『ラピスの心臓 無名編 第一話 ムラクモ王国』
シュオウは長い間、人里から離れて生活を送っていた。
その間、師から様々な事を教わり、学んだ。
だが、文字や言葉で知った事では、あまりにも味気ない。
灰色の森の歩き方や狩りの方法について学んでいたときも、話で聞いて教えられたときよりも、実地で直接訓練をした時のほうが、遙かに経験値は高かった。
そういった事もあり、シュオウの中で実際に己の目で、耳で、鼻で世界を感じたいという欲求は日増しに強くなっていき、結果として、ほぼ強引に師匠であり育ての親である人の元から、逃げるようにして家を出てきてしまった。
灰色の森をようやく抜けると、そこは白い石を敷き詰めて作られた街道だった。
別名〈白道〉と呼ばれるこの街道は、〈夜光石〉という特殊な鉱石を切り出し、加工した物を敷き詰めて作られている。
夜光石は空気中の湿気に反応して、白くぼんやりとした光を放つ特性がある。
この夜行石の放つ光は、灰色の森の浸食を防ぐ効果があり、狂鬼もこの光を避けて通ろうとする傾向がある。
理由は不明で絶対の効果があるわけではない。
それでも白道の上を行くかぎり、ある程度の安全は約束されるので、人々にとっては重要な交通手段となっている。
白道の上を歩く。
白道は表面こそザラザラしているが、どれも綺麗に真っ平らだった。
これなら馬車の車輪も難無く通過することができ、流通もスムースになる。
灰色の森は複雑に絡み合った植物等で最悪の足場だったが、白道は人間が人間のために用意した道というだけあって歩きやすかった。
足取りも軽く白道を進むと、地面が少しずつ上へと登り始めるところで白道が途切れた。
この辺りから、この土地の者達が定めた安全地帯ということだ。
高所へとゆるやかに傾斜している道を進むと、目の前に石造りの外壁に囲まれた街が見えた。
この世界には、東西南北に連綿と連なる山脈がある。
〈ムラクモ王国〉は東の山脈に位置する大国だった。
豊富な鉱物資源を活かした武器製造で国庫は潤い、人々の生活も豊かだ。
〈王都ムラクモ〉
街の入り口ではためく旗にそう書かれていた。旗の中心には翼のある蛇のような生き物が描かれていた。
――懐かしい、のかな。
自分の子供時代、浮浪児として生活をしていた国の名前がムラクモ王国だと師から教わってはじめて知った。
この王都ムラクモは、まさにシュオウが子供時代をすごしていた場所でもある。
十二年ぶりに感じる街の匂いは、郷愁にも似た気持ちと、孤児として生きていた苦い記憶を沸き上がらせた。
現在の時間は夕暮れ時。
街は仕事帰りの男達や、夜食の買い物に出てきた女達で賑わっている。
街ゆく人々が、時折シュオウの顔をチラチラと覗いてくる。
それが顔の半分近くを覆う大きな眼帯のせいなのか、見慣れない格好のせいなのかわからなかった。
なんとなく落ち着かない気分で、シュオウは表通りから離れた。
少し裏道にそれると、辺りはひっそりとした住宅地で、ここなら少し落ち着けそうだった。
シュオウの持ち物は、狂鬼の虫の歯で作った短剣、狂鬼の獣の皮で作った外套、それと数日分の携帯食だけだ。
食べ物は狩りをすればどうとでもなる。睡眠も野宿でしのげる。生きていくだけならそれだけで十分だが、人間の世界というのは何かと金が必要になってくる。
長年、隠遁生活をしてきたシュオウであっても、まともな宿で休んだり、その土地のものを食べたり飲んだりしてみたい、という欲はあたりまえにあった。
世界を見るという目的がある以上、各国を渡り歩くためにもやはり金は絶対に必要だ。
都合のいいことに道の隅に〈職業斡旋ギルド〉と書かれた立て看板が目に入った。
仕事をして金を稼ぐ、という当たり前の行為も、今のシュオウにとっては新鮮で、考えただけで胸が躍った。
看板の案内に従って街を歩き、ギルドにあっさりとたどり着いた。
土地勘のない余所者だったなら迷ったかもしれないが、シュオウは子供の頃に、この街の裏道を行ったり来たりの生活を送っていたため、迷う心配はない。
「おや、いらっしゃい」
ギルドに入ってすぐ、カウンターにいた初老の男が話しかけてきた。
「看板を見て来たんですけど、ここで仕事を紹介してもらえますか」
「ふむ」
男はシュオウの靴から頭のってっぺんまで視点を動かした。
「なるほど。で、どんな仕事をお望みだね」
「長期間拘束されず、できるだけ稼ぎのいい仕事を」
「短期間で儲かる仕事……か。ううん、難しいね」
男は口を下に曲げて、難しい表情で手元の資料をパラパラめくった。
「難しいですか」
「いやね、夏頃だったら他国からくる隊商の荷運びの仕事が、人手がいくらあっても足りないくらいあるんだが、冬を目前にした今の時期はどこも人手を欲しがってるとこなんてないからね。今紹介できそうなのは、どこも長期で人手を募集している所ばかりだね」
「そうですか……」
どうやら仕事の少ない時期と重なってしまったらしい。
あきらめて今後の事を考えようかと考えていた矢先、男が何かに気づいたように眉をあげた。
「お、一つだけ紹介できそうなのがあったよ。王国軍の従士志願者の募集だ」
「軍の従士、ですか」
体は鍛えてあるし、戦うことについても師に血反吐を吐くほど鍛えられてきたのでそれなりに自信もある。
なので体を使う仕事への躊躇はないが、軍隊ともなると長期間拘束されるのは避けられない。
「長期の仕事は困ります」
「いやいや、それがね違うんだよ」
「違う?」
「これは軍の従士候補を選抜する試験の参加者を募集するものでね、たとえ試験に合格しても、その後に軍に入るかどうかは本人の意志が尊重される。そのうえ合否にかかわらず、試験後に高額の報酬を受け取れるんだよ」
「随分と、条件が良い」
「ううん、だけどねえ……」
男は良いにくそうに唸ってから、言葉を続けた。
「この試験は彩石持ちの貴族の子らが通う〈宝玉院〉の卒業試験も兼ねているらしいんだ。この試験内容が危険なものらしくてね、従士志願者のうち半分以上が毎年この試験で死んでるって話だよ」
「そんなに……」
「まあね。貴族様と違って、俺達みたいな濁石持ちの平民は、自分を守る術が腕っ節と運しかないからね」
この世界の生き物は、一部の植物等を除いて、みなが〈輝石〉と呼ばれる石を体の一部に持って生まれる。
輝石は人間の場合、左手の甲の部分に埋め込まれたような形で存在する。
輝石には〈彩石〉と〈濁石〉という種類がある。
濁石は、輝石が灰色に濁って見える様からそう呼ばれていて、多くの人々があたりまえに持っている石がこれだ。
輝石が灰白濁している事以外に、なんら特別なものはない。
一方彩石は、青や緑などの鮮やかな色をした輝石のことを言い、これらの輝石は水や風などの様々な自然を操り、干渉する力を有していた。
彩石は遺伝によって確実に継がれていくので、どの国でも彩石を持つ人間は特権階級に属している。
もちろん、ムラクモ王国も例外なく彩石持ちの人々は貴族階級にあった。
「こっちから言っておいてなんだけど、これはやめておいたほうがいい」
「試験の期間は?」
「うちが預かった資料によると、一ヶ月ほど、とあるね」
拘束される期間が一ヶ月、生きて帰れば多額の報酬を貰えるうえ、軍への加入は強制ではないらしい。
条件としてはシュオウの希望に叶っている。
試験は死が隣り合わせな危険なもののようだが、シュオウはそれを突破する自信があった。
「その仕事でいいです。紹介してください」
「本気かい?」
「問題ありません」
「まあ、うちとしてはこの仕事を紹介すれば、軍からそれなりに報酬が出るからありがたいんだが……」
半信半疑な男の目を見て、頷いてみせた。
「覚悟はあるようだね。わかった、そういうことなら紹介状を出そう」
「ありがとうございます」
男が取り出した紹介状は、ギルド名と紹介者のサインの書いてある紙だった。最後にギルドの紋章が入ったろうそく印を押して完成した物を受け取った。
「お前さんは旅の人だろ。今日の泊まるところは決まってるのかい?」
「いえ、金がないので野宿でもしようかと」
「野宿って、こんな寒い時期にかね」
「慣れてますから」
子供の頃でもどうにかして真冬を生き延びたのだ。成長し、体力もある今なら街中での野宿などたいして苦にならない。
「よかったらここで泊まってくかね? たいしたものじゃないが、パンとスープくらいならご馳走できるよ」
「いいんですか?」
「なあに、お前さんみたいな上客を外で寝かせたりしたら、うちのギルドの名折れだからね」
気を遣わせてしまったかもしれない、と申し訳なくも思ったが、シュオウはこの好意に甘えることにした。
夕食の席でだされた暖かいスープとパンは、とても美味しく森からここまでに溜めた疲労が癒されていくようだった。
また、この街で最近起きた出来事や、仕事で経験した事などを聞くこともできて、とても楽しく有意義な時間を過ごすことができた。
ギルドの奥にあった簡易ベッドを借りて、シュオウは疲れた体をようやく落ち着けることができた。
――出足は、まずまず好調かな。
自分でも思っていた以上に疲労を抱えていた体は、そのまま飲まれるように睡眠へとおちていった。
◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇
翌朝、ちゃっかりと朝食までいただいたシュオウは、適度に満たされた腹をなでながら、従士募集の受付所のある兵舎を目指した。
募集要項にある〈従士〉というのは、濁石保有者の平民が軍に入った際に与えられる階級であり、左手の甲で鈍く光を反射している灰白濁した輝石を持つシュオウは、これに該当する。
彩石を持つ人間が軍人となった場合、その階級は〈輝士〉と〈晶士〉の二つに分けられると聞いた事があるが、自分に関わりのない事だと思っていたため、あまり詳しくは知らなかった。
シュオウは彩石を持つ人間には、まだ一度も会ったことがない。
自分を含め、浮浪児だった頃に目にした大人達も、師匠のアマネも濁石保有者だった。
この世界のほとんどの人間は濁石を持つ、なんら特別な力を持たない人々だ。
普通に街で生活を送っているかぎり、そうそう彩石保有者を目にすることもない。
彩石を有する貴族やその子女達は、その力を遺憾なく発揮するため、ほとんどが人生で一度は軍に所属するらしい。
――楽しみだな。
色付き輝石を操る人間の話は、師からたくさん聞かされた。
風を刃にして飛ばしたり、水の球で人間を吹き飛ばしたり。
そんな不思議な力を操る人間は、どれほどの強さを秘めているのか。シュオウの好奇心は尽きない。
渡された地図を見るまでもなく、目的の兵舎までたどりついた。
軍の施設というだけあって、外から見ただけでも頑丈そうな建物が敷地いっぱいに建てられていた。
兵舎の堅牢な門をくぐる。
素っ気ない中庭を通り、奥へ進むと、立派な石造りの建物が姿を現した。
建物の入り口に武装した兵士が二人、見張りに立っている。
二人の兵士はシュオウが建物に近づくのを待ってから、厳しい目をこちらに向け問いかけてきた。
「何者か、なんの目的があってここへ来たのか、簡潔に答えなさい」
兵士は腰の剣に手をかけている。
「ギルドから紹介を受けて、従士志願者として来ました」
ギルドからの紹介状を見せると、兵士は途端に表情をゆるめた。
「なんだ……。ここから左脇に入った中庭に仮設の受付テントがある。そこへ行って手続きをすませなさい」
「どうも」
指示通りに行ってみると、そこには芝生の生えたそこそこの広さの中庭があった。訓練用なのか、人型のカカシがいくつか置いてあり、その近くに木剣や木槍なども見える。
仮設の受付テントというのは、メインの大きな建物から別館へ移動する外廊下のすぐ近くにあった。
ただでさえ空気が冷え込むこの時期に、わざわざ外に受付所を設ける必要があるのだろうか、と疑問に思う。それもなにか事情があるのだろう、と一人で勝手に納得することにした。
仮設テントに近づくと、中から複数の男達の声が聞こえた。
中を覗くと、三人の兵士が小さなテーブルの上でコインゲームに興じているのが見えた。
入り口を見張っていた従士とは違い、この三人は青と白の高そうな布地でできた軍服を身に纏っている。
それぞれの手の甲には、青、緑、橙色の輝石が見える。あきらかに士官クラスの軍人達だ。
「すいません」
声をかけると、三人の男達の視線が一斉にシュオウに集中した。
「あ?」
男達のうち、もっともシュオウの近くに座っていた男が、気怠そうに立ち上がり、歩み寄る。
「ギルドから紹介されてきました。こちらで従士志願者を募集しているとか」
「ふん、やっとか。運が良かったな、お前で定員達成だ。この用紙に名前と試験への参加に同意する項目に署名しろ」
色付きの輝石を持った人間との、最初の遭遇は最悪なものだった。
他人を見下したような目。へらへらと締まりのない下卑たにやけ顔。
目の前の青い軍服に身を包む男は、ひとを不愉快にさせる才能を、生まれ落ちた時から持っていたのではないかと思いたくなるほど感じが悪い。
男は傍らから紙とペンを取り出し、それをシュオウの右脇の地面にわざわざ放り投げた。
後ろで座ったままの二人の男は、こちらの様子を伺って奥でへらへらと笑っている。
「それとな、採用試験に参加する奴の財産は、一度こちらですべて預かることになっている。金、武器、食料。最低限の着る物以外はここに出せ」
「………理由は?」
「はあ? おまえ、軍に雇われたくてここへ来てんだよな? だったら大人しく言うことを聞いていればいいんだよ」
男の態度がますます強硬になる。
なんの保証もなく持ち物を提出しなければならない、という命令に対して疑念は一切晴れていないが、軍人を相手に揉め事を起こすのは避けたい。
シュオウは渋々ながら従うことにした。
机の上に持ち物を並べていく。
携帯食料。武器。外套。
結局この程度の物しか、財産とよべる類の物は持っていなかった。
「おい、ふざけてんのか? 金を出せ、銅貨一枚でも隠したらゆるさねえぞ」
「金はない。疑うなら調べてもらってもいい」
「ならその場で飛び跳ねろ。音がなにもしなければ信じてやる」
シュオウは言うとおりに従って、その場で数回飛んでみせた。が、言った通り一銭も持ち合わせがないので、相手の男が期待した音はなにも聞こえなかった。
「ち、本当に無一文かよ」
――金があったらこんなところにくるものか。
心の中で悪態をついているうちに、後ろにいた男達までシュオウの目の前にやってきて、机の上に置いた物を物色しはじめた。
「さっすが平民、ろくなもん持ってないな」
「なんだこれ、干した肉……? こっちの短剣はまともに刃もついてないぜ」
「この外套は悪くない。なんの皮で出来てるかわからんが、質はよさそうだ」
この時、シュオウの疑念は確信へと変わった。
この男達はこうして仕事を求めてやってきた平民達の物を、都合よくとりあげて自分の物にしているのだろう。
おまけにまだシュオウが目の前にいるにも関わらず、それを隠そうともしてない。
彼らがこうした行いを、あたりまえの日常としていることの現れだ。
「そうだ」
はじめに対応した男が、シュオウの顔を見つめて顔を醜く歪めた。
「お前のその顔につけてるのもよこしな。見たところそれなりの作りじゃないか。売れば多少でも金になるかもしれない」
「お断りだ」
――例え裸にされたとしても、これだけは渡せない。
「おかしいな、よく聞こえなかった。……もう一度言ってくれよ」
男は耳に手を当てる、大袈裟なジェスチャーをした。
横にいる男達が、それを見て腹をかかえて笑う。
「これは大切な人から貰った物なんだ。欲しければなんでも好きにもっていけばいい。だけど、これだけは渡せない」
男達の笑い声が途絶える。
対する男は、唇を震わせ、血走った目でシュオウを猛烈に睨みつけた。
「ふざけんなよッ! 俺が出せと言ったらおとなしく出せばいいんだよッ! ただの糞平民風情が、輝士であるこの俺に楯突くなんてありえねえんだよッ!」
烈火の如く怒りだした男は、腰に下げていた長剣を鞘から抜き取り、切っ先をシュオウへ向けた。
「お、おい、いくらなんでもやりすぎだ。騒ぎになったら色々めんどうなことになるぜ」
さっきまで横で笑っていた男が止めに入った。
だが、怒りで頭に血が上った男は、武器を納めようとはしない。
「黙ってろ。こいつは他国からのスパイだった、そういうことにする」
「する、って……」
「この糞平民は俺達に反抗したんだ。こういう奴は、見逃したら調子にのって、後で俺達のことをチクるかもしれねえ」
「それはまずいよ。こんな事してるのがバレたら……」
二人の男のうちの一方の顔が青ざめた。
「やるしかないか」
二人の男も剣を抜き取った。
シュオウは仮設テントから後ろ歩きで、ゆっくりと距離を置いた。
それに続くように、抜剣した男達がテントを出る。
――言うことを聞かなければ口封じ、か。思考が短絡的すぎる。
やたらと好戦的な男に、不正がばれることに怯える取り巻き達。この三人、叩けばどれだけホコリが出てくるか。
それとも、ムラクモの軍人がすべてこうなのだとしたら、失望するしかない。
シュオウは気づかれない程度に嘆息した。
こうなってしまっては、どう転んでも面倒ごとは避けられそうにない。
三人の男達は前方からシュオウを覆うような位置をとり、剣を構えた。
一連の動作はあきらかに素人のそれとは違い、訓練した兵士特有の血なまぐささを想起させる。
中央に陣取った男が、全員に諭すように声をあげた。
「あやしい平民を見つけ、声をかけたら抵抗してきて、仕方なく殺してしまった。そういうことでいいな?」
左右の二人が無言で頷く。
攻撃は、まず左にいた男から始まった。
勢いをつけた走り込みからの横なぎ払い。
――視る。
シュオウの目は、火傷が原因で右目を使うことができない。にも関わらず、唯一無事な左目は、常人とは比べものにならないほど、優れた動体視力を持っていた。
しかし、その類い希なる動体視力を発揮するためには集中力が不可欠だ。
子供の頃は、平常心を保てる場合にのみ、この並外れた視る力を発揮することができたのだが、荒事や精神が不安定な状況下では、集中が散漫してしまい、うまく視ることができなかった。
だがそれも、師匠に鍛えられたおかげで、生死を賭した状況であっても冷静を保っていられる。
今のシュオウにとって、多少訓練を積んだ程度の軍人が剣を振りかざしたところで、躱すことなど児戯に等しかった。
横切りにシュオウの腹を狙った剣線を、軽く後退して絶妙なタイミングで躱す。
「なっ!?」
剣を振りかぶった男が、間の抜けた表情で自分の剣とシュオウに視線を数度泳がせた。
本人は切ったつもりで、剣に血がついていないのが不思議だったのだろう。
「なにやってんだ、このヘタレ!」
「い、いや、だってよ」
「もういい! 俺達二人で一気にとどめを刺すぞ」
中央の男は剣を袈裟懸けに振り上げ、右側の男は刺突の構えで同時にシュオウに襲いかかった。
この攻撃もまた、さしたる労力を使うこともなく、体をひねってすべて躱した。
――剣の腕はたいしたことないな。
灰色の森には、予備動作もなく稲妻のような早さで爪を振り回す狂鬼がいる。
そうした化け物を相手にしてきた日々を思えば、彼らの繰り出す鈍い攻撃など、訓練にもならないお遊び以下の領域だ。
それからも数度、男達はかわるがわるに剣を振り上げてはシュオウに一撃を浴びせかけた。
だがそれらすべての攻撃も、シュオウは難無く体捌きだけで躱してしまう。
「畜生、あたらねえ……なんなんだこいつ」
男達は息を切らせて剣を地面に突き刺し、杖がわりにしてゼィゼィと激しく呼吸している。
「もういい。晶気を使う……本気でやるぞ」
「わ、わかった」
「了解……」
晶気というのは、彩石保有者が使う力を指して使う言葉だ。
――力を使う気か。
シュオウははじめて緊張感をもって身構えた。
彩石保有者の使う晶気については、知識としてはそれなりに理解している。だが、シュオウにはそれを実際に目の当たりにした経験はない。
左の橙色の輝石を持つ男が、地面に手の平を向けると、地面の土が少しずつ空中に持ち上げられて集められ、しだいに太い矢のような尖った物体を形成した。
続いて中央の緑色の輝石の男は、手を上にかざして手の平に鋭く回転を続ける風の刃を作り出している。
右側の男も、いつのまにか胸の前で激しく唸る水球を溜め込んでいる。
見た瞬間にわかった。
それぞれの力が、一撃で人体を破壊してしまうだけの威力を秘めている。
――もらったらタダじゃすまないな。
覚悟をする。
晶気を視るのはこれが始めてことだ。
たとえ目で捉えることが出来ても、躱すことはできないかもしれない。
そもそも視ることさえ出来るかどうかわからない。
だから、覚悟をする。命を賭けることを。
――死ぬかもしれない。
中央の男の合図と共に、それぞれの晶気が一斉に放たれた。
風の刃はシュオウの足を狙い、土の矢は胸を、水球は顔を狙って飛んでくる。
――なんだ…………簡単じゃないか。
あまりにもあっけなく、シュオウの目は各攻撃を的確に捉えていた。
足をあげて風の刃をやり過ごし、右に体をずらして土の矢を躱し、最後にしゃがんで水球を避けた。
感じたのは、達成感などではなく失望感に近い。
師から聞いていた話では、晶気は恐ろしい力だという風に聞いていた。
それを聞き、畏怖すると同時に興味も強く抱いていたシュオウにとって、この力を労せず処理できてしまったことが悲しかった。
「なんなんだよおまえッ! ありえない、ありえないありえないありえない。ただの平民に、晶気を躱すなんて芸当、できるはずがないんだッ!!」
中央の緑の輝石の男が、顔を真っ赤にしてわめきちらす。
左右の男達は、いま起こったことが信じられないとでもいうように、互いに口をぽかんと開けて後ずさった。
怒り狂う男は、一人で罵詈雑言を喚き散らしている。
冷静さのかけらも垣間見えぬその様子から、この男は正確に相当難を抱えていそうだ。
そんな事を落ち着いて考えていたシュオウが気に入らなかったのか、男はさらに怒気を深めて叫んだ。
「濁り野郎のくせに、余裕かましてんじゃねえよおお!!」
緑の輝石の男が、両手を天に掲げた。
時間をおかずして、すぐに手の平に風の刃が形成される。その大きさはさきほどの晶気の二倍以上もあり、周囲の空気が切り裂くような鋭い音と共に吸い込まれていく。
それは、あまりにも予想外の出来事だった。
突然この場一帯に凍えるような冷気が発生し、吐く息が白く曇る。
視界に収まるすべての範囲の地面が瞬時に凍結し、薄氷で覆われた。
全員が不意をつかれ、風の力を溜め込んでいた男も、集中が切れたのかあれだけ溜め込んだ晶気をすべて散らしてしまっていた。
「そこまでじゃ」
声がしたほうを見ると、そこには雅やかな軍服を身に纏った、人形のように冷たい無表情で佇む、一人の少女がいた。