12月27日(木)午前 ◇横浜基地・シミュレータールーム◇ ≪Side of 茜≫甲21号作戦が終わってから3日。横浜基地にも勝利の余韻がまだ残っている。そんな中、ヴァルキリーズは通常の勤務体制に戻っているものの、特別やることも無いためシミュレーターで訓練をしていた。 『――なんかもう、いつも通りって感じだね』 『そうだねぇ』5日ぶりのシミュレーターは、休息で鈍った身体の慣らしも兼ねて“軽めに”フェイズ4ハイヴの攻略シミュレーション。支援等が100%機能している状態なので難易度は低め。フェイズ4ハイヴの攻略を軽めとか難易度は低めなんて言っている自分に驚く。確固たる自信なのか、感覚がマヒしているのか……私の単機での実力は、隊内では決して突出しているわけではない。目標としている背中は以前ほど霞んではいないけれど、まだまだ遠いというのを今回の任務で思い知らされた。白銀武……甲21号作戦で垣間見た、アイツの実力。序盤から終盤にかけて――途中アクシデントはあったものの、コンスタントに活躍していた。機体の性能云々以前の圧倒的な衛士の実力差。同じ機体に乗っていたとしても、ああは出来ない。機体が良ければ――なんて言えるレベルでもない。忘れがちだけど、アイツは未だ、例の不調に悩まされているようだし。あぁ、もう――ムカツクっ!!!調子が良くないのにあんな機動しちゃう?!もぉ~~~なんなのよ!――勝ちたい。別に、勝ったからって何もないけれど。勝ちたい。負けっぱなしは嫌。まずは追いつく。そしていずれは――昼 ◇横浜基地・PX◇ ≪Side of 晴子≫軽めと言いつつ、なかなかハードだった訓練を終えて汗を流し、気だるい体でPXへ。午後は、甲21号作戦の戦況レポートを纏めろという通達があったため、各自デスクワークの予定になっている。 「3日も強化装備を着なかったのって、任官してから初めてじゃない?」 「そうかも。特訓やってたもんね」特訓も再開するとなると、またキツくなるなぁ……でも、午前中の訓練で痛感した。近づいたと思っていた白銀武の背中はまだ遠い。“白銀武に追い付き・追い越す”という目標は、些か高すぎたかも――な~んて思ったり。この目標を掲げてない人は、伊隅ヴァルキリーズにはいない。身近にあれだけ凄いのがいて、それを目標にしないのはありえない。それに今現在、同期の娘たちとは実力伯仲だし、なおさら後には引けない。ここで引き下がって、お先にどうぞ――っていうのはイヤ。……まぁ、もうしばらくは目標としている人の後塵を拝さなければならない。その“もうしばらく”がいつまで続くのかも分からないっていうのが、今の私たちの悲しい実力。でも、どれだけ高い目標だったとしても、それを諦めるとか、目標を変えるなんて気持ちは一切ない。そんな中途半端な気持ちで立てた目標ではないのだから。最低でも同じレベルになって、戦場で完璧にフォローしてみせる。私は今のところ、珠瀬ほどの命中精度では無いながらも、速射と精密射撃だけは隊内で上位争いに加わっているはず。得意分野を伸ばしつつ、他の全てを底上げしないと――この部隊の小隊長たちは、ハイレベルなオールラウンダーでありながらも、それぞれ得意分野がある。あの人たちのようになる、というのも目標の1つ。目標への課題は山積み。――ま、その方が挑み甲斐があるってもんでしょ。夕方 ◇横浜基地・白銀武私室◇ ≪Side of 冥夜≫ 「――と、いうことらしいのだ」 「おぉ……」私と月詠の話を聞き、困惑した様子のタケル。気持ちは分かる。帝都から戻った月詠が持参した姉上からの信書、それが事の発端だ。これまでタケル宛の書簡には“そなたの悠陽より愛を籠めて――”や“帝都の妻より”など、頭の痛くなる署名がなされていたのだが、その署名が今回に限って“日本帝国政威大将軍 煌武院悠陽”となっており、公で使われている本物の捺印までされているのだから、タケルが困惑するのも無理はない。それだけ姉上が本気だということなのだろうが、肝心な信書の内容はというと、要約すれば―― 「甲21号作戦ご苦労様でした。労いたいので早く逢いに来てくださいまし」といったところだ。そのようなことが恋文のように綴られている。姉上のタケルへの気持ちは分かるが、ハッキリ言って溜め息しか出ない。このような内容のために公式の署名捺印までして月詠に持たせたのだ……我が姉ながら度が過ぎていると思う。しかし、此度の招致はタケルだけでなく、私と鑑も同伴しろとのことなので、今回は姉上に協力するのも吝かでない。 「タケル――何とか都合をつけられぬか?」 「ん、殿下直々のお願いだもんな。調整してみるよ」 「我が姉のことながらスマヌ……」 「気にするなって冥夜。大丈夫だよ」 「武様、よろしくお願い致します」 「はい――」困り気味の笑顔で応えるタケルに申し訳なく思いつつ、私はタケルと共に帝都へ行けることを喜んでいた。12月28日(金)夜 ◇横浜基地・シミュレータールーム◇ ≪Side of 武≫もう皆は休んでいるはずの時間帯。俺は一人、シミュレータールームへ向かっていた。日課にしているわけではないが、気が向いたら武御雷の完熟訓練をするようにしている。今日は気が向いたというより、なかなか寝付けず睡魔も襲って来なかったので、一汗かけば眠くなるかと思ったからだけど。 「ん――?」シミュレータールームに近づくと、聞き慣れた駆動音が聞こえてきた。どうやらシミュレーターが稼働しているようだ。俺がいつも来る時間より少し遅めの時間だったから気づかなかったのか、あるいは俺のように気まぐれで乗っているのか。思案しながらシミュレータールームに入ると、予想通りシミュレーターが稼働していた。それもかなりの数で、ざっと14機。かなりの数が稼働状態のようだ。中隊規模で訓練でもしているのだろうか。こんな時間に訓練なんて聞いた事は無いが……どこの部隊が使用しているのかを調べるため管制室へ。そして、何の気なしにドアを開けると―― 「「あ――」」 「……あん?」知った顔が3つ、ポカンとした表情でこちらを見ていた。数瞬の沈黙が訪れるが、固まっている場合ではない。 「――おま……何してんの?」 「あちゃぁ――」 「あはは……」 「――」あからさまにマズそうな顔で目をそらす純夏。笑って誤魔化すつもりですか涼宮中尉。霞、無言で横を向くなよ。 「こんな時間に何してんの?」 「え、えっとぉ……」 「今シミュレーターを使っているのはヴァルキリーズなのか?」 「それはぁ……」 「おい純夏、コノヤロウ」のらりくらりと、答える気の無さそうな純夏に軽くイラッと。アホ毛の幼馴染ではラチが明かないので、俺は涼宮中尉に向き直ってズイッと詰め寄る。 「――涼宮中尉、どういうことか説明してくれますよね」 「あ、あはは――大尉、顔が怖いよ?説明するから落ち着いて?」睨み付けるまでは行かないものの、目に力を籠めて見つめると、観念したかのように涼宮中尉は話し始めた。この時間帯に行われている“特訓”について。それを聞いた俺は、空いている椅子に腰を落とした。この特訓が始まって1ヶ月以上が経っているというのに、みんなの変化に気付きもしないなんて……いや、待てよ――いつの頃だったか、みんなが急に強くなったと感じた時があった。この特訓のせいだったのか。 「この特訓は毎日やっていたんですか?」 「そうだね。甲21号作戦の直前までは、ほとんど毎日だったかな。さすがにヘトヘトのまま任務に就くわけにはいかないから、最近は休んでいたけどね」昼間の訓練だって、決してラクなメニューじゃなかったはずだ。それなのに―― 「どうして……なんでそこまで――」 「それはね――」 「す、涼宮中尉?!」 「――鑑少尉、もう頃合だよ。これ以上隠し事はしたくないでしょう?」 「それは……」まだ隠し事があるのか、と軽く凹む俺をよそに、何やら真剣な面持ちで見つめ合う純夏と涼宮中尉。そんなに重大な隠し事なのかよ。表向き眉をひそめて不審そうな顔を作ってはいるが、内心オロオロの俺。少しばかりの沈黙を経て、観念したような純夏と少し晴れやかな、でも何処か愁いを帯びた表情の涼宮中尉が、こちらに向き直った。 「あのね大尉――私たち、聞いちゃったんだ」 「な、何をです?」突然のカミングアウト。神妙な顔の涼宮中尉だが、俺は何のことか分からず混乱するばかり。やましいことは……特に無い、と思う。人として道を外れるようなことはしていないはずだ。そりゃ、別の世界から来て、何度も繰り返していたことは言えないけどさ。 「――貴方が、ここへ来るまでに所属していた部隊のこと」 「ッ!?」 「HSST迎撃作戦のとき珠瀬少尉にした話の又聞きなんだけどね。どれほど過酷な経験をしてきたのか、聞いたんだ……」ハッとして純夏の方を見ると、純夏はバツが悪そうに指で頬をかきながら目をそらした。コノヤロー…… 「――ごめんなさい。軽い気持ちで聞いて良いものじゃなかった」 「いえ、そんなことは……」ない、とは言い切れなかった。この世界でのことでは無いとはいえ、伊隅ヴァルキリーズが壊滅した話だ。まだまだ未熟な俺にとって戒めであり、俺が戦う意味でもある。話すことを躊躇ったのは、世界は違えど、みんなが死んでしまう話だから…… 「その話を聞いてね、貴方の覚悟が分かった。訓練の時いつも言っていたよね。生きて帰ってきたら任務完了だって」 「――」 「あの言葉の重さを理解した。だから、みんな強くなろうと必死なんだよ。貴方と一緒に戦うために、そして、もう二度と――」 「ッ…………」目の奥から熱いものが込み上げてきそうだった。顔を背けて目を隠すように額を抑え、それを堪える。嬉しかった。憑き物が落ちたように肩から力が抜けた。また世界を繰り返して、今の所は悪い方向に行って無いが、何処かで焦りや不安があったんだと思う。俺がやらなきゃ、俺がなんとかしなきゃ、俺が、俺が、俺が、…………そう気負っていたのかもしれない。でも、俺は1人で戦っているわけじゃない。みんながいる。こんなにも頼もしい人たちが周りにいるんだ。今度こそ本当の意味で、一緒に―― 「はぁ……」不意に込み上げてきた感情を吐き出すように息をつく。 「大尉?」 「――ったく、俺の気も知らないで……」 「え?」 「みんなスゴイ早さで上達していくから、スゲー焦ってたんですよ?」 「あはは……」困り顔で笑う涼宮中尉。まぁ、この人に当たっても仕方ないので矛先を変える。矛先を向けられたヤツは、それに気付くと拝むように手を合わせてウインクしてきやがった。純夏は後でジックリ問い詰めるとして、今はこの特訓とやらについてだ。強くなるためにやっていた事だとしても、許せないことが1つだけある。俺にだけ内緒で、特訓に混ぜてくれなかったことだ。仲間外れは良くない。泣くぞ。さて、どうしてやろうか………… 「どれ、今は何をやっているんだ――?」モニターを眺めると、どうやらヴァルキリーズの面々はハイヴ内を侵攻中のようだ。ふむ……ピンときた。 「おい純夏――ちょっと手ぇ貸してもらうぞ」 「え……な、何?」 「ふっふっふっふ――」俺は純夏に指示を出し、意気揚々とシミュレーターに乗り込んだ。≪Side of 美琴≫昼間の訓練から1日遅れで特訓も再開。数日やらなかっただけで、けっこう体が訛っていることを実感した。慣らしと言っていた訓練もハードだったけど、こっちはそれ以上。少しでも気を抜いたら、アッという間にやられる…………まぁ、気を抜いていなくてもアッという間にやられたけどさ。今日は趣向を変えて、白銀大尉の機動を検証してみようということに。初めのうちは、大尉の武御雷のデータを仮想敵にして1対1の戦闘をしていた。でも、誰一人として武御雷を撃墜することは叶わず、ただの1発すら被弾させることも出来ずにギブアップ。近接格闘が上手い人は、それで肉薄することは出来ても、少しでも距離を取られたら手も足も出なかった。近中距離だろうと、遠距離だろうと射撃は全くダメ。壬姫さんの狙撃でさえ掠りもしなかった。あの回避能力は、武御雷の性能と、白銀大尉が“万全の状態だった場合”のデータを反映した結果だと純夏さんは言っていたけど、アレは凄すぎだよ……みんな早々に自信を打ち砕かれたので、武御雷との演習を止めて、ハイヴ攻略戦に切り替えていた。鬱憤を晴らすように大暴れ中のヴァルキリーズ。その甲斐あってか、補給も支援も機能していない状況で、フェイズ4では過去最高の進行速度。そして、先頭を突き進むB小隊が主広間へ突入したとき―― ビーッ!ビーッ!ビーッ!ビーッ!警報が鳴った。それも、ハイヴ内ではまず想定していない光線照射危険地帯の警報。 『――ッ!?』 『な、なんで?!』 『どこ!?』各機は咄嗟に回避機動を取ったものの光線照射は無く、照射源となる光線級もレーダーには映っていない。警戒したまま主広間内に展開して巨大な核を眼前に捉えたけど、光線照射危険地帯の警報が鳴りやまないので、ボクも含め、皆どうしたら良いか迷っているみたいだった。 『――涼宮、鑑、何かしたのか?』 『えっと……』伊隅大尉の質問に、歯切れの悪い受け答えの純夏さん。 『すみません、伊隅大尉……』 『何だ?』 『それは――』そして要領を得ない涼宮中尉の謝罪。それが何を指してのことだったのかは、すぐに分かることになった。 ビーッ!ビーッ!またも鳴り響く警報。さっきとは違う種類の警報だ。 『今度は何よ!?』速瀬中尉がイラついたように声を上げた。 『――正面、反応炉上方!』 「!!」 『『ッ――!!??』』神宮司中尉の声に釣られて、そちら見ると目に飛び込んできたのは、不気味に光る反応炉と、その上方に滞空している純白の武御雷――武御雷は、ただこちらを見下ろしているだけなのに、えも言われぬ迫力があって思わず見入ってしまう。そのせいなのか、誰一人として言葉を発しない。永遠に続くかと思われた睨み合いの均衡を破ったのは武御雷の方だった。 『――――行きますよ!』通信が入るのと同時に、武御雷が長刀を手に突っ込んでくる。一瞬のことに虚を突かれるも、歴戦の勇士である伊隅ヴァルキリーズの立ち直りは早い。 『チッ――来るわよ!』 『各機散開、迎撃する!!』 『『了解!』』いち早く反応した突撃前衛長が、武御雷と同じく長刀を構えて飛び出していく。それに続くようにヴァルキリーズ全機が武御雷に向かっていった――◇ ◇ ◇ 『……降参――降参です』4機の不知火に囲まれ、片膝をついて両腕を挙げる武御雷。最後の最後まで凄まじい戦闘だった――ボクたちに襲い掛かってきた鬼神の如き武御雷は、熾烈な集中砲火を鮮やかに回避しつつ、着実にこちらを撃墜していった。最後は姿勢を崩して地面に膝をついたけど、それでも巧みな二刀流で2機の不知火と切り結んだ。捨て身の不知火2機が、左右から同時に接近して膠着状態に持ち込み、他の2機の突撃砲が武御雷に照準を付けて決着がついた。 『こンの、バケモノめ……』速瀬中尉がポツリと零した。戦闘が終わっても辛うじて機体が動くのは小隊長たちの4機だけ。しかし、4機とも腕部、脚部等に欠損があり、致命傷に近い損傷を抱えていて、もはや継戦能力が無いのは一目瞭然。対して武御雷の方は大きな損傷は無い。伊隅ヴァルキリーズの不知火14機が、たった1機の武御雷を相手に……速瀬中尉の言葉も頷ける。 『――白銀、いきなり何のつもりだ』息切れしていた隊員たちも落ち着いてきた頃、全員の疑問を伊隅大尉が代表して問う。 『これからは俺も特訓に混ぜてもらいますよ』 『なにっ――!?』 『俺だって伊隅ヴァルキリーズの一員です。みんなと、一緒に戦いたいんですよ――』 『『……』』一緒に。あのとき聞いてしまった話を思い返す。白銀大尉が、他のどんなことよりも優先させる全員の生還。どんな戦場からでも生還するためには強くなきゃいけない。出来るだけ早く、白銀大尉と同じくらい強くなるための特訓だったけれど、大尉は内緒にされていたことに、ご立腹の様子。 『隠していて済まなかったな』 『――まぁ良いですけど。良いですけどね』 『はは……』わざとらしく拗ねているなぁ。伊隅大尉も済まなそうにはしているけれど、半ば呆れている感じだし…… 『ていうか、この際だから言いたかったことを全部言わせてもらいますけど――』ボクたちへの文句とかを言い出すのかと思いきや、白銀大尉はボクたちが予想もしなかったことを言い出した。深夜 ◇横浜基地・まりも私室◇ ≪Side of まりも≫お湯が体を伝い、一日の汗と疲れを濯いでいく。本音を言えば、湯船に浸かる方が好きなのだけれど……この時間、基地の大浴場は清掃中で入れないので、大人しく自室のシャワーで我慢する。まぁ、降り注ぐ湯に打たれるのも、湯船に浸かるのと違った心地良さがあるので問題ない。 「――」シャワーに打たれながら、一日の出来事を振り返る。夜の特訓は、いつかは露見するだろうと思っていたが、あまりにも唐突だった。白銀くん――特訓が発覚したあと、彼は自分を階級で呼ぶことも禁止。それに加えて、それぞれに呼び方を指定するなど、普通では考えられないような“命令”をした。――は、乗り換えたばかりの武御雷の慣熟訓練をするためにシミュレータールームにやってきたところで、私たちに遭遇したそうだ。これまでの経緯を聞くと、彼は安堵したような表情をすると共に、心底呆れていた。ずいぶん前から、私たちの技量が急激に伸びたことに、驚きと焦りを感じていたそうだが、連日倒れるまで特訓をしていたと聞けば、呆れるのも仕方ないでしょうね。白銀武。私の知る限り、人類史上で最高の衛士。“一騎当千”とは、まさに彼のことを表すための言葉だろう。佐渡島でKIAと認定される状況に陥るも、その後の鮮烈な復帰戦では武御雷を駆り、BETAを蹴散らした。乗り換えたばかりで慣熟はおろか、機体の特性も十分に把握できていなかったはず。その上、彼は怪我もしていて万全では無かった。それに予てからの不調も加わるのだから、とてもマトモと言える状態ではない。にもかかわらず、あの活躍。とんでもない強さ。根本的な強さの質が私たちとは違う。今の訓練を重ねるだけで、本当に追いつけるのだろうか……と弱気になってしまうこともある。 「……はぁ――」思わず溜め息がこぼれる。今年の教え子たちと同じ年で、あそこまで完成された衛士がいるとは。世界は広いというか、何というか……彼を鍛え上げた人物の手腕が窺い知れる。いったいどんな人物だったのか。叶うならば御会いしてみたかったが、“あのときの話”から察するに、その人物は既に亡くなっているのかもしれない。もし――彼が私の教え子だったら、どうなっていたのかしら。他の訓練兵たちと同じように接することは出来ただろうか。けっこう抜けているところがあるから、怒鳴ってばかりいたかもしれない。……抜けているところも可愛いと思ったり。まずい。最近増々深みにハマっている気がする。年甲斐もなく、ときめいているというか。いや、年は関係ない。そもそも私だって若い。周りの娘たちが少し若いだけ。大丈夫。……たぶん。彼のことを考えていると、シャワーの温度が上がったような気がした。のぼせる前にあがろう。12月29日(土)午前 ◇帝都城◇ ≪Side of 月詠真耶≫本日、もう一人の主が帰還し、あの殿方が来訪する。前回御会いしてから、どのくらい経ったか。戦術機強奪事件や甲21号作戦があったため、もう随分と長いこと御会いしていないように感じる。実際には、ひと月程度のはずだが。 「――マヤ、こちらの手配は済んだわ」御二人に先行して帰還したマナが支度を済ませて戻ってきた。私の方の手配も終わっているので、あとは彼らの到着を持つのみとなった。 「到着予定は10時頃だったかしら?」 「そうよ」 「間もなくね――そろそろ着替えましょう」悠陽様の指示により、我々は衣装替えをすることになっているため更衣室へと急ぐ。今回も様々な仕掛けを用意したのだから、それにかかったときの武様の反応が楽しみだ。事あるごとにコロコロと変わる武様の表情は見ていて飽きない。我々は、それを楽しみに仕事に励むのが通例となっている。仕掛けの首謀者は悠陽様であるが、我々も仕掛け人として失態のないようにしなければ。しかしながら、武様に限っては“洒落”の範囲内での失礼も多少は必要である、とは悠陽様の言である。このような遊びが多いため、武様が御越しになるときは私たちも中々に楽しんでいるのだ。だからこそ失礼の無いように気を引き締めなければならないが。 「――この前、わざわざ採寸し直したのは、この服を仕立てるためだったのね……」 「そうよ。悠陽様の指示で」 「足のスリット、深すぎないかしら……」 「デザインも悠陽様がしたわ」 「……」私とマナは斯衛の制服から、我々にと用意された侍従の制服へと着替え、全ての準備が完了。髪を団子のように纏め、身嗜みを整えながら時刻を確認すると、彼らの到着予定時刻が迫ってきていた。 「――行ってくるわね」 「えぇ、そちらは任せるわ。万が一の場合は手筈通りに」 「分かっているわ。それじゃ――」マナが御出迎えのため足早に正門へ向かった。今回の来訪においては、武様が車を運転してくるとの報せを受けているが、武様の事だ。旧帝都ほど道は入り組んでいないが、この帝都もそれなりには道が入り組んでいる故、おそらく道に迷うだろう。冥夜様が御一緒とはいえ、それでも武様は迷う可能性がある。それを想定して、彼らが定刻を過ぎても到着しなかった場合、神代たちが捜索に出る手筈になっていた。 ピピピピ――携帯端末のアラームが時刻を告げた。さて、彼らは無事に到着しただろうか。それから少し後、今度は端末の呼び出し音が鳴った。端末の画面で相手を確認し、耳に付けている小型のインカムの通話ボタンを押す。 「迷子の御呼出し?」 『いいえ。残念ながら違うわ。無事に御到着よ。冥夜様の運転で』 「――そう、無事に到着して何より」 『えぇ。では、すぐにそちらに向かうわ』 「了解」マナとの通話を終わり、首を長くして待っているであろう我が主を呼びに向かう。しかし、武様の運転と聞いていたが、まさか冥夜様が運転して来られるとは。武様が道に迷い、見かねた冥夜様が交代したという所か。何にせよ、これで役者は揃った。慌ただしくも楽しい1日になるだろう。私は、心持ち足取り軽く主の下へ向かった。