ケーキの上には17本の蝋燭。当たり前だけど、去年から1本増えただけ。
「ほら、明かり消すわよ……」
当たり前だけど、だんだん吹き消すのが面倒になってきている。
かちっ。
暗くなった部屋の中に、家族の顔が浮かんで見える。
まるで亡霊のよう。
「じゃ、行くね」
ふーっ、と溜め込んだ息を吹きつけて、蝋燭を消した。
やっぱり、一度では消えなかった。
誕生日が楽しくなくなったのはいつからだろう。
違う、わかってる。いつからだろうなんて、そんなのは嘘。
楽しくなくなったのは、あの子が私の生活に紛れ込んで、そしていなくなった年から。
でも、そんなの認めたくない。だから私は、ずっと昔から楽しくなかったような振りをして、今年も誕生日を迎えた。
ケーキに細いフォークを当てながら、ふとある人のことを思い返す。
この状況を見たらきっと、あの人は大笑いするか、さも驚いたかのような素振りをするだろう。そして、隣の誰かに向かって言うのだ。
おい、見たか? 信じられん。天野がケーキを食うなんてな。
酷い言い方だけど、多分そんな言い方をするはず。
でもお生憎様。私だって、ケーキくらい食べるのだ。確かに、そんなに大好物って訳ではないけれど。
今はきっと、あの人は自分の家で、彼女と遊んでいるのだろう。もしかしたら勉強をしているかもしれないけれど。
間近に受験が迫っているのに、あの人はなぜか遊んでばかりいる。まったく、どういうつもりなのだろう。
少し気分が立ってきて、ケーキを食べる手が早くなってしまった。
あの年のケーキ、あの子は食べるのが遅かった。いつもよりずっと。
そのとき気付くべきだったのかも知れない。
でも、あのときの私はまだ何も知らなかったし、知ったとしても私に何ができただろう。
あの子はその晩熱を出し、そして、数日後に消えた。
「ごちそうさま」
洗い物を母が引き受けてくれたので、することのなくなった私は部屋に戻るしかなかった。
勉強でもしておこうかと思った。明日の予習と復習をまだやっていない。
だが、机に向かっても、どうにも集中できなかった。あの子のことが、纏まりのつかないまま頭の中をぐるぐると回っている。
仕方がない。コートを羽織って、私は家を出た。
母は気遣わしげな視線を向けてきたが、何も言わなかった。
そういう日が偶にあることも、それが今日という日に多いことも、母は知っている。
外は雪だった。積もるほどではないけれど、寒さは身に染み込んでくる。
でも、この方がいい。寒さは私の頭も冷やしてくれる。そう思ったから、フードは被らなかった。
雪は最初気付かないくらいの湿り気を髪に与え、そして徐々に重くする。
何処に行く当てがあるわけでもなかったし、繁華街で変な男たちに絡まれたくもなかった。
結局、少し遠回りをしてからコンビニエンスストアで熱いお茶とノートを一冊、それから思いついて飴玉も一袋買った。
バカだ、と思った。こんなものを買ったら、あの子のことをまた思い出すだけなのに。
「よう、天野。いやぁ奇遇だな、こんなとこで」
緊張感のない声がふわりと耳に触れたのは、家まであと半分というところだった。
声の主は、あの人だった。大きなスーパーの紙袋を抱えて、片手で傘を差している。隣に、同じような恰好をした、髪の長い女の子もいた。
「寒いのは嫌いではなかったんですか、相沢さん。真琴ちゃんも」
「いや、実はさぁ俺達、今晩は訳ありで、ちょっとな」
「そうなのよぅ」
目配せを交わす二人は仲のいい兄妹といった風情だった。実際、それに近いのだけれど。
私たちも、そういう風に見えたのだろうか。
多分、あの子が居れば、そんな風に見えたに違いない。
あの子が、居れば。一度居なくなっても、目の前の女の子のように帰還を遂げれば。
でも、彼の隣には彼女がいて、私の傍には誰もいない。
それが現実だった。
「でさ、その……おい、天野」
「はい」
言いかけた言葉を引っ込め、私の顔を覗き込むようにして、泣いてるのか、と彼は尋ねた。最近ついぞ見せたことのない、真剣な顔つきだった。
私は視線を足元に落としながら首を振った。泣いてなんかいない。
哀しみが、心を食い荒らすのに身を任せているだけだ。頭が下を向いてしまったのは、雪でぬれた髪の毛が重くなってしまったからだ。
「バカだな」
不意に、驚くほど近くで彼の声がした。
のろのろと顔を上げる間もなく、私はぐいと引っ張られ、冷たいものに顔を押し付けられた。彼のコートの胸のところに引き寄せられたのだ。
「どれだけほっつき歩いてたんだ……こんなになってたら、風邪引いちまうだろっ」
少し、怒ったような声。そして、乱暴に私の重くなった髪を拭く気配。
でも、片手で袋を持ちながら、もう片手で傘を持って、そのまま私の髪を拭くのは無理があった。
不意に小さな、ちょっと慌てたような声が聞こえたかと思うと、多分彼が肘で抱き込んでいたのだろう、紙袋がバランスを崩す気配があった。
ざらっ、というような、がさっ、というようでもある音がした。何かが頭に当たる感触。
幾つか。そして、結局袋の中身の半分ほどが、私の肩や頭に当たって足元に散らばった。
視線は下を向いたままだったから、私にはそれが何か、よく見えた。
「わりい……」
飴玉だった。小さな、袋入りの飴玉ではなくて、駄菓子屋に一個幾らで売っているような、少し大きなもの。それが、足元に幾つとなく転がっていた。
すぐに女の子が駆け寄ってきて、私の周りに散らばったそれを拾い始めた。
三人ですっかり拾ってしまうと、彼は大声で笑い始めた。彼女も釣られて笑い出し、そして、私も笑みが顔に広がるのを抑えられなかった。
ひとしきり笑った後で、彼はもう一度私の頭を、今はすっかり水を吸ってしまったハンカチで撫で、女の子と声を合わせて誕生日おめでとうと言った。
そうだったのか、と私はやっと気付いた。
空から飴玉が降ってくればいい、と、半ば冗談で彼に言ったことがあった。
それを彼は覚えていて、彼らしく、きっと節分の豆まきの要領でもまねる積りだったのか、袋一杯の飴玉を用意して私の家に向かっていたのだ。
彼の大事な、私とも少しだけ縁のあるあの子を連れて。
私はまた、下を向いた。
ありがとうと言った積りだったけれど、声にはなっていなかったかもしれない。
やっぱり泣いてるじゃないか、と彼は呆れたような、それでいて気遣わしげな声音で言った。彼女が駆け寄ってきて、私の頭を拭き始めた。
顔を拭いてくれればいいのに、と思った。
私は泣いている。
あの子は居ないけれど、私は一人ではなかった。あの子には悪いかもしれないけれど、一人でないことが嬉しくて、私は泣いた。
**********************************************************
約8年前のモノですが、なんか自分的に気に入ったので。