2207年 10月2日 16時44分 太陽系第四惑星火星宙域【推奨BGM:「宇宙戦艦ヤマト復活篇」より《無限に広がる大宇宙》】無限に広がる大宇宙静寂と光に満ちた世界生まれる星もあれば死にゆく星もあるそうだ宇宙は生きているのだ棒状渦巻銀河の中心から約3万光年、天の河銀河の辺境宙域、オリオン腕その更に辺境にある比較的小ぶりな恒星、太陽寿命としては壮年に達しつつある星を頂に仰ぐ星々の群れ、太陽系の第三惑星、地球我々を生み育てた、母なる星幾度の異星人侵略の危機を乗り越えた、奇跡の星いっときは痛々しい土色に錆び上がっていた大地も、ガミラス戦役以降続けられてきたリ・テラフォーミング事業によって、今は昔以上に植生を取り戻しつつあるときに西暦2207年大きな宇宙の中の小さな星で、物語がいま、新たに始まろうとしていた◇群青と純白の斑模様が美しい水の惑星と白銀の衛星は既に遥か遠く、足元には赤茶色の球体が宇宙の常闇の中に浮かんでいる。火星宙域にまで進出した『シナノ』は、火星周回軌道で待機状態に入った。地球連邦に所属する国は、新造艦の公試運転を毎月5日に火星公転軌道上の特定宙域で行う事が義務付けられているからだ。これは太陽系を多く行き来する宇宙船の航海上の安全を考慮してのことであったが、結果的に毎月各国の新造宇宙軍艦が一堂に会するお披露目会としての側面を持っていた。本来は新造艦を披露しあう事で互いの猜疑心を解消して健全な競争心を育てるという裏の意図もあったのだが、逆に無意識に敵対心を呷る結果にもなっていた。現在、恭介を含めた技術班の面々は『シナノ』の烹炊所にいる。待機中は最低限の点検以外は試験も訓練も行う事は禁じられているため何もやる事が無いため、展望室にテーブルと食事を運び込んでの懇親会が行われることになった。そして、試験も訓練もできない以上、誰もが暇を持て余しているわけで。艤装員長の命令で、懇親会の準備をしている生活班の手伝いをさせられることになったのだ。肩に青い三本のラインが入った技術班員が側面展望室と烹炊所、正式名称『シナノ食堂』を、料理を載せたカーゴが行き来する。『シナノ食堂』では本職の生活班炊事科が大きなしゃもじで炊きたての御飯をかき混ぜ、或いはフライパンを電磁調理器にかけている。烹炊所の最奥ではなんとマグロの解体までしており、料理の手伝いをしているゼミ生が唖然とした表情で見ていた。まだクッキングマシンが試験運用段階ということもあるのだろうが、烹炊所も宴会に向けて腕によりをかけている。ボラ―戦役の時に避難船に乗った事はあっても軍艦は初体験、しかも裏方の作業を目の当たりにしたのは初めてなのだろう。一応宇宙戦士訓練学校で一通り宇宙艦艇での業務を経験している身としては、彼らの驚きは共感できるし、また懐かしくも感じる。「お前たち、何をそんなボケっと突っ立ってるんだ?」恭介は、なるべくフランクな声のかけ方を心がけた。本来なら手を動かしていない部下には怒鳴っても良いのだが、そこは学生相手だ、あまり怖い態度をとるとあかねへの風当たりが悪くなるかもしれない。自分だけは優しくしてやってもバチは当たるまい。他の乗員に怒られる分には助けてはやらないが、自分が怒る時は厳しく叱ったりはしない事にしていた。しかし、「ハ、ハイ! スミマセンでした!すぐに作業に戻りマス!」飛び上がらんばかりに背筋を伸ばしたその男子生徒は、泣きそうな声で肩を震わせながら駆け足で去っていった。「……ええっと」既に躾けられているようだった。そもそもあの生徒は確か修士二年生だったはずだから、自分よりも一歳年上ではなかったのではないか。「……ま、いいか」恭介は深く考えないことにした。「坂井さん、生徒が妙にビビってましたけど、何があったか知りませんか?」厨房に入った恭介は、ピザ生地を練っていた坂井シェフに話しかける。『シナノ食堂』の料理長を勤める坂井さんは口髭の似合うチャーミングな方で、人当たりがとてもいい印象を持っている。接している限りはとてもおっとりとした性格だと思っていたのだが、もしかしたら違うのだろうか。「う~ん、彼ならさっき料理を手伝ってもらっていたんだけど、ちょっとふざけていたからすこーしだけ怒ったんだよね」「はぁ……。ちなみに、怒るってどんな感じで?」「ん~~? そんなにきつくなんて怒ってないよ? ちょっと一発『ていっ』てぶっただけ」「テイッ」の掛け声とともに殴るジェスチャーをする坂井さん。大きく振りかぶってのフルスウィングだった。「ほら、彼らって軍人じゃないじゃない? だから優しくしたつもりなんだけど、何故か恐がられちゃってね。一体どうしてかなぁ? 篠田君、知らないかい?」彼の顔に腫れている様子はなかったから、あの殴り方にしては手加減をしたほうなのだろうか。しかし、ダメージを受けたのは主に精神面だったようだ。「いや……生憎私には分かりかねますが」顔が若干ひきつっていたのは坂井さんにばバレなかった、と思う。「あ、恭介。お疲れ様」じゃがいもの皮をむいていたあかねが、ふと顔をあげて恭介に気付いた。あかねが躾けられていない事になんとなく安堵を感じつつ、軽く手を上げて応える。「準備お疲れ。どうだ、坂井さんに迷惑かけてないか?」「ん―――? 簗瀬君は炊事科の立派な戦力だよ? 包丁捌きも慣れたもんだし、手際いいもん。大人数用の料理をしたことないからか、ちょっと丁寧で時間かけ過ぎかなとも思うけど、すぐに慣れるでしょ」「そうですか。よかったな、あかね」「ま、いつも家でお母さんの手伝いしていて慣れているからね」そういって胸を張るあかね。その様子に恭介は安堵しかけたが、その後の発言に度肝を抜いた。「それより、戦艦ってすごいのね。調理場は広いし、冷蔵庫はうちの大きさ何倍もあるし、食材も天然モノが多くて豪勢じゃない。恭介アンタ、訓練学校時代にもいつもこんな美味しい料理食べてたの?」「馬鹿、シ――――!!」慌ててあかねの口を両手で塞いだ。突然の出来事にあかねが顔を真っ赤にしてモゴモゴ言ってるが、それどころじゃない。「ン――――!! ン――――!! ぷはぁっ、ちょっと、いきなり何すんのよ!」「お前がいきなりとんでもない事言うからだ!」キョロキョロ周りをうかがうと、坂井シェフが苦笑いしていた。「ちょっとこっち来い! その勘違いを修正してやる」愚妹の腕を掴んで、坂井シェフへ振り向く。あかねが何やら慌てふためいているが関係ない。こいつには艦の一員として最低限の事を知っていてもらわなければならない。「すみません坂井さん、申し訳ありませんがこいつに少し教えてやってくれませんか?」「いいよ~? 学生君もここでは艦の一員だからね。艦の事を少しでも知っていてもらわないと、いざという時に足手まといだからね~」ついておいで、という坂井さんとともにあかねを引っ張り込んだのは食糧庫。天井まで2メートル半、広さは教室三つ分ぐらいあるそこは、新造の時にはがらんどうだったのだが、今では段ボール箱でぎっしりだ。保管されているのは調理場にある冷蔵庫や隣室の巨大冷凍庫と異なり、常温で長期保存できる食料である。「さて簗瀬君、これが分かるかな?」「えっと……。非常食じゃないんですか?」恐る恐る答えるあかねに、坂井さんは笑顔を崩さずに語り始めた。「そう、補給が滞った時や遭難した時の為の非常食だ。200人の乗員が2カ月生存できるだけの携行食糧が備蓄されている。中身は無重力状態を想定して真空パックに粘性の高いパンもしくは御飯とゲル状スープ、それにサプリメントの錠剤と、満腹中枢を刺激する薬が入っている無針注射器だ。でもこれは戦闘食も兼ねているから、戦闘配備中はこいつがそのまま段ボール箱ごとそれぞれの場所に配られるんだよ」「え、それじゃあ暖かくなくて美味しくないじゃない?」「そうだよ。パンはともかく、ダマになった生温いスープをジュルジュル吸うのはあまり食事している気分にはならないな。でも、俺達軍人はこういう物を食べて戦闘に行くんだ」思い出すのは、宇宙戦士訓練学校時代。訓練航海で火星宙域に出たとき、遭難訓練と称して5日間を戦闘食だけで過ごした。2日目になるともう飽きが来て、苦痛で仕方がなかっただったつらい記憶だ。最後の方は、食糧のパックを見るだけで皆げんなりしていた。「ん~、さすがに昔みたいにおにぎりとお茶ってわけじゃないけど、今作っているパーティー用の料理や来賓用の食事とは比べ物にならないくらい質素でしょ? 通常の食事だって、冷蔵庫と冷凍庫に入っている食材、艦内菜園で採れる青物、あとは艦内工場でつくる合成食品から作っているんだけど、できるだけ材料を無駄遣いしないで備蓄が長持ちするように、かつ飽きられないようにレパートリーを増やして、士気が落ちないように工夫してるんだよ」「移民船に乗った時に出たお食事より、普段はもっと質素ってことですか?」「そうだね、あれは民間人用だから。来賓用ほど豪勢ではないけど、やっぱり軍人よりは質素な食事に慣れていないからね。不平不満が起きないように僕らよりは比較的充実した食事になっていたかな?」自分の経験した船内食と比べて驚くあかね。あかねが言っている「移民船」とは、ボラ―戦役―――太陽の異常膨張で移住を余儀なくされた際に乗った大型船のことをいっているのだろう。恭介は軍属扱いで船に乗っていたから学校の給食みたいな安いメシだったが、民間人の方はそこそこマシなものが出たようだ。と、ふと疑問がわいた。「あれ? ということはお前、ここのメシまだ食べてないのか?」「まだよ? 昨日今日と、ずっとコスモクリーナーにつきっきりでいたんだもの。食堂に行く暇なんてなかったわ」「ん~そうか、今まで学生君達は機械の整備に忙しかったから、炊事科にお弁当を工場まで運ばせたんだっけ。じゃあ、知らなくても仕方ないね。うちは定食制で、ABCの三種類から選ぶんだ。食料の備蓄が少なくなったらA定食だけにしちゃうんけどね」「まるで、大学の生協食堂みたいですね」「あれよりも品揃えは良くないかな。三種類以外は傷病者用の食事しか作る余裕がないから」「今の話からすると、私達がお弁当を頂いたのは特別ということですか?」「そうなるねぇ。本来ならばここにある段ボールを渡すところなんだけど、艦の仕事を手伝ってもらってるし、大事な民間人のお客様だからね」答えにあかねはしばし俯いたあと、坂井さんに向き直った。「……先程は失礼な事を言っちゃいました。よく知らずに適当な事を言って、ごめんなさい」ポニーテールをうなだらせて謝る。こういう時に素直に頭を下げる事が出来る点があかねのいいところだと、恭介は改めて思った。シェフが目を細めて笑う。分かってはいたが、やはり坂井さんは怒ってはいないようだ。あかねもつられて微笑んだ。あとは、自分が話を締めれば終わりだ。「分かったか? 軍艦だからって贅沢なものを食べられる訳じゃない。長距離航海でただでさえ精神的に疲弊するのに、食糧だって決して常に潤沢に賄えるわけでもない。今ああやってパーティーの準備をしているのは、このあと冥王星基地で補給を受ける事が分かっているから出来る事なんだ。いわば、贅沢な食事を食いだめしてこれから先頑張ろうって意味も込められているんだ。だから、二度と人前でさっきみたいな事言うんじゃないぞ。な?」「ええ、分かったわ。ごめんね、変な事言っちゃって。それとありがと、教えてくれて」ふいに柔らかい表情で俺に微笑みかけるあかね。少し、ドキッとしてしまった。出航以来、あかねに心を揺るがされる機会が多くなったような気がするのは考え過ぎだろうか。「さ、そろそろ行きましょ? まだパーティーの料理、全然作り終わっていないから」「そうだね、そろそろ行こうか。簗瀬君、僕は鍵をかけなきゃいけないから先に行っててくれるかな?」「はい、じゃあ先に調理場に戻ってます」じゃあね、と肩越しに声をかけてあかねは扉をくぐる。食糧庫には坂井シェフと俺が残った。「篠田く~ん。今日もそうだけど、簗瀬君は『シナノ』食堂の戦力になるから、ちょくちょく借りていくよ、ごめんねー」「あ、はい、どうぞどうぞ。存分にこき使ってやってください」「ん~~? そんなに強がっちゃっていいのかなぁ? 彼女、黒髪美人だし有能だから、炊事科と技術班で引っ張りだこになっちゃうよ? ぐずぐずしてると、誰かに取られちゃうかもね?」「んなっ!? いきなり何の話です!?」口に手を当てながら、ニヤリと口角を吊り上げる坂井さん。人をからかって楽しもうという、悪い笑顔だ。「いやぁ、僕は山形の実家に奥さんがいるからいいんだけどね? この艦も若い新人が多いし? なんだかんだでストレスの溜まる職場だし? 何よりもここは密室だからね―――」「ど、ど、どういうことですか!」坂井シェフの視線が恭介を絡め捕る。冷や汗が一筋、背筋を流れる。この人にどこまで見透かされているのかと、空恐ろしくなる。「料理人の戦場たる厨房にラブロマンスを持ち込む困った子は『修正』する事にしているから安全だけど、それ以外の場所では篠田君が護ってあげなきゃだめだよ? 君は“お兄ちゃん”なんだからね? それともぉ、篠田君はそう”思って”ないのかな?」「”想”ってるに違うじゃないですか!」「んっふっふっふっふ―――。そう? なら安心かな? じゃあ、部屋の鍵かけといてね―――」背中越しに手を振りつつ、コック帽の男が悠々と去っていく。「どれが本性なのか、窺い知れん…………」恭介はしばらく、その場から一歩も動けなかった。