11月11日の午後2時を回った頃、神宮司は自機である撃震と教え子達の吹雪が格納されたハンガー横にある休憩所のベンチに腰掛け、缶コーヒーを片手に小休止していた。視線をガントリーに向けると、既に機体に付着したBETAの血糊は綺麗に洗浄されており、今は整備兵達による機体の総点検が行われていた。 迎撃戦が一段落ついたのは今日午前の9時半頃。そこから1時間程は残党処理に費やし、小型種などの残りは帝国軍に任せて白銀率いる207B分隊が帰投したのが12時前後。そこから簡単なデブリーフィングを行った後、解散し彼女達を休ませることにした。 今回の唐突に訪れた初の実戦は彼女達にとって得難い経験であると同時に、決して消えない傷痕を残す結果になった。間違いなくこの実戦で衛士としての限界上限は跳ね上がっただろうが、第195中隊の全滅はこれから先、彼女達の心に重くのし掛かってくるだろう。それに押し潰されるのか―――それとも呑み込んで、傷痕さえも自らの血肉へと替えられるのか。あるいは、これが訓練兵である彼女達にとっての、分水嶺―――最後の試練かもしれない。 本来ならば、こうした経験は任官後にするものだが、訓練兵の内にするというのも悪くはないと神宮司は思う。いや、教官として彼女達を気に掛けてフォローとケアが出来る分、彼女達の今後を考えればこちらの方がいいだろう。 ちらり、と激戦を潜り抜けた機体達を見やる。五機の内、見た目が酷い状態なのは右主脚が欠損している彩峰の吹雪だけだが、他の機体も内部状態はどうなっているかは分からない。いずれにしても実戦後なので、総保守点検を行うことになるだろう。 しばらくは実機演習は出来ないわね、と神宮司が教官らしく今後の予定を考えていると、横合いから声が掛かった。「おや、神宮司軍曹」「少佐………?―――お疲れ様でした!」 三神だ。 軍装姿の彼も神宮司と同じように一休みする気だったのか、缶コーヒーを片手にしていた。 神宮司が立ち上がって労いの言葉と共に敬礼すると、三神は軽く手を振って座るように促した。いつものように堅苦しいのは要らない、という合図だ。「お互いにな。―――君も陣中見舞いかね?」「ええ。―――親方には苦労をかけます」 並んでベンチに腰掛け、缶コーヒーを口元に運ぶ。 神宮司がハンガーに訪れていた理由は、207B分隊の機体を触る整備兵達を見舞うためである。 戦術機も兵器―――極論を言えば消耗品である以上、どうしてもガタが来る。それを極力引き伸ばし、戦場で起こり得る機体にまつわるトラブルを、一つでも減らすのが整備兵の役割であり仕事である。であるならば、こうした気遣いは無用なのかもしれない。事実、整備兵との関わりを必要以上に持たない衛士も多くいる。 しかしながら、本意ではないとは言え彼等が整備した機体を壊したのだ。従来の保守点検以上の仕事を割り振ってしまったのだから、何かしらの謝辞は必要だと神宮司は思う。こうしたことも良い経験になるので、本来ならば207B分隊も引き連れてくるところだが、流石に初の実戦後ということもあって今回は見逃した。「私の方も武の機体が凄い事になっていたからね。追加噴射機構の時にも世話になったし、しばらくは彼等に頭が上がらんよ」 苦笑する三神に、神宮司はふとあることを思い出す。「―――あの………少佐、もし差し支えがなければで構いませんのでお聞かせ願えないでしょうか」「何かね?」「あの子達は―――ちゃんと、生き残りましたか?」 旧魚沼市に集った部隊の中に、国連カラーの不知火中隊の姿もあった。各国に幾つもの基地を持つ国連とは言え、不知火を扱ってる基地は横浜を於いて他に無い。それ等に乗れるのもごく限られた人間だけだ。そして神宮司は、自分が育てた子等がそのごく限られた人間であることを知っている。 しかしながら、ごく限られた人間の集う『その部隊』に配属された以上、一教官である神宮司はその後の様子を知り得ないのだ。それこそ、生きているのか―――死んでしまったのかさえも。 それでも同じ基地にいる以上、時々偶然に顔を合わせることもある。その時になって初めて、神宮司は教え子の生存を知り得るのだ。 正直な所、これを聞くのは間違いなく越権行為だろう。場合に拠っては、スパイ行為と見なされてもおかしくはない。それでもあの戦場を共にしていたと知る以上―――どうしても気になってしまうのだ。「それは―――新任達のことかね?」「出来れば、他の子達のことも」「―――今回は、皆生き残ったよ。負傷した者もいない」「そう、ですか………」 しばし、沈黙が落ちる。 今回は、皆生き残った。次回は、分からない。単純なことだ。戦争があって、そしてそこで軍人をやっている以上―――誰にでも平等に死は訪れる。今回は運良く生き残れたとしても、次回もそうだとは限らない。それは自分にも、今手掛けている207B分隊にも言えることだった。 しかしそれでも今回は生き残ったのだ。その事実だけで、神宮司は少しだけ胸のつかえが取れた気がした。「それにしても―――207B分隊もかなり派手にやっていたようだね」 少しばかり暗くなった空気を払拭しようとしたのか、三神が大きめの声で言ってガントリーへと視線をやる。「はい。―――まるで白銀中尉が五人になったみたいでしたよ」「ははは、それはさぞかし大変だっただろう。―――その207B分隊は?」「中尉と簡単なデブリーフィングを行った後、休ませました。―――流石に疲れたでしょうから」「成程。―――そう言えば武は?親方の所には顔を出していたようだが」「香月副司令の所に行くと仰ってましたが………?」「ふむ、すれ違ったか。―――まぁ、いいか」 成程成程、と三神は何度か頷いて神宮司に視線をやり、再び何度か頷く。その不審極まりない挙動に神宮司が首を傾げていると、馬鹿が何かを思いついたように口の端を釣り上げた。 それは何と言うか、面白い悪戯を思いついた少年のようで悪魔のような―――何とも形容しがたい笑みだった。「ところで神宮司軍曹。この後仕事はあるかね?」「はい。と言っても、簡単な報告書類と事後処理程度ですが」「そうか。―――では、一つ仕事を頼まれてくれないかね?」「仕事、ですか?」 経験の差であろうか。この時、神宮司は妙な焦燥感を覚えていた。知らず知らずのうちに地雷原に足を踏み入れていたとか、遮蔽物の無い場所で狙撃兵に狙われているとか―――じわじわと精神を磨り減らしていくような、そんな焦燥感だ。 首筋がちりちりする不快な警鐘に眉をひそめている間にも、三神は言葉を続けていく。「うん。本来ならば私がどうにかしようと思っていた案件なのだが、私は私で今夜別件の任務があってね。おそらく徹夜になるだろうから、今の内に少し仮眠を取っておかなければならないんだ。―――そこで、私の代役を頼みたい」 何故だろう、声の調子を鑑みるに、どうやら簡単なお使い程度の内容のようだが―――どうにも嫌な予感が拭えない。「何、大して難しいことではないし―――どちらかと言うと………うん。やはり考えれば考える程これはむしろ君の方が適任だ」「は、ぁ………。では、私は何をすれば良いのでしょうか」 本能では拒否しているが、神宮司は優秀な軍人だ。上官がそう言うならば否はない。だが、次の言葉で自分の軽率さを呪う羽目になる。「うむ。ではまず先に君の仕事を片付けたまえ。その後に―――式王子中尉の『私室』を訪れるように」 嫌な予感が的中した。「し、式王子中尉、の『私室』、でありますか………」「ああ。彼女にその後の段取りは話しておこう。―――おや?どうかしたのかね神宮司軍曹。顔が引き攣っているが」「い、いえ………少しトラウマが………」 国連カラーの不知火に乗れるごく限られた人間が集う『その部隊』に所属する式王子小夜も、例に漏れず神宮司の教え子で―――彼女の知る中で最大の問題児である。 とある大手呉服屋の娘である彼女には、神宮司もそれはもう手を焼かされた。どういった経緯で国連軍に入ったのか甚だ問題だが、その出自からしてイイトコのお嬢様である彼女は座学はともかくフィジカル面に問題があった。走れば最下位、銃を構えればあさっての方向へ飛び、その銃を整備させればパーツは余る。座学以外は本当に何やらせても駄目だったので正直、コイツ軍人に向いてないなぁと神宮司も何度か諦めかけた程だ。しかしまぁ、そうしたマイナス面も同期である伊隅に手伝ってもらい徐々に改善していったので、軍人として、訓練兵として取り立てて問題があったわけではないのだろう―――結果的には。 問題があったとすればその思考というか嗜好というか行動理念というか行動原理というか―――有り体に言えば本能に忠実な所か。 確かに今期の訓練兵達も厄介と言えばなかなかに厄介だが、その厄介さはどちらかと言えば主にバックグラウンド―――即ち、彼女達の出自にあり、彼女達自身は多少の軋轢はあるものの真面目な訓練兵達である。そういった意味では、彼女以上の問題児を神宮司を知らない。 何しろアイツは、あの女は―――『可愛いは正義』の名の元に、教官である神宮司を着せ替え人形にした女である。 元よりそうした偏執というか偏愛があったのは神宮司も知っていた。しかしながら、それがまさか自分に向かってくるなどと誰が思うか。 思い出すのは数年前。 とある切っ掛けで狂犬と呼ばれるようになってからしばらくしてからか。確か、伊隅や式王子の世代が任官間近になってからだったはずだ。相談があるから部屋に来てくれませんかと言われ、教官としても人生の先輩としても放っておける立場ではない神宮司はノコノコと奴の私室に赴き―――。『………軍曹。軍曹には、犬耳が似合うと思うんです。―――狂犬だけに!』 等という訳の分からん理論武装と共に式王子は神宮司に飛び掛かって来た。当然、神宮司とて抵抗したが―――『貴様本当にあの何やらせても駄目だった式王子か!?』と当時の神宮司をして言わせるほどの身体能力を見せて神宮司を拘束。そのまま着せ替え人形の如くファッションショーと撮影会のコンボを決められた。 その時撮った写真で脅しでも掛けてくるのかと思いきや、あくまで趣味用と言い張っていた。確かに、任官前も任官後も誰かにあの写真集を見せた素振りはなかったが、それでもその時のことは神宮司にとって今でもトラウマである。―――訓練で逆襲はしてやったが。「薄々想像がつくが―――何、君もまだまだ若い。大丈夫だ」「少佐………?まさか………」「ははははでは後は頑張りたまえああ忙しいなさっさと部屋に戻って寝なければうん睡眠は重要だね速やかに行こう速やかに」 トラウマを思い出し、唇をわななかせる神宮司に三神はしたり顔で頷くと立ち上がり、しゅたっと片手を挙げて強歩でもしているのかと思うほどの速度で立ち去っていく。「あ!ちょっ!?少佐っ!?」 そして後には―――ぽつり、と数年後しにトラウマに立ち向かわなければならなくなった軍曹が一人、取り残されるばかりであった。 B19階にある執務室が数度ノックされて、部屋の主である香月が返事をすると軍装に身を包んだ白銀が入出してきた。「失礼します」「お疲れ。―――大活躍だったみたいじゃない」 目を通していた書類を机の上に放り出し、香月が労をねぎらうと白銀はたはは、と後頭部を掻いた。「―――不知火を一機潰しかけたようだけど」「あがっ!」 調子づかせるのも癪なので、持ち上げたところで落としてやると、白銀は肩を落とした。それを良い気味、と思ってから香月は言葉を続ける。「まぁ、アンタ達が大暴れして宣伝したお陰で、ちょっと前まで大変だったのよ?国連軍の新型OSとは一体なんだとか互換性はあるのかとか技術提供はしてくれるのかとか帝国軍のあちこちから引っ切り無しに電話掛かってきて―――予想以上の大反響ね」「あはは………でも夕呼先生なら―――」「当然よ。今はまだ先行量産版だからそっちに供給してやる気も余力もないって突っぱねたわ」「ですよねー………」「それにしても現金よねぇ………あれだけ横浜基地の陰口を叩いてた癖に、アンタ達がちょっと暴れただけで手の平返すんだから」 尤も、先行量産版と言っても今回の実戦での『学習』で既に製品版―――つまるところ、完全量産版と言ってもいい程の仕上がりになっているだろう。後はこの実戦で培ったA-01と207B分隊のデータを上手く纏めてアップデートしていくだけで良い。 勿論、クーデターの絡みがあるので、XM3を帝国軍に渡すとしてもそれを超えた甲21号作戦前が好ましい。習熟期間を兼ねると、作戦二、三週間程前が理想と言えるだろう。「―――って………あれ?庄司はいないんですか?てっきり先に来てるもんだと思ってたんですが………」 今更ながらに、白銀は執務室を見渡して言った。「ああ、三神なら顔出してすぐに引っ込んだわよ。―――一眠りしてくるって」「一眠りって………」「まぁ、寝不足のままじゃ安心してあたしの身体を任せられないからね。―――自己管理する余裕があるなら大丈夫だと思うわ」 その香月の意味深な言葉に、白銀は眉をひそめて―――やがて思い至る。今日、この日を持って白銀と三神の存在証明は成った。そしてそれが成って初めて魔女は彼等を仲間として認め―――彼女は聖母にして聖女と成る。「まさか………」「そうよ。今夜、なるわ。―――00ユニットに、ね」 ふ、と小さく香月は微笑む。その笑みに何処か諦観と言うか達観と言うか―――まるで憑き物が落ちたような何かを見つけ、白銀は困惑する。「夕呼先生………」「なによ?変な顔して」「い、いえ………その、何と言うか………」「あのね~白銀ぇ。そんな『何か気楽に言ってるけど00ユニットになるってことは死ぬってことなんだけど大丈夫なんだろうか』って顔止めてくれる?仮にも発案者なのよ?あんたに心配されるまでもなくよ~く分かってるわよ。それこそ―――この世界で誰よりも、ね」 そう。 誰よりも分かっているのだ。それになると言うことが―――。「生体反応0。生物的根拠0。故にこその00ユニット―――それになろうって言うんだから、あたしという人類は今日を以てして『死ぬ』わ。―――けどね、それをあたしが今更恐れると思って?」 自分の死を指し示すということを。 だが、魔女がその程度のことで立ち止まるはずがない。 だから香月はいつものように不遜で不敵な笑みを浮かべる。「甘く見ないでくれる?あんたが言う『二回目』の世界でBETAを横浜基地にけしかけるような茶番を演じた魔女は、自分の命惜しさに人類の救済から目を逸らすような愚者じゃないのよ。魔女は魔女で、道化には成り得ないの。だから犠牲はそれがどんなものでも、幾つであっても出すわ。けれど、それに見合った結果を必ず手に入れる。それこそが清濁併せ呑み続けたあたしの―――たった一つだけ赦された流儀よ」「―――すいません………」「別に謝って欲しい訳じゃないわ。ただ―――舐めないで欲しいってだけ」 畳み掛けるように言い放つと、今度こそ白銀は黙りこくった。変に同情されるのも気に食わなかったので続く言葉を封殺したは良いが、これはこれで妙な空気になってしまった。 仕方ないわね、と香月は内心苦笑しつつ話題を変えることにする。「―――まぁ、まずはおめでとう、と言っておくわ」 口調を軽くして、彼女は微笑む。「今回の迎撃戦でアンタ達二人の存在が証明されたわ。これからは、アンタ達の言う未来情報を元に行動計画を立てていく訳だけど―――何か質問はある?」 問われ、しばし白銀は腕を組んで熟考し、やがて何かに思い至ったか、ぽんと手を叩いた。「あ―――そう言えば、今回の迎撃戦………BETAの侵攻規模が違ったんですけど―――夕呼先生はどう見ます?」「って、白銀ぇ………。元とは言え因果導体だったのに気付かなかったの?」「ゔ………」 呆れた、と呟く香月に白銀は言葉を詰める。まぁ、彼も因果律量子論を体現していたとしても精通している訳ではないので、気付かなかったとしても無理からぬことかもしれない。「まぁ、いいわ。アンタ達の話によれば、11月11日のBETA侵攻の規模は旅団規模だった。にも関わらず、何故か今回に限って師団規模に膨らんでいた―――これの起因は何か。一応、限りなく正解に近い推測は立っているわ」 実証できない以上、あくまでこれは仮説―――推論の域を出ない。だが、白銀や三神の体験を今回の迎撃戦で是とした場合、自ずと限りなく正解に近い答えというのは出て来るのである。 まずは、今回の出来事の起点となる要素を探す。「今回の一件―――白銀にとっての『一回目の世界』と『二回目の世界』にない要素が原因になっているんだけど、何だか分かる?」「………庄司、ですか?」「そ。三神庄司の存在が、今回の『ズレ』の原因よ」 考えるまでもないだろう。 白銀が10月22日に『いつもどおり』に出現して、真っ先に感じた差異がそれである。 だから、起点は間違いなく三神庄司で正しい。「そもそも、三神庄司と言う人間はあんたと違ってこの世界に存在すらしないわ。―――そう言えば白銀。あんた、自分が今どういった状態の存在であるか理解してる?」 問われて思い出すのは、この世界の鎧衣課長と初めて面会した日だ。月詠中尉の詮索をいなし、この部屋に向かう途中で白銀と三神は『シロガネタケル』の考察をしたのだ。 それを脳裏に引っ張り出し、暗唱する。「えっと………『白銀武』―――つまりオレは、数ある世界の『シロガネタケル』の因果情報から出来ていて、その中にはこの世界で死んだ白銀武の因果情報も混ざっている。で、それがあるからこそ世界はオレを一時的な空白期間があったとしても白銀武として認識している………で、合ってます?」「まぁ概ね、ね。もっと簡潔に言えば、あんたはこの世界に元々いた白銀武と入れ替わった状態なの。それはあんたの言う『一回目』や『二回目』の世界でも違わないわ。確かに『死』という空白期間があるけれど、何の脈絡もなく新たな人間が出現するって言う事象よりも、世界にとっては、そちらの方が負荷が少ないんでしょうね」 でなければ、こちらに出現した途端にその矛盾を異質と判断した世界が修正を掛けるべく白銀を排除しようとするだろう。この事から、『生死の矛盾』よりもむしろそれを司る『因果の矛盾』の方が世界にとって比重は大きいのだろう。 だからこそ、白銀は『死んだ』という情報を持っていながらにして『生きて』いられる。「で、ここで話を戻すけれど、じゃぁ三神庄司は世界にとってどういう扱いになっていると思う?」「―――異物、ですか?」「あら、あっさり正解するのね。てっきりトンチキな返答でもするのかと思ったけど」 茶化す香月は何処か楽しげだった。 やはり自身が提唱する理論について話し合うのは気分がいいのだろう。「世界にとって、三神庄司は異物よ。あんたと違って、この世界に通じる因果情報も無いから、本来ならばそもそも存在することすら出来ないはずなの。古風な言い方をすれば縁がないからそもそも出逢うことがないって所かしら?」 白銀とは逆に、三神にはこの世界に代替となるべき自身の同位体が存在していない。 もっと簡単に表現するならば、この世界は椅子取りゲームのようなもので、しかもその椅子は自分の身体に合った椅子しか用意されていないのだ。白銀は『この世界の白銀』が死ぬ事によって空席となった椅子に腰をおろして自身の存在を確定した。しかし、三神には彼の身体にあった椅子そのものが存在していないのである。「じゃぁ何故この世界に存在できるのか―――これについては、正直現段階では答えられないわ。おそらくは三神を因果導体にした存在が関わっているんでしょうけど、いずれにしてもまだ憶測の域を出ないの。本人でさえ分かってないみたいね。だから、まずは敢えてそれを一つ飛び越して、三神庄司という異物がどのような影響を与えるかを考えてみなさい」「世界が庄司を消せないって事を前提にするんですか?」「そうよ。まぁ、その前提を考えれば、もう答えは出るんだけどね」 問われて、再び白銀は瞑目して熟考する。 如何なる裏技と使ってこの世界に存在できるかは今のところ不明だ。だからそれありきで影響を考えてみる。自ずと出てくるのは―――。「修正………ですか?」「その通り。三神の存在を消せない以上、世界は世界自身が辿る正史を改変していくしか無い。これは、あんたも未来情報を以て行動を起こすことで似たような事をしてるわね。あいつの場合は、存在しているだけでそれが行われていると思いなさい」 おそらくは、今までも―――彼が繰り返した三桁の逆行でも同じ現象が起こっていたはずだ。彼自身、今回ようやく気づくに至った理由としては、比較するべき未来が無かったためだろう。 元々、平行世界論からしてみれば世界は極小ながらもそれぞれ違ったものだ。更に白銀武という因果導体が来た段階で、未来は若干ながらも変化し始める。つまり、因果律の振り幅が最も小さいのは白銀武という因果導体が現出する2001年10月22日までで、そこからは彼を中心に少しづつ振り幅が大きくなっていくのである。「バタフライ効果っていう理論があるんだけどね。考え方はこれに近いわ。―――さしずめ、因果律のバタフライ効果って所かしらね」 三神が最初に現出したのが2016年。その頃になると、白銀の存在は世界に大きな影響を与えていて、『人類の敗北』という部分が共通であったとしても、様々な部分で違いが出てくるはずだ。 だから、三神が世界に与えたバタフライ効果に彼自身が気付かなくて当然だろう。それが自分が与えた影響なのか白銀が与えた影響なのか分からないのだから。 故に今回、因果導体という特異点が自分だけになってようやくその可能性に気付けた訳である。「今はまだ小さいけれど、この波紋は次第に大きくなっていくわ。―――と言っても、直ぐにどうこうはならないでしょう。多分、目に見えて歴史が変わっていくのは、もっと先―――早くても数カ月先になるわ。だから、あんたが経験した事件は内容が少し変わるぐらいで概ね同じような時期に同じように起こるって事ね」「庄司は、この事を知ってるんですか?」「明確には口にしなかったけど、さっき仄めかして言ったわ。―――迷惑を掛けるが、そのイレギュラーのカウンターとしても使えるから安心しろってね」 存在するだけで世界に影響を与えるならば、その影響に対して能動的に干渉することによってもまた別の影響を与えられるはずだ。つまり、こちらの思惑通りに運ばない場面に関しては、カウンターとして三神をぶつけてやれば良いのである。 喩えるならば―――ウイルスとワクチンの関係に程近い。 原因が三神ならば、修復できるのも三神のみ。 毒をもって毒を制す、というやつである。「事実、今回の迎撃戦もそうでしょ?三神がいなければ、旅団規模のBETA群で済んだ。三神がいたからそれが師団規模に膨れ上がった。けれど、三神がいなければ白銀、あんた死んでたでしょう?それに他の連中も」 カウンター?と首を傾げている白銀に香月が説明してやると、ああと白銀は一度得心して、あれ?と再び首を傾げた。 無理もない。 卵が先か鶏が先か。 ここまで来るとどちらが原因で結果なのか分からない。まさしく因果律のジレンマである。(三神を殺すって言う案もあるけれど、もう既に波が出来てしまっている以上、殺したところでそれが消えるわけじゃないのよね。むしろ、イレギュラーに対処できる唯一の人材が居なくなる結果になるから、こっちとしては苦しくなる一方、と………。―――本当、いてもいなくても厄介な奴だわ) トランプで言えばジョーカーだ。使い勝手は良いが、どこかで必ず足を引っ張る。 まぁ、その辺りについては諦めるしか無いわね、と香月は苦笑するとまだ因果律のジレンマに囚われている白銀に他に何か質問ある?と尋ねてみる。「これからの行動計画って言ってましたけど―――何か案があるんですか?」「差し当たっては、日本の方ね。取り敢えず、三神が鎧衣課長を通して、15日に再度の謁見を取り付けたようだけど―――その時のことは、あんたの方が詳しんじゃない?」 言われ、白銀はあぁと得心した。 悠陽達との再交渉。それから、白銀自身は沙霧との交渉がある。是如何によってはクーデターが起きるか起きないかの瀬戸際なので、本当に気が抜けない。「ま、そっちの方はアンタ達に任せるわ」 既に段取りは組まれている。ここで無理に香月が動く必要性はないだろう。だから彼女は白銀と三神に丸投げ―――もとい、一任した。 そして、今からやる事あるからとっとと出てきなさいと促す。「―――白銀」「はい?」 そして去り際の白銀に、香月は声を掛ける。「こうなった以上、あたしはアンタ達を信頼するわ。今日この時を以て、アンタ達をこの魔女の『仲間』と認めてあげる。だから頑張んなさい。座して得られるものはないんだから、何処までも手を伸ばして―――あんたが望む、最上の未来を掴みなさい」「―――はいっ!」 直立不動で敬礼をして、白銀は執務室を後にした。 閉じられた扉をしばらく眺めてから、香月は革張りの椅子に背を預けて虚空を見やる。そして、照明を遮るように右手を翳す。 その右手は―――小さく震えていた。「―――あたしも、掴まないとね」 その震えごと、自身の不安を押し殺すように握りつぶした。 神宮司はその扉の前に立ち、ドアノブに手を掛けたまま開けるのを躊躇っていた。 開ければまず間違いなく面倒くさい事態になるだろうと予測していたからだ。ノックして部屋の主から返事があって―――既に五分はこうしているだろうか。しかし何時までもこうしている訳にはいかず、意を決して彼女はその扉を開け―――。「いらっしゃ~い!」 部屋の主に飛びかかられた。 叩き落とそうかと思ったが今は上官だ。昔のように手を上げるわけにはいかない。結局仕方無しに、なすがままに抱擁を受け入れる。「………式王子中尉。もう少し落ち着きを持っては如何ですか?」「えへへへ………神宮司軍曹久しぶりですねぇ~」 部屋の主―――式王子小夜はふにゃふにゃとした笑みを浮かべながら神宮司を抱きしめて身を摺り寄せている。それを猫のようだと思っていると、やおら彼女はこちらを見上げて。「―――まりもちゃんって呼んでいいですか?」 神宮司の眼力で世界が数秒凍った。「で、私に与えられた仕事とは?」 訓練兵時代を思い出したかカタカタと震える式王子を見下すように神宮司が問いかけると、トリップした馬鹿がはぅあっ!と何か真理に行き着く。「う、うぅ………軍曹が怖い………可愛いのに………怖いのに可愛い―――はっ!?新しいジャンルですかっ!?コワカワ!?」「し・き・お・う・じ・中尉~………?」 しかしそうした茶番に何時までも付き合っている気がない神宮司がスタッカート付きで式王子の名を呼ぶと、彼女は直立不動で敬礼する。「ひ、ひゃいっ!こ、これでありますっ!!」 次いで部屋から引っ張り出したのは、ホテルの給仕が使うようなワゴンである。上には食器や何やらが乗っており、パッと見二人前はあるような気がした。 彼女が言うには、これを香月の元へと運び、共に食事をとれとの事だった。「つまり夕………香月副司令と食事しろと?」「ん~。少佐が言うには、近々大きな実験があるらしくて、その前に溜まったストレスを吐き出させてやった方がいいとの事です」「しかしそれならばわざわざ式王子中尉の部屋に来る必要性は………」「ちっちっち………甘いですよまりもちゃ………ごめんなさいもう言いませんすいませんでしただからそんな虫けらを見るような目は勘弁して下さい………」 再び絶対零度の視線をぶつけてやると塩をかけられたナメクジのごとく縮むがそれも一瞬で回復する。タフというか立ち直りが早いというか鳥頭なんだなコイツと神宮司は結論を得た。「それで?何故中尉の部屋に来る必要性が?」「それはですね~………―――コレですよっ!!」 そう言ってやおら取り出した『ソレ』を見て、思わず神宮司は仰け反って顔を引き攣らせた。(嫌な予感ってどうやっても当たるものなのね………!?) 世の中の真理を垣間見た気がしたが考察は取り敢えず後である。まずはこの状況を切り抜ける術を探さなければ。だから神宮司は現状把握のため、式王子に話しかけた。「し、式王子中尉。―――『ソレ』をどうしろと?」「当然、着るんですよ~?」「誰が?」「軍曹が」「―――何でそんなモノ持ってるんです?」「趣味です。―――知っているでしょう?」「いやどうやって入手したんですか?」「私の実家服屋ですから。必要なら自作できますし」 やっぱり駄目だコイツ軍人としてとかよりもまず人間として色々駄目だ、と神宮司の脳内会議で満場一致で即決だったわけだが、そんな事情を露ともせずにじり寄ってくる馬鹿一人。「神宮司軍曹のサイズも把握してあるので大丈夫ですよ?えぇ―――2キロぐらい太ってても調整は効きますし効かせます」「何故それをっ………!?」「さっき抱きついた時に測りました。―――一目見た時に以前のサイズじゃないって思ったので」 この女、油断ならない。「さぁ、楽しくお着替えしましょうか。速やかに、早急に、軽やかに、艶めかしく、卑猥に、いやらしく―――具体的に言えばエロくっ!!」 最初の三つ以外意味は一緒である。 ハァハァと鼻息荒く、更にはワキワキと手を蠢かせて変質者が迫ってくる。さながら獲物を追い詰めた肉食獣のそれであった。「―――きょ、拒否します………!」 思わず後ずさりして拒否権を行使する神宮司だが、権力を持った馬鹿ほど手に負えない存在は無い。「軍曹。これは上官命令なのですよ~?―――大丈夫、撮影会の準備は既に出来ていますので」「そ、そんな心配はしてませんっ!!」 この女、本当に油断ならない。「問答無用!覚悟ーっ!!」「あ!ちょっ………!?」 そして逃げる間もなく―――神宮司は式王子の餌食となった。 その日の夕刻頃、香月は死に掛けだった。 原因は腹部の過剰痙攣で―――詰まるところ笑い死にである。「ちょっと………ま、まりも………あんた、なんて格好を………!!」「い、言わないで夕呼………私だって、好きで着たわけじゃ………」 書類整理をしているところに神宮司が夕食を持ってやってきた。 それ自体はいい。社が付き添っていたから、彼女の手引きなのだろう。 問題だったのは―――その服装だ。 ―――メイド服だったのである。 フリルカチューシャにフリルのエプロン。加えて濃紺のロングスカートと言う嫌味な色気のない所謂ヴィクトリアンメイドではあるが、神宮司自身のメリハリの効いたプロポーションと相まって、非常にオトコゴコロを擽る仕様であった。 更に羞恥のためか彼女は耳まで真っ赤に染めており、非常に加虐心を煽る状態だったのだが―――女の、しかも親友の視点から見ると笑いの種にしかならないらしい。「ひぃ………ひぃ………に、似合ってるわよ、まりも………くくっ………!何処かのメイド長みたい………!!」「笑いを堪えながら言ったって説得力無いわよ!後それ褒めてるようで褒めてないわよねっ!?」 ケタケタと爆笑する香月に、最早余裕が無いのか相手は副司令だというのに友人のノリで突っ込む神宮司。「はぁ、はぁ………あぁ笑った笑った―――ぷっ………!」 そんな遣り取りが続いた後、笑いで流れた涙を拭い、香月はもう一度興味深げに神宮司を見やる。「いやぁ可愛いじゃない。―――まだまだあんたも若いわね」「うぅ………夕呼に言われても嬉しくないわよぅ………」「あんたそれどういう意味?」 何気に酷い事を言われたようなので追求しようとするが、羞恥の極みで涙目の神宮司には届かなかったようだ。「で?何でまたそんな格好を?」「知らないわよ。ただ三神少佐の言うとおりにしたら………」 それだけ聞いて、香月は理解した。(あの馬鹿、変な気を回したわね………) つまり、この茶番は三神の手回しによるものなのだ。おそらくは、ストレスという不安材料を排除するための処置だろう。しかしもしもそれ以外の意味があるとしたら―――。「―――最後の晩餐ってことね………」「は?」「何でもないわよ。それより、料理あるんでしょ?―――給仕して頂戴な、メイド長さん」「誰がメイド長よっ!!」 軽口を叩く香月に、神宮司は渋々と従う。 その様子を愛おしそうに眺めながら、香月は親友に胸中で言葉を掛ける。(ありがとう、まりも。それから―――さよなら) きっと、きっとまた戻ってくるから―――。 そして11月11日の深夜―――時刻はそろそろ日を跨ごうとしている。場所はB26階―――擬似生体精製用の部屋に三神と香月はいた。「では問うぞ香月女史。―――覚悟の程は?」「愚問ね」 問い掛ける三神を、香月は鼻で笑った。「あの時にあたしはこう言ったはずよ三神。―――この魔女の命、好きに使いなさいと」 だから最早問答は必要ない。 必要なのは、始まりの言葉のみ。 故に―――三神は告げる。 救世の為に必要な―――始まりの言葉を。「香月夕呼。貴方には、今から―――死んでもらう」 そして―――かちりと音を立てて、時計の針は12時を指し示した。