第百十六話【爆炎】
異国と呼ぶに相応しい上着を着た一時の間の同居人は未だ足を止めることなく歩いていた。
その足に淀みはない。
淀みは無いが、迷走してはいた。
「ここはさっきも通った」
「わ、わかってるって!!」
淀みなく進む歩とは裏腹に、目的があるのか疑いたくなる進行方向だった。
「おかしいな……“行きたい”というか“行かなきゃならない”って場所がさっきからちょこちょこ移動している気がするんだ」
「………………」
一見すると彼の言い分はおかしい。
少し前の自分なら彼の言葉には耳を傾けすらしなかっただろう。
そんな彼女がこうしておとなしく彼に付き従っているのは、先の彼の一言が彼女に彼を優先させていた。
『わからない。何故なのか俺にもわからない。ただ、俺の中にいる何かが、ぐんぐんと俺を引っぱっていくんだ』
イーヴァルディの勇者という御伽噺。
昔大好きで、憧れていた物語。
その一節を思わせるかのような言動。
かつて、彼の“立場と有り様”がその主人公イーヴァルディではないかと思った事もあって、今の彼女は彼にそう咎めるような口調は出来なくなっていた。
不思議と誰とも会わず、警戒が弛んでいたせいもあるのかもしれない。
先程からはずっと現状の再認識だけを口にしていた。
サイトもその指摘を理解している。
自分が先程もここを通った事などわかっているのだ。
それでも、自分は“何か”を追いかけるように足を止められなかった。
不思議だとは自分でも思っている。
先も通った場所が目的地になり、到着する頃には目的場所がまた動いている。
ここまで来ると自分の感じる“感覚”が本当に正しいのか不安にもなってくるが、今信じられる物はそれしかない。
同時に、この“感覚”は信じて良いものだと、根拠を説明できない自信だけはサイトの中に強くあった。
はたしてその想いと感覚が報われてのことなのか、次の曲がり角を曲がった時、二人は部屋を出て初めて自分たち以外の人間と遭遇した。
「おや? 探す手間が省けましたね。これも始祖のお導きでしょうか」
その相手は、ニコニコと笑顔を絶やさない美青年と呼ぶに相応しい男、ジョゼフに謁見していたロマリアの教皇その人だった。
「私は貴方を捜していたのですよ、“ガンダールヴ”」
その言葉を聞いた瞬間、タバサはサイトの襟を引っつかみ後ろに下がらせる。
「のわっ!?」
情けない声を上げてサイトは尻餅をつくが今はそれを気にしていられない。
「“ミス・シャルロット”、そう警戒されずとも大丈夫です、私はただ虚無の使い魔である彼と手を取り合いたいと思っているだけなのですよ」
姿勢を低くして即座に動けるよう構えたタバサに対し、ロマリア教皇……ヴィットーリオは朗らかに微笑んだ。
しかしタバサは警戒心を益々強くする。
この期に及んで自分の本名を使うこの男を、信用するなと今までの自分の経験が告げていた。
そんなタバサの懐疑の目を知ってか知らずか、ヴィットーリオは彼らに近づきながら口を開くことを止めない。
「今世界は、大げさではなく実際に存続の危機となっているのです。これを回避するためには虚無の担い手とその使い魔の力が必要不可欠。世界を救うため、私は彼、ガンダールヴの力を借りたいのです」
また一歩、ヴィットーリオが歩み寄る。
「……今この人は記憶がない、他を当たった方が賢明」
じり、とタバサは一歩後退しつつもヴィットーリオの一挙一動から目を離さない。
「ええ存じていますよ。ですが私ならその記憶回帰のお手伝いをして差し上げられるかもしれません」
「……え?」
その言葉に、サイトは呆然となる。
記憶が……戻る?
「……もし貴方が水メイジで腕に覚えがあると言うのなら止めておくべき。彼は恐らく、普通の水メイジでは治せない」
タバサはサイトの現状を何となく予想していた。
最初に彼の記憶喪失が母に似ていると思った。
それは恐らく、効果は同一でなくとも同種によるものの仕業の為だ、とその解答に行き着くまで時間はかからなかった。
経緯はどうあれ、自分の母と同じように“ジョゼフ”によってここにいるのだからその可能性は高い。
だが、ヴィットーリオは未だ微笑みを崩さず、
「果たしてそうでしょうか?」
杖を一振りする。
「記憶は人が持つ物に限りません。例えばその少年が首から提げている不可思議な形のアクセサリー、“聞けば”長くその身に付けているものだとか」
サイトが首にかけているシルバーアクセサリー。
それが杖に反応してうっすらと輝きを帯びる。
同時、サイトには自分の頭に鮮明に何かが見えた。
『お前のだよ!! ブレスレット壊れたって泣いてたから、新しいの何か買おうかなって。ああもう!! 折角秘密にして格好良く渡そうと思ったのに台無しだ!!』
『ああこれ、それとお揃いってか……対、なんだ』
『知らねぇの? これは月だよ、三日月』
『ルイズ、俺があげた首飾り持って来てるか?』
『俺の世界では、本来月は自分からは光らないんだ』
『混乱させて悪いな。俺の世界ではさ、月ってのは太陽の光を反射するものなんだよ。だから月が光って見えるのは、太陽の光を反射してるからなんだ。この世界でもそうかはわかんないけど』
『……だからさ、その、お前に太陽を贈ったんだ』
『太陽がいないと、月は輝けないんだ。その、だから、俺も……だぁぁぁぁ!! 恥ずかしくて言えねぇぇぇ!!』
彼女にあげたアクセサリー、“太陽”
それと対になる“月”
そうだ。
自分は月なんだ。
そんな“当たり前”のことを忘れていた。
自分は月だ。
自分は使い魔だ。
自分は平賀才人だ。
特に特別な力を持っているわけでも無いただのアクセサリー。
だが、何故かこれだけはいつも肌身離さず持ち歩いていた。
そのアクセサリーは覚えていた。
アクセサリーの意味を。
持ち主の記憶を。
彼の居る場所を。
「あ……あ……!! お、俺は……そうだ俺は……!!」
自分は月である。
月はそれ単体では輝けない。
視認されない。
光源がいる。
そう、太陽が必要だ。
太陽……ルイズが必要なんだ。
「ルイズ、そうだルイズだ……ルイズなんだ!!」
何かが足りないと感じていた。
言うなれば埋まらない空白の1ピース。
ソレが何だか、今ならわかる。
いつも当たり前にある太陽。
彼女の存在無くして、月である平賀才人はありえない。
「何か思い出されましたか? それは良かった」
ヴィットーリオはニコニコと微笑む。
「虚無の力を使えばこういった事も可能となるんです。どうです? 私の事を信じて頂けましたか?」
ヴィットーリオは微笑む顔をタバサに向けた。
タバサはサイトの記憶回帰に目を丸くすると同時に一つの可能性を思考の片隅に入れた。
その片隅を突くように、ヴィットーリオが告げる。
「虚無はまさに始祖が与えたもうた神の御力。私は“救いを求める信心深い方々”には“いくらでも救いの手を差し伸べましょう”」
その言葉が、タバサの心を揺り動かす。
母に似ていると思ったサイトが、程度の差はわからずとも記憶の回帰に成功しているようだ。
もしかしたら、同じ魔法で母が治るのではなかろうか。
そう考え出すと止まらない。
思考は既に今の力のことだけで埋め尽くされていた。
それを微笑みながら見ていたヴィットーリオはサイトに視線を移す。
「さぁ私と共に行きませんかガンダールヴ。共に世界を救うため戦いましょう」
自信満々に仰々しく、ヴィットーリオはサイトに手を伸ばす……が。
「……ルイズだ、ルイズを探さなくちゃ」
サイトはヴィットーリオを見ない。
「……? 聞いていますか?」
初めて、ヴィットーリオは笑顔を崩し、困惑の表情を浮かべる。
「……捜し物はルイズだったんだ、ルイズの所へ戻らないと」
「ルイズ? ああ、貴方の主のことですか? それも大事でしょうが私の話も……」
ヴィットーリオは話を続けようとするが、サイトは聞く耳を持たないようにぶつぶつと呟いている。
やがてサイトが一人で歩き始めてしまった為、ヴィットーリオはサイトの手を掴んだ。
「お待ちなさい、人の話は聞くものですよ」
やや表情が変わってきたヴィットーリオにサイトは、これだけは譲れないと言い放つ。
「離せよ!! 俺はすぐにルイズのところに戻らなくちゃいけないんだ!!」
その剣幕に一瞬ヴィットーリオは怯むが、すぐに落ち着きを取り戻す。
「……成る程。今は主の事以外考えられない、と」
敵意の篭もっているような目で見るサイトに、再び優しそうな声でヴィットーリオは問いかけた。
「そうじゃないけど急がないといけないんだ!! 何でかわからないけどゆっくりはしていられないんだよ!!」
サイトは怒ったように腕を無理矢理振って駆け出そうとし、
「そうですか、残念です」
ヴィットーリオの声が遠くに聞こえ、
「え……?」
背に、激しい痛みが奔った。
***
「無駄と知りつつもまだ立ち上がるのか、蛮人」
ビダーシャルは特に感情を込めずにコルベールに言い放つ。
戦力の差は圧倒的だ。
魔法が効く相手と効かない相手。
それだけで既に詰んでいると言っても良い。
だが、ある“一点”を見たコルベールは、勝機を捨ててはいなかった。
「貴方達エルフの使う魔法は確かに強力です。ですが、人もエルフも変わらないものがある」
「私達と蛮族の共通点、だと?」
今まで感情をまるで感じさせなかったビダーシャルが初めて、コルベールに対し戸惑いという名の感情を見せる。
「それは、至極簡単な事。同じように生きて、生命活動を存続させる上で必要不可欠な……“呼吸”をしていることです!!」
コルベールは杖を掲げ、かつて学院が襲撃された際に使用した、“爆炎”を使用する。
「なっ!?」
ビダーシャルはこと戦いにおいて初めて、危機を感じさせる声を上げた。
エルフの魔法は精霊と契約し自然の力を使う。
だがその力は飽くまで自然を味方にするだけである。
先住魔法は“理”を曲げることは無く、また出来ない。
それが逆に先住魔法の強みでもあった。
故に、“性質”に干渉は出来ない。
みるみる、“周り”が点火し、爆発し、“燃える”
決してビダーシャル個人を狙っているわけではないそれは、周りの酸素を暴虐のように喰い尽くす!!
自然は味方である。
しかし燃えるという現象に対し、必要になる酸素が、味方故に燃えないでいる……という事は出来ない。
そうなっては“理”に適わない。
故に、味方の筈の酸素は燃え続ける。
辺りの酸素を暴虐の限り喰い尽くして。
ビダーシャルが酸欠で膝を付く。
まだ意識を保っているあたりは流石だった。
(正気か!? コレでは自分も死にかねないぞ)
苦々しくコルベールを見、嗤う彼を見て玉砕覚悟である事に気付く。
女性陣は離れた位置に避難させているあたり、見事な手腕だった。
(このままでは蛮人に……くっ、これだけは使いたくなかったが……やむをえん!!)
ビダーシャルは小さく呟く。
「ワ……ル……ド……!!」
その途端、とてつもない暴風が吹き荒れた。