兼一と翔の白浜親子が第一管理世界ミッドチルダに迷い込んでから早数日。
まだまだ不慣れなことも多いが、いくらかの時間を駆けたことで多少は今の生活にも慣れてきた。
未だ文字が読めないことによる不都合はあるが、いくつかの看板などは文字ではなく『絵』や『記号』として認識することで、ある程度はそれがなにを意味しているのかが分かるようになってきている。
また、ギンガやゲンヤをはじめとした108の隊員たちから読み書きも教わっている真っ最中。
本の虫である兼一にとって、この世界の書籍は宝の山だ。
何しろ、文字どおりの意味で見たこともないような本が山の様にある。
半ば活字中毒でもある兼一にとっては、むしろ読めないという状況こそが苦痛。
ならば、彼が割と真剣に読み書きを学んでいるのも当然だろう。
翔の場合、さすがにナカジマ親子や兼一が働きに出ている間、家に一人きりにするわけにもいかない。
必然的に、翔は108内にある託児施設で厄介になっていた。
どうやら、子どもらしい純粋さから、早々に友人もできているらしい。
まあ、一番彼が一緒にいる事を好むのは、『姉さま』と慕うギンガなのだが……。
ちなみに、なんでそんな施設があるのかというと、これは必要に迫られてのものだ。
なにしろ、108には家庭を持った局員、あるいは片親の局員というのも当然いる。
それだけではなく、その職種の関係から夜勤や泊りがけになる場合も多い。
その為、隊舎内にそういった施設が有った方が都合がいいとして、大抵の陸士部隊にはその手の施設が存在する。
さて、これはそんな感じに異郷での生活に慣れ始めた兼一達が送る日常風景である。
BATTLE 3「昼の顔、夜の顔」
早朝、この家の家主であるゲンヤ・ナカジマは日課のランニングから帰ってきた。
玄関で扉を開けると、途端に食欲をそそるいい匂いが彼の鼻孔を刺激する。
「ったく、これじゃどっちが世話してんだかわかんねぇな」
そうぼやいたゲンヤは、苦笑を浮かべつつ首から下げたタオルで汗を拭きながら居間へと足を進める。
そうして居間についてみれば、そこには彼が予想した通りの光景が広がっていた。
「あ、おはようございます、ゲンヤさん」
「おう、おはようさん。朝からわりぃな、兼一」
「いえ、お世話になってるんですからこれくらいは。もうすぐできますから、着替えてきてくださいね」
台所にいたのは、包帯が外れた代わりにエプロンをつけ、フライパン片手に朝食の支度をする兼一。
兼一達親子がナカジマ家で厄介になるようになってからの数日の間に、すっかりなじんでしまった光景だ。
はじめのうちはギンガが「遠慮せずに寛いでください」と言ってくれた。
だが、兼一としては何から何まで世話になってばかりもいられない。
一悶着ありはしたが、最終的には当番制で家事を分担することで落ち着いたのだ。
「あいよ。ところで、翔とギンガはどうした?」
「ああ、二人なら今はまだ寝てると思いますよ。昨日、ギンガちゃんは遅くなるから先に寝てるように言っておいたのに、結局帰ってくるまで眼をこすって起きてましたからね」
「ククク……ギンガも口では『早く寝なさい』だの言ってるが、なんだかんだで喜んでたみたいだし、説得力なんてありゃしねぇわな。しっかし、初めて一緒のベッドで寝た男が翔か。我が娘ながら……色気がねぇなぁ」
『やれやれ』とばかりに呆れた様子で溜息をつくゲンヤ。
彼の言う通り、今翔はギンガの部屋で彼女と一緒に寝ている。
元の世界ではずっと兼一と一緒に寝ていた翔だが、こちらに来てからは父と姉の間を交互に行き来していた。
ほんの数日の間に、すっかり仲の良い姉弟になってしまったものだと、男親二人は感心するばかりだ。
「おめぇさんとしちゃ、ちょいとさびしいんじゃねぇか?」
「どうでしょうね。でも、翔が幸せそうならそれでいいですよ」
「はっ、まさしく教科書通りの答えだな。
他の奴が言ったなら単なるごまかしだが、おめぇの場合は本気でそう思ってるんだから、たいしたもんだ」
ゲンヤの言葉に、兼一は困ったように頭をかく。
以前ほど自分にべったりではない息子に対し一抹の寂しさがないわけではないが、それでも昨今の翔は良く笑う。
いや、以前からよく笑う子どもだったのだが、以前以上にいい笑顔で笑う様になった気がしていた。
普通、全く知らぬ異郷の地にいきなり放り込まれれば、そんな反応を示す筈がない。
生来順応性が高いのだろうが、ゲンヤや人の良い108の隊員たちとの触れ合い、何よりギンガの存在が大きく影響しているのだろう。
とはいえ、それを無条件に喜んでもいられないのだが……。
「ん? どうした、神妙な顔してよ」
「いえ、翔が幸せそうなのは本当にいい事なんですが……それも、あまり長くはないんですよね。
そう思うと、ちょっと……」
「ああ、あと一ヶ月半もすりゃあっちに帰れるんだもんな。そうなりゃ、当然会う機会も減るか。
俺らは八神んとこと違って、向こうにはもうほとんど縁なんぞ無いからな」
そう、この幸せな一時も決して長くはない。
悲劇的な意味ではなく、本来であれば好ましい変化の結果として。
兼一達が元の世界に戻れるようになるまで、そう長い時間は必要としない。
この地で過ごす時間は刻一刻と減って行く。
それはつまり、あの仮初の姉弟の関係の終焉が近づいていることも意味する。
それが兼一としては、心配といえば心配だった。
「翔は………きっと悲しむと思います」
「そりゃ、ギンガも同じだろうぜ。アイツは嘘が下手だからな、ああして翔を猫かわいがりしてんのは紛れもない本心だろうよ。どこまで表に出すかまでは分からんが、どうせ見てないところで泣くんだろうな」
「そこまで翔の事を思ってくれるのは、親冥利に尽きるんですけどね」
「だな」
兼一の言葉に、ゲンヤも静かに同意する。
どんな形であれ、我が子との別れをそこまで惜しんでもらえるのはやはり嬉しい。
嬉しいが、それに勝るとも劣らないほどに悲しくもある。
特に、その別れに傷つくであろう我が子を思えば尚更だ。
兼一としても、ギンガはこの地での「可愛い妹」と思う相手。
できるなら、彼女の今後の行く末も見守りたい気持ちはあった。
ギンガもまた、兼一の事は「優しい兄」として見ている節がある。
それだけに、一個人としても兼一はこの地を離れることに寂寥感を抱いてしまう。
とそこで、どこか悩む様な素振りを見せていたゲンヤが、唐突にある提案を口にした。
「……なぁ、どうせならいっそのことこっちで暮らす気はねぇか?」
「え?」
「いやな、俺としてもおめぇの事は気にいってるし、最近は飲む酒が旨くてな。
それに、お前からすれば迷惑かも知れんが、俺にとっても翔は可愛くてよ。こっちは女所帯だっただけに、ちっとばかし『息子』ってのにはあこがれてたんだわ。
折角できたダチと息子がいなくなるのは、やっぱ寂しいもんだからよ」
「……………」
「生活の事なら気にすんな。このままこの家に住んでもらってかまわねぇし、おめぇさんは周りからの評判も良い。知ってるか? 『読み書きの関係で至らないところはあるが、よく働いてくれる』って評判なんだぜ。
読み書きにしても熱心だからな、そっちもそうかからずになんとかなるだろ。
それなら、こっちで暮らしていくこともできると思うんだが…どうだ?」
ゲンヤの申し出は兼一にとって少々意外なものだったが、同時に嬉しくもある。
兼一自身、この地とこの家での暮らしには徐々にだが愛着を覚えつつあった。
この地で暮らしていくというのも、悪くない未来予想図だと思う。
「ですが、そうなると仕事の方が。今の僕は『短期就労』のアルバイトみたいなものですし……」
「ああ、そっちは問題ねぇぞ。このままウチで正規雇用すりゃいいだけだからな」
「え? 仮にも公的機関なんですから、試験とかあるんじゃないんですか?
いくら読み書きをおぼえても、こっちの世界の試験をパスするのはちょっと……」
「まぁ、難しいだろうな。だがよ、実はおめぇらみたいなやつの支援制度の一環でな、能力ありと認められれば試験そのものは多少ゆるくなる。こちとら人手不足だからな、借りられるなら猫の手でも借りてぇところさ。
そんなわけで、使えそうな奴には多少の融通は利くようになってる。
どうだ、悪くねぇ話だと思うんだがな」
その提案は、確かに非常に魅力的だ。
もし仮に、兼一が元の世界にあまり未練がないのなら喜んでその申し出を受けたかもしれない。
しかし、現実には兼一には帰るべき家が有り、待ってくれている人たちがいる。
何より、あの地は亡き妻との思い出の地。一時離れるだけならともかく、余所の土地に永住するとなると気が引けるのだ。
「有り難いお話ですけれど……」
「ま、そうだろうな」
兼一は申し訳なさそうに頭を垂れるが、ゲンヤはあまり気にした素振りを見せない。
恐らく、彼もこの返事は予想していたのだろう。
一人の親として、二人はできれば我が子に悲しんでほしくはない。
だが、こればっかりはどうにもならないだろう。
兼一達には帰るべき世界とそこでの生活が有り、ゲンヤ達にはいるべき世界とここでの生活がある。
どちらも捨てることはできない以上、どちらかがどちらかの世界に移住することはできない。
少なくとも、今はまだ両者には故郷を離れてまでどちらかの土地に住むほどの理由がないのだから。
「いや、それで今生の別れになるとも限らねぇし、あんまり思い詰めることもねぇか。
とりあえず、近いうちに観光がてら買い物にでも行って来い。思い出づくりってのも、悪くはねぇさ」
「…………はい」
「んじゃ、俺は着替えついでにギンガと翔を起こしてくるわ。飯の方は、頼んだぜ」
「ええ、お願いします」
そうして、今度こそゲンヤは居間を後にして自室へと戻って行った。
自室に戻ったゲンヤは、そのまま出勤のための準備を整えてから、先の言葉通りギンガの部屋の前に立つ。
親子とは言え、親しき仲にも礼儀あり。特に年頃の娘を持つ身としては、色々気を使っているのだろう。
ゲンヤはゆっくりと、大きくなりすぎない程度の強さでその扉をノックする。
「ギンガ、起きてるか? そろそろ飯ができる、坊主を連れて早めに降りてこいよ」
「うん、もう少ししたら降りるから先に行ってて」
ゲンヤの言葉にはちゃんと返事が返され、ギンガがすでに起きていたらしい。
ただ、その声音は静かながらとても穏やかだ。
中で何がどうなっているのかはゲンヤにはあずかり知らぬ事だが、その声はどこか微笑ましい。
「おう。遅くなりすぎねぇ様に降りてこいよ」
「うん」
二度寝しそうな寝ぼけた声でもないことから、ゲンヤはそのままギンガの私室を離れた。
ところでこの時、そのギンガの部屋の中がどうなっていたのかというと……
(できれば、もう少し見てたかったんだけど…また今度、かな?)
ギンガはベッドの上で軽く上体を起こしながら、傍らでスヤスヤと寝息を立てる翔の髪を優しく梳く。
指に触れる柔らかな黒髪の感触は心地よく、無垢な寝顔はまさしく天使の様。
翔の小さな手はギンガの寝巻を握り、ついさっきまで彼女に抱きつくようにして寝ていたことが伺える。
ギンガもそれが嫌ではないのだろう。翔の寝顔を見つめる眼差しは慈愛に満ちている。
窓からカーテンの隙間を縫って差し込む朝日、外から届く小鳥のさえずりさえも含めて、それは一枚の絵画の様な光景だった。
「っと、いつまでもこうしてられないよね。翔…起きて、朝だよ」
「……んん、ギン姉さま?」
「おはよう、今日もいい天気だよ。早く着替えて、朝ごはんにしようか」
「むにゃ………ふぁい」
寝ぼけ眼を擦りながら起き上る翔、それを見て微笑みを抑え切れないギンガ。
こうして、今日もまたナカジマ家の一日が始まるのだった。
* * * * *
場所は変わって、108の隊舎。
今日も今日とて、兼一は荷運びや清掃などの雑事に精を出していた。
「白浜さん、すいません。これもお願いできますか?」
「お~い、頼んでた倉庫の整理終わったかぁ?」
「白浜ぁ、玄関に荷物が届いてるからよ、後で運ぶの手伝ってくれぇ」
「悪ぃ白浜! 急いでこいつを運んでくれ!! もう締め切りまで時間がねぇんだよぉ!?」
「あ、分かりました。今行きますんで、少し待っててください」
山積みの段ボールを手に隊舎の外を歩いていた兼一に対し、四方八方からそんな声がかけられる。
それらに対し兼一は、嫌な顔一つせずに実に良い笑顔で答えていく。
文字が読めない為に色々と不都合もあるが、生来の人柄の良さからだろう。
周りからすれば、良くも悪くも頼みごとをしやすい相手というのが、兼一へ認識だった。
そして、そんな兼一を窓に肘をついて見下ろす人影がいる。
「お~お~、あいつは今日も元気にやってんなぁ……」
「父さん、行儀が悪いですよ」
「堅てぇこと言うなって。面倒見てる奴の様子を気にするのは、身元引受人の義務みてぇなもんなんだからよ」
「なら、見守りながら仕事をしてください。さあ、次はこの書類ですよ」
「へぇへぇ」
ちょこまかと動く兼一を面白そうに見ていたゲンヤに向け、ギンガは押し付けるようにして書類を渡す。
ゲンヤはそれをややうんざりした様子で受け取り、気だるげに目を通していく。
全く以って不真面目な態度だが、仮にも一部隊の長。
どれだけやる気がなさそうに見えても、やる事はしっかりやるのだ…………と思う。
仮にも長い間この部隊の長を務めてきたのだから、能力があるのは間違いない。
だが如何せん隙あらばサボり、理由をつけては楽をしようとしているので、イマイチ信用ならないのだ。
そんな父を見て、ギンガはこれ見よがしに溜息をつく。
「……………………はぁ」
「なぁ、そんな恨めしそうな目で見ながらため息つくの、やめぇねか?」
「やめてほしいなら、もっとしっかりやってください」
「んなこと言われてもなぁ…俺は昔からこのスタイルでやってんだ、今さらどうにもなんねぇよ」
「ホント、今更だけど母さんの苦労が偲ばれるわ。
時々、『上に行こうと思えば行ける人なのに』って愚痴ってた母さんの気持ちがよく分かるもの」
「あいつ、んなこと言ってやがったのか?」
「ええ、多分スバルも憶えてると思いますよ」
ギンガの言葉に、ゲンヤはどこかバツが悪そうにして目をそむける。
どうも、本人には色々と心当たりが多すぎるらしい。
ただ、軍人の場合「有能な怠け者」というのは前線指揮官に向いているとされる。
理由としては、怠け者であるが故に部下の力を有効に活用し、どうすれば自分と部隊が楽…即ち効率的に成果を上げられるかを考え、実行できるからだ。
そして、ゲンヤはまさにその典型だった。
「母さんから聞いたことがあるんですけど…昔、上官を殴って降格されたことがあるんですよね?」
「ああ、そういやそんな事もあったなぁ……いけ好かない野郎でよ、ついカッとなってやっちまった。
特に後悔も反省もしてねぇけどな」
「対立してた味方の部隊を勝手に囮にしたこともあるって聞きましたけど?」
「結果的に上手くいったんだから、別にいいじゃねぇか。被害も最小に抑えられたんだぜ?」
「独断専行して、令状も出ていないのに動くなんてしょっちゅうだったんですよね?」
「あの頃は俺も若くてよ、色々やんちゃしたもんだ」
「昇進するのが嫌で、適当なところで当たり障りのない失態をわざとしてるという噂は?」
「人間、分相応ってものがある。俺にはこのくらいがちょうどいいんだよ」
ギンガが挙げた全てを否定することなく、むしろ笑って肯定する不良中年と頭を抱える生真面目少女。
本人はまるで後悔していないようだが、彼の周りの人間はそうではない。
なにしろ、これまでの実績を考えれば将官級とまではいかなくても、本来なら一佐位の地位についていてもおかしくないのだ。その事を惜しむ人間は、決して少なくはない。
それどころか、彼の気さくかつ飾らない性格もあって、特に同僚や部下からは彼が上に行くことを望む声は多い。
とはいえ、性格や素行にやや難が有るのも事実。
故に、能力が有る為に上層部からはそれなりに信任され、同時にこんな性格の為に煙たがられている、というのが現状でもある。
その上、その人柄もあってやたらと多方面に対して顔が効く。おかげで、あまりぞんざいにもできない。
上層部からすれば、実に扱いにくい人材だろう。これで無能ならまだいいのだが、そうでないから始末が悪い。
実際の権力的には微々たるものというのが、まぁ救いと言えば救いなのかもしれない。
「地上本部で幕僚会議の議員になりたいとか思わないんですか?」
「めんどくせぇ」
「めんどくさいって……」
「キツネとタヌキの化かし合いにも、真黒な腹の探り合いにも興味はねぇよ。
俺はな、自分の分くらいは弁えてるつもりだ。組織を動かすだの変革するだのなんてのは、出来る奴とやりたい奴がやればいいんだよ。もしそれが俺にとっても賛同できるもんなら、手伝いくらいはするがな」
「自分でやろうとは思わないの?」
「昔なら違ったかもしれねぇが、もう俺みてぇなロートルはお呼びじゃねぇって。
これからの時代は若ぇ奴らが動かして、俺らはそれを後押ししてやりゃあいんだよ」
そう言って、ゲンヤはギンガが淹れたお茶に口をつける。
実際、彼にはもう時代を動かそうという野心も意思もないのだろう。
そんな野心を持ち続けるには、彼は年をとり過ぎていた。
だがそれは、必ずしも新たな時代のうねりに無関係でいようという事とは違う。
「それは、たとえば八神二佐ですか?」
「ああ、そういやアイツも近々自分の部隊を持つんだったな。
未だ二十歳にもなってねぇくせに、何を生き急いでいやがんだか」
かつての教え子の事を思い返し、ゲンヤは溜め息交じりに呟く。
彼女は地上部隊の現状に不満を抱え、それを自分の手でなんとかしたいと思っている。
その感情自体はゲンヤも理解と共感を示す。何しろ、それらは地上部隊が長い間抱えてきた問題だ。
縄張り意識が強いのも、初動が遅いのももちろん理由はあるが、放置していい事でもない。
実際にそれで迷惑をこうむるのは、彼らが守るべき市民たちなのだから。
ただ、少々それを急ぎ過ぎているきらいがあるのが、ゲンヤにとっては気がかりだった。
組織に若い風を吹かす事は、それだけで意味が有る。
それによって組織の在り方がよりよい方向に進むなら、万々歳といったところだろう。
しかし、急いては事を仕損じる。若さ故に成果を急ぎ過ぎる彼女が、ゲンヤは少々心配なのだ。
「そういや、八神の奴からおめぇを貸してくれって頼まれてたんだっけか」
「私、ですか?」
「ああ、どうもスバルの奴も候補らしいんだが、即戦力としておめぇが欲しんだとよ。今目星をつけてる連中だと、エース級とペーペーしかいねぇから、その間を埋める奴が欲しいとか言ってやがったな」
「それは、確かにアンバランスですね」
「だろ? 経験豊富な人材と新米が混在するのは当然だが、そのどちらかしかいねぇってのは問題だ。
その間を埋める中堅が欲しいってのも、納得のいく話ではある」
実際問題として、エース級はほぼ管理職としての働きも求められる。
即ち、新人と管理職しかいない部隊になることが予想されるのだ。
それは確かに、些か為らずバランスを欠いた人員構成だろう。
「ハラオウンとこのお嬢も出向するらしいが、おめぇはどうしたい?」
「…………それは、フェイトさんがいるなら行きたいとは思いますけど……大丈夫なんですか?」
「俺自身としちゃあやぶさかじゃねぇが、難しいな。保有魔導師の制限に引っ掛かる。
なんでまたあんだけの人材をかき集めたのか知らんが、新人を入れたら余裕はないだろうな。
ゴリ押ししようと思えばできねぇ事もねぇだろうが、余計目をつけられる事くらいわかってんだろうに……」
そう、ゲンヤの手元にある情報だけでも、その部隊は生半可ではない戦力を有している。
それこそ、並みの部隊とは比較にならない大戦力を、だ。
新人組は当然戦力としては大したことはないが、問題はエース級を複数人抱えている事。
そんな部隊など、戦技教導隊を始め数えるほどしかないのだから。
「ま、わざわざんなこと言ってきたからには、何かしら裏技なり取引なりのあてがあるんだろ。
一応、可能性として考慮はしておけ」
「はぁ……」
上層部とのそう言った意味でのやり合いは、未だ下士官でしかないギンガには雲の上の話だ。
正直、いったいどんな暗闘が繰り広げられているのか、とてもではないが想像できない。
とそこで、部隊長室の扉をノックする音が室内に響く。
「おう、入んな」
「失礼します」
「あ、兼一さん。どうしたんですか?」
「ああ、これをゲンヤさんに届けてくれって頼まれたんだ」
「ん、そうか。わりぃな」
「いえいえ」
そんな事を言う兼一の腕は、大小合わせて三つの段ボールが抱えられている。
パッと見ただけでもかなりの重量が有りそうだが、兼一はそれらを軽々と支えていた。
(前から不思議だったんだけど、あの細腕の割に力が強いのよね、兼一さんって)
特に力を入れている様子もない兼一を見て、ギンガは自分の事を棚上げにして内心で呟く。
無理もない話だが、彼女はまだ兼一の首から上と手くらいしか見たことがない。
何しろ、兼一は普段から意識して長袖や丈の長いパンツを身につけている。
高校時代はただの細腕にしか見えなかったが、修業が進んで行くうちにその異常性が浮き彫りになって行った。
何と言っても、ただの1mgたりとも無駄のない様に絞り込まれた筋肉である。
服越しでは細く見えても、遮るものなしでその身体を見れば、どんな素人でもその凄まじさを理解するだろう。
故に、あまり周りを刺激しない為に、兼一は夏であろうと長袖を着る様にしてきたのだ。
翔の場合だと、兼一の裸を見慣れている為にそれが標準だと思っている節が有るわけだが……。
「んじゃ、キリも良いし少し休むか。ギンガ、兼一の分の茶も頼む」
「はい、兼一さんは座って待っててください、いまお茶菓子もお持ちしますから」
「あ、すみません」
そうして、ギンガは新しい茶を入れる為に一端その場を後にする。
残された兼一は、ゲンヤに促されるままにソファに座り、ゲンヤもその対面に腰を下ろす。
「しっかし、ずいぶんと早ぇじゃねぇか。ついさっきまで、下でうろちょろしてたのによ」
「あはは、仕事の関係で力仕事は慣れてるんですよ」
「まぁ、お前さんに頼んでんのはそっちが主だけどよ……」
兼一の言葉にうなずきこそするが、ゲンヤは若干言葉を濁す
何しろ、つい先ほどまで眼も回りそうなほどに忙しかったのに、ほんの数分の間にそれらを片づけてしまったのだ。まぁ、兼一の肉体のスペックを僅かなりとも知るゲンヤからすると、一応納得できない事はないのだが。
(にしても、ありゃ鍛えてどうこうってレベルのもんじゃねぇだろうに。つくづくよくわかんねぇ奴だぜ)
外見的には、良くも悪くもあまり気の強くない、人の良い好青年そのもの。
また、特別体格に恵まれているわけでもなく、人より秀でた物が有るとは到底思えない。
語学の勉強にしたところで、熱意はあってもあまり要領がいいわけではないのだ。
様々な意味で平凡かつ善良、それがこの数日の間にゲンヤが抱いた兼一への認識だった。
まぁ、早い話が第一印象がそのままとも言えるのだが。
「いや、実際助かってんだからとやかく言う事でもねぇか…くぅ~」
そう呟きながら上方に向けて腕を伸ばし、続いて首を左右にゴキゴキと鳴らすゲンヤ。
さらには肩を回し、ソファに身体を預けて背を逸らし始めた。
「肩、凝ってるんですか?」
「まぁな。一応運動はするようにしてるんだが、事務仕事が多くてよぉ。
その上俺も良い年だ、肩だけじゃなくて腰や膝にも色々来ててな」
言いながら、ゲンヤは自身の膝や腰を慣れた手つきでもみ始めた。
よく見れば、部隊長室のいたるところに健康グッズの様なものが置かれている。
やはり、寄る年波には勝てないのだろう。
一つ一つの仕草が、彼が生きてきてこれまでの年月を感じさせる。
「ゲンヤさん、ちょっと良いですか?」
「ん、どうした?」
「いえ、少しマッサージでもと」
「おお、わりいな」
少し思案していた兼一はおもむろに立ち上がり、ゲンヤの背後に回ってその肩に手を置く。
ゲンヤも兼一の意図を聞いてからは肩の力を抜き、その手の感触に身をゆだねる。
「ああ、だいぶ凝ってますね」
「だろぉ? こう見えても気苦労が絶えなくてなぁ。ほれ、責任者は責任をとるためにいるんだからよ、覚悟はあっても何かあるんじゃねぇかと戦々恐々なわけだ」
「それだけ、でもないんですよね?」
「まぁなぁ。気がかりなんざ数えるのも馬鹿らしいっての。
家じゃギンガにも多少は気をつかわにゃならんし、スバルの奴が無茶してねぇかも心配だからなぁ」
「あはは、ご苦労様です。ここ、どうですか?」
「そこそこ。ああ、いい感じだわ」
はじめは軽く肩を揉み、そこから段々と首や背中を揉みほぐしていく。
『岩の様な』というほどではないが、それでもだいぶ硬い。
仕事と年齢、この二つのおかげですっかり凝り固まってしまっているらしい。
しかも、実際に触ってみてそれだけではないことに兼一は気付く。
「ゲンヤさん、ちょっとソファに横になってくれませんか?」
「ん? どうかしたのか?」
そう聞きながらも、ゲンヤは言われるままにソファの上でうつぶせになる。
兼一はゲンヤの首に指を触れると、そのまま頸椎に沿ってゆっくりと腰へと指を下ろしていく。
その感触にむず痒いものを感じながら、兼一が「ええっと……」と呟く声を聞くゲンヤ。
そのまま今度は足の裏や腰回りを軽く押し、何事かを確かめる兼一。
そうして一通り確認し終えた兼一は、ゲンヤに向かって軽い問診を始めた。
「腎臓と胃が荒れてますね。それに、骨盤も少し歪んでますし……」
「分かるのか?」
「整体と指圧のマネ事ですけどね。他にも針灸と気功、漢方も少しかじってます」
「よくわからんが、妙な技術持ってんだな」
「あははは……まぁ、昔ちょっと……」
実際には、真似ごとどころではないくらい本格的な知識と技術を兼一は持っている。
武術家は、何も人間の壊し方だけを知っていればいいわけではない。
かつて剣星も言ったように「弟子のメンテナンスも師の務め」なのだ。
即ち、弟子を整備するための知識と技術も必要となる。
特に内功をさせる場合、漢方を利用することもある以上、そう言った知識は必修と言っても良いだろう。
それでなくても、自分自身の身体をどう作り維持していくかは、武術家の大きな命題の一つなのだ。
「そんなわけですから、ちょっと矯正しますね」
「は? 矯正って、なにを……ぐがっ!?」
「えっと、首はこれで良し。次に腰を……」
「ま、待て、お前何を……!?」
「骨盤の歪みが全身に影響しているので、組み直そうかと思いまして」
「それならそうと先に言え! つーか、こんなに痛ぇもんなのか!?」
「ああ、これは僕に整体を教えてくれた人の独自の方法でして、痛い分効果覿面なんですよ」
「痛くない様にはならねぇのか?」
「それもできますけど、この方が早く良くなるんです……よ!!」
「ぎっ!?」
『ビキ』とか『ゴキ』とかいう音と共に、小さくゲンヤの悲鳴が漏れる。
未だかつて経験したことのない種類の痛みに、段々としゃべることもできなくなるゲンヤ。
そこで、部屋から漏れた悲鳴を聞き咎めたのか、ギンガが慌てた様子で戻ってきた。
「と、父さん! 一体どうしたの!?」
「ぎ、ギンガ………こいつを止め…おがっ!?」
「ああ、ギンガちゃん。ちょっと、ゲンヤさんの治療をね」
「治療、ですか? なんだか、父さんが死にかけてる様にも見えるんですけど」
「やだなぁ、ギンガちゃん。これくらいじゃ人は死なないよ?」
「は、はぁ……」
あまりの痛みにぴくぴくと痙攣するゲンヤを見ながら、ギンガの顔が引きつる。
兼一はそう言うが、とてもそうは見えない。
何しろ、凄まじい音がするとともにゲンヤの身体が撥ねる様にして悶えているのだから。
とはいえ、よくわからない雰囲気にのまれたのか、ギンガもその場から動けない。
そうしているうちに整体の方は終わったのか、続いて兼一の指がゲンヤの足の裏を捉える。
「あの、今度は何を?」
「人間の体はいたるところが繋がっててね、たとえばここを押すと……」
「ホァタ!?」
兼一が親指の付け根あたりを押すと、奇怪な叫び声と共にゲンヤの身体がエビ反りに撥ねる。
しかし、兼一の指圧はまだまだ終わらない。
「他にも、ここを押すと……」
「あ~たたたたたたたたたたた!!!」
「で、こっちだと……」
「ヒィ―――――――――ハァ――――――――――!?」
「あの、これって後どれくらいで終わるんですか?」
「え? そうだねぇ、あと………………………20分もすれば終わるよ」
「ぎぃやぁあぁぁぁあぁぁぁあっぁぁあぁぁあぁぁぁぁぁ!!!!」
その後、20分に渡ってゲンヤが地獄の苦しみを味わったのは言うまでもないだろう。
ただし、この苦行を終えた後の彼が、二十年は若返ったかのような気持ちで職務に当たったのもまた事実である。
* * * * *
ゲンヤへの(苦痛を伴う)善意の御奉仕を終えた兼一は、ゲンヤやギンガと共に食堂で食事をとっていた。
ギンガの隣には翔の姿もあり、皆で地球にはないミッド料理特有の味付けと調理に舌鼓を打つ。
食事の時間くらいは一緒に過ごしてやりたいと思う親も多いようで、108の託児施設では割と昼食の時間は施設を離れ、親と一緒に食事をとることが多いらしい。
しかし、ここで一つ疑問を提起したい。
普通、こんなところの食堂というのは機能性重視で、はっきり言って華やかさなどかけらもないだろう。
よくて清潔といったところだろうが、108の食堂は違う。
なぜならここの食堂は、妙に…………花の香気で満ちているのだから。
「なんつーか、見事なまでに『花園』になっちまったよなぁ、うちの隊舎もよ」
「そうですかね?」
「兼一さんが来る前は小さな花壇が有る位だったんですけど、いつの間にかエリアが広がっちゃいましたから。
テーブルの上に花瓶が有るなんて、ちょっと前なら絶対にあり得ませんでしたし」
そう、食堂を包む香気の原因は、摘みたてほやほやで新鮮な花々にある。
ちなみに、どれもここ数日の間に兼一がアレコレと世話をした花たち。
兼一とて伊達に園芸店に勤務していない。今までは水やり以外には碌に手入れをする人もいなかった植物たちに、適切な処置を施した結果、物の見事に元気いっぱいに咲き乱れたのだ。
おかげで、食堂に限らず隊舎全体が花々で彩られ、その香気によるリラクゼーション効果から仕事の効率まで上がっているとか何とか……。
「いやぁ、知らない草花ばっかりで戸惑ったけど、やればできるものなんですねぇ」
とは兼一の弁。まあ、世界と品種は違っても同じ植物。
基本的な部分はそう変わらないのかもしれないが、それにしても劇的なまでの変化だった。
「そう言えば、施設に預けられている子達と一緒に世話してるんでしたっけ?」
「翔も一緒に、だよね?」
「うん!」
兼一に話を振られた翔は、喜色満面の様子で頷く。
父に似たのか、それともその影響なのか、翔もまた草花の世話には積極的だ。
何しろ、ナカジマ家でその日あった事を話す翔の話題のほとんどが、その日世話をした草花の様子なのだから。
「ああ、ゲンヤさん。できれば、肥料を補充してもらえませんか?
植え替えとかしてたら、そろそろ心許なくなってきたので……」
「おう。予算にも余裕はあるし、まぁ大丈夫だろ」
「すみません」
「他に必要なものが有るなら言ってみな。大丈夫そうならなんとかするからよ」
肥料とてタダではない。何より、108は植物園でもなければ学校でもない。
あまり花壇などに予算は避けないが、外観が良くなるのならそれに越したことがないのも事実。
周囲からの評判も良くなるし、働く局員たちの意欲も上がる。
どうせなら綺麗な環境で働きたいというのは、当然の思いだろう。
故に、ゲンヤとしてもあまりその方面に予算を裂く事を渋る気はないのだった。
とそこで、少し思案顔だったギンガがおもむろに兼一に顔を向ける。
「あの、兼一さん」
「ん? どうしたのギンガちゃん?」
「よければなんですけど、今度ちょっと園芸の事とか教えてもらえませんか?」
「それは良いけど…どうかしたの?」
「あはは…うちにも花壇が有るじゃないですか」
「ああ、あれ」
「ええ、あの荒れ放題になってるアレです」
ナカジマ家はマンションなどではなく一戸建て。
それも、家長が一部隊の部隊長だけあって広さもそれなりだ。
当然の様に花壇や庭もあるのだが、正直言ってあまり整備されているとは言い難い。
ゲンヤは元より、ギンガもスバルもその方面には疎かったのだ。
「母さんはかなり入れ込んでいたようですけど、私達はあんまりちゃんとやらなかったので……。
でも、やっぱり綺麗にしておいた方が気持ちいいですし、母さんも喜ぶと思いますから」
「…………なるほど。分かった、そう言う事なら手伝わせてもらうよ」
「僕も~!」
「うん。ありがとね、翔」
兼一に続き元気よく名乗りを上げる翔に対し、ギンガはその頭を優しく撫でる。
翔は翔でその感触が心地よいのか、目を瞑って身をゆだねていた。
そうして食事を再開する一同だが、翔の食事に対する姿勢にギンガからの待ったが入る。
「翔、ちゃんとピーマンも食べなさい。食べるまでデザートはお預けだからね」
「はぅ!? う~~~~、ピーマンなんて食べなくても大丈夫だもん。髭のおじさまも言ってたもん……」
(岬越寺師匠、翔に何を教えてるんですか……)
実に子どもらしい好き嫌いをする翔だが、その主張の源泉に対し兼一は思わず内心でツッコム。
師のピーマン嫌いは知っていたが、まさか息子にそんな事を吹き込んでいたとは……。
とはいえ、そんな兼一の内心などナカジマ親子が知る由もないわけで。
「誰のことかは知らないけど、好き嫌いせずに食べないと大きくなれないよ」
「おめぇはむしろ食い過ぎだがな。クイントもそうだが、そのカロリーをどこに使ってんだ?」
(まぁ、確かに行き先の一部は良く育ってるから分かるけど、それにしたってなぁ……)
実際、ギンガは女性としては身長が高いしスタイルも良い。
出る所ははっきりと出て、引っ込むところはよく引っ込んでいる。
その上本人は捜査官であると同時に、武装局員資格も持つ戦闘魔導師。
摂取したカロリーを使う場はいくらでもあるが、それにしても摂取し過ぎというのが外野の見解だ。
普通に考えて、彼女のプロポーションを維持するには明らかに過剰な摂取の筈。
本来なら、よく実った果実や優美な曲線を描く下半身はともかく、キュッとくびれたウエストなどは無残になっていなければおかしい。
にもかかわらず、彼女の腹や太もも、二の腕に余計な肉がつく素振りはまるでない。
いくら食べても太らない、世の女性達にとって実にうらやましい体質であろう。
とはいえ、本人も一応自身の大食には自覚が有るらしい。
当然、一人の女としての羞恥心も……。
「ぜ、前衛組はカロリー消費が激しいから、これくらい必要なんです!」
(局に入る前から食う量は半端じゃなかったんだがな)
「何か思った、父さん?」
「いや、何も考えてねぇぞ」
最近妙なところで勘が鋭くなってきた娘に対し、ゲンヤは素知らぬ顔でとぼけてみせる。
いくら勘が冴えたところで、年の甲にはかなわないということだろう。
「とにかく、翔も大きくなりたかったらちゃんと食べる事。
好き嫌いばっかりしてると……大きくなれないんだから」
「ギン姉さま、なんで父様を見たの?」
「え? な、何でもないよ。
別に、翔のお父さんが兼一さんだから、将来はどうなのかなぁなんて思ってないからね」
(ギンガちゃん、嘘が下手なのは別に良いんだけど……傷つくよ)
自身の身長に多少のコンプレックスが有る兼一としては、悪気がないにしても心が痛い。
ギンガの年齢を考えれば、この先身長で追い越される可能性も無きにしも非ず。
さすがに、それはなかなかに悲しい未来予想図だった。
「翔は、背が高い人と低い人、どっちになりたい?」
「う~んと……ギン姉さまはどっちの人が好きなの?」
「え!? わ、私!?」
子どもとは、時にその無垢さ故に突拍子もない事を口にする。
今がまさにそれで、ギンガからすれば藪蛇としか言いようが有るまい。
何しろ、彼女としては答えは決まっているのだが、それを兼一の前で言うのはやや憚られる。
とはいえ、翔に対して嘘はつきたくないし、適当な言葉ではぐらかすのも気が引けた。
何しろ、まっすぐに自身を見つめる澄んだ瞳に対しそんな事をするのは、非常に気が咎めるのだから。
故に、ギンガは少なからぬ葛藤の末に、正直に自身の本心を明かすことにした。
「そのぉ………できれば……私より背が低い人は…ちょっと………………。
ヒールを履いたくらいで追い付いちゃうのも………ね」
後ろめたそうに兼一から視線を逸らしながらギンガはそう答える。
まあ、自分の身長の高さに若干のコンプレックスを抱くギンガからすれば、背の低い相手はできれば避けたいだろう。
何しろ、並んで歩いた日には自分の身長の高さが浮き彫りになってしまうのだから。
また、女性としてはおしゃれも楽しみたいし、ヒールを履いたくらいで覆されてしまうような身長差もできれば避けたい。
一格闘家として考えれば身長が高い事はありがたいが、女性として考えるとその限りではない。
全く以って、実に複雑な乙女心なのである。
それに、兼一が身長が低い事を気にしているのはなんとなくわかっていたし、そんな彼の前で「背の低い人は嫌い」とも受け取れる発言をするのは気が咎めた。
別段兼一に対しそう言う意味で特別な感情はない。同様に、兼一にそんな感情を向けられているとは全く思っていないし、それは事実だ。
だがそれでも、やはり同居している相手を傷つけるようなことは言いたくないだろう。
それが嫌っている相手なら話は別だが、生憎ギンガは別に兼一の事を嫌っているわけではない。
それでもはっきりと自分の基準を口にしたのは、可愛い弟分への誠意だった。
もちろん、その弟分は姉の葛藤など知る由もないが……。
「ふ~ん。女の人って、みんなそうなの?」
「みんなかどうかは分からないけど……」
『一般的には、身長が高い人の方がもてる』とはあえて言わないギンガ。
なぜなら、既に兼一が精神的にショックを受けているのが分かったからだ。
既婚者とは言え、身長がコンプレックスの兼一にとってこの話題は一種の鬼門。
身長の低さを嘆き、落ち込み、暗い影を背負ってしまうのは無理からぬこと。
小声で「そうだよねぇ、やっぱりチビはカッコ悪いよねぇ……。僕なんて、僕なんてどうせチビで弱そうなモヤシなのさぁ……」といじけているのを、彼女の鋭敏な聴覚は捉えていた。
男はいくつになっても、結婚しても、子どもがいても、やはりカッコつけたい生き物なのだ。
これ以上打ちのめすのは、さすがに憐れというものだろう。
翔はさらにギンガに邪気のない、だが少々酷な質問をしようと口を開きかける。
だが、それより早く食堂内に設置されたテレビからとあるニュースが流れてきた。
【次のニュースです。数日前から、郊外の岩壁などが何者かによって破壊されています。時間帯は深夜と思われ、近くを通りかかった住民からは奇妙な物音や唸り声を聞いたという証言が寄せられています。今のところ特に被害は出ておりませんが、管理局は質量兵器の試験運用の可能性もあるとみて、捜査を進めています】
「? どうしたの、ギン姉さま?」
「あ、今のニュースがちょっと気になってね」
翔から視線を外し、少々厳しい目で画面を見つめていたギンガに恐る恐る問いかける翔。
そんな翔に対し、ギンガは少しはっとした様子で向き直り、優しい笑顔を浮かべて首を振る。
直接面と向かっての対話なら支給された機械のおかげで相手の意図を理解できるが、画面越しだとそれはかなわない。未だこちらの言語を理解していない翔や兼一には、画面から流れるニュースの内容は分からないのだ。
精々、映像を見てその内容を類推するくらいしかできない。
「父さん、これって一応うちの管轄よね。どう、何か進展はあった?」
「いや、今のところはなにも進んでねぇ。
目撃者を当たろうにも、音を聞いた時点で気味が悪くて逃げる奴がほとんどだしな。興味を持って近づいた不用心な奴もいるにはいるが、壊れた岩や徹底的にブチ壊された廃車なんかを発見しただけだ。
これと言ってめぼしい情報は何にもねぇ」
「質量兵器が使われた痕跡は?」
「それもねぇな。火薬や化学製品の反応はなし、同じように魔法の反応もだ。
いったいどこの誰が、何人で、何を使って、何をしていたのか。どれ一つとっても手掛かりがねぇ」
「厄介な案件よね。
もしどこかの犯罪組織が、危険な質量兵器を持ちこんだかもしれないと考えると、ゾッとするわ」
「まったくだ。不法投棄された車を壊したり、岩壁や岩を砕くくらいなら何てことはねぇが、それが最終的にどこに行きつくのかが分からんことには、誰も安心できやしねぇ……って、どうした兼一?」
「どうしたの父様? なんだか、汗がいっぱい出てるよ?」
「兼一さん、どこか具合でも悪いんですか?」
「え!? あ、いや、何でもないですよ!! た、ただ怖いこともあるもんだなぁって!?
あ、アハハハハハハハハハハハ!!!」
「「「?」」」
ギンガとゲンヤは神妙な顔つきで話をしていたが、それを聞いていた兼一の額に無数の汗が浮かんでいる。
それを不思議に思う三人だったが、兼一はどこか挙動不審な様子で笑ってごまかす。
「まぁなんにせよ、質量兵器が関わってる可能性は否定しきれねぇし、そうでなくても何かしらのあぶねぇ連中が関わってたら事だ。場合によっちゃ、おめぇにも動いてもらうことになるぞ」
「わかってます。私だって108の人間だもの、この街の安全を守る責務がありますから。
その時は、母さん仕込みのシューティングアーツで頑張ります。ね、部隊長」
「あんま、おめぇらがでなきゃいけねぇ事態にはなってほしくないんだがな」
意気込むギンガに対し、ゲンヤは天を仰いでそれが杞憂に終わる事を願う。
部隊長としては予想しなければならない事態だが、できれば娘をそんな危ない場所に送りたくないのが人情だ。
「あ、そうだ。父さん、兼一さん、それに翔。
私、この前の報告書を仕上げたいから、今日もちょっと帰りが遅くなるから先に寝てて」
「あんま根を詰めるんじゃねぇぞ」
「大丈夫です。体は頑丈だし、今日中には終わらせますから」
「ギン姉さま、今日も遅いの?」
「翔、あまりギンガちゃんを困らせちゃいけないよ」
「あはは、気にしないでください兼一さん。それと、ごめんね翔。でもね、これが終わったら少しお休みが取れるから、そうしたらみんなで一緒にお買い物にでも出かけようか?」
「え? 本当!?」
「うん、本当♪
それにね、翔や兼一さんにスバル達の事も紹介したいんだ。だから、今はちょっとだけ我慢してくれるかな?」
「……………………約束、だよ?」
「うん、約束」
そうして、翔とギンガは笑いながら指切りをする。
どうやら、ゲンヤの先祖が「約束をする時にはこうする」と伝えたものらしい。
そんな二人の様子を、ゲンヤと兼一だけでなく、周りで食事をとっている他の局員たちも微笑ましそうに見つめていた。
ただし、中には「チクショウ! 俺は今、猛烈に子どもになりたいぞぉ―――っ!!」「相手は子ども、相手は子ども、相手は子ども………………でも羨ましい!!!」「なんでだ、なんであそこにいるのは俺じゃないんだぁ!!!」「ああ! 今すぐあの指をしゃぶりたい!!」「どうか俺を踏んでください、ナカジマ陸曹!!」などなど、色々とアレな男どもの魂の叫びが轟いているが……後できっかり、彼らがゲンヤから仕事という名目で書類の海に沈められたのは言うまでもない。
* * * * *
同日、夜のナカジマ家。
今日も今日とて帰りの遅いギンガなわけだが、やはり翔はなんとかギンガを出迎えようと頑張っている。
とはいえ、そこはやはり幼児。夜の9時を回ったあたりから目はウトウトし出し、頭も前後左右に揺れ始めていた。兼一が「これは、そろそろ限界かなぁ」と思ったのは当然だろう。
「翔、そろそろお風呂に入ろうか」
「むにゃ、ギン姉さまがまだ帰ってきてないよぉ……」
「でも、翔も今日は汗をかいただろ?
ばっちぃままより、綺麗になってから迎えてあげた方がギンガちゃんも喜ぶと思うよ」
「………………入る」
「じゃあ、ゲンヤさん。お風呂いただきますね」
「おう、ゆっくりしてきな」
居間のソファに身体を預けるゲンヤに対し、兼一はそう言い残して翔と共に風呂場へ向かう。
既に風呂から上がったゲンヤは、新聞を広げて酒を飲みながらくつろいでいた。
そうして、翔と兼一の姿が見えなくなると、小さく独り言を零す。
「ま、風呂ってのは案外体力使うからな。
あの様子じゃ、風呂からあがったらそのまま夢の世界へ一直線、ってところかね」
実際、兼一もそのつもりで翔を風呂に誘ったのだろう。
子どもに夜更かしは良くないし、出来れば早めに寝てほしい。
翔としてはギンガを待ちたいだろうが、一日くらいはこれで良い筈だ。
ゲンヤはそのまま、先ほどまで兼一と一緒に飲んでいた酒を再度煽った。
今朝言った通り、普段から飲み慣れた筈の酒の味が、このところ特に旨いと感じる。
それが一緒に飲む相手がいるからなのか、それともどこかで憧れていた息子の様な存在が出来た故なのか、あるいはその子をネコ可愛がりし笑顔の絶えない娘が嬉しいのか、それともその全ての結果か。
いずれにしろ、今日もまた酒を飲むゲンヤの顔には知らず知らずのうちに笑みが浮かび、酒量が増えるのだった。
それから十数分後。
だいぶ酔いも回ってきたところで、玄関の戸が開く音がゲンヤの耳を打つ。
ゲンヤは酒を飲む手を止め、玄関の方にややトロンとした視線を向ける。
やがて今の扉が開き、そこから予想通りの人物が姿を現した。
「ただいまぁ~」
「おう、遅かったな。報告書の方は終わったのか?」
「うん、なんとか。ちょっと資料をまとめるのに手間取ったけどね」
「ま、それなら何よりだ。飯はどうする?」
「あははは、待ちきれなくって食べちゃった」
「んなこったろうと思ったよ」
十数年と一緒に暮らしてきた娘だ。その程度の事はおおよその想像がついていたのだろう。
はぐらかす様に笑うギンガに対し、ゲンヤは特に驚いた様子は見せない。
とはいえ、それだけで終わらないのがこの娘でもあるわけで……。
「じゃあ、飯はいらねぇか?」
「ううん、そろそろ夜食が欲しい時間かなぁって……」
「だろうな。なら、さっさと着替えてこい」
「はぁい。あ、その前にちょっと汗を流してくるから、温めておいてくれる?」
「あいよ。ほどほどにな」
「うん」
そうして、ギンガはそのまま自室へと向かう。
ゲンヤは一端酒の入ったコップを置き、立ち上がって冷めてしまった料理を温め始める。
そのままぼんやりと時間を過ごすこと数分。
酔いが回ってややぼんやりしていた脳裏に、ふっとある可能性がよぎった。
「……………………………待てよ。汗を流すって、今から練習する気か?
いや、だが汗を流すっつっても色々解釈の仕方が有るわけでだな」
と、よく分からない独り言を洩らすゲンヤ。
しかしここで、ついに彼の思考がある答えを導き出した。
「……………………こりゃ、ちょいとヤベェか?」
ゲンヤがそんな事を呟いた時。
ナカジマ家の脱衣所では、ギンガが機嫌良く鼻歌など歌いながら服を脱いでいた。
「フン~~~~♪ フフ~~~~~~♪」
うら若き乙女であるギンガは、当然のように綺麗好きだし風呂やシャワーも好きだ。
我ながら自身の魔導士としてのスタイルなどは汗臭いと思わなくもないが、それはそれこれはこれ。
何より、疲れた体を癒す魂の洗濯を好まない生き物がいる筈もなし。
白のブラウスを脱げば、可愛らしいレースで飾られた薄い蒼のブラに優しく包まれた平均以上に育ったバストが姿を現す。
続いて紺色のロングスカートを下ろすと、ブラと同色のショーツに彩られた引き締まったヒップが顔を出した。
白い白磁の肌と彼女の蒼く長い髪は互いに引き立て合い、高い身長とメリハリの利いた肢体はモデル顔負けだ。
そのままギンガは愛用のリボンを解き、下着に手をかけた。
ブラのフロントホックを外して肩と腕を抜くにつれ、豊かな胸が健康的に弾む。
今度はショーツをゆっくりと下ろすと、優美な曲線を描く尻が悩ましげに揺れた。
取り払うごと晒されるその肌の白さは、いっそ扇情的とさえ言える。
脱いだ衣服や下着を籠の中に丁寧に納めて行くと、ギンガの目に見慣れた服が飛び込んできた。
「あ、翔が入ってるんだ」
彼女の視線の先には、可愛い弟分愛用のパジャマとバスタオル。
よく見れば、風呂場のすりガラス越しに先客の存在が伺える。
ただ、彼女も疲れていたのだろう。
疲労で鈍った脳は、もう一つの気付くべき存在を見落としてしまった。
そう、翔のパジャマとバスタオルの影にある、もう一組の大人用のそれに。
やがて支度の整ったギンガは、薄手のタオル一枚で身体の前を簡単に隠すと、風呂場の扉に手をかける。
その瞬間、風呂場からどこか切羽詰まった声が彼女の耳を打つ。
「あ、ちょ、待……!!」
しかし時すでに遅し。扉にかけた手にはすでに脳からの信号が届いており、今更引っ込みはつかない。
何が言いたいかというと、声が届いた時にはギンガの手は戸を開け始めていたのだ。
そして、無情にも決して越えてはならない境界線は破られた。
「「ぁ……………………………」」
呟きは、男女双方からのもの。
ギンガは扉を開けた状態のまま正面にいる人物を見て硬直し、ギンガの正面にいる人物…兼一は今まさに風呂から出ようと片足を挙げた姿勢で固まっている。
翔はそんな二人の間で、実に不思議そうに父と姉の姿を交互に見て首を傾げていた。
同時に、あまりのショックにギンガの手から力が抜け、最後の防衛ラインが「パサッ」と音を立てて地に落ちる。
具体的には、身体の正面を辛うじて隠していたタオルが床に落下したのだ。
当然、その結果何がどうなるかといえば……。
(ああ、ギンガちゃん手結構着やせするんだ。大きいとは思ってたけど、思ってたよりずいぶん大きい。
それに、腰は細いし脚は長いしモデルみたいだなぁ……………………って、そうじゃないだろ!?)
丸見えである。正面に限れば、文字通り遮るものなく上から下まで全部。
既婚者とはいえ兼一も健全な男。また、突発的な事態に思考が付いていかないのだろう。
妙なところで冷静になり、上から下までしっかりじっくり観察してしまった。
ギンガはギンガで、事態を呑み込む事が出来ずに頭の中は混乱の極み。
ただそれでも、自身の全てが見られたこと。同様に、兼一や翔のあれやこれやが全て見えている事は明白。
やがて、段々と思考力が戻るにつれ、その顔が羞恥でリンゴの様に赤く染まっていく。
小ぶりの口は左右に引っ張られ、目尻には涙が浮かび、ようやく小さく声が漏れ始めた。
「き……」
「ギンガちゃん、ちょっと落ち着いて! 話せばわか……」
「きぃやぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁ!!!!!!」
そうして、ギンガは脱兎の勢いで脱衣所から自室へと駆けだした。ちなみに、これで尻も丸見えである。
うら若き乙女、それも男と手を繋いだこともない正真正銘の男女関係初心者。
そんな彼女が全てを見られ、同様に男の全てを見てしまえば、錯乱するのは必然だった。
兼一は思わず右手を挙げるが、それは行き場もなくただただ虚しく空中に停滞する。
相手は逃げてしまったし、一体どうしたらいいのか兼一にも判断がつかなかったのだ。
「父様?」
「事故…………だよね?」
「?」
一応、兼一とてギンガが近づいている事には気付いていた。
ただ、風呂場という環境から僅かに気を緩めてしまったのが運のつき。
ギンガに殺意や敵意がなく、それどころかどこかぼんやりしていたせいもあって、接近していることに気付いたのはギリギリになってからだった。
お互いにとって、実に不幸な事故である。
誰の目にも明らかだが、だからと言ってそれがいかほどの救いになろうか。
既婚者であり、ある程度は女体を見慣れている兼一はまあともかくとして、ギンガが受けたショックは計り知れない、色々な意味で。
「ないとは思うけど……明日殺されないかな、僕?」
なにぶん、乙女の一糸纏わぬ姿を上から下までくっきりはっきり見てしまったのだ。
この時ばかりは、兼一も修行によって培われた自身の良すぎる視力を呪う。
湯気越しとは言え、本当に何から何まで全て見て脳裏に焼き付いた訳で……。
明日以降の事を思うと、これからの居候生活に一抹の不安を覚える兼一だった。
* * * * *
その深夜、ミッドチルダ西部の市街地。
中心地から外れているとはいえ、深夜でも人通りは少なからずある。
街灯もあり、夜間でも不安を覚えない程度の明るさは確保されていた。
だが、道行く人々は気付かない。
その市街地を、高速で駆け抜ける一つの黒い影があることに。
その影は、さながら俊敏な一迅の風の様に人や建物の間をすり抜けて行く。
ある時は建物の屋根や壁を蹴って空中に身を躍らせ、ある時は路面を蹴って獣のように。
その速度もまた尋常ではないが、問題なのは、人間のすぐ横を通りながら誰も気づかない事だ。
それはつまり、常に人々の死角をついて動き、感覚の隙間を縫っているという事。
空中に身を躍らせている時も、人々のすぐ横を駆け抜けて行く時も、誰一人としてその影に気付かないのはそう言う事。しかしそんな高度な事、そう簡単にできることではない。
如何に夜間で人が少ないとはいえ、たまたま通りがかる人すべてがどこを見ているかを把握しているのだから、非常識としか言いようがない。それも、こんな車にも勝る速度で、だ。
その影は、やがて郊外の森林地帯へと到達する。
だが、それでもなお影の速度は緩まない。
それどころか、森に入ったことで一層その速度は増しているようにさえ思える。
やがて、目当ての場所にたどり着いたのか、影はその歩みをとめた。
そこで、月明かりを受けてようやく影の姿が晒される。
そこにいたのは、一見すると極普通のどこにでもいそうな青年。
しかしその実、こと身体能力にかけては世界の常識から大きく逸脱した男…白浜兼一だった。
「さて、今日はいつもより奥まで来たけど、ここまでくれば大丈夫かな?」
そうして兼一は、手近なところにあった自身の背丈以上ある大岩を片手で握った。
そうして『フン』と小さく声を漏らすと、その岩が徐々に大地から浮き上がる。
兼一の握った岩の表面には僅かにひびが入り、それが兼一の仕業であることを物語っていた。
片腕で、自身の背丈以上の御岩を持ち上げる。普通に考えれば、魔法を使わなければ絶対にあり得ない光景。
しかしそれを、兼一は一切の小細工抜きの己が筋力のみで実現する。
「てりゃ!」
さらに、それを勢いよく上方に向かって投げ上げるとともに、兼一自身も何気ない仕草で軽く地面を蹴る。
すると、兼一の体はまるで弾丸の様な勢いで天へと昇って行く。
やがて大岩に追いつくと、彼の四肢が姿を消す。
「ちょわ!」
そんな掛け声と共に、大岩が爆砕した。
後に残ったのは、まるでみぞれの様に落下する礫の雨あられ。
着地した兼一は何げない動作でその手を「パンパン」と払う。
つまり、今の一瞬であの大岩を粉々に砕いたのだ。それも素の拳で。
普通なら、岩を素手で殴れば血の一滴くらいでそうなものだが、兼一にその様子はない。
「ふぅ、やっぱり少し鈍ってるな。
師匠たちなら、今ので礫どころか砂塵に変えられるだろうし。
地球に戻るまでの一ヶ月から二ヶ月、腕が鈍らないようにしないと」
これで鈍っているというのだから信じ難い話だが、兼一本人は本気でそう思っているのだから仕方ない。
事実、兼一の基準からすればこれでもまだ本調子ではないのだ。
「とはいえ、あんまり派手にやってると怪しまれるし……困ったなぁ。
まさか、ニュースになってるなんて……」
そう、今巷を騒がしているあの事件は、全て兼一が起こしたもの。
管理局は質量兵器か魔法の試用運転と思っていたようだが、実際には武術の鍛錬だったのである。
それはまぁ、火薬やら魔法やらの反応が出ないのも当然だろう。
とはいえ、兼一としてはまさかここまでの騒ぎになるとは思っていなかっただけに、少々悩む。
武の鍛錬を怠るわけにはいかないが、だからと言ってあまり派手にやるわけにはいかない。
ゲンヤ達に迷惑をかけるし、地球に帰るまでは穏便に済ませたいのだ。
「さすがに、不法投棄されてる廃車を持ってきちゃったのは不味かったかなぁ?」
論点が微妙にずれている気もしないでもないが、それが達人クオリティと言えばそれまでの話。
既に常人の域から逸脱してしまっているだけに、考え方もずれているのだ。もうこれは仕方がない。
「まあ、悩んでてもしょうがないよね。
とりあえず、走り込から始めようかな。えっと、手ごろな岩は……あったあった。
さあ、街を軽く十周位回ってくるとしよう」
先ほどよりも二回りは大きい岩を担ぎ、兼一は再度目にもとまらぬ速度で疾駆する。
こうして今夜も、人知れず兼一の鍛錬が開始されたのだった。
あとがき
というわけで、とりあえず日常風景でした。
こんな感じで、昼は108でお勤め、夜は翔達が寝静まってからこっそり鍛錬、というのが兼一の日常です。
ただ、地球だったら梁山泊に行けばいいのですが、ミッドには場所もなければ彼に適していて使える設備もありません。なので、仕方なくこんな事をしなければならないわけで……。
半ば、変な都市伝説と化しているかもしれませんね、彼が修行した場は。
ちなみに、ギンガとの風呂場での遭遇は色々アレな部分もありますが、ツッコミはソフトにしていただけるとありがたいですね。だってやりたかったんだもん!!
まあ、兼一が風呂場に突入するのでは面白味がないのでこんな形になったわけですけどね。
しかしこれで、ギンガも多少は兼一の体の秘密に近づいたかなぁと。
まあ、それも裸体を見られたというインパクトの前には霞みそうですが。
それにしても、心残りだったのはもう少しギンガの脱衣シーンをエロくしたかった事ですね。
ある意味で後悔はしてますが、正しい意味では反省も後悔もしておりません。
余談ですが、個人的なイメージとしては「らんま2/1」の男版乱馬とあかねが風呂場で初対面する時のイメージです。
最後に、次回は一応本文中でもあったようにギンガとの買い物を予定。
こんなことがあった後でそんな事が出来るのかは甚だ疑問ではありますが、一応そのつもりです。
そこで、多分ギンガやゲンヤ以外の人も出てくるでしょう。
では、間に合えば次週の更新で。間に合えばですけどね。