※この作品は、小説家になろう様にも投稿させて頂いております
美形である。
彫りの深い端正な顔立ちは、芸術家が丹念に彫りあげた彫像のようだ。
整った顔というのは、ややもすれば繊弱な印象を与えかねないのだが、眉根から強く引き絞られた眉と、鋭く張り出た顎が造作に強いアクを加えており、それがなんともいえぬ雄の臭気を放っている。
「たまらない男って、あんな人のことを言うんだろうね」
というのは、自称恋愛経験豊富な友人の言である。
その、女にとってたまらないという顔をりりしく引き締めて、尾道大輝は言った。
「血の流れるような怖い映画、俺様は絶対に見んからな!」
残念なイケメン、というレベルではない。
かように彼は、まるで駄目なイケメンなのだ。
尾道大輝。
私立宮の下学園高等部の二年生。
押し出しの強い御立派な面相で、俺様口調が印象的な学園の名物男だ。
一年のころから生徒会役員を務めており、今季生徒会長に立候補し、見事当選を果たした。
当然の結果。
そう皆は言う。
存在感が違う。オーラ出てる。なるべくしてなった。我が校の顔としてこれほどふさわしい人間は居ない。
老若男女問わず、そんな声を聞く。
たしかに。尾道大輝は人の上に立って映える容姿を持っている。
だが内実といえば。
「所信表明!? この俺様が全校生徒の前に出てチビらないはずがなかろう!」
「いや、むしろ漏らす!」
「頭の中が真っ白になって棒立ちになっているのが関の山ではないか!」
「だいたいこんな難しい文章つっかえずに読めるか! もっと読みやくしろ!」
「そのため息は何だ咲宮! まさか見捨てる気か!? もしも見捨ててみろ! 涙目になって泣いてしまうぞ! いいのか!?」
これである。
ため息しか出てこない。
よく選挙に通ったものだと思う。
ちなみに言うと、咲宮というのは私の名字だ。
咲宮友枝(さくみやともえ)。宮の下学園高等部生徒会書記にして、尾道大輝の保護者をやることになってしまった不運な女の名だ。
どうしてこんな羽目になったかというと、話は二日前にさかのぼる。
私、咲宮友枝は淡い感動の余韻に浸っていた。
原因は生徒会長に立候補した尾道大輝のスピーチである。
いや、正確にはスピーチではない。尾道大輝は全校生徒を前にして小揺るぎもせず、演説にあてられた五分という時間をただ無言で、じっと全生徒を見つめ続けた。
その姿に、私は奇妙な感動を覚えた。
他の者がやれば、非難しか受けないだろう。
「ビビって固まってたんだ」などと口さがない悪口を浴びるかもしれない。
しかし、尾道大輝の表情が、一挙手一投足が、悪意による曲解をすべて否定していた。
「無言ですべてを受け止めてやるつもりなんだ」
そんな他生徒の感想に、私も心底同意した。
だからこそ直後に担任教師から、「尾道大輝の指名で生徒会書記にと声がかかっているが」と打診を受けた時、「ぜひとも」と即応したのだ。
「え? あんたが大輝様に指名? ……ああ、文才買われたのね。何回か賞も取ってるし」
友人の言葉は妥当な推測によるものだったが、いつも大輝サマ大輝サマ言ってる彼女が、当人とお近づきになれる機会を得た私に対してカケラも嫉妬心を動かす様子がないのには、さすがにプライドが傷つけられる思いだった。
どうせ「こいつなら大輝サマのそばに居ても何も起こりようがない」とか思っているのだろう。
私はあんたが思うほど朴念仁でも安全牌でもないのだけど。
ともあれ放課後。私は新生徒会長の待つ生徒会室に赴いた。
「来たか」
部屋に入るや、そんな言葉で私を出迎えたのは、私を呼び出した当人、尾道大輝である。
目を素通りさせない異様な存在感とカリスマを併せ持つ、堂々たる居住まいだ。
気圧された私に対し、彼は迷いなく歩み寄り、迷わず手を差し伸べてきた。
「俺様が尾道大輝だ。頼むぞ」
胸は、不覚にも早鐘のように鳴っていた。
動揺を気取られないよう努めて平静を装い、私はゆっくりと手を伸ばした。
その指先に、かるく手を震わせながら中指の先をチョンと触れさせると、彼は何故か満足げな表情で鼻を鳴らした。
「よろしく頼むぞ!」
さすがに困惑せざるを得ない。
ここはがっしりと熱い握手を交わすところではないだろうか。
「すまないね。こいつ、異常に恥ずかしがり屋なんだ」
いぶかる私に、不意にそんな声がかけられた。
女性の声である。見れば口の字に並べられた長机の奥の席に、ひとりの少女が座っている。思いのほかテンパっていたため、いままで気づかなかったらしい。
「前生徒会長、妙義谷(みょうぎたに)みよりだ」
彼女はそう自己紹介した。
むろん知らないはずがない。
顔の造作は硬質。
瞳に映す光には理智の色。
挙措はさわやかで声には張りがある。
クールビューティというにはやや体温が高い、美貌の生徒会長のことを知らなければ、この学校の生徒ではありえない。
「……まあ、こんなやつだけど、よろしく頼むよ」
そんな彼女が、らしくもなくため息交じりに頭を下げたのが、この一連の衝撃の中でもひどく印象に残った。
そして、わたしは知ってしまったのだ。
尾道大輝という人間の、詐欺のような正体を。
俺様について来いというオーラを放っておいて、コミニュケーション能力皆無。
百人は女を知ってますという顔して、思春期の中学生かってほど過剰反応する。
年長者と話すのが苦手なのか、教師連中と話すときには、決まってうざいほどにこちらに視線をやって助けを求めてくる。
陸上競技の成績は抜群だが、二人以上でやるスポーツはからっきし。
なのに、あまりにも堂々とやるものだから、評価が180度反転する。
言葉少なに命じるさまは、寡黙。
女との接触をあからさまに避ける態度は、硬派。
どうしても必要なときのみ前に出て、あとは他の役員に任せるのは、他人を育てようという姿勢と取られ、己との戦いである陸上競技に打ち込み団体競技を厭う姿は、孤高にして克己心あふれた人間だという錯覚を起こさせる。
まるで駄目な男が、開き直ったような態度のでかさでダメな部分を反転させ、美形が評価を底上げする。
まさにマジック。
みんな騙されるな。それの中身はマダオだ。触ると伝染るぞ。
と、心の中に掘った大穴の中に頭を突っ込んで叫んでみる。声に出せばたぶん殺させる。
男子にも女子にも、ヤツのファンは多いのだ。
そんなわけで、現在私は会長の要望で休日を返上して所信表明演説の台本を製作中である。
本人がやれ、と言いたいところなのだが、前述のごとくふんぞり返りながら全力で縋りつくような懇願を受け、私が制作することになった。というか、その能力を期待され、生徒会書記に引っ張り込まれたっぽい。
高校生限定のものだが、文学系のコンクールで賞をもらった実績を買われたのだろう。いい迷惑だ。
期日は月曜日。
この日の全校集会に挟まれる生徒会長所信表明演説までに、間にあわさなくてはならない。
しかし。
「この辺の文章が言いにくくて舌を噛みそうだ! 俺様でもまともに話せるように直せ!」
よくもまあ、こんな情けない難癖が次から次へと出てくるものだと思う。
だがそれにしても熱が入りすぎている。私から見れば短いあいさつで誤魔化せばいいと思うのだが、そのあたりは一切手抜きしようとしない。
「なにか、この演説にかけるものでもあるんですか?」
「ああ。この演説だけは、絶対に失敗するわけにはいかないのだ!」
私が尋ねると、会長は強く言ったものである。
なにか賭けるものでもあるのだろう。
当人の性格に対しては、いろいろと言いたいところはあるが、こういうひたむきさは嫌いではない。
なにより、彼がけっして虚勢を張らないことに、私は安堵をおぼえていた。
私の中の偶像とは似ても似つかなくとも、口にする言葉がいい加減なものではないと、確信できたのだから。
そんなこんなで、日曜日。
やや積極的になり始めた私が生徒会室に詰めて演説文を練っていたとき、前生徒会長が颯爽と姿を現した。
「どう? はかどってる?」
「正直、苦労させられてますよ」
そりゃあもう、と、私は深くため息をついた。
もちろんわざとである。生徒会書記に私を推し、結果的に私の尾道大輝像を粉々に砕いたのは、おそらく彼女である。これくらいあてつけがましくやっても、罰は当たるまい。
「会長――妙義谷先輩はあいつの本性を知ってたんですよね?」
「あいつ? ああ、尾道ね。うん、知ってたよ。去年来の付き合いだしね」
「なんで奴を生徒会長にしようとか思ったんです?」
「おや? わたしが尾道を生徒会長に立候補させたと?」
「そりゃあ、そうでしょう。奴が自分から進んで生徒会長になろうとか思うはずありません」
「おやおや。ずいぶんと尾道を見くびってるじゃないか」
「見くびるも何も……あんなに全力で弱音吐かれたら誰でもそう思います」
「弱音?」
妙義谷みよりは首をかしげた。
だが、すぐに何か思い当たったのだろう。彼女は肩を落とし、遠い目になった。
「ああ……尾道は明後日向きの努力が得意だったな……」
「何です疲れた顔して?」
「いや? ま、とにかく尾道が立候補したのは、あいつ自身の意思だよ。あんたを書記に選んだのもね」
妙義谷みよりはため息をつく。
「尾道なりの考えがあるんだ。わたしの口出しするところじゃない。だけど頼んだよ。咲宮後輩」
ポンと私の肩に手を当て、彼女はにっこりと笑顔を作った。
見惚れるような笑顔はどこか人を惹きつけるものがあり、やはり彼女も、人の上に立つ人間だと納得させられる。
あの、外面だけは過剰にいい、まるで駄目な男が、彼女のように立派な生徒会長になれるのだろうか。
いや、しなくてはならない。
少なくともその役目の一端を、私は担わされている。
尾道大輝という幻想に支えられている人間だっている。そんな人たちのためにも、虚像の尾道大輝を崩すわけにはいかないのだ。
「おい! スピーチを練習しすぎて喉が嗄れてしまったぞどうしよう!?」
「……のど飴でも舐めててください」
そのために諦めるものが、理不尽なまでに大きい気がするのだが。
というわけで、ついに所信表明演説の時がやってきた。
副会長と会計として私の隣に並んだのは、尾道大輝の小学校からの友人である、佐野道治(さのみちはる)と山道順(やまのどうじゅん)だ。
ヤツの正体を知る仲間かと思えば逆で、最もヤツに洗脳された、尾道大輝を兄貴と慕う暑苦しい奴らである。
その事実に頭を痛めるいとまもなく、生徒会長の演説の時が来た。
演説文は完璧。あとは文章を読み上げるだけだ。彼がつっかえることのないよう、漢字にはルビまでふった。
それでも、尾道大輝がゆっくりと壇上に立ち、マイクに顔を近づけるまでの間、私の心は期待と不安に埋め尽くされていた。
なぜなら、生徒会長に立候補したときの、失敗の原因――緊張を克服できるのは、ほかならぬ尾道大輝自身だけなのだ。
そして案の定。
薄闇の体育館でただ一人スポットに照らされ、全校生徒の注目を浴びた尾道大輝は、一声も放つことなく、固まってしまった。
――会長!
私は祈るように手を合わせた。
二番煎じは通じまい。
さすがに二度の無言演説を、聴衆全員が好意的に解釈するのは難しい。
尾道大輝の幻想は、こんなところで崩れ去ってしまうのか。ほかならぬ、尾道大輝の手で。
――それで、いいはずがない! だって、あの人はあんなに頑張ったのに!
心の叫びがコダマした。
そうとしか思えないタイミングで、異変が起こった。
尾道大輝を照らしていたスポットの光が、唐突に消えたのだ。
熱さえ感じる強い光を唐突に失い、冷気すら感じる闇が視界に広がった。
ざわめきがさざめく。
動揺のうねりが次第に大きくなっていき、それが頂点に達した、そのとき。ふいに低い声が会場中に響いた。
「静まれ。俺様は、ここに居る」
スピーカーも落ちているのだろう。肉声である。だがこれが、憎らしいほどよく通る。
次第に闇に目が慣れる。暗幕の隙間から洩れるほのかな明かりでも、壇上に立つ男の個影は……よく、見える。
「いまから新生徒会長。この尾道大輝の所信を、表明する」
まず、そう言い放って。
尾道大輝は、まるで詩を読み上げるように、演説を始めた。
内容は、私の書いた演説文と寸分も変わらない。
だが本人の要請で、できるだけわかりやすく書いた演説文。
これを彼が暗誦すると、まるでカエサルのように、明易で、明白で、明確で、頭の中にいつまでも残る、芯の通った骨太の演説に聞こえた。
「さっすが大輝さん」
佐野副会長の低いつぶやきを聞くまでもなく、私は演説の成功を確信した。
そして、それを成し遂げさせた一人の人物の姿を、私は舞台そでに見出した。
妙義谷みより。彼女がこの体育館のブレーカーを下ろし、この事態を作り上げたのだろう。
笑顔でハイタッチのジェスチャーをする前生徒会長に、「敵わないな」と苦笑しながら、私は小さく手を挙げた。
「よくあの場面で堂々と演説できましたね」
「答えは簡単だ。明白なほどにな」
一見自信にあふれた表情で、大輝は言う。
「暗闇になれば、人の目線は気にならん」
そんなものなのだろうか。
へたくそな頓知を聞かされている気分になる。
まあ、緊張など心の持ちかた一つである。そんなものなのかもしれない。
だが、それも、カンぺなしに演説できての話である。私の用意した演説文、省くべきところはばっさり省いたが、それでもけっこうな長さなのだ。
「演説の文章、まさか丸暗記してたんですか?」
「前日緊張しすぎて眠れなかったからひたすら読んでいたのだ。そらで言えるほどにな」
尾道大輝は自信満々に言い放った。
情けない理由である。だが、それが幸いしたのだ。世の中わからないものだ。
「だが、言いたいことが全校生徒の前で言えた。俺様もなかなかに度胸がついたようだ」
「そうかもしれませんね」
まあ、結局人前で緊張する癖は直っていない気もするが、蟻が羽蟻になったくらいには進歩したのだ。そこは誇っていい。
「だから、言う」
そして、尾道大輝はこの日一番私を驚かせることを口にする。
「咲宮友枝。俺様と付き合え!」
まったくの不意打ちに。
不覚にもわたしは顔から火の出るような思いというのを体験してしまった。
後になって妙義谷先輩から聞いた話である。
尾道大輝は、かなり以前から咲宮友枝に対し、好意を抱いていたらしい。
きっかけは単純。私が以前高校生対象の文学コンクールで賞を取り、表彰を受けた時の私の堂々とした姿に、惚れた……らしい。
だが、風評と違い女に告白する勇気の無い彼は、度胸をつけるためと、一種の願掛けのために、生徒会長に立候補したのだ。
だけど、違う。
あのとき私はちっとも堂々としてなんかなかった。
緊張のあまり舞台上で転んでしまい、羞恥のあまり逃げそうになった私を助けてくれたのは、ほかならぬ尾道大輝なのだ。
「静まれ」
ぽつりとつぶやいた彼の一言が、生徒たちの笑いを止めた。
彼が見ていてくれているとわかったから、堂々と胸を張れた。
ほかならぬ尾道大輝に、格好つけたかったから、大輝が見惚れるような態度でいられたのだ。
だから。
私と尾道大輝は、すごく「お互いさま」な関係なんだと思う。
そして、まあ、その週の休日。
私は尾道大輝と待ち合わせをして映画を見にいった。
ホラー物がだめだったリ。恋愛もので涙を流したり。うざいほど憶病に私の手に触れてくる彼だけど。
私にだけ全力で見せてくれる弱さを。私は少しだけ、愛おしいと思う。
くっつきたての中学生カップルか、と突っ込みを入れたくなるほど、なにもなかったけど。
まるで駄目なイケメンである尾道大輝を、これからも支えていきたいと。そう思わせるには十分な時間だった。
「おい! 缶コーヒー微糖で買ってしまった! こんな苦いもの俺様飲めないんだが!?」
と、思う……たぶん。