「疲れた……」
キャリーバッグを放りだし、僕はスーツ姿のままにベッドに体を突っ伏した。
父譲りの馬鹿でかい魔力を常時効率的に体に駆け巡らせているため、僕の身体能力は完全に見かけを裏切っている。
グリズリーと相撲だって取れるだろうし、その気になれば不眠不休で地球一周トライアスロンだって出来るに違いない。
それでも、体力的な疲労と、精神的な疲労はまた違うのだ。
ここは日本、埼玉県は川越市にあるとあるビジネスホテルの一室。
子供でもチェックイン出来る法的に大丈夫なのかそれと突っ込みたくなる怪しげなホテル、では無く魔法関係者が利用する一応全うなホテルである。
一般人から見たら、怪しげなのは変わりないけど。
それにしても。
「……こんなに遠かったんだ、日本って」
連合王国はウェールズから、僕の修行内容、日本で先生をやること、の赴任地である日本は埼玉川越にある麻帆良学園への道のりは、非常に長く険しかった。
ぶっちゃけ十歳にもなってないお子様が一人でたどり着ける距離じゃないと思う。
つーか、そもそも本来なら未成年が一人で渡航というのが法的にアウトなんだけれども。
修行はもう始まっているため、付き添いの大人も居ないし。
そこはまぁ魔法関係者専用の便を使うから大丈夫なんだけど、それにしてもとにかく遠すぎる。長すぎる。
最寄りの空港であるカーディフ国際空港は勿論日本への直通便なんて無いから、ロンドン・ヒースロー空港までバスやら電車を乗りついで行かなくてはならない。
これが中々に遠い。時間にして凡そ五時間程もかかった(迷った時間含む)。
僕の住んでいた場所が連合王国においてどれほどの田舎だったのかという事実を、その劣悪にすぎる交通の便で嫌というほどに思い知らされた訳だ。
でロンドンで一泊した後、ロンドン・ヒースロー空港から成田空港――新東京国際空港まで13時間くらい。
当然エコノミーで、前世現世を含めて始めて飛行機に乗った僕は、寝ていただけだって言うのに降りるとき体中が強張って身悶える羽目になった。
ネギ・スプリングフィールドはウェールズから外に出たことなんてないし、僕の前世だって海外旅行の経験なんて無かった。
一人旅ならなお更だ。
得がたい経験をしたとも思うけど、正直もう二度と経験したくはない。
というか、するつもりも無いけど。
楽だったのは成田から川越まで出ている直通のバスくらいである。
本当なら、転移魔法で一気に跳べれば良かったのだ。
ただ、習得が難しいその魔法を一応僕はメルディアナ在籍中に使えるようにはなったけれど、それでも行ったことも無い土地に跳べるほど熟達していないというか、そもそもこれだけの長距離転移ともなると何らかの徴が無ければ先ず跳べない。
「はぁ」
一度ため息を吐いてから、しぶしぶ立ち上がった。
本当に疲れていて、今すぐにでも眠りたい気分だったけど、そういうわけにもいかない。
やることはいっぱい、本当にいっぱいあるのだ。
僕はまだ理想にはまるで程遠く。一生涯かけてもたどり着けるかどうか判らない。
でも、またいつ十の中の一にさせられるか判らない以上、駆け足を止めることなんて出来るわけがないじゃないか。
季節はもう晩夏、にも関わらず外はまだまだ暑かった。
それも、不快感を伴う蒸し暑さだ。
ジーワジーワと懐かしい蝉の声、じりじりと照りつける太陽に熱せられて、アスファルトが靴越しにさえ感じられるほどの熱を放っている。
もっとも、風の魔法を得手とする僕にとっては上下のスーツをしっかり着込んだところで、冷房の利いた部屋よりも快適に過ごすことが出来るのだけれども。
平日の昼間。
外回りの営業だろうか。僕と同じスーツ姿の大人たちが汗だくになっているのを尻目に、僕は一人涼しげな顔をして駅への道を歩く。
川越駅より直通の埼京線麻帆良学園中央駅行きに乗ってしばし、心中を期待と不安を入り混じらせながら空いている車両の端の座席に腰掛けて外を眺めていた僕は、丁度麻帆良学園外縁部を通り過ぎたあたりで微かな違和を感じとった。
「……すごい」
思わず、呟く。
僕のような生まれつき保有魔力が莫大な魔法使いっていうのは、総じて周囲の魔法環境に鈍感な傾向がある。
が、それはとても危険なことだ。
本人に対してなら気づけても、周囲の空間にかけられた魔法に気づけないのは致命的な弱点になりうる。
いや、魔法使いとしては、はっきりと欠陥とすら言える。
故に、それに関して僕は十分に心を砕いて鍛えてきた。
元々繊細な魔力の扱いに関してはもっともアーニャに差をつけてきた僕だ。
ある種の、非常に力が弱い故に周囲の魔法環境によって左右されやすい精霊などを用いた訓練の結果、その手の認識能力に関しても僕は十分に敏感になっている。
ただ、それでもほんの僅かの違和しか感じ取れなかった。
気づけたから、この麻帆良学園全体にかけられた複数の効果をもたらす結界と、そしてそれに込められた僕の潜在魔力すら楽々と凌駕する異常な程の魔力を感じ取れることが出来たが、……はたして、気づけずにこの学園内に入ってしまった場合、その後、もう一度気づける機会は訪れるのだろうか。
「ここが、旧世界における魔法使いたちの聖地、関東魔法教会総本山、麻帆良学園……」
震える。
正直に言おう。舐めていた。
ここが『魔法先生ネギま!』の世界であると分かっていなければ、そして、マギステル・マギを目指すにあたって今大人たちに反発するのがいい結果をもたらさないと判断していなければ、恐らく僕は僕に与えられた修行に絶対に反発していただろう。
修行内容が無為であるとは勿論思っていない。
前世でさえ所詮子供だった僕には理解できないだけで、ちゃんとこれは僕がマギステル・マギになるために必要な修行だと。
少なくとも僕の浅はかな考えよりも大人達の考えの方が優れている筈だと。
頭では理解している。
それでも、平均的な魔法使いを既に凌駕している僕の魔法の実力のことを、周囲の大人たちは正しく理解していないのではないか?
そういう不審があったことは否定できない。
全く以って、お門違いな憤りだった。
認識阻害、感知、防衛、あとこれは……、は? え、魔力封じ? 封印? 誰に、何に対して?
いくつか意図不明なものもあったが、ざっと精査しただけでも、これだけの、そして非常に精度の高い効果が込められている。
というか、広大な学園都市全体を覆っているというだけで既に尋常ではないのだが。
おまけに、この結界を支えている魔力はただの魔力ではない。
おそらくだが、旧世界で研究が進められているという、既存エネルギーの魔力転換が用いられているのだろう。
決してメルディアナ魔法学院なんていう田舎の学校ではお目にかかれない、最先端の魔法技術。
なるほど、マギステル・マギになるための修行の場として、ここほど恵まれた場所は無い。
アーニャが少し可愛そうになるくらいだ。
車両内は空いているが、全く人が居ないわけでは無い。
他にも数人が乗っていて、各々が思い思いの座席に座ったり、後は物好きにも立っている者もいた。
その中で、真正面に座っているおばさんが僕を訝しげに眺めているのに気づく。
どうしたのだろうか、そう思い、そこでようやく自分が傍目にも分かるほどびっしょりと汗をかき、カタカタと震えていることを自覚した。
「――は、ふ、っはぁ、はぁ……」
きっと、顔も真っ青だ。
震える手を握りしめて俯き、これも知らぬうちに乱れていた呼吸を、どうにか整える。
「ははは……」
笑いが零れた。
喜びと、そして、それ以上の恐ろしさから。
おそらく、気づけなかったら呑まれていた。
学園に張られている結界の中でも、もっとも恐ろしいのは認識阻害――いや、これは最早認識誘導と言っても良い――だ。
こんなものにもし呑まれていたとしたならば。
間違いなく、僕のマギステル・マギになるための修行にとても無視できない影響を残すことになっていただろう。
これくらい、気づけて当然とでも言いたいのか。
気づかずに認識阻害に呑まれていたら、その“程度”に合わせた修行になっていたということか。
本当に、過小評価されているなどとんでもない勘違いだった。
間違いない。
先方は、サウザンド・マスターの息子でありメルディアナ魔法学院主席卒業者を、ネギ・スプリングフィールドをこれ以上無く“買っている”。
それも。もしかしたら、僕以上に。
『次はー終点、麻帆良学園中央駅ー。お忘れ物にご注意ください。次はー――』
目的地への到着を告げるアナウンスを聞きながら。
それでも僕は、俯いたまま、しばらく立ち上がれなかった。
「……ふぅ」
ため息を一つ。自分の情けなさに対して。
中々電車から降りることも出来ずに、その上、胸ポケットに入れているお守りをいつの間にかスーツの上から押さえつけていたことが、悔しくてたまらない。
アーニャも今頃、僕と同じような気持ちで修行を始めているのだろうか。
「っち」
舌打ちを一つ。自分の情けなさに対して。
そして、これで自虐は終わりだ。
立ち止まる暇の無い僕にとって、過度の自省なんて矯枉過直に他ならない。
上等じゃないか。
“子供として扱われない”。僕もアーニャも、学院に居たころはずっとそれを望んでいたのだから。
パン、と両頬を一打ち。
意識を切り替えた僕は駅員に話しかけられる前に急いで電車から降りて、そのまま改札を抜ける。
目的地は麻帆良学園本校女子中等学校。
目的は先方への挨拶と、後は地理の確認。正直赴任前に一度くらいは、なんて軽い気持ちが殆どだったんだけど。
まさか目的地に着く前からあんな先制パンチを食らうとは。
赴任初日の上ずり緊張した心境で、そして平日の朝はほぼ満員になるという状況の電車の中で、果たして僕はあれを切り抜けることが出来ただろうか。
やはり行動こそがもっとも重要ということなのだろう。
特に僕みたいな世間知らずには、ね。
そんなことを考えながら道を歩く。
麻帆良の造りは、欧風だった。
それも日本独特の、悪く言えば雑多な印象をあまり受けない、上品な造り。
欧州全土のごちゃ混ぜな感じは確かに日本らしいとはいえ、それでも忠実に再現されているのだろう。
もっとも、ウェールズを出たことが無い僕の知識はまほネットが頼りの耳学問、そこまでえらそうなことも言えないのだけれど。
人通りは少なかった。
というか、皆無だ。まぁ当たり前である。
いくら終盤とはいえ、今日はまだ夏休み中なのだ。
おまけに、新学期が始まるのは週明けの月曜日。
実家に帰っている者たちなら、戻って来る日は明日か明後日を選ぶだろうし、実家に帰らないものだってこんな蒸し暑い昼日中に好んで出歩こうとは思わないに決まってる。
まぁ、むしろそうでなくては困るのだが。
そもそも下手に迷子か何かと間違われるのを避けたいからこそ、明日明後日よりも今日がいいだろうと思って無理をしたのだから。
なのに。
「居たよ。物好きが」
そろそろ本校中等学校校舎が見えてもおかしくないあたり、正面から女の子が一人歩いて来るのが見えて、呆れたように、そして若干の苛立ちも含めて呟く。
下手にお節介をかけられる前に逃げたほうが良いな。
そんな考えを頭に浮かべながら。
僕はまじまじとその子を観察していた。
だって、この先には中等部の校舎しかないというのに、その女の子は明らかに中学生には見えない。
何せ、だいたいアーニャと同じくらい、つまり僕とも同じくらいの背格好である。
制服の上からでも分かるほどの痩せぎすで、……あれじゃ下手するとアーニャどころか僕よりも幼いんじゃないか?
仮に、頑張って上に見積もったとしても、間違いなく小学校を出ては居まい。
何やら俯きがちで足取りもとぼとぼと頼りなさげなところから見るに、中等部に通っている姉とかに会いに行くのに間違って寮ではなく学校のほうを訪れてしまったとか、そんなところかな。
しかし、あまりじろじろ見るのも失礼だろう。
自慢じゃないが、子供の癖にスーツを着こんで、まっすぐに中等部の校舎に向かっている僕の方こそが客観的に見れば怪しいのだし。
「……?」
そこで、ようやく気づいた。
俯いているため見えにくいが、女の子は随分と顔色が悪い。
足取りだって、とぼとぼというより、あれはふらついているって言う方が正しくは無いか?
「君、大丈夫?」
唐突に、耳元に囁かれるようにして聞こえてきた耳慣れぬ声に、夕映は吃驚して俯いていた顔を上げた。
殆ど、自分の顔のまん前に少年の顔があった。
キスするほど、とは言わずとももう数センチも縮めればそれが為せそうなほどの距離である。
「……」
仰け反ったり、悲鳴の一つでも上げるべき状況じゃないか?
ぼんやりと霧が晴れない頭で、そう、人事のように思う。
「見ていて危なっかしいよ。はぁ、熱中症だったら面倒だな。……全く、そんなうっとおしそうな髪で帽子も被らずに出歩くからさ」
少年は忌々しげに呟きながら、夕映の前髪をかきあげる。何を、と思う暇も無かった。
少年は、あっさりと数センチの距離を縮めて来て。
「☆○×£!?」
今度こそ悲鳴を上げながら、夕映はぎゅっと眼を瞑った。
直後、こつん、と額に何かが触れる感触が伝わる。そして、それは直ぐに離れた。
「……え?」
眼を開けると、少年は既に顔を離していて、ついでに呆れたような目つきで夕映を眺めていた。
「あのさ」
彼はそのまま、何か不味いものを飲み込んだかのように顔をしかめて、口を開く。
「幾らなんでも、子供に手は出さないから。僕は」
お前が言うな。
彼女が心の中で呟いた言葉は、恐らく万人が認めてくれるものであっただろう。
夏休み、おまけに週明けにはもう新学期が始まる今日というこの日、綾瀬夕映がわざわざ学校に訪れたのは事故以外のなにものでもなかった。
どうにも、朝から調子が悪かったのだ。
幾ら暑くて寝苦しいからと言って、やはりタオルケットの一枚も羽織らずに寝ていたのが不味かったのかも知れない。
自業自得だったが、他の人に迷惑をかけたのは夕映としても素直に心苦しかった。
特に、同じ研究会のメンバーや心配してくれた寮の同室の皆には。
夕映が所属する哲学研究会は、今日麻帆良大学で行われる外部の教授が執り行う講演会に参加することになっていた。
実際、もうそれは始まっている時間であり、夕映以外の研究会の者たちもそこにいる筈だ。
不運だった。そして、間抜けだった。
何で、こんな日に限って頭がぼんやりとするほどの風邪を引いたのか。
何で、わざわざ無理を押して寮を出た身で、現地集合だというのに学校に向かってしまったのか。
不運で、間抜けだった。だからこんな――
「ついてない。馬鹿じゃないのか、君は。あんなふらつくほど調子が悪いって言うのに出歩くとか。見つけてしまった僕はいい面の皮だよ」
――こんな口の悪い子供に心配された上に、送られる羽目となってしまったのだ。
「別に頼んでない、です。私のことはほっといて、どこへでも消えたらどうですか?」
「寝覚めが悪いだろ、それじゃあ。君を見つけた時点で、ああ、いや、君の調子が悪そうだって気づいてしまった時点でアウトだったんだ。だから君が出歩かなければ良かったんだって言ってるんじゃないか。なに人のせいにしてんだよ」
何て口の悪い子供だろうか。そう思う。
反論を許さないとでもいいたげな理屈っぽさがその印象を後押ししていた。
人のことを言えた義理ではないとはいえ……。
そこまで考えて夕映はなるほど、と頷いた。ある意味自分のカリカチュアなのだ、この少年は。ではこれは自己嫌悪なのか。
「最悪の気分です……」
「どっちが? それを言ってくれないと僕としては不安なんだけど」
「体調のほうはご心配なくです。一人で帰れるくらいには好調ですから」
「それは良かった。ただ何度も言ってるとおりここで別れても寝覚めが悪いからさ、送らせてはもらうよ?」
「はぁ……」
「あのさ、ため息を吐きたいのはこっち――」
「分かりました、分かりましたからお願いですから黙っててください。アナタが一片でも私の体調を気遣っていてくれるのなら、ですが」
「……一片でもって、おい。心配してなかったらわざわざ……ああもういいや。子供の割にやけに口が回るね、君」
負け惜しみのように最後にぼそっと呟かれた言葉に思わず言い返しそうになるのを、どうにか堪えた。
お互いに黙って、駅への道を歩く。
そこでようやく落ち着いて、夕映は先導するように自分の少し斜め前を歩く少年をまじまじと観察した。
子供だ。
どう見ても子供だった。
背丈は自分と変らないとはいえ、そもそも発育の悪い自分と比べるのが間違いだろう。夕映としてはその感想もまた甚だ不本意ではあったが。
日本人ではありえない白い肌。
白人だろうか。髪は赤毛で、尻尾みたいに頭の後ろでくくっている。例えほどいてもせいぜい肩に届くかどうか、という長さではあるが。
スーツに身を包み、鼻の上に小さな眼鏡を載せている。
いったい、こんな子供が中等部に一体何の用があったのだろうか。
そう考え、そこで彼女はようやく違和感に気がついた。
先ほど、そう、この少年と出会う前までは歩くことすら辛く、何度ものどかやパルに迎えに来てもらおうかと携帯に手を伸ばしていたのに、いつの間にやら随分と楽になっていた。
こんな、歩きながら落ち着いて思索など出来るはず無かったのだ。
それを言うなら、この少年と言い合いが出来ていたこともおかしい。
いつから……そうだ。
あの時はそれどころじゃないから気づけなかったが、少年が自分の額に額を押し付けた時、なにやら清涼感とともに急に体調が楽になった気が……。
そこで、唐突に少年が足を止めて夕映に振り向いた。
「どうかしたのですか? ……!?」
疑問を口にして、そこで彼女は思わず絶句した。
少年は、不気味なほどに無表情だった。
何の感情も読み取れない、いや、違う。
これは、違う。夕映は確信する。
読み取れないのではない。理解させるつもりが無いのだ。
おおよそ人間が、この様な表情を向けられることは無いだろう。だから直ぐには気づけなかったのだ。
例えば、彼女は見たことはないけれど、そう、モルモットを見つめる研究者というのは、きっとこの少年と同じ顔をしているに違いない。
逃げろと、本能が囁く。
だが動けなかった。それどころか、瞬きすら適わない。
夕映に許されているのは、不気味に輝く少年の瞳を眺めていることだけ。
「認識阻害の境界が良く分からないなぁ。何がセーフで何がアウトなんだろ。こんな馬鹿でかい杖を持ってることに対する突っ込みは無いのに、たかが風邪の症状を治癒魔法で軽くしただけで思いっきり疑問に思われてるとかさ。……やっぱ読心しながら手探りで見極めるしかないのか」
やはり理解させるつもりが無いのだろう、わけの分からないことを口にしながら、少年は夕映に向けて杖をかざした
まるで、魔法使いのように。
それが、“この”夕映が最後に考えたことだった。
「で、駅に着いたけど、ここからどう行くのさ」
少年を黙らして以降、黙々と歩き続けたからだろうか、駅への道を踏破するのはあっという間だった。
あんなに行きは辛かったというのに、そう考えると忸怩たる思いすらしたが。
もう少し体調が上向くのが早ければ、道を間違えるようなことはせず、従って講演会にも出席できただろうに、と。
「ここまでで結構です、と言いたいのですが」
「却下。そりゃ出来たらそうしたいけどさ、僕にも予定があったんだ。先方に言い訳するのに体調が悪くなった女の子を送っていくためで、でも途中で放り出してきましたとか言えって?」
本当に被せる様な物言いが好きな少年だった。
とはいえ、夕映としては言い負かされてやる義理も無い。
いや、本当なら送ってもらっている時点で義理はあるとも言えようが、そもそれが本題である。
頼んだわけでもなし。
「正直は美徳です。ならアナタは勿論、相手の女の子が迷惑がっていたことも伝えるのですよね?」
「それは当然。こっちとしては全くの善意の行動なのに、礼儀のなってない子もいたものだ、って感じかな。ああ、気持ちは分からないでもないけどってフォローも合わせるから、心配しなくてもいいよ」
「私の気持ちを分かってくれているのは意外でした。ならばそこから一歩進めて、その気持ちを尊重することがどうして出来ないのです」
「これ以上は堂々巡り。悪いけど、幾ら話題が無いからといって会話を延々とループさせるつもりは無いんだ。で? 僕は一体どの切符を買えばいいのかな?」
何とも卑怯な断ち切り方だった。
そもそも、放っておくのも寝覚めが悪いから送っていくという、その主張そのものが卑怯なのだが。
おかげさまで、夕映は言い負かされっぱなし、夕映の言い分は無視されっぱなしだ。
こちらに気を使わせたくない為の方便とも思えなくも無いが、この憎憎しげな少年に、そんな気の回し方が出来るかは甚だ疑問である。
最早夕映に出来ることは、一刻も早く送ってもらって、この少年から解放されるのを早めることだけだった。
会話すら、もう交わしたくない。そう、思っていたのだが。
目的地を告げ、電車に乗ってしばし。
思い出したように呟いた少年の声に、夕映は思いっきり先ほど固めた方針を撤回する羽目になった。
「それにしても小学生なのに寮暮らし? ホント麻帆良って凄い学校だよね」
目の前の少年ほどではないにしても、この発言を無視できるほど、夕映も大人では無いのだ。
「なぜそのような結論に至ったのですか!? いいい、幾らなんでも失礼すぎでしょう!」
「……電車内での大声での会話は、周りのお客様の迷惑と成りますのでお控えください。小学生で無いって言うのならなお更に」
隣で唐突に大声を上げられて、平静に言葉を返せた自分をほめて上げたかった。
ドックンドックン言ってるよ、心臓。
ただででさえ、不意打ちパンチの影響で電車が軽くトラウマになってるっていうのに。
「いや、でも小学生でしょ? 君。まさかそのナリで中学生とか言わないよね?」
読心は、魔法関係に限られている。
そもそも元の魔法自体読み取れる範囲が狭い上、それ以上ともなると幾ら僕の魔力容量が並外れていてもとても足りやしなくなるためだ。
事実、今も尚読心魔法を解いていないため、僕の魔力はガンガンそれに持っていかれているのだし。
故に、この少女のプロフィールを僕は知らない。が、まさかなぁ。
「……そのまさかです。でなければ、どうして中等部校舎の近くに私が居たというのですか」
僕の隣の座席に腰掛けた少女は、幾分落ち着いた、だが憤慨は収まらぬ、といった調子の早口でまくし立ててきた。
「そもそもです、アナタの方こそなぜあんなところを歩いていたのですか。あそこは、というか今ここもですけど、麻帆良学園でも最奥部の女子校エリアです。なんでそんなところにアナタみたいな小学生が居たのです」
あまり宜しくない会話の流れである。
だが丁度よくもあった。
はてさて、魔法に関してこの学園にかけられた認識阻害はあまり効果を発揮していないが、10歳にもなっていない子供が教師をやるという異常に関してはどの程度働くのだろうか。
どさくさにまぎれて小学生扱いされていたが、特に怒りは感じなかった。
何せ、実際僕は小学生程度の年齢見た目であるし、子ども扱いされるのも慣れている。
幾ら前世では中学生だったとしても、通算すればとっくに成人している年齢であろうともだ。
だが、だからこそ。
「迷子とも思えませんが、……あ、もしかして、女の子なのですか?」
だからこそ、目の前の少女ほど見た目どおりではないにしても、この発言を無視できるほどに、僕は見た目どおり大人では無いのである。
「中学二年生? うわー、中途半端に強気だなぁ、おい。三年生とか高校生とかいえばまぁ、いくら嘘でも多少は関心出来たし、一年生といえばもしかしたら百歩譲って納得したかも知れない。でも二年生? もう笑うしかないね、ははは」
「教師? 幾らなんでも、そこまで堂々とありえない嘘を付かれるともう笑うしかないです。迷子なら迷子だとはっきり言えば良いではないですか。それともやっぱり女の子なのですか? そちらのほうが十分に納得できますよ?」
歯をむき出しにして、にらみ合う。
笑顔とは、元来威嚇の表情であったという。
霊長類に共通する特徴の一つで、威嚇の時と、笑顔を作るときの顔面の筋肉の動きが酷似しているところからそう言われている。
チンパンジー等ではそれは非常に顕著であるし、人類の祖先である類人猿もまた、そうであったのだろう。
勿論、人類の顔面の筋肉は他の霊長類と比べると非常に複雑だ。
進化の過程を経て、人間はさまざまな表情を浮かべることを可能にしている。
よもや今の人間が、何気なく浮かべた笑顔を怒っていると解釈されることはまずありえないといっても良い。
ただ、世界で恐らくこの場に居る二人だけは、遺伝子に刻まれた祖先の記憶をなぞるかのごとく、笑顔でお互いににらみ合っていた。
もうとっくに電車は夕映が住む寮の最寄り駅についている。
どころか、それを降りて、寮への道を歩いている途上でさえあるのだ。
夕映は、勿論自分が麻帆良学園女子中等部に通う中学生であることを目の前の、ネギ・スプリングフィールドを名乗る少年に伝えている。
もう中等部の寮が見えてきてもおかしくは無いというこの場に至ってでさえ、自分を中学生と認めないこの少年に夕映は感心すら覚えていた。よくもまぁ、そこまで意固地になれるものだと。
人のことは言えない、とは思わない。
だって、矛を収めようにもそのためには少年が教師であるなんていうあまりに馬鹿馬鹿しい嘘を認めなくてはならないし、それに。
認めたくは無いが、言い負かされっぱなしだった少年とようやく対等に口喧嘩が出来る今の状況を楽しんでいるのかも知れない、そんな自覚もあった。
何せ、彼女と口喧嘩が出来る同年代以下の相手というのがそもそも貴重なのだ。
例えそれがまさに小学生レベルの口論だとしても、新鮮だった。
「今はそう笑っていればいいです。もうすぐ寮に着くのですから、そうすれば嫌でも認めることになりますよ。あ、お願いですから泣かないでくださいね?」
「それはこっちの台詞。綾瀬夕映さんだっけ? 君のお姉さんの名前。幾ら磁気カードの学生手帳に顔写真が記載されてないからって、ここまで堂々と身内の名前を騙るなんてね。頼むから、お姉さんに怒られるのを僕のせいにはしないでよね……、と」
そこで、少年のスーツの内ポケットから何とも勇ましい音楽が鳴り響いた。
エドワード・エルガーの威風堂々。子供とは思えぬ渋いチョイスである。
流石はイギリス人、と夕映は妙なところで感心した。
少年は失礼、と断りつつ携帯を取り出して、さっと顔を青ざめさせる。
「やば。そういえば、遅れるって連絡してなかったじゃないか僕のあほう……!」
小声で早口の独り言を夕映は完全には聞き取れなかったが、少年が取り乱していることと、それが自分を送ったためだということは容易に想像がついた。
「えと、ごめん、ちょっと待たせてもいいかな」
「は、はい。それは構いませんが……」
そう言うと、少年は殆ど駆けるようにして夕映から離れると電話に集中し始める。
「はい、そうです。申し訳ありませんでした! ええ、え? そんな、とんでもないです。はい? いや、ですから僕が連絡を忘れていたのが……」
それにしても、夕映から見て、少年の取り乱しようは普通ではなかった。
何せ、結構距離が離れているというのに彼の声は普通に耳に届いてしまう。声量を絞ることすら忘れているのだ。
夕映としては微妙に居心地が悪い。
もう少し離れるべきだろうか、そう考えたところで、少年が携帯を耳から離した。あんなにも慌ててた割に、会話自体は直ぐに終わってしまったらしい。
一度、深くため息を吐いて携帯をしまって、夕映のほうを向く。
「じゃあ行こうか」
それだけで、先の取り乱しようが嘘のように少年は落ち着きを取り戻していた。思わず、夕映は笑ってしまった。
「? 何がおかしいのさ」
「いえ」
もしかしたら、方便では無かったのかも知れないと。
少年が落ち着きを取り戻したように、夕映もまた、幾分落ち着きを取り戻していた。
折しも、学生寮が見えたところである。いいタイミングかも知れない、そう思う。
「ここまででいいですよ」
「え? いや、だから僕は――」
「ほら、そこが私の寮です。流石に後百メートル歩く途中で倒れたりはしません。それに」
そう、それに。
「分かりました。アナタが先生だということを認めてあげますよ、ネギ先生」
その言葉を聞いて、少年……ネギもまた、夕映の言いたいことを理解したようだった。
夕映の、期待通りに。
「分かったよ。確かに味気ない。僕も認めるよ。麻帆良学園中等部2-Aの綾瀬夕映さん」
そう言って、ネギは胸ポケットからメモを取り出し一枚ちぎると、そこにさらさらと何かを書き込んだ。
「はい」
ひょいと目の前に差し出される。
え、と目で疑問を訴える夕映に、ネギは笑って言葉を連ねた。
「味気ないけど、だからといって答え合わせが出来ないのも悔しいじゃないか。多分僕の勝ちだとは思うけど、万が一負けてたとしてもね」
そっちも同じじゃない? その声が、請うような響きに聞こえたのは、夕映の錯覚だったのだろうか。
差し出されたメモを見る。
そこに書かれていたのは、恐らくネギのメールアドレスと思しき文字列。
そうですね、と頷く。
ネギは一応、夕映の期待に応えてくれた。ならば夕映としても彼の期待に応えるのは吝かではない。
「分かりました。私のアドレスは……」
「口頭でいいよ。二十字や三十字暗記するなんて訳もない。君には無理だろうけどさ」
一応は浮かべていた筈の笑みが引きつるのを夕映は自覚した。
ひったくるようにしてネギから紙片を奪い取ると、早口で自分のアドレスを述べる。
容易く復唱されて、苛立ちが増した。
「今日はありがとうございました、アナタも用事があったのに、です。先ほどのお電話の相手にも、私からの謝罪を伝えておいてください。いえ、直接私の方から謝罪した方が良いですか?」
「お構いなく、これ以上先方の心象を悪くしたくないしね。それじゃあ、後100メートルを君が倒れずに踏破することを祈ってるよ」
最後に、不敵に笑いながらそう言って、ネギは慌しく去っていく。
それを見送って、夕映は自分でも気づかぬうちに微笑んでいた。
こんなにも長い間誰かと言い合ったのは始めての経験だった。
大人相手ならそもそも口論にならない。同年代が相手なら祖父に苦言を呈されていたこともあって夕映の方が引く。
今出さなくても、答えはきっとすぐに分かるのだ。だからこそ。
対面したままでそれを知ってしまうのは、ネギの言うとおり味気ないと、夕映はそう思ったのだ。
そのまま、寮への100メートルの道を歩き出す。まさか本当に、倒れるわけがないでしょうと、そう笑って。
こんなに今は気分が良いのに、どうして朝はあんなに調子が悪かったのだろうかと、夕映はふと疑問を覚えた。
学園長室は、クーラーが効いていた。それを感じ取って、僕は自分にかけていた身体保温魔法を切る。厚意には、甘えておくべきだろう。
「良く来てくれたの、ネギ君」
「いえ。こちらこそ連絡も入れずに遅れてしまって……」
よいよい、電話でもう十分謝罪は受け取った。そう言われて、僕もまた謝罪の言葉打ち切る。
麻帆良学園学園長であり関東魔法教会理事長でもある近衛近右衛門は、僕が知る恐らく同年代であろう祖父とはまた違った意味で、魔法使い“らしい”労爺だった。
魔法使いというよりも、仙人と言ったほうが適切かも知れない。
どこか洋ナシを髣髴ともさせる張り出した後頭部は頭頂部を除けば見事に禿げ上がっていて、対照的に蓄えられた髭は長く伸び、眉までが顎につくほど垂れ下がっている。
感じる魔力は膨大。僕ほどではないにせよ。
「しかし日本で学校の先生をやることが修行とは、また大変な課題をもろうたのう」
「受け入れ先がここであったこと、深く感謝しています。素晴らしいところですね、この学園は」
そうじゃろうそうじゃろう、満足げに笑って目を細めたのに、僕はぎょっとした。
どう見ても好々爺が微笑んでいるようにしか見えない。
だが、細められた眼だけは、鋭く僕を観察していることに気づいて。
「呑まれんかったようじゃな」
「……ええ」
何に、とは問わない。
「もしかして、そちらの予定を狂わしてしまいましたか?」
「それこそまさか、じゃよ。メルディアナから、君のことは良く聞いておる。学校始まって以来の天才だとな。まぁ、良く学んでいきなさい」
「ありがとうございます」
恐縮はしない。正しく、僕はメルディアナ魔法学校創設以来の天才児なのだから。
ちなみに、父の方は学校創設以来の問題児である。
最も、驕りはしない。できる筈がない。
確かに大人たちからの評価は僕の方が高い。
だが、魔法学校を中退して尚マギステル・マギとして大成した父の方がとんでもないと僕は思う。
父は僕の年のころには、既に魔法使いとして自立していたということなのだから。
ただ学んでいるだけでは、比較の対象にすら上らせてもらえないのだ。
本当に高い壁である。
同じくらい、超え甲斐もあるのだけれど。
「先ほど呼んだのでな、もうすぐ高畑君がこちらに来る。せっかく来たのだ、他の先生方にも挨拶していったほうがいいじゃろう」
「わかりました」
予想通りというべきか。
恐らく数十人規模で居るだろうこの学園に常勤する魔法使いたちへの面通しはしてくれないらしい。
魔法使いとしての訓練場所や方法なども。
自分で学べ、師事するものも自分で探せと、そういうことか。
もしかしたら、政治的な意味合いもあるのかも知れないが。
何せ僕は魔法使いたちの中でももっとも優れたると評されたナギ・スプリングフィールドの遺児である。
自惚れでなく、僕を弟子にしたいと思っている魔法使いなんてそれこそ星の数ほどには居るだろう。
コンコン、とノックの音。
学園長の入っても構わん、との声に、がちゃりと扉が開いた。
そこに居たのは懐かしい顔。
「失礼します。やあ、久しぶりだねネギ君。ウェールズからここへ来るのは大変だったろう?」
「世界中を飛び回っているタカミチに比べれば、マシだと思うけどね」
高畑・T・タカミチ。
僕が他者に理想を語った初めての相手で、今以上に本当に子供だった僕と対等の友人になってくれた、父の旧い友人だ。
「5年で卒業か、早いなぁ。もしかして、もう僕より強くなってたりするのかな?」
「タカミチがまだ父さんに追いついて居ないって言うのなら、もしかするともしかするかもよ?」
「ははは、それは楽しみだ。僕の方は、うーん、どうだろうね? あの頃よりも強くなっている自覚はあるけど、彼と比べると、ちょっと自信はないかなぁ」
そう言いながら、手を差し伸べてくるのに応える。
「よろしくね、タカミチ」
「こちらこそよろしく、ネギ先生」
アーニャとはまた違ったタイプの、僕の好敵手。
僕らは数年ぶりに、初めて会ったときのように、固く握手を交わしたのだった。
2013/05/19 文章校正
あとがき
学園祭の時の千雨や周囲の反応を見る限り、認識阻害がかかっていると考えてもおかしくはないかなぁと考えて、このような設定にしました。
良くある設定でもありますけど、確か公式では明言されてなかったはずなので。
本文中で述べたとおり、認識阻害にかかっていたらイージーモード(原作ネギ)。気づいて回避できたらノーマルモードです。
いや、幾らなんでもアーニャが知っていた闇の福音を、ネギが知らないとかありえないと思うので。
ましてやサウザンド・マスターが封印したことも有名みたいですし。
ネギの年齢の件ですが、沢山の情報、ありがとうございます。
でも余計に分からなくなりましたw
数え年って、あれですよね。生まれたときから1才なんですよね。それで元旦ごとに1才ずつ増えていくと。
だとすると、魔法学校卒業時(2002年7月時点)でのネギは数えで9才。もし誕生日がそれ以前だとしたら、下手すると実年齢は満7才ということに。
もう、本当に訳分からんです。
村の襲撃時は2~3才? 実は襲撃前に入る前にエヴァの別荘みたいなのに入る機会があったとか、そういうことなんでしょうか。それに何でネカネは10才で先生なんて無理とか言ったんでしょう? 当時は満8才、数えでも9才なのに。
まぁ重箱ですし、原作三時間目で9才言ってることもあるので、9才で通すことにします。
まだ一話なのに予想外な感想、プレビュー数。ありがとうございました。励みになります。レス返しは感想の方でしますので、見てやってください。
それでは拙作を読んでいただきまして、ありがとうございました。次話もまた、近いうちに。宜しければお付き合いください。