夕食時もとうに過ぎ、人気が無くなったPXでヴァルキリーズの面々が項垂れていた。と言っても、この場にいるのは風間、紫藤と元207A分隊の面々のみである。伊隅や他の中尉連中は本日の反省会をブリーフィングルームで個別に行っていためここにはいない。 まるで葬式か通夜か―――そんな暗鬱とした空気で項垂れている理由は、あの新任少佐の訓練にあった。 ―――三神は怒鳴らない。 初対面の時、怒鳴るどころか殺しかねないとまで言い切った彼ではあるが、いざ訓練となると怒鳴ることはない。 では何故、彼女達がこれ程までに落ち込んでいるのかといえば―――。「あはは………厳しい、ですよね………」 重苦しい沈黙に耐えかねて、柏木晴子が気持ち軽く言う。だが、本人自身も相当落ち込んでおり、その表情から暗さを払拭し切れていない。「………そうだね。私達は自分達が思っているよりも実力が無さ過ぎたんだね。―――だから、少佐は取り合わなかった」 普段は言葉数が少ないはずの麻倉伊代が、珍しく長台詞で胸中を述懐する。「でもアレはやりすぎだと思う。あんな訓練続けてたら、実戦の前に体を壊してしちゃうよ」 苦虫を噛み潰したように、高原智恵が首を振った。「しかし少佐は言っていました。『死の八分』を越えてない貴様達がBETAの何を知っているって。今のまま甘ったれた訓練をしてると死ぬ、と。―――正直、私にも思うところはありました」 七瀬凛がそう告げる。無論、それは彼女だけではなく、六人の新任全員に言えたことだった。 任官して早二ヶ月。実戦には未だ出たことはなく、訓練の日々。それ自体に不満はなく―――どこかで安心していた。弛んでいたと言っても良いだろう。だがそれを見抜いた三神は、ある命令をする。「―――シミュレーターを降りることを許さない、か」 涼宮茜が少しやつれた顔のまま呟いた。 本日の訓練内容を振り返ってみると、午前中は新OS―――XM3の慣熟訓練だった。最初の方こそ三割も増した即応性に振り回され、その遊びの無さに戸惑ったものだったが、A-01は元々高い素養を持つ集団だ。すぐに慣れ、今まで以上の機動性を手に入れると子供のようにはしゃいだ。 午前中を慣熟に費やし、一度昼食を取って午後からの訓練を始めるのだが―――ここからが彼女達にとっての地獄だった。 最初に行ったのは、先任対新任の模擬戦。 そして撃墜された者だけが地獄へと招かれる。 先日体験した三次元機動教習用データ―――それの改造版。フィールドこそハイヴ内ではなく地上戦だったが、BETAの進行速度、個体の動きが通常の1.5倍速だった。 それを非武装のまま避け続ける。しかも開始から十分経つと必ず機体に不調が出る設定がされていた。場所こそランダムだが、推進剤が無くなろうと中破しようと『撃墜されるまで』続くこの訓練に於いて、機体の不調はまさに命取りだった。 一応、迫り来るBETAを駆除する方法はある。 派手に動いて陽動し、後方の地雷原に誘い出すのだ。それで一時的には総数が減る。だがしばらくすると復活し、更に動きが1.5倍速になる。 当然、全員が三十分も持たずに撃墜された。 そして撃墜されても―――それで終わらない。 一番最初に撃墜されたのは紫藤で、撃墜された後、彼女は三神に皆が撃墜されるまでランニングを命じられた。 ―――シミュレーターに乗ったままで。 シミュレーターは地上戦から、そのまま市街地に切り替わり、彼女はひたすら主脚走行をさせられたのだ。 撃墜された者が一人、また一人と市街地で主脚走行のランニングを開始し、やがて皆が撃墜されると―――休憩は疎か総評すら無いままに同じレギュレーションでの訓練に放り込まれた。 以降、無限ループである。 流石に涼宮妹が皆を休ませるように進言したが、三神は先程の七瀬が言ったように『死の八分』を越えていない貴様等はBETAの何を知っているかと問い、今までの訓練で満足しているようでは死ぬぞ、と脅した。 その際、彼の表情は一切の感情を映してはおらず、まるで能面のように無表情で―――だからこそヴァルキリーズは別の意味で恐怖する。この男は本気だ、と。本気で休ませることなくひたすら訓練させる気だと。 因みに、最初の模擬戦で撃墜されなかった者は同じ訓練を武装した状態で行ったらしい。「―――疲労困憊………」「あやめさんが一番長く揺られてましたからね………」 ぐったりして机に突っ伏す紫藤に、風間が気の毒そうに言った。 訓練中でも仲間を庇って撃墜されることの多い紫藤は、今回も当然のように真っ先に落されている。それは誰もが知っていて、特に庇われることの多い新任連中は彼女に頭が上がらない。 自分達がもっとしっかりしていれば、彼女の被撃墜率が下がるのは分かり切っているのだから。そしてそれと同時に不安になるのだ。今はまだ訓練だから良い。だがこれが実戦となったら―――自分達の失敗が、紫藤の死を招いてしまうのではないかと。 自分達が―――彼女の命を奪ってしまうのではないかと。 口下手で、基本的に漢字のみで喋るという変わった芸風のため、まともなコミュニケーションが取りにくい紫藤ではあるが、基本的に素直で後輩の面倒見も良く、何より情に篤い。 だからこそ、実戦でも彼女は迷うことなく自分の身を盾にするのだろうと、訓練兵の頃から付き合いのある風間は思う。 事実、何度か経験した実戦で、彼女は必ず機体の何処かを壊しており、その理由は誰かを庇った為なのだ。 何の奇跡か、今まではその程度で済んでいたが―――何時までもそんな奇跡が続くとは思えない。 いつか―――いつか必ず、彼女は誰かを庇った為に死ぬ。 新任だけではない、先任も、あるいは本人自身もそう予想している。だから隊長である伊隅は何度か紫藤と話し合って、戒めるようにしてはいるが―――いざとなると、彼女は理性より本能を優先してしまうのだ。 軍人としては失格―――だが、背中を預ける仲間としては頼もしくもあり、同時に怖くもある。 危なっかしいという言葉は、彼女のためにあるようなものだった。「大丈夫ですか?紫藤少尉。何か飲みます?」「………平気。無問題」 築地に声を掛けられ、のそりと起きあがった紫藤は、げっそりした表情のままそう言った。どう考えても先任としての意地でそうしているだけであって、身体の調子は芳しくないはずだ。 早々に撃墜され、主脚走行のランニング―――これは実は一番きつい。真っ先に撃墜されたことは精神的にも厳しいし、そもそも主脚走行のランニングは体力の消耗が著しい。 何しろ―――ずっと揺られっぱなしなのである。 これが回避運動であるならば、そちらの方に集中できるが、ただ延々とランニングして揺られっぱなしだと集中力が乱れ、体力どころか気力までガリガリ削られていく。 故に、今の彼女は心身共に疲れ切っていた。下手すると、明日までに回復できないまでに。「―――でも、少佐はなんでこんな厳し過ぎる訓練にしたのかな」「死なせたくなかったからじゃないかな?」 涼宮の呟きに、柏木がそう言った。「どういう事?」「多分、だけどね。少佐は、自分が死ぬのは納得できても、他の誰かが死ぬのが納得できないんじゃないかなって」 確かに、と風間が後を繋ぐ。「―――誰かにどう忘れられるのが一番怖い、と少佐は仰ってました。と言うことは、ご自分が亡くなられた後に、少佐を知る誰かが生きていることが大前提なんです」 忘却は、自分以外の誰かが存在してこそ成り立つ。誰にも知られず只一人戦い続け、死んでいってしまえば―――忘れられることすら出来ない。 出会ったことも、死んだことも、自分に関わる全てを無かったことにされるのが一番怖いと彼は言った。 ならば出会うことすらなく、護ることすら出来ず、死んだことすらも知らない。 ―――彼が真に恐れているのは実は消却なのではないか、と風間は思う。そして出会った以上、手の届く範囲で彼は護ろうとするはずだ。届かないのなら、自衛できるように相手を強くしようと思うはずだ。 ―――酷く、甘い。 まるで子供のように我儘で―――それ故に風間は共感を覚える。 彼女には夢がある。 音楽という人類の遺産を、後世に残すこと―――。 だが、今のこの世の中ではそれもままならない。その才がある者も素養を持つ者も、等しく徴兵されてBETAと戦い、命を散らしていく。 現に、新鋭の音楽家は年々減り続け―――近い将来、間違いなく音楽家そのものが絶えてしまう。 そしてその先にあるのは―――音楽の消却だ。 人は、こんな素晴らしいものがあることすら知らずに生まれ、知らないままに死んでいく。 やがて―――人類そのものが滅亡し、全て無かったことにされてしまう。 知ることも、伝えることも、忘却したことすら知らずに文化そのものが消却されていく―――。 それを考えると、風間は悲しくなる。 人類が滅亡することも、人類が何百何千年とかけて続けてきた文化の営みが消し去られることも。(私と少佐は、どこか似てますわね………) あの時―――忘却を恐れていると言った彼に、何故ああも頑なに忘れないと豪語したのか―――実は風間自身不思議だった。 その疑問が、氷解する。 結局の所―――似たもの同士なのだ。自分と彼は。 その対象が違うだけで、共に消却に恐れを抱き、だからこそ足掻く。(少佐、私は貴方を忘れません。―――忘れさせもしません) 彼の身に、何があったのかは分からない。それを知ることは無いのかも知れない。だが、共に同じものに怯え、足掻く者として―――風間は三神の応援をすることにした。 夜風が頬を撫でる。その心地よさを感じながら、白銀は瞳を閉じた。「―――いるんでしょう?出てきたらどうですか?」 もう少し風を浴びてる、と適当に理由を付けて宿舎に戻る御剣を見送ってから、白銀はそんな風に呼びかけてみた。「―――ほう、私の気配を察したか」「何となく、ですけどね」 背中から声を浴びて、白銀は答えながら振り返る。 視線の先には紅い軍服を着た女性と、白い軍服を着た少女三人がいた。 帝国衛斯衛軍第19独立警護小隊―――。 月詠真那を先頭に、神代巽、巴雪乃、戎美凪が背後に控えている。 まさかこのタイミングで出てくるとは思わなかったが、流石に三度目ともなるとこの敵意にも慣れる。 白銀は軽く目を伏せ、開くと同時に最敬礼する。「国連太平洋方面第11軍横浜基地所属、白銀武中尉であります。―――『初めまして』、月詠中尉、神代少尉、巴少尉、戎少尉」 思い出すのは前の世界。あの『桜花作戦』の直前だ。 本当は死地に赴く御剣に着いていきたいはずなのに、それが出来ないからと四機の武御雷を元207B分隊に託した彼女達。 そして御剣の身を案じ、頭を下げた月詠。 ―――彼女達の願いに、報いることは出来たかは、今でも白銀には分からない。 白銀が横浜に戻った時には、既に彼女達は帝都に召還され、武御雷無断譲渡の件で軍法会議に掛けられていたのだ。 その結果を知る前に、白銀はあの世界から消えた。 だから彼女達が―――結果的に御剣を殺した白銀を憎んだのか、許したのかさえ分からない。 だが、彼女達が武御雷を譲渡してくれなければ、間違いなく『桜花作戦』が成功することはなかったはずだ。 この最敬礼は、その挺身に対して。 この世界の彼女達は別人であると理解しつつも、もう出会うことが叶わないあの四人に、せめてもの礼をしたかったのだ。「こちらの事は先刻承知、という訳か。―――ならば、言いたいことは分かるな?」 依然、月詠と後ろの三人は白銀に敵意を向けたまま、睨め付けながら問いただす。「―――死人が、何故ここにいる?」「国連軍のデータベースを改竄して、ここに潜り込んだ理由は何だ?」「城内省の管理情報までは手が回らなかったのか?」「追求されないとでも思ったのか!?」 何時か聞いた台詞を流しながら、白銀は思考を巡らす。確か前回、前々回では武御雷搬入の時にこういう流れになったのだ。 では何故今回これ程にまで早くこの流れになったのかと考えれば―――。(オレが、207B分隊の教官になったからか………) おそらくは、昨日の段階で鎧衣課長辺りから情報を探らせてたに違いない。その結果が『白銀武は死んでいる』という事実。 そしてそれは正しい。 確かに『この世界の白銀武』は死んでいるのだから。 さてどう切り返そうか―――と白銀が考えていると、横合いから声が掛かった。「やれやれ、斯衛はいつから工作員の真似事をするようになったのかね?」 三神だ。いつの間にか出入り口に現れた彼は、紫煙を燻らせながら肩を竦めて近寄ってくる。「これは―――確か、三神少佐でしたかな?」「ほぅ?私を知っているのか?月詠中尉」「先日、基地入り口の方で一悶着あったようですね?」 そう確かめるように月詠は言いながら、白銀の方に視線をやる。それを感じて、白銀はやばいな、と思う。 間違いなく一昨日、自分達がこの基地に来た時のことを知っているのだろう。実際に見たのか人づてに聞いたのかは分からないが、その時の白銀と三神の風体―――訓練兵と浮浪者の格好―――を知っているはずで、且つ伊隅に連れていかれた事から、香月に深く関わっていることぐらいは推察しているはずだ。 更に、翌日には片方は中尉で教官。片方に至っては佐官になっているのだから、月詠からしてみれば不自然極まりない。「ふむ。それを知っているのなら話は早いだろう。私と武の素性は―――機密につき答えることが出来ない。例え死人だろうが国連軍のデータベースを改竄しようが、それは貴官等の知るところではないだろう?」「―――確かに、他軍の内情に関してはそう言えるでしょう。私としても、貴官の情報は実のところどうでもいいのです。しかし―――そこの中尉に関しては別です」「何故かね?」「知っていて尋ねているようなのでこう答えましょうか。―――愚問、と」 彼女達警護小隊からしてみれば、御剣に近づく者に関しては全て知っておく必要がある。それが例え機密が関わる人物であっても同様だ。だからこそ直接探りを入れに来たのだが―――。「―――そんなに煌武院悠陽殿下の双子の妹君が心配かね?」『っ!?』 白銀の周囲には、道化の交渉人がいるのだ。 しれっと爆弾発言を投下する三神に、月詠達ばかりか白銀さえも息を呑む。「貴様―――何故それを………!?」「おやおや口の利き方がなってないな中尉。他軍とは言え、佐官に対してそのような口を利けるなど―――斯衛とはそんなに偉いのかね?」「くっ―――!」 思わず素のままで問いつめようとする月詠に、誰にでも傲岸不遜で通す道化がいけしゃあしゃあと言い放つ。「情報戦が情報省だけの十八番ではないのだよ?CIAだってその気になればこの程度の情報、割と簡単に掴むのではないかね?」「―――貴官は、何故それを?」「何でも尋ねれば答えてくれると思わない方がいいぞ月詠中尉。先程から何故何故と―――正直、アホの子に見える」 ぴきり、と空気が凍るのを白銀は感じた。気配で人が無差別に殺せるなら、今間違いなく自分は死んだと思う。口に出して突っ込める勇気がないので、心の中でオレってば庄司の巻き添えじゃねぇかと嘆いた。これ以上飛び火しては何だか拙い気がするので、彼は貝のように口を閉じることにした。「………ことは国家機密です。差し支えがあってもお教え願いたい。貴官は、何処でそれを知ったのです?」 内心、帝都に強制連行して拷問でも何でもして口を割りたいだろうに、月詠は丁寧に尋ねる。「悪いが機密だ。まぁ、少なくとも私とそこの武しか知らんはずだから、安心したまえ」「機密なのに―――貴官等しか知り得ないと?」「そうだが、何か疑問かね?」「香月博士は、この事は?」「知らないはずだ。―――薄々気付いているかも知れんがね」 言われ、月詠は混乱する。一佐官が抱える機密を、その上位の香月が知らないというある意味、軍隊という存在を無視した現象にだ。 この横浜基地は、魔女の牙城だ。肩書きこそ副司令であるが、香月夕呼はこの基地に於いて最高権力者である。故に―――ここにある機密の全てを把握いなければおかしいはずなのである。 であるのに―――気付いている可能性はあるものの―――彼女はまだ知らないという。(嘘を付いているようには、思えんな………) 胡散臭く、飄々とした相手だが、嘘を付くのならもっとマシな嘘を付く。悔しいが、先程からいとも容易くこちらの動揺を誘う程の輩が、この程度のことで謀ったりはしないだろう。 であるならば―――やはり最初の疑問に行き着く。 何故彼は―――いや、彼等は、その情報を知り得たのか。 表向き、御剣冥夜の立場は将軍家縁の者とされている。確かに直接彼女と接すれば、その容姿から邪推はするかもしれない。 だが、相手はいきなり断定から入った。推測の当てずっぽうならばともかく、揺るぎなく彼は言い切ったのだ。「それにしても―――訓練兵一人相手にご苦労なことだ。それほど大事ならば、いっそ手元に置いておけばいいのに」「やんごとない事情があるのです。―――国連の一佐官には計り知れない事情が」「仕来り云々がやんごとない事情とは、時代錯誤も良いところだ」 やはり知っているか、と月詠は胸中で舌打ちする。「それに大体―――私達があの訓練兵に危害を加えると、本気で思っているのかね?」「………どういう意味です?」「月詠中尉。君はなかなかおめでたいな。少し考えれば分かるだろうに。―――もう何回彼女を殺す機会があったと思う?」 三神は嘆息して、軍服のポケットの中から煙草の箱を取り出し、月詠に向かって軽く放り投げる。 それを半ば反射的に受け取ろうとし―――。「因みにそれは高性能な小型爆弾だ」 慌てて叩き落して明後日の方向へ蹴り上げた。しかしそれは放物線を描いたまま爆発せず、グラウンドへと落下した。「何をするのかね月詠中尉。―――中身は只の煙草なのに」 苦笑し、三神はいいかね、と前置きする。「今のように、誰かを殺すだけならば簡単だ。私は佐官だし、武は中尉で彼女の直接の上官にあたる。適当な理由で呼び出して射殺するなりすればいい。殺害を咎められたのなら、日頃の訓練を根に持った訓練兵に襲われ、やむなく抵抗した末に殺してしまった―――等と正当防衛を主張すればいい。通るかどうかは疑問だが、逃げ道はある」 あるいは、と彼は続ける。「私は器用貧乏でね。戦術機の操縦もプログラミングも並以上には出来るが、その道を極めている人間にはとてもじゃないが敵わない。だがそんな私にも特技はあるのだよ。―――口八丁手八丁を活かした交渉術がね」「何が仰りたいのです………?」 いきなり話題を変える三神に、月詠が警戒の眼差しを向ける。今や彼女にとっての危険度は白銀よりも三神の方が高くなった。 ―――無論、三神もそれを狙ってやっている。 にやり、と彼は口角を吊り上げる。それを見ていた白銀は、何処かの空気を読まない課長を幻視した。「交渉術とは対話だ。そして対話するには時間が掛かる。―――時に、彼女を護衛すべき斯衛は四人全て今ここにいるが………その全員が私如きにかまけて、護衛対象をほったらかしにしてもいいのかね?彼女はここで自己鍛錬をしていたようだから―――主のいない部屋に細工をするのは簡単だろうね?」 例えば爆弾とかどうかね?と三神は首を傾げ、月詠は叫ぶ。「神代!巴!戎!行け………!」『………はっ!』 一拍の間を置いて、三人が血相を変えて走り出す。それを三神は見送ってから―――。「ま、冗談なのだがね」「―――念のための措置です」 そうかね、と三神は投げやりに言ってさて、と居住まいを正す。「まずは状況確認をしておこう。中尉の言うとおり、白銀武は死んでいる。そして私に至っては戸籍そのものさえない」 何故だろうね、と問いかける三神に、月詠は黙りを決め込む。この男と話術で勝負するのは危険だ、と既に理解している。 喋るだけ喋らせた方が良いと判断したのだ。「まぁ、私はこの際どうでもいいだろう。適当に難民出身とかでも片付けられるしな。だが―――白銀武は違う」 すっと、三神の目が細められる。そして彼は白銀の方を向き。「武。言ってやると良い、お前が―――どのようにして死んだのかを」「庄司、それは―――!」 前回と前々回の世界で、白銀の過去―――と言うよりは正体は禁忌であった。あくまで一部とは言え、その一端を他者に知られる事に彼は忌避感を覚えるが。「大丈夫だ。―――理由は後で話そう」 優しく諭すように促す三神に、白銀は逡巡し、やがて意を決すると月詠の方を向いた。「オレは………『白銀武』は、BETAの横浜侵攻の時、幼馴染みと一緒に奴らの捕虜になりました」「なっ………!」 白銀の告白に、月詠は驚愕の声を上げる。BETAが人間を捕らえ、研究、もしくはそれに類似する何かをしている事を知っているのは各国の上層部のみだ。 紅の斯衛とは言え、ただの衛士が知っている情報ではなかった。「捕虜になった人は、他にもいました。けど、一人、また一人と奴らに連れて行かれ―――帰ってきませんでした」 抵抗する者はその場で食われ、しなかった者も脳髄になるまで『解体』された。「やがて、オレ達の番が回ってきました。そしてオレは幼馴染みを護るために兵士級に殴りかかって―――食われました」「っ―――!」 事の真偽はさておいて、兵士級に食われる等という生理的に受け付けない言葉に、月詠は眉を顰める。 その様子を眺めていた三神が口を開いた。「因みに、武の言っていることは事実だ。―――では、何故白銀武はまだ生きているのか。死んでいるのに、何故生きていられるのか」 謳うように、三神は言う。「成りすまし?違うな。双子の兄弟?違うな。クローン?違うな。―――事はそんな常識では計れない。信じられないような奇跡の元に、武や私はいる」 彼は問いかける。「知りたいかね?何故死人が生きているのか、何故存在しない男がいるのか。そして私達が何を知っていて、何を目的に動いているのか」 もしも、と三神は前置きして月詠に背を向ける。「もしもそれを知りたいというのならば―――しばらく夜間に予定を入れないことだ。日程はまだ決まっていないが、私達の正体を明かす場所を設ける」 それだけ言い残すと、彼は白銀に声を掛けて去っていった。 飄々とした男が最期に見せた、途方もない威圧感に気圧された月詠は、しばらくその場を動くことが出来なかった。