頭の中が透き通る。
他のものが全て遮断され、目的を達成するために全てが注がれる。
ザフトの部隊を一方的に蹂躙し、ハイペリオンに勝利しながら、頭の中が塗り変わっていくのを感じる。
狭雑物が全て取り除かれると、今までとは違うものが見えてくる。まるで海が綺麗になって、今まで見えなかった海底の様々なものが見えてきたように。
ハイペリオンに腕を叩きつけて撃破した後、速やかに次の目的へと頭の中が移行した。
自分自身の最大のテーマ。
ボクは何のために生まれた?
ガンダムに乗って無双するため?
キラ達と一緒に戦うため?
それとも……彼と一緒にいるため?
違う。
どれも違う。
確かにそれもあるかもしれないけど、本当じゃない。
『お前、仕事を忘れたみたいだな』
砂漠で戦った時の、マカリの声が蘇る。
そう、ボクは忘れていた。こんなに大事なことなのに。なんで忘れてなんかいたんだろう。
これは、彼が幸せになるために大事なことなんだ。
ライザが死んだ。確かに残念だ。でも悲しんでる暇はない。優先順位っていうのがあるし。ごめんね。
『お姉ちゃん』も二人来たし、これって急かされてるってことだよね。
わかったよ。ボクの予定じゃ、アラスカに着いてからにする予定だったんだけど。
キラ君。
君に自由をあげよう。
それがボクの、生きてきた意味。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「――――様、マカリより緊急通信です」
「来たな」
オペレーターの少女からの報告に、男は執務室の椅子を鳴らして通信機のコンソールをタッチする。
画面の半分を占めていた電子画面が、世界の情勢地図から通信コントロールの画面に切り替わり、無数のチャンネルの中から彼のコードネームがクローズアップされた。
『――――。もう気付いていると思うが、』
「ああ、ようやく蒔いた”種”が芽を出したのだな。こちらでもテスト中の一人が変貌したのを確認した」
そうか、とマカリが頷く気配を見せる。
音声通信のみ。まだこの通信方式は開発中のため、リアルタイムの画像を送受信できるほどの通信容量はない。
ただしこの通信方式はΝジャマーの妨害を受けない、この戦争においては画期的な代物なのだ。
プラントでは既に実用化に成功しており、無線で遠距離操作できる小型ビーム砲の開発に応用することができるのだ。その母機は現在建造中で、プラントの切り札になりえる性能を持っていると”知っている”。
何もかもが上手くいっていることに笑みを漏らしながら、執務机の端に置いていたチェスの”ナイト”の駒で、こつこつと机を叩く。
「ビクトリアの攻略作戦は”無事失敗”したようだね。SEEDの起動といい、計画は順調に進行中だ。私からの贈り物の乗り心地はいかがかな?」
『ああ、確かに乗ってみたが……俺ではあの機体の限界を引き出すことはできない。
それにフィフスには乗機が無いし、あいつに任せてみることにする。操縦技術はあいつのほうが上なんだ』
マカリの物言いに苦笑する。
謙虚なようだが、操縦技術”は”と言っているあたり、他では負けていないと暗に主張している。負けず嫌いな男だ。
だからこそ彼は王者に上り詰めることができたのだろう。負けず嫌いという性格は、向上心の裏返しでもある。
(……どういうつもりだ?)
しかし、彼の主張はどうにも屁理屈のように感じる。
この男、マカリの言葉をヒントに己が議会に提案し、開発計画が立ち上ってついに完成の目を見たフリーダム。
おそらく最も乗りたかったのはこの男のはずだ。「弱い機体から最強の機体に乗り換えた時の爽快感がたまらない」というのが彼の主張だったから、彼にあてがったのだが。
その彼が突然フリーダムのパイロットの席を譲ると言いだした時は、この戦争が始まる前から重用してきた彼の言葉をさすがに疑った。
……フリーダム以上の機体を期待しているのだろうか? それはさすがに、欲が張りすぎていると思うが……彼の希望なのだから、応えてあげることにしよう。
「わかった、フリーダムはフィフスに任せてくれても構わない。計画に支障は無いからね。多少役割が変わるだけだ。
……君はシグーのままでいいのかね? 君に回せる新型があるわけではないが、地上ならばラゴゥかディンのほうが有利だと思うが……」
だが、私とて彼の親友だ。せめてフリーダムほどではないにしろ、何か新しい機体を据えてやりたい。
指揮官用としてはシグーの性能は悪くないが、地球軍にモビルスーツが現れた今、そろそろ苦しくなってきているはずだ。
シグーはストライクダガーにスペックで劣る上に、地上では運動性能はディンに譲る。
いつまでもシグーを使い続ける必要はない。あの超一流パイロット、ラウ・ル・クルーゼですら、地上に降りてからシグーからディンに乗り換えたのだ。
だが彼は、私の好意をやんわりと断る。
『問題ない。まだこの機体で負けたことがないからな。シグーでどこまでやれるか、試してみたいんだよ』
彼に初めて与えた機体なだけに、愛着でも持っているのだろうか?
だいたい、負けたらそこで死んでしまうのだが、まだ彼は『前』の感覚を引きずっているのだろうか。
腕はすこぶる優秀だが、そこが彼の欠点だ。その欠点が、自身を滅ぼさなければいいのだが。
「まあ、新しい機体が欲しいときは、また連絡したまえ。……ところで、シエル家のリナはどうしている?」
『直接確認はできていないから、なんとも言えん。俺は今カーペンタリアで、あいつはビクトリアだからな。同じビクトリアにいる同型の二人からも、連絡が途絶えたままだ。
しかしSEEDが起動したなら、もう自分の仕事に取り掛かってるところじゃないか? 本当にSEEDが引き金になってるなら、だけどな』
「設計上はそうなっている。ただ、人の身体のことだから、どうなるかは神のみぞ知るというところだね」
『その人の身体の遺伝子を弄ってるくせに、よく言うぜ』
耳に痛い言葉を吐かれ、笑みを漏らす。
「私が弄ったのは記憶の部分だけだよ。他は手を加えていない」
充分だろ、と苦笑いするマカリの声に、己も鼻で笑い返す。
ひとしきり笑ってから、声の雰囲気が変わる。ここからが彼の本題であり、己の本題でもある。
『いよいよだな。もう部隊は地球圏に送ったのか?』
「私を誰だと思っている? 既に二十人と二十機、全て侵攻部隊と称して組み込んでいるよ」
もう計画は次の段階に移った。
SEEDは既に覚醒し、手駒のパイロットの能力は計画を発動できるまでに上がった。
そのパイロット達のための機体も全て揃っている。まだ座るべき騎手の元にたどり着いていない機体は”三機”だけ。
二機はユーラシア連邦に潜り込ませている二人の分。一機は……そう、アークエンジェルに乗っている”彼女”だ。
機体が三人に届き、アラスカに到着するまでのタイムラグ。それだけが現段階の枷だ。
『それを聞いて安心した。これで心おきなく行動できる』
「意外だな。孤高な君が、何かに遠慮して行動していたのかね?」
『俺だって一応ザフトの一員だ。味方の目くらいは気にするさ』
一応ときたか。彼の放蕩ぶりは相変わらずだ。どこかの一員になったと認めようとしない一匹狼……悪く言うなら、気取り屋なところに、思わず笑みが零れる。
マカリは簡単な身辺状況の報告を終え、通信を切る。
通信が切れると、周囲に再び暗闇が降りる。人工の光はここまで届かず、太陽の光は水平線の向こうに消えている。
格納庫の隅に置かれたコンテナの陰。普通に見れば怪しさ全開だが、警備兵には全て通信相手の息がかかっているため問題はない。
いや、問題はあった。
「……むぅ」
隣で、フィフスがつまらなさそうな顔をして自身を睨んでいるのを、通信が切れてから気付いてしまった。
白い頬を膨らませて、かりかりとコンテナの壁を人差し指で掻きながら苛立ちを表現するフィフス。
話が長くてつまらなかったのと、構ってもらえなくてよりつまらなかった。そういう類の憮然とした顔だ。
マカリはその顔が微笑ましく、すまん、と小さく謝りながらフィフスの黒髪を撫でてやる。そうすると表情を緩めて、心地よさそうに目を細める。
まるで犬かウサギのようだと思いながら、全く指が引っかからない長い黒髪を梳いてやる。……少し落ち着いてから、本題を切り出す。
「奴との話はついた。ようやく……ようやくだ。お前との約束を果たせる」
「……会える?」
細めていた目を開いて、緑の瞳に希望に満ちた光を灯す。
その瞳の輝きを見て、ここに至るまでの苦労が脳裏に蘇る。死を覚悟したことも数えだすとキリがない。
だが乗り越えてきた。この子のために。命を救ってくれた彼女のために。
彼女の優しい手触りの黒髪を、まるで絹糸の弦を張ったハープを奏でるように優しく撫でながら、彼女の小さな身体を抱きしめる……。
「ああ、ようやく。お前の親父に会わせてやれる」
今、その恩を返す時が来た。自由の翼が、お前を運んでくれる。
「……じゃ、じゃあ、行きますよ」
「「「うん」」」
異口同音……とは、まさにこのこと。
キラは全く同じ声が三方向から耳に飛び込んできたので、ごくり、と喉を鳴らした。
全く持って驚きを隠せない。なにせ、あのリナが、まるで影分身でもしたように三人現れたから。
いや、少し違う。リナはストレートのロングヘアーだが、二人はショートヘアーだったりポニーテールだったりして、髪型で見分けられる。
(うわぁ……なんか、甘い匂いがする……乳の匂いだけじゃないや……)
ストライクのハッチを閉め、ジェネレーターを再起動させながら、鼻孔の奥を撫でる匂いに、必死に表情が緩むのを堪える。
膝の上でちょこんと小さなお尻を載せて、つむじを見せつけてるのは、リナ・シエルその人だ。
以前、お姫様抱っこをしたことはあるけど、こうしてお尻が触れてくるのは初めてだ。やっぱり柔らかい。ノーマルスーツ越しなのが惜しいところだ。
それから右後ろ側、自分が初めてストライクに搭乗した時に身体を押し込んだ位置に、エックス2と名乗る女の子がいる。
彼女はリナそっくりだけど、ショートヘアーだ。物腰が落ち着いていていて、話し方も知性的な印象を受けた。
左後ろ側。ジンと戦闘になってマリューさんから操縦を引き継いだときに彼女が居た場所に、エックス3と名乗る女の子が入った。
同じくリナそっくりで、こちらはサイドポニーテール。終始無言で無表情。何を考えているのかわからない。
「……zzzzzz」
「!?」
左後ろから、寝息が耳に飛び込んできた。思わず振り返る。
半眼になって虚ろな瞳になってる。まさか、これ寝てるのか? 目を開けながら寝てる子なんて初めて見た。
「また寝てる……ごめんね。この子、隙あらば寝ようとするダウナーな子なの。
着いたら起こすから、起こさないようにゆっくり機体を動かしてくれる?」
エックス2の女の子が、まるで自分の子どもがはしゃぎ疲れて寝てしまった母のような、穏やかな口調でキラにお願いする。
寝ようとする、というか既に寝てる気がする。この子達も激しい戦闘で疲れたんだろう。言われたとおり操縦桿をゆっくり動かし、ハイペリオンをどかしにかかる。
元々キラは、機体を乱暴に扱うタイプではない。彼自身の気質と、幼い頃からメカに触っていたため、メカは――オタク的な意味も含め、まるで友達のように扱っているのだ。それはトリィの存在も手伝っている。
「わかりました。とりあえず……えっと」
「あ、この子はエルフ・リューネよ。私は、リィウ・リン」
彼女の名前を言おうとして口ごもると、リィウと名乗る少女が紹介してくれた。
顔は瓜二つだけど、やっぱりリナさんじゃないんだな、と不思議に思いながらも納得した。雰囲気はリナより落ち着いていて女性らしいし。
こんなことリナさんに聞こえたら、殴られるんだろうけど。
「で、ではリィウさん。なるべく揺れないように努力しますが、機体はやっぱり揺れるので……
エルフさんが緩衝ジョイントに巻き込まれないように、見てあげてくださいね」
「……了解」
自分の言っていることが何か可笑しかったのか、クスッと笑いながら答えた。
後ろの二人とのコミュニケーションはこれで一旦終えて、次は目の前の黒いつむじを見下ろした。
リナの頭だ。膝の上に座ってるのに操縦の邪魔にならないなんて、幼女にもほどがある。
「……リナさん、大丈夫ですか?」
「? なにが?」
バリアに巻き込まれたライザさんが心配じゃないんだろうか? 今も彼女は最初と同じように平然としている。
何について心配されたのか分からない様子でキョトンとしている彼女は、確かに大丈夫そうだ。
「……いえ、行きます」
今の彼女は、きっと色々と心の整理がつかないだけなんだろう。彼女から彼について聞いてくるまで、その話題には触れないようにしておく。
機体を起こして直立させ、アークエンジェルの方向を確認して、ペダルを緩急をつけて踏み、慎重にバーニアジャンプする。
離れて行く地面。転がるストライクダガーとハイペリオンが視界に収まる。ふとハイペリオンのパイロットの安否に思いを馳せるが、自業自得……そう思うことにして振り切り、アークエンジェルを目指した。
戦闘の火と轟音は過ぎ去り、硝煙と血の残り香だけを漂わせて、緩やかに空気が入れ替わっていく。
損傷したストライクダガーとハイペリオンの回収作業は、日が沈む前に終わった。
一番難しかったのは、アークエンジェルの着底できる平地を探すことくらいで、機体の回収作業、及び怪我人の収容、カナードの拿捕はスムーズに行われた。
夕日が地平線に沈み、ビクトリア湖に夜が訪れ獣の遠吠えが聞こえてきた頃、アークエンジェルはビクトリア基地に向けてレーザー核パルスエンジンに火を入れた。
「……あれ?」
リナはデブリーフィングに向かう途中、呆然と声を漏らした。
ぱちぱち。目を瞬かせ、じんわりと眩暈を払拭する。まるで夢から覚めたような気分だ。
もしかして立ちながら寝てた? 誰か見てたら恥ずかしいんだけど……皆自分のことで忙しそうで、すれ違うだけの自分には注意を払ってない様子。よかった。
艦内が騒がしく、多くのクルー達とすれ違い追い越されるのは、艦の応急修理と、負傷したクルーの搬送、またはパイロット達と同じように各科の報告のためだろう。
部隊ごとに固まって歩いているようで、前には第一部隊のムウ達、後ろには第四部隊のキラ達が固まって歩いていた。第三部隊はもっと後ろを歩いているらしい。
「シエル大尉」
声をかけてきたのは……誰だっけ? あぁ、そうだ、ケリガン少尉だ。
彼はボクの部下で……どういうつながりだっけ。頭に靄がかかったみたいに、思い出せない。でも自分の部下だ、ということだけはあってるはず。
「ん……大丈夫。ちょっと疲れただけ」
気遣うというより怪訝な表情で聞いてくるケリガンに適当に答えて、目の前を歩いてる第一部隊の面々の背中に続いて歩く。
歩きながら、自分の今の境遇を、まずは思い出せる範囲から少しずつ探っていく。ボクはリナ・シエル、地球連合……まあそこからはいいか。今アークエンジェルは、確かバルトフェルド隊の攻撃を切り抜け、ビクトリア基地の援軍要請に応じてビクトリア基地に着いた。
そしてビクトリア防衛戦は地球軍の勝利に終わった。MSが地球軍に配備され、ザフトの優位性が崩れたためだ。
戦闘が終わり、ボク達パイロットは戦闘の次第を報告するためにデブリーフィングに向かっている。そういう状況だった。
「……?」
順に記憶を掘り起こしていると、妙な空白が記憶に生まれるのがわかった。
何か大事なことを忘れてる気がする。何だっけ?
首を傾げていると、自分に従って歩いているケリガン少尉が恨めしそうに小さく呻く声が聞こえる。
「くそっ、エドも中尉も、このガキのせいで……ッ」
上官に向かってガキとは何だ、と憤って、叱りつけようと振り返るが、少尉が恨み言の中に含まれた単語が妙に気になって、叱咤が疑問に変わる。
(中尉? うちの部隊に中尉なんて……)
知っている中尉を頭の中で並べる。
アークエンジェルのクルー。バジルール中尉くらいか。でもケリガン少尉は、艦のクルー全員の顔すら覚えていなさそうだ。彼女のことでボクが恨まれることは無い。
違う。もっと、ケリガン少尉の身近な人間なはず。でも彼のことはよく知らない。その“中尉”についても分かるはずもないのに恨まれるのは迷惑だ。
「……ケリガン少尉。中尉のことでボクにそんなに怒らないでよ。仮にもボクは大尉だよ?」
少々横暴な口調だけど、と自覚しながら彼を叱る。
ケリガン少尉は無口っていうわけじゃないけど、あまりコミュニケーションをとったことがない。
自分が彼に興味が無いっていうのもあるんだけど、彼は"中尉"に心酔してるから、彼を通して命令していた。
ん? "中尉"のことをボクは知っている? 誰だ? あいつのことを忘れてる……
「中尉もエドも守れなかったくせに、上官ヅラしてんじゃねえよ!」
守れなかった……?
記憶のどこかに触れる言葉。ボクはその二人を守れなかった?
ボクはその二人を知っている……
「何トボけてやがんだ! 今更ただのガキの振りして自分の失態を知らん振りしたって無駄なんだよ!
ライザ・ベッケンバウアー中尉だ! 中尉のことも忘れたってんなら、俺がこの場でブッ飛ばして思い出させてやろうか!?」
ライザ・ベッケンバウアー……
ライザ……
ライザ!?
「おっ、おい!?」
自分を呼び止めるケリガン少尉の声を置き去りに、身体は無我夢中で医務室へと駆け出していた。
なんで忘れていたんだ!?
今、彼のこと、彼にまつわる全てのことを思い出した。
士官学校でのこと、ビクトリア基地で再会したこと、一緒に戦ったこと。
まるで彼が居ない世界に住んでいたみたいな気分だった。
でも彼は居る。生きているかもしれない。でも……死んでいるかもしれない。それを考えると胸が苦しくなる。
自分が居た通路は、艦長室の一つ手前の区画。重要区画のすぐ近くだったから、医務室までは遠い。おまけに戦闘終了直後だから人通りが多く、思うように前に進まない。
「あっ……リナさん、どうしたんですか!?」
甲高い声が聞こえてきて、思わず振り向く。八つの瞳が自分を見ていた。
カマル曹長、レッド曹長、トール。
キラ。
レッド曹長とトールは、それぞれ不思議そうな顔をしていた。……カマル曹長は無表情で何を考えているのかは読み取れないけれど。
唯一キラだけは、心配そうに顔を歪めている。そして驚きもしている。ボクの表情を見たからだろう。ボクの今の顔はきっと、まるで親に置いていかれそうになっている迷子のような顔をしている。
キラも、ケリガン少尉と一緒に前を歩いていたリナが、突然走り出したことに動揺していた。
リナの豹変の瞬間を見た唯一の人間だし、彼女に特別な思いを抱いているのもまた、キラだけなのだ。
キラはライザに対し、友情などの親密な感情を抱いているわけじゃない。でも、リナとライザが気の置けない関係なのは、短い時間とはいえひしひしと感じていた。
リナとライザの関係。……もし男女関係を築いていないことを前提にすれば、キラとトール達学生のような関係と同じと言える。
もしトールが、サイが、カズィが、ミリアリアが……ライザのような状態に陥ったら……キラがリナのように平静を保つのは不可能だろう。そしてそれは、仇を討ったからといって決して晴れるものではない。
その気の置けない相手が生死不明の状態に陥ったのに平然としていたことが、リナに対して不可解な感情と、心に傷を負ったのかもしれないという心配する気持ちを抱いていたのだ。
そして今走り出したリナの表情は、さっきのような無表情な平静ではない、憔悴した表情をしている。
その顔は、いつものリナのように思えた。でも、もしかしたら。
不安による弱気が問いかけになり、口をついた。
「リナさん、ライザさんのことを……?」
「……」
リナは、実のところ、あの時のことを覚えている。
ザフトの部隊を圧倒し、ハイペリオンを自らの手で撃破したこと。世界が澄み渡り、集中力が無限に引き伸ばされる感覚の体験。
そして、ライザの撃破を「仕方が無い」で済ませたこと。
あの時のことを覚えているから、余計に顔を合わせづらい。冷酷女って見られたかもしれない。
それを考えると、すごく悲しい。ライザを失ったのと同じくらい胸が締め付けられる。
だめだ。今はその思いを振り切らないと。
「……ごめん、あとで」
声が震えたかも。
努めて冷静に言って、キラから視線を逸らして、彼からの視線を振り切るように通路を走りだす。
遠ざかっていく小さな背を、キラは見送る。他の三人も、キラとは別の感情でもって見送った。
「なんなんだ? パイロットは全員、これから報告だろ?」
トールが不可解そうに呟き、その頭をレッド曹長が、ガシッと分厚い手で鷲掴みにした。
「いてっ! ちょ、ウェイラインさん!」
「じゃあ、俺達はとっとと報告に行かなきゃな? ”負傷兵”を看るのは、衛生兵の仕事だ!」
その手の硬さとこめかみに食い込む指に不平を挙げたトールは、レッドの言葉に、あっ、と声を漏らして黙り込む。
バツの悪そうなトールを連れて、レッドとカマルの二人が歩き、
「そういうことだ」
カマル曹長も小さな笑みを混じらせながら、キラを追い越して歩いていく。
キラはリナの様子に後ろ髪を引かれつつも、三人に続いて艦長室に歩いていった。
「はぁ、はぁっ……!」
通路を行き交うクルー達を避け、あるいは押しのけながら、リナは転がり込むように医務室へと入っていく。
入り口に並んでいた別の軽度の怪我を負った負傷兵が、弾丸のように飛んできたリナの体を慌てて避けて、傷に響いて苦悶の声を漏らす。
その負傷兵に全く気をやらずに、リナは医務室内を見渡した。
艦が被弾した際に負傷したクルー達と、その手当に追われる衛生兵達でごったがえしていた。
あちこちでクルー達の苦悶の声が、まるで輪唄のように響き、衛生兵達の励ましの声と、薬や医療器具を要求する怒鳴り声が飛び交っている。
ライザは、と叫びながら踏み込もうとして、猛烈な勢いで走る、負傷兵が載せられたストレッチャーを避ける。
「……っ、ライザは!? ライザ・ベッケンバウアー中尉は!?」
ストレッチャーの後ろを横切った衛生兵に、すがりつくようについていきながら怒鳴りかける。
その三十代に入ったばかりほどの衛生兵の中尉は、忙しい中に声をかけられて鬱陶しく思いながら、なんだ、と言いかけてリナの顔を見て口を噤む。彼はメイソンのクルーであり、リナのことを知っていた。
が、敬礼はしないし、立ちどまりもしない。両手はカルテを挟んだバインダーと医療器具で一杯で、彼は手術で執刀する衛生兵だ。立ちどまる時間も惜しい。
「ベッケンバウアー中尉は、士官食堂です!」
その言葉に、腕をトンと叩いてからリナは医務室から弾かれるように走り去っていく。
士官食堂は居住区画の真上。士官食堂は今回のように負傷兵が多い場合に、オペ室としても使われるようにできている。
士官食堂に運ばれたということは、かなり重傷だということだ。オペ中なら入れない。それでも行かないと。
もうすぐ見えてくる。負傷兵が寝ているストレッチャーと、それに付き添う衛生兵の姿が見える。
ライザ、ライザはどれ!?
ストレッチャーを順に見て回る。全身火傷を負い、包帯だらけの者。腕や足などの四肢の一部を失った者。破片を受けてアンダーウェアを赤黒く汚した者。
怪我の具合や箇所はそれぞれだけど、どれもライザじゃない。
さっき衛生兵は運ばれてきたって言ってたはずなのに。まさかもうオペ中?
入り口を半分塞いでいたストレッチャーの横をすり抜けて、士官食堂に入る。
即席無菌室用の保護シートがあちこちに張られていて、それぞれ誰のオペなのか電子表示が掲げられている。
それを、薬品をカートに載せて運んでいた衛生兵が慌てて遮る。
「た、大尉! 今負傷者の治療中です! 入るなら、消毒して――「ライザ中尉は!?」
その遮った衛生兵の言葉を遮って、怒鳴りつけた。
リナの剣幕に衛生兵は目を丸くして、一瞬反応が遅れる。上官を名前で呼ぶ機会など皆無なため、一瞬誰のことかわからなかったのだ。
「べ、ベッケンバウアー中尉ですか? 中尉なら既にオペが終わって……」
「うっせぇよ。メスガキがキャンキャン吠えんな」
低い声が、頭の上から響く。
不機嫌そうで、世の中に不満があるっていうのが丸出しの声。ああ、この声は。
「お、おまっ、いだだだだ!!!」
頭鷲掴みにされてる! こめかみを親指が抉ってくるぅぅぅ!
しかも身体軽いから、ぶらんぶらんって宙に浮いてるし!
「黙れっつってんだろ、メスガキ。てめえの甲高い声は衝撃波なんだからよ。無差別攻撃してんじゃねーぞ、ハヤタ隊員呼ばれてーか」
「いだだだだ! だ、誰がウルトラ怪獣だ! 離せぇー!!」
アイアンクローでぶらさげられてしばらくして、周囲の視線が痛くなってきたところで二人とも落ち着き、とりあえず一息。
まだ頭がジンジンするんだけど……ああもう! 髪にクセがついたらどうするのさ!
とにかく! 自分の大事な頭を目一杯鷲掴みにしてくれたその男を、肩をいからせて仁王立ちしながら睨む。
「……ライザ、生きてたんだね。予約してた棺桶が無駄になって残念だよ」
そう。
ライザが生きていた。
包帯まみれで、ライフパックの点滴を引っ張りながらという満身創痍といった様相だが、ちゃんと生きている。
一目ではライザと分かりにくいが、包帯の隙間から漏れる赤い髪と、ギラギラとした髪と同色の瞳が、ライザ本人であることを主張していた。
がしゃ、と点滴スタンドを鳴らしてライフパックを揺らしながら、フン、と鼻息を荒くするライザ。
「てめえの葬式を見るまでは、おちおち棺桶で寝てられっかよ。つーか、てめえこんなところで遊んでるヒマが――うおっ」
リナの顔を見て、ライザが驚きの声を挙げて怯む。
まるでギリアム艦長がヘソ踊りを始めたのを見たように、目を丸くして包帯塗れの身体を一歩下げる。
なにごと? リナは首をかしげる。ぽろっ、と、何か目から零れた?
なにこれ。熱い。頭が。目が。
「? え、あっ……」
「……何泣いてやがんだ」
え。頭から垂れてるんじゃない。目からだ。
目が熱い。
「べ、別に、泣いてなんか……」
声の端が震えた。そんなつもりないのに。
止めようとすればするほど、また零れてくる。体が震える。あ、だめだ。
「~~~……っ、ち、ちが……うし……んぐっ、ぐすっ、ふうぅぅ……」
「お前……」
ライザが静かな声を掛けてくる。あ、やめろ。そんな声かけるな。
胸の中に満ちてくる温かいもの。まるで堰を切ったように、安堵が溢れてくる。
よかった。
ライザが、生きてた。
崩れ落ちそうになる。それを、ライザが手を伸ばし……鷲掴みで、両肩を掴まれて止められた。
ライザの大きな手に体重を支えられ、リナは感情が噴出するままに身を任せて嗚咽を漏らしながら、涙を流し続けた。
「ふっ、ぐすっ……ふえぇぇぇ……」
「……」
リナの涙を流して泣き続ける姿を、ライザは、気まずそうな表情で黙って見つめ続けた……。
リナがひとしきり泣き、落ち着いて……いつもの強がりな態度でライザから離れると、ブリーフィングルームに走っていくのを見送るライザ。
肺で溜めた息を弱々しく吐き、通路の向こうをじっと眺める。
リナが完全に去っていくのを確認してから、よろ、よろ、とおぼつかない足取りで通路に出ると、手摺に腰を預け、軍服のポケットに入っている煙草を咥え、熱線ライターで火をつける。
ふぅ、と紫煙をくゆらせ、ニコチンの苦味を堪能する。
「ベッケンバウアー中尉、吸うなら喫煙室でお願いしますよ」
「うっせぇな。後で消毒液でも撒いとけ」
衛生兵が彼の喫煙に見咎めて注意を促すが、ライザは吐き捨てるように答えて追い返し……
ずるっ、と手摺から腰がずり落ち、通路の端に腰が落ちた。
「……ガキめ。だから、お前は……気に入らねぇんだ、よ」
カサカサに乾いてひび割れた唇が、忌々しげに呟く。
煙草の火は、包帯に落ちて鎮火するまで、ゆっくりと紫煙を漂わせ続けていた。