第八話 「アスカ、来日」
ミサトさんと二人で向かった、オーバー・ザ・レインボー。
トウジとケンスケとはなんとか仲良くなれたけど、使徒に襲われる事が分かってるし、連れてこれるわけない。
アスカの事は色々悩んだ。
でも結局、アスカに対する覚悟が決まらないまま、その日は来てしまった。
「ヘロ~オ~、無敵のシンジ様。シンクロ率399%とはさっすがね! う~ん、強い! 素敵!」
風が強い空母の甲板で、ミサトさんに挨拶し終わったアスカが僕に笑みを向けてきた。
……やっぱり、アスカも戻ってきてたんだね……。
「ええ!? アスカ、にゃんじ君の事知ってるの?」
「にゃんじ? ……まあいいわ、ちょっとこのサード借りてくわよ」
「ちょ、ちょっと!? 先に着艦の報告……」
「アンタがやっとけばいいでしょ」
そんなやり取りをしながら、アスカは僕の胸元を掴んで引き摺っていく。
うん、まさに引き摺るだ。
僕の足どりは鉛みたいに重いんだから。
建物の陰に入った瞬間、僕は背中から壁に叩きつけられた。
痛くて苦しくて息が詰まったけど、僕の目を覗き込んでくるアスカの表情に、咳き込んだ息が止まった。
「その耳と尻尾はなんのジョーク?」
笑ってるのか怒ってるのか分からない。
もしかしたら、これが憎しみの表情なのかな。
息を飲んで何も言えなくなった僕の頬を、アスカは一つ張った。
トウジに殴られるよりも何倍も痛かった。
「まあ、アンタの事なんかどうでもいい」
一瞬で『シンジ』に戻ってしまった僕は、きっと心の底から震えているんだろう。
アスカの表情は、碇シンジの罪そのものだから。
「これから使徒は全て私が殲滅するわ。アンタはサポート」
目を逸らそうとする僕の顔を無理やり向けさせるアスカ。
その目は、ギラギラと輝いていた。
「いい? 私の為に働きなさい。エヴァシリーズを八つ裂きにするまで」
怖い。
怖いから僕は逃げた。
アスカの拘束を全力で振り払って、僕は必死で逃げた。
「最後まで逃げるんじゃないわよ?」
そんな言葉を背に、僕は逃げだした。
アスカが転入してきた。
第六使徒は、アスカが一撃で殲滅したらしい。
らしいってのは、あの日の事をよく憶えていないからだ。
飛び掛かってきた使徒の口の中にものすごいA.Tフィールドを叩きつけて、そのままコアを叩きつぶしたみたい。
あれから色々考えた。
考えて考えて出した結論は、結局どうにもならないって事。
全部僕のせいだしね。
ミサトさん達が暗くなった僕の心配してたけど、どうにもならないって気付いたら、なんか開き直れた。
アスカが僕の事を死ぬ程嫌ってる事がわかっただけよかったよ。
これでアスカに近づかなくてすむし。
『シンジ』ならいつまでもグジグジしてたんだろうけど、僕は『にゃんじ』だ。
ネコとして生きていく努力を放棄したりしない。
どうにもならない事からは逃げるよ。それこそ一目散にね。
「いつまで逃げ回ってるつもり? シンちゃん?」
あれ以来極力目を合わさないようにしてた僕に、休み時間、アスカが声を掛けてきた。
うん。随分悪意が籠ってるね。
「僕は、逃げるよ。アスカからずっと逃げる」
まだ怖いけど、僕は頑張って言った。ネコとして。
瞬間、胸倉を掴まれ引っ張られる。
目の前にあるアスカの目。あの日見た、怖い目。
でも、大丈夫だ。
僕は『にゃんじ』。
たとえ昔は『シンジ』だったとしても、今は『にゃんじ』だから、大丈夫。
「……そんな事許すとでも思ってんの?」
思ってないよ。
「…………」
でも、『シンジ』には言えない事でも、『にゃんじ』なら言える。
ギリギリと締めつけられて苦しい襟元。
それでも目を逸らさない。
今度こそ、他人の気持ちなんか考えないネコに、なってみせる。
「ふざけンじゃないわよ! アンタが私にした事は──」
「わかってるよっ!!」
「ッ!?」
「僕はアスカを助けられなかった! 助けようともしなかった! でも、僕だって助けてもらいたかったんだ!」
「そ、そんなのが言い訳になるとでも……ッ!!」
「思ってないよ!! 一緒に暮らして、ずっと傍にいたからっ、アスカの事なら全部分かるだけだ!!」
静まり返った教室で、僕は叫んでいた。
そりゃ、いきなり大声で喧嘩しだしたら空気が悪くなるよね。
でも知らない。
だって、僕はネコだから。
「アスカの事ならなんでも知ってるよ! 好きな物も、嫌いな物も! 本当は寂しがり屋だって事も!!」
うん、もうわかってる。
『惣流アスカラングレー』と『碇シンジ』は似すぎてた。
欲しがってばかりで、与える事の出来ない子供。
だから、互いに傷つける事しか出来なかった。
「ア、アアア、アンタ、な、なにを……」
「辛い時も寂しい時もアスカは怒る! 自分を見てって、ホントは泣いてるの知ってたよ!!」
「ッ!?」
あれ? 涙が出てきた。
ああ、そっか。アスカに何も出来ない僕は、悔しくて、悲しいんだ。
「抱きしめたかった……。抱きしめてあげればよかった! でもっ、でも僕にはそんな事すらできなかった!!」
「ッ!? ……ッ!?」
「そんな僕をアスカが許してくれるはずないじゃないか!!」
「ちょ……え? ア、アアアンタ、ナ、ナ、ナニ言って……」
駄目だ。涙が止まらない。
僕は今、すごく感情的になってる。
でも、アスカも顔を真っ赤にして怒ってるんだからお相子だよね。
「それにっ! 僕はアスカを汚したんだッ!」
もう、一切合財ぶちまけよう。
『碇シンジ』がどれだけ最低だったのか。
「傷ついてっ、入院してるアスカをっ……僕はオカズにした!!」
「ッ!!!???」
「しかも寝てるアスカの横で!!」
「ブフゥ!? こ、こここ、このヘンタイ!!」
「そうだよ! でもしかたないだろ!? だって……、だってアスカはすごく綺麗だったんだ!!」
「ッ!? ッ!? ッ!?」
「痩せ細ってオバケみたいな姿になっても!! 僕はアスカが好きだったんだ!!」
「~~~~~~~~ッ!!!!」
そうだ。きっと、碇シンジはアスカに恋をしていた。
ズルくて情けないシンジは、好きな人すら護ってあげられない。
だから僕は『シンジ』を捨てた。
だから『にゃんじ』はアスカから逃げる。
だって、『にゃんじ』が『シンジ』だった過去からだけは、逃げる事が出来ないから。
「もう僕の事なんか忘れてよぉ!!」
きっとアスカにとっても、その方がいい。
グシグシと涙を拭いながら、僕は背を向けた。
「あ……」
アスカがまだ何か言いたそうだったけど知るもんか。
僕は全速力で逃走した。
「な、なによ……、アイツ……」
「ア、アスカ? そ、その、元気だして?」
「ヒカリ? って、なんでこんなにギャラリーがいンのよ! 見世物じゃないわよ!」
「まあまあ、男はにゃんじだけやないで?」
「そうそう、思春期の男はしかたないんだよ」
「そ、そうよね……。同棲してたみたいだし……」
「は、はあ!? アンタ達なに言ってんの!?」
「面と向かって好きな女にオカズにしましたってのはスゴイ」
「ホンマやな。みあげた漢やで」
「けど、なぜか惣流がフラレてるのがもっとスゴイ」
「なっ!? な、なに言ってんのよ! このメガネ!!」
「あん? そういう話やないんか?」
「ち、違うわよっ、馬鹿ジャージ!! だいたい、この私がシンジごときにフラレるわけないでしょうが!!」
「え? で、でも碇君、忘れてくれって言ってたわよ……?」
「そ、そうじゃなキャッ!」
後ろから突き飛ばされるアスカ。
「邪魔だからどいて」
「ファ、ファースト……。ってなにすンのよ!」
「あなたはもう用済み。二号機パイロット」
「は? ……な、なんですってー!!」
「もうにゃんじ君に構わないで。彼が傷つくわ」
「しゅ、修羅場や……」
「「シッ!」」
「……は、はは~ん? 残念だったわね、ファースト。アイツ私が好きなんだって」
「違うわ」
「ハン! 負け惜しみ言うんじゃないわよ! シンジは私に……」
「彼はにゃんじ君」
「え?」
「あなたを好きだったのは、昔の碇君よ」
「!?」
「たしかに碇のやつ、過去形で言ってたよな」
「「シッ!」」
「ナ、ナマイキ言うんじゃないわよ! 人間じゃないくせに!」
「そう、私は人間じゃない。私はネコよ。にゃんじ君と同じ」
「……は、はあ?」
「私の名前は綾にゃみレイ。にゃんじ君がくれた大切な名前」
「ッ!?!?」
「にゃんじ君と私はネコ。あなたはヒト。種族を超えた恋愛は、辛いわ」
「バ、バ、バカ言ってんじゃないわよ! アンタ正気ぃぃぃ!?」
「サヨナラ」
自慢の白い耳を撫でつけた後、尻尾をフリフリさせ、勝ち誇ったように背を向け去っていくレイ。
「な、なによソレ~~~~~~!!」