(コイツ今、なんて言った………?) 自分の城の中で、何故か香月は死刑宣告を聞いている気がした。いや、事実上の死刑宣告だ。 何故ならば、目の前のこの男は00ユニットになれ、と言ったのだ。 生物根拠0、生体反応0。故にこその00ユニット。 それになると言うことは、即ち生物としては死ぬと言うこと。 今更自分の命が惜しいなどとは思わない。香月は自分の命はBETAを屠るために使うと決めている。 それ故のオルタネイティヴ4。それ故の00ユニット。 手段を問わず、魔女と呼ばれ、その手を血に染めてきた彼女にとって、自分の命などBETAを屠れるのならば今更どうでも良いものだ。 だが、それとこれとは話が違う。「あんた、それがどういう意味か分かってるの?」 香月の問い掛けに、三神は当然、と応えた。「生物根拠0、生体反応0。つまり、香月夕呼という女は死ぬ。―――だが、00ユニットとして生まれ変わる」「そんなの知ってるわ。聞きたいのは―――」「適正の話かね?」 やりにくい相手だ、と香月は思う。どうも思考が誘導されているようにしか思えないが、それも無理もないだろうと結論する。 『この世界』の香月夕呼にとっては初対面だが、彼は『前の世界』の香月夕呼に出会っていて―――間違いなく全てを知っている。 数式を『前の世界』の香月夕呼に託されたのだとしたら、『この世界』の香月夕呼の心情について知っていてもおかしくない。 そしておそらく―――『前の世界』の香月夕呼は00ユニットになっている。「それならば問題ない。考えてもみたまえ。その天才的な頭脳、恵まれた容姿、魔女と呼ばれる程の権謀術数。更にはA-01を始めとする00ユニット素体候補、第三計画中では最強とも言える能力を持つ社霞、脳髄にされた鑑純夏、その幼馴染みであり『この世界』の住人ではない白銀武―――その全ての中心に、香月女史はいる。00ユニットになる条件が、『無意識により良い未来を掴み取る能力』だとするならば、香月女史―――貴方程素体に優れた人間などいないよ」 確かに、それはそうなのだ。 今日まで考えもしなかったのだが、白銀の話を聞く限りでは、『前の世界』の香月夕呼は運に恵まれすぎている。 無論、白銀という呼び水があってこその話だが―――それはあくまで最後の1ピース。それ以外を組み上げたのは、間違いなく香月夕呼本人だ。 であるならば、香月にも00ユニット素体としての適正はある。ともすれば、鑑純夏を超える程に。「―――幾つか質問するわ。いいわね?」 有無を言わせぬ問い掛けに、三神はもちろんだ、と鷹揚に頷く。この辺の仕草は年季を感じさせる。伊達に約百歳を名乗ってはいないのだろう。「まず最初に―――『前の世界』のあたしは00ユニットになったの?」「ああ―――なった」 直球が繰り出した玉はものの見事に打ち返された。だが、これは予想していたことだ。「先程私は言ったな?『結果から言って、人類は勝った』と」 即ち、そこに至るために様々な犠牲があったと言うことだ。 三神が言うには、オリジナルハイヴを落した後、確かにBETAの学習能力は無くなった。だが、だからと言って油断できる状況ではなかったのだ。 BETA最大の脅威は物量―――。 それを知らしめるように、オリジナルハイヴを落された数百万のBETAは近くのハイヴへと向かう。 受け入れたハイヴは、すぐに飽和状態となり人類への逆襲を始めた。「他の連中は冷水をぶっかけられた気分だったそうだよ。まぁ、オリジナルハイヴを落して浮き足立ってたのは理解できるが、佐渡島の例があるんだから少し考えれば分かるだろうに」 苦笑する三神はあくまで他人事だ。 国連上層部はすぐにでも香月夕呼に支援を求める。 さて困ったのは『前の世界』の香月夕呼だ。何しろその時の彼女には既に手駒が無かったのだ。 宗像や風間は生きてはいるものの意識不明の重体。涼宮妹は負傷していて出撃できない。 オリジナルハイヴから生還できた白銀は『元の世界』へと帰ってしまったし、同じく生還できた社はオペレーターとしては優秀だがやはり戦力外。 そして頼みの綱の00ユニットは機能停止状態。 唯一動ける人間として、三神がいたものの、ベテランとは言え衛士一人でユーラシア大陸全土で起こっているBETA大逆襲をどうにか出来るはずがない。 当然の事ながら香月夕呼はこう言った。今は無理、と。無理でも何でもやるんだよ、と言わんばかりに上層部はせっついてくるが、無い袖は振れない。 しかしそんな押し問答をしている中、独自に行動する勢力があった。「オルタネイティヴ5ね?」「ご明察。それもとびっきりの過激派だ」 既に虫の息であったオルタネイティヴ5だが、これを機に勢力図をひっくり返す算段を立てたのだ。 なんと、手近なハイヴに片っ端からG弾を落したのだ。―――それも無許可で。 おそらくは相当焦っていたのだろう。確かに人類の宿願であるオリジナルハイヴを敵対していた勢力に落されたのだから焦るのも仕方がないのだろうが―――しかしこれはあまりにも無謀且つ無駄だった。「因果応報と言うべきかね。因果導体である私が言うとやけに真実味があるが」 結果として―――G弾はBETAに通用しなかった。 BETAは明星作戦の際に、既にそれを学習していたのだ。一発目で対応できたのは、おそらく鑑純夏から情報が流出していたためと思われる。「現場の話によると、G弾の入った再突入殻ごと光線級に撃墜されたそうだ。BETAはG元素に反応する習性があるから、それを利用して見極めたのだろう、とは『前の世界』の香月女史の弁だ」 それによりG弾神話は脆くも崩れ去った。 その上、オルタネイティヴ5の独走―――無許可でG弾投下は流石に各国が黙ってはなかった。 特にG弾信奉者の多い米国などは見ていて可哀想になるぐらい他国の信頼を失墜していったそうだ。 折しもオルタネイティヴ5=米国という偏見という名の等式が既に成り立っていたために起こった―――オルタネイティヴ4側からしてみれば喜劇だ。 しかしながら、今回ばかりは対岸の火事ではなかった。 G弾が無効果されれば、当然の如く00ユニットに白羽の矢が立つ。だが、前述したように鑑純夏は既に機能停止状態にあり、再起動出来たとしても、それはもう鑑純夏ではないただの人の形をしたコンピューターだ。 さて進退窮まってきた―――。「素体候補であるA-01は残り三人。宗像、風間、涼宮。しかしこの三人は素体としてはあまり良くなかったらしい。社も志願してきたが、香月女史は断っていたよ。多分、心情的なものだろうが―――まぁ、私の預かり得るところではないな」 無論、その中で三神自身も候補に挙がった。適正としては、因果導体である彼は非常に高い―――のだが。「そんな時に香月女史は閃いたそうだ。―――自分自身はいったいどうなのかと」 そして調べてみた結果、驚くべき数値が出たそうだ。「まさか鑑と同等以上とは、ねぇ」 三神の言葉に絶句していた香月は、呆れた表情と共に呟いた。 そして『前の世界』の香月夕呼は決断したそうだ。「状況が今と違うからな。数式は手元にある、鑑純夏によって成功する前例は作ってある、素体適正はその鑑以上―――後は、誰が手を下すか」 そこでお鉢が回ってきたのが三神だ。香月夕呼としては、あまり近しい人間には手を下させたくなかったのだろう。副官であるピアティフ中尉にも何も言わなかったそうだ。 そしてその段階で、三神は『既に次のループが決まっていた』。「次のループの事を考えれば、いちいち武を『元の世界』に送らなくても、私が覚えてさえいれば事足りる。そう言う意味も含めて、私が適任だったんだ」 そして、香月夕呼は00ユニットなった。「そこから先はもう八面六臂の大活躍だ。対BETA相手には凄乃皇を使って無双。量子電導脳をフルに使っての兵器開発。リーディングやプロジェクションを用いた洗脳とも言える権謀術数。古今東西、何処を探しても貴方以上に世界を好き勝手出来た女はいないだろうよ」「まるで世界征服の夢を叶えた独裁者ね」「言い得て妙だ。事実、貴方の近くにいた私は00ユニット脅威論を掲げた連中の気持ちが分かりすぎる程に分かったからな。―――無論、香月女史は真っ先に奴らから潰したが」 後に付いた渾名が魔女ではなく女帝なのだから笑えない。因果導体として世界を繰り返し、百年近く経験を蓄えている三神をして、どんなチートだ、と思わずにはいられない程だ。「ともあれ、そうしている内に七年で地球のハイヴは片づいた。月を取り戻すのにそこから二十年程掛かるが、これは物資や人材が足りなかったためだ。それをクリアしたら、実質一年も掛からなかった」 その後の火星は、更に物資や人材が必要だった。因みに、三神が天寿を全うする間際に聞いた話では、火星の先遣調査隊を率いていたのは香月だったそうだ。 とは言え、00ユニットは歳を取らない。国連の上層部は00ユニットの正体を知っているから良いとしても、周りは知らないのだ。 しばらくは本人として特殊メイクなどで誤魔化し、二十年ぐらい経ってから娘として立ち振る舞い、火星調査の時は孫として香月姓を名乗っていたそうだ。「因みに、あんたは何やってたのよ?確か、月で負傷して一戦を退いたんでしょ?」「ああ、一応その後教官職に就いた。因みに、神宮司軍曹の後釜だ」 00ユニットの正体を知っているのだ。当然、香月の手の届く範囲にいた。「ふぅん………。社は?」「相変わらず香月女史の助手だ。私としても妹というか娘みたいな感情が芽生えていてな。彼女が四十過ぎるまでは見合いを勧めていたんだが―――武のことが忘れられないそうでなぁ」「あんたが貰ってやれば良かったじゃない」「その時私はちゃっかり結婚していてな」「あんた割と人生謳歌してるのね」「仕方ないだろう。『元の世界』では仕事漬け、こっちに来てからは戦闘漬け。そうやってやっと手に入った『次に死ぬまで』の平穏なんだ。ループの原因も分かっていたし―――少しぐらいはっちゃけた所で問題なかろう?」「ループの原因が分かったですって………?」「それについては後で話そう。その為の人払いだ」 三神は軽く手を振って煙草に手を伸ばそうとして―――舌打ちした。先程のが最後の一本だったらしい。「ま、いいわ。じゃぁ、次の質問。―――鑑純夏はどうすんの?」 言外に白銀はどうすんの?と聞かれ、彼は軽く頷いた。「簡単な話だ。―――香月女史が00ユニットになればな」 三神が言うには、00ユニットの人格移植技術を使って、鏡純夏を人間に戻すらしい。肉体に関しては、との香月の問いにBETAの製造プラントを使うと答える。「BETAはクローン技術で増殖する。その際、反応炉内にあるデータを参照するが、この横浜基地にある反応炉は鑑純夏のデータを持っている。何せ、ここで彼女は解体されたのだからな」 00ユニットになった香月が最初に行う作業はプロジェクションによる反応炉のハッキングとクラッキングだ。これには00ユニットに欠かせないODLによる防諜対策も兼ねる。 反応炉の制御を乗っ取り、まずは通信機能を破壊する。その上で、現在封印されているBETA製造プラントと思わしき区画を解放、再起動させる。 BETA製造にはG元素が必要だが、人間一人の生成程度ならばこの横浜基地内にあるサンプル用のG元素で十分だ。 プロジェクションにより乗っ取っているため、間違ってもBETAは生成されない。 更にクローン技術とは言っても、BETAのクローンは今現在人類が持っているそれよりも格段に進化している。その為、ドリー現象のような遺伝子上の致命的欠陥は皆無、更には肉体年齢も自由自在となる。 その上で、鑑純夏の意識を今の脳髄からクローン体へと移すのだが―――。「その上で注意したいのは鑑純夏の精神だ」「社から聞いてある程度は分かってるし、白銀からもさっき聞いたけど………どうなの?」「おそらく、新たな肉体を手に入れてもすぐに安定はしないだろうな。むしろ、量子電導脳が無い分、武が直接話しかけたとしても『物わかりが悪い』だろう。―――最悪、精神が崩壊する恐れがある」 だからこそ00ユニット香月夕呼が必要だ、と三神は言う。「プロジェクションを用いて説得―――最終的には、真実を伝える」「―――記憶を封印するのではなくて?」「如何に00ユニットの能力が高くても、精神を完全にコントロールすることは難しい。誘導するだけならともかくな。もし封印したとしても、似たような体験―――例えば武と結ばれるなどして記憶の関連付けが行われれば、思い出してしまうかも知れない。―――そうなれば、今度こそ鑑純夏は壊れるだろう」 だからこそ、まだ脳髄である内に全てを知り、納得ずくで人間に戻る必要がある。成程、と頷く香月に対し、三神はそろそろかな、と予測する。「―――で?私のデメリットは?」 そら来たぞ、と三神はほくそ笑んだ。このために本来の交渉術とは逆の手順をわざわざ踏んだのだ。 通常の交渉は、デメリットを先に挙げてからメリットを挙げる。 理由としては、提示されたデメリットに対して気落ちしている所にデメリットと同等のメリットを提示されると、それがデメリットを遥に上回るメリットに見えてしまうのだ。 勿論、冷静に考えればそんなことはない。 だが三神が相手してきたのは、極限状況下の立て籠もり犯などだ。そんな状況下の人間は、藁にも縋りたくなり、割と簡単にそれを掴む。 無論、それまで他愛のないやりとりをしたり、可能な限り犯人の要求を聞いたりしてある程度の信頼関係を築いておく必要があるが―――まぁ、それはともかく。 省みて、今回はどうか。 相手は理性を失った立て籠もり犯ではない。理性を武器に世界と立ち回る極東の魔女だ。 00ユニット完成の鍵が目の前にあるというある種極限状況下だが―――むしろだからこそ慎重に事を進める。 先程の醜態は一時的に理性ゲージが振り切っただけで、今では通常運行していることだろう。 であらば、人間心理を逆手に取った交渉術は、逆に下策だ。 今まで振りまいてきたメリットに対し、小さな―――そして大きなデメリットを挙げる。その上で決断を迫る。 これが三神の考えてきた対香月夕呼戦の策―――その第1段階。「香月女史のデメリットは唯一つ。―――貴方の命だ」「つまり、あたしの命をベットにしろって事ね?」「今更加減が強いがね。とは言えその命、とうの昔に地獄に向かう覚悟は出来ているだろう?」「まぁ、ね………」「因みに、無論逃げ道はある。鑑純夏を00ユニットにすればいい。ここで首を縦に振った後、心変わりしたとでも言って同じように鑑純夏を使うとかね。―――無論、私は敵に回るし、場合によっては武も鑑純夏も敵に回るだろう」 三神のその言葉に対し、香月は眉を顰める。わざわざ言葉に出して逃げ道を潰しに来なくてもいいのに、とでも思ったのだろうが彼としても香月夕呼00ユニット化は死活問題に直結しかねないため割と必死なのである。(因果導体から解放されるためにも、何としても香月女史には00ユニットになって貰わねばな………) その為には手段を選ばない。そう言った部分に関しては香月と似通った思想をこの男は持っていた。「他にデメリットは?」「今のところは思いつかないな。『前の世界』の香月女史はその賭に勝ち、確かに好き放題していたから。最も、私に話さないだけで、それなりの苦悩はあったのかも知れないがね」 三神の言葉は本当だが―――香月にしてみれば嘘かどうかは測りかねる。社でもいれば別だが―――いや、その彼女でさえ三神の思考は読めない。 厄介な男だ―――と香月は思うが、逆にこの手の男が味方に付けばこれ程心強いことはないだろう。 何しろ、今まで政治的な分野に関しては彼女一人でやって来たのだ。文官出身とは言え技術屋のピアティフには任せられないし、衛士である伊隅も無理だ。社はリーディングという最強の矛があるが、性格的にも年齢的にも腹芸が出来る訳がない。ラダビノット司令に関しても頭は回るが香月程の権力はない。 故に、こと政治面に関して、彼女は孤独だったのだ。だから、損得抜きにこの手の人材は欲しく思う。 しかし、00ユニットになればそんな憂鬱な作業からは解放される。そうなると政治力に関しては三神は要らなくなるのだから皮肉な話だ。 さてどうするか―――と、思ったところで逆に気付く。(成程、確かにこれは誘導されてるわ) 流石交渉を生業としてきた人間は違うわね、と香月は感心する。実のところ、三神が香月に出会った時既に勝敗は決していたのだ。 わざと先に白銀に話をさせて、それを踏み台に自分の話に適度なインパクトを持たせる。 この順序を逆にすると、インパクトがありすぎて場が混乱するし、白銀の話も聞くことを考慮すると時間の無駄だ。 故に白銀、三神の順になった。 そして話の後のヴォールク・データ。 その結果を見るに、情報としても勿論だが純粋に戦力として欲しくなる。更に彼はA-01を鍛え、戦力の増強まで提案してきている。手駒が強くなるに越したことはないのだ。 この時点で、既に香月にとって三神は無視できない存在になっている。本人はほぼ身の上の事しか話さず、衛士としての実力しか示していないと言うのにも拘わらず、だ。 そして極めつけは人払いをした上での―――メリットのばらまき。 代りに示されたデメリットは香月夕呼本人の命一つのみ。それもこの男の言葉が正しければ生物学的に命を失うだけで香月夕呼の意志は動き続ける。 更にその気になれば、BETAの製造プラントを使っていつでも人間に戻れる、と鑑純夏を例に仄めかしているのだ。 つまり、言外にこう問われているのだ。 即ち―――命ほしさにこの提案を蹴るのか、と。(―――冗談じゃないわ………!) 表情には出さず、魔女は猛る。 この極東の魔女、横浜の女狐を甘く見て貰っては困る。今までさんざ汚してきたこの手は、心は、今更自分の命を大事にする、出来る程綺麗でも醜くもない。 そんな次元は、既に突き抜けた。 欲したのは人類の勝利。 捧げたのは人としてのモラル。 故にこそ、魔女は魔女として釜を造りだし、最後は地獄の業火で焼かれるのみ。 外道というならば罵るがいい。狂人というならば蔑むがいい。 例え人外のイキモノとして他の誰かに認識されようがそんなことは知ったことではない。 他人の価値観など必要ない。 望んだのは人類の勝利唯一つ―――。 それ以外のものは望まないし必要ない。 なればこそ、自分の命など安いものだ。 ああいいでしょう、と香月は思う。 必要ならばこの命、いくらでも差しだそう。 白銀や三神の話を聞くに、人類の勝利に香月夕呼は必要不可欠。00ユニットになることで『本当に』死んでしまえば、そこで世界が終わる。詰んでしまう。 だが『生き残れば』―――。(残っているのは消化試合、か) 理論は別世界の香月夕呼。実証者は前の世界の香月夕呼。その二人の尻馬に乗っかろうというのだから、研究者としては失格ねと嘲笑しつつ、しかし香月は既に覚悟は出来ている。 名誉もプライドも自己満足も必要ない。 繰り返す。必要なのは人類の勝利のみ。 だからこそ、香月は三神をしっかり見据えてこう言った。「―――いいわ。この魔女の命、好きに使いなさい」 そして彼は契約成立だと言わんばかりにテーブルの上に置いた紙に数式を書き始め、それを香月に渡す際こう告げた。「では、交渉成立記念に私の因果導体解放条件をお教えしよう」 そしてこれこそが三神庄司の『本命』だった。「にしてもびっくりしたなぁ………」 基地内の自室―――前回や前々回と同じ部屋だった―――に割り当てられた白銀は、硬いベッドの上に身を横たえながら先程のことを思い出して呟く。 あのシリンダールームで脳髄状態の鑑と再会した後、香月の執務室に戻るなり部屋の主はいきなりこう宣言したのだ。『白銀。00ユニットにはあたしがなるわ!』 まるで何処ぞの海賊のような軽いノリで言われ、白銀は疎か、社や伊隅でさえも硬直した。 当然のように驚愕し、鑑はどうなるのかと色々疑問も出てきた。だが、その全てに香月は的確に答え、ついに白銀は納得した。「純夏が―――人間になれる」 無論、諸処の問題は細々とある。それこそ手段に始まり鑑純夏の精神状態、戸籍に至るまで。だがその全てを解決できる能力を香月は持っていた。 なればこそ、白銀にとってそれは喜ぶべき事だ。 愛した女が疑似生体の塊ではなく、生身へとなれる。 共に人生を歩み、歳を取り、そして朽ちていく。「でも、戦場に立つんだよな………」 国連上層部は鑑純夏が00ユニットになることを知っている。それを逆手に取り、しばらくの間―――00ユニットとなった香月夕呼が00ユニット脅威論を掲げる勢力を片付けるまで―――00ユニットとして擬態することとなったのだ。「まぁでも、それでいいのかな」 鑑純夏に戦術機特性があるのかないのかはこの際さておいて、彼女が乗せられるのは擬態としての役目もある以上、当然凄乃皇になる。 ある意味で、一番安全な戦術機である。「しかし今回は色々勝手が違うなぁ………」 まず同業者―――というか理解者がいることに驚いた。そして香月の00ユニット化は、その理解者こと三神庄司の提案だそうだ。 ついでに、鑑純夏人間化の案も彼だ。 更に伊隅も前回の記憶がある。 シリンダールームで聞いた話によると、何と彼女、例の幼馴染みとやっとこさ一線を越えたそうだ。 それに対し、白銀は自分のことのように喜んだ。と言うのもやはり自分の境遇と重ねているのだろう。 その伊隅だが、記憶を取り戻したのはつい10日前のようだ。確か三神が『この世界』に出現したのも10日前なので、おそらくはその影響で一部の因果情報が流れ込んできたのだろうとは香月の弁。 それにしても、記憶を取り戻して香月に事情を話すとすぐに休暇申請を取り、続いて温泉作戦を断行するとは恋する乙女の行動力は凄まじいものがあると白銀は感心していた。 それはともかく。「懸念事項もなくなったし、取り敢えず―――いい方向には流れてる、よな?」 白銀は既に因果導体ではない。前回のループでその原因が死んでしまったのだから、言うまでもない。 今回のループは、原因は曖昧なもののあくまでイレギュラーなものだ。白銀の話を聞いたこの世界の香月が言うには、再びループした際、白銀武の因果情報は二つに分かたれたそうだ。 即ち、鑑純夏が望んだ新しい世界へ向かった白銀武の因果情報と、こちらの世界に残った因果情報。 篩いに掛けられる条件は、彼の記憶。 あちらの世界に行ったのは、平和な世界で暮らしていた記憶達。 こちらの世界に残ったのは、こちらでずっと戦ってきた記憶達。 故にこそ今の白銀は、平和な世界での記憶が曖昧だ。強烈な出来事はまだ覚えているが、まるで虫食いの林檎のようにあちこち欠落していた。香月の話によると、白銀武が白銀武であるために必要最低限の記憶は確保されているものの、今日以降それに絡まない記憶から順繰りに無くなっていく、とのことだ。 しかしそうなると、00ユニット完成の為の理論を回収できなくなってしまう。あれは白銀がいた『元の世界』の香月夕呼が纏めたもので、前回理論を回収できたのは、白銀が『元の世界』を強く望んで認識したからであり、その起爆剤となったのは『元の世界』の記憶達だ。 だからこそ、目下最大の懸案事項だったのだ。 実のところ、香月と対面しても妙案は浮かばず、ぶっちゃけどうしようとか考えていた。 そんな中、あの三神の『その数式知ってるぞ』発言。「それにしても、庄司の奴―――オレのことをよく知っているよなぁ」 不意に思うのは、三神のことだ。 数式にも驚かされたが、それ以上に彼は白銀についてよく知っている。否、知りすぎている。その結論に至ったのは、実のところヴォールク・データの最中だ。 白銀が何処へ行こうとしているのか、そこに至るために何が邪魔で、何をしなければいけないのか、彼は全て理解しそして行動していた。操作技術もさることながら、その先読みも半端なものではなかった。その上、207B分隊を気に掛けていることも知っていた。「んー。………やっぱりオレは会ったこと無いんだけどなぁ」 思い出そうとしても思い出せない。それも仕方ないだろう。おそらくは何度か繰り返したはずの『一回目の世界』で出会っていた。ならば、鑑純夏の無意識の嫉妬によって再構成の際に消えてしまう。 『二回目の世界』では、完全に入れ違いだ。 もう一つ可能性があるとすれば―――この『シロガネタケル』とは本当に出会っておらず、彼が出会ったのは別の『シロガネタケル』だという可能性。 だがどちらにしろ、確認のしようがない。まぁ今のところ問題は無いので、気にすることは無いだろうと白銀は結論を出す。 因みに、当の三神は香月と社を交えて早くもXM3のプロトタイプを作っているらしい。今夜中にもα版が出来るので、早ければ今夜からデバックを白銀と三神の二人がかりで行うようだ。「―――深く考えても、仕方ないか」 しかしそれまで暇な白銀は、こうして思索に耽っていたのだが、やはり頭を使うのは慣れていない上に結論が出ない袋小路に至るやいなや、すぐに放り出す。 そんなおり、部屋のドアが軽くノックされた。「はーい。どうぞー」「失礼します」 適当に返事をした白銀だが、その声が聞こえた途端、即座に跳ね起きる。この声は間違いない、彼女だ―――と確信し、ドアが開いてやはり安堵する。 そこに立っていたのは国連の軍服に身を包んだ神宮司まりも。階級はあの時と同じ軍曹。 瞬間的に、白銀の涙腺が緩む。思い出すのはやはりXM3のトライアル。さんざんな初陣の後に掛けられた、かつての鬼軍曹とは思えない程の優しげな言葉―――そして襲う悲劇。 それを苦に逃げたガキがもたらした、『元の世界』での重い因果。 自分が生涯背負うべき十字架を再認識し、しかし白銀は決意を新たにする。(―――貴方のお陰でオレはここまでやってこられました。もう、貴方をあんな目に遭わせません。今度こそ―――今度こそ救って見せます)「あの………中尉?」 気遣わしげな神宮司の声が、白銀の意識を引き戻す。怪訝に思うのは無理もないだろう。軍服とID等のもろもろ一式を持ってきてみれば、目の前の上官は何故か涙目になっているのだから。 こんな事ではいけないな、と思いつつ白銀は小さく自嘲する。「いえ、何でもないですよ軍曹。ちょっと目にゴミが入っちゃって、今まで格闘してたんです」「はぁ、そうですか………。あ、これ、制服とIDになります」「ああ、ありがとう。―――今後の予定は聞いてますか?」「はい。207B分隊の教官をして頂けるとか」「そんな大層なものじゃないですよ。それに、基本は軍曹が教官を務めます。オレは少し口出しする程度です。教官職の最高位は軍曹ですからね。中尉のオレはあくまで補佐です。本格的に動くのは―――総戦技演習を越えてからですね」 即ち、戦術機教習課程に入ってからだ。「今、戦術機の新しいOSを夕呼先生達が作ってます。その新OSは絶大な効果が認められますが、ベテランになればなるほど扱い慣れるのに時間が掛かります。しかしそれを何も知らない訓練兵が最初から学べば―――どうなるかわかりますね?」「既存の概念が無い故に―――吸収も早い、と」 その通りです、と満足気に頷く白銀に、しかし神宮司はいい顔をしない。当然と言えば当然か、と白銀は思った。 自らが手塩に掛けた教え子がそんな人体実験みたいなプロジェクトに参加させられるのだ。真の意味で生徒思いのこの教官が、いい顔をするはずがないのだ。 だからそれを安心させるように白銀は言う。「大丈夫ですよ。神宮司軍曹には先んじてそのOSを試して貰います。もしも気に入らなければ『こんなものを訓練兵に使わせる気か!?』って突っぱねることも出来ます。―――最も、気に入って頂けるでしょうけどね」「はぁ………」 しかし神宮司の返答は色よくない。これ以上は仕方ないかなぁ、と苦笑しつつ話題を切り上げるため、明日から顔出しますんで宜しく、と告げると退室を促した。 神宮司がいなくなった後、白銀はぽつりと呟く。「大丈夫ですまりもちゃん。―――オレも一緒にあいつ等を鍛えますから」 カタカタと、キーを叩く音だけが部屋に鳴り響く。ここはB19階にある電算室。その一室で三神と社は二人でキーの多重音を奏でていた。 既にXM3の基礎は組まれている。後は細かな部分を修正してやるだけだ。少し前まで香月もいたのだが、社はともかく三神が思ったよりもプログラマとして優秀だったので、後は任せると言って出ていった。 彼が優秀なのは『前の世界』の香月夕呼に叩き込まれたためだ。 本来の彼の得意分野は交渉と戦術機なのだが、00ユニット作成の為に香月にその辺の知識を教わることとなる。―――それもスパルタで。 間違えるごとに飯時のおかずが一品消えていくという生存本能に直結する恐怖の罰ゲームがある故に、三神は心底努力した。それはもう頑張った。あんなに頑張ったのは、警察大学校の入試以来ではないだろうかと思う程だ。 その甲斐あって、今現在の彼には並の技術士を軽く越える能力がある。 それを確認したが故に香月は自分の研究に着手することにしたのだ。三神もXM3完成の目処が立ったので、特にそれを咎めることはしなかった。片手間にではあるが自分も他事をしているし。 そんな訳で。今この部屋の中は百歳の若年性爺さんと子うさぎさんしかいない。(―――どうしたものか) 会話が無い。圧倒的に無い。今この部屋に響くのはキーボートのセッションのみ。重苦しいことこの上ない。 手だけは動かしつつ、三神は物思いに耽る。(やっぱり、警戒されているな………) バッフワイト素子などでリーディングブロックされている訳でもないのに、相手の思考が読めないというのは、社霞にとっては初めての体験なのだろう。 実のところ、三神にとってこの経験は二度目だ。 一度目は言うまでもなく前回のループ。それ以前は既に社は外宇宙に飛び立った後だった。 その時にも思ったことだが、社霞という少女はリーディングを毛嫌いしつつもそれに依存している。本人も自覚はあるのだろう。幼女然としているものの、その思考は下手な大人よりも余程発達している。故に気付いていないはずがない。 前回の社は白銀の影響か鑑の影響か―――あるいはそのどちらもか、ある程度他人に心を開いていたから大した労力は必要なかった。 無論、最初は拒絶に近いものがあった。 後から本人に聞いた話によると、怖かったそうだ。リーディング出来ないが故に、三神が自分に対し何を思っているのか分からなくて。 結果として、分からないからこそ社は恐る恐るではあるが三神に接触を図り、そして三神庄司という存在を知り得た。 そこからは、むしろ彼女の方から積極的に接触を図ってきた。分からないからこそ、新鮮だったのだろう。 そんなやりとりをする内に、三神と社の間には奇妙な信頼関係ができあがっていた。それは父と娘のような―――あるいは兄と妹のような。 男女の仲にはならなかった。互いが異性としてあまり認識していなかったせいもあるだろうが、社には白銀という思い人が、そして三神にはその時既に恋人がいた。(まぁ、そんなことはさておいて―――) やはりというか何というか、自分はどうも若干傷ついているらしい。『前の世界』の社霞と『この世界』の社霞は別人だ、と頭で理解していても、娘のように妹のように思っていた少女に、こうも頑なまでに拒絶されるとやはり心の一部が疼く。(明日はA-01と顔合わせするというのに―――大丈夫か私は) あの中には『前の世界』で最期まで連れ添った彼女がいる。当然のように、その彼女も初対面のように接してくるだろう。その時、三神は本当に大丈夫なのか不安になる。(齢百を数えるというのに、情けないことだ) 自嘲し、ならばとばかりにキーを叩く。そして最後の調整を終えると、一際強くエンターキーを叩いた。それが部屋に響き渡り、社はびくり、と肩を振るわせた。 その様子を横目で見つつ、こういう小動物っぽい仕草は変わらないな、と苦笑する。「―――さて、私の方は終わったが、社の方はどうだ?」「………いえ………今、終わりました」「そうか。ご苦労さん」 労ると、社は答えず耳飾りの片方をぴこ、と動かした。 作業は完了した。後は統合すればα版の完成だ。それをする際には香月に立ち会って貰った方がいい―――XM3のハードはオルタネイティブ4のスピンオフ故に、それの兼ね合いは香月にしか分からない部分が多々あるのだ―――ので、三神は室内に備え付けられた通信機を手に取るとピアティフ中尉へと繋ぎ、香月への伝言を頼む。本人に直接言っても良いのだが、彼女は一度集中し始めると物理的に妨害されるまで外界に反応しない場合がある。そして妨害されると大抵機嫌が悪くなるのだ。中尉には申し訳ないが、人身御供になって貰おう、と三神は考えたのだった。 さて、後は彼女が来るまでやることが無くなった。それまでどうしてようか―――と思案していると、子うさぎさんがこちらをじぃっと見ていた。(リーディングしようとしているのか?―――まぁ、多分無理なんだろうが) ふむ、と三神は考える。ここらで一つ、彼女との信頼関係を築くのも悪くはないな、と。彼本人としても社を憎からず思っているのだ。すぐには無理かも知れないが、なに、時間なら山程ある。 ここでのやりとりが、これ以降に続く試金石になればいい。 だから三神は社に向かって手招きしてみた。「………?」 その意図が分からなかったのか、取り敢えず社も三神の真似をしてみた。それを微笑ましく思いながら、今度は口にも出してみる。「こっちにおいで」「………!」 今更ながらその意図に気付いたのだろう、びくんっと身を仰け反らせ、その真意を探るためか上目遣いでこちらを見てくる。 しかし三神はそこで腕を組み、目を伏した。 言うまでもなく小動物は臆病だ。追えば逃げる。ならばじっと耐えて好奇心が刺激されるまで待つのみだ。 やがて、三神の肌が風の動きを捉えた。こんな室内に風が吹く訳がない。吹いたのは―――誰かが動いたから。 その誰かは、言うまでもないだろう。 伏した目を片方開いてみれば、目の前に社。椅子に座っていたため、視線は丁度いい位置にあった。 深い蒼の瞳に微笑みかけ、三神はゆっくりと社の頭に手を伸ばして撫で始めた。 一瞬だけ彼女は膠着するが、すぐに警戒を緩めされるがままにされている。「お疲れ社。よく頑張ったな」 もう一度労いの言葉を掛けてやると、社はぴこん、と耳飾りを動かしその小さな口を開く。「………………霞、です………」 つまり、そう呼べとのことだ。「では霞、改めてお疲れ様。よく頑張ったな」「はい………」 頭を撫でられたままそう言われた社は少し誇らしげに頷く。それに苦笑した三神は手を離そうとするが、何と社は『なでなで』続行を要求した。 さしもの三神もこれには驚いたが、別に嫌な訳でもないし彼女の要求に素直に従った。 因みにそれは、香月がこの部屋に来る直前まで続けられていた。 更に余談だが―――これ以降、社霞は何かを成し遂げる度に三神に『なでなで』を要求するのだが、それはまた別の話である