に転がる。
そのまま男は仰向けに倒れ、身体をピクピクと痙攣させながら失神した。
その様を見て、ギンガは内心で驚愕を露わにする。

(睨んだだけで……人が倒れた!?)

それは今まで見た事も聞いた事もない事象だった。
どんな魔法を使ったところで、一切触れる事なく相手を倒す事など不可能。
にもかかわらず、兼一はただ相手を睨んだだけで指一本動かす事なく敵を制圧したのだ。
その信じ難い現象をなんとか理屈で説明しようと思索を巡らせるギンガだが、あらゆる可能性が浮かんでは消えて行く。

(魔法……ううん、違う!! 魔法が起動した素振りはないし、そもそも兼一さんに魔力はない。
 なら、希少技能? それとも何かのロスト・ロギア? あるいは武器? だけど、それらしいものは……)

混乱し思考がまとまらないギンガ同様、男達も今目の前で起こった事に混乱している。
その答えを求め、兄貴と呼ばれた男は兼一に向って怒鳴り散らした。

「て、てめぇ! い、今いったい何しやがった!!」
「今見た通り、ただ睨んだだけだよ。あるいは、気当たりと言おうか?」
『気当…たり?』
「気迫や気合、あるいは殺気とも呼ばれるそれをぶつけて威圧したり、フェイントをかける事だよ。
本来動物は、本能的に敵の殺気を感じる能力があるからね。限界を超える気当たりに晒されると、人でも動物でも耐えられずに気を失う事があるんだ。
まあ、実を言うとこの技は苦手なんだけどね。昔から、どうにも殺気とは縁が薄くて……」

さも何でもない事の様に、兼一は彼らの質問に答える。
しかし、彼らには到底信じられなかった。
ただ睨むだけで相手を倒すなど、そんな手品や催眠術の様な真似ができるものかという常識があるのだ。

「ふ、ふざけんじゃねぇ、んなハッタリにビビると思うんじゃねぇぞ!!!
 どうせ手品か何かだ! 野郎ども、やっちまえ! 武器持って大勢でやりゃぁなんとでもなる!!」
『お、おう!!』

そうして、刃物や銃器で武装した男達が大挙して兼一に襲いかかる。
数は十数人。この数に一度に襲いかかられれば、兼一など為す術もなく殺されてしまう。
そう考えたギンガは、切羽詰まった声で兼一の名を呼ぶ。

「兼一さん!!!」
「大丈夫だよ、ギンガちゃん。それに君達も人の話はちゃんと聞くべきだ。今僕は頭にきてると言った筈だよ。
普段の僕なら睨み倒しや捕縛術で穏便に済ませるけど、そんな優しさは期待するな!!」
「死にやがれ!!」

眼から怪光線を発しながら宣言した兼一の側頭部目掛け、男の一人が持った鈍器が薙ぎ払われる。
直撃すればよくて頭蓋骨陥没か頸椎骨折、最悪その場で絶命するだろう。
男も兼一を殺すつもりで振り抜き、その死を確信した。

(人間トマトの一丁上がり!)
「しゃらくさい!!」
「……は?」

鈍器が触れる直前、男の視界から兼一が姿を消した。
振り抜かれた鈍器は虚しく空振りし、勢い余って体勢が崩れた男の目は驚きに見開かられる。
確実に当たる筈の一撃は空を切り、目を離していなかったにもかかわらず見失ったのだ。
男の思考が一瞬停滞したのも無理はない。

しかし茫然とした男の肩を、何者かが背後から掴む。
そして、勢いよく…………………………投げた。

「どっせい!!!」
「う、うわぁぁぁあ!?」
「ぎゃあぁあぁぁぁ!?」
「な、何が起こってるんだぁ!?」
「ひぃぃぃぃ!?」

次々と投げられては、驚愕の叫びと共に宙を舞う男達。
兼一の動きを捉える事が出来る者はおらず、当然投げられている本人達は自分がどういう状況なのか理解できていない。それどころか、優れた格闘技者であるギンガですら、何が起こっているのか理解が追い付かない。
わかるのは、黒い影が男達の間を駆け巡り、その度に人が宙を舞う怪奇現象が起こっているという現実のみ。

やがて、襲いかかった男たち全員が投げ飛ばされたところで、唐突に静かになった。
いや、静かになったというのは正しくない。確かに叫び声はなくなったが、その代わり痛みに呻く声が響く。
まるで、地獄の底で苦しむ亡者の様な声が。

「な、何が起こったの? 兼一さんは?」

ギンガは翔の体を抱きしめながら目を凝らし、先ほどまで兼一が立っていたところを凝視する。
そこで目にしたのは、あまりにも歪で気味の悪いリング。
最初の位置で仁王立ちする兼一の周りには、絡み合った男達が円を描いて倒れているのだ。
その中心で兼一は、まるで地獄の裁判官の様にこう宣言した。

「岬越寺、無限轟車輪!!」

岬越寺流、「無限轟車輪」。複数の敵の手足を互いの手足を利用して極め、関節を極められた状態の敵が連なってできる輪を作る対多人数向けの技。
その異様極まる光景に、ギンガは思わず息をのむ。
なにしろ、それはまさに地獄絵図。痛みに呻き、助けを求める姿は自業自得とは言え憐れみを誘う。
だが、彼らの上司はそんな男達に向けて無体な言葉を吐く。

「て、てめぇら何してやがる! くっついて遊んでねぇでさっさと立て!!」
「い、痛い―――――!? は、早く俺の腕を離してくれ―――――――!」
「重、い……早くどけ! い、息がぁくるしい~!?」
「む、無理です! 誰かの身体が邪魔で身動きがとれませ~ん!! あいだだだだ!!」
「んな、バカな……」

部下達の相次ぐ悲鳴に、いよいよ顔を青くする男。
遊びなどではなく、本当に身動きが取れない事がわかったのだ。
そんな男に向け、兼一は静かに教えてやる。

「無駄だよ」
「な、なに!?」
「互いの関節と体重で極めてあるからね、自力での脱出は不可能だ」

そう、無限轟車輪の真の恐ろしさはそこにある。
技をかけられた人間の体重がお互いの関節を極め合う構造になっているため、外から誰かに外してもらう他に逃れる術はない。
これほど多人数の制圧と仕置きに向いた技もそうはないだろう。
何しろ、意識がなくなるわけでもなく、ずっと痛みに耐えなければならないのだから。

しかし、ミッドチルダにあってこの手の関節技や投げ技はあまり主流ではない。
特に魔導師の場合、バリアジャケットという防護服のおかげでその手の攻撃は効果が薄いのだ。
その為、ストライクアーツやシューティングアーツも基本は打撃系。
『関節を極める』という聞き慣れない言葉に、男は混乱していた。

「関節を極めるだぁ……なんだ、そりゃあ!? そんな技、ストライクアーツにはねぇぞ!!
 それとも、そこの女のシューティングアーツとか言うのの技か!!」
(違う、あんな技シューティングアーツにもメジャーな格闘技のどれにもない。
 それに今、岬越寺流って……まさか、兼一さん……)

男もそれなりにギンガの事を調べているようで、シューティングアーツにある技と思おうとしたらしい。
だが、それは明らかに的外れである事を他ならぬギンガが知っていた。
故に、ギンガはある可能性に思い当たり、信じられないと思いつつ兼一の方を見る。
そして当の兼一は、まるでその過ちを訂正するように叫んだ。

「違う、これは…柔術だ!!!」
「じゅう、じゅつ?」
「柔術とは、僕の故郷地球は日本で開発された投げや関節技を得意とする実戦武術!
 その歴史は長く、戦場で発展したその技術は対武器戦や多対一こそがむしろ本領!!
 数と武器に慢心した彼らを取り押さえるくらい―――――――容易い!!」
(兼一さんが、格闘技を?
 あんなに、翔が格闘技をやるのを反対してたのに……ううん、もし『だからこそ』だとしたら!?
 なら、兼一さんが言う『答え』って……)

ギンガの眼には、どこか兼一が水を得た魚の様に映る。
まるで、今まで無理に抑えつけていた物を解き放ったかのように。
だとすれば、これこそが兼一の本来の姿なのではないか。
そしてそれを晒したという事は、抑える必要が、理由がなくなったという事で……。

「翔、ギンガちゃん」
「「は、はい!」」
「よく見ておくんだ、本物の武術というものを」
(やっぱりそうだ! これが翔への兼一さんの答え。
 反対するなら、見せない。実際、翔は今までそんな事知らなかった。それを見せたのなら……)

答えは一つ。認めたという事だ、翔が武を学ぶ事を。
だからこそ、これまで隠してきた本当の自分を見せようとしているのだろう。
だがそれは、あまりにも……

(無茶よ! 今までの人たちは魔導師じゃなかった、それなら条件は対等。魔法が使えない兼一さんでも勝てる。
 だけど、あとの五人はみんな魔導師。魔導師のバリアやフィールドに生半可な攻撃じゃ意味がない!!)

魔導師であると同時に、自身も格闘技者であるからこそギンガにはわかる。
生身の拳では、魔導師を守るバリアやシールド、フィールドを破る事は出来ない。
それは投げや関節にしたところで同じ事。投げても地面にぶつかる衝撃を防御魔法が殺し、関節を取ろうにもバリアジャケットがそれを防ぐ。
兼一がどの程度の打撃を持っているかは定かではないが、それでも勝ち目など皆無。
冷静に、客観的に見てそれは疑いようのない事実なのだ。
少なくとも、ミッドにいる格闘技者のレベルでは。

しかし、兼一はミッドの人間ではない。
地球という全く別の文化と文明、そして歴史を持つ世界の出身者。
そこで身に付けた独自の技術と、鍛え抜かれた肉体のレベルを未だギンガは知らない。
人間の肉体の限界は確かに存在するが、それはギンガが考えるそれの遥か先にあるのだから。
その、今まで知らなかったもう一つの現実を、今からギンガは目にする事になる。

「へ、へへ、確かに驚いたが、そこまでだ。
 思い知らせてやるよ、魔導士とそうでないゴミの違いってやつをよ!!」
「まともに戦っちゃダメ、逃げて兼一さん!! 逃げて、父さん達を!!」

男のうちの一人が一歩前に出てバリアジャケットを展開したのを見て、ギンガは声を張り上げる。
相手の事は覚えていないが、実力はおそらくCランク。
とてもではないが生身の人間が叶う相手ではない。せめて強力な質量兵器でもあれば話は別だが、兼一は無手で防具もない。これで魔導師相手に挑むなど、兼一がいくら強くても自殺行為に他ならないだろう。
そう判断し確信したからこそ、ギンガはいったん引いて救援を求めるべきと考えた。
だが、それに返ってきた答えは……

「逃げろ? 君達を置いて? そんな事、できるわけないじゃないか」
「でも、そうじゃないと兼一さんが!!」
「なにより、もうずいぶん昔に……逃げるのはやめてしまったからね」

それは、兼一の古い誓いの一つ。
あらゆる苦難から逃げてきた彼は、ある日を境にそれをやめた。
もう逃げないと誓った、大切な人を守る力を身につけるまで。
そして、その力を手にした今、最早逃げる理由などどこにもありはしないのだから。

「それにゲンヤさんたちならもうこっちに向かってるよ。僕が一人で先に来ただけで、ね」
「なら、せめてみんなが来るまで……!」
「訳のわからん事をごちゃごちゃと、良いから死ね!!」

兼一とギンガのやり取りに痺れを切らした男は、手に持った斧型のデバイスを振り下ろす。
ギンガと翔は思わず兼一から目を逸らそうとする。
まさか殺傷設定ではあるまいが、それでもただで済む筈がない。
最悪、無残な姿を目の当たりにする事になる。
幼い翔にそれを見せる事が忍びなくて、ギンガは翔の目をふさごうとした。

だが、その手が途中で止まる。
なぜなら逸らそうとした視界の端で、兼一が無事な姿を視認したのだから。

「雑だけど、威力と速度は目を見張るものがある。これが魔法の恩恵なのかな?」
「ちぃ! 上手く避けやがったな! だが、まぐれが続くと思うなよ!!」

紙一重のところで回避した兼一に対し、男は次々と斧を振う。
しかし、兼一はその悉くを薄皮一枚のところで回避する。
まるで、全ての攻撃がどのような軌道を描くか完全に見切っているかのように。

だが、そんな事はあり得ない。
身体強化の結果、人間の限界を超える速度と威力を実現した男の斧を回避するなど、生身で出来る筈がないのだから。それも、一連の攻撃を全てミリ単位で回避するなど、自殺行為に他ならない。
ほんの僅かでも判断を誤れば、その瞬間に叩き潰される。
承知の上でそれを続けるなど、命知らずの極みだ。

とはいえ、それでも現実は変わらない。
どれだけ頭で否定したところで、事実として兼一は斧を自分の体に触れさせていないのだ。
掠るだけでも大怪我必至の連撃を、兼一は最小限の動作で回避する。
ただし、その口からはこんな声が漏れているが……。

「って、余裕見せてる場合じゃなかった!? 刃物怖い! 刃物怖い!! 
もう! 知らないかもしれないけど、斬られるのってすっごく痛いんだぞぉ!!!」
「良いからさっさと斬られやがれ!!」
「ええい、それは御免被る!!!」

何とも緊張感に欠けるやり取りである。
動作としてはこれ以上ないほど洗練されているのだが、如何せん兼一の表情と言動が問題だ。
明らかに動揺し、その口からは弱音が濁流の様に溢れだしている。
おかげで、ギンガですら一瞬これが「まぐれ」なのではないかと思ってしまう。

(でも、まぐれであんな事できる筈がない。なら、完全に見切ってるって言うの?
 だとしたら、いったいどんな動体視力と反射神経?
 いえ、それ以上に、その目についてこられるなんて、どんな鍛え方をしたら……!?)

疑問が後から後からギンガの頭の中を埋め尽くす。
その内、どれ一つとってもギンガには答えが出せないが、目の前で起こっている現実が全て。

本来、達人の域に達した武人がこの程度の技量の持ち主が振るう武器に動揺するなどおかしな話だろう。
だが、良くも悪くも人はそう簡単には変わらない。それは兼一にも言える真理。
要は、どれほど強くなっても抜本的に「刃物への恐怖」が払拭される事はなかったのだ。怖い物は怖いのである。

数年前なら、まだここまでそれを表に出す事はなかっただろう。
慣れもあって取り繕うのは上手くなり、表面的にはそう見えなくなりはした。
が、数年に及ぶブランクがこの状態を招いている。
武術同様、覚悟などもまた湯に同じ、熱し続けねばすぐに水に変える。それと同じ事だ。
しかし、幸か不幸かそんな事情は露知らず、いつまでも兼一を仕留められない男に痺れを切らしたのか、兄貴と呼ばれた男の怒声が飛ぶ。

「いつまで遊んでんだ、その野郎をさっさと殺せ!!」
「は、はい!!」

状況が分かっていないのだろうか。
さっきから男は全力で兼一を攻撃している。これ以上など望むべくもない。
ならその時点で、信じられるかどうかはともかく、兼一の実力を認めなければならないのだ。
一人ではとらえきれない相手、最低でもこの認識は欠かせない。
にもかかわらず、それを解さないあの男は苛立ちを募らせる。

当然、そこから先も男の斧が兼一を捉える事はない。
だがそこで、ついにそれまで守勢に回っていた兼一が動く。

「せい!!」
「っ!?」

斧を空振りした瞬間の隙をついて、正拳を打ちこむ兼一。
しかし会心の一撃である筈のその拳は、男の意識を刈りとる事が出来なかった。
それどころか、男の体に触れてすらいない。

男の斧が防いだのか? 否、空振りした斧が間に合う筈がない。
ならば防いだのは別の物。兼一の拳が打ったのは、彼のデバイスが咄嗟にはったシールドだった。

(くぅっ、硬い! これが、魔法なのか!?)
「は、はは! いくらかわせても、さすがにシールドまでは壊せねぇってか?
 こいつはいいや、ならこっちはやりたい放題だ!!」
「そうだ、嬲り殺しにしろぉ!!!」

兼一の拳では自分にダメージを与えられない。
その事実に気をよくしたのか、男は嬉々としたサディスティックな表情で兼一に襲いかかった。
周りの男達も男をはやし立て、「殺せ」だの「死ね」だのと連呼している。

「父様ぁ――――――――――!!」
(こんなの、もう見ていられない!! あの力を使って……え?)

見かねたギンガは、今度こそ自身の中にある封を解こう立ち上がりかけた。
だが、そこで攻撃を回避し続ける兼一と目が合う。
その眼が無言のうちに語りかけてくる、『手出し無用』と。

(兼一さん? でも、それじゃいつか……)

攻撃が兼一を捉え、その命を絶つ。
ギンガはその結末を疑っていないが、兼一の視線にはその確信を覆す何かがあった。
ギンガは無意識のうちに浮きかけた腰を下ろし、ただただ父の窮地に涙を浮かべる翔を抱きしめる。
そして、知らず知らずのうちに口ではこう言っていた。

「大丈夫、翔のお父さんは大丈夫だよ」
「姉さま?」
「あの人は、翔を泣かせたりなんか絶対しない人だから……」

何を根拠にそんな事を言っているのか、それはギンガにもわからない。
しかし、それでも根拠のない確信がギンガの胸を埋め尽くす。
兼一は絶対に大丈夫という、根拠のない、だが確固とした確信が。
いや、ギンガとて兼一とタイプは違えど、戦う術を身につけ戦いの中に身を置く人種。
その勘が、無意識のうちに兼一から漏れる力を感じ取っていたのかもしれない

そこで、それまで自身の拳の握り具合を確認していた兼一が再度動く。
それも、今度は単発ではなく、息をつかせぬ連撃で。

「ア~パ~!!」
「バカが! 魔法も使えねぇ拳じゃ何万発打ったってなぁ!!」
「ア~パパパパパパパパパパパパ!!!!!」

男の声など聞こえぬとばかりに、兼一は殴って殴って殴りまくる。
ムエタイのトイ(パンチ)の連打、「マ・トロン」。
兼一のそれともなれば、その一打一打を視認する事は困難を極める。

しかし、男は兼一の攻撃は効かないと疑わず、防御魔法を展開したまま斧を振う。
兼一は振るわれる斧をかいくぐり、尚も突きを放ち続ける。
ただ愚直に、ただまっすぐに。一発では無理でも、いずれは盾を破ると疑わず。
一念岩をも通すと言わんばかりに。男はそれを鼻で笑うが、兼一の拳はその速度を上げる。

そう、速度が「上がっている」のだ。
徐々に、だが確実に。その速度が、そして威力も。
そうして、ついにその時は訪れた。

「イ~ヤバダバ…ドゥ~~~~!!!」
「な、バカなぁ!?」

その言葉と共に、男のシールドに無数のヒビが入っていく。
そうなってしまえば、結末は見えていた。
兼一の拳はさらに速度を挙げ、必然的にヒビも広がる。
やがて、限界に達したシールドはガラスが割れるような音を立てて砕け散った。

「ふっふっ…ふぅ~」
「こ、この化け物!?」

兼一はシールドが破れた時点でいったん手を止め、大きく息をつく。
男は驚愕のあまりに兼一を化け物扱いしているが、兼一は聞く耳持たない。
ただ自身の拳を見つめ、何事かをぼそぼそと呟いている。
とそこで、一度はショックでたじろいでいた男が、引きつった声でこんな事を言った。

「は…はっ! まさか俺のシールドを破るとは恐れ入った! だがな、一回破るのにアレだけやったのはいいが…ほれ、シールドなんぞまたはればいい! お前がやったのは無駄骨だったわけだ!!」

男は再度自身の前にシールドをはり、兼一を嘲笑う。
確かにそうだろう。一度破りはしたが、それにかける時間と労力が多すぎる。
もう一度同じ事を繰り返している間に、男の斧が兼一を捉えればそれで終わり。
まあそれも、「もう一度同じ事を繰り返す」とすればの話だが……。

兼一は無言のまま、ゆっくりと男のシールドの前に立つと足を開いて腰を落とす。
そして、兼一が軽くその場で飛び上がると、その右足が男の視界から消えうせた。

「イェィ!!」
「は?」

気合一閃。気付いた時には、兼一の足は天高く掲げられ、振り抜かれた後だった。
兼一はそのまま重力に引かれ、静かに着地する。
では、その軌道上にあったであろうシールドはどうなったかというと……。

「んな、バカな……」
(ウソ……でしょ? だって、たったアレだけで………シールドを、真っ二つに!?)

そう、男が絶対の自信をもって展開したシールドは、まるで鋭利な刃物に断ち切られたかのように両断されていたのだ。とても、生身の人間の蹴りでそれがなされたとは信じられない。
男もギンガも、そのあまりに非常識な結果に、狐に化かされたかのような顔をする。

技の名を「馬家 破鎧脚(ばけ はがいきゃく)」。
兜をも真っ二つにする程の鋭い飛び蹴り。この技の前では、兜もシールドも大差はない。
どちらも硬く、持ち主の身を守る防具という点では同じなのだから。
そして兼一は、蹴った感触を確認するように足の具合を確かめてから口を開く。

「うん、これ位の硬さか。大体加減もわかったし、これなら大丈夫そうかな?」
「か、加減だと? てめぇ、いったい何を!?」
「実を言うとね、僕は………というか、僕たちは普段から加減して人を殴る癖をつけてるんだ。
 相手の実力に合わせてね。僕達が一般人を本気で殴ったら…………死んじゃうから」
「……は? 死ぬ、だと?」
「それはほら、活人拳が人を殺しちゃ笑い話にもならないしね。
はじめは君に合わせて殴ってたんだけど、思いの他さっきの魔法が硬くてさ」

顔をひきつらせる男に対し、兼一はまるで世間話でもするかのように話す。
実際、兼一が本気で殴ったら人は死ぬ。それくらいの威力が彼の拳にはあるのだ。

というか、一般人相手なら高校時代でも余裕だっただろう。
まあ、だからこそ今の兼一が本気で殴るとシャレにならないのだが……。

「いやぁ、正直戸惑ったよ。あんまり強く殴ったら、下手すると勢い余って殺しちゃうでしょ?
 だから、少しずつ力を込めて打って、あの魔法の硬さを確認してたんだ。
 でも、これで大体わかったから安心していいよ。シールドを壊して、だけど君が死なないように殴るから」

いっそ、朗らかなまでの笑顔でそんな事を言う兼一。
そう、先ほどの連打も、今の破鎧脚も、全てはその確認作業に過ぎない。
なにぶん、シールドを殴った事などないので、色々と勝手がわからなかったのだ。
しかし、それもこれで大体の硬さは把握した。
確かにただの突きでは壊すのに難儀するが、強めに殴ればなんとでもなる。それが兼一の結論。

「さあ、歯を食いしばって……悪いけど、死なない程度の加減以外をする気はないよ」
「ふ、ふざけんじゃねぇ――――――――――!!」
「気持ちはわからないでもないけど、幾らなんでも雑過ぎる!」

男の渾身の一撃を半身になって避けた兼一は、カウンター気味の一撃を男の鳩尾に放つ。
はられていたシールドは砕かれ、そのまま兼一の拳が男の意識を刈りとる……筈だった。

「っ!?」
「ハァハァ…し、シールドを破ったくらいでいい気になるなよ!!
 俺らにはな、まだこのバリアジャケットがある!! そして、こいつで終わりだ!!!」
「? これは……」

男が叫ぶと同時に、兼一の体に紫色の帯の様なものが絡みつく。
身体を動かそうにも思うように動けず、その帯が動きを阻害しているのは明らかだった。
しかもそれは見た目に反して頑丈で、薄っぺらい帯でありながら妙に頑丈。
おかげで、兼一は拳を相手の鳩尾に突きだした姿勢のまま、一切の動きを封じられている。

「教えてやるよ。そいつはバインドって言ってな、てめぇみたいになうぜぇ奴を捕まえとくには、もってこいの魔法だ!!」
(こんなものまであるのか、本当にすごいな魔法って)
「いくらてめぇがすばしっこくても、こうなったら一巻の終わりだろう! 今度こそ、死にやがれ!!」

危機に陥ってる事もそっちのけで感心する兼一。
だが、足が封じられては逃げられない。腕を封じられては捌く事も、攻撃する事もできない。
男はそんな兼一の脳天に向け、ゴツイ斧を振り下ろしてくる。

その様を見て、翔の顔が悲痛に歪む。
しかし、ギンガは違った。彼女の眼には、どこか確信に満ちた光がある。
兼一なら大丈夫、彼はこの程度で死にはしないと、彼女の何かが訴えていた。
その感情に戸惑いつつも、ギンガの眼の奥の光は変わらない。
兼一はそんなギンガの眼の光を眼の端で捉え、密かに苦笑する。

(そこまで信じてもらっちゃったら…………カッコ悪いところは見せられないよね!)

平均より小柄な兼一は、自分より大きな者と戦う事が多かった。
当然、その対策、とりわけ力で勝る大男に捕まった時の対処法は師父より徹底的に叩きこまれている。
状況はそれとさして変わらない。拳は敵のバリアジャケット越しであっても敵に触れている。
腕と足は動かない。だが肩も腰も、肘も膝もまだ動く。なら、兼一にとってはそれで十分だった。

兼一はそのまま深く息を吸い、床を強く踏む。
それと共に兼一の腰が、肩が、全身がその場で勢いよく捻りこまれる。そして……

「…………フン!!」
「ごふっ!?」

その一声と共に、男の体はバリアジャケットもろとも吹き飛ばされた。
たった一撃、それも拳を押し当てた状態から。
拳を振うという、速度と威力を生みだす為の動作もなしに、それだけで兼一はバリアジャケットの守りを打ち破ったのだ。

中国拳法の技の一つ、寸勁(すんけい)。
至近距離からのわずかな動作で高い威力を出す発勁の技法であり、呼吸法や重心移動、打突力、意識のコントロールなどを用い最小の動作で最大の威力を出す技だ。
兼一の足元は、その震脚の強さを証明するようにクレーター上に大きく凹み、心なしか廃ビル自体が揺れている。

男の体はそのまま放物線を描く途中で天井に激突、重々しい衝突音と共に床に落下した。
その意識は、天井に激突するより前に絶たれている。

無論、死んではいない。
先の突きを阻まれた感触から、兼一はバリアジャケットの強度を推し量っていた。
全く情報がなければ無理だが、先ほどシールドを破った時の経験を参考にしている。
どちらも魔力によって作られた守り。ならば、力加減を間違える様なヘマはあり得ない。

また、男の意識が絶たれたからか、それとも寸剄の余波か。
気付けば兼一の身体を拘束していたバインドは砕け散り、その身の自由を取り戻す。
まあ、折角自由になったので、念の為に男の脈拍や瞳孔を調べ、状態の確認だけはしているようだが……。

「うん、生きてる生きてる。
でも、バリアジャケット越しの加減はこんなものか……それじゃ、次は君たちの番だね」

そうして、一人目を片づけた兼一は残る四人に向き直る。
兼一の表情は穏やかだが、それを額面通りに受け取る者はいなかった。
というか、表情はともかく目の輝きが恐ろし過ぎる。

当然男達の体は強張るが、それでも退く事はない。
それは矜持とか意地とかではなく、単に男達が普通の人間を見下していただけ。
魔法を使える自分達は選ばれた人間で、その他はゴミと見下してきたから。
そうであるが故に、男達は退くに退けなくなっていた。

「ぜ、全員でかかれ! 所詮は生身だ! 一発でもあたりゃこっちの勝ちだろうが!!」
「やるしかねぇ……」
「……ち、チクショウ!!」
「うおおお!!!」

男達は各々自分の得物を持ち、半ば自棄になって兼一に踊りかかる。
しかし、リーダーは動かない。あくまでも自分は安全圏に身を置き、決して危険に身を晒さない気なのだろう。
そんな男の指示に従わなければならない彼らに、兼一はむしろ同情していた。

だが、それでも兼一がやる事は変わらない。
男の一人は長杖の周囲に6発の魔力弾を形成し、それを兼一目掛けて飛ばす。

(迂闊に受けるのは危険……かな? 打撃なら大抵の物に耐えられる自信があるけど、魔法が相手だとどうなのかわからない。頑丈さなんて関係なしに触れただけで昏倒する、何て効果があったら目も当てられないしね)

兼一はそう判断し、拳で迎撃する事なく回避する。
傍から見れば、それは兼一の身体を魔力弾がすりぬけたようにさえ映っただろう。
それほどまでに一つ一つの動作は小さく、だが目にも映らぬ速度で兼一はそれを為したのだ。

しかし、背筋を駆け巡る悪寒に反応し、兼一はその身を瞬時に屈める。
危ういところで兼一の後頭部の上を何かが通り過ぎ、顔を起した兼一はその何かを確認した。

「って、追尾機能なんてあるの!?」

まさかそんな事までできるとは思っていなかったのだろう。
兼一の顔は驚きに歪み、同時に非常に困ったとばかりに眉をしかめる。
なにしろ、これではいくら回避しても意味がない。
打ち落とすまでいつまでも襲われるのはさすがに鬱陶しいし、やり辛い。
とはいえ、下手に触るわけにもいかないわけで……そこで兼一の視線が足元に注がれる。

(これは……使えるかな?)

兼一の足元にある物、それは先の寸剄でクレーター上にひび割れたコンクリートの床。
その破片の一つを、飛来する魔力弾に向かって蹴り飛ばした。
正面衝突した破片と魔力弾は相殺し合い、空中に小さな煙の塊を生む。

「うん、これならいける!」
「やらせるかよ!!」

対処法を見出して気をよくする兼一だが、その背後から男の一人が槍を突きだす。
おそらく、魔力弾は初めから囮で、避けている隙を突く策だったのだろう。

しかし、兼一からすれば不意打ちをするには気配の消し方が雑だった。
背後からの一刺しを、兼一は脇腹を引っ込めて回避。
そのまま腹の横にある槍を掴むと、槍ごと男の体を軽々と持ち上げる。

「な、なんだこりゃあ!? その細腕のどこにそんなパワーがぁ!?」
「量じゃなくて質だよ。秘密の鍛え方でね、僕の体は細いんじゃない!
 ただの1mgも無駄のない様に絞り込んであるんだ!!!」

驚愕する男に向けてそう言いながら、兼一は残った魔力弾が飛来する様子を捉えていた。
そうして兼一は、槍ごと持ち上げた男を振い、魔力弾への盾代わりにする。
その結果、残った5発の魔力弾は、全て男のバリアジャケットによって阻まれた。
同時に、遠心力に負けて男の手が槍から離れるが、兼一はその襟首を掴む。

「バリアジャケットがあるんだぞ、どうやって!?」
「さっき殴ってわかったけど、そのバリアジャケットって言うのは水に似てるね。
 強く打つと硬くなるけど、軽く触る分にはほとんど抵抗がない。衝撃とかの危険に対応するようにできてるのかな? まあ、そうじゃないと君達もバリアジャケット越しに物に触れないしね。そして、それが幾重もの層になって君達を守ってる。だけど、それなら今みたいに優しく掴んであげれば問題ないのさ。さあ、行くよ!!」
「行くって、なにを……」
「ぬりゃ、人手裏剣!!」
「って、ぎゃああぁあぁあぁぁぁぁぁ!?」

襟首を掴まれた男は、そのままさながら手裏剣の様にして兼一に投げられる。
超技百八つの一つ、「人手裏剣」。その名の通り、人間を手裏剣のように投げつける力技だ。

兼一の飛び道具にされた男は、そのまま二人の仲間の下へ空中を側転しているかのように向かっていく。
もちろん、本人の意思とは無関係に。
仲間達もあまりにも無体な仲間の扱いに慄き、思わず一歩後ずさる。
それが功を奏し、男達はなんとか仲間に轢かれる事は免れた。
ただし、武器にされた男はそのまま壁に頭からめり込み、ピクリとも動かない。
その光景に仲間達は青ざめるが、その隙を兼一が見逃す筈もなし。

「隙あり。ダメだよ、敵から目を離しちゃ」
「げぇ!?」

いつの間にか長杖を持った男に接敵していた兼一は、両手でその袖と襟を掴む。
そして、自分の腰を相手の腰の下に入れて浮かせた後、袖を引っ張り肩越しから投げに入る。
柔道にもある技の一つ、「背負い投げ」だ。

「バカが! バリアジャケットがある以上、床にぶつけられたって……」
「それは単に、勢いの問題だろ? なら、バリアジャケットが意味を為さないくらいの勢いをつければ良い!」
「は? う、うわぁぁぁ!!」

袖を引く力が突如強まり、凄まじい速度で男の体が床目掛けて落とされる。
その速度は通常の投げとは比較にならず、男の眼には映る世界が全てモンスターマシンにでも乗っているかのように流れて行く。当然、そんな状態で魔法を行使する余裕などある筈がない。
そうして、まるで台風のような凄まじい風斬り音に続き、床を揺るがす衝撃と大音量が部屋を満たす。

無防備な男の背が叩きつけられた床は盛大に陥没し、その衝撃の大きさを物語っている。
碌に受け身の訓練もした事のない男はその衝撃をもろに受け、バリアジャケットですらその衝撃の前には意味を為さなかった。男は痛みに呻く事すらできず、白目をむいて気絶する。

「まったく、受け身ぐらい取らないと危ないよ?」

仮に受け身の訓練をしていても、あんな速度で落とされては受け身など取れる筈もないのだが……。
溜息をつきながら服についた埃を払う兼一だが、誰もその事には突っ込まない。
なにしろ、いま彼にツッコミを入れられる人間がいないのだから、当然と言えば当然だ。

まあ、それはともかく。
兼一は最後に残った一人の方を向くが、その一人はいっそ憐れみを誘うほどに震えていた。
何しろ、完全に生身の人間に魔導師三人が一撃も入れられずに撃沈したのである。
魔法を使えるという思い上がりを消し去るには、充分過ぎるほどの現実だ。
ここにきて男は、ようやく自分が怒らせてはならないものを怒らせていた事に気付く。

「た、頼む…見逃してくれ……」
「何言ってやがる!! お前は死んでもそいつを殺せばいいんだよ!!」
「い、イヤだ! 俺は死にたくない!! 頼む、もうあんた達には関わらないと誓う!
 だから、だから見逃してくれ!! これからは大人しく、真面目に生きる! だから……!!!」
「…………」

震えながら命乞いをする男に、リーダーは無理難題を押し付けるが、最早意味を為さない。
今の彼には、リーダーの怒りを買う恐怖より兼一と対峙する方が遥かに恐ろしいのだ。
兼一としても、さすがにこうまで命乞いをされては叩きのめす気にはなれない。

元々、骨の髄どころか魂の芯に至るまで甘い男だ。
いくら彼らに抑え切れない憤りを覚えていたとしても、弱い者いじめをする気など毛頭ない。
故に、兼一はそんな男に対し、念を押す様に問いかける。

「もう、静かに暮らしている人達を傷つけないと誓うかい?」
「ち、誓う! 聖王に誓う!!」
「その魔法の力を暴力には使わない?」
「も、もちろんだ!! 心を改めて、これからは社会の為に使う!!」
「……………………約束だよ」

溜め息交じりに兼一はそう言って男に背を向ける。
普通に考えればこんな男の言などどこまで信用できるかわかったものではない。
だが、それでもそれを本心から信じてしまうのが白浜兼一なのだ。
男に向けられた兼一の背中は無防備そのもので、男の言葉を全く疑っていないのはだれの目にも明らか。
もし第三者が見れば「愚か者」か「お人好し大王」とでも評しただろう。
そして、この手の男の言はまあ大抵信用できるものではない。

(バカが! こんな手にのりやがって! ゴミのくせに調子に乗るからだ!!)

さっきまで命乞いをしていた男は、自身のデバイスである片手杖の先端に魔力刃を出力した。
そのまま兼一の背中に向かって、その刃の先端を突きたてようとする。
ギンガや翔は寸前に男の挙動に気付き、声を上げようとするが間に合わない。
刃があと5センチで兼一の腹を貫くというところで……突如兼一が振り向く。
兼一は流れるような動作で魔力刃の軌道を逸らし、そこで男と目があった。

「んな!? てめぇ、気付いてやがったのか!?」
「え? あ、いや…………実はなんとなく」
「なんとなくだぁ!? そんなもんで……」

兼一の言に嘘はない。彼は本当に男の言葉を信じ、男が襲いかかってくるとは微塵も思っていなかった。
そう、心身ともに隙だらけだったのは紛れもない事実である。
にもかかわらず今の不意打ちに反応できたのは、彼が修めた「制空圏」の賜物。
自身の間合いに気を張る事は、兼一にとって無意識下で行われる習性に等しい。
だからこそ、間合いに侵入してきた魔力刃に身体が勝手に反応したのだ。

「よく分からないけど…………残念だ」
「ま、待ってくれ! 今のは魔が差しただけで……」

兼一は男の首手を回し、首相撲の体勢に入る。
男はなんとか弁明しようとするが、さすがにこうなってはその言葉も虚しい。
同時に、シールドないしバリアを展開しようとするが、それも間に合わない。
兼一はそのまま軽く床を蹴り、男の顔面に向かって「カウ・ロイ」を放つ。

「ぶはっ!?」

バリアジャケットを破るには十分な威力を持って放たれた膝が、無防備な男の顔面を潰す。
こうして兄貴と呼ばれていた男の手下たちは、一人残らず撃沈した。
ならば、残すはあと一人。この騒動の主犯であり、ただ一人安全地帯から好き勝手言っていたあの男だ。

「さあ、あとは君だけだ」
「な、何なんだよ…何なんだよ、お前はぁ!? こ、この化け物!!」
「まあ、僕があまり常識の通用しない人間というのは自覚してるし、そう言われても仕方ないとは思うんだけど…………やっぱり、傷つくなぁ」

男の心ない一言に、兼一は割と傷ついているようでその面持ちは暗い。
確かにこの領域を目指して修練を積んできたわけだが、いざその領域に踏み込んでこう言われると、何か色々と物悲しくなってくる。
とはいえ、消沈していても仕方がない。
兼一はゆっくりと顔を挙げ、男の問いに答える。

「何者なのかと聞かれれば、君達が誘拐した男の子の父親で、君が暴行しようとした女の子の家の居候だよ」
「そ、そんな事を聞いてんじゃねぇ! 碌に武器も持たねぇ、魔法も使えないくせに、なんでこんな事ができるんだよ! こんな事ができるお前は、いったい何なんだよ!!」
「なら、こう答えようか。梁山泊、『一人多国籍軍』白浜兼一」

男の問いに対し、兼一は自身にとってもひどく懐かしいその名を名乗る。
呼ばれなくなって久しい名だが、久方ぶりに口にすると不思議な気分になった。
かつては一生かかっても辿り着けないような気がしたその領域に、今の兼一はいる。
その事が、何とも言えない感慨を兼一にもたらす。

「まぁ、武術界を離れて久しいし、今の僕に梁山泊を名乗る資格があるかは議論の余地があるけど……一応は一番弟子だったわけだし、あまり気にしないでもらえると助かるかな」
「梁…山泊? てめぇ、いったい何を言ってやがる……」

まあ、男からすれば「梁山泊」だの「一人多国籍軍」だのと言われても、意味がさっぱりわからないだろう。
そもそも、地球においてもその名を知る者は非常に少ない。
しかし、その筋ならこの名を聞いただけで逃げだす者すらいるのだが……。

とはいえ、相手の反応も当然というのが兼一の認識。
故に、兼一はその事には特に言及しない。
ただし、先ほど男が口にした言葉に引っかかるものがあったので、それを再確認していた。

「そう言えば、ちょっと聞き捨てならない事を言っていたね。確か…武器を持っていないとか?」
「そ、それがなんだってんだ!」

実際、兼一の手には武器らしい武器はない。
一度男の手下の一人を武器代わりにしたが、それだけだ。
それ以外では、兼一の手に武器の影も形もなかった。
だがそれは、単なる見解の相違でしかない。

「持ってるよ、何よりも強い武器をね」
「な、なんだと?」
「この拳と信念が僕の武器。そしてこの拳は、師から授かった僕の道標!
 これに勝る武器なんて、この世のどこにもありはしない!!」

拳を強く握りしめ、兼一はそう宣言する。誇り高く、決然と。
それは男に向けた物というよりも、遍く世界に向けた物の様だった。

「君たちは武器と魔法に頼り過ぎだ。武器は拳や脚同様、身体の一部でなければならない。魔法も同じだよ。道具に頼っていては道具の主にはなれない。まず、自分の主にならなければ……まあ、これは師匠の受け売りなんだけど」

そう締めて、兼一は苦笑を洩らす。
技では影くらい踏めるかもしれないが、心は未だ敬愛する師達の足元にも届かないと思う。
だからこそ、こうして師の言葉を引用すると、自分の未熟さを実感する思いだった。

「すかした事言いやがって……俺は魔導師なんだよ!
 選ばれた人間なんだ! 魔法も使えないお前ら凡人とは違う!!」

選民思想に凝り固まった男は、まるで駄々を捏ねるかのように首を振って兼一に斬りかかる。
手に持つのは西洋剣型のデバイス。その太刀筋は心を乱していても中々に鋭い。
それは魔法による身体能力の強化から来る、速度や威力とは別次元の話。
早いか遅いか、強いか弱いかではなく、単純に男の太刀筋が鋭いか否かだ。

「良い太刀筋だ。君の言う通り、僕よりよほど才能がある!」
「ぜああぁあっぁあぁあぁあぁああぁぁぁぁ!!!」
「でも、努力と年季が違う!!」

僅かでも見切りが狂えば、それが死に直結するほどにギリギリの回避。
傍から見れば命知らずとしか思えないそれを、兼一は顔色一つ変えずに実行する。
久しぶりの実戦ではじめは相変わらずの刃物への恐怖が残っていたが、魔法という未知の力と戦う緊張感が実戦の勘を少しずつ取り戻させてくれた。それに伴いようやく肝も座り、今の兼一に刃物への過剰な恐怖心はない。

まあ、その気になれば手刀で鍔迫り合いもできるのだが、さすがにしない。
できないのではなく、しない。難無く回避し、いつでも攻撃出来る程の技量の開きがあるのだから。

引き換え、一見すると後一歩で捉えられるというところで捉える事が出来ない現実に男の焦りが助長されていく。
焦りは心を乱し、心の乱れは技の乱れに直結する。
そんな乱れた剣を止める事など、兼一にとっては造作もなかった。

「ハッ!!」
「お、俺の剣を止めただと!?」

頭を真っ二つにしようと振り抜かれる刃を、兼一は寸分の狂いもなく左右の掌で挟んで止めた。
魔法という力を振う男にとっても、それはあまりにも非常識極まりない現実。
その事を証明するように、傍観者であるギンガや翔も目の前の現実に理解が追い付かず、その目を見開いている。

だが、如何に信じ難くともそれは紛れもない現実であり、兼一が行った神業の名を『真剣白羽取り』という。
日本では非常に有名な技だが、同時に実戦で使用するのは限りなく不可能に近い技。
当然だ、頭上へと振り抜かれる刃は早く、その軌道を見切るだけでも至難の技。
ましてやそれを両の掌で抑えるなど、奇跡的なタイミングと尋常ならざる膂力がなければ不可能。

何しろ、タイミングは早くても遅くてもダメ。
僅かでも手元が狂えば自分自身が斬られ、万が一タイミングが合っても、刃を抑える力が弱ければ致命傷だ。
危険極まりないこんな技が、技術的にも精神的にも実戦で使える筈がない。
そんなマネをするくらいなら、素直に避けてしまった方が遥かにマシだろう。
だが兼一は、それを当たり前の様に実行したのだ。
いや、むしろ「真剣白羽取り」は決着への第一歩に過ぎなかった。

「ひ、ひぃ!? は、離せ! 離しやがれ、この化け物!!!」
「チィィィィィィィ……」

剣を抑える兼一の手を振り解こうと男はもがくが、万力の様な力で固定された剣は微動だにしない。
その間にも、兼一は男の罵声を無視しそのまま片手をずらし一気に力を込める。
すると、テコの原理もあって剣は澄んだ音を立ててへし折られた。
しかし、兼一のターンはまだ終わらない。
剣をへし折ると同時に放たれた前蹴りと廻し蹴りの中間の蹴りが、見事な弧を描いて男の脇腹に突き刺さる。

「チェストォ!!!」

兼一の蹴りは深々と男の腹を抉り、男は苦悶の声すら上げる事なく沈んだ。
その名も『白刃折り三日月蹴り(しらはおりみかづきげり)』。
常軌を逸した動体視力と反射神経、そしてそれに対応できる身体能力があるからこそできる芸当だろう。

そうして兼一はようやくギンガと翔の方を向き直る。
その表情は先ほどまでの武人のそれではなく、彼らが良く知る優しい父親の顔。
一瞬父が別人になったかのような錯覚に囚われる事もあった翔だが、その顔を見てそれが間違いであった事に安堵する。父は父、それは何があろうと変わらないのだから。

ギンガの場合だと、兼一の事が気になるのは確かだが、同時に自分自身の事もなんとかせねばならない。
大急ぎで乱れ破かれた衣服をできる限り整え、兼一のジャケットを羽織って少しでも体裁を整える。
幸い若干サイズが大きいので、破かれた胸元もジャケットを引っ張る事で何とか隠せた。
まあ、ジャケットは豊かな胸に押し上げられ、辛うじて隠しているというのが実情だが。
客観的に見ると、裸Yシャツにも似た様相を呈しており、中々にエロい。
ギンガとしてもそれは恥ずかしいのだが、今の状況ではどうにもならないので努めて考えないようにする。
そんな二人に向け、兼一は穏やかな表情で話しかけた。

「お待たせ。さあ、帰ろうか」
「ぁ……は、はい」
「…………………ぅん」

それは、まるで夕方に公園で遊ぶ子どもに帰宅を促す親の様な何気ない声。
先ほどまでの一歩間違えば命が危うい戦いを終えた後とは思えないその言葉。
二人はそのあまりの空気の差についていけず、ただただ間の抜けた返事を返す。

まあ、兼一の後ろが割と死屍累々なのも無関係ではあるまい。
一応はどんなに酷くても半殺し(レア)が精々なので、死屍累々と言う表現は正しくないのだが……。

とはいえ、達人の中でもまだ常識的な感性を保っている兼一には、二人の気持ちは理解できる。
故に、そんな二人に兼一は「無理もない」と言わんばかりの苦笑を浮かべ、二人に手を差し伸べた。
翔とギンガはその手を取り立ち上がろうとするが、腰が抜けてしまったのだろう。
いくら力を入れても立ち上がる事ができない。
それを見てとった兼一は一端ギンガから手を引き、翔を背中に担ぐ。

「しっかり掴まってるんだよ。いいね、翔」
「………はい」
「良い子だ」

兼一の言葉に控えめな返事を返す翔に、兼一は笑顔を向ける。
たった数日見ていないだけで、翔はそれがひどく懐かしいものに感じた。
これまで、これほど長く兼一の笑顔を見ない日はなかったのだろう。
翔にとっての兼一は、日に何度も自分に笑顔を見せてくれる人だったから。

「それじゃ、次はギンガちゃんだね」
「あ、えと、私は大丈夫ですから……まず、翔を病院に」

ギンガとしてはやはり弟分の容体が気になるようで、兼一の申し出にちょっと慌てた様子で首を振る。
見る限り大丈夫そうだが、医者ではない自分には分からない何かがあるとも限らない。
年上の男に抱き抱えられる事への照れや恥じらいももちろんあるのだが、それ以上にその事が心配だった。
ただし、兼一に言わせると翔もそうだが十分ギンガの事も心配なわけで……。

「医者が必要なのはギンガちゃんも同じだよ。遠慮しないで、これでも力はあるから」
「そ、それはわかってますけど……」
「それじゃ、失礼するよ」
「あの、まだ『お願いします』なんて言ってないんですけど!?」
「でもね、女の子をこんなところに放置できるわけないでしょ。
 こう言う時くらい、甘えても良いんだよ」
「ぅ…………………………………わかり、ました」

こうも困ったような表情で言われては、ギンガもさすがに拒絶はできなかった。
子ども扱いされている気もするが、事実として年下なのであまり文句も言えない。
それに、確かにこんなところに長居はしたくないだろう。
厚意を受け取る理由はあっても、拒む理由はない。
となれば、最終的にギンガが折れたのは必然だった。

「それじゃ、改めて……」
「え? ま、待ってください! そんな運び方するなんて聞いてませんよ!?」

ギンガの許可を得た兼一は、彼女の背中と膝の裏に手を回す。
その感触に驚き、慌てた様子で抗議するギンガだが時すでに遅し。

まあ、まだ事態の急変から来る動揺が抜けていなかったのだろう。
翔を背負っている以上、ギンガの運び方などこれくらいしかないのだが、ギンガは気付いていなかったらしい。
そうして、兼一は軽い掛け声と共に立ち上がった。

「よっと!」
「ひゃん!?」

可愛らしい声と共に、ギンガは兼一の腕の中に抱きかかえられる。俗に言う「お姫様抱っこ」と呼ばれる体勢で。
幼い頃にゲンヤにされて以来のその体勢に、ギンガは顔を朱に染める。
背中と膝の裏に回された腕の感触は思っていたよりも力強く、しかし決して痛くない。
ギンガの事を慮って、色々と力加減を考えてくれているのだろう。

考えてみれば、背中の傷を無理に応急処置しようとしなかったのも似たような理由の筈だ。
ギンガとしても医者でもない男に肌をあまり見せたくない。
それも、背中の傷を見せるには一度上着を託し上げるなり脱がなければならないのだから。
それはまあ、中々に勇気のいる行為だ。
その辺の心情も考慮し、兼一が敢えて応急処置を申し出なかった事にギンガは気付く。

(まったく、変なところで男らしいって言うか、気が効くんだから……)

その心配りは純粋に嬉しく、ついその優しさに甘えたくなってしまう。
気付けば、いつの間にか兼一の胸に頭と体を預け、リラックスしている自分がいる。
その感触は思っていたよりもたくましく、それでいて嫌ではない。
むしろ、肩の力が抜けて行く安心感があった。

ギンガは上目遣いでこっそりと兼一の顔を見上げる。
その顔は精悍で、前を真っ直ぐ見つめる眼差しに以前感じた「頼りなさ」は微塵もない。
「頼りない」と感じたのは自分の眼力が未熟であったからだと、ギンガは今更ながら実感していた。

(いいな、こういうのも……………って、そうじゃなくて!!)

心のうちで自分でも意図のよく分からない呟きが漏れ、必死になって首を振るギンガ。
そんな彼女を不思議そうな眼で見る兼一だが、背負った翔が兼一に話しかけてきた事でギンガから視線を逸らす。

「…………ねぇ、父様。今のって……」
「詳しい事は、ゲンヤさんに無事を知らせてからにしようか。
 ギンガちゃんも聞きたい事があるだろうし、僕も話さなきゃいけない事が沢山ある。
 まずは落ち着いてから、ね?」
「うん……」
(翔、ナイス!)

密かに、いいタイミングで兼一の視線を逸らしてくれた翔を褒めるギンガ。
なんでそんなに慌てているのかは、本人もよく分かっていない。

さすがに二人を連れたまま地上5階から飛び降りる気はないようで、良すぎるほどに風通しの良くなった窓ではなく、ギンガ達が使った階段へと続く入口に向かう。
ギンガも翔も消耗しているだろうし、できる限り穏やかな方法で運んでやりたかったのだ。
彼の師達と違って、こう言うところは実に常識的である。
そもそも、非常事態でない限りあんな非常識な入り方は兼一もしない。

しかし、ハッピーエンドとするにはまだ早かった。
二人を抱えた兼一が入り口をくぐろうとしたところで、ビル全体が大きく鳴動する。

「っ!? 何が!?」
「兼一さん、後ろ!!」
「父様、あの人なにか持ってる!!」

ギンガと翔が兼一の背後の異変に気付き、その方向を指し示す。
兼一が示された方向を向くと、先ほど「人手裏剣」で壁に叩きつけられた男がおぼつかない足取りで立っていた。

「な、舐めやがって……死ね、どいつもこいつも死んじまえ!!!」

男の手にあるのは、何かのスイッチと思しき小型の機械。
男の表情と言動は明らかに錯乱しており、明らかに正気ではない。
そして、兼一は足元を揺るがす振動から、概ね何が起こっているかを看破する。

「この振動、まさか…………爆弾!?」
「ヒヒヒ! 魔導士である俺達が、こんなゴミに負けるわけねぇ!!
 みんな死んじまえば、こいつも死んじまえば、負けにはならねぇ!!!」
「何て事を……」

頭の打ちどころでも悪かったのか、それとも信じられない現実からか。
どちらにせよ、正気を失い錯乱した男の暴挙により、一転して絶体絶命の危地に変わった。
男もすでに限界だったのだろう。それだけ言うと、糸の切れた人形のように倒れ伏す。

(どうする、脱出は難しくない。壊した壁から直接飛び降りればなんとでもなる。
 だけど、そうなると……)
「父様! 倒れてる人たちを助けないと!!」
「下ろしてください! 急げばみんな助かるかもしれません!!」
「二人とも……」

ついさっきまで自分達を暴行していた男達をも助けようと声を張り上げる翔とギンガ。
愚かしいまでの優しさを発揮する二人だが、それは兼一と同じ思考。
兼一とて、彼らを見捨てる気など毛頭なかったのだから。

しかし、この状況下で全員助けるなど奇跡に等しい。
この高さから常人が落ちればただでは済まない以上、外に放りだすわけにもいかない。
かと言って、全員を抱えて飛び降りるのも不可能だ。
兼一が着地の衝撃に耐えられないとかではなく、単純に人数が多すぎて全員を抱える事ができない。

ギンガが動けても、それは大差ないだろう。
どの道、ギンガはまだろくに動けない。そんな状態では、むしろ自殺行為だ。

「父様!」
「兼一さん! 私なら大丈夫ですから、はやく!」

ギンガはそう言うが、兼一の腕から抜けだそうとするその力はあまりに弱々しい。
気持ちに身体がついてこないのだろう。
これでは、無駄死にするのは明らかだ。そんな事を、兼一が認める筈もなし。
兼一はギンガを抱く力を強め、二人に向かってこう言った。

「ダメだ、二人はこのまま僕に掴まってて」
「そんな!?」
「見捨てるって言うんですか!!」
「大丈夫」
「「え?」」
「誰も死なせやしないさ。だってこの拳は………………活人拳だからね」
((かつじん、けん?))

二人にそう力強く笑いかけ、兼一は深く大きく息を吸って……ゆっくりと吐く。
自身の制空圏を強く意識し、その領域に気を満たす。
続いてそれを薄皮一枚まで絞り込み、強く濃い気を張る。

(イメージは、激流の中に沈む滑らかな岩。
 岩は恐れない、岩は揺るがない。ただ前から来る流れを後ろに向かって流すのみ)

そこでギンガは、兼一の様子が先ほどまでと明らかに異なる事に気付く。
戦っている時の力強い雰囲気とも違う、普段の優しげな空気とも違う。
ピンと張りつめていながら、息苦しさを感じない。
まるで、強く大きな何かに包み込まれた様な感触。
その根源が兼一にある気がしたギンガは、思わず兼一の顔を見上げていた。

(なんて、澄んだ目。深くて、静かで、まるで深い湖の底みたいな……全てを包み込むような、そんな瞳)

自分が置かれている状況も忘れて、ギンガは兼一のその眼に魅入られる。
目を離す事ができず、まるで魂を呑み込まれてしまったかのような錯覚さえ覚えていた。
同時に、ギンガの瞳にはそれまでと別種の静かな熱が籠るが、本人もその事には気付いていない。

その間にも、廃ビルの崩壊は始まっている。
揺れは一度収まり、その代わりに床や壁、天井が大きく軋む。
しかし、それでもなお兼一の心にはさざ波一つ起こらない。
そうして崩落が始まるその瞬間、兼一は小さく呟いた。

「流水…制空圏」

最初に起こったのは床の崩壊。
今まさに兼一達が立っている床が崩れ出す。
だが、兼一は事前にわかっていたかのように、ゆっくりとした足取りでその場から離れた。
結果、床が崩落した時には兼一はその場を離れた後。

背後で起こった床の崩落に翔は顔を青くするが、ギンガはそれすら気にならない。
なんとなく、今の兼一なら散歩でもするような感覚で、この危地を切りぬけてしまう気がしていたのだ。

続いて、無限轟車輪で身動きの取れない男達の頭上に、真横の壁が倒れてくる。
翔はその事に気付き、声ならぬ声が漏れた。

「大丈夫。言ったよね、誰も死なせないって」

そう言って兼一が強く深く床を踏むと、床の表面を亀裂が走る。
その亀裂はまるで意思でも持っているかのように壁へと向かっていく。
やがて亀裂は壁に激突し、その衝撃で壁の倒れる向きが変わり男達は事なきを得た。

そのまま壁が、柱が、床が、天井が、連鎖的に崩壊して兼一達や男達を襲う。
だがその悉くを、兼一は何げない動作で対処していく。

例えば、倒れてくる柱を半歩下がって回避する。
直後、降ってくる瓦礫を偶々落ちていた瓦礫を蹴り上げて弾く。さらに、弾かれた瓦礫が別の瓦礫をビリヤードの如く弾いていく。
あるいは、蹴りの風圧で男達を危険物から逃がす。
続いて、穿たれた床の穴から落ちる壁を斜面代わりにし、次の床にぶつかる直前に下の階に下りる。

数えだしたらキリがないそれらを、兼一は特に忙しなく動くわけでもなく、緩慢な動作で為していた。
まるで、周囲で起こる全ての事象の流れを掌握しているかのように。

これぞ無敵超人の秘技の中にあるとされる、静の極みの技「流水制空圏」。その第一段階。
体の表面薄皮一枚分に気を張り、相動きを流れで読み取り軌道を予測、最小限の動きで攻撃をかわす。
動きの予測によって初動を早め、回避の動作を最小限に抑える事で、最高効率の動きを可能にしているのだ。

気付けば、兼一達は一階まで降りてきていた。
兼一はもちろん、ギンガも翔もその間は無傷。
まるで散歩でもするかのような気安さで、兼一はこの崩落の中を無傷で動いているのだ。
まあ、さすがに男達までは完全に無傷とはいかないが、それでも重傷を負った者はいない。
それだけでも、十分すぎるほどに奇跡的だった。
だが、まだ最大の難関が残っている。

「父様、上!!」

翔の声を聞き、兼一の視線が頭上に注がれる。
それは、この廃ビルの天井。
まだほとんど穴らしい穴も開いていないそれが落ちてくれば、全員まとめてぺしゃんこだ。

「ギンガちゃん。片手を離すから、しっかりつかまってて」
「…………はい」

兼一はギンガの背中を支えていた手を離し、その拳を握りこむ。
ギンガは兼一の首に手を回し、強く強くその身体にしがみついた。
迫りくる天井に向かって跳躍し、兼一はその拳を振り抜く。

「へあっ!!」

兼一のアッパー気味の拳は天井に深々と突き刺さり、全体にキメの細かいヒビが入る。
しかし、そこまで。天井は依然健在で、ヒビだらけながら尚も崩落を続けていた。
このままでは、圧死という結末が現実のものとなる。

では、兼一は失敗したのかというと…………否だ。
一撃目は単なる仕込み。下手に一撃で破壊してしまうと、瓦礫が大きく危険と判断したのだ。
絶妙な力加減の一撃目で全体に満遍なくヒビを入れ、続く第二撃で細かく砕く。
元より、兼一はそのつもりでいた。

そして、最後の一撃は兼一が持つ中でも最大の威力のある一撃。
白浜兼一は、巨大な基礎の塊というべき武術家。その基礎の中でも、最も充実しているのが脚と腰。
その力をダイレクトに使う技は、蹴り技に他ならない。

兼一は大地に根を張る巨木の如き安定感で床を踏む。
そのまま片足を振り上げ、持てる全ての力を以ってヒビだらけの天井を蹴り上げた。

「うおおおおおおおおおお…らぁっ!!!」

ヒビだらけの天井は砕け散り、細かい瓦礫となって降り注ぐ。
兼一はギンガや翔を慮り、その全てをあの手この手で払い、落とし、二人に触れさせない。

男達の中には生き埋めになる者もいるだろう。
だが、瓦礫のサイズが小さい分、大怪我を負う事もない。
後でゆっくり、時間をかけて掘り起こせば済む話だ。

全ての瓦礫が落ち切った時、兼一は瓦礫の山と化した廃ビルの上に立っていた。
その視界の端には、ようやく到着した108の車両が映っている。
兼一は翔を背負い、ギンガを抱えたまま小さく零した。

「これは……ゲンヤさんにどやされるかな?」

周りの惨状を見れば、小言の一つもあるだろう。
そもそも、勝手に動いてしまったのだから。
しかしそれでも、兼一の心は晴れやかだった。
何はともあれ、大切な家族を二人とも守れたのだから。

こうして、朝から続く一連の騒動は終結した。






あとがき

はぁ、ようやく荒事が終わりました。
にしても、今作初のバトルシーンなわけですが、まさかこんなに長くなるとは……。
書く前は前回と合わせて一話で納めるつもりだったのですが、何を考えていたのかとツッコミたくなりますね。

ちなみに、兼一の異名が「一人多国籍軍」なのは、個人的にあの名称が好きだからです。
だって、色々な意味で達人になった兼一をよく表していると思うんですよ。
正直、原作で一回しか出てきていないのが残念なくらいで……。
言ったのが筑波じゃなかったら、もうちょっと出る頻度は増えたのだろうか?
まぁ、他に良さそうな名称が浮かばなかったのもありますけど。

それにしても、なっつんと宇宙人の使いやすさは半端じゃありませんね。
前作でも二人を便利に使いすぎたと反省したのですが、それでもつい使ってしまうんですよ。

さて、次回はギンガや翔への事情説明です。
まぁ、できるだけシンプルにしたいものですね。


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