第百五話【誘拐】
ウェールズは許せなかった。
彼、平賀才人との合作によるエクステリアと呼ぶには稚拙すぎるテーブル。
例え市場に出回った所で二束三文はくだらない程度の物。
しかしそのテーブルには実質的価値は無くとも、ウェールズにとってテーブルが出来るまでの“経過”と存在自体としての価値は大きかった。
それこそ皇子として時に必要だった着飾る豪奢な王族衣装よりも、存在としての価値は大きかった。
それが中心から真っ二つに割られている。
“友”との努力の結晶。
これは、実は初めて“友”と呼べる者との合作品でもあった。
部下が王家に忠誠を尽くし、自分と一緒に作業をしてくれた事はあった。
親戚一同と社交の場で一緒に何かをやることはあった。
しかし、どれも“友”と呼べる者達ではない。
部下達は一人の人間のように接してくれはしたが、それもまた目的を同じくした同士としてであって“友”と呼ぶには些か語弊がある。
幾人かの女性とも親しくはなったが、それも“友”ではなく“恋”という感情によるものだ。
王は孤独とは聞いたことがあるが、孤独でなくてはならないわけではない。
ただ、友人というものは王族ともなれば特に得難い物だった。
故に、“友”と呼べる者との合作品はウェールズにとって煌びやかで豪奢な、物価的価値が高い物よりも大きく、貴重だった。
だが、それが無惨にも踏みにじられた。
これが、これが許せようか!!
疾風の如く飛び出したウェールズは脇目も振らずにシェフィールドに向かう。
それはまさに風のように速かった。
「おやおや、いくら晩餐会と言えど皇子様がそうがっつくものじゃないよ」
シェフィールドはくつくつと笑い片手を上げる。
途端、止まれぬほどにスピードを上げたウェールズの真横から、何かが飛び出した。
***
「ん……?」
なんだか外が騒がしい。
決して長い月日とは言えないがしかし、今の自分を自分と認識してから毎晩ここで眠っているサイトは、今の自分の知る限り経験した事のない初めての騒がしい夜に胸騒ぎがした。
その不安を煽るかのように、薄暗い部屋に一瞬閃光が奔る。
どうやら窓の外で何かが光ったらしい。
炎、だろうか。
乏しい知識で、何となくサイトはそうアタリを付けた。
「……サイト?」
背後から声がする。
今晩も当然のようにサイトのベッドに潜り込んでいたルイズが、サイトの異変を察知したのかベッドからやや顔を上げた。
薄暗い部屋にある光源は窓から降り注ぐ月の明かりのみ。
その明かりが小さく顔を上げたルイズを照らしていた。
長い桃色の髪は先の方がシーツに垂れ、上半身はサイズが合ってないんじゃないかと思うほど首下がポッカリと開いているシャツに、下半身は太股を隠す物は一切履かない禁断のデルタ地帯のみという出で立ちで、眠そうな目をトロンとさせつつも手は宙を漂いながらサイトに近寄っていく。
やがてその手は掴まえたとばかりにサイトのシャツをギュッと握りしめ、ふみゅうと小さい息を吐いて鼻先をサイトの背に擦りつけた。
その姿にサイトは何処か安心する。
先程の胸の焦躁が和らいでいくかのような感覚。
男が女に護られているというのは格好悪い気がしたが、事実サイトは今ルイズに護られていると何故か実感した。
が、また窓の外が紅く光る。
今度は小さい火の粉が舞っているのも見えた。
先程も思ったが、やはり外では何かが起こっている。
それも時々炎が舞うような事が。
そんなサイトの不安を感じ取ったのか、
「大丈夫」
サイトの耳元でルイズは高いソプラノの声で囁き、ギシッと音を立ててベッドから降りた。
また、窓の外から閃光が部屋に迸る。
その明かりで、先程以上にハッキリと見えるルイズの下着姿にサイトは気恥ずかしくなって顔を背けた。
ルイズはその辺に脱ぎ散らかしてあったスカートをおもむろに掴んで履き出す。
早くサイトのベッドに潜り込みたい一心でその辺に投げ捨ててあったものだ。
次に白いブラウスを拾い……落とした。
「シャツは、サイトのシャツのままで良いや」
なんと明らかにサイズが合っていないと思っていたルイズの着ているシャツは自分が着ていた物だったらしい。
そういえばルイズが洗濯を買って出てくれたはいいがいつも戻りが少なかった気がする。
と言ってもサイトの着替えは殆どがウェールズからの借り物なのだが。
だからサイトは気にしない、そのシャツが数日前に洗濯するからと徴収されたものであることを。
だからサイトは気にしない、そのシャツが数日前に徴収された時に付いていた染みが消えていない事を。
だからサイトは考えない、そのシャツが実はまだ洗っておらず自分が脱いだ時からそのままである可能性を。
ルイズはブラウスから視線を外し、黒いニーソックスを掴むとその細く白い足に履き入れていく。
足の爪先から踵まで入れると、丸みを帯びる脹ら脛の形を綺麗に描いてそれは上に持ち上げられていく。
と、ルイズと目があった。
そこで始めてサイトは自分がずっと女の子の生着替えをガン見していたことに気付く。
これは怒られるかも、とサイトがヒヤリとしたところで、
「本当はサイトに着せてもらいたかったんだけどね」
「……は?」
今のサイトにとっては予想も出来ない事を言われた。
(記憶を失う前の自分はまさかとは思うが女の子の着替えを手伝う性癖があったのか!?)
そう思うと何だか益々記憶を取り戻すのが恐くなる一方、羨ましいぞこんちくしょうという嫉妬じみた感情も生まれた。
サイトがそうこう考えているうちにルイズは着替えを終わらせ、
「ちょっと様子を見てくるから。サイトは部屋から出ちゃダメよ。私もすぐ戻るから」
部屋から出て行く。
ルイズはもう二度とサイトを失うわけにはいかなかった。
ただサイトと一緒に居たい。
そのささやかな願いは何故かいつも崩れてしまう。
全く持って忌々しかった。
思い通りにならない事が。
サイトと自分を引き離す全てが。
二人の間に障害を生む“世界”が。
ルイズはサイトを危険から遠ざけるために自分一人で確認に向かう。
サイトの傍に危険が寄ってくるのならサイトを危険から遠ざける。
そう考えたルイズは、実に“ルイズらしくなく”一旦“サイトの傍から離れた”、“離れてしまった”
それが彼女にとって最悪の結果を生む事になる。
彼女は初志を貫徹すべきだったのだ。
“サイトと一緒に居たい”というただそれだけを。
彼女は今回の事で特に強くこう思うようになる。
いつもいつもサイトに危険が迫るこの“世界”が“憎い"と。
***
「っ!?」
「っ!?」
驚愕は双方。
ウェールズとシェフィールドのもの。
前者は唐突に現れた刺客について。
後者はその刺客をいとも簡単に“焼かれた”事について。
そう、文字通り驚愕していたウェールズには突然現れた刺客に対応することが出来なかった。
目の前の敵ばかり見据え、他に一切意識を割かなかったが故の失態。
しかし彼は不意打ちを食らわなかった。
「あまりに無防備ですぞ」
「お前は……炎蛇!? 何故こんなところに!?」
シェフィールドは意外な相手にやや狼狽した。
彼女はコルベールと“白炎”の戦いを知っていた。
あの時から、出来れば戦いたく無い明晰な相手、戦うにしてもコルベールは難敵であるという認識が強くなっていた。
同時にすぐに合点がいく。
ウェールズを刺す予定だった刺客は彼によって焼かれたのだと。
焼かれた刺客は石で出来たゴーレム……ガーゴイルだった。
背に羽根があり、顔は鳥類のようでありながら体は人間のような合成獣……『キメラ』とでも形容した方が良いようなそんな姿のガーゴイル。
現状を把握し、やや冷静になったウェールズはしかし、刺客がガーゴイルだったことに疑問を持つ。
「お得意のアルヴィーはどうした? もう品切れかな?」
「うるさいよ、こっちは“炎蛇”がここにいるなんて全くの想定外なんだ。全く“ガーゴイル娘”に近接戦闘の手解きをしたことといい……邪魔な奴だね」
「ガーゴイル娘? 近接戦闘?貴方が言っているのはもしや……」
突然のシェフィールドの言に思い当たる節があったコルベールは質問しようとするが、聞き入れてはもらえない。
「さてねぇ、まぁあの身の程知らずなガーゴイル娘も今は捕まって明日をも知れぬ身さ。まったく無駄な努力だよ。そういや使い魔の風竜は逃がしたんだっけ?まぁいいや、今は余計な話をしている暇なんて……無いしね!!」
最後の語気が強くなるのと同時、コルベールとウェールズは実に数十近いアルヴィーに囲まれるが、コルベールがその大きな杖を振り、同時に生まれた巨大な炎の蛇が円を描くように動き、それらは一掃される。
「チッ、これだからコイツとはやりたくなかったんだ!!」
シェフィールドが指をパチンと鳴らすと、また大量のアルヴィーが現れる。
ただ今度は彼らを取り巻くようにではなく、壁のように一列に並び、ウェールズ、コルベール側との間を分断するかのようだった。
コルベールはまた同じように火の勢いによって一掃しようかと試みるが、何かに気付きハッとなる。
「おや? 流石は炎蛇、気付いたようだね。念のために言っておくと“そいつらは”スキルニルでは無いよ」
「どういうことだ? 何人かは見たことのある……先の戦争において戦死したとされる名のあるメイジ達じゃないか」
コルベールの戸惑いにシェフィールドは溜飲を下げたように笑みを浮かべた。
が、その一瞬の油断が明暗を分けた。
「だからどうした!!」
「っ!?」
アルヴィーの壁を瞬時にくぐり抜けたウェールズの剣がシェフィールドの胸を貫く。
疾風の如く早いスピードを見せられていながら、シェフィールドはそのスピードを甘く見た。
“閃光”には届かねど、その速さは疾風。
常人について行けようはずもないとてつもないスピードに違いは無かった。
途端、周りのアルヴィーは糸を切られたように倒れ、コルベールが驚愕していた者達も同じように倒れた。
それを外に出たばかりのルイズは見ていた。
丁度事は終わったらしいと一連の流れを見て悟ったルイズは踵を返そうとして、
「この女、まさかスキルニル!?」
ウェールズの驚愕の声と共に倒れたと思ったアルヴィー達が立ち上がる姿を見た。
再び戦闘が始まり出すが、ルイズには何かが引っかかった。
何故あの女はスキルニルを使ってまで“派手”に登場してやられたフリをしたのだろう?
油断させるため? 誰かをおびき出すため? 誰を?
いや、そもそもアイツの目的は何だった?
途端ルイズは悪寒がしてサイトの元へと駆ける。
「サイト!!」
勢いよく入った部屋は……無人。
部屋は窓が開け放たれ、その窓から遠くに宙を飛ぶ竜と、その背に乗る“怪しい光を帯びた指輪を持つ女性”によってサイトが拘束されている姿が見えた。
時刻は夜中でそうとう暗く、既に遠く離れているというのに、ルイズにはハッキリとそのサイトの姿が網膜に焼き付いた。
「あ、あ、あ……あの女ァ……!!」
サイトが連れ去られていくサイトが遠のくサイトが行ってしまうサイトが見えなくなるサイトが消えるサイトサイトサイトサイトサイトサイトサイトサイトサイトサイトサイイトサイト。
「サイトォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!」
あらんばかりの声で叫ぶルイズの、握りしめる拳から鮮血が零れた。