Ⅱ 冬の華
1
その風は、回転する軌道を描きながら地面を埋める枯れた落ち葉をまきあげた。
ざららと音をたてながら、風は遮るもののないスイレイ湖の上を吹き抜けて、一時旅の友をした落ち葉達を湖面に置き去りにする。
突然粉雨のように降り注いだ枯れ葉に驚いて、浅瀬で羽根を休めていた水鳥たちが一斉に羽根を広げて大空へ羽ばたいた。
ムラクモ王都水晶宮の中庭に集合した一行は、旅立ちのための荷を馬に乗せる間中、痩せた中年の輝士ベン・タールの愚痴を聞かされる羽目になっていた。
「──そもそもがだね、外交とは崇高なる任務なのだよ。剣の代わりに口を用い、流すのは血ではなく友好の言葉を。身一つで異国へ乗り込み、信を求め勇をもって友となる。外交をまかされる特使とは、ときに一軍の将に勝る存在意義があるのだ。だというのにだね……」
ベン・タールは雄弁に演説をかました後、口角をへし折って首を大きく横に振った。
「なにかご不満でもありますか」
棘のある声で、この集団の一員として参加するアイセ・モートレッドが問いかけた。
「不満? ああ、あるとも……。外交へと赴く交渉事はなにより繊細な任務なのだ。ただでさえ他国の人間は異文化人への警戒心が強い。なのにだ、今回の任務には輝士階級にある者が私を含めて四名。加えて南方出身の得たいのしれない大男と見るからに怪しげな従士が一人ときている。百歩譲ってサーペンティア家の若武者を護衛にいただいたことは光栄に思うがね、他のついてきたコブはまったくの無駄、足手まとい以外のなにものでもない。まったく上はなにを考えてこんな──」
終わりの見えない愚痴に嫌気を感じ、アイセはベン・タールの声を意識の外へ追いやって自身の旅支度に集中した。
旅の経験に乏しいアイセにとって荷造りはいまいち要領を得ない苦手分野だった。が、最低限の装備はきちんとした物が支給されているため、その点においての苦労はない。
問題は個人的な荷物のほうだった。
深界を行く卒業試験とは違い、この旅に持ち込み制限などはなく、常識の範囲に収まるのならばなにを持って行こうとも自由なのだが、制限がないと聞くと、衣類や日用品など、遠方へ赴くことを思えばあれこれと持っていきたくなるのが人情というものである。
しかし、各自に与えられる移動手段は馬一頭のみ。当然、従者に馬車をひかせて追従させることもできず、実質的には馬一頭に乗せることができる範囲で荷造りをしなければならない。
アイセは、従者に届けさせた許容量限界まで押し込んだ重い旅行鞄を、馬の鞍に下げようとして持ち上げ、驚いて声を裏返した。
「なん──だ、これッ」
モートレッド伯爵家に長く仕える熟練の使用人の収納術により、超高密度に詰め込まれた旅行鞄は、その見た目にそぐわない恐るべき重量を秘めていた。
──ここまでくるともう、職人の域だな。
収納術に他人事のように関心し、アイセがわき出してきた額の汗を拭っていると、側で荷造りをしていたシトリが、きゃんと可愛いらしく悲鳴をあげて尻餅をついた。どうやらアイセ同様に旅行鞄を持ち上げようとして失敗した様子だが、アイセはそんなシトリの様子をじっとり湿った目で見つめていた。なにしろ、彼女は普段こんな高い声で悲鳴を上げたりなどしない。
──みえみえじゃないか。
話しかければ黙っているか、機嫌悪く愚痴をこぼして憎まれ口しか言わないシトリは、大袈裟にこけて痛めた足に気をつかうような素振りをみせている。が、これも演技だとアイセは即座に見破った。
アイセの冷めた推理もそこそこに、シトリは早々に獲物を釣り上げた。
──ほら。
シトリを心配して様子を覗う灰色髪の青年シュオウ。
ここのところは言動一つ一つに余裕が感じられるようになった彼は、軍人としてもすっかり様になっているし、堂々とした佇まいは彼の着ている服が従士服なのを不思議に思うほどである。しかしそんなシュオウでも、裏心あるしたたかな演技を見破る術は持ち合わせていないようだった。
「おい、だいじょうぶか?」
親身にシトリの無事を確認するやわらかなシュオウの声。耳に届いたそれが、アイセには少しねたましく聞こえた。
「足、ひねったかも……」
大袈裟に震えたか細い声でシトリは返した。
アイセは心中で悪縁の同僚をなじる。
──うそつき、うそつき、うそつき。
説教は耳を素通りし、他人の心配に手をなぎ払って応えるのがシトリという人間の本質だ。
シトリの嘘を真に受けたシュオウは、彼女の旅行鞄を代わりに馬に乗せ、尻餅をついたシトリの手をとって優しく引き起こした。ここまでの手順もすべて彼女の計画通りの事だろう。
一連の出来事に乾いた視線を送るアイセは、どこからか聞こえた舌打ちの出所を探した。それは不機嫌に顔を歪めた南方人の男がしたことだと、すぐにわかった。
シュオウが個人的に雇っているという彼、ガ・シガは南の戦地に滞在していた傭兵なのだそうだが、左手の甲には彩石がある。
粗野で乱暴、ギラついた野生の肉食獣のような目で人を睨みつけるこの男のまわりには、城壁よりも分厚い壁が立ちはだかっているように感じられた。
シガは自身の馬の背を撫でながら、目を細めてシュオウとシトリのやりとりを見つめていた。
「くっだらねえ」
ぽつとこぼしたシガの一言が聞こえたのは、アイセがちょうど彼に注意を向けていたからだったのだろう。
アイセはこの野獣のような大男に、はじめて一抹の親近感を抱いていた。
もののついでに、アイセはもう一人の旅の仲間を探した。
ムラクモにおいて燦光石を有する四家の一つ、サーペンティアの若様、ジェダ・サーペンティアは、旅支度も早々に終え、ただ馬にまたがって、虚ろな目で静かに虚空を見つめていた。
シュオウとはまた違う意味で、彼は非常に目立つ人物だ。
その原因は性の境界を超えた端正な顔貌にある。目の前に現れれば誰もが彼に視線を送り、そのうちの多くは溜め息をこぼし、さらにそのうちの幾人かは息をするのも忘れるだろう。
切れ長の涼やかな目元は初夏の雲のようにさわやかで、高くすっきりと整った鼻梁は雪解け水がきらめく初春の清流のように美しい。太陽を一身に浴びる若草のような黄緑色の髪の毛も目映く、希少な宝石のように価値あるものに見えた。
アイセがこのサーペンティア家の若様を見るのはこれが初めてではない。同期間に宝玉院にいたこともあるのでそれも当然だが、そのわりに、彼の姿を学院の中で見かけることは希だった。
日々の生活を寮で過ごす候補生達のなかでも、彼はふらりと姿を消し、いつのまにか戻ってたまに宝玉院の授業を受ける、ということを繰り返していたのだと聞いたことがあるが、学年に隔たりがあったアイセには、そうしたおぼろげな噂話が何度か耳に届いたことがあるだけだった。
ジェダ・サーペンティアは類い希な容姿に恵まれているわりに、存外存在感のない人物だったように思う。これほどの美貌を持っていれば、恋に恋する女生徒らの口からその名がもっと出ていてもおかしくないというのに、実際にそうした話を聞いたことはほとんどなかったのだ。
改めて旅の一行を見やり、アイセは微かに首をひねっていた。
この任務の外交特使に任命されたベン・タールが愚痴をこぼすのもよく理解できる。関係良好とはいえない異国との交渉に臨むには、この一行はあまりにも統一性がなく、ありていに言えばまったく無意味な組み合わせなのである。
違和感の元は大きく分けて二つ。この場にシュオウがいることと、サーペンティアの若様が護衛官として同行することだ。
シュオウの階級は従士曹。年齢や生い立ちを思えばすでに破格の階級にあり、ムラクモ王国軍が彼に対して一定の評価を与えているのがわかるが、だからといって外交任務に同行させるまでの理由には届かない。
ジェダ・サーペンティアにしてもそう。伝統的にムラクモの外交官は単独で任務をこなすが、それは乗り込む先が友好国でない場合、たとえ百を超える数を同行させたとしても焼け石に水。敵地にあって相手がその気になれば、外交特使の命など一瞬でひねり潰されてしまうからだ。
ムラクモでも抜きんでて地位のあるサーペンティア家が、血族者を死地になるかもしれないような所へ容易く送るものだろうか。常識で考えるのなら、それは否である。
未だ経験の浅いアイセ、シトリの両名が同行することにも疑問はあるが、これまであちこちへ配属されてきた研修任務の延長と言われれば、一応の納得はできた。
シトリの相手もそこそこに、シュオウは彼女の元を離れた。すかさず、アイセは寸前までの考えを捨て、旅行鞄を必死に持ち上げるふりをする。
アイセが苦しそうにうめき声をあげると、シュオウが一瞬視線を向けた。はっきりと目を合わせ、アイセは瞬間顔をほころばせる。シュオウは口を僅かに開け、なにか言葉をかけようとしていた。アイセには彼がなにを言うかわかっている。手伝おうか、とぶっきらぼうに、しかし思いやりを込めた声で気遣ってくれるはず。
「ありが──」
先走ってでた感謝の言葉。しかしアイセは口を噤んだ。一瞬重なったと思ったシュオウの視線が明後日の方向に向いてしまったのだ。
──えッ、と。
勘違いをしたのか、と気恥ずかしさに火照った顔をうつむいて隠した。それも束の間、熱を帯びた顔は一瞬で冷めていく。
──見ていたくせに。
そう、間違いなくシュオウはアイセの状況を把握していたはずである。
口に出して頼めばよかったのか。しかしそれはできない、シトリの目がある前でそれをすれば自尊心に大きな傷がつく。優しさをねだるような真似はしたくない。たとえ、それをなにより欲していてもだ。
結局、アイセは一人で重い旅行鞄を持ち上げるのに多大なる労力を消費するはめになった。
汗を拭って見上げた空を見て、アイセは無意識に左手にはめた指輪を撫でた。
大空を行く水鳥の群れは、寸分違わぬ精度で距離を空け風を受けて優雅に飛翔している。
止めどなく愚痴を零す中年男、退屈そうな褐色肌の大男に、無口な大貴族の公子様。特定の一人にしか興味がない水色髪の娘に、無愛想な灰色髪の従士。そして機嫌を損ねた金髪娘。
皆の間を冷めた晩秋の風が吹き抜けた。
2
ムラクモ領内から通じる最も単純な道筋、ターフェスタへの入り口となる要塞アリオト。
一行が最初の休憩地としてアデュレリアを経由し、アリオトを目前に控えたムツキ砦に付随する宿場街についた頃、王都を出発してから三日の時が流れていた。
ここへ来るまでとった休息は最低限。
しかし三日もたてば人馬ともに溜め込んだ疲労も上限一杯にまで達していた。
そこで、この旅の指揮者であるベン・タールは、夕方から翌朝まで、一晩まるごとを休息にあてがい、越境に備えた最後の支度を調えることに決めたのだった。
「おいふざけんな、これっぽちかよ──」
宿の食卓につき、並んだ料理を見たシガは、天井を仰いでクマのいびきのような重い息を吐いた。
シガは物言いたげな目をシュオウに向けた。
「おい、シュオウ」
シュオウはふんと視線を逸らす。
「お前の底なしな胃袋を満たすための財布は置いてきた」
舌打ちをしたシガは尖った歯をむき出して、彼の大きな拳よりも小さな肉の塊に突き刺した。持ち上げた肉に噛みついて、威嚇するように血走った眼でベンを睨めつけた。
ベンは顔の皺を歪め、シガをにらみ返した。
「そ、そんな顔をしても追加注文は許さんからな……支給された資金には限りがあるのだ。まだ国内に留まっているうちから無駄な出費を重ねていたらどうなるか──」
「ぐるるるッ!」
獣のようにシガが唸ると、ベンは露骨に怯えて肩をすくめ、すかさずシュオウを睨んだ。
「おい従士、この狂獣の雇い主は君なのだろう! なんとか言ってきかせたまえ、それともなにかね、私を脅すためにわざわざ同行させているのではないだろうな!」
シュオウは卓の下でシガのスネを蹴り上げた。
「シガ、ついてくる気があるなら隊長の言うことに大人しく従ったほうがいい」
少しも痛がっている様子なく、シガは渋々といった表情でベンから視線をそらした。
一方、怒り心頭に見えたベンは、なぜかにへらと笑みをこぼす。
「隊長……隊長か……うふ」
頬をピンク色に上気させた中年男というものは、目にそれほど心地よくない。シュオウは食べ物に注意をそらすふりをして、にやけたベンの顔を視界から追い出した。
そうこうしていると、二階から二人の見目麗しい女達が降りてくる。
「シトリ、お前わたしの化粧水を黙ってつかったなッ」
「知らない」
「ならなんで新品だった瓶が湯浴みをしていたほんの少しの間に半分近くもなくなってるんだッ」
「自分で使って忘れたんでしょ」
「一度に半分も使うものか!」
「砂漠なみに干上がったがびがび肌なんでしょ、それくらい吸い取られてもおかしくないじゃん」
「言ったな──」
がみがみと口げんかをしつつ降りてくるアイセとシトリ。やりとりを始終聞いていたベンは、耐えかねたようにこめかみをぎゅっと押えた。
「子供を連れて越境任務にあたる日がくるとは……」
ベンが嘆いて頭を振っている間に、言い合いをしながら二人が食卓へやってきた。
シトリは流れるような所作で椅子をとり、シュオウの隣りにぴたりとつけて座った。その様子を見ていたアイセは、微かに唇を噛んで、シガとベンの間に席を落ち着けた。
席についた途端、ぴたりと口を噤んだアイセは、ちらちらとシュオウに視線を寄越す。
シュオウは気まずさを覚え、ごまかすように汁物を思い切り掻き込んだ。
ここのところ、シュオウはアイセとの間に微妙な溝を感じていた。
それは、以前まで感じたことのない違和感。共にあること、側にいること、親しくしていることへの後ろ暗さだった。
そうした感情が芽生えたきっかけは、彼女の父親と直接話をした事。娘のために距離を置いてほしいと、そう求められたときの言葉に、嘘や偽りの色は混ざっていなかった。
誰となにをしようが自由ではないか。湧いた反骨心は徐々に力を失い、気がつけば、まえのように飾らずにアイセという人間と関わることができなくなっていたのだ。
家族を想ってでた言葉はけして軽くはない。それが、棘のように鋭く、シュオウの心根に突き刺さっていた。
シュオウはその想いを、誰に打ち明けることもなく隠し続けるつもりだった。が、この旅に出発する際にとった行動がまずかった。無言で助けを求めていたアイセに気づいていながら、知らぬふりをしてしまったのだ。
それ以来、アイセのシュオウに対する態度も、どこかよそよそしい。そう、ついに二人の間に生じた壁に気づかれてしまったのだろう。
誰一人噛み合わぬ空気のなか、それぞれの食事が進んでいく。
最後に遅れて現れたのはジェダ・サーペンティアだった。音もなく静かに食卓に歩み寄り、小さな硬いパンを一つ掴んでそそくさと別の卓へ座り、ちびちびと欠片をかじりとっている。
旅立ちからここまで、ほとんど口を開きもせず、他人と関わろうとしない彼に、誰もなにも声をかけることもしない。しかしそんなジェダの様子を見て感心したようにベンが褒めそやした。
「見たまえ諸君、あれこそムラクモ輝士のあるべき姿だ。寡黙で節制を貫くあの姿勢。腹を満たそうとしないのも、任務への緊張感を保つためだろう。いやあ、さすがは風蛇公のご子息、それになんともお美しい……」
心中、シュオウは首を傾げていた。
以前に関わった際、この男はなにかにつけて軽薄であり、口もよく動かしていた。人を見下したようなにやついた顔と合わせて、ベンの語るジェダ・サーペンティア像は、まるで別人なのだ。
「私も見倣わなければ」
言って食事を切り上げたベンは、椅子を引いて失礼するよ、と告げた。
「──おっと、忘れていた」
ベンは脇に置いてあった手荷物のなかから衣服を二着取り出し、それぞれをシュオウ、シガの二人に手渡した。
それは見慣れたムラクモの青い輝士服である。
「これ、輝士の?」
シュオウが聞くと、ベンは頷いた。
「そうだ、君たち用にわざわざ用意させておいたのだ。明日はそれを着ておきたまえ。権威ある大国の名に恥じぬよう、きちんとした正装で向かわねばならんッ」
口に食べ物を含んだまま、シガが異を唱えた。
「冗談じゃねえ、こんな気持ち悪い真っ青なもん着られるか」
ベンは臆することなく胸を張る。
「冗談ではない! 対外交渉とは見栄をはるものなのだッ。単身で乗り込むところを、これだけぞろぞろと人を連れて行かねばならんのだぞ。輝士三名に加えて南方人の傭兵と従士まで引き連れていけば、このベン・タールはいかに臆病者かと笑いものにされてしまうのだ! 冗談ではない? こっちの台詞だよ! こうなれば、せめても全員、輝士としての体裁を整え見栄えだけでも繕わなければ。そうだ、輝士剣の用意を忘れていたぞ──」
ぶつぶつと呟きながら、ベンは自室へと引き上げていく。シガも相手にする気が失せたのか、再び食べ物へ関心を戻していた。
「それ着てるところ見てみたいッ、きっと似合うよ」
隣りに座るシトリが目を輝かせながらシュオウの輝士服に手を伸ばした。
「ね、着かたはわかる? よかったらあたしが──」
シトリの提案を遮って、シュオウは頷いた。
「わかる」
実際、ムラクモの水晶宮にある王女の私室へ呼ばれた際、身元を隠すために何度もこの服を着させられたのだ。
「ふうん」
つまらなさそうに口を尖らせるシトリから制服を受け取り、広げてみたそれは、シュオウの体格よりも一段上の大きさであるようだった。
「シュオウ……」
おそるおそるといった様子で、アイセが上目遣いにシュオウの名を呼んだ。
「……なんだ」
「北方は灰色の髪をした人々が多く暮らす地だ。明日はいよいよそこへ向かう。その……なにか思わないのか」
「……なにかって?」
「生まれや、親のこととか……」
シュオウはそっと、手にしていた輝士服を握る手に力を込める。
シトリが冷めた声をアイセに投げかけた。
「無神経」
アイセは途端、青ざめた顔で落ち着き無く視線を泳がせた。
「あ、いや……ちが……」
ごめん、と言い残しアイセは食事も途中で投げ出して一人食堂を後にする。
引き留めようとして伸ばした手を途中で止め、シュオウは息苦しさをおぼえて従士服の襟を広げた。
「くっだらねえ」
ベンとアイセが食べ残した食事をかき集めながら、シガがぼそりと呟いた。
3
ベンが要塞アリオトの門前で書簡を広げながら名乗りをあげ、ゆっくりと重い鉄門が上がると、出迎えに出てきたターフェスタの輝士とおぼしき二人の人物が現れた。
赤と黒を基調とした冬物の輝士服を纏う男と女。身長ほどもある長い棒を持つ男のほうは、顔にはまだあどけなさを残しているほど若く見える。女のほうは十歳前後ほどの正真正銘の子供だった。
シュオウの目は、二人の髪に釘付けになっていた。ムラクモでは自分以外に見かけることのなかった灰色の髪。明暗に差はあれど、二人ともムラのない単色の美しい髪の色をしていた。
両者とも腰に特徴ある細工を施した花の形をした紋印を下げていた。
紋印を見たベンはうわずった声で両手の平をすりあわせた。
「な、なんとッ、冬華六家の方々に直接お出迎えいただけるとはッ、私はベン・タール。このたび、ムラクモより使わされた特使団代表を務めておりますッ、なにとぞお見知りおきを」
もみもみと両手を握りながら、ベンはへこへこと腰を折る。
対するターフェスタの輝士達の態度は冷めたものだった。片割れの少女は名乗るでもなく、ムラクモの一行一人ずつを見て一本ずつ自身の指を折っていく。
「いち、にぃ、さん──」
たどたどしく人数を数えながら最後にジェダに目を送り、
「ろく……おおすぎ」
ベンは額に汗をため、愛想笑いを浮かべた。
「いや、はは、人数の多さは我が国の誠意と受け取っていただければ……」
少女は目を細めむすっとした表情をし、
「じゃま……」
と、呟いた。
その少女の頭を、もう一方の青年が後ろから軽くはたいた。
「許してやってください。こいつ、まだ十一歳の子供ですから」
さっぱりと整った顔にえくぼが浮かぶ愛嬌ある笑みを浮かべ、青年は白黄色の輝石を胸に置いて一礼した。
「主君より冬の華の紋章を戴く親衛隊、冬華六家の一人ナトロ・ラハ・カデン。ムラクモ特使一行を丁重にお出迎えをするよう、ターフェスタ大公殿下より申し受けております」
名乗ったナトロは黙って佇む隣りの少女を膝で小突いた。
少女はいらだちに顔を歪めながら、ナトロに倣って明緑色の輝石を胸に乗せ、膝を軽く折って一礼する。
「冬華六家ユメギクの輝士、ユーカ・ゼル・ネルドベル。覚えなくていい……」
紹介を受け、ベンは恐縮したように何度も頭を下げて応じていた。
「これは、ご丁寧に……冬華六家の名声は我が国にも深く届いております。お二方にお会いでき、まっこと光栄の至り──」
突然ベンが振り向き、ムラクモ側の面々を強く睨んだ。
「──なにをぼうっとしているのだ! 君たちもきちんと名乗りたまえッ」
慌ててアイセが一歩まえへ出た。緊張した面持ちと強ばった声で、
「わ、私は──」
しかし、アイセが名乗りをあげる寸前に、ナトロが声をあげた。
「待った、あんたらの紹介はいいよ──」
突如ぶっきらぼうな態度をとり、服のボタンをゆるめ、立てて丁寧に持っていた棒を肩に担いで、行儀悪く両手をぶら下げた。
「最初の礼は尽くしたし、うざったい演技はやめさせてもらう」
キョトンとして口を開けたまま固まるアイセを、小馬鹿にしたようにナトロが笑う。
「だいたいさ、代表者の名を聞けば十分なんだよ。付き添いか護衛かしらないけど、その他大勢に興味なし。それに、もう一人、聞かなくたってよく知った名前の奴もいる──」
ナトロは険のある目をある一点に向け、笑みを消した。
「──あんたがジェダ・サーペンティア、だよな。気をつけろよ、この国にはあんたのせいでろくに葬儀もできなかった者の親族がわんさかいるんだぜ」
一団の最後尾にいるジェダはなにも言葉を返さぬまま静かに目を閉じた。その対応に、ナトロはつまらなさそうに鼻を鳴らす。
事情を飲み込めていない様子のベンは、首を傾げながら二人の顔を交互に見ていた。
ふと流れたナトロの視線がシュオウに合わさった。
「へえ、めずらしいな、ムラクモにも同族がいるのか……」
返す言葉なく、シュオウはただじっとナトロの瞳を見つめ返した。
彼の隣りに佇むユーカもまたシュオウを見つめ、ぼそりと呟いた。
「うらぎりもの」
ナトロは吹き出すように笑い、ユーカの頭をぽんぽんと叩く。
「悪いな、こいつはまだガキだから思ったことを口走るんだ。でもま、裏切り者ってのはぴったりな言葉だよ。そもそもが、ムラクモって所は国を捨て神も捨てたならず者の集まりで出来た国だろ? 元を辿れば、ここにいるあんたら全員がそうだって言えるんだろうしな」
ナトロの物言いに、黙っていたアイセが声を荒げた。
「なんだとッ」
けんか腰になりかけた空気の中、慌ててベンがおどけた声をあげた。
「いやあ、ごもっとも。たしかにムラクモ貴族は訳あって西国を出た者達の末裔が多くを占めております。が、北方と大山を挟み、我が国ムラクモは直接西方諸国と国境を面しておらず、自然争いごとも生じません」
ナトロは眉をあげ、
「矛を向けていないから裏切り者じゃないってか。ふうん、ものは言い様だな」
気勢をそがれたアイセは鼻息をおとして怒った肩の力を抜いた。
ナトロはふらりと背を向けて、
「ま、いいや。まずは都へ案内させてもらう。それが俺たち二人に与えられた命令なんでね。こっちも他の仕事を後回しにしてここに出向いてるんだ、余計な時間をとられないよう、しゃきしゃき付いてきてくれると助かるよ」
反対側の門へ向かう二人の後を、ムラクモの一行も馬を引きながらついていく。
ベンは我先にと後に続き、まだ怒りをくすぶらせているアイセもそれに続く。その後をだるそうにふらふらとシトリが追いかけ、退屈そうにあくびをして尻をかくシガが続いた。
頑なに最後尾にこだわっている様子のジェダを無視して、シュオウも無言で彼らの後に続いた。
要塞アリオトの内部は堅実堅牢な造りのムラクモの砦とよく似通った雰囲気を帯びていた。軍事要塞としての規模は比べものにならないほど大きく、広い中庭は一つの村や集落を置けそうなほどのゆとりがある。
シュオウは要塞の内部をつぶさに観察した。
各所を固める兵士達の数はまばらで、想像していたよりもずっと静かな様子である。
部分的に配置されている平民出身の兵士たち。彼らの頭もまた皆灰色をしていた。
西側に抜けるための門へ近づくと、道の左右に整列した輝士達の行列が見えた。皆が戦に臨む時の重装備に身を固め、輝士の長剣を佩き、白い弓を背に負っている。
「……あれは、いったいなにごとで」
聞いたベンに、ナトロは振り向かずに応える。
「あんたらの護衛だよ。大公殿下の指示で腕の良い現役の輝士が二十人。都に着くまでの間、随行することになっている」
「これほどの数の輝士を護衛に……ですか」
渋い表情で首をひねるベンの態度からして、これは通常の対応とは違うのだとシュオウは察した。
ナトロは軽い声で、
「俺は反対したんだ。こんだけゾロゾロ集団で動いてたら足も鈍るし、それにさ──」
ちらりと後ろを見て、ナトロは途中で口を止めた。
一行が居並ぶ輝士の間に入る。緊張からか、誰かが固唾を飲み込む音が聞こえた。
輝士達は一斉に、鞘をつけたまま剣を抜き、地面に突き立てて膝を折った。
礼法にのっとった作法だが、輝士達の顔つきは皆一様に暗く、鋭い。
シガがちらとシュオウへ振り返り視線を送る。シュオウは彼が言いたいことを理解し、そっと頷いてみせた。
居並ぶ輝士達が帯びた埃っぽい雰囲気。彼らは平穏な宮城に詰めている格好だけの輝士達とは違う。前線に出て命の奪い合いに身を削ってきた戦士、精鋭達だ。
南方との定期的な戦にかり出されていたムラクモ輝士達と、彼らが帯びた空気はよく似ている。
列の中盤ほどにさしかかった時、膝を折っていた一人の輝士が突如立ち上がって剣身を鞘から抜きはなった。
「ジェダ・サーペンティアッ、父のかたき!」
血走った眼を剥いてジェダに斬りかかった輝士の体は、次の瞬間には宙に浮いていた。
どこからともなく発生した唸り風が、重い鎧をまとった輝士の体を持ち上げ、城壁に押しつけたのだ。
目映い緑の光が、ターフェスタの輝士ユーカの手元からあふれ出ていた。
「だから言ったんだ、こうなるのは目に見えてたのに」
ナトロのつぶやきに、ユーカは静かに返す。
「でも、見せしめになる」
「そうだな──」
他の輝士達が困惑しているなか、ナトロは拳を握って地面を殴りつけた。瞬間赤い光が地面に伝わり、城壁に押し当てられた輝士に向かって高速に伸びていく。赤い光は輝士の寸前で爆風をまきあげ、地面に敷かれた石材を砕いて、巻き上げられた破片が輝士の体全体に食い込んだ。
背後の城壁に穴を開けるほどの力にさらされ、輝士の皮膚は破れ、砕けた骨はむき出しになり、血溜まりのなかにぼそりと身を落とす。
だれが見るまでもなく、輝士は絶命した。
崩れ落ちた城壁を見て、ナトロは後ろ頭に手を当てた。
「やりすぎた……」
ナトロは首を振って振り返り、他の輝士達に声をあげる。
「大公殿下はムラクモ特使の無事を守れと厳命をくだされた! これを破った者には現地で極刑を与えることが許されている。結果は見ての通りだ、全員改めて肝に銘じておけ」
どよめきが広がり、輝士達は口々に了承を告げた。
一連の出来事をあっけにとられながら眺めていたベンは、額に汗を溜め、脇をびっしょりと濡らしていた。
アイセは当然のこと、シトリでさえ目の前で起こった事をまえに、怯えた顔で服の裾を握っている。
眠気を飛ばした様子のシガは、まわりを警戒するように足腰に力を込めていた。その後ろで佇むジェダは、襲われたことなど意に介さないといった様子で、静かに瞼を落としている。
彼ら一人一人の様子を、どこか他人事のようにシュオウはじっと観察していた。
*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*
ここまで読んでいただいてありがとうございました。
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