雲がかかり星どころか月すら見ることの出来ない夜空の下、地面を踏みしめる機械の足音と人間のそれは鳴り止まない。昼間に起きた惨劇による負傷者の救助、MIAの捜索、残存BETAの掃討等の事後処理に奔走しているからに他ならない。戦術機も大隊規模で広範囲に捜索網を敷き、その後を強化外骨格装備の機械化歩兵が瓦礫の中を闊歩、残存BETAを掃討、または負傷者を発見し、さらに後ろから来る歩兵及び衛生兵がその負傷者の救助にあたっている。幸か不幸か非戦闘員の負傷者は皆無であり、その殆どが戦術機か機械化歩兵を撃破されて身動きがとれずにいたものばかりだった。もっとも動けなくなって負傷兵のままでいられた者は最前線のデータどおりの数値程度の人数しかいなかったが。捜索に協力している部隊たちは遺体を発見してやるだけでも弔いになると思って念入りに調べている。その捜索を終えた施設、衛士訓練校では引き続き調査を始めていた。一階部分のブービートラップは全て解除するだけでも時間が掛かり、この時間になってようやく二階部分の“現場”にライトなどを持ち込むことに成功。現場は天幕を張られるなどして徹底的に調査されることになった。BETAを相手にした後にしては物々しい処置だと現場に到着したばかりの兵士たちは思ったが、現場に着くなり皆一様に顔をしかめ、中には吐き気を催すものいた。その中の一人がこう口にした。「お前はBETA相手に顔だけスイカみたいになっちまうなんて話聞いたことあるか?」問いかけられた相方はこう答える。「兵士級でも闘士級でもこんな中途半端なことはしねぇよ。あいつらは食うか、引っこ抜けるところは徹底的に引っこ抜くんだからな。 ユーラシアにいたころ俺の戦友だったやつらで人間の形止めて棺桶に入ったやつはいねえよ。 もっとも仲間がそうなる前に倒してくれたなら別だろうけど、BETAのミンチがないからそれはないはずさ」「……それじゃあ、オレの考えてることはあたりってことか?」「だろうよ。凶器はおそらく強化外骨格……ジャパニーズ仕様のパイルバンカーだろうな」「大口径の銃で打ち抜くより酷いことしやがる」「唯一の救いといっちゃ悪いかもしれないが、即死だったろうな。胴体にでも刺されたらと思うとぞっとする」「――そろそろ口閉じたほうが良さそうだぞ。副司令様直々にこられたようだからな」「何?何でここに――詮索しないほうがいいか」「事故死、または最前線送りになりたくなかったらな」「元々ここにいた訓練兵たちに大分噂が立っていたしな」それっきりこの2人は口をつぐみ黙々と自分に与えられた任務をこなしていった。ところかわり、とある男女2人のCP将校の立ち話。管制任務を引継ぎ、合成コーヒー片手に茶飲み話に興じている。茶飲み話といっても明るい話題ではなく、その正反対のことを種に雑談している。どんな話題でも今は救いになるから。特に他人の不幸話は自分が助かって生きているという実感を抱くためには最適なのである。だが、この場ではそれを確認するための雑談ではないようだ。「聞いた?帝国訓練部隊の話?」「今日の賭けの対象にされていたやつらだろ?たしか一個小隊きてたな……そいつらがどうしたんだ?」そこで一旦女の管制官は若干顔を青くすると肩を震わせる。男の管制官はそれを見て思わず飲みかけていたコーヒーから口を離し、彼女に正対して聞くことにした。女は身震いを無理やりとめると、腹筋に力を入れてようやくかすれそうな声を絞り出した。「まだ実戦どころか、訓練すら終わってない子供たちに……私は……捨石になれって言っちゃったんだよ?」「……子供?一体どういうことだ?」「大陸では珍しくなくなってきているけど……彼らは帝国初の少年兵だったのよ。 その彼らに時間稼ぎのためにたかが戦術機甲一個小隊で陽動せよなんて……私なんかよりずっと小さい子供に死ねっていっちゃった」「それはお前の所為ではない、仕方がなかった」「状況が許してくれなかったのは解る。軍人だからそこは割り切ってた。割り切っていたつもりになってた。 だけど……軍務中は考える暇がなかった。なかったから罪悪感もわかなかったけど、今は抑えられた分がどんどん溢れ出してくるの。 重傷者どころか戦死者まで……」「やめろ!お前の所為じゃない、お前の所為じゃないから」男は女を必死に宥めながら同僚に医務室へと向かう旨を伝えると、催眠治療を受けさせるべく急いだ。急ぎながら男は思った。帝国の訓練部隊の生き残りはいまどうしているのか、と。マブラヴALTERNATIVE~天命を背負し始まり~第五章その1負傷者で溢れかえる……とまでは行かないが重傷者でベッドが埋まっている医務室。その中で柏木晴子がいるこの一角は重傷者を寝かせている、最も重苦しい空気が漂う場所だ。彼女が何故ここにいるのか?その理由は彼女の目の前にある。ベッドに横たわり青色に染まった顔でこちらを見つめている男の子、彼女の弟がそこにいた。「……ね…ぇちゃん?」「……うん、お姉ちゃんだよ」柏木は近くにあった丸椅子を枕元近くに引き寄せてそれに座る。そして、彼女は弟の手をとろうとしてベッドへと手を這わせるが一向にその手を掴むことができない。心細く、衰弱している弟を安心させたいのに、生きているって温もりを教えてあげたいのに……。速く手を取ってあげたいのに……。焦る柏木の肩を誰かが掴んだ。後ろを振り返るとそこには茜がいた。茜は悲痛な面持ちをしながら静かに首を数回横に振り何かを伝えてくる。その意味を理解した。いや、椅子に座る前から解っていたんだ。もう弟に……利き腕から温もりを伝えることができないって……。弟はそれがわかっているのか、柏木の顔を見て心配させまいと微笑んできた。だが、その微笑みは逆に柏木の感情を加速的に下へ、下へ落としていった。「あ……あんたね。悲しいときに、大切なものを無くしたときに……泣かないで他人の心配してどうするのよ……」「ごめん……教官がこういうときはこういう風にしろ……って教えてくれたからさ」「教官……?」柏木はその一言を聞くと胸の中の感情が哀から怒へと切り替わっていくのが手に取るように解った。冷水に浸っていた体が下から熱せられ、徐々に温度を上げていく。冷水から常温へ。常温から微温湯へ。微温湯から熱湯へと。その感情は弟を指揮していたはずの男へと向かっていく。彼女の同期であり、知り合い、友人であった御城衛。何故守ってくれなかったのか、信頼を裏切って愛する弟をこんな姿にしてしまったのか。頭の冷静な部分では状況的に仕方がなかったですませられることもわかってはいるが、家族という絆がそれですまそうとはしてくれない。仕方なかった、だからごめんなさい。そんなことは決して言わせはしない。弟は許しても弟の将来を奪ったあいつを許してはやらない。そんなことを考えていることを露とも知らずに弟は教官のことをつらつらと語っていく。「教官はすごいよ。衛士の腕は間違いなくエース級でさ、姉ちゃんと同じくらいなのに、教官としてちゃんと指導してくれたんだ。 本土防衛軍の人たちも若いのにちゃんと教官としてやってるって、耳にしたくらいなんだよ? オレってそんなすごい人を師事していたって最近になるまで気がつかなくてさ、殴られるたびに陰で愚痴ってた」「それはあんたが馬鹿やったからでしょ?」弟は図星だったのかちょっと横向いて笑うと、笑った拍子に傷が痛んだのか顔をしかめる。しかし、まだ喋り足りないのか言葉を続けた。「へへへ、格好悪いでしょう?でもさ、あるとき気がついたんだ。殴られなきゃオレぐらいの年齢だと解らないこともあるんだって。 悔しいけどオレはまだお世辞にも徴兵されてもろくに役に立たない少年兵だ。ソ連のやつらよりも年下かもだってさ。 身体的にも精神的にも戦争についていけない。だけど、殴られるたびに自分の身の程を知らされてた。 それに気がついてから、オレは少しでも兵士になれたんだと思う。生意気を言う卵のからはいたままのガキでも、背伸びせずにこなしていったらここまでこれた。 少佐たちもそれとなく協力してくれたよ。体調管理を怠らないように栄養剤をくれたりして気を回してくれた。 それで今回の模擬戦メンバーに選ばれるまでになったんだぜ?感謝しても感謝したりないよ」「あんたねえ……なんでそんな教官を褒めるのよ」弟の言葉を聴いているうちに冷静な部分が沸騰している部分を冷却し始めている。しかし、熱というものは胸の中の熱というものはなかなか逃げてはくれないもの。先程より恨み言をいうだけの頭ではなくなったものの、いまだに棚上げするような気持ちにはならない。「あんたもう少しで死んじゃうかもしれないところだったんだよ? あんたたちが戦場に出なければならなかった、命をとしてやらなきゃいけなかったこともわかる。 でもさ、ここにいて労わりの言葉をかけにきた?きてないよね?軍人だからって言葉でこれはいいわけできないところだよ」「……なんか姉ちゃんらしくないよ。姉ちゃんも本当はわかってるんでしょ?そもそも教官たちの指揮のせいじゃないさ。 オレが突出しすぎて孤立してさ、分隊長まで巻き込んじゃったんだ。そのカバーに回ろうと隊長が着てくれたんだけど……。 運悪くBETAの増援ポイントのところに居合わせちゃったってだけだから。むしろオレの無茶で分隊長を巻き込んじゃったほうが…… 教官たちは何も悪いことないよ、二人とも全力で守ってくれたから……今ここにいるんだとおもう」姉弟ともに徐々に目に涙を溜めていき、姉はそこで堪えて弟を優しく抱擁する。弟は周りの迷惑鑑みて、声を殺しつつ姉の暖かい胸の中で静かに嗚咽を漏らした。---------------------------------------------------------------医務室の入り口。そこに踏み込もうとして引き返した人影があった。その人影はこの基地でも数えるくらいしか存在しないくらいの小さな背丈でかつ華奢だ。小さな背中は見る人が見ればより一層小さく見えること間違いなし、というほど何かを背負っていた。彼女の名は御城柳。A-01第0中隊、通称エインヘリャル隊の少尉だ。いつもなら年齢に似合わないといわれるほど気品と華麗さを身に纏った武家の息女なのだが、事件のおかげで年相応の精神の不安定さを露出させていた。身体的に欠陥、病気があるわけではないが、彼女は吐き気を催していた。お兄様の指揮していた部隊が知り合いの弟さんに一生ものの傷を負わせてしまった。幼いころより常に優秀であると信じていたお兄様が部下を傷つけてしまった。それも少年兵を、だ。軍人としての教育を受けているから犠牲が出てしまうのは当たり前だと思っているし、状況が状況なだけに割り切れると思っていた。しかし、実際はどうだ。割り切れるどころかお兄様を信じた柏木少尉の涙を見た途端、精神が悲鳴を上げて胃から内容物をせり出させようとしている。自分も信じていた兄の姿が音を立てて決壊していき、裏切られたという感情が鎌首をもたげ始める。それを阻止しようとして体が拒絶し、吐瀉しようとしているのだろう。この気分の悪さを診察して貰おうにもあそこにいては、双方共に精神衛生が悪くなるだけだと判断して遠ざかろうと足を動かしている。当然その代償として気分はより悪くなるのだが、人間関係的には自分があの場にいるわけにはいかないので足をとめることが出来ない。多分お兄様には気の回しすぎ、他人優先過ぎるといって叱られるだろうな。あれ?まだ私お兄様を信じているの……かな?壁に寄りかかるようにして行かないと歩けないほど体は言うことをきかなくなってきた。「……外に行って新鮮な空気を吸ったほうが…よさそうですね」「なら助けが必要か」「え?」その声が聞こえたと思ったら横合いから脇の下に腕を入れられ、肩を貸される形を作られる。肩を貸したものを見るとそれは魅瀬だ。だが、先程の声は彼女のものではなかった。なかったが、彼女がここにいるということは相棒兼保護者がここにいないわけがない。魅瀬に向けていた視線を別の人影に向けると案の定、そこには麻倉の姿があった。麻倉は柳を見ながらもいつもどおり、見守っている。喋るのも億劫になっていた柳としては返事をすることはできそうになかったので、無言で助けてくれる麻倉の気遣いが嬉しかった。事後処理も落ち着き、戦闘により舞っていた埃も風で流され、元の冬らしい澄んだ空気が漂う施設外へと運ばれていった。さすがに真冬までとはいかないが、十分肌寒く身震いをしてしまう。しかし、澄んだ冷たい空気が滾っていた胃を鎮め、先程のようによろめき壁に手をついて歩くということはないくらいまで回復させてくれた。その間にも魅瀬はずんずんと進んで行き、施設裏へと向かっている。あれ?「魅瀬さん、もうこの辺でいいですから降ろしてもらえませんか?」「……OK、可愛い子猫ちゃんをここで降ろして、手篭めにしてやるよ……と、麻倉少尉は言っていま――痛い」麻倉は唐突に物凄いことを言ってきた魅瀬に拳骨を落としてその内容を全力否定した。殴らなくても麻倉がそういうことを言わないことくらい容易に想像できるが、彼女の誇りがそれを許さないのだろう。魅瀬は柳を優しく地面へと下ろすと疲れたのか、彼女も隣に体育座りで座ってきた。麻倉はというと腕を組み、眼下に広がる月光に照らされた廃墟を目を細めてみていた。またしばらく無言の世界が続く。永遠とも、時間が止まったとも表現できる世界は柳と魅瀬の身震いによって破られた。「寒いか?」「……恥ずかしながら地面は冷えるようですので」「私たちは女なのだから下半身が冷えるようなことはできるだけ避けたほうがいい。体調管理も軍人の仕事のうちだ」といいながらもこっちを向かずに廃墟に目を向けたままだ。最後の言葉が照れ隠しで顔をこっちに向けたくない理由かと思ったが、どうやらそうではないらしい。柳と同じく思うところがあって人気がないここに来て考えているのだ。その内容は柳には容易に想像がついた。柳とて柏木姉弟や兄のことだけでここまで精神が追い詰められたかけではない。彼女が柏木姉弟を知る前から精神的に追い詰められる出来事があったのだ。そして、それは麻倉も同じ時に同じ様にその出来事に出会ってしまった。眼下の廃墟から何を見つけ出そうとしているのだろうか。荒廃した自分自身の心と重ね合わせて、ただ嘆いているのだろうか。それとも自身の不甲斐無さを悔い、直面した事件にどう対処するべきか考えを巡らせているのだろうか。「……麻倉少尉」「…………何だ?」「私たちって……人類って何なのでしょうね」「…………」「最初はHSSTの人為的落下。これはまだ政治の駆け引きか何かのものだと理解はできます。許すこととは違いますけど。 ですが、研究用の捕獲したBETAを……おそらく意図的に逃がして混乱を煽り、潜入工作をよりやりやすくする……」柳は隣に魅瀬がいることを忘れたかのように次々胸の内に溜まったものを吐き出していく。幸い魅瀬もその情報を麻倉に教えられていたのか、別段驚いた様子もなく、曇った空を見上げている。麻倉は朝倉で止める気がないのか、わざと胸のうちを吐露させたいのか、表情を変えぬまま黙っている。徐々に声に震えが混じり始めても声の大きさは掠れることなく、むしろ大きくなっていく。「私たちの対応が遅かった所為というのもあります……ありますけど、何故ここの基地の人たちが死ななければならなかったんですか? 何故、神宮司軍曹がBETAではなく、同じ赤い血が流れている人類に殺されなければならないのですか!? 何故、お兄様が訓練部隊を率いて最前線で孤立するしかなかったのですか!?何故!?何故!?何故!?何故!?何故!?――」息を吐きつくし一旦言葉か止まった。激情に任せた吐露を麻倉は眉一つ動かずに聞いている。ここまで無感情にされると話を聞いているのかという疑念も浮かんでくるが、意識は後方に向けられているので話を聞いていないわけではない。単にこの吐露に何の感慨も浮かんでいないのか、はたまた感情を抑えて平静を保っているのか。柳の横の魅瀬はそう思った。柳は呼吸を整える間に激情が薄れたのか、肩に張り詰めていた力が抜けて小さく見えていた姿が消えてしまいそうなほどに小さく見えた。そして、彼女の口から出た次の言葉により麻倉の表情が変わった。「――何故、冥夜様と珠瀬少尉がMIAに……誘拐されなければならないのですか?」柳が身体に及ぼすほど精神を圧迫、蝕んでいたものは信じていた兄の不幸とそれによる他人の不幸が一番ではなかった。一番の理由は御剣冥夜、珠瀬壬姫、両訓練兵の誘拐、特に前者のことが大きかった。御城家の者でありながら、守らなければならない尊い人を守れず、誘拐などという政治的に殺されるよりも最悪の出来事すら許してしまった。そして、そこから連鎖したように舞い込む負の情報により、吐き気を催すほどに体調を悪化させたのだろう。「私が不甲斐――」「不甲斐無イバカリニコウナッテシマッタ……それは違うでしょ」自虐的な言葉をいいそうになっていた柳を遮ったのは台詞を奪うことに定評がある魅瀬だった。魅瀬は同年代の友達がボロボロになってしまうのを防ぎたく口を挟んだのだ。「これは自分とかどこの部隊とかが悪いから起こった、という問題じゃない。 組織、いやもっと大きなところでことが起こっているはず。私たちもそれにまきこ――」「――巻き込まれた……からどうしたというのですか?」「!?」一瞬、柳の声に殺意にも似た鋭利な凄みが混じった。魅瀬はその凄みに敏感に感じ取ると、顔つきを戦闘態勢のものへと危うく変えそうになる。しかし、それは仲間や友人に向けるものとは程遠いものと考えたからだ。柳も魅瀬の顔の変化を見て凄みを瞬時に萎えさせ、申し訳なさそうな表情で謝罪する。「ごめんなさい……でも、巻き込まれたとかそういうのは関係ないのですよ。自分自身が許せない。只それだけですから」「……ううん。こっちごめん。胸のうちを語り尽くしたいっていうのを察せなくてさ」「魅瀬――いえ、朝美さん。わかってくれてありがとうございます」「胸のうちは吐露し終わったか?」表情を変えただけで今まで2人のやり取りを見ていただけの麻倉がようやく口を開いた。2人は幾分かすっきりした顔で振り返った麻倉の顔を見る。麻倉はそれを確認すると二人へと近づき屈みこみ、二人の視線へとあわせた。「魅瀬、栄養剤は必要か?」「……大丈夫」「そうか、よく頑張った。御城」「はい」「お前にとってここ数日で起きた事件は途轍もなくつらいことだったろう。関係も大いにあっただろう。 これだけの事件が重なればかならず近いうちに何かが起こるだろう。だが、それまで膝を抱え込むことだけは止めろ。 私たちの足は歩くためにあるのであって、抱え込むためにあるわけではないのだからな」そこで少し微笑む麻倉。柳はその顔、というより雰囲気が誰かに似ているような気がした。そして、それが誰かわかると思わずクスリと笑いを漏らしてしまった。「何がおかしいのだ?」「いえ、麻倉さんが知り合いの方に似ているな、と思いまして」「……それよりもいつまでもこの軽装で外にいると風邪を引いてしまう。施設に戻るぞ」「あ、麻倉さん」「ん、なんだ?」「…………お兄様に面会を取ることってまだ無理ですかね?」「……副司令に聞いて見なければ何ともいえないな」「そう……ですか」立ち上がり尻についた土を払いながら地面へと視線を向ける。この下のどこのフロアにお兄様はいるのだろうか。拘束された兄を気遣う心は信頼が揺れている今でも、柳の中では確かな価値を持って健在だった。--------------------------------------------------------とある士官用の個室にて重厚なドア越しに女2人の対談が行われていた。対談といっても待遇には差がつけられている。まずドア越しというところからだが、ここは正確には士官用の個室ではない。個室ではあるのだが、ドアの内側は薄暗かったり埃っぽく、外の景色を辛うじて見ることが出来る小さな窓には鉄格子が填められていたりする。ドアの外はそんなことはなくちゃんとした通路で薄暗いものの埃っぽくはない。ついでに外側の人間には行動の制限がなく、内側はこの部屋以外への行動に関しては制限されている。はっきりいうとここは俗に言う営倉と呼ばれる部屋だ。そんなところで対面したってドアの内側の人間からすればご機嫌がよろしいわけはない。不機嫌そうにこちらを睨みつけながら訪問者を出迎えた。「で、私をどうするんですか?香月准将?」「あら、大人しく拘束されていたから、もっと気の利いた憎まれ口を考えてくれていたかと思っていたのだけど、残念ね~後藤?」「残念がってくれるだけで十分、私としては成功なんですけどね。それにあんたの悪口考えるなら現状と今後の予想に費やしたほうが有意義だわ」「あんたの未来なんて碌な事ないでしょうに」「ふん、どの口がそんなこと言うのかしら。あんたがそのろくでもない未来決めるんでしょうに」数日シャワーを浴びれないおかげで肌が荒れてきたのを気にしつつ、先程のから浮かべている不機嫌さを引っ込めることなく言った。香月はそれを気にすることなく、ふざけた表情を真剣なものへと切り替えた。「本題に入る前に……あんたも一応知る権利があるでしょうね」「……?何を?」「…………まりもが死んだわ」「……っ……そう……」短いやり取りとわずか数秒だけだが友人、知人の死に2人は黙祷を奉げる。そして、何事もなかったように元の表情に戻った2人は本題へと入っていく。無論こんな話をするのだから人払いは済ませている。「あんたがソ連とのパイプ切ったでしょ?」「ええ、そうね。嫌がらせに」「……それを元に戻してくれないかしら?台所事情悪くなって文句言ってくる部隊があるから」「そこまで喋っていいわけ?仮にも部外者よ、私」「勿論喋っちゃ駄目なことね」「……相変わらず人をイラつかせるのがうまいわね」重要機密を話して横浜基地から逃げられなくするという退路を最初から無くすという手段。非常識なようで、軍隊において非常識ではないこのやり方は後藤自身もやったことがあり、わかっていたが、避けられないものは避けられない。どうやら自分が、というより自分の持つ知識が必要になったからここにきたのだろう。「で、ソ連とのパイプを復活させるだけでいいの?あんなのとある筋からの圧力無くせばいくらでも入ってくるわ。 でもそれですむわけないわよね?どうせここの基地に呼び出した時点であれのこと聞くつもりだったんでしょ? 身の安全と研究が続けられることを条件ならいくらでも話してあげるわ」「話が早くて助かるわ。あんたの条件どおりでいいから、力貸しなさい。あんたの生んだであろう子供たちが待ってるから」「はあ?私は子供産んだ覚えは……まさか、あの試作型2人がこの基地にいるっていうの? ……あんたって本当に横から掠め取ったり、駆け引きするの大好きね。あんた魔女って呼ばれてるの知ってるの?」「あら、そう呼ばれているの?光栄だこと」「はいはい。力貸せばいいのでしょう?試作型なんてうちの九羽くらいしか残ってなかったからデータ不足に悩んだこともあったから丁度いいわ。 それに研究素材確保してもらった礼に、私が属してた派閥についても詳しく話してあげるわ。 その代わりしばらく厄介になるけど、帝国にはちゃんと戻れるように手を打っておいてよね?」「わかったわ。覚えて……いたらね」「確実に頼むわ」香月はそれに笑って答え、後で迎えをよこすというとその場を去ろうと背中を向ける。それに後藤は待ったをかけ、質問をした。「ところで私の部下たちはどうするの?」「整備班は取調べを終わらせてから帝国に返すわ。訓練兵の衛士も同様にね」「訓練兵の……ね。なら御城のやつはどうするつもりなの?あたしの部下のまま?」「……あんたが想定している悪いほうよ」香月はそう答えるとその場を後にした。-------------------------------------------------------------「おい、ロリコン野郎。てめえに面会だ」「…………」「否定しねえのかよ」「客観的に見て、同じ営倉の中に男一人に少女一人いれば、そう見えても仕方ない……そう思っただけだ」「けっ、格好付けやがって……まあ、同情はしてやるよ」「すまぬな」「べ、別に待遇をよくするわけようなことはしねえけどな。ともかく何でか知らないが、メディカルチャックとかなんとかで、面会許可をもったやつがくるから。 その女の子をちゃんと見て貰えよ。大陸じゃあ、それが当たり前だったからな。じゃあな」「面会……少佐でも来たというのか?…………ありえないな。ならば神代――もっとありえないか。 なら純粋に医師がここにきたということか。ならば診てもらわねば損というわけだ。お、来たか」鍵を開けるガチャガチャという独特の音と電子ロック解除の電子音が鳴り響き、ドアのロックが全てはずされた。部屋の中に入る蛍光灯の光、と同時に入ってくるすばやい人影。その人影に突き飛ばされるようにして壁に叩きつけられた。思考するまもなく襟首をつかまれ首を閉められる。そして、その影はこう私に話しかけてきた。「よう、会いたかったぜ。柳ちゃんの兄貴」「……白銀少尉か」2人は望まぬ形で一対一の会話をすることとなったのだった。