第百四話【序曲】
「良いサイト、あの男に近づいちゃダメよ? あの男はホモなの、ゲイなの変態なの。サイトみたいな可愛くて格好良い男が大好きな性癖破綻者なのよ」
「ちょっ!? 何事実無根なことを吹き込んでいるんだい!?」
ルイズがサイトに大声で耳打ちしている内容を聞いて、それはすでに耳打ちではない、というツッコミを入れる前に、ギーシュはルイズの言に憤慨した。
サイトはルイズの言葉を信じてしまったのか、ややギーシュから距離を取ったのもその理由に挙げられる。
「僕はそんなんじゃない!! ただ友達が心配だっただけさ!!」
「サイトに近寄らないで変態!! サイトに変な菌が伝染したらどうするつもり!?」
が、ルイズはヒステリックな声を上げながらサイトの頭を小さな胸で抱え込み、更には引っぱる事によって近寄ってきたギーシュから彼を遠ざける。
「だから僕はノーマルだって!! 君はそれぐらい知っているだろう!? そんな意地悪は止めてくれ!!」
「ええ良く知っているわ!! 付き合っている女の子が居るのに私のサイトを誑かし町まで連れて行ってナニかしようとした前科を持っているって事をね!!」
「それは誤解だ!! サイトの記憶が無いのを良いことに変な情報を刷り込まないでくれ!!」
ギーシュが声を張り上げ自身の無実を求めるが、ルイズは一切聞き入れない。
彼女にとってギーシュは要注意人物である。
それこそ近づいたら本当に“ギーシュ菌”(今命名)が伝染しかねないと本気で危惧する程彼を危険視していた。
同時に、ここでそういう情報を刷り込むことでこの薔薇男とサイトが引き離されるかもしれないという打算もルイズの中には確かにあった。
いざ記憶を取り戻したら「あれは冗談」で済む話でもあるし、ギーシュにマイナスはあってもルイズにマイナスは無い。
そんな、子供達の“いざこざ”を微笑ましく思いながら、女性二人に挟まれるようにして座っているトリステイン魔法学院の“火”の担当教諭は、サイトを見つめていた。
見たところ、既にたいした外傷らしい外傷は見あたら無い。
いや、隅々まで見ればあるのかもしれないが、即生命を脅かしかねないような外傷は無いように見受けられる。
が、彼女の口から告げられた彼の現在の症状、外傷では無いからと言って病名と言って差し支えないかは微妙だが楽観視するには些か無理な症状、『記憶喪失』と来た。
彼はミス・ヴァリエールを護る為に凶刃を浴び、それこそ今こうしているのが不思議な程の重傷を負い、多量の出血を伴ったと聞く。
彼の無事を案じ、情報収集及び数日森を彷徨った身からすればヘビーな話だが、それでも今こうして彼が元気な姿でいるのを見ると本当に良かったと思わざるを得ない。
一方で記憶喪失となってしまった彼を不憫にも思う。
記憶とはその人そのものであると言っても過言ではない。
記憶が無いということはそれまでのその人間が無かった事になるのと等しい事でもある。
万一、一生記憶が戻らなければ、彼という人間は突然生まれ生きていくことを強要される赤ん坊と何ら変わらない。
オマケにその赤ん坊には良いのか悪いのか判断の材料が無い“縁”と“経過年月”という付加価値付きである。
この付加価値が必ずしも良いものではないのが特にネックなところだ。
通常の赤ん坊は“何も無い故に”ゆっくりと導かれて育つのに対し、記憶喪失者は必ずしもその環境が整えられるわけではない。
今回、彼は運良く周りに理解ある人間が多かったが、もしそうでなかったと思うとゾッとする。
もっとも、“彼女”がいる限り“彼”に限ってはいらぬ心配なのかもしれないが。
(……いけませんな)
つい、悪い方へばかり考えが偏ってしまう。
再会してからの子供達のように、時には何も考えず生きて再会出来た事を喜ぶというのも必要な事だ。
あれが、再会を喜んでの行動なのかは、片側には疑問の余地が残るがしかし、グラモン家の四男が喜んでいるのは間違い無い、無論ノーマル的な意味で。
(ついつい、という奴ですな)
コルベールは性格柄、そして人生経験上物事をマイナス方面へと考えてしまう癖があった。
今回の事について言えば、生きていた事を喜びはしても、五体満足……この場合実際には五体ではなく記憶だが、それの消失に伴ってのマイナス面やありえた理不尽なる不幸ばかりが思考の前面に立ってしまう。
それをコルベールは内心で無理矢理に諫める。
自分で自分を諫めるとは些か滑稽ではあるが、これも彼にとっては必要な事で、こうでもしないと次へと進めなかった。
と、そこでコルベールはこの場に一人足りない事に気が付いた。
先程まで居たはずなのだが。
(おや?ミス・ミランは何処へ?)
コルベールは首を傾げながら腰を上げる。
すると窓の外に探し人であるアニエスが見えた。
どうもここを離れるかのように見受けられる。
コルベールはそんな彼女の事が気になり、声をかけるために外へと出た。
「ミス!!」
「……む、見つかってしまったか」
アニエスはコルベールが気が付いた事に気まずそうな声を上げながら振り返った。
見れば彼女は旅支度の荷ほどきらしい荷ほどきをしていない。
まるでこれからまた何処かへ出かけるかのようだ。
「目的は果たした筈ですが……何処かへ行かれるのですか?」
責めているのではなく、純粋な疑問からコルベールは口火を切る。
「目的を果たしたからこそだ。私は発見の報告を女王にせねばならない。出来れば知らぬうちに出て行き、知らぬうちに戻って来たかったのだがな」
「しかし、ここから近隣の都市へ行くにしても半日以上はかかるでしょう。戻ってくるとすれば一日以上、下手をすれば二日にもなります。それに日が暮れればオーク鬼などの凶暴な亜人にもより注意が必要になる。お一人では危険ですぞ。せめて明日の朝からにした方が良いと思うのだが」
「理解はしているさ。私とて早々に命を落とす気は無い。まだ争奪戦に勝利していないのだからな」
コルベールの忠言に、しかしアニエスは応えない。
「私には一刻も早く女王に報告しなければならないという義務がある。この義務を私自身疎ましいとは思っていない。さらに言えば今回はこの報告を少しでも早く女王にしたいという気持ちも多分にある。いや、“このこと”は早く女王も知るべきなのだ。それで女王は救われる」
アニエスの神妙な様子にコルベールは、友人付き合いがあるとは聞いていたアンリエッタ王女……否女王とルイズが余程仲が良く、同時に今回の件について多大に胸を痛めていたのだろうと推測した。
あえてその件について聞くことはしなかったが、コルベールその考えで自己完結し、納得した。
もしこの時その件について尋ねていれば、この後起こる件について少し違った未来があったのかもしれないが、今それを彼が知る術は無かった。
「成る程、それでは私もお供しますぞ。私のような者では不満かもしれませんが一人はメイジが居た方が心強いでしょう」
コルベールの言葉にアニエスはきょとん、とし、しかしすぐに頬の筋肉を緩ませ始め……硬直した。
「これは酷い抜け駆けね、今回の探索へ行く件といい私達の淑女協定に違反した行為だわ」
年下の灼熱色のロングヘアに褐色のグラマラスボディ貴族が腕を組んで睨み付け、
「そんな協定結んだ覚えは無ければそこまで言うつもりも無いけど、確かにミスタには気配りと言う物が欠けているわね。まぁ私は無事にルイズが見つかったのだから今回の事は大目に見るつもりだけど、それでも、ねぇ?」
エレオノールもまた非難がましい目で二人を睨み付けていた。
そこからコルベールは二人のマシンガントークに晒される。
ミスタはあーだこーだ、だいたい貴方はあーだこーだ……いやしかしですね女性一人では危ない……など心ばかりの反論を一度すれば十にも二十にもなって返って来る。
この世には焼け石に水、“ファイヤー・ウォール”に“コンデンセイション”という言葉もあり、反論に意味が成さないことを理解したコルベールは反論を止め、話を聞いているうちに何故か村を離れるのは女性三人に決まっていた。
曰く、“そろそろ三人で良く話しておく必要がある”から丁度良いそうだ。
最後のコルベールの反論、女性ばかりでは危険だという言葉は彼が当初理解した通り、意味を成さなかったのは言うまでも無い。
それでもコルベールは最後まで心配そうにしていたが結局は折れ、三人を見送る形になった。
今日は心配で眠れないかも知れませんな、などと三人の後ろ姿を見ながらコルベールは思っていたのだが、考える暇すら無い夜が来ようとはその時は予想だにしていなかった。
***
深夜と言って差し支えない時間帯。
「……チッ、人が増えているじゃないか。厄介だね」
暗闇に乗じて悪態を吐く女性の声。
「でも、私は“あの方”の……“ジョゼフ様”の為にお望みのガンダールヴを連れて行かねばならない。諦めるわけにはいかないのよ。あの方はコレが終わったら“頭ナデナデ”をして下さると仰ったのだし」
その女性、黒いローブで身を覆うシェフィールドは忌々しげにウエストウッド村の家を睨む……口元は緩みながら。
この任務は、ジョゼフ様のためにも自分の為にも失敗は許されない。
シェフィールドは指をパチンと鳴らすと、
「念には念を入れておきましょうか」
暗闇から顔を出した無数のアルヴィー達に指示を与えた。
アルヴィー達は一目散にウエストウッド村へと駆けだしていく。
***
異変にいち早く気付いたのはコルベールだった。
戦場の勘とでも言うのか、現役を退いて尚、コルベールには“悪意”を敏感に捉える習性があった。
「これは残っていて良かった、というべきでしょうかな」
コルベールは借りていたベッドから跳ね起きた。
何かが暗闇に乗じて近づいて来ているのを感じる。
外へ出て詳しく確認しようとベッドから抜け出すと、丁度同じように起きてきたウェールズに出くわした。
驚いたコルベールだったが、彼の説明に納得する。
「僕は風のメイジ故に細かい音にも割と敏感に反応してしまうんです。加えてこの前に山賊など偶発的でない襲撃を受けたのを機会に、最近は出来るだけ意識を研ぎ澄ませていました」
同時に襲撃の件は聞いていなかったな、とコルベールは顔を曇らせる。
襲撃者の目的も確認したいところだが、どうにも今はそんな暇はなさそうだ。
敵はもう、すぐそこまで来ている。
ウェールズもそれに気付いて息を潜め出るタイミングを窺っていたのだが、
「あ、ああ!?」
急に声を上げると飛び出してしまった。
「危険ですぞ!!」
やむなくコルベールは彼を追いかける。
何やら慌てていたようだが、一人では危ない。
しかしウェールズはそんなコルベールの忠言に構うことなく、目の前の“惨状”に肩を震わせていた。
「おや?鼠が自分たちから出てきたようだね。これは好都合」
高らかに笑うように軽い女性の声。
彼女“達”と自分達の間には、中央からブチ割れた木のテーブルがあった。
それは、サイトとウェールズが協力して作った物。
同時に記憶が無いとはいえ友になったと言って差し支えない彼との絆の一つでもあり、ウェールズにとっても大事になっていく“筈”だったもの。
「何て事を……!!貴様ァ!!」
置いてきぼり感が若干あるコルベールをそのまま無視して、激情に駆られたウェールズは見覚えのある女性、シェフィールドに杖を突きつけた。
それを面白そうに、むしろ待っていたかのように、シェフィールドは笑いながら言う。
「さぁ、晩餐会を始めましょう?」