知られざる戦いの末に残されたものがあった。伝えるべき相手を失った秘められた想い。散り往く意志を引き継いだ生き残る決意。
誰もが願った未来――鳥が羽ばたける自由な広い空。
故郷は塵と化し、友は灰となり――終わらない葬送に流れる慟哭。
終わらぬ戦いに祖国を追われた人類――誰もが拒みつつも確実に刻まれる滅亡へのカウントダウン。
分かたれる世界にいまだ見えぬ希望――命は容赦なく零れ落ち、伸ばす手の先は虚しく空を切った。
人類が掴みえた史上稀にみぬ奇跡――『桜花作戦』。その勝利を得るまでに人類の歴史はさまざまな命が絡み合っていた。
『我々は甲12号目標 に侵攻する。だが、それすら陽動に過ぎない。本作戦の目標は――オリジナルハイヴ。人類はこの戦いにすべてを賭ける』
その言葉を耳にしたときのことを今でもよく覚えている。
たったひとつの勝利を信じて死地へと飛び込む同胞とともに死力を尽くして戦った。
生き汚くも剣を振るった。臆病といわれようとも自分の命を守りながら戦い抜いた。
オリジナルハイヴが陥落する頃には、愛すべき同胞と憎むべきBETAの夥しい骸に埋め尽くされた大地に立ち尽くしていた。
多くの涙が流れた。多くの命が散った。多くの願いが失われた。
誰も失いたくない。誰も奪われたくない。誰も悲しみたくない。
何もかもが上手くいくなんてありえない。現実という名の真実こそが歴史を作り、未来という道を等しく与える。
どこから何処までが、誰にとっての誰が幸福という意味を宿しているのか。
「我々はこの程度の結果のために同胞の命を捧げたわけではない」
あの作戦から生還した同じ大隊に所属していた盟友が口にした言葉だった。
涙が枯れ果てると血が流れた。
自分の幸福なんて願ったことなんてない。こんな未来のために大切な命を贄と捧げたわけではない。
失わなくて済むのならどんな命さえ失わせたくなかった。
枯れ果てた涙の代わりに流れた血。その血さえ渇いたときは泥だらけになっていた。
本当に守りたかった宝物を根こそぎ奪われた。
「何がヴォルスングだ! 我々は何一つ救えていない!」
そう悪態をついた盟友は誰に遅れることなく戦場を駆け抜けた。
西ドイツ陸軍第2戦術機甲大隊、通称ヴォルスング大隊。
祖国から選りすぐりの精鋭を集めたハイヴ攻略戦に特化した正真正銘最強の部隊だった。それにも関わらず『桜花作戦』が終了する頃には中隊規模にまで数を減じていた。
「気を落とす必要はない。諸君らは名に恥じぬ戦果を挙げてくれた。それはすべての同胞が認めている」
「ふざけるな! 我らの戦いは始まったばかりだ! いまだ我らの祖国はBETAどもの占領下にあるのだぞ!」
基地司令の労いに食って掛かる盟友の憤りに同感はできないが理解はできる。
私も人類の限界というものを肌で感じていた。国連軍が甲21号作戦で実戦投入したという“XG-70 凄乃皇”が人類に齎した希望は計り知れない。堅牢なハイヴのモニュメントを荷電粒子砲の一撃で吹き飛ばし、地上部のBETAを薙ぎ払ったというその攻撃力。直に目にすることはなくとも甲21号作戦や桜花作戦を成功させたという事実だけでもその潜在能力の高さが伺える。
しかし、その兵器が再び戦場に現れることはなかった。
XG-70を完成させた国連や基礎を作った米軍などに各国から技術提供の打診があったにも関わらず、XG-70の開発情報はほとんど開示されなかった。
「それもそのはずさ。彼らはあの機体を再現できない。あの機体は米軍が弄っていた頃からあった欠点を一切解決できていなかったのさ」
そう言って人好きしない笑みを浮かべたのは所属すら明かされていない研究者の男。この研究者に引き合わされたのは欧州奪還作戦の発動が決定される10日前。私のほかにかつての“ヴォルスング”大隊所属の衛士が数名集められたのは軍の地図にすら記されていない施設だった。
「こ、これは!?」
「まさか! 何故、これが此処にある!?」
集められた衛士たちから驚愕の視線を受けて聳える巨影。
その巨影の袂に立つ研究者は無機的な視線で私たちを見据えるとさも当然のように恐ろしい『命令』を告げた。
「英雄諸君。君達は神々の戦場へと踏み入る資格を得ている。……この『計画』に背を向けるような勇者はいないだろうね?」
研究者の顔は笑っていない。目と口、頬にも笑いという色合いは一切なかった。
それでもこのとき私は思った。
人を喰らう魔というのは、このような者をいうのではないだろうかと。
その後に私たちを襲った惨劇は歴史から完全に消失することになる。
確かに欧州奪還という大命遂行の責務は果たすことができた。生き残った同胞を誰一人失うことなく私たちは勝利を得た。
世界各地で“再建”された“XG-70”の搭乗者となった英雄の嘆きは知られぬままに地球は長きに渡るBETAの侵略より解放された。
本当の意味ですべての戦いを終えた私たちは、誰一人笑っていなかった。
救いたいと願ったモノはすでになし。
責務のみで救った世界に安息の地は存在せず。
私たちに残されたのは平和という地獄の視線。
嘆くことは許されない。救いを求めてはならない。誰にも知られてはならない。
「私は間違っていたのかな――」
血を分けた生ある家族に打ち明けることのできない心情を吐露するも墓前に立つ私に応えてくれる声はない。
真っ直ぐ私を見ていたどこまでも澄み切った青い瞳。私を倣って剣の道を歩んだ愛すべき少女。
「もうあの頃には戻れない。いまの私には己の命すら自由にできない」
本当は戦場に立ってなど欲しくなかった。それでも彼女が決意したことを否定することはできなかった。ゆえに絶対に守り通すと誓った。
その結末がどうなったかなど語るべくもない。
「お迎えにあがりました――フォイルナー大佐」
最愛の者の記憶に囚われた私を現実に引き戻したのは盟友の部下だった女性衛士。
最後まで人として戦い抜いた盟友を羨み私の卑しき願望を見透かすこの女性が苦手だった。
それもこの日で別れるというのならば少なからず感慨というものが浮かぶ。
「ファーレンホルスト少佐。かの黒き狼王は最後に笑っていたか?」
任務に関すること以外で始めて口にした私個人の声に女性がわずかに驚きを示したがすぐに常の静かな表情で深く頷いた。
「そうか。ならば私も――」
遥けき空の彼方へと旅立つ私は愛するすべてを失うことでようやく未来を見ることができた。
祖国を、故郷を捨てた私に迷いなどなく、誰の思惑でもなく、ただ己が自身の使命のために最後の戦場へと向かうことができる。