次元世界の中心地、第一管理世界ミッドチルダ。
通称「海」とも呼ばれる次元航行部隊を統べる「本局」と並び称される、各世界の地上部隊を統べる「地上本部」が置かれた世界である。
それは、地球とは様々な面で異なる文化と制度の根付く地。
魔法技術の有無、質量兵器の扱いと認識、科学力のひらき、地球では架空の存在とされる異種族や魔法生物etc…。
挙げ出せばキリがないほどに存在する違い。
とはいえ、違う事ばかりというわけでもない。
世界が違い、歩んできた歴史が違い、文化と制度が違い、築き上げてきた物が違っても、共通するモノもまた存在する。そう、たとえば……人が住む地で陽が昇り、また沈みゆくのは変わらないように。あるいは、多種多様な労働を以って日々の糧を得て、大半の人々がささやかな幸せに感謝して眠りにつく事も、だ。
そして、この日も当然の様に夜明けとともに地平線から日が昇ろうとしている。
だがこの日、首都クラナガンからほど近い西部の市街地では、些細ながらも少々普段と違う出来事が起ころうとしていた。
寒くも暑くもない、誰もが一年で最も過ごしやすいと思うであろう時期のある夜明け。
早朝のジョギングを日課とする壮年の男性が、いつものように軽い運動に汗を流していた時。
彼はその道すがら、普段であれば見かけない“何か”を発見した。
「ん? なんだ、ありゃ?」
口を突いた疑問の声は、彼の視線の数十m先にある塊に向けられたもの。
ただし、それ自体は別段珍しいものではなく、彼に限らず誰もが普段からよく目にする“人間”という生き物のシルエットだ。彼も、それは遠目に見てすぐに判断することができた。
当然、そんな事に対して疑問の声を漏らしたわけではない。
はじめは酔っ払いが道端で寝ているのか、あるいは場違いなホームレスかと思った。
だが、様子が違う事にもすぐに気付く。
なぜならその影の傍らには、遠目からでもわかる鮮やかな血溜りが見て取れる。
「おいおい……いったい何事だよ、こりゃあ? お前さん、大丈夫か!?」
それは一般常識としての正義感からか、あるいは緊急事態に対する反射的な行動か、それとも長年に渡って染み着いた彼の職業意識がそうさせたのか。いずれにせよ、彼は思わずペースを上げ、大急ぎで人影へと駆けよる。
当然、近づくにつれ人影の様子が明瞭になっていく。
どうやら、出血自体は既に止まっているようで、僅かな血溜りが範囲を広げる様子はない。
また、思いの外出血量は多くなかったようで、血溜り自体も決して大きくはない事に男は安堵する。
早朝からいきなり人死の現場に立ち会うなど、幸先と縁起、そして後味が悪いにもほどがあるというものだろう。
(…………聖王さまに感謝、ってところなのかねぇ、こりゃ……)
あまり信心深くはない彼だが、こういう時は不信心者らしく都合よく彼が奉じる存在に感謝する。
“聖王”という、かつて実在した偉大な王様に。
とはいえ、状況は相変わらず不明な点だらけ。
とりあえず、差し迫ったより詳しい状況を知るために影の傍らに膝をつく。
同時に、血溜りの原因を知る事となる。
「こいつは……銃創か」
傷の位置は右の前腕、その丁度中ほど。
完全に腕を貫通しているらしく、反対側には同様の傷痕。
やはり血は止まっている様だが、そのままと言うわけにもいかない。
已む無く、首にかけていたタオルをきつく巻いてやる。
気休め程度だが、ないよりはマシだろう。
「さて、とりあえずは医者…だよな」
職業柄、彼は一般人よりかは医学的知識を持っている。あるいは、救急救命の知識というべきだろうか?
だが、それでもやはり診察・処置、どちらにおいても本職の医者には遠く及ばないのだ。
見たところ腕の銃創以外に怪我らしい怪我はない。
強いて言うなら肌や服、あるいは髪などがボロボロ半歩手前の状態になっている位だろう。
しかし、やはり医者ではない彼に「無事」と断定することはできない。
この場には医者や治療器具どころか、簡単な応急手当てができる程度の道具さえもない以上、突然容体が急変したりすれば事だ。
故に、彼は懐から常に持ち歩いている携帯端末を取り出し、慣れた手つきで自身の職場に連絡を取る。
「おう、俺だ! 朝っぱらからわりぃが、アシを用意してくれ。
ああ、緊急事態だ! 道端に怪我して血を流してる野郎がいる。近くの病院まで距離もあるし、うちに運んじまったほうが事情を聞くにしても手間がなくて良いだろ。
あん? うちの専門は密売捜査だぁ? んなこたぁてめぇみたいな若造に言われなくてもわぁってんだよ!! 俺が何年この仕事やってると思ってんだ小僧!! いいからさっさとアシをよこせばいいだ、バァロウ!! 地獄の無限書庫に送られたくなけりゃさっさとしやがれ!!」
男は携帯端末に向けて散々怒鳴り散らし、受け手を怖れおののかせて通信を切った。
『地獄の無限書庫』、その職務のあまりの過酷さから、毎年必ず数十人単位で入院患者が出る部署である。
下手な前線部隊とは比べ物にならないそのハードワークは、陸海を問わずに有名だ。
よほど酔狂な者か、あるいは自殺志願者、それか相当に有能な人物でない限り志願しないとされる。
そんなところに送られると聞けば、大抵の人間は「勘弁してください」と泣きつくだろう。
「ったく、最近のわけぇ奴らは頭が堅ぇくせに根性がなくていけねぇや。
にしても、銃創たぁ物騒だが……銃声なんてすりゃとうの昔に通報されてるよな。
だってのに、こいつはどうしてこんな所で倒れてんだ?
つーか、よく鍛えてあるな。よく見りゃ結構わけぇし」
一通りの連絡が終わったところで、男は再度倒れ伏す人影に視線を向ける。
年のころは二十歳前後。眼は閉じられているが、人のよさそうな顔をした黒髪で中肉中背の青年だ。
だが、処置の為に破いた長袖から露わになった腕はかなり鍛えこまれている事が一目でうかがえる。
まあ、実際には鍛えこまれているなどというレベルではないのだが……。
しかしそこで、男はあることに気付く。
まるでうずくまる様に四肢を曲げている青年の懐に、もう一つの人影があることに。
「こっちのちっこいのは………………………弟、か?」
そこにいたのは、彼と同じ色の髪を持ち顔立ちもどこか似たところのある、4・5歳ほどの幼児。
外見から推測した青年の年齢から、まだ子持ちではないと判断したのだろう。
少々年の離れた兄弟、それが壮年の男が見て取った二人の関係だった。
まあ、彼は母に似て童顔なので、そう勘違いしてしまったのも仕方がない。
とそこで、突如青年が身じろぎしたかと思うと、無事な左手で頭を抑えながらゆっくりと身を起こす。
【っ……こ、ここは、いったい……】
「お、気付いたか。大丈夫か、兄ちゃん?」
【あなたは……そうだ、翔!】
男は青年を落ち着けるように、深みのある声音で語りかける。
だがそれが伝わった様子もなく、青年は懐に抱えた子どもに視線を落とした。
すると、はっきりと分かる程に顔を青ざめさせ、男の腕を握ると何事かをまくしたて始める。
【お願いします! この子を、この子を助けてください!!
御礼なら何でもします!! だから、だからこの子を!!!】
「お、おいおい、落ち着けって。俺は怪しいもんじゃね。
今傷の手当てができる場所に運んでやるから、大人しくしてろって。
そこの坊主が心配なのもわかるが、お前さんだって銃で撃たれたんだぞ」
男はなんとか狼狽する青年をなだめようとするが、やはりそれが伝わった様子はない。
それどころか、そもそも青年の発している言葉が男には理解できなかった。
どうやら、男の知る言語ではないらしい。
にもかかわらず、男は青年のイントネーションに言葉にできない懐かしさを覚える。
(言葉が通じねぇって事は、もしかすると………もしかすんのか?
だが、それにしたってなぁんか聞き覚えがあるんだよなぁ、この発音。はて、どこだったか?)
首をひねるが答えは出ない。そうしている間にも青年は延々と何かをまくしたてているが、男としても言葉が理解できないのでは困り果てるばかりだ。
ただ、それでも伝わってくる物はある。青年の仕草と表情から、どうやら彼の懐で眠り続ける幼子の事を必死に訴えているらしいことは、なんとなく理解することができた。
(よほど、この坊主の事が大切みてぇだな。テメェの傷は完全に無視…つーか、こりゃ気付いてもいねぇな。
へっ……若ぇのに、良い根性してんじゃねぇか)
それは、彼もまた二児の父親であるからこそ理解できたことなのかもしれない。
例え身内だとしても、傷の痛みを忘れる程の取り乱しようは尋常ではないだろう。
つまりそれは、青年がどれだけ懐の幼子を思っているかの証左。
不謹慎とは思いつつ、青年への好感が胸の奥から湧き上がり、口元に笑みが浮かぶ。
故に、彼はそんな青年を少しでも安心させようと、通じない言葉に精一杯の思いを乗せて紡いだ。
「安心しろ、その坊主は俺が責任を持って保護する。もちろんアンタもだ。
最高の治療を受けさせて、必ず元気に、傷一つ付けずにアンタへ返す事を約束する。
いや、これも何かの縁だ、アンタと一緒に身の安全と今後の生活は俺が保証する。
この俺の名と首にかけてな。だから、アンタも今はゆっくり休みな。
それにアレだ、そうじゃねぇと死んだカミさんがこぇしよ」
最後は若干冗談めかしたが、男なりに有りっ丈の想いと誠意を込めて紡いだ言葉だった。
その真摯な気持ちが通じたのか、青年は瞳のうちに安堵の光を宿し再度気を失った。
「さて、ノリで結構言っちまったが、まあしゃーねぇわな。
……っと、ギンガの奴にも連絡しとかねぇと。場合によっちゃ、しばらくうちで預かることになるんだからよ」
そして、彼は再度取り出した携帯端末で自宅と連絡を取る。
連絡を受けた愛娘の片割れは大層驚いていたようだが、彼の語った可能性に快く頷いたのだった。
その後、駆けつけた緊急車両に青年と幼児を乗せ、彼は一足早い出勤を果たす。
こうして、兼一と翔の父子は無事保護された。
壮年の男性、「ゲンヤ・ナカジマ」が部隊長を務める「陸士108部隊」へと。
BATTLE 1「陸士108部隊」
兼一達がゲンヤに保護されておよそ一時間後。ようやく兼一の意識が戻ろうとしていた。
たかがあの程度の負傷でこれだけの時間兼一が意識を失うなど、本来であればありえない。
しかし、慣れない事態が思いのほか身体に負担をかけていたのか、あるいはあの光に呑まれた影響か。
これだけの時間、彼は意識を失っていたのである。
そして、兼一が目を覚ますと、まず目に飛び込んできたのは見慣れない天井だった。
だが兼一はそんな些事に構うことなく、彼にとって最も大切な存在の安否を確かめるべく視線を巡らせる。
(翔…翔はどこに!?)
軽く視線を巡らした限りでは翔の存在は確認できない。気配もまた同様だった。
彼ほどの達人となれば、今いる部屋の内部にいる者の気配くらいはどれだけうまく隠しても見逃すことはない。
ましてや相手は幼児、気配の隠し方すら知らない相手だ。それも自分の息子。
兼一に限って、翔の気配を見逃すことなどあり得ない。
それはつまり、この場に翔がいないことを証明していた。
故に、兼一の焦りは助長される。
とはいえ、兼一はそれを即座に深く呑み込み冷静な思考力を取り戻す。
優れた静の武術家である彼にとって、感情を呑み込む事は最早条件反射の域にあるのだから。
元より、ここが見覚えのない場所である事は気付いていた。単に、それの優先順位が低かっただけに過ぎない。
翔の安否を確かめる為には、まずここがどこで、どんな構造をしており、翔がどこにいるのかを知らねばならないと、彼は焦る気持ちを抑えながら思考を巡らせる。
兼一は特別頭が切れるわけではないが、だからと言って頭が悪いわけでもない。
そこそこの知性と、踏んだ場数の多さが彼にその判断を下させた。
とはいえ、なんの情報源もない状態でそれらの情報を得ることは不可能。
そこで、彼は手近なところにいた白衣の男性…恐らくは彼を治療したであろう人物に問うた。
「すみません、僕と同じ髪色の4・5歳位の男の子の事を知りませんか?
僕と一緒にいた筈なんですが、見当たらないんです」
兼一はできる限り丁寧に男性に尋ねる。
状況から判断し、自分達をこの場所に収容したのは彼かその関係者に他ならない。
敵、という可能性もなくはないが、治療を施されている事実がその可能性の低さを証明している。
何より兼一の敵であるのなら、あまりにも無防備過ぎると言わざるを得ない。
兼一の事を知っているのなら、せめて達人級の者を数名配備し、なおかつ全身に拘束を施し、その上で厚さがメートル級の鉄板やコンクリートで封鎖した牢獄に放りこんでいる筈だ。
達人、それも梁山泊に名を連ねるほどの達人となれば、その程度は最低条件。
それをしていない時点で、彼やその関係者を敵と判断するのは早計と、兼一は理解していた。
【ああ、気付きましたか。とりあえず落ち着いてください。いま、先生を呼びますから】
(え? この人は、いったい何を……こんな言葉、聞いたことがない。ここは、日本じゃないの?)
しかし、兼一の言葉は一向に彼に伝わった様子がない。
いくら話しかけても芳しい答えは返ってこず、それどころか彼の言葉がそもそも兼一には理解できない。
兼一はこれまで、多種多様な人種と戦い、様々な土地に行った事がある。
にもかかわらず、その経験のどれを引き出しても、こんな言葉を使った者はいない。
まだ知らぬ言語を使う相手、というのはいるから別にそれ自体は大きな問題ではないだろう。
だが、それが日本で使われているというのが異常だ。
兼一達は、あの襲撃があるまで日本にいたのだから。
日本で使われる標準的な言語は、当然日本語である。にもかかわらず、その日本語が通じないという事実が、兼一の頭を混乱させる。
いくら感情を深く呑み込み、冷静な思考を心がけても、出ない答えは当然でない。
なぜなら、それは大前提が違い、そもそも彼の想定している事態から大きく逸脱しているのだから。
それは、当然と言えば当然のことだった。
しかしそこで、兼一にとっての救いの女神が現れる。
混乱する兼一を余所に、白衣を着た男は手に持った通信機と思しき道具を取り出す。
だがそれを起動する直前、兼一の視界の端にある扉がスライドし、非常に若い朗らかな女性が姿を現す。
【どうですか、あの人は目を覚ましました?】
【ああ、先生ちょうどいいところに。たった今お呼びしようと思っていたところなんですよ】
【あら、それならいいタイミングだったみたいですね】
【そうですね。ただ私は魔導師じゃありませんし、言葉が通じなくて困ってたんですよ】
【まあ、それは仕方ありませんよね。それじゃあ、ここからは私に任せてください】
【お願いします。後ろで見学して、勉強させていいただきますよ】
【はいは~い♪】
その人物は、大きめのリング状のピアスをつけ、ショートボブにした薄い色の金髪が特徴的な、白衣を着こんだほんわかとした女性だった。明らかに目の前の男性より若いのだが、彼女を見た男性の敬意に満ちた反応からして、彼の上役に位置する人物なのだろう。兼一は僅かに呆気にとられながらも、頭の片隅でそう考えていた。
その女性は軽やかな足取りで、それこそ実に機嫌が良さそうな笑顔のまま兼一の前に立ち、口を開く。
そこから紡がれたのは、先ほどまでの聞き慣れぬ言語ではなく、彼にとってとてもなじみ深い……日本語だった。
「気がつかれたんですね。御身体は大丈夫ですか? “白浜兼一”さん」
「え? ぼ、僕の事を知ってるんですか!?」
「ああ、ええっと……ごめんなさい」
「へ? えと、何がでしょうか?」
突然謝られたことに驚き、明らかに困惑する兼一。彼からすれば、いったいなぜいきなりこんな美人に謝られなければならないのか、皆目見当がつかずに困ってしまうのも当然だろう。
しかし、謝るからには当然それ相応の理由があるわけで……。
「実は、手荷物から身分を証明できる物を拝見させていただいたんです。
あ、こちらですね、お返しします。と、一応中身を確認してください、足りない物とかはありませんか?」
「あ、ああ、そういう事でしたか。それでしたらお気になさらないでください。
どこの誰とも知れないと、あなた方としても困るでしょうし……」
「はい、まぁそうなんですけどね。ですけど、それでもやはり勝手に手荷物を検めるのは失礼でしょう?
事後承諾って言うのは悪趣味ですけど、許していただけると幸いです」
金髪の女性は、困ったようにそう付け足した。
だが、実際問題として運び込まれた人物が何者かわからないのは非常に困る。
もし犯罪者や指名手配犯の類だとしたら、警察に通報もしなければならないのだから。
あるいは、手荷物の中に危険物がないか確認しないわけにもいかない。
いくら怪我人とはいえ、無条件に受け入れるわけにはいかないのである。
兼一もそのあたりは承知しているので、手荷物の中身を確認し、無くなった物がない事が分かると笑ってそれを許す。怒る様な事ではないし、何より相手の立場を鑑みれば当然の対処なのだから、怒る方が筋違いである。
とはいえ、兼一としてはそんな事よりも大事なことがある。
言葉が通じる相手がいるのなら、聞かねばならないことがあるのだから。
「すみません、僕と一緒に男の子が運び込まれませんでしたか?
4・5歳位の、黒髪の男の子なんですけど……」
「ああ、あの子でしたら今は検査室で精密検査の最中ですよ。
怪我らしい怪我はありませんでしたけど、念の為に」
「あ、そうでしたか。ありがとう、ございます」
女性のその言葉に、兼一の顔にようやく安堵に緩む。
相手が如何に医者っぽい恰好をしているとはいえ、分からないことが多い状況で相手の言葉を真に受けるのは少々問題がある。しかし、根っからのお人好しである兼一は、基本的に他人を疑う事をしない。
故に、彼は目の前の女性の言葉を疑うことなく信じていた。
まあ、実際に本当のことなのだから特に問題はないのだが……。
「心配でしたら、一緒にいらっしゃいますか? ご案内しますけど……」
「是非お願いします!!」
「ふふ、分かりました。でもその前に……」
「え? な、なんでしょうか?」
兼一にとって、女性の申し出は渡りに船だった。当然、迷うことなく兼一はその申し出を受ける。
だがそこで、女性は立てた人差し指を兼一の口元にやり、優しい笑顔を浮かべながらやんわりと待ったをかける。
兼一としては早く翔の安否をその目で確認したいし、気持ちが逸ってしまう。
故に、彼は失念していた。翔を庇って銃撃を受けたのだという事を。
「あなたの包帯を取り換えさせてください。怪我らしい怪我は腕だけでしたけど、銃弾が貫通してたんですよ。
一応治療はしましたけど、そろそろ新しいのに交換した方がいいでしょう」
「あ、そ、そうでした、よね?」
そこに来て、兼一はようやく自分の状態を冷静に確認する。
女性はああ言ったが、右腕以外にも頭や頬を始め、所々に包帯やガーゼが当てられている。
恐らく、意識を失った際に擦り剥いたり頭を打ったりしていたのだろう。
ただ、当然ながら右腕は念入りに包帯でグルグル巻きにされており、塗り薬か何かの匂いが鼻をついた。
節々に僅かな痛みを憶え、特に腕にはやや強い痛みが残っている。
まあ、この程度の痛みは彼にとって慣れた物なので、さして気にならなかったのだろうが。
「もしかして、僕の治療も?」
「ええ、私がさせてもらいました。どこか違和感はありませんか?
一通り治療しましたし、お薬も塗ったので大丈夫だと思うんですが……」
「御蔭さまで、少し痛みが残っている以外は特に。動きの方も……問題ありません」
「そうですか、よかった♪
治癒をかけたんですけど、考えられないくらいに治りが良くて逆に心配だったんですよ♪」
感覚を確かめるように右手を開いたり閉じたりする兼一の言葉を、女性は我がことのように喜んでくれる。
これでは傍から見ると、治した方と治してもらった方、立場が逆に見えてしまうのではないかというくらいに。
同時に、兼一はそこで引っかかるものを感じた。
しかし、まだ目覚めたばかりで覚醒しきっていないのか、単純にそれほど優先順位が高くないと思ったのか、ひとまずその事はスルーする。
「では、ちょっと見せてもらいますね」
「あ、はい。お願いします」
「は~い♪ あ、そんな緊張しなくていいですからよ、すぐに終わりますからね」
そうして、一端先ほどまで寝ていたベッド近くの診察台へと移動する兼一と金髪の女性。
よく見れば相手の若さが際立つ。兼一よりいくらか年下で、恐らくは二十代前半だろう。
これでは、医師としては明らかに新人とかそのあたりの筈。
にもかかわらず、先ほどの男性は彼女の診察を後ろで真剣に見つめている。
まるで、「勉強させてもらっている」かのように。まあ、実際そうなのだが。
その事を不思議に思う兼一だが、それだけ有能な女性なのだろうという事で納得する。
「フンフン、いい感じですね。傷もほとんど消えてますし、これなら入院の必要もないかしら?」
(………………あれ? 銃弾が貫通してたんだよね? いくらなんでも、傷がそんなに早くなくなるかな?
そりゃ内功は練りに練ってるから治りは早いけど、いくらなんでも早すぎるような……)
そのことには疑問を覚えつつ、兼一は腕を這う細く冷たい指のむず痒い感触に耐える。
昔の彼であれば、恐らくは真っ赤に赤面していたであろうそれも、今となってはそれほど動揺しない。
何しろ、彼とて曲がりなりにも既婚者だ。いちいち、この程度のことで動揺する程ウブではない。
「それにしても、本当に治りがいいですねぇ……こんなに効きの良い人は、私もはじめてですよ。
筋肉の発達の仕方もすごいですし、鍛えてるんですか?」
「えっと…………少し」
(明らかに「少し」じゃないけど………患者さんのプライバシーに無闇に踏み込めないわよね。
今日初めて診た相手とじゃ、信頼関係も何もないし……)
兼一は知らない事だが、この女医も長年の経験と勘の持ち主だ。医師として、あるいは騎士として。
そんな彼女の眼から見ても、兼一の身体の出来は尋常なものではないのは明らか。
撫でるように優しく触れた指先に伝わってくる感触は、しなやかで弾力に富んでいる。
今まで様々な人体に触れ、診てきたが、過去例をみないほどの、至高の肉体がそこにあった。
故に、兼一の言葉があまり正しくないこともすぐに理解できる。
ただ、兼一の声音からあまり詮索されたくないという様子を感じ取ったらしく、それ以上の深入りはしないが。
とはいえ、それでも一応一つ聞いておくべき事がある。
「あの、ちょっと別の質問、いいですか?」
「え?」
「どうしてまた、銃で撃たれたりなんて?」
「あぁ……………………家に帰る途中、突然撃たれまして……」
詳しく話せない理由があるとはいえ、兼一は内心で女医に対し平身低頭する。
これで納得してくれるとも思えないが、そうとしか答えようがない。
とそこで、兼一はそういえば相手の名前すら知らなかった事を思い出した。
タイミングを逃した感じもするが、話題を変える意味でも都合が良い。
なので、処置を終え正面から向き合ったところで、兼一は思いきってきりだして見る。
「あの、そう言えば先生のお名前は?」
「え? あ、そう言えばまだ名乗ってませんでしたっけ。
ごめんなさい、私ばっかり白浜さんの御名前を知っているのは、あんまり気分は良くないですよね?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど……」
「では、改めまして……私はこちらに研修に来ている『八神シャマル』と申します。
よろしくお願いしますね、白浜兼一さん」
「あ、はい。よろしくお願いします、八神先生」
「いいですよ、シャマルで。
私、家族と同じ職場にいる事が結構あるんで、姓だとごっちゃになっちゃいますから」
かしこまってシャマルの事を八神先生と呼ぶ兼一に対し、シャマルは苦笑しながら軽く訂正を求めた。
実際、彼女の事を知る人たちは彼女を「シャマル先生」と呼ぶ。
彼女はその立場と経歴上、同じ「八神」の姓を名乗る家族と共に仕事をすることが多いのだ。
「あの、それなら『シャマル先生』で、いいですか?」
「はい♪ それでお願いしますね。さて、処置も終わりましたし、あの子の所に行きましょうか」
「はい、お願いします」
「た・だ・し! 今日は大事を取って右腕は使っちゃダメですよ。
大分良くなったとはいえ、今は安静にしておいてください」
正直、兼一としてはこの程度の傷ならもう大丈夫だと思う。
だが、三角巾まで差し出され「これで吊っておいてください」と言われては突っぱねるのも気が引ける。
何しろ、相手は純度100パーセントの善意で言ってくれているのだ。
世話になった身としては、これは拒否できるものではない。
なので、兼一は大人しくシャマルの言う事に従うのであった。
「それじゃ、今度こそ行きましょうか♪」
そうして、兼一はシャマルに先導されながら医務室を後にする。
ただ医務室を出る間際、兼一はあることに思考を巡らせた。
(ハーフ、なのかな? 「八神」は日本人の名前だし。
だとすると、最初に話した人は留学か研修を受けにきた外国の人?
それなら、一応筋は通るよね。じゃあ、シャマル先生はあの人の指導医ってところかな)
なんとなく、シャマルと先ほどの男性の立場をそう類推する兼一。
シャマルは自分が「研修に来た」といった。「受けにきた」ではなく。
それはつまり、研修を「する側」という事なのだろう。
つまり、先ほどの男性に日本語が通じなかったのも、単に海外から来てまだ不慣れなだけ。
兼一は、そう判断したのだ。
その後、兼一はシャマルに案内されて検査中の翔の様子を見て、その安全を確認することができた。
とはいえ、翔の検査はもう少しかかるらしく、その間シャマルは兼一の話し相手を買って出る。
兼一としては状況を把握するためにも有り難いと思う、実際いま兼一達が置かれている状況はわからないことだらけ。如何に優れた静の武術家といえど、動揺もあれば不安もあるのだから……。
「それにしても白浜さん、本当にあの子のことを心配してらっしゃったんですね。
あの子、翔君…でしたっけ? 彼の顔を見たときの白浜さん、ホントに泣きそうでしたよ」
「あ、あははは、みっともないところをお見せしてしまいまして……」
「いえ、別にからかってるわけじゃないんですよ。アレだけ誰かのことを思えるって、とても素敵な事じゃないですか。私にも、いるんですよ。とても、とても大切な女の子が。
あの子に何かあったらって考えると、地面がなくなって真っ逆さまに落ちるみたいに……不安になるんです。
だから、白浜さんの気持ちも少し…………………分かります」
二人は手近なベンチに座り、紙コップに入ったコーヒーを飲みながら他愛もない話をする。
笑うのを抑えるように語るシャマルに対し、兼一は恥ずかしそうに頭をかきながら応じていた。
彼としては、翔のことを心配するのは当然にしても、それを初対面の相手に見られたのが恥ずかしいのだろう。
しかし、シャマルとしては兼一の様子は好ましかった。
アレほど誰かを想い、自分の事よりもその相手のことを優先する在り方は、本当に好感が持てる。
また、一児の父として、一人の自立した大人としての自分を持つ兼一の雰囲気は、シャマルにとっても心地よい。
それは、まだ彼女の主やその友人達が持たない、成熟した空気だから。
「あの、シャマル先生」
「はい?」
「僕だけ名前で呼ぶのも変な感じですし、僕の事も兼一で結構ですから」
「ああ、そうですか? それなら遠慮なく、『兼一さん』と」
「ええ、それでお願いします」
二人は笑顔を浮かべ、中庭の見える窓から外の景色を見る。
兼一は心配の種が一応は無くなったことでリラックスし、シャマルもちょっとした休憩時間に身体を休めていた。
とそこへ、シャマルの方へ誰かが通って来て何事かを話しかける。
その人物の恰好はシャマル達の様な白衣ではなく、軍や警察の制服に似た印象があった。
だがその内容は、再び兼一には理解できない言語によって行われる。
【シャマル先生、部隊長がお呼びです。そちらの方もご一緒にと】
【ええ、分かりました。できるならもうちょっと落ち着いてからゆっくり事情を説明して、それからの方がいいと思ったんだけど……】
(また知らない言葉だ。なにを……話してるんだろう?
ここでは、日本語が標準じゃないのかな?)
形の良い指を細い顎に当て、思案するシャマルの様子を見ながら兼一は首をひねる。
シャマルが日本語を話したことでここが日本に違いないと確信していた兼一だが、その確信が揺らぐ。
まるで、彼女がたまたま日本語を話せているかのような気がしてならないのだ。
しかし、そうしている間にも二人の会話は続いていく。
【申し訳ありません。部隊長には、そうお伝えしましょうか?
シャマル先生の判断でしたら、部隊長も任せてくださると思いますけど】
【……………………………いえ、ナカジマ三佐もお忙しいでしょうし、あまりのんびりもしていられないでしょう? 道すがら説明することにしますね。三佐には、「少し遅くなります」と伝えてください】
【承知しました。では、自分はこれで!】
その人物はシャマルに向けて敬礼すると、そのまま何処かへと駆けて行く。
本来であれば足など使わずに通信でも使うところなのだが、すでに兼一のおおよその事情に察しがついているが故に、そう言った手段は控えるように厳命されているのだ。
彼の様な立場の人間が近くにいる時は、あまり刺激の強いものは使わない方がいいだろうという配慮である。
「あの、兼一さん。申し訳ないんですけど、こちらの代表の方がお会いしたいと仰っていまして、お付き合いくださいますか?」
「あ、はい、それはいいんですけど………さっきから使われてる言葉は、いったい?」
「やっぱり、そうなんですね。そのことも含めて、道すがら説明しますから、ついてきてください」
そうして、シャマルは再度兼一を先導しながら歩き出す。
その中で、兼一は思いもしなかった事態になっている事を知るのだった。
* * * * *
目的地への道程でシャマルから聞かされた話は、非常識な事には大概慣れたつもりだった兼一をして、混乱の崖から叩き落とすに足りるものだった。
それはそうだろう。何しろそれは、今まで見たことも聞いたこともない世界の話だったのだから。
とはいえ、混乱や驚愕することにかけては慣れっこの兼一だけに、割とリカバリーも早い。
何が言いたいかというと、「そういう事もあるだろう」と諦めてしまえるのだ。
「異世界……ですか?」
「はい、ここは第一管理世界ミッドチルダ、その首都クラナガンの西部近郊を管轄する陸士108部隊の敷地内にある病院なんです。警察病院、みたいなものですね
あなた達二人は、今朝ここからほど近い市街の道路で倒れているところを発見され、こちらに搬送されました。
その際、未知の病原菌などがないか検査し、その上で殺菌・消毒させてもらっています」
「もしかして、翔が受けていた検査が……」
「はい、それも含めて、ということになります。管理外世界には、こちらには存在しない菌やウイルスがいる場合があるので、バイオハザードを防ぐために必要だったものですから」
「あ、いえ。詳しいところは良く分かりませんけど、それは…別に……」
シャマルはできる限り丁寧に、なおかつ噛み砕いて兼一達の身に起こった事態を説明してくれる。
普通に考えれば眉唾なそれも、シャマルの真摯な態度と提示されたいくつかの証拠により、否定することはできなかった。何より「異世界」という言葉を持ち出せば、説明できることが多すぎる。
現代の地球の科学では不可能な筈の、SFとしか思えない空中に浮かぶモニター。どこかの小説の中にしか存在しない筈の、蒼天に浮かぶ二つの月。なにより、彼をしてありえないとしか思えない、もうほとんど消えてしまった銃創。
どれもこれも、地球以外の場所であることやその技術を用いているとなれば、説明はつく。
単に、「地球ではありえないから」というものに過ぎないが。
「でも、だとしたらなぜ、僕たちはこの世界に?」
「おそらく、これが原因です」
兼一の問いに対し、シャマルは白衣のポケットから小さな透明なビニール袋を取り出す。
その中に入っていたのは、砕け散った虹色の破片。
だがそれは、兼一にとってよく見慣れたものだった。
なぜならそれは、翔が片時も離すことなく持ち続けた、長老から与えられたお守りだから。
「それ、は……」
「これは、あなた方が発見された場所で回収した物です。おそらく、これが原因でしょう。
解析してみたところ、通称『虹の渡り橋』と呼ばれるロスト・ロギアであることが判明しましたから。
まあ、実際にはロスト・ロギアというほど大層なものではないんですけど……一応区分としてはそうなります」
「虹の、渡り橋? ロスト・ロギアって……」
「まず、ロスト・ロギアから説明しますね。
噛み砕いて言うと、滅んだ文明の遺産です。ただし、高度に発達し過ぎた、という注釈がつきますけど」
「発達し過ぎた…ですか?」
シャマルの言葉に、兼一としては首をひねるしかない。
別に高度に発達した技術を有した文明が滅ぶ事自体は何てことではない。
形ある物は崩れ、生ある者は死ぬ。それは文明とて例外ではない。
これは自然の摂理であり、どうやっても覆らない定律だ。
だがシャマルの言葉は、まるで発達し過ぎたが故に滅んだと受け取れる。
そして、それはそのものズバリだった。
「発達し過ぎた技術や文化は、時に人の手に余ってしまうんです。御しくれなくなる、と言ってもいいですね。
技術や文化を使うのではなく、使われてしまう。その結果歯止めが効かなくなり、後は…分かりますよね?」
それは、武術にも言える事。「何かの為の力」を求めた者が、いつしか「力の為」に動くようになる。
その先にあるのは修羅道。そして、果てにある物は「破滅」だ。
ブレーキの壊れた暴走列車の如く、いずれはレールを外れて奈落の底へ真っ逆さま。つまりはそういう事だろう。
「文明は滅んでも、その遺産は今も残っています。
滅んだ世界の遺産ですからね、危険な物も多いんです。それらを回収・管理、時に封印しているのが私たち『時空管理局』、ということになりますね」
「時空管理局?」
「言ってしまえば、警察みたいなものですよ。
いえ、兼一さんの感覚ですと、国連とその軍隊といった方がいいのかしら?
広い次元世界の治安を守り、各世界を崩壊させないように時に仲立ちになり、時に戦力を行使する。
そういう存在です。もちろんそれだけじゃないんですけど、細かく説明すると長くなりますから……」
それでも、なんとなくのところはわかる。
まさにシャマルの言った通り、国連とその軍隊。治安維持と各世界の存続の為に存在する組織。
本質はどうあれ、その建前と末端部分の人間はそういうことになっている。
もちろんきれいごとで済む事ばかりではあるまいが、それでもこうして曲がりなりにも世界を維持できている功績は評価に値するだろう。
世界を管理すると聞くと傲慢にも聞こえるが、その実態もなにも知らない兼一に口を挟めることではない。
ただ、そうなってくると一つ気になる事があった。
「ロスト・ロギアを回収するって言いましたよね。それって、危険な物は問答無用で?」
「……………難しいところですね。正当な所有者がいない物ならそれでいいんですけど、場所や相手によっては、それだと角が立つ場合があります。私たちから見れば危険極まりない物でも、その世界の人にとってはとても大事だったり、本当に必要な物だったりすることもありますから。
そういった場合には、引き渡しの交渉をして、ダメな場合にはこちらから局員を派遣して監視する、という形をとっています。基本的に、管理世界の間ではそういう条約が結ばれてますからね。
管理外世界の場合、持ち出せない時はやはり局員を派遣して監視、有事の際には動く事になります」
この方法の場合、どうしても手遅れになりかねないリスクが付きまとう。
しかし、曲がりなりにも世界の管理を謳うのなら、あまり強硬な手段に出てばかりはいられない。
それでは、各世界からの支持を失ってしまうからだ。
それでは本当に一大事の時に、各世界と連携して共同で事態に当たる事が出来ない。
多少のリスクには目をつぶっても、各世界が協調するための触媒としての地位は保たねばならないのだから。
「管理外世界、というのは?」
「その名の通り、管理局の管理を受けていない世界です。もうちょっと詳しくするなら、ロスト・ロギアの扱いをはじめとしたその他諸々の条約に批准していない世界、ということになりますね。
まあ、国連に加盟している国とそうでない国、くらいの感覚でいいですよ」
「僕のいた世界は、当然……」
「管理外世界です。今のところ、地球はまだこちらの世界の技術水準に追いついてませんから、『条約に批准するも何もない』というのが実情ですけどね。
こちらから技術提供することもできますが、それは地球の文化や文明を悪戯に乱すだけ。それでは地球が地球である個性が失われてしまいます。なにより、管理局の存在を世界レベルで突然知れば、混乱は必至です。
そんな事になれば、最悪地球内部で第三次世界大戦が起こりかねませんよ」
「そう、ですよね。急な変化は、きっと受け入れられないでしょうから」
「はい。管理局もそのあたりは慎重でして、こちらの存在に気付く事が出来たら存在を明かす、というスタンスでいます。条約の批准とかそういう難しい話は、すべてその後にくる問題ですよ」
もしかしたら、過去にそう言った事があり、その手痛い教訓があってそのスタンスをとっているのかもしれない。
ただ兼一としては、シャマルの言う様に悪戯に地球の文化が乱されないのなら、管理外世界という扱いでいいと思う。彼もまた、「武術」という文化を現代に残す、ある種の伝統技能の継承者なのだから。
いや、いっそ「文化人」と言ってしまってもいいかもしれない。こと、武術という文化において彼ほどの人物はそういないのだ。何しろ文化人とは「文化的教養を身に付けた者」を指す。
武術もまた一つの文化。なら、言いすぎという事もあるまい。
かつて、鎖国していた日本が開国した折、西洋の文化が一気に流れ込みそれに染め上げられたように、管理世界の技術や文化に染め上げられ、彼の愛する武術が霞んで行くのは忍びなかった。
新しい物を取り入れ進歩するのはいい事だが、古き良き物を残すのも、その世界に生を受けた者の務めだから。
ならばゆっくりと、身の丈に合った速度で追い付き、いずれ管理世界と呼ばれる世界達と肩を並べればいい。
技術や文明のレベルでは劣っても、地球には地球にしかない素晴らしい文化があるのだから。
(第一、無理に管理局の一員にならなきゃならない理由も、特に思いつかないしね)
「また、管理世界と管理外世界を分ける顕著な特徴として、魔法の存在があります」
「魔法、ですか。SFなんだかファンタジーなんだか、よくわからない世界観ですね。
あ、もしかして僕の腕の具合がいいのって、そのおかげですか?」
「はい、まぁ…………………………あの、さっきから思ってたんですけど、兼一さん、あまり驚かないんですね。
普通、こういう話をされたら驚くか疑うかしませんか? 管理局でも、兼一さんみたいな人に対してどうやって信じてもらえるかを、マニュアルで懇切丁寧に指導してるんですよ」
「えっと、こういう時はとりあえず『聞くだけ聞いてから』ということにしてるんです。
別に、命にかかわる危険な所に放り込まれるわけじゃありませんしね」
「は、はぁ……」
兼一の言葉に、シャマルは若干呆れ気味だ。
だが、別に魔法が存在するからといって今すぐ命の危機があるわけではない。
若い時分、連日の様に命を狙われ、当たり前のように命懸けの修業をしていた彼からすれば、「命懸けの状況に放り込まれない」だけ気楽なものだ。
『魔法が存在します』と『命を狙われています』であれば、当然後者の方が受ける衝撃と問題は大きい。
何しろ、常識の崩壊と命の危機、どちらが深刻かと問われれば後者だからだ。
生きてこそ常識も意味がある。しょっちゅう命の危機だった兼一にとって、今更多少の常識の崩壊などたいした問題ではない。
(だって、僕の常識なんてもうとっくの昔に散々壊された後だしねぇ……)
どこかうつろな目で、兼一は内心でそう呟く。
実際、一般人でしかなかった彼の常識は、武術の世界にどっぷりつかったことで崩壊済み。
一度壊れた物がもう一度壊されても、一度目ほどの衝撃はない。
単に、それだけの話である。
「と、とりあえず、これがこちらの世界の大雑把な概要です」
「シャマル先生以外の人の言葉は全く聞き覚えがなかったんですけど、やっと合点が行きました。
あれ? でも、なんでシャマル先生は日本語を?」
「あ、私以前地球…というか日本で暮らしてたんですよ。その際に読み書き会話は一通り。
兼一さんの荷物から多分日本人だろうなぁと思ってそう報告したので、とりあえず私が担当に」
「そうだったんですか。とすると、運が良かったんですね、僕たち。異世界に飛ばされて、そこでこっちの事を知っている人に出会えたんですから。でも、どうして日本に?」
「色々と、ありまして……」
兼一の問いに、シャマルはただ困った笑みを浮かべるだけだ。
彼女とその家族、そして主の事情を説明するとなると少々面倒と言わざるを得ない。
兼一としても無理に聞きだす気はないし、そんなリアクションを取られては聞きづらい。
何より「また僕余計なこと聞いちゃった!?」と、自分の悪癖を後悔している真っ最中だったりする。
「話を戻しますけど、兼一さん達をこちらに飛ばした『虹の渡り橋』ですが、アレはこちらの世界で古代ベルカと呼ばれる時代に、権力者の避難用に造られた道具なんです。虹は唐突に現れて、唐突に消えて、またどこかに現れる。その虹同士を繋げて人を送り届ける橋だから『虹の渡り橋』と呼ばれています。
発動条件は単純、持ち主の危機。これに呼応して設定された土地の中からランダムに選択して瞬間移動する、というものです。どれだけ消耗していても発動するように、アレ自体に魔力をため込む機能があるんですよ。まあ、一回使ったらそれっきりの、使い捨てですけど」
「そう、なんですか……あれ? なら、なんで一応、なんですか?」
「危険性は皆無、技術的にも再現は不可能ではないので、ロスト・ロギアと呼ぶほどの物じゃないんですよ。ただ、造られた時代とその背景から、一応はそういう扱いになる、というだけですね」
(でも、なんでそんな物を長老は持ってたんだろう? 相変わらず……………謎な人だ)
由来を話したがらなかったのは、その本当の由来を知っていたからか。
それとも、本当に由来を知らなかったからなのか。それすら判然としない。
シャマルにも「それをどこで?」と聞かれたが、兼一としては正直に「親戚から御守りとしてもらいました」としか答えられなかった。
そうしているうちに、兼一とシャマルは目的地に着く。
機能性を優先した扉には『部隊長室』という札が掛かっているが、生憎兼一には読めない。
「えっと、ここですか?」
「はい、ここです。あまり緊張しなくていいですよ、ナカジマ三等陸佐は気さくな方ですから」
「そ、そうですか。
ん? ナカジマって、もしかして……」
「ええ、ナカジマ三佐のご先祖様は地球出身らしいんですよ。
でも、だいぶ昔のことらしくて、あの人も日本語は話せませんね」
「それなら、言葉はどうしましょう? シャマル先生が通訳を?」
「まぁ、似たようなものですね。魔法の中には思念通話、あるいは念話と呼ばれる意思疎通の魔法があります。
これは本来魔力の無い相手には使えないんですけど……」
「もしかして、僕って魔力があるんですか? 魔法の才能があったりするんですか!?」
シャマルの言葉に、ちょいとばかり心が揺さぶられる兼一。
こと、際立った才能はおろかそこそこの才能すらない彼にとって、少なからぬ興味をひかれる話である。
武術に関する才能は全くなかったが、「もしかしたら魔法の才能が少しはあるのかな」と思えば、心が動くというもの。
だがまぁ、現実はそんなに甘くないわけで……。
「えっとあの、才能以前、と言いましょうか……」
「へ? ………すみません、いっそのこときっぱり言ってもらった方が傷は浅く済むと思うんで、お願いします」
「…………………分かりました。はっきり言ってしまうと、ないんですよ」
「魔力が、ですか?」
「というよりも、魔力の要であるリンカーコアが」
「…………………………」
「…………………………」
それはもう、魔力云々という事ではなく、そもそも魔力を操るための機能が“根本的”にないという事。
これは確かに、「才能以前」の問題である。アレだ、人間の武術を魚が憶えたいというようなものだ。
手も足もないのに、それ以前に陸に上がることさえできないのに、どうやって何を覚えろと? つまりは、そういう次元である。
「えっと、兼一さん?」
「いいんです、分かってましたから。ちょっと、身の程知らずな夢を見ただけですんで……」
「は、はぁ……」
(でも、さすがに………スタートラインにさえ立てないとは思わなかった……)
才能の無さは当の昔に諦めがついていたつもりだったが、さすがにこれはショックだった。
努力して覆そうにも、その努力さえできないのだから。
まあ、彼の人生はすでに武に捧げられているので、浮気をする気はなかったのだから、たした問題ではないだろう。
これはアレだ、単にちょっと魔が差したに過ぎない。
「でも、そうなるとやっぱりシャマル先生が通訳を?」
「えっとですね、先ほど言いかけたんですけど、念話や思念通話は本来魔力がなければ使えません。
ですが、そもそもリンカーコアの無い人でも魔力は多少なり帯びているんです。魔力素は大抵の場所に量はともかくありますからね。なら、それが身体の中に呼吸と一緒に摂取されるのは必然なんですよ。ただ、リンカーコアがないからそれらをため込むことも、任意に運用することもできないだけです。
魔導師の場合、その体内を駆け廻る魔力に意図的に干渉するように念話を使えば、リンカーコアを持たない人相手でも念話を送る事自体は可能となります。でも、結局使っている言語が違えば意思の疎通はできません。
それだと、私か他の日本語の分かる人がいないと会話もままならないでしょう?
それじゃ不便じゃないですか。ですが、このデバイス…えっと、機械を使っていただけば、そこまで不自由はしない筈です」
「えっと、難しい事は良くわかりませんが…つまりこれは、僕にも使えるんですね?」
「むしろ、兼一さんにしか使えませんね。あなた用に調整してあるので、他の人だとうまく機能しないんですよ」
そう言って、シャマルが差し出したのは、補聴器に似た機械。
補聴器よりはやや大きいが、概ねそんな感じの形状をしている。
それを受け取った兼一だが、使い方はさっぱりなので首を傾げるよりほかない。
そんな彼に対し、シャマルは丁寧に説明していく。
「形状からもわかる通り、これは耳に付けて使うものです。
それ自体にある程度魔力を充填する機能がありまして、あなたの代わりに念話を行う触媒になるわけですね」
「機械に、出来るんですか?」
「デバイスといって、魔法の補助などをする道具があるんですよ。まあ、実際にはデバイスというと機械類全般をこちらでは指すんですけど……とにかくデバイスでも念話は可能です、魔力がありますからね。
そして、重要なのはここからです。今話した摂取され全身を駆け廻る魔力は、脳に到達するとその影響を受けます。この機械には、その魔力からそこに介在する思念を読み取る機能があるんです。まあ、脳波を読んでいるのと大差ありませんね。脳内の生体電流を読むより確実なんで、この方式が取られているわけですけど」
「は、はぁ……なんというか、すごいんですね」
「限度はありますけどね。そもそも念話自体が、応用することで自分の思考を言語に変換する前に直接相手とやりとりすることが出来るんです。やってる事はそれと同じなんですよ。
まあ、読み取ると言っても、言語化するくらいに表面に現れた思念でないと読み込めないので、読心なんて真似もできません。近くにいる人の体内を駆け廻る魔力から相手の大雑把な思考の方向性を読み取り、それをそのまま装着者に送り込むんです。自分の思念を送る場合ですと、さっき話した魔導士がリンカーコアを持たない人に念話を送るのと同じ原理ですね」
これは、地球にもいるHGSと呼ばれる人物たちに見られる能力の一つ、「テレパス」でも行う事ができる。
こちらの場合はある程度のレベルが必要だが、これが使えると相手が言葉の通じない動物とでも意思の疎通が可能となるらしい。兼一も一応は裏の世界にかかわる者。そう言った情報は少なからず耳にしていたので、割とすんなりと納得することができた。
「ただ技術的な問題から、よほど近くにいる人としか会話できませんし、特殊な設備なしだと電話越しとかでは使えなかったりするので、色々不便なところは多いんですけど……」
とはいえ、兼一達の様に何らかの事故でこちら側に来てしまった言葉の通じない人間に対し、この機械は重宝されている。
シャマルがいた分、今回はまだマシな部類だが、もしまったくその言語を知られていない世界の住人だと、事情を説明するだけで難儀する。そう言った場合において、この道具は非常に重要な役割を果たすのだ。
まあ、「大雑把な思念を読み取る」という性質上、やはり実際の口頭での会話に比べれば何かと至らない部分も多いのだが……それでもないよりはましである。
いや、これでは文字が読めないし、やはり不便な事はまだまだ多いが……会話をする分には問題ない。
管理局的には、長居するのならこれを使いながらこちらの言語を覚えてもらえるとありがたい、といったところだろうか。
「はぁ~、便利なものがあるんですねぇ……」
「そうですね、昔は色々苦労したそうですけど、最近はホントに便利になったと昔を知る人は言ってましたよ」
たとえば、ここの部隊長を務めるオッサンとか、あるいは彼女の主の親友の親とかその友人である。
まあ、下手なことを言うと某眼鏡の提督が般若になるので、『昔』とかは絶対に本人の前ではいえないのだが。
十代後半の子どもを持つ身としては、そろそろ自分の年齢が気になるお年頃なのである。
具体的には皺とか肌の張りとかその辺が……アンチエイジングは大切ですというお話。
「えっと、こうでいいんですか?」
「はい。ここが電源になっているので、これでスイッチが入ります。それでは、行きましょうか」
そうして、シャマルは部隊長室の扉をノックする。
すると、中からは無意味なまでに気風の良い声で「入んな」と促された。
扉越しの為か、あるいは距離的な問題か、機械は機能しておらず、兼一には何を言っているかはわからない。
ただ、声の質と調子から「江戸っ子っぽい」という印象を受ける。
とはいえ、相手は一部隊の長。
兼一としては助けてもらった恩もあるだけに、失礼のない様にと考えるとどうしても緊張してしまう。
どれだけ強くなったところで、結局彼の小市民的気質はあまり変わらないのである。
そして、シャマルに促されるまま兼一は部隊長室に足を踏み入れた。
しかし、一歩踏み入れて見た光景は、ちょっとばかし兼一の予想を外れていたが……。
「おう、来たか。そんなところで固くなってねぇで、こっち来てすわんな」
「は、はぁ……」
「言ったでしょ、気さくな人だって」
一部隊の部隊長となると、それなりに偉そうだったりなんだったりしそうなものだ。
鋭利な雰囲気だったり、重厚な存在感だったり、形は違えどもそんな物があると思っていた。
だが、兼一の視線の先にいるゲンヤにそんな雰囲気はない。
いい意味で、本当にどこにでもいるオジサンの様な印象が強い。
しかし、その飾らない自然体な様子からかもし出る雰囲気には、どこか隙がない。
よい年の取り方をしたのだろう。
積み上げた経験が、経て来た年月が、人間的な深さと厚みとなって彼を支えている。
兼一とシャマルはゲンヤの言葉に従い、彼の向かいのソファに腰掛けた。
兼一は普段のくせから深く腰掛ける事はせず、いつでも動ける程度に軽く腰掛ける。
ただし、ゲンヤは思いきり深く身体をソファに預けているが……この部屋の主としては当然だろう。
「さて、とりあえずは自己紹介と行くか。俺がこの部隊の部隊長、ゲンヤ・ナカジマだ」
「あの、白浜兼一です。この度は助けていただいて、本当にありがとうございます」
「なに、気にすんな。ああして見つけたのも何かの縁ってもんだ。
それに、あんな必死なツラしてる奴を見捨てたとあっちゃあ、そいつはもう人間とは呼べねぇよ」
「シャマル先生。もしかして、僕達を見つけてくれたのは……」
「ええ、ナカジマ三佐ですよ」
(そうだ、どこかで見た顔だと思ったら、あの時の……)
夢のようにぼんやりとした記憶だが、兼一には確かにゲンヤの顔に見覚えがあった。
それはゲンヤに発見された時、必死に何かを訴えかけていた時の記憶。
あの時の事はあまり鮮明に覚えていないが、それでも自分に向けて真摯に何かを語りかけてくれるゲンヤの表情を、兼一は僅かなりともおぼえていた。
「しかし、あの坊主もお前さんも、怪我が酷くなくて何よりだ。
お前さん達にとってはいきなりわけのわからん場所に放り込まれたことになるわけだが、それだけでも不幸中の幸いだな」
「それを言ったら、あなたに見つけていただいた事こそが幸いですよ。
あなたのおかげで、翔にあれだけちゃんとした検査をしていただけたんですから」
「だから気にすんなっての。
こちとらこれが仕事だ、こっちの市民じゃねぇとはいえ、民間人を守るのが俺らの仕事なんだからよ」
(もしかして、照れてる?)
兼一がそう思ったのも無理はない。
兼一が深々と頭を下げると、ゲンヤは顔を僅かに赤くしながらそっぽを向いて頬をかいている。
その所作は、兼一の師匠が照れた時のそれに非常によく似ていた。
「で、お前さんの事を聞かせてもらえるか?
こっちに来る前に何があったのか、お前さんの職業、その他諸々な。
仕事だからよ、一応お前さんがどんな人間か知っておかなきゃならん。
もちろん、黙秘権はあるから言いたくない事は黙ってくれていい。ただ、少しでも恩を感じてくれてるんなら、虚偽はやめてもらいたいがな」
「そんな事をするつもりはありません。恩を仇で返したとなれば、あの子にあわせる顔がありませんから」
「ほぉ、よほどあの坊主が大事みてぇだな」
「ええ、大切な……………………一人息子ですから。あの子が誇れるような、そんな親でありたいんですよ。
下らない、見栄だとしても。それでも僕は、あの子の範でありたいんです」
「………………………………………ちょっと待て。いま息子って言ったか?」
「ええ、言いましたけど?」
「えっと兼一さん、翔君はあなたのお子さん……なんですか?」
「はい。正真正銘、翔は僕の息子です。それがどうしかしましたか?」
「…………………………………なぁにぃ――――――――――――――――――――――――――!?」
「………………………………ウソォ―――――――――――――――――――――――!?」
「うわ!? ど、どうしたんですか二人とも!?」
まあ、無理もあるまい。兼一の外見年齢は二十歳前後。翔は4・5歳。
外見から判断するに、兼一が10代半ばの頃の子どもと映る。
それはいくら就業年齢の低いミッドとはいえ、まずない事態である。
実際、シャマルの主などあと2年で成人を迎えるというのに浮いた話一つない。
いや、それは彼女の親友たちも同じなのだが……。
そこで、いち早く衝撃から復帰したゲンヤがいぶかしむように尋ねる。
「おめぇ、いくつだ?」
「え? 28ですけど?」
「その外見でか?」
「まあ、母は童顔でしたから……」
それにしても、10近く若く見られる事はそうない。
兼一の童顔がどれほどの物か、お分かりいただけるだろう。
とはいえ、それならより一層ゲンヤは兼一がアレほど翔のことに必死だった理由が理解出来た。
兄弟の繋がりは確かに強い。しかし、それ以上に親が子を思う気持ちは強いのだ。
ゲンヤもまた父として、その事をよく理解していた。
「……………なるほどな、身を呈してガキを守る。確かに親としちゃあ当然だ」
「ゲンヤさんも、お子さんが?」
「ああ、娘が二人な。男手ひとつで育てちまったせいか、二人揃って管理局の魔導師だ。
一人は捜査官、もう一人は災害救助。世間的にはご立派なんだろうが、俺としちゃあ、もう少し穏やかな生き方をしてほしかったんだがなぁ……」
「ああ、分かります。親としては、子どもには平穏に生きてほしいですよねぇ」
「分かるか? ほんとによぉ、こっちの気も知らねぇであいつらときたら……」
「親の心子知らず、とはよく言ったものですよね。まあ、今思えば僕も何かと心配をかけたんでしょうけど」
「はは、ちげぇねぇや! そうやって、親の苦労は引き継がれていくってわけだな」
(ああ、本当に父親なのね、兼一さん)
ゲンヤと兼一の父親談議を傍から見て、その噛み合いっぷりに納得するシャマル。
確かにこれは、父として子を思う者同士でないと成立しにくいだろう。
そのまま二人が父親談議を続けて行くと…………というか、父親として先輩のゲンヤの愚痴に兼一が頷き、あるいは父としての心得や苦労などを忠告して兼一が参考にするといったやり取りが続くこと十数分。
本来は多忙である筈の部隊長であるゲンヤに、早々時間があるわけもなく。
突如なった呼び出し音に続いて空中にモニターが開き、何事かのやり取りがなされた。
相手がモニターであったため、兼一にはゲンヤの言っていることしかわからなかった。だが、おおよその内容としては捜査に関して彼の指示を仰いでいた物と思われる。
そのやり取りが終わると、ゲンヤは居住いを正して兼一に向き合う。
「ったく、時間が経つのははぇえな。わりぃがこれから用事があってよ、手短に済まさせてもらう」
「ええ、こちらこそ長居してしまってすみません」
「客が気を使うもんじゃねぇよ、といいてぇところだが、今回は甘えさせてもらうわ。
とりあえず、当面の事だがお前さん達が元の世界に戻る事自体はそう難しくない。
手続きやなんやら含めて早くて一週間、長くても一週間半ってところか。もちろんその際には、こっちでの事を秘密にしてもらうって意味で守秘義務が課されることになるが、それは問題ねぇか?」
「はい。たぶん、話しても世間の方の人は信じてくれないでしょうしね」
「だな。それが普通の反応だろう。
で、地球は俺や八神んとこの例もある様に、割と管理局に関係者が多い。
移動自体は難しくねぇし、確かどっかの街に協力者もいた筈だよな?」
そう言って、シャマルに確認するようにゲンヤは問いかける。
その問いに対し、シャマルは彼女にとっても故郷に等しい地のことを思い出しながら答えた。
「はい、はやてちゃんのお友達が土地を提供してくれているので、転送用のポートもあります。
他の管理外世界へ行くより、よほど楽だと思いますよ」
「つーわけだ、早けりゃ一週間後には返してやれる。
お前さんもあの坊主も、向こうに残してきてる奴がいるだろ。カミさんとかよ」
「…………そう、ですね」
ゲンヤの言葉に、兼一は思わず返答に窮する。
ゲンヤに悪意がない事は明らかだが、兼一にとっては今でもその話題は心を苛む。
翔に母はいない、兼一に妻はいない。もう、ずいぶんと前に亡くなってしまったから。
誰かを恨むようなことではない、兼一は恨めるような気質でもない。
ただただ失ってしまった事を悲しみ、喪に服し、母のいない翔に寂しい思いをさせないようにする。
この四年間、兼一はそうしてきたのだから。
だが、同じ妻を亡くした者として、ゲンヤには兼一がなぜ一瞬詰まったのかが理解できた。
故に、彼は少々バツが悪そうにしながら話題を変えようとする。
「おめぇ、もしかして……………いや、忘れてくれ。変なこと言っちまったな」
「あ、いえ。お気になさらないでください」
「まあ、なんだ………子育てに関しちゃ俺は先輩って事になるからよ、話くらいなら聞いてやれる。カミさんの事も、な。似た者同士、今度酒でも飲みながら愚痴り合うのも悪くねぇさ。
幸いかどうかはしらねぇが、最低でも時間は一週間あるんだからよ」
「………………………………………はい。お付き合いさせていただきます」
「おう。俺んとこは二人とも娘でそれも未成年、二人とも妙なところで堅いと来た。
ったく、俺があいつら位の頃は酒なんてジュース感覚だったってのによ。
部隊の連中とかだと上下関係だとか色々ありやがるし、他の部隊だとそれはそれでな。
ちょうど、気兼ねなく飲める奴が欲しかった所だ」
シャマルに二人の間で言葉にしない何があったのかさっぱりだが、二人には詳しく話す必要はなかった。
互いに大切な人を亡くし、それでもその人が残した大切な子どもの為に懸命に生きる者同士。
多くを語る必要など、元からなかったのかもしれない。
そうして、ゲンヤは今度こそ本題に入る。
「ただ、一つ問題があってな」
「地球に行くのに、そんなに問題はなかった筈じゃありませんでしたか?」
「いや、それがな。ついさっき入った情報なんだがよ、どうも向こうへの航路が荒れてるらしい」
「期間は、どれくらいですか?」
「観測班の話だと、ざっと見積もって一月から二月だとよ」
「そんなに規模は大きくないですね。ですけど、よりによってこのタイミングですか……」
「あの、いったい何の話なんですか?」
ゲンヤとシャマルの間では一定の理解があるようだが、兼一には事情が全く分からない。
航路だの荒れてるだの言われても、いったい何の話をしているのか皆目見当がつかないのだ。
無理もない。彼は次元間移動がどういうものなのか、まるで知識がないのだから。
「ああ、なんつーかだな……どう説明したらわかりやすいんだ?」
「そうですねぇ…………兼一さん、次元間移動するには大きく分けて二つの方法があるんです」
「二つ、ですか?」
「ええ。一つは魔導士が使う転移魔法での次元間転移、もう一つが『次元航行船』を用いての移動です。
一応優れた魔導師なら自分以外の人を連れて転移できますけど、やっぱりポピュラーなのは次元航行船を使う場合ですね。時間はかかりますが、断然安全ですから」
「さっき言っていたポートというのは?」
「こちらは次元間転移をする際の目印みたいなものですね。管理外世界には滅多に次元航行船がいきませんから、管理外世界に行くには転移魔法を使うのが主流なんですけど」
となれば、兼一達の出身地である「第97管理外世界」への移動手段も主に転移魔法を使うことになる。
実際、シャマルや彼女の関係者達が地球と管理局との間を移動する際、そのほとんどは転移魔法だ。
そうでないと、あまりに時間がかかり過ぎる。
次元航行船で移動するのは、提督として大勢の部下を抱えるクロノくらいのものだろう。
「ただ、この転移魔法はかなり繊細で、ちょっとした揺らぎがあってもかなり危険なんです」
「もしかして、その揺らぎが?」
「ああ、地球との間に発生してる真っ最中だ。
アレだな、大時化の海とか、大地震の最中の道路とか、噴火中の火山の上を飛ぶ空路とか、そんな感じだ」
「そ、それはまた危ない……」
さすがの達人とは言え、火山はヤバい。大時化の海や地震くらいなら気にしないかもしれないが、火山の噴火に巻き込まれれば命はない……………と思う。
なにぶん、魔導師とは違った意味で常識の通じない人種なので、断言は難しい。
だが、とりあえず危険な事は理解できたのだった。
「移動は、出来ないんですか?」
「優れた魔導師なら自分にシールドなりバリアなりはって無理矢理移動できますけど、他人にかけながらとなると…………かなり危険ですね」
「次元航行艦なら多少無理をすれば出来なくはねぇが、んなところに好き好んで突っ込む馬鹿はいねぇ。
海…次元航行部隊の船がそっちへ行くなら便乗できなくないが……」
「そっちの船は言ってしまえば戦艦ですからね。よほどのことがない限り民間人を乗せてくれませんよ。
機密とか色々ありますし、何よりそっちに行く船が今あるかどうか……」
「まあ、なんだ、おめぇさん達にはわりぃんだが、航路が落ち着くまで待ってもらうがの無難だろうな」
(……………………さすがに、無理は言えないよねぇ。ただでさえお世話になってるんだし)
さすがに、兼一としてもこれでは無理に「元の世界に帰せ」とは言えない。
ゲンヤもシャマルも、二人とも心底申し訳なさそうにしているのだ。
何より、翔の身の安全を考えるのならあまり危ない真似は出来ない。
「………………それなら、仕方ありませんね。大人しく待つことにします」
「わりぃな。その間お前さん達の面倒はうちでしっかり見るからよ、勘弁してくれ」
「いえ、そこまでお世話になるわけには!?」
「だけどよ、お前こっちの文字分からねぇだろ? 言葉だってそいつがねぇと通じねぇし」
「う”……」
「土地勘もねぇ、コネもねぇ、そいでもってこっちの常識もねぇと来た。どうするつもりだ?」
「ナカジマ三佐、あまり虐めちゃ可哀そうですよ」
「っと、そう言うつもりじゃなかったんだが……要はだ、こっちとしてもお前さん達を路頭に迷わせるわけにはいかねぇんだ。ここは大人しく、こっちに保護されてくれ。ついでに、こっちの観光でもしてけってこった」
実際、ゲンヤの言う通りだろう。
帰るまでの間自分たちの面倒くらい自分で見たいのが兼一の本音だが、それすらままならないのが現実。
彼が今いる場所は、まさしくそういうところなのだから。
兼一一人なら山に籠るなりなんなりできるが、それに翔を突き合わせるわけにはいかない。
というか、この世界の食糧すら知らないのだから、彼でも山籠りができるかどうか……。
「それでしたら、こちらで雇っていただけませんか?
体力には自信がありますし、雑務とか用務とかの身体を使った仕事なら少しはお役にたてると思います。
僕の世界では『働かざる者食うべからず』という言葉もありますし、ただお世話になるだけというわけにはいきません」
「だがよ……」
兼一の申し出は正直言ってゲンヤとしても有り難い。
管理局は万年人手不足。それは陸士部隊も同じこと。
はっきり言って、事務仕事だってばかにならないほどの量が溜まっている。
雑務や用務に回す人出を少しでも削減できるなら、それに越したことはないのだ。
「…………お前さんはどう思う?」
「そうですね、傷の方はもうほとんど大丈夫ですし、特に問題はないと思いますよ」
「…………ちっ、わぁったよ。しゃーねーな、そういう事なら存分にこき使ってやるから、覚悟しとけよ」
「はい!」
一度はシャマルに兼一の状態を尋ねたゲンヤだが、彼女から返ってきたのは事実上のGoサイン。
こうなってしまっては、ゲンヤとしても拒む理由が見当たらない。
「あ、ちなみに住むところは俺の家だからな。
どの道お前さん達には身元引受人が必要だし、拾ったのも何かの縁だろう」
「えっと、同じ所に住まなきゃダメなんですか? 正直、そこまでお世話になるのは心苦しいというか……」
「身元引受人の眼の届くところに置くのが原則だ、諦めな」
「………はい。でも、娘さんがいるんでしょ?」
「下の方は家を出て隊の寮暮らしだがな。つーか、既婚者のくせに手ぇ出す気か?」
ゲンヤの問いに、兼一は全身全霊で首を横に振る。
美羽が死んで四年経つが、今のところ彼に再婚とかそういう意思はない。
翔の為にはその可能性も考慮した方がいいのかもしれないとは思うのだが、どうにもふんぎりがつかないのだ。
それが美羽への裏切りになるのではないかという思いもあるが、何より彼の眼はいまだに美羽以外の女性には向けられないから。
「それなら問題ねぇだろ。俺としても家に野郎がいた方が落ち着くってなもんだ」
こうして、兼一はしばらくの間陸士108部隊の臨時用務員兼ナカジマ家の居候となるのだった。
これからのおよそ一ヶ月から二ヶ月の間に起こる出来事が、彼の人生を大きく変えることになることを、まだ誰も知らない。
あとがき
とりあえず、第一種接近遭遇はこれにておしまいです。
この話からもわかる通り、当面はSts本編には絡みません。
しばらくの間はゲンヤの下で、不慣れな管理世界の日常に生きることになるのです。
当然、バトルの類も当分先になりますね。
ちなみに、まだ六課はまだ設立すらされてません。
ざっと、半年から一年ほど先の話ですね。その間に何があるのかは、追々という事で。
シャマルがなぜいたのかは、まあ彼女がその頃たまたま108の連中に研修をしに来ていたというだけです。
受けに来たのではなく、彼女が教える側ですけどね。
当然、研修が終わったらさっさと元いた場所に帰ります。なので、兼一との付き合いはそれほど深くはなりません、今はまだ。
まあ、一応兼一の身体を検査したからには、彼の肉体の異常性をシャマルとゲンヤも知ったことでしょうけど。
それと、普通に考えていきなりミッドに飛ばされたら言葉なんて通じませんよね。
一応、DofDでの兼一の様子を見るに、なんか言葉の壁を超越してしまっている姿がありましたが、さすがにアレ(魂語?)だけだと細やかな意思の疎通は難しいでしょう。アレでまっとうなコミュニケーションが取れるのは、SEENA嬢くらいなものですって。
そこで、私なりに突如飛ばされてきた人と意思疎通を図る方法を考えてみました。
そもそも、ああいう次元世界の迷子がそこそこいるなら、それに対する対策も考えておかなきゃならないわけですからね。
まあ、アレ自体はとらハをやっていたら、テレパシーのあんな使い方が出てきたので、これをなんとか応用できないかと思ってでっち上げた次第です。ほとんど独自解釈と独自設定ですけどね。
ただ、魔力素は空気中にある程度あるものらしいので、呼吸してれば多少は入ってくるでしょう。それに魔導師でない人の思念も僅かに乗っかり、それを拾い上げて増幅するのがあの機械の機能です。その増幅した思念を、装着者や近くいる人に電波みたく送信するわけですね。
とはいえ、範囲が狭いので使い勝手は悪いし、電話などの通信だと拾えないので使えませんし、大雑把な思念しか拾えないので口頭で話した方がずっと効率的なんですけど………それができない人がいるから、ああいう物が必要なわけです。
最後に、感想板の方で「達人級なら防御魔法を打ち抜く事も、バインドを力づくで破壊することも難しくないだろうし、兼一の耐久力なら生半可な魔法には耐えきれる」といった様な趣旨の書き込みがありました。
ですが、実際のところ各防御魔法やバインドの強度と達人の攻撃力がどの程度なのかが分からないことには、明言することは誰にもできないでしょう。同様に、非殺傷設定の魔法攻撃を受けた場合、魔力値にダメージを受けるそうで、魔力が枯渇すると意識を失うこともあるとの事です。なので、肉体的な頑健さがどの程度魔力ダメージに対する耐久力に影響するかにもよるでしょうが、魔力の枯渇による気絶は充分あり得る事態の筈です。非殺傷設定を使わなかったとしても、Stsでなのはの砲撃には空港とかゆりかごで「壁抜き」ができるだけの威力がありました。達人でも銃弾を受ければ傷は負うようなので、こんな物を受ければ充分危険でしょう。
以上の事柄は、先の感想に対する別の視点からの可能性の提示にすぎません。ですが、実際のところなんて、原作者さん同士に話し合ってもらわない限りはわからないんですから、我々が何を言っても結論は出ないでしょう。結局は「こうかもしれない」という想像でしかないわけですし、それは人によって違うのであり、書き手の解釈次第で扱いは変わるものです。極端な話、達人が魔導師を蹂躙しても、逆に魔導士が達人を蹂躙してもいいわけですからね。なぜならそれは「絶対にあり得ないとは言い切れない可能性」があるからです。
皆さまがそれぞれに持つイメージや持論はおありでしょうが、この手の相対的な話は水掛け論にしかならない上に、そもそも誰にもはっきりした事はわからないんですから、以後控えていただけるとありがたいと思います。
この作品は、私一個人の独断と偏見によるイメージと解釈によって成り立っている事を、改めてご了承ください。