・前回までのあらすじ
普通の人生を歩んできた、一般人間代表の俺は、ある日通勤中にトラックに撥ねられて死亡してしまった。
そして目覚めたのは何も無い真っ白な空間――いわゆる『あの世』
そこにいたのは自称神様である、ジャージを来た小娘。
曰く
「人間の寿命はここにあるロウソク的なものなんです」
先ほど何も無い空間と言ったのは、少し間違いだ。
真っ白な空間には、数え切れない数のロウソクが立っていた。
「ここだけの話、今日って私の誕生日なんですよね。それでケーキ買ってきて一人で、祝ってたんですよ。でまあ、ケーキに立てるロウソクあるじゃないですか。あれを買い忘れて……」
もうここまで言えば分かるだろう。
こともあろうに、この自称神様は、たまたま目の前にあったロウソク(俺の寿命)をケーキに立て、吹き消したのだ。
神様の誕生日に消える俺の命。
「――本当にごめんなさい。普段ならこんなことは無いんです。でも……誰も私の誕生日知らなくて……それでちょっと精神的に参ってて……」
言い訳じみた神の泣き言に、少し同情的な気分になったが、命を奪われていることを思い出し、何とか現世に戻してくれるように言った。
この時、俺は現世に戻ることを半ば諦めていた。
この手のよくある話では、神様のうっかりのお詫びに別の世界――とりわけファンタジーな世界に送られる――というがテンプレート的展開だからだ。
だから覚悟はしていた。
しかし、神の言葉は、予想していたものと少し違った。
「分かりました、あなたを現世に戻します」
少し残念だったが、戻れるならそれでいい。
喜ぶ俺に「しかし」と神が言った。
「戻すと言っても、完全に元の世界に戻れるわけではありません。限りなく元の世界に近い、ほんの少し誤差がある世界です」
何だかよく分からないが、そこまで大した違いは無いらしい。
「更に言うと、少し時間が遡ります。具体的に言うと10年ほど」
小学生頃に……?
「はい、まああれです。強くてニューゲーム的な感じで。スクエア的な」
俺エニクス派なんだけど。
とまあ、そんなことがあって、俺は元の世界(に近い)に戻ることになった。
何とも奇妙な体験をした。
しかし、俺の奇妙な体験は、ここからが始まりなのだった……。
■■■
「……凄い夢を見た」
ベッドで目を覚まして、意識がハッキリすると思い出すのは、さっきまで見ていた夢。
トラックに轢かれて目覚めると、神様が目の前にいて……まるで小説のような夢だ。
しかし、夢は夢。
さっさと、起きて会社に行かなければならない。
「よっこらせ」
いつの間にか癖になった、おっさん的掛け声と共にベットから出る。
――と、そこで違和感に気づいた。
「……ん?」
どうして俺はベッドで寝ていた?
そしてこの見覚えがある部屋は、俺の部屋だ――しかし、俺がまだ実家にいた頃の。
俺が家を出て一人暮らしをし始めた時には、物置になっていたはずだ。
そして俺の目線の高さ。
低い、まるで子供のような目線の低さだ。
「……夢、じゃないよな」
頬を抓り――確かな痛みがあることを確かめる。
そして脳裏に蘇るのは、今朝の夢の記憶。
「……まさか」
フラフラと扉を出て、見覚えある廊下に出る。
記憶どおりの道筋を辿り、洗面所へ。
そして鏡を見る。
「夢じゃなかった……か」
鏡の映っていたのが、幼い少年――飽きるほど見ていた少年時代の自分の顔だった。
髭も生えていなければ、若ハゲも進行していない。
正真正銘、小学生の俺だった。
■■■
取り合えず自室に戻り、色々と考えることにした。
あの夢が確かなら、俺は通勤中にトラックに撥ねられ、死亡したことになる。
そしてあの世とやらでジャージの神に出会い、現世に戻された。
ただし10年ほど遡って。
「……いや、他に何か言ってた様な」
気がする。
まあ、思い出せない以上、そこまで大したことでは無いのだろう。
そして考える。
これからどうするか。
「いや、どうしようもないか」
別段、何かしなければならない使命もないのだ。
過去に戻って死ぬはずだった幼馴染を救うだとか、修学旅行で起きる惨劇を阻止するだとか。
そんな使命もなければ、俺の人生にそんな重大な事件もない。
ただ、小学生からもう一度人生を送ればいいだけだ。
そしてたまに未来の記憶を使ったりすればいい。
「強くてニューゲーム、か」
具体的にどうするか……まあ、それは後々考えよう。
時間はいくらでもある。
取り合えずは……
「学校、か」
記憶が正しければ、そろそろ食事をして、学校の準備をしなければならない頃だ。
そこでふと思った。
「……あ、飯作らなくていいのか」
――。
『結構順応力ありますね。いやぁ、よかったよかった』
■■■
自分の部屋がある2階から、リビングがある1階に下りた。
目の前にあるのは、リビングへのドア。
ドアからは、女性の鼻歌が聞こえてくる。
俺はドアを開けて、中に入った。
視線を台所に向けると、背中を向けたエプロン姿の女性が。
鼻歌交じりにフライパンを扱っている。
俺は何となく、足音を殺して、彼女へ接近した。
「ふふんふー、ふふんふー、ふふふふー――ゼット!」
――思わずずっこけた。
「……あら? 今日は早いわね、鉄也」
「拓也だよ」
女性が振り返る。
俺の記憶に新しい女性が、少し若くなっていた。
それは当然、10年前ならば、母親も10年分若くなっている。
「どうしたの? 母さんの顔に何かついてる?」
「い、いや別に……何でもない」
「あらそう。――おはよう」
「おはよう、母さん」
別段、これといって新鮮さは無かった。
俺の母親は存命しているし、長期休暇になれば、顔を見せに戻っていた。
10年分若くなった母親に、多少違和感を覚えただけだ。
母さんは、俺の挨拶に「あら?」と首をかしげた。
「なに? 今日はいつものアレやらないの?」
「いつものアレ?」
はて、俺は朝の挨拶の時に何かしていたか。
「ほらアレよ。パンツ下ろして『おはようだパオーン』って」
「やってたっけ!?」
「何言ってるのよ。昨日もしてたでしょ?」
――確かに、そんな記憶はある。
小学生の頃の俺は、かなりのアホだったため、そんなことをしていた記憶もある。
母親の若干期待するような眼差しから、目を逸らす。
「きょ、今日はやらない。……っていうか、今日からやらない」
「あら、どうして? ……あ」
ポンと手を打つ母親。
そしてヘラヘラした笑みを浮かべた。
「あー、あー、あー……なるほどね。そうか、あんたもそんな歳か……そうよね」
「な、何が?」
「いやいい。みなまで言わなくてもいい、母さん分かってるから。あ、一応言っておくけど、それは病気じゃないわよ? 大人になればみんなそうなるの」
何を言っているんだこの母親は……。
俺は無視するように、椅子に座った。
「今日はどうする? ヤク○ト? ミル○ル? ジョ○? ピ○ッル?」
今さら思うが、この家の乳酸菌ラインナップは異常だな……。
子供の頃は「色んなのが飲めてラッキー」とか思ってたけど。
ところで、子供から大人に成長することで、食事の嗜好は、かなり変わると思う。
たとえば、子供の頃は平気で食べていた納豆が、大人になって食べられなくなったり。
干物がやたらとおいしく感じるようになったり。
「あー、今日はいい。コーヒーで」
大人になって、何故か乳酸菌系が受け付けなくなった。
恐らくは、子供の頃に飲みすぎた反動だろう。
俺の発言に、母さんは首を傾げた後、再び先ほどのようなヘラヘラした笑みを浮かべた。
「ふふふっ……コーヒーは大人っぽいものね。全く……生えたばかりの子供が粋がっちゃって」
「何か言った?」
「いーえ」
さっきから、母親が俺を見る目がかなり不快だ。
この目は昔、部屋でエッチな本を読んでいるのがバレた時にもされた。
■■■
食事を作る母親の背中を見ながら、コーヒーを飲む。
こうやって母親が作る食事の音を聞くのは、何年ぶりだろうか。
こうしていると、改めて子供に戻ったのだと実感する。
さて、当然この後は学校だ。
そのことを考えると、少し気が滅入る。
流石に小学生の中に混じって、授業を受けるのは、想像しただけで中々キツいものがある。
せめて、中学生の頃ならまだ……。
「拓也」
色々と考えていると、母さんが時計を見ながら俺に呼びかけた。
「そろそろ間に合わない時間だから、起こしてきてちょうだい」
「ん?」
――はて。
起こす? 誰を?
この頃の父親は単身赴任で長期期間いなかったはず。
だから俺は、小学校高学年から中学校に入るまで、母さんと二人っきりだった。
この家には他に誰もいない。
親戚でも泊まってるのか?
しかし記憶を漁ってみても、ウチに親戚が泊まっていた記憶は無い。
いや、俺が忘れてるだけか?
「ほら、はやく」
母さんが急かして来る。
「か、かあさん?」
「なに?」
「その、起こすってさ……誰を?」
俺のその言葉に、母親は『何を言ってるんだこいつは』と言わんばかりの視線を向けてきた。
「もう寝ぼけてるの? ――小雪よ小雪」
「こ、ゆき?」
「あんたの妹でしょうが」
――。
――。
――俺に妹はいない。