子供の頃、神様に会った事がある。
そう言うと大抵の人間は怪訝な顔をするだろう。一部の人は宗教の勧誘か何かだと思うかもしれない。
けれども事実なのだから仕方ない。
その時の事を少し話そう。
自分の家から一時間ほど歩いて山の中に入ると、そこには神社が建てられていた。
何故その神社に行こうと思ったのは今となっては思い出せない。恐らく自分の知らない所に行ってみたいという純粋な好奇心だったのだろう。
神社に至る道のりは子供には平坦ではなく、長い石段の途中で挫けそうにもなったが、「ここまで来て引き返したくない」という子供っぽい意地を頼りにして昇り切った。
そこで最初に抱いた感想は落胆だったと記憶している。
建物は老朽化し、人の気配がなかった。
寂れている。一言で表現するならこうだろう。
ただ、ある物が自分の目を引いた。それに気付いた自分は一気に駆け出した。
手水舎や絵馬掛けの前を通りすぎ、拝殿の前に来ると左に曲がる。本殿の横、そこには一本の巨木が植わっていた。
『……っ』
その巨木を前にした時、自分は思わず息を飲んだ。
太い幹と高くそびえるその姿は何百年もの時をすごしたのだと感じさせたからだ。
話は変わるのだが、自分には昔から霊感と呼べるものが備わっていた。
赤ん坊の頃から誰もいない場所を指差したりしていたらしい。
物心ついた頃には回数こそ少ないものの、自分にしか見えないモノ、世間一般で言う幽霊や妖怪の類が見た事があった。
そんな自分が巨木を見上げている最中に何かの気配を感じた。
咄嗟に振り向いた先には和服を着た男性が朗らかに微笑んでいた。振り向く前は僅かなりとも恐怖を抱いていたのだが、その人の笑顔を見た瞬間に霧散してしまった。
ただ、自分はすぐにその人が人間でないと気付いた。何しろその人は半透明で、向こう側の景色が透けて見えていたからだ。
しかし、ただの幽霊とも思えなかった。その人は荘厳でいて清涼な空気を纏っていたからだ。
『こんにちは。驚かせてしまったかな?』
その人は笑みを崩さずに自分に問いかけてきた。
警戒心はなくなっていたので首を小さく横に振った。
すると、その人は小さく『良かった』と呟いた。
『久し振りの来訪者を驚かせるのは本意ではないからね』
『やっぱり人来ないの? ここ』
子供というのは遠慮がない。我が事ながらつくづくそう思った。
しかし、その人は気分を害した様子もなく、
『山岳信仰で山の奥に神社を建てたものの、そのせいで参拝者が少ないのだから本末転倒だ。車が普及しだしてからは特にね』
確かに途中の道は整備されておらず、近くまで車で来るというのは無理だった。
『それよりも、この木に興味があるのかい?』
『うん』
『じゃあちょっと説明しよう。この木はね、当時の権力者が自身の栄達やこの地域の繁栄を願って植えたんだ。そうしたら実際に栄え出した。この木の御利益だと信じた付近の人々は栄木様(さかきさま)と言ってこの木を崇めた。そんな言い伝えが残っているんだ』
『へえー』
その言い伝えに自分は素直に感心した。
同時にそんなに凄いのに何で誰もこの神社に来ないのか疑問に思った。今なら納得出来るのだが。
『そういえばお兄さんの名前は?』
質問に対してその人は最初きょとんとし、続いて顎に手を当てて悩みだした。
『名前は複数あるが、どれも長くて難しいしな。そうだ。「サカキ」そう読んでくれればいい』
『それって』
『そう栄木。木偏に神の榊ともかかってて割と気に入っている』
『幽霊?』
『ははっ。一応この辺一帯の神様なんだけどね、まあ、今は神社もこのありさまだから』
サカキさんはちらりと本殿の方を見ながら言った。
その時の目がやけに悲しそうだったのが今でも印象に残っている。
『神籬である神木は立派なのに主が情けない限りだ』
だがしかし、この頃の自分は感慨に浸る他人を気遣えるような人間ではなかった。
『サカキさん、もっといろいろ話聞かせて!』
『……ん、そうだな。よし、分かった』
今にして思えば、サカキさんも自分との会話で気を紛らわせたかったのかもしれない。
それから自分と彼は色々な事を話した。自分は主に友達や家族の事。サカキさんは自分の昔話。
またある時には神社の裏手にある池でメダカを捕まえたり、一緒に山に入って栗や山菜を採ったりもした。
サカキさんの事は学校の友達はおろか親にも内緒にしていた。彼の姿を見えるのは自分だけだったし、子供心に「自分達だけの秘密」というものにとてもわくわくしたからだ。
だがそれもすぐに終わった。父親の転勤で引っ越すことになったからだ。
一緒にいた期間は短い。それでも彼と自分は友人同士だった。
かけがえのない友人と別れてから数年後。
俺は父の再度の転勤でかつて住んでいた町に戻ってきた。業者と協力しながら引っ越しの荷物を運び込むと、俺は早速神社に向かった。
鳥居をくぐり、石段を昇るたびに俺の心臓は高鳴った。顔がにやけてしまうのが自分でもよく分かる。
神社は相変わらずボロっちかった。参道の両端にある灯籠にはコケが生している。まあ、ボロいで済んでいるなら一応管理されているのだろう。社務所の前を通った時に誰かの気配を感じたし。
久し振りに見た神木はあの時と何も変わっていなかった。身が引き締まるというか厳かな気分になる。
「サカキさーん! いますかー!?」
大声で呼びかけてみる。
反応がなかったが、周囲を見渡しながら何度も声を出す。
そんな時、背後から足音が聞こえた。
(失礼ながら)神社にいるのは一人しかいないだろうと、感情を昂らせながら振り向いた。
「え……」
だが、振り向いた先にいたのはサカキさんではなかった。
いたのは艶やかな長髪に巫女服を着た少女だった。
端整な顔立ちでかなりの美少女だ。手には御幣を持っている。
「誰かと思えば懐かしい顔じゃない。元気だった?」
「え、ええ」
親しげに話しかけられたが、彼女は一体誰だろう。
まったく記憶にない。少なくともかつての神社に巫女はいなかった筈だ。管理していたのは町内会に所属する五十代くらいのおじさんだったし。
……駄目だ。思い出せない。
思い出せないのだが、何故か今の自分は懐かしいと感じているのだ。謎だ。自分の心が分からない。
「失礼ですけど、どちら様でしたっけ?」
どうしても思い出せず、おずおずと尋ねる。
そうすると少女は口元を尖らせた。機嫌を悪くしたようだ。
「私よ、さーたん。もしかして忘れたの?」
……certain?
俺が戸惑っていると、少女は「ああ」と手を叩いた。
「あんたにはこの名前じゃないと分からないわね。「サカキ」よ「サカキ」この地を栄えさせた木から取ったね」
……はい?
「……はい?」
この少女は何を言っているのだろうか? 同名?
こんな場所に都合よく同名の人間がいる確率なんて相当低いだろう。うん、凄い偶然だ。
それにしてもサカキさんには会えなかったな。残念。
「そういえば蛙嫌いは治った? いくら顔に飛びかかってきたからって池に落ちるなんて慌てすぎよ」
少女が口に手を当てておかしそうに笑う。
ば、馬鹿な! その事は自分とサカキさん以外は知らない筈……! という事は本当にサカキさん? でも外見が……それにこの少女はサカキさんと違ってはっきりと見える。そもそも、よく考えると足音がする訳がないのだ。何が何だか分からない。
「あの、本当にサカキさんですか?」
「少なくとも数年前にあんたと会ったのは私ね」
「何で女の子の姿に? それに神なのに巫女服?」
矢継ぎ早に質問すると少女(まだサカキさんとは認識したくなかった)の額に怒りのマークが浮かんだ。
「ごちゃごちゃうっさいわね。説明するから静かにアタシの話を聞きなさい!」
少女は背中を向けて歩き出した。
仕方ないのでその後を追いかける。
「事の起こりは今から遡ること半年前。ここら一帯で祭りがあったんだけど、そこで一つの催しがあったのよ。絵馬に神の絵を描いて出来栄えを競うっていうコンテストがね。参拝者の少ない神社をどうにかしようという意図もあったみたい。維持費も結構馬鹿に出来なかったみたいでね」
少女は絵馬掛けの前まで来て足を止める。
「それで特別賞になったのがこれじゃ」
指差した絵馬には少女そっくりの絵が描かれていた。
むしろ少女をモデルに描いたと言われた方が納得出来る。
「募集要項に祭られている神は男神と書いてあったんだけどねー。まあ、だから特別賞だったのかもねー。笑っちゃうよねー」
少女はけらけらと笑う。何か急にテンションが上がったような。
「で、問題はここから先。といっても私も詳しくは知らないんだけど、何だかあの絵が話題になったらしいのよ。それで絵を描く人が他にもたくさん現れたりしてるそうよ」
……そういえばネット上で似たようなイラストを見た事がある。
興味がなかったから詳しく見てないが、女性化がどうこう書かれていたような。
「そういう行為は信仰に繋がる。最近の私は力が弱くて信仰に依存しちゃってたから今はこういう姿」
「なんか、世知辛いですね」
ネット上の信仰で姿が変わるという事は、それ以前は殆んど信仰されていなかったという事ではないのか?
「話題になったのは絵だけだったから、性格なんかは他の人達が勝手にあれやこれや想像して一定しないの。だから私の口調が乱れる事もあるのよ」
「なるほど」
「てっきり新しく神が生まれると思たんだけどねぇ。名前は同じだから同一の存在として扱われたみたい。神道的には荒魂と和魂のように神が複数の側面を持つという考えがあるから有り得ない話ではないんだけど」
立ち話も疲れるので場所を移動し、社務所に入ってパイプ椅子に腰かける。
そして俺は、意を決してある疑問をぶつけた。
「……あの、俺の知ってるサカキさんはどうなったんですか?」
「あの人格ならあっという間に塗り潰されちゃったわ。まあ、記憶はあるから演じる事なら出来るけど」
「……そう、ですか」
何となくそんな気はした。しかし本人からはっきり言われると堪える。
胸にぽっかり穴が空いたようで何だか物悲しくなった。記憶があるのがせめてもの救いだが……
「でもねお兄ちゃん」
……俺に妹はいないんだけど。
「前に話したかもしれないけど、たまにある事なのよ。戦や災害で人が流動したり資料が紛失したりするとね、伝承が曖昧になってこういうことが起きるの。性別変わるのは初めてじゃないし、複数の神が一つに統合されたり、逆に分かれたりした事もあったかな」
確かにサカキさんはそんな話をしてくれた事があった。
「だからあなたもそういうものだと受け入れてほしい」
「あなた自身は現在の状況を肯定しているんですか?」
「お姉さん的には……」
……妹じゃなかったのか。
「放っておかれたらひっそりと消えていたところを信仰が増えたお陰で存在していられるんだから嬉しいわ。ずっと見守ってきたのに忘れられる寂しさがあったから。それに、どうせ昔から神とは名ばかりの奉仕者だから人間の都合に振り回されるのは慣れてるし」
「そういうものですか」
「そういうものじゃない? 神話に出てくるような神様ならプライドとかあるかもしれないけど、私は八百万の中ではどこにでもいるような一柱だし」
「……」
望んだ再会が叶わなかったのは辛いが、だからといって新しい出会いを粗末にする事は躊躇われた。
だが、自分の中で折り合いがつかない。せめて一晩ほしい。
そうすれば彼女とも普通に交流が出来るようになる気がする。
その事を告げると、彼女は「そうね」と小さく笑った。
その笑い方がサカキさんと似ている気がした。
出されたお茶を一飲みして立ち上がる。
「では、そろそろおいとまさせてもらいます。引っ越したばかりでやる事も残っているので」
「そ、それじゃあ、暇だったらまた来なさい。べ、別に私は来て欲しい訳じゃないんだからね!」
「……はあ。ではまた今度」
彼女と別れて神社の石段を下っていく。
鳥居をくぐると、その場で立ち止まり、大きく息を吸う。
「思い出が台無しじゃねーか!」
山中に悲痛な叫びが木霊した。
やっぱりショックなものはショックなのだ。
あとがき
本当はギャグ調の一発ネタのつもりがいざ書くとちょっとシリアスに。
最後の叫びも悲痛と書かれていますが実際はかなりギャグチックな叫びです。
投稿直前まで「神様パニック!」通称「かみぱに!」というタイトルでしたが、同名のエロゲーがある事に気付き急遽変更に。
「神様フェスティバル!」通称「かみふぇす!」です。
ちなみに、この作品の世界では半年前にこんなスレが立っています。
【町興し】ちょw俺の地元の神様が萌キャラになってるw【神罰】