「氷といえばセルシウス様だろう」
この考えから始まった格闘氷結少年への道だったが、すっかり忘れていた事がある。
いや、あれほど原作フラグお断りと言っていたのに、何故気づけなかったのか。
そう、原作には零距離ディバインバスターという獅子戦吼を撃ち、格闘を得意とするキャラクターがいるのである。
そして前回の相談から一月後、両親に「ストレス発散の為」と言って許可を貰いストライクアーツのジムに見学に来た俺の目の前には
「こんにちわ、見学の子かな?」
鮮やかな紫の髪を翠色のリボンでポニーテイルにした女性が俺と目線を合わせる為にしゃがんでいた。
何故ここに管理局員がだとかそんなチャチなもんじゃねぇ。
「あ、はい」
今すぐザ・ワールド発動して逃げ出したいところだが、あいにく自分のチートスキルはEFB。
流石に時間を凍らせるなんて芸当ができる筈もなく。自分の時間だけは凍っていたが。
『上手くないわよ』
レティニアの心を読んで空気を読まないツッコミは無視した。
人懐っこそうな笑みを浮かべた彼女はクイント・ナカジマと名乗った。
そう、原作StSでは故人となっているナカジマ家の魔法奥様である。
「たまにここで体を動かさせてもらってるんだけど、今日はようやくお休みがもらえてね~」
そう嬉しそうに話すクイントさん。
というか旦那放置か。泣いてるぞきっと。もう結婚してるのか知らんけど。
そもそもお前はシューティングアーツだろ、あれって軍隊格闘とかと一緒じゃないのかとか
そんな疑問がふつふつと沸いてくるが、流石に聞く事は出来ない。
「それで張り切って体動かしてたんだけど、張り切りすぎちゃったらしくて一緒に来てた同僚がダウンしちゃって。たはは」
そりゃ魔力をほぼ肉体強化に振った格闘オンリーで陸戦AAなんていうバケモノの称号を持つ奥さんの相手はしんどいだろうさ。
「それで手持ち無沙汰になっちゃったんだけど。どう?お姉さんが教えてあげるからちょっとだけやってみない?」
心の底からお断りしたい。だが、いずれ相手になるかもしれない戦闘機人は目の前の女性より強い。
つまりAAA以上、下手をすればニアSに届くような奴らが襲ってくるかもしれないのだ。
後何年でクイントさんが襲われる-ゼスト隊が壊滅する-のかわからないが
部隊ごと壊滅させるような戦闘機人から最低でも逃げ切る、もしくは無力化出来るようにならなければいけない。
相手の強さを知るには恰好の目標、そしてAAランクという文句無しの教導役。
確かに無力化というだけならEFBで事足りる。だが自分と敵以外の者が周りにいたら?
ツーマンセル以上の複数から遠近波状攻撃を受けたら?
それを考えると近接格闘を覚えるメリットは大きい。
だが目の前の女性に関わることは、必然的にゼスト隊からレジアス、レジアスから最高評議会とスカリエッティという素敵フラグが立つという事だ。
よし、俺はセオリー通り近接格闘の旨味より死亡フラグ回避を取るぜ、と決め
「おこと「まずは型の練習だから、危なくないし痛くもないから。それじゃこっちで」あ、ハイ……」
既に腕を取られていた。
―――1時間後
「そうそう、そんな感じ。拳を前に出す時は脇を締めてね」
「はい」
なんか未だにクイントさんの個人レッスン継続中だった。
というか同僚もう流石に復活しただろう。
あれか?さっき死にそうな顔をした男がこっちを見た途端オアシスを見つけたかのような顔をして
そそくさと離れていったあれが同僚か?何逃げてんだこのチキンめ!俺だって目の前の生きた死亡フラグから一刻も早く逃げ出したいわ!
『活き逝きとしてるわね、この死亡フラグ』
皮肉ってんじゃねぇよ。いや言い出したのは俺だけどさ。
「ほら、ボーっとしない!」
「あ、ハイ」
それにしてもこの人妻、熱血指導である。
―――さらに1時間後
「先輩、そろそろ時間ですよー」
さっき逃げ出した同僚、というか部下が呼びに来た事でクイント先生のレッスンは終了となった。
なんだかんだで基本の型を一通りさせられたが、これでようやく開放される。
「よし、お疲れ様。今日はここまでにしましょう」
「……ふぅ。ありがとうございました」
「飲みこみが早いからつい熱が入っちゃった。才能あるわよ君」
「そうですか」
そんなやり取りを交わしながら、帰り支度をする俺に
「もうすぐ日も暮れるし、送っていくわ」
そういう男気溢れた台詞は旦那に言ってやれ。
いや、やっぱり言っちゃ駄目だな、それでなくてもデスクワークの人なのに沽券ブレイクってレベルじゃない。
「いえ、ここからそれほど離れていませんし、大丈夫です。それでは」
バカめ、次はないわ!
礼を言って足早にジムから離れる。引き留める声?聞こえませんよそんなもの
腕を掴まれた時はアウトかと思ったが、最後まで名前バレを回避した事でジムに行かなければ今後会う事もないだろう。
今回も無事フラグ回避して高笑いしたい衝動に駆られつつ家路へと急いだ。
『(まぁ、また物語絡みの人間だったんでしょうけれど、冷静になって考えてみればわかることよね……)』
―――数日後
「ヴェルーお客さんきてるわよー」
「こんにちわ~。あれからジムに来てないって聞いたから名簿の名前と住所を聞いて様子を見にきたんだけど。まさか、ディル艦長の息子さんだとは知らなかったな~」
目の前には紫の髪を翠のリボンでポニーテイルにした魔法奥様がいた。
そして俺は、最近ようやく安定して心の中で会話できるようになった氷の女王に問いかけた。
『これはEFBを使う時がきたか』
『漏れなく母親も彫像になるわね』
こうして、逃げられないフラグというものを初めて経験したとある日、俺は転生して初めてEFBを積極的に行使したい衝動に襲われた。
「あの、ヴェル君なんか考え込んじゃってますけど、もしかして迷惑でした?」
「たまにこうなる時があるのよねー。あまり気にしないでいいわよー」
「それは……」
「何か考えてる時とか、集中すると回りが見えなくなってるみたいでねー」
と、硬直している間に玄関から応接間に移動させられ
目の前で管理局陸士部隊所属と名前を母親と交わしている魔法人妻。
だがあいにくとこっちはそれどころではない。
『レティニア、お前気づいてたのか?』
『よっぽど動揺してたのね』
『あぁ、これはもうダメかもわからんね。いっそ永遠の家出するか……?』
『私はそれでも構わないけれど。流石に捜索の手がかかるだろうし、今の貴方じゃEFB以外に危険を打ち払う術がないから使ったらすぐ見つかるわね』
『八方塞で詰み、というわけか…』
考える。考える。考える。
目の前の女性は原作に登場することなく死んでしまう。
ゼスト隊が壊滅するときが彼女の最期だ。
つまりその時までに、戦闘機人をかわす算段を考えなければいけない。
彼女と関わる事で強くなれるのはメリット、敵に目を付けられるのがデメリットである。
いや、もう目は付けられている状態と考えれば、余計に目をつけられないようにすれば、ほぼデメリットは消える…筈。
ならば、後は簡単だ。逃げられない状態なら上手く取り込んでプラン修正しなければいけない。
彼女から格闘を習う事で、最低でも戦闘機人から逃げ回れる程度に強くなる。
これしかない。
「前にディル艦長の息子さんが凍結変換資質持ちで絶対零度の空間を作るオーバーSクラスの才能を持ってるって管理局内で噂になってましたよね?」
「うん、でもこの子管理局なんて入る気ないみたいなのよねー。聖王教会からの騎士養成学校への誘いもディルからの電話も断ったのよねー」
「争いが嫌いな子なんですか?」
「そういうわけでもないみたいだけどねー。なんか自分から危険に飛び込むのはごめんだとか言っていたけれどー」
「危険、ですか?管理局や聖王教会が?」
「危険な仕事って事だと思うけれどどうなのかしらねー?」
そして、これが一番の問題であるが、彼女が襲われる次期には戦闘機人が既に稼働している。
つまりその時期がわかればそれを目安に出来るのだが…いかんせんよくわからない。
回想シーンで何年という表示が出ていたかもしれんが、そこまで覚えてはいなかった。
よって、スバルとギンガ、タイプゼロが違法研究施設から保護された時を前兆と考えるしかない。
そこから、2、3年以内に戦闘機人は稼働し、ゼスト隊は壊滅する筈で、それが一つの区切りとなる。
スバルとギンガが保護されるのが何年か、恐らく5年以内だとは思うが……
「じゃあジムにはどうして?」
「ストレス発散の為って言ってたわねー。ほんと、検査の後からしばらくの間は勧誘が山のようにきてたしー」
「そうだったんですか…。この間ヴェル君が見学に来たときに軽く教えてあげたんですけど、格闘の才能もありますよ」
「あら、そうなのー?」
「えぇ、それで、もしよければ、私が格闘を教えてあげたいな、と思ったんですけど」
「本人がいいって言うなら構わないわよー?」
「いいんですか?」
「まーでも、管理局へは入ろうとしないと思うけどねー。それじゃ私は買い物に行ってくるからごゆっくりー」
今の所のプランは4年以内に魔導師ランクで言う所のSランク近くまで戦闘技能を上げる事。
これで恐らくいい筈、だ。4年、というのは短いのか長いのか分からないが。
高町なのはがSランクを取得したのがいつなのか。だが回想での背格好を思い出す限り数年しか経っていないと思われる。
自分に主人公と同じ苦行を辿れるかは分からないが、こうして目の前に死亡フラグが立っている以上、最早逃げる事は出来ない。
凍結変換は陸だろうが空だろうが適性は同じである。一極集中型に出来ないのならオールマイティに立ち回るしかあるまい……。
「ねぇヴェル君?」
「あ?えっと、すいません。聞いてませんでした」
ここでようやく考えがまとまってきて、余裕ができ、声に我に返って前を見る。
母親はいつの間にか応接間からいなくなっており、クイントさんがどこか真剣な目線を向けていた。
「何をそんなに悩んでるのかな?」
「あぁ、いえ、なんでジムで一度会っただけの自分にわざわざ会いに、と」
と返すとクイントさんは真剣な表情を少しだけ緩めて
「そんな事ないわよ。私が初めて人にシューティングアーツを教えた子だもの。言わば一番弟子よ?」
「さいですか……」
「ねぇ、どうして管理局や聖王教会に入ろうとしないのかな?」
「………」
正直に言うべきだろうか。
そこは自分にとっては死亡フラグの大量生産工場で、入るどころか関わる時点でもアウトになるのだと。
「ヴェル君は凄い力を持っているわ。その力で誰かを助けてあげたいって思った事はない?」
「他人を助ける前に、自分が助からなきゃ本末転倒でしょう。それに力を使う場所も、使う意思も個人の自由です」
「あはは、それはそうね。でも、他の人にはない力を持っていて、それを使う場所としての候補には入ると思わない?」
「組織に入れば使う場所を他人に決められるのが前提になります。力を持ってるから使わなきゃいけない道理はないでしょう?」
上手く取り入る、なんて思っておきながらも、突き放す言い方をしてしまった。
あぁ、これは失敗した……だが、ここでクイントさんが自分から離れれば自分の死亡フラグも離れる。
セルシウス路線は消滅するが、それでもいいと思った。
人前で隔離結界を使えば目立ってしまうが、最悪敵と自分を結界内に取り込んでEFBをかませば終わるのだ。
確実に相手は死ぬし、過剰防衛と言われるだろうが、回避のためなら仕方あるまい。
そう思い、更に畳み掛けようとして口を開きかけたが
「じゃあ、貴方はどうしてジムにきたの?」
「勧誘のストレスを発散するために」
「嘘だよね?ストレス発散であんなに真剣な顔をしないもの」
そりゃ、バレるか。こっちは必死で死亡フラグ回避しなきゃいけないわけで。
あの時は割と真剣にレッスンを受けてしまったのが裏目に出た。
「自分の力は他人を巻き込みやすいので、それに頼らない力というのも必要かな、と思いまして」
「成程ね。確かに完全凍結なんて危険だし、他人を巻き込まないというその考えは偉いわ」
「過失致死とか過剰防衛って言われたくないだけですよ」
「そう……じゃあどうしてジムにこなくなったの?」
「魔法の練習の方もしないといけないので」
「デバイスは?」
「凍結魔法に関しては適性が高いのでデバイス無しでも簡単な射出系魔法程度ならできます」
本当はレティニアのサポートで思いつく限りの凍結魔法を使う事が可能で、後はそれを訓練して覚えるだけなのだが。それを言う必要はない。
「凄いのね。普通なら魔力制御だけで手一杯なのに。私なんて身体強化と固有スキルが精々だし」
それで陸戦AAなんてふざけた強さを持ってるんだから文句を言われても。
クイントさんは自分から顔を逸らして少し考えるそぶりを見せてから
「ふぅ…4歳でこんな考えの子がいるなんて考えもしなかったなぁ」
「生きるのに必死になったらこんな考えになりますよ」
「それはつまり、ヴェル君が生きる上で組織に入るのは不都合が多いって事?」
「清廉潔白なんてありえないのが組織ですけど、それが自分に災厄となる可能性があるなら、避けるのは当然でしょう?」
俺の言葉を聞いて、はっとした表情を浮かべた彼女だったが、すぐに考えるそぶりを見せると
「それは…確かに、いくら自分や回りがちゃんとしていても、組織全体の事となるとわからないわね」
「管理局や教会に黒い所があるって揶揄した割に、驚かないんですね?」
「たはは、さっきから驚かされてばっかりよ…。管理局や聖王教会に暗部があるという根拠は?」
「この世界のいたる所に後ろ暗い組織があって、管理局はそれを摘発してますけど、この世界で一番大きい組織と宗教団体に暗部がないという根拠は?」
「そうね……その通りだわ。でも殆どの人は管理局は清廉潔白だと信じてるし、ヴェル君に害になる暗部だとは限らないじゃない?」
「徹底的な隠ぺい工作を行っているとしたら?そして俺のような人材を手駒として、果ては研究材料として欲しがる暗部があったら?」
「でも査察部があるし、流石にディル・ロンド艦長の息子をどうにかしようとは思わないんじゃないかしら?」
「査察っていうのは見回りでしょう?飼い犬は決められた散歩コースしか歩かない。となると」
「飼い主が後ろ暗い場所は通らないようにしている、か…」
そう言って納得した表情を浮かべたクイントさんだったが、彼女は気づいているのだろうか?
彼女だって魔法適性こそ高くないものの、ウイングロードという固有能力持ちで狙われるかもしれない対象だと言う事に。
「…という陰謀説のあるフィクションってわくわくしません?」
「あはは、確かによくあるフィクションね。でもフィクションだから現実にはない、なんて事はない。…言われるまで疑う事すらしなかったなぁ…これも刷り込みなのかな」
「管理局が刷り込みをしてる、というよりは無意識な自己暗示の類に近いのかもしれません。この世界唯一の治安維持組織なら悪事など働かないだろう、という」
「そうね…そうかもしれないわ。この組織に入れば治安を守れるって本気で信じていたもの」
「もしかすると、自分がクイントさんに疑心暗鬼を刷り込んでるのかもしれませんよ」
「確かに、疑い出したらキリがないわね。けれど、疑わずにいる事が普通とも限らないでしょ?」
「へぇ…クイントさんって実は出来る人ですか?」
「それはどういう意味で?」
「考える所は全て旦那さんや上司に任せて自分は突撃あるのみとか言うのかと思ってました」
「むぅ…ヴェル君って人付き合い苦手でしょ?人が気にしてる事をずけずけと言うし」
そう言って脹れた表情を浮かべたクイントさんだったが
「生憎と、クイントさんの旦那さんみたいに思慮深い善人にはなれそうもないですね」
「ぐ…ね、ねぇ、私の亭主の事知ってるの?」
「いえ、クイントさんの旦那さんならそういう人だろうなって」
「…私ってそんなにわかりやすい?」
「旦那さんがデスクワーク向きの人だろうなって事くらいまでは雰囲気で」
「あはは……」
こうしてクイントさんと会話していて分かった事がある。
彼女は決して正義馬鹿ではないということだ。
とても任務のために自己犠牲に走るような人ではない。
それが何故撤退も出来ずに死んでしまうのか。
確かあれはスカさんの持つ研究施設の一つにゼスト部隊が踏み込み
居合わせた戦闘機人とガジェットに返り討ちに遭ったというのが事の次第だった筈だ。
だがいくらなんでも、後方部隊が機能していれば、少なくとも前衛の壊滅の時点でなんらかの行動があって然るべきである。
だが結果は一人も残す事なく部隊ごと壊滅。
当然ガジェットや戦闘機人による退路の封鎖とかそういう要素もあるのかもしれないが…
「クイントさん、俺からも質問していいですか?」
「ん、何かな?」
「例えば、自分のいる組織から狙われたら、クイントさんならどうしますか?」
「う~ん……なんで狙うのか捕まえて聞いてみるかな。命を狙われるのは困るけど、ちゃんとした理由があるのなら確かめないといけないし、悪い事なら止めなくちゃいけないもの」
「そう、ですか……」
成程、この人は危機感を想像するのが下手なのだろうか?
相手が話をする意志も持たず、まして同じ土俵に立ってくれるとも限らないというのに。
しかしクイントさんは少しだけ考えてから
「でも、ヴェル君の話を聞いてたら、相手が自分にはどうにも出来ないってわかったら、逃げちゃうかもしれないわね」
「どうにもならない相手から逃げ切る事って出来ると思います?」
「あはは、それはそうね。どうにもならない相手から逃げられる程度にもっと強くならなきゃね。もちろんヴェル君も」
「えぇ、そのつもりです。死にたくはないですから。でも「よし!それじゃお姉さんと一緒に強くなろう!」もうやだこの人妻……」
こうして、何故か週に1日程度の予定を無理やり開けさせられ
自分に嬉々として近接戦闘を教える師匠が出来た日の夜、俺は生まれて初めてナカジマ家の強引ぐマイウェイってすげぇと思った。