2207年 10月1日 6時00分 アジア洲日本国愛知県名古屋市港区 名古屋軍港内南部重工第1建造ドック【推奨BGM:「宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち」より《出航前の緊張》】『全艦、発進準備にかかれ!』艤装員長芹沢秀一の声が、マイクを通じて艦内に響く。直後、「総員配置につけ」のサイレンの音が耳朶を打った。しかし、それをのんびりと聞いているようでは軍人とは言えない。技術班長の号令を待たずに、恭介を含む技術班19名は艦内を駆けまわって艦内チェックを始めていた。研究所上がりの7名は、それぞれが所属していた課にちなんだ個所のチェックを任されている。造船課だった恭介は艦体全般を担当している為、部下のほかにも補助として自己診断プログラムと作業用ロボットを併用しながら、自分の目で確認しなければいけない所だけを重点的に見回っていく。艦内を前後左右4つのブロックに分け、2人一組でそれぞれのブロックの点検を分担する。勝手知ったる自作の船とはいえ、全長が300メートル近くある艦内を探し回るのは骨が折れる作業だ。『主砲、パルスレーザー、異常なし!』『ミサイル発射システム、異常ありません!』『波動エンジン、波動砲発射システム、異常なし!』武谷、成田、徳田の声が矢継ぎ早にスピーカーから聞こえる。走りながら腕時計に視線を送る。下令されてから5分も経っていない。彼らは戦闘班や航海班との共同作業だから、早いのも納得だ。「篠田さん、こっちはチェック終わりました!」「こっちも終わった。俺は第2工場に行く、お前は第1工場を見てこい!」「了解!」部下で訓練学校を卒業したばかりの大桶圭太郎を艦中央に向かわせ、自分はエレベーターを使って艦底部へ。目指すは、コスモクリーナーEが置かれている第2艦内工場だ。『コスモレーダー、ソナー、タイムレーダー、異常なし!』『亜空間ソナー、問題ありません!』今度は後藤と小川の声。エレベーターが開き切る前に飛び出し、オートウォークを全速力で疾走する。走りながらも居住区の点検に向かった部下からの報告を受けて、脳内で艦内のチェック状況を更新していく。時刻は既に6時12分。命令の前に動き出していたから、点検を始めて15分以上経っている。『航法システム、いつでもいけます!』この声は遊佐だ。どうやら、自分たちが最後のようだ。いくら補助がいるとはいえ、艦内全部をチェックするのは時間がかかる。乳灰色に塗装された壁に囲まれた、大人が4人横並びに歩くことができるほどの広い通路を、たったひとりで全力ダッシュ。圧搾空気が抜ける音と共に第2工場に躍り込む。「教授、あかね!」そこには、D型を一回りサイズダウンしたコスモクリ―ナーEと、その周囲をせわしなく歩き回っている黄色い服の男女がいた。マックブライト教授と門下の大学院生7人、それと特別に乗艦したあかねだった。彼らはコスモクリーナ―の整備と、実験以外の時間には生活班や技術班の仕事を補佐する事になっていて、制服も生活班を表す黄色の生地に黒の錨のデザインになっている。「篠田君か。今室内を確認し終わったところだ。コスモクリ―ナ―Eはしっかり固定されている、問題ない」「ありがとうございます」「恭介、こっちの片付けも全部終わってるわ」「サンキューな、あかね。自分の荷物はロッカーに入れたか? 自分の座席は分かるか? 指示があるまでベルト外したり勝手に動くんじゃないぞ?」「大丈夫よ。子供じゃないんだから、全く」そう言ってあかねは、腰に手を当てて頬をふくらます。ボディラインにぴったりなスーツに内心ドキドキするが、発進前なので顔に出す余裕も無い。そのとき、大桶から無線が入る。『篠田さん。第1工場問題ありません、艦内オールグリーンです!』「わかった! 俺は後から行くから、先に座席についてろ!」『了解、先に行ってます!』ヘッドセットの無線で大桶への指示を飛ばし、取って返して工場備え付けのマイクのスイッチを入れる。時刻は6時16分。たった20名足らずで艦内全てをチェックするのだからこのくらいかかるのは致し方ないが、実戦では遅すぎる。「ダメコンシステム、居住区、艦内工場、異常なし!」『第一艦橋了解。発進に備えろ』了解、と返信して、俺は再びあかねと教授に振り返った。「本艦は間もなく公試の為、名古屋軍港を出発して火星宙域へ向かいます。名古屋港を出たら離水し、地球周回軌道まで一気に駆け上がりますので、宇宙に慣れていない皆さんは座席に座ってシートベルトをしっかり締めていてください」その場にいたゼミ生が皆頷くのを確認して、恭介は第1工場へと走った。◇正面上部の大型ディスプレイの中を、アルファベットと漢字が絶え間なく流れる。『シナノ』の断面図が次々とグリーンに染まり、最後には太文字で「発進準備完了」の文字が大きく映る。「艦内全機構異常なし、エネルギー正常」「ドック内注水完了。ガントリーロック解除、ゲート開放」技術班長藤本明徳の指示によって、くぐもった金属音と共にドックのゲートが開く。さすがガミラス戦役の時からの生き残りだけあって、藤本は流れるように指示を出している。ドックの中は照明を一切つけていない。薄明が闇夜を薄めた海は墨色がかっていて、開かれたゲートとともに「始まり」を象徴しているように感じる。「始動シリンダー準備よし」「補助エンジン始動5秒前、4、3、2、1、接続!」「補助エンジン動力接続」「スイッチオン、両舷微速前進0、5」「微速前進0、5。ドックより、伊勢湾内に進入します」リラックスした表示で操縦桿を握る北野が、明瞭な声で報告する。どうにも、不思議な気分だ。南部は自分が座っている席を見渡す。『シナノ』の第一艦橋は、ヤマトとほぼ同じ機械がほぼ同じ配置になっている。唯一の違いは航法席と化学分析席の入れ替えぐらいなもので、ボタンの一つ一つの場所までヤマトそっくりだ。ただし、それを操る人間はヤマトとはがらりと変わっている。艦長席に座るのは、沖田艦長でも山南艦長でも古代艦長でもない。ライトグレーの髪をオールバックに固めたアクティブなヘアースタイル。老練な宇宙戦士に良く見られる、茶褐色に焼けた肌。ところどころ白が混じった不精髭は揉み上げから顎下まで繋がっていて、今までの艦長とは違う「野生」の印象を受ける。全てを見通すような鋭い視線は、歴代のヤマト艦長のそれと変わらない。芹沢秀一。土方さんや山南さんの更に後輩で、ディンギル帝国が侵攻してきたときには巡洋艦による水雷戦隊の指揮を執っていた歴戦の戦士だ。かつての指定席だった砲術席には、以前は第一主砲キャップだった坂巻浪夫。『シナノ』に来る前は、現在火星基地ドックで修理中の第三世代型巡洋艦『あしがら』で戦闘班長をやっていたそうだ。戦闘班長として第一艦橋正面に座る南部の右隣、かつて島大介が座っていた席には、イスカンダル遠征のときに操艦を任されていた北野哲がいる。北野は暗黒星団帝国来襲の際にパルチザンとして活動したのを切っ掛けに空間騎兵隊に転属していた。今回は月基地にいたところを一本釣りされたらしい。どちらも、たまたま地球の近くに居たのをいいことにスカウトされたようだ。人事から防衛省の裏の意図がうっすらと見えなくもないが、かつての仲間と再び仕事ができるのでこの際気にしない。機関長の島津忠昭、通信班長葦津綾音、航海班副長館花薫の三人はヤマトの乗員ではないが、島津は自分たちと同様、他の軍艦で副班長クラスの役職に就いていた世代だ。いずれにせよ、かつてヤマトの中堅を勤めていた面子が世代交代によって繰り上がった形だが、6年前とは違って堂々とした彼らの態度に、月日が経ったことを実感させられた。『シナノ』は、その女性格を体現するかのように静々とドックを出る。夜明け前は既に過ぎ、まさにこれから朝が訪れるという時間帯だ。秋の気配が近づいてきた暁の伊勢湾には、東の水平線から顔を出した曙光によって橙色に染め抜かれた、綾波の絨毯が敷き詰められていた。「本艦針路225度、27ノットに増速」港湾から出たところで西から南西に変針、一気に増速して伊勢湾の中央へ向かう。「宜候、波動エンジン内エネルギー注入」「波動エンジン内エネルギー注入開始」ウェディングドレスのトレーンのように、白い引き波を引きずりながら大人しく進む『シナノ』の第一艦橋から、知多半島がうっすらと視界に入ってくる。「港湾事務局より通信。『貴艦の進路に障害なし。発進を許可する。航海の無事を祈る』」「事務局へ返信。『誘導に感謝す』。北野、補助エンジン出力いっぱい。針路180度、速力64ノットへ」増速に伴って、正面からGを感じる。波の静かな伊勢湾を『シナノ』の艦首が切り裂いて激しく飛沫を上げる。「シリンダーへの閉鎖弁オープン、波動エンジン内エネルギー充填120%」「フライホイール始動」「フライホイール始動!」「波動エンジン点火10秒前!」発進準備が順調に進み、戦闘班長のセリフが近付いてくる。心臓がバクバクする。耳にかかる髪をかきあげる。眼鏡の位置が妙に気になり、一度外して両手でかけ直す。周りに気付かれないように、鼻で深呼吸する。古代さんがいつも言っていたセリフ。聞くだけで気分が高揚するあのセリフを、今度は自分が発するのだ。ガミラス戦役以来、何度目の発進だろう。坊ノ岬沖での、沈没艦の艤装を剥がしながらの発進。地球防衛軍の方針に反発して強引に艦を動かし、海中から飛び出しながらの発進。緊張した新人が、第三艦橋を木々に掠めながらの危なげな発進。イカルスの岩塊を砕き割り、アステロイドの環をくぐり抜けながらの発進。日本アルプスの晴れ渡った雪原を掻き分けながらの発進。アクエリアスで、敵ミサイルに追われながらの命がけの発進。様々な状況での発信を経験したが、ここまで緊張するのは、初めてかもしれない。「3、2、1、波動エンジン点火!」胸一杯に息を吸って、「『シナノ』、発進!!」今の気持ちをぶつけるように、南部は大音声を発した。◇【推奨BGM:「宇宙戦艦ヤマトpartⅠ」より《地球を飛び立つヤマト》】初秋の伊勢湾を太平洋に向けて一路南下する『シナノ』は、サブエンジンをフルパワーにすることで猛烈な加速をしていた。水上艦艇ではありえないスピードになるにつれて、海面を鋭角に切り裂いていた艦首が徐々に持ち上がっていく。真っ赤なバルバス・バウが姿を現し、丸い艦底によって強引にかき分けられた波飛沫が後方へ吹っ飛ぶ。水中に沈んでいた部分が露わになる度に、大量の海水がカーテンとなって艦体に沿って流れ落ち、水煙となって舞う。艦首喫水線から流れる飛沫は、『シナノ』の歓喜の涙にさえ見える。しかし、いまだ水面下にある第三艦橋の要員は、さぞかし生きた心地がしないだろう。64ノットで疾走する艦にかかる水圧を、真正面から受け止めているのだ。下部一番主砲とその直後のブルワークによって千々に乱れた水流が、恐ろしい勢いでガラスに叩きつけられている。そこかしこが軋む音と絶え間なく続く不気味な振動に、垂直離着陸しか経験していない訓練学校を卒業したばかりの新米共はシートベルトを強く握りしめ、小便を漏らしそうな勢いだった。半球状の艦内第2工場までが水面に顔を出すようになると、いよいよ艦は大空へ飛び出す準備を整える。艦首が上がったため艦尾は水中に下がり、既に下部飛行甲板まで水に浸かっている。上部飛行甲板も水没こそしていないものの、ひっきりなしに波に洗われていた。艦尾から白く泡立ったウェーキが伸びる様は、上空から見れば青の色紙に一筋の白線を引いているようだ。伊勢湾の中央あたりまで進出したところで、艦尾の海面に名状しがたい閃光が生まれる。2基の波動エンジンが始動し、矩型波動エンジンノズルが黄白色の光輝を放ったのだ。扇状に広がる波飛沫が艦橋よりも高く跳ね上がり、一瞬にして蒸気と化した海水が艦尾と航跡を覆い隠す。爆発的な推力を得た『シナノ』が、水平方向に加えて垂直方向へのベクトルを得て浮き上がる。ウイリー走行さながら後部だけを着水させて航行していた艦が、水平線の少し上を指向していた艦首を追うように動きだすと、さもそれが自然であるかのように巨体が滑らかに離水していく。未練がましく艦体に張り付いて装甲を舐めていた海水の塊が、ついに風圧で吹き飛ばされる。白煙を引き連れて力強くグングンと高度を上げていく姿は、往年の宇宙往還機を想起させる。昔と大きく違うのは、それが海上からの発進であり、艦体から振り落とされた海水が滴となって名残惜しげに空中に留まり水蒸気の雲と共に朝日を浴びて輝いている事だった。矩型エンジンノズルと2基のサブエンジンノズルが朝日よりも眩しく光を放ち、『シナノ』は引き絞られた弓から放たれた矢が空に吸い込まれていくように、仰角を上げて一気に蒼空へ駆け上がった。南に向けて飛び立った『シナノ』は高度500メートルを突破したところで主翼を展開し、艦を左に傾斜して翼端を陽光に煌めかせながら南東の方角へと旋回する。ヤマトの遺志を継ぐ宇宙戦艦が、光跡を引きながら風を掻き分け、雲を突き破ってなおも上昇を続ける。黎明の海に途切れた一筋の白い航跡を残して、一隻の艋艟が鏑矢の如く腹に響く重低音を唸らせて、母なる海を離れて星の海へと旅立っていく。やがて白煙さえも振り切った『シナノ』の影が朝焼けの空に溶けていく姿は、出発を見送った研究所や南部重工の関係者には希望そのものに見えた。