第百十三話【動乱】
「いいですかミス・ヴァリエール、精神力は無限ではありません。貴方はどうやら普通のメイジよりも多くの精神力を内包しているようですが、飽くまで目的はサイト君を取り戻すことです。他のことには極力目を向けず、精神力の温存に努めて下さい」
そう念を押して、彼女に新しい杖を与え契約させたのは昨晩のこと。
その時は彼女もわかってくれていると信じたのだが……目の前ではイキナリの“爆発”である。
事は隠密に、冷静かつスムーズに。
そう作戦を練りに練って、侵入経路まで徹夜で相談していた昨晩の会議が無に帰した瞬間だった。
コルベールは内心溜息を吐く。
あれだけ冷静にと念を押したのに、彼女にその気が一切窺えない。
全く予想できなかったわけではないが、出来ればこうはならないで欲しかった。
だが一方で、コルベールはルイズが“冷静過ぎるほど冷静である可能性”を考えていた。
一見して無茶苦茶をやる彼女は冷静さが欠けているように見えるが、“行動と目的は一貫している”
目的を見失わないということは、少なくともその目的を考えているということだ。
となると、考えるという事が出来る人間に冷静では無いというレッテルを貼るのには些か疑問が残る。
ではルイズは冷静なのかと問われれば頷き難いがしかし、もし本当に冷静なら、と考えて背筋が凍る。
ルイズが“本当に”冷静にただ目的を果たそうとしているとしたら?
“自身が傷つくのを顧みない”のではなく、それすらも“計算に入れて”尚、“目的”を自分の中で“最優先順位”に位置づけているとしたら?
もし、本当にそうだとしたら……既に彼女は“人間”ならぬ“人間兵器”に外ならない。
人は無意識に自己を護る“防衛本能”が存在する。
火に手を近づけて行くと熱いと感じ、咄嗟に手を引っ込めるという具合に、『そうしよう』と思ってやることではなくいわばオートで『勝手にそうなる行動』を取るものだ。
人間は何らかの限界を超える事によって“一時的に”防衛本能を無視することはある。
精神が肉体を凌駕するとはよく言った物で、これ事態はそうありえない事ではない。
例えば、ランナーズハイという言葉がある。
走っていると気分が高揚し、疲れを忘れいつまでも走っていられそうな気分になることだ。
これは脳内麻薬による分泌によって鎮痛作用が働くために起きる現象で、これも一つの防衛本能と言える。
苦しいと思う体に、脳が苦しくないと“思わせる”事によって苦しみを一時和らげ、忘れさせる。
だが、これは“忘れさせているだけ”であって、疲労は蓄積される。
長いランナーズハイを味わった後は比較的体を壊しやすいのも、気付かないうちに疲労が蓄積している為だ。
防衛本能とて万能ではなく、一時凌ぎに過ぎない。
だが仮に、その防衛本能を無視……あるいは“完全にコントロール出来る”としたらどうだろうか。
自分の意志によって常に脳内麻薬を分泌、又は体の不調を無視し続けられる程の精神力。
外から見ればどちらも変わらないが、どちらにしろそれは“人の域を超えた物”だ。
そも防衛本能とはその名の通り自己を防衛するためのものだ。
それをコントロール出来るのなら、その人物には“本能”と呼べる物がない。
生き物には生まれながらに本能と呼ばれる物が存在する。
“生きよう”と思うから食事を摂取して栄養を補給し、自己を護ろうとする。
それが無い人間は、人の……生き物の枠から外れた何物かでしか無い。
自分の教え子をそうは思いたくないコルベールは、どうせ爆発させるならいっそのこともっと取り乱したり狂乱したりして欲しいと場にそぐわない願いも持っていたのだが、その願いは残念な事に叶わず、内心で溜息を吐く結果になった。
コルベールはそんな彼女の小さい背中を見て、彼女の使い魔、サイトを取り戻すことによってルイズのその“人に在らざる様な異常性”……“常にランナーズハイ”のような彼女がただの思い過ごしであると証明されるのを願うばかりだった。
***
ギーシュは目前のルイズのイキナリの“爆発”に唖然としながらも、口端には笑みが浮かんだ。
それでこそルイズだ、と。
彼女は怒っている。
彼女は会いたがっている。
それを妨げた輩がどうなるのかなど、味わった事のある自分が良くわかっている。
そこに道理や理屈などという常識的な考えは通用しない。
ただそこに、彼女にとって……いや、彼女とサイトにとっての障害があるのなら吹き飛ばす。
彼女にあるのはただそれだけのことだ。
それが何だか嬉しくて懐かしくて、ギーシュは俄然やる気が出てきた。
「ミスタ・コルベール。やってしまったことは仕方がありません、恐らく“キュルケ達”も動き始めているでしょうし、当初の作戦通り僕らは出来るだけ事を大げさにしながら見つからないように撤退しましょう」
「……そうですね、ミス達の事を考えると時間もあまりない。ではミス・ヴァリエール、御武運を。くれぐれも見つからないように行動し……もう行っちゃいましたか……」
コルベールがルイズに注意を促そうと思った矢先、既にルイズは駆けだしていた。
コルベールはやれやれ、と肩を竦めつつ大げさに外壁を壊し始める。
今回の作戦はある意味単純だった。
まず城の一角で騒ぎを起こす。
連鎖的に別の場所でも騒ぎを起こす。
それによって内部を混乱させ、相手の戦力も分散させる。
騒ぎを起こした後は見つからぬうちに撤退。
その騒ぎに乗じてルイズが一人、単身でサイトを救出に行く、というもの。
この作戦はルイズが自身の虚無魔法、『幻影』と『瞬間移動』を使える事を明らかにしたために組まれたものだった。
『幻影』があれば見つかりにくい。
何でもかの有名な“烈風”をも一度は出し抜いた程のものだというのだから、その性能は折り紙付きだろう。
加えて『瞬間移動』があれば脱出も容易い。
それでもコルベールは当初、危険だと猛反対していたが、ルイズは一向に折れず、「一人でもやる」という彼女の言葉と彼女の魔法にコルベールがとうとう折れる形となった。
だがだからこそコルベールはルイズの精神力の枯渇を何より恐れていた。
彼女はまだ幼い。
それ故に自分の精神力の“底”の把握はまだ未熟だろう、と。
そう思っての魔法使用の制限を念押ししていたのだが……こうなっては彼女を信じてこちらも仕事をするより他は無い。
コルベールは知らない。
ルイズの精神力の膨大さを。
知っていた所で忠言は変わらなかっただろうが、彼の心の波紋は大分違っただろう。
今のコルベールは見た目にはわからない、ほとんどの隙も無いような動きだが、それだけでやや鈍る物もある。
だが、だからといって時間は無駄には出来ない。
彼にはみんなには内緒の、もう一つの“目的”があるのだから。
その目的の為には、“時間貯蓄”は少しでも多い方が良い。
コルベールのその考えが、気付かぬうちにやや荒くなっている行動と思考が、“焦り”から来ているものだと彼本人が理解しているのか否か。
どちらにしろ、“紛れもない人間”である彼の心はルイズの件を発端に揺れ、それが、最終的に彼にとって最悪な結末へと向かう事になるとは、まだ気付いていない。
***
「何だか騒がしいな」
ベッドに腰を落としたサイトが外の喧騒を聞いて不思議そうに言う。
タバサもまた、同意見だった。
ここ数日、ずっと静寂だった城がこうも喧騒に包まれるとはただごとではない。
タダでさえ“あの気分屋の狂王”の城である。
何か事を荒げて死刑、などというのもありえないとは言い切れないこの場所で、この騒ぎは“妙”の一言に尽きる。
と、タバサはそれとは別にもう一つの“妙”な事に気付いた。
扉の向こう、常に警備の者が常駐していたハズだが、いつの間にか気配が消えている。
この騒ぎで少し席を外しているのだろうか。
そう思って何の気無しにノブに手をかけて見ると、驚くほどアッサリとその外界とを隔てていた扉は開いた。
「あれ? 開いたのか? 見張りは?」
サイトも扉が開いた事に気付いて立ち上がった。
「……わからない」
タバサは息を殺しながらそっと外……廊下を覗いて見る。
……そこに人の気配は無い。
これは明らかに“異常事態”と呼べる状態であると共に脱出の好機でもある。
しかし、タバサは脱出案を考えあぐねていた。
自分一人ならまだいい。
脱出を試み、失敗しても傷つくのは己の身一つで済む。
しかし、一緒に居る“もう一人”が問題だ。
ここでの判断でもし万が一、“彼の身に何か起こってしまった場合”、その責は間違いなく一緒に居た自分に降りかかる。
先の一件から彼の存在を足枷とは思わないが、彼女の判断を迷わせているのは間違いなかった。
だが、タバサのそんな葛藤は何処吹く風とばかりにサイトは部屋から出てしまった。
「……!?ダメ、危険……かもしれない」
タバサは咄嗟に止める。
もし見つかり、脱走者として捕まればこれまでのような生活をさせてもらえるかどうかすら怪しい。
地下深い石張りの不衛生な牢にでもぶち込まれたら、“彼女”を見たその日が命日になる。
そうでなくともこちらは捨て身。
武器一つ無い着の身着のままの姿でしか無いのだ。
追跡者を絶つ術は非常に少ない。
そう冷静に考え、タバサは彼の安全の向上を第一にしようと思った……のだが。
何を思ったか、サイトは廊下をすたすたと歩き始めてしまった。
「!?……ダメ、戻って」
タバサは慌ててサイトの腕を掴む。
だが、サイトは振り向かずにまだ前進しようとする。
「ダメ」
タバサの制止の声が聞こえているのかいないのか、サイトは未だ歩みを止めず、少しずつ引きずられるようにタバサも廊下を進み始めてしまった。
おかしい。
彼は聞き分けは良くなかったが、別に悪意ある人間では無かった。
その彼が、話も聞かずに危険に飛び込むとは考え難い。
「……どうしたの?」
少し悩みながら、タバサは手を離すと立ち止まって彼の背に問いかける。
サイトはその問いにようやく足を止めると、背中越しに口を開いた。
「わからない。何故なのか俺にもわからない。ただ、俺の中にいる何かが、ぐんぐんと俺を引っぱっていくんだ」
──────わからない。なぜなのかぼくにもわからない。ただ、ぼくのなかにいるなにかが、ぐんぐんとぼくをひっぱっていくんだ──────
その言葉は、タバサの大好きな物語の、“勇者”の一言によく似ていた。