集えと―――世界を震わせる、始まりの声が響き渡る。『―――諸君!聞こえているかね!?』 狼が吼える。 聞こえているかと。 全周波数で流れる他の情報を押しのけて、全ての者に自分の声が届いているのかと。『私は国連太平洋方面第11軍横浜基地所属、三神庄司少佐だ!―――聞こえているかね諸君!!』 それは遠吠えだ。 集わせる為の。 伝播させる為の。『いろいろ忙しいと思うが敢えて問うぞ諸君!―――諸君は何人かねっ!?』 それは起点となるべき遠吠え。 何もかもを動かしていく為の、最初にして最後の一手。『私や―――そこで大暴れしている白銀武中尉は日本人だ!諸君と同じ、義理堅きジャパニーズだよ!』 狼が叫ぶ。 自分や、彼も同じなのだと。『もはや愚問だとは思うが更に問いかけるぞ諸君!―――日本人とはどんな民族かねっ!?』 所属や、寄って立つところが違ったとしても―――根幹は同じなのだと。『答えは単純だ!我々日本人は閉鎖的な農耕民族!身内に甘くて他人に辛い!そんな排他的な我々が他人を身内と認めるのに必要なものとは何か分かるかねっ!?』 そして問う。 自分の答えは、もうずっと昔に出ている。『恩義だよ!恩と義理を以てこそ、我々は仁義を胸に掲げる!!』 それだけを胸に、自分は生きてきたのだから。『私には、ある人に返さねばならぬ恩義がある!この命を以てしても返すことが出来ぬ恩義が!だがその人は、遠く昔に逝ってしまった!しかし―――そこで大暴れしている中尉がその人の魂を受け継いでいるのだ!!』 忘れてはならない。 今の自分があるのは、自分の基礎を作ってくれたあの人が―――白銀『大佐』があってこそだということを。『ならば私は、それがただの自己満足であったとしても、今こそ恩義を―――その一端をここで果たそう!!』 全て返済しきれるかは分からない。 ならばせめて―――自分が消え行くその瞬間までは返済し続けよう。『諸君はどうかねっ!?今日、この戦場で―――誰かの世話にならなかったかねっ!?恩を感じた場面には出くわさなかったかねっ!?―――胸に手を当てて考えてみろよ義理堅き日本人っ!!』 だから、皆よ―――さぁ吠えろ。『そして最初の問いに戻るぞ諸君!―――諸君は、何人かねっ!?』 見て見ぬ振りをせずに。『答えはいらない!言葉は不要だよ諸君!これより必要なのは、万感粉飾された小奇麗な言葉ではない!恩を以て義で応える万夫不当の行動力のみだっ!!』 立ち止まることもせずに。『そして私は凡人だ!私は凡人なんだよ諸君!だからどう頑張っても彼の元に辿り着く程度の力しか無い!あそこから彼を救い出すには、まだ他に力が必要だっ!!』 集い、走り出せ。『それでも私は征くぞ諸君!だからもしも―――もしも、諸君の中に、彼に救われたという者がいたならば、そして自らは義理堅き日本人だと叫ぶ者がいたのならば、言葉より行動で示してくれっ!!』 そしてどうか、願わくは―――。『どうか彼に帰路をっ!―――彼が生きて帰る為の道を付けてくれっ………!!』 ―――誰も彼もが、何もかもを諦めぬように。 来た、と悠陽は思う。 悠陽にして最初の、三神にして最後の一手―――能動に至る切っ掛けが。「聞こえていますか?我が家族達よ―――」 狼の遠吠えに、皆が戸惑う中―――悠陽はゆっくりと皆に話しかける。「私は、これ以上の命を出しません。皆が皆―――己の答えを出して、そして行動しなさい」 言葉を紡ぎ、彼女は武御雷を操作する。「私は既に答えを出しています。ですが、それを皆に強要するつもりはありませんし、また私の答えに従う必要もありません」 担架から抜き放つのは長刀。「己の信ずる道を征きなさい我が家族達。今の三神少佐がそうであるように日本人として義に生きるか、それとも閉鎖的で排他的な農耕民族であるべきか」 将軍家は、万民の先頭に立たねばらない。「誰がどの様な選択をしようとも私は責めるつもりはありません。その権利を持ち得ません。ですが―――」 皆が迷っているのならば、先頭に立ち、我が身を以て道を切り開くのが正しき将軍のあり方。「もしも―――もしも、どちらか決めかねているのならば、せめて今日を思い出して欲しいのです。今この局面に到るまで―――彼等国連軍がどれほどの戦果を上げ、それによって幾人の同胞が救われたのかを」 足踏みしている時間はない。「そしてその選択をした者達は、自らの選択を誇ってください。今から自分は、恩義を果たしに行くのだと。彼が帰る為の道を築くのだと」 そして最早、自分を止められるものなどいない。 止めようとしても、それを振り切ろう。 この終局へと至る状況下で―――能動をもたらす行動が出来るのは、それを波及できるのは自分を於いて他にいないのだから。「いいですか?私は今から一つの宣言をします。ここからの私の行動は、この宣言に基づくものだと思いなさい。そしてこれはこの戦闘が終わるまで覆されることはありません。故に―――心して聞きなさい」 だからこそ―――彼女は告げる。「日本帝国政威大将軍改め、『日本人』煌武院悠陽―――参りますっ………!」 そして、紫の武御雷は飛翔した。 たった二人の言葉。 時間にすれば、ほんの数分の出来事。 この騒がしき戦場の中で―――一体どれほどの同胞がそれを聞いたのかは不明だ。だが静かに、そして驚くべき速度で彼等の言葉は皆に浸透、波及していく。まるで、静かな水面に小石を落としたように。 一人の佐官が撃鉄を起こし、一人の将軍が引き金を引いた。 突き詰めれば、ただそれだけのこと。 ただそれだけのことで―――しかし全てが動き出す。 そして今こそ―――最終劇の幕が開いた。 旧小千谷市の南端に、斯衛軍第16大隊は展開していた。粗方片付いた戦場の中で、大隊長である斑鳩は、二人の言葉を聞き、あることを思い出していた。 先代の斑鳩―――斑鳩昴の祖父のことである。 豪放にして磊落。天衣にして無縫。他にも、傾奇者とか虚け者とか、あまり名誉を感じない二つ名を影で叩かれながらも、だからどうしたといつも呵々大笑していたあの祖父は、8年程前病魔に蝕まれて逝った。 その最期を看取り、そして遺言とも言える戒めを―――何故か今、思い出していたのだ。その言葉に従って、自分を省みてみれば―――。「俺、つまんねー大人になってたのかな………」『少佐………?』 ぽつり、と呟いた言葉に応える声があった。 月詠真耶―――紅の武御雷を駆る、この第16大隊の副隊長で、今は国連軍に出向している月詠真那の従姉妹だ。斑鳩にとっては、3年前の初陣の時から共に轡を並べ続けている良き右腕である。 網膜投影に映った訝しげな表情をした彼女を見て、斑鳩は苦笑を浮かべてこう述懐した。「なんかさ、アイツの言葉聞いてたら爺さん思い出したわ。で、今の今まですっかり忘れてた遺言も一緒に思い出したんだよ」『遺言、ですか?』 月詠の問いかけに、斑鳩はああ、と頷いた。 あれは8年前。五摂家といえども一通りの軍事教育が必要で、それを超えてようやく一端の軍人と言えるようになった時だった。突然、実家から祖父危篤の知らせがあり慌てて戻ってみると、床に伏した祖父が青い顔のまま彼に向かってこう言ったのだ。「『世の中には二種類の大人がいる。カッコイイ奴とカッコ悪い奴だ。それは転じて、面白い大人とつまんねー大人に分けられる。こんなカビ臭いだけの家に生まれた以上、ほっとけばつまんねー大人になるだろうが、諦めないで足掻いてみろ。足掻いて面白い大人になれ。そうすりゃぁこんな家に縛られていたって―――世の中は面白くしていける』ってな」『それは………なんというか………』 極端な論法に月詠は言葉を濁すが、斑鳩は気を悪くした様子もなく軽く首を横に振った。「ああ言葉選ばなくていいぞ?俺がこんな口調してるのもあの色々ぶっ飛んだ爺さんの影響だし、端からみたら奇人変人もいいところだったからなあのジジィ。―――五摂家オーラで何も言わせなかったが」 尤も、あの祖父はそうした扱いを望んでいた節があると斑鳩は今にして思う。型に嵌められるのを何よりも嫌っていたし、自由を好むという―――少し子供っぽいとも言える部分が多々あった。「でさ、ちょっと自分を省みてみたんだが―――何というか、つまんねー大人だよなぁ俺も」 その祖父が逝去し、当主の座は斑鳩が継いだ。彼の両親は彼が幼い頃に他界しているので、当然の成り行きだった。 しかし実際に斑鳩が当主の座を継いでから、何処か気負っていた部分があったかもしれない。五摂家斑鳩として、余所から軽く見られないように努力をしてきた。だがその努力の方向性は―――果たして正しかったのか。彼には分からなかった。 だが、あの祖父の言葉を是とするならば―――間違っているのではないのだろうかと、今更になってそう思い始めたのだ。「五摂家で威厳が必要だからって堅っ苦しい口調で厳しく喋って、それらしく振舞って、偉そうにしてて、見栄を張っててさ。その癖、ガキ出来たぐらいで色々悩むんだぜ?―――ほらみろ、つまんねー大人だ。カッコ悪い奴だ。気付かん内に、とんだクズになってやがる」『そんな事は………!』 何処か自嘲気味に言葉を紡ぐ彼に、月詠は否定しようとするが―――斑鳩はそれは違うと言った。それを決めるのは、他人ではなく自分だと。「他人の評価は知らねーよ。いや、いらねーんだよ月詠。少なくとも俺はそう思うんだ。―――だがさぁ、気づいた以上、変えていかないとな。男か女か分からんが、次の『斑鳩』が生まれて、育って、物心ついた時に―――俺はカッコイイ大人だって胸張れるように」 生まれてくる子供が、どんな道を歩んでいくのか―――親にすらなっていない今の斑鳩には分からない。だが、その子を導くのならば、せめて誇れる自分でありたいと強く思う。自分自身に失望しない自分でありたいと願う。 だから―――。「だから俺は征くぜ月詠。誰でもなく、俺自身が俺に命じる。―――あいつ等救って、カッコイイ奴になれってな」 今は一歩、強く踏み出そう。 これからの自分を始めていく為に。『―――御伴を』 月詠の言葉に視線をよこせば、背後には大隊所属の機体が全て集っていた。彼女との会話を聞いていたのだろう。誰もが無言で―――着いて行くと物語っていた。「強制しないぜ?」『御存知ありませんか?―――カッコイイ少佐に仕える我々は、カッコイイ部下で御座いますれば』「そいつはシビれる返答だ」 斑鳩は苦笑する。こいつらも自分と同じで大概馬鹿だと。だがその馬鹿の一念は道理すら覆すだろう。 恐れずに。 武家に生まれた自分を誇り。 ただただ、今は自分が掲げる信念を胸に。「―――じゃぁ征くぜ手前ぇ等!一丁カッコよくあの二人を救いによぉっ!!」『―――御意っ!!』 そして、斯衛軍第16大隊―――都合36機の武御雷は、最後の戦場へと飛び立つ。『―――で?どうすんの?』『決まってるでしょ。―――行くわよ』 旧魚沼市北西部で態勢を立てなおしていた斯衛軍第2連隊所属の女衛士二人は、瑞鶴の管制ユニットの中で己が心境を語っていた。戦況表示図を見れば、本丸から一機を先頭に続々と味方機が続いて旅団規模のBETA群へと迫っている。 先程の演説を鑑みるに、先頭はまず間違い無く政威大将軍―――いや、『日本人』煌武院悠陽。まさか本当に先頭に立つとは思わなかったが、それならばそれで、彼女を護るのが斯衛の本懐。何も恐れることはない。 しかしそれ以上に―――。『あの時、あの中尉が来てくれなかったら、多分私達死んじゃってたからねぇ』 5000ものBETAが地下から強襲を掛けてきた時、彼女達もあの場に居合わせた。強襲というだけあって敵の行動は素早く、もしも後ほんの少しでも判断が遅れていたならば、飲み込まれて各個撃破されていてもおかしくはなかった。 そしてそのほんの少しの時間を稼いだのは、紛れもなくあの国連軍の中尉である。言うならば、第2連隊は彼に救われたと言っても過言ではない。流石にどの機体も無傷―――損失なしとはいかなかったものの、それでもあの強襲を受けたにしては、軽度である。 まだまだ―――十分に戦える。 彼を救うことで、恩義を返せる。 だから彼女達の腹は既に決まっていた。『本当よ。―――この間、やっと彼をお父さんに紹介したばっかりなんだから、こんな所で死ねないわ』『惚気?ヨユーねぇ』『余裕なんか無いわよ。―――どうやってお父さん説得しようか今から頭痛いもの』『あー………そう言えば、火炙りにされそうになったって?彼』『ええ。しかもあの父親、超笑顔でバーベキューセット持ってくるの。決め台詞は「最高に灰な気分を味あわせてやろう」』『色々アレなお父さんだよねぇ………』『アレで参謀本部の長だって言うんだから世の中どうかしてるわ』 二人は笑い合って、正面、敵が犇めく戦場を見る。 直接的な命令は『まだ』無い。 だが自分達は日本人だという自覚がある。 そして日本人は―――義理堅いのだ。『ま、それはともかく―――征くとしますか』『ええ………!斯衛軍は恩知らずと思われるのも癪だしねっ!!』 だから、受けた恩を返すべく―――二機の瑞鶴が最後の戦場へと向かう。「一つ―――一つくだらない話を聞いてくれるかね?」 本丸にある指揮車両。そこを臨時の帝国軍参謀本部として機能させていた参謀長は、おもむろに全回線で問い掛けた。「実は先日。私の娘が男を家に連れてきたのだ。一人娘でね。目に入れても痛くないほど可愛がってきた娘が、ようやく伴侶となり得る男を連れてきたことに歓喜した私は、嬉しさのあまりその男を火炙りの刑に処すべく納戸のバーベキューセットを持ち出そうとしたのだが、何故か血相を変えた娘と妻に止められてしまってね。―――その理由が未だ分からないのだ」「参謀長。―――それは性急過ぎたのだと思われます」「成程、火刑は性急か。―――ではどうすれば良かったと思う?」 参謀長の副官が無表情で意見し、今度は逆に参謀長に意見を求められる。だから副官は数秒思案し、一つ頷いてから口を開く。「ここは一つ、どんな馬鹿でも人を裏切らなくなる帝国式矯正術が妥当かと。―――拳で騙る、という奴ですな」 一瞬、その通信を聞いていた独身帝国軍人が総じて顔を青くした。―――約一名、今後降り掛かるであろう不幸に禁断症状を起こしかけている者もいたが。 ともあれ、そんな様子を知るはずもなく、参謀長は感心したように何度か頷いて言葉を紡ぐ。「ああ、その手があったか。次は考慮しよう。―――で、だ。その娘の話に戻すが、娘は衛士でね。衛士として贔屓目に見ても実に優秀な娘なのだよ。バカ親の自慢に過ぎないが、数年前にその腕を買われて斯衛軍に転属したのだ。そして今、あの娘が所属しているのは第2連隊なのだよ。―――さりげなく確認してみたが、あの娘はきちんと生き残ったようだ」 一度言葉を切り、分かるかね?と問いかける。「先程、国連軍の中尉に救われた娘の父親なのだよ私は。そしてそんな親馬鹿な私は、あの国連軍の中尉に恩義があるわけだ。故に―――その恩を返したいと思うのだ」 それは我侭だと、言葉を口にした参謀長自身も思う。「諸君には全く以て関係の無いことだと思う。そして私は私情で軍を動かそうとしている。いくら将軍殿下のお墨付きがあったとしても、正直に言って、軍人にあるまじき行為だ。場合が場合ならば、国家反逆罪で処罰されてもおかしくはないと思う」 だが、ここで退くことは―――自らの信念に反すのではないかと思う。「だが私は、こうも思うのだ。恩を受ける事は恥ではないと。恩を返せぬ事こそが恥なのだと。今、あの国連軍の少佐は、それを身を以て証明しようとしているのだと。そして気づいたよ。私は反逆罪に問われることよりも、恩を返せぬ恥の方が遥かに怖いのだと。故に、私は軍人ではなく―――一人の日本人として、一人の人間として、そして一人の父親として、娘を救ってくれたあの国連軍の中尉に報いたいと思うのだ」 こう思う私はどうかね?と、問い掛ける参謀長に、副官が一歩前に出る。「参謀長。―――参謀長は、一つだけ勘違いをしておられます。我々一同は上官と部下の関係であり、そして親子の関係であります。転じれば、参謀長の御息女は、我々の妹でもあるのです。故に―――家族が受けた恩を返すために立ち上がるのに、何の躊躇いがありましょうか」 副官に宣言され、参謀長は周囲を見回す。指揮車両に詰めた皆はこちらを見つめ、一様に不敵な笑みを浮かべている。通信越しでは分からないが―――きっと、他の皆も同じ笑みを浮かべているのではないか、とそう思える。 何故ならば、皆同じ日本人なのだから。「―――私は、良い部下に恵まれたようだ」「おや、今頃気づきましたか?」「はははっ。歳は取りたくないものだ。―――色々と、大事なことを見落としてしまう」 それを快く思った参謀長は、同じように不敵な笑みを浮かべ、姿勢を正して胸を張る。喉を鳴らし、肺に空気を取り入れ、そして力強く命じる。「―――手が空いていて、私に賛同する者達に告ぐ! 今こそ立ち上がりたまえ! 銃を構えたまえ! 剣を振り上げたまえ! 恩義に報いるために一人敵地に身を投じた彼を援護し、敵中只中で死の演舞を奉じる我が恩人の帰路を築け!! 我々が日本人であるために、与えられた恩をただ貪るだけの餓鬼でないことを証明してみせろっ!! そして諸君!私は今から無茶な命令をするぞ!?よぅく聞けっ!!」 我が事ながら、無茶苦茶な命令だと思う。今の地位についてから今まで、これほどまでに無茶な命令をしたことはない。 だがやれるはずだ。 やってくれるはずだ。 何故なら自分達は日の丸の元に集いし、義理堅き日本人なのだから。恩を返し、礼を言うまでが恩返しだ。故に、何としてでも彼等は生き残るだろう。 だからこそ―――参謀長は最後の引き金を引いた。「誰も死ぬな!そして彼等を死なせるなっ!!―――いいかっ!?」『―――了解!!』 そして―――己が民族の証明をするために、帝国軍が動き出す。「さぁて、じゃぁ上のお墨付きも出たことだし―――ちょっくら征くとするかよ」「でも、間に合うんでしょうか………?」 参謀本部の命令を受け、旧長岡市に展開していた第7砲撃支援連隊は動き出していた。そしてその中枢、連隊長の花菱がいる指揮車両で彼と副隊長が言葉を交わしていた。 花菱は副隊長である彼女の疑念の声に、眉根を寄せて鼻で笑う。「馬鹿かオメェ。アイツが死ぬわけねぇだろ?」「で、でも!5000―――小型種を数えればもっと多くのBETAに囲まれてるんですよ!?さっきとは訳が違いますっ!!」「かーっ!コレだから女って奴ァケツの穴がちっさくていけねぇ。―――小せぇのはその胸だけにしとけ」「セ、セクハラ!最初から最後までセクハラですよ!?」『そうです隊長!副隊長の小さな胸には大きな希望が詰まっているのでありますっ!!』 慌てて小振りな―――否、控え目な胸を両腕で隠す副隊長に、連隊全員のフォローが入る。 やや間を置いて、うん、と軽く頷いた花菱は髭を撫で付けながらこう言った。「あー、その、何だ。オメェ、意外とモテてんのな?」「こ、こんなモテ方は嫌ぁーっ!!」 副隊長が喚くが、『そこがイイ!』と皆が唱和する。 最近の若いのの趣味はわっかんねーなぁ、と零しつつ花菱は言葉を続けた。「まぁ、何だ。アイツは死なねぇよ。ゼッテー死なねぇ。何しろアイツは言ってたぜ?逢わなきゃいけねぇ女がいるってよ。だからアイツはきっとあんな状況でも絶望しちゃいねぇ。―――男ってなぁな、割かし単純なんだ」 何しろ俺がそうだかんな、と花菱は笑う。「帰りたい場所があって、惚れた女がそこにいる。いつだって―――絶望に落ちない理由なんざ、それで十分なんだよ」「敢えて言いますけど非現実的だと思います。どんなベテランでも死ぬときは一瞬で―――」「オーイ!オメェら!普段よりイイトコ見せたら副隊長のちっせぇ乳揉ませてもらえるってよーっ!!」「え!?ちょっ………!」 よせばいいのにいらないこと言った副隊長が止める暇こそあらば。『………っ―――!!』 直後、皆が声にならない雄叫びを上げ、連隊の行動速度が二倍になった。「良かったなオメェ。―――嫁の貰い手には事欠かねぇようだぜ?」「こんな職場もう嫌ぁーっ!!」 喚いてももう止まらない。そしてこの速度ならば、この迎撃戦の最終端には間に合うだろう。だからこそ、もう一度気合を入れておくべく花菱は声を張り上げた。「―――じゃぁ征くぜオメェら!女の為に足掻き続ける馬鹿が歩む漢の花道に、一丁デケェ花火を打ち上げ添えてやろうぜぇっ!!」『了解っ!!』 そして第7砲撃支援連隊は征く。 フィナーレに相応しき花火を打ち上げるべく。 同じ頃、旧阿賀町に展開していたある中隊があった。その中隊は陽炎で構成されているのだが、何故かその中に何機か撃震が混ざっていた。 国連軍の佐官、政威大将軍、そして帝国軍の参謀長が立て続けに述べた言葉を聞いて、しかし未だ動けずにいたその中隊長に、その撃震の一機を駆る衛士は通信を飛ばす。「隊長!一つばかり、自分の願いを聞き届けては頂けないでしょうか」『―――何だ?』「自分を、除隊して欲しいのであります」 突然の申し出に、他の隊員が息を呑み、中隊長が目を細める。『―――理由は?』「はっ!自分は開戦直後、国連軍の不知火の中隊に命を救われたのであります。音声通信のみだったので、声から察することしか出来ませんが―――おそらく、『彼女達』に命を救われ、その後、隊長の隊に合流できたのであります」 そして、とその衛士は続ける。「あそこで戦っているのが彼女達の内の一機かどうかは不明ですが―――少なくとも、同じ国連軍、そして同じ機体を扱っている以上顔見知りではありましょう」『―――それで、あの不知火を救いに行きたい、と?』「はっ!」『―――他の連中も同じ意見か?』 問いかけると、その他の撃震に乗る衛士達もそれぞれ頷いた。その衛士の言葉に中隊長は瞑目し、やや間を置いてからゆっくりと目を開く。『―――却下する』「―――!?隊長っ!!」『黙れ。隊長は俺だ。確かに、貴様の所属していた中隊は壊滅して、宙ぶらりんになった貴様を一時的とはいえ俺の隊に所属させた。他の連中もそうだ。だから貴様達はゲストだ。しかし、一時的でも隊に所属している以上貴様達への命令権は俺にある。だから命じるぞ。―――却下する』「―――っ!!」『そして俺の隊に所属する勇敢な貴様等に命令する』 撃震の衛士の具申を断じた中隊長は、大きく息を吸い込むと皆に命じた。『銃を構え、剣を取れ!ゲストとは言え俺の隊に所属する部下達には命の恩人がいるらしい!ならばこそその命の恩人を救うことこそが勇敢な俺達に相応しい仕事と心得ろっ!!』「隊長………!」『貴様達のそのボロボロになった撃震だけで、まともに戦えるわけがないだろう。―――上官は上手く使え』「はっ!ありがとうございます!!」『礼など不要だ。―――上官にとっては、部下の尻拭いも仕事のうちだからな』 小さく鼻を鳴らし、皆が南西―――英傑が集いし場所を見据える。『では征くぞ貴様等!他軍であっても救いの手を伸ばした、勇敢なあの不知火を救いにっ!!』『了解っ!!』 そして、傷つき、様々なものを喪った彼等もまた征く―――。 三神が去った後、旧上越市で補給を完了した沙霧達は、出撃の前に悠陽達の声を聞いた。己が信ずる道を征け、と彼女は言った。今、自分が信ずる道とはなんだろうかと自問する。いや、自問するまでもなく満場一致であるはずだ。 何故なら―――自分達は『烈士』の二文字を掲げているのだから。「―――貴官等に聞きたい。私は―――」『みなまで言う必要はありません。大尉』『確かに、大事な時期ですけど―――我々も、日本人ですから』『駒木中尉を救けてもらったお礼、しなきゃ駄目ですよね』 沙霧の問いかけに被せるように、皆が述懐する。やはり、皆考えていることは同じようだ。「すまない。本来ならば、無駄な消耗は控えるべきなのだが………」『いいんですよ。ここで退いたら、俺達の大義も霞んでしまうでしょう』「そう、だな………」 それを心地良く思ってふっ、と小さく沙霧は微笑み、操縦桿を強く握り直すと中隊全員に命令を下した。「―――では征こうかっ!烈士の名の元―――日本の夜明けの前に、後顧の憂いをここで断つっ!!」『了解っ!!』 そして憂国の烈士までもが立つ。 例え近い将来、悪鬼羅刹の烙印を押される事を覚悟している身であったとしても―――今はただ、一人の日本人として、仲間を救われた恩に報いるために。 そして同じ頃―――補給を受けるべく、207B分隊と第19独立警備小隊は旧津波町の補給部隊に身を寄せていた。各自が補給を受ける中、神宮司は今後の行動予定を白銀の救出と定めた。自らの教官の救出に、207B分隊の面々が文句をいうはずもなく、逸る気持ちを抑えつけ、補給が終わるのを待つ。 だがそんな中、ただ一人だけ―――此の場に残るよう指示された者がいた。「神宮司軍曹………!」『しかし、彩峰。貴様の機体は片足が無いだろう。それでは同行は許可できない。気持ちは分かるが―――ここで大人しくしていろ』 彩峰だ。 先の光線級殲滅の一幕で、彩峰は全ての光線級を引き付け、都合24条のレーザーを避けるという離れ業をやったはいいが、流石に無傷というわけには行かず、右の主脚をごっそりと持ってかれていた。幸い、跳躍ユニットは生きているので、基地への帰還だけならば何とかなるだろうが、このまま戦闘行動をするには支障がありすぎる。 だから、彼女を戦闘が終わるまで此の場で待機するよう指示したのだが―――案の定、と言うべきか、彩峰は素直に首を縦に振らなかった。 結果、押し問答に近いやりとりが続いていたのだが―――その二人に割って入るように、榊が口を開いた。『―――神宮司軍曹。私に一つ、考えがあります』 そう言って告げられた提案に、神宮司は頭を抱えてこう思う羽目になる。 ―――嗚呼、コイツ等は確かにあの中尉の子供達だ、と。 旧三条市の最東端を最高速で突き抜ける12機の不知火があった。A-01―――即ち、伊隅ヴァルキリーズ中隊である。開戦後、彼女達は戦場の東域を担当し、最終的には旧新発田市を主戦場に暴れ回っていたのだが、直接の上官である三神の言葉を聞いて南下することにした。 幸いにして東域は既にある程度の掃討を終えており、残っているのは殆どが小型種で、それは他の帝国軍に任せてきた。 新たなる戦場へと急行すべく、限界域まで巡航速度を上げている中―――当の本人達は至って元気そうであった。『よっしゃぁー!ここらで日頃の鬱憤を晴らすわよ!!』『おやおや。速瀬中尉はここらで白銀中尉に恩を売って、デートを強要するおつもりですか?―――とんだビッチですね』『む・な・か・た~!』『と、高原と麻倉が―――』『言ってませんっ!!』『ユニゾンで私の言葉を遮るとは………!腕を上げたな二人とも』『あははは。最近出番が無くて迎撃用意万端だったんだよね?二人とも』『は、晴子………アンタ、容赦無いわね………』 状況に似合わぬほど和気藹々というかいつも通りというべきか―――表現には困るが、少なくとも悪くはないと風間は思ってくすくすと小さく笑う。『風間、どうした?』「いえ、戦闘中なのに不謹慎なんですが―――何だか、楽しくて」 それを聞き咎めた訳ではないだろうが、不思議に思ってか伊隅が問い掛けてくるのでそう告げると、七瀬が賛同した。『あー、ちょっと分かるかもしれません。少佐が煽って殿下が応えてから、空気変わりましたよね』『胸熱』『しーちゃんそれちょっと違うと思う』 したり顔で頷く紫藤に、珍しく式王子が突っ込みに回る。それを見てこの二人は平常運行だな、と風間は思う。 ともあれ、確かにあの煽動というか、呼び掛けというか、演説があってから、流れてくるオープンチャンネルの遣り取りの雰囲気が明らかに力強いものへと変わって来ている。 それを快く思って、風間は伊隅に言う。「どちらにしても、私達が動かない訳にはいきませんね。―――あの二人は、私達の親とも言える存在なんですから」『それもそうだ。―――では征くぞ!ヴァルキリーズ!!』『了解っ!!』 そして伊隅の音頭に皆が応え、更なる加速を求めた。(待っていて下さい少佐、中尉………!今、そちらへ参りますっ!!) 最後の戦場を目指して、戦乙女達は征く。 彼女達もまた、恩義に報いるために―――。 集っていく。 古狼の遠吠えを起点に。 国という垣根を超えて。 軍という垣根を超えて。 人という垣根を超えて。 恩義という、形のない仁義を胸に―――英傑達が集っていく。 そこに命令はなく。 そこに強制はなく。 そしてそこには意志しか無い。 当然だとも、と三神は思う。 恩を以て義を感じ、仁を以て義を返す。 それこそがこの世界に於いて、美徳とされる日本人の本質なのだから。「来いよ皆―――あの闘神の御元へ………!」 戦況表示図を見れば、手隙の部隊は全て旧魚沼市へと向かっている。旅団程度のBETA群ならば、あっという間に駆逐できるだろう。だが、その前に白銀の元へと辿り着き安全を確保せねばならない。 ならばその役目は、自分が引き受けよう。 いや、これは『あの場』に居合わせた自分こそがなすべき役割だ。 主観では80年以上も『昔』―――そして現行時間である今からは16年も『後』。 三神の初陣の時だ。 軍団規模のBETA群に挑んだ、おそらく世界最後の戦力であった白銀中隊。次々と喰われていく仲間達。それでも諦めずに足掻き続け―――白銀『大佐』は三神を庇い、機体を損傷させた。そして死期を悟った彼は、出来うる限りのBETAを引き付けるために敵中へと飛び込み、消えていった。 その時の最期の言葉は、今でも三神の耳朶に残っている。 ―――この世界に、アイツがいなくて良かった―――。 それが誰の事かは分からない。 遠い星に旅立っていった『誰か』なのか、それとも共に戦い死んでいった『誰か』なのか―――あるいは、半身同然であった『誰か』なのか。 分からない。分かりはしない。だが―――。「―――もう二度と、あの人を死なせてたまるか………!」 気がつけば、もう目の前にBETAの壁がある。追加噴射機構をアクティヴに変え、更なる加速を得る。叩き付けられるような追加のGに歯を食いしばって抵抗し、左主腕にした突撃砲を担架に戻す。「―――征くぞ化け物共!出し惜しみは無しだっ………!!」 スタイルを変えよう。 今までのように、継戦能力だけに特化した戦い方ではなく―――突破力に優れた戦い方へと。 空いた左主腕で、行き道に墓標のように突き刺さった長刀を逆手で引き抜く。既に右主腕には逆手にされた長刀がある。 逆手二刀。 担架に突撃砲二門。 ただ進撃するためだけの―――あの時の後悔を超える為に生み出した戦い方。それはまさに、狼の犬歯が如く。「今度は間に合わせる!間に合わせてみせるともっ………!!」 努力は積んだ。 経験も積んだ。「必ずだ!必ず―――私は武に辿り着く!何故ならば―――」 才能は元から無い。 だが、恐怖も無い。「それこそが『かつて』の『いつか』!あの人に救われ、あの人に生かされた『俺』の―――最大の恩返しなのだからっ!!」 彼を救う。 彼の望む全てに手を貸す。 それこそが、最も簡単な因果導体開放条件を捨てた三神庄司の、今のあり方。例え、最終的な目的がどれほど難しくなろうとも、どれほどの回り道をしようとも―――ゴールは既に分かっているのだから、そこに到るまで徹底的に彼に恩を返す。「止められるものなら止めてみるがいい!そして道を阻むというならば覚悟しろ魂無き木偶共よっ!!我が牙、我が恩義は―――!!」 敵は目の前にある。 『シロガネタケル』を継ぐ白銀武を喰うべく集っている。 それを許さぬ為に―――狼は咆哮する。「―――因果すら喰い破るぞっ………!!」 そして、三神は駆け抜ける。 例えその身が朽ちようと、ただただ恩義を果たす為だけに―――。 神狼が、BETAの群れへと突撃した。