第一次元世界ミッドチルダ、次元世界の中心地であり、またミッド式魔法の発祥の地でもある土地。
数年前の大規模テロの痕跡も癒え、街には夜の灯りが戻り住人の生活は徐々に元のリズムを取り戻しつつあった。
街から夜という時間を追い出すと、そこには身を休めるのではなく一日という時間を限界まで費やす世界が生まれていく。
ストリートファイトといった特殊な立場に身をおく人間も、そんな世界の住人である。彼らにも家に戻れば普通の顔が存在しあくまで夜の顔とは別の人間として昼の世界を生きている。
だが、その二つは必ずしも交わらないものではない。
そう、昼の自分を知るものに夜の自分を知られる事もあるのだ。
覇王の後継、アインハルト・ストラトスも例外でなかった。
(……ど、どうしたらいいのだろう……)
緑の髪を二つに結び、普段は常に冷静に世界を見つめる色違いの瞳を持つ少女、アインハルト。しかし今彼女の瞳は困惑の一色に染め上げられ、その視線は明るい繁華街通りに立つ少年に向けられていた。
アインハルトが覇王の後継であることを自覚したのは極めて自然な事だった、覇王家の特徴と言われる碧銀の髪と虹彩異色の瞳、そして時折見る覇王の夢。
その夢から伝わる強い覇王の感情、その感情は徐々に自分の物となっていき、その技を最強と証明したいという欲求は年月が立つほど強く強く自分を動かしていく。
武装形態という、自身の身体を大きく変身させる魔法、そして古代ベルカの聖王と冥王が現代に蘇ったという噂、もう自分の欲求を止めることは出来なくなった彼女はストリートファイトという形で自分の力を試すようになっていった。
若干の葛藤はあった、しかし変身魔法を使えば昼の自分と夜の自分をつなげるものは無い、そんな内心の計算がその葛藤を振り切らせる。
夜な夜な、路上格闘技者に挑み、勝利を重ねていく間に気が付けばそんな悩みも葛藤も失われていった。
それが、周囲の確認を怠らせたのか、今日この時、彼女は変身を解く様を目の前の少年に目撃されてしまったのだ。
(どうしよう……)
それが、見ず知らずの他人ならば、まだ幼いといっていい彼女が街中にいることを注意するだけで済んだかもしれない、しかし、アインハルトは少年に見覚えがあった。
アインハルトの昼の顔、サンクトヒルデ学院小等部所属の学生としての顔を知っている人間。
そう、目の前にいる少年の顔をアインハルトは知っている、同じクラスのクラスメートとして。
「あ」
アインハルトの視界から、少年が姿を消していた。彼女の感覚では葛藤は一瞬の事だったのだが、実際にはどうだったのか、見られたと思ってからの混乱から立ち直るまでの間、ゆうに一分近い時間が流れている。
焦って路地裏から出るアインハルトだったが、既に少年はどちらに向かったのか、後ろ姿も見つけることは出来ない。
「本当に、どうしよう……」
悩む彼女の問いに、答えてくれる人は存在しなかった……
学生としてのアインハルトは一言でいえば目立たない子だ。周囲からは何時も一人で本を読んでいたりする大人しい子という印象だけを周囲に与えている、彼女と親しい人間は誰だ? と周りに疑問にもたれるようなレベルで関わりを全くと言っていいほど持っていない。
彼女もずっと昔からこんな人間だったわけではない、小等部低学年の頃はそれなりに明るく、親しい友人もいた。だが、次第に鮮明になっていく覇王の記憶、感情を持て余し、覇王流:カイザーアーツのトレーニングを積むようになり自然に距離が生まれていき。
学年に上がり周囲の環境が一新される時には、元来内気な彼女の周りには一人の状態が自然になってしまっただけだ。
そんな彼女が今、校門でクラスメートを待っているという状態は中々衆目を集めていた。
普段と変わらないように直立不動で正門を睨むように立ちはだかるアインハルトだったが、その内心は荒れに荒れている。昨日一晩一言では言い表せないほどの考えが脳裏を過ぎっては振りはらい、過ぎっては振り払いを繰り返した結果、ほとんど睡眠を取れず。
結論として、下手な事を言われる前に口止めするという、極めて無難な線に落ち着いた時には既に太陽が差し込んだ時間である。
登校前に電話で話を付けようと思い至って、自分は相手の名前すら覚えていないことに愕然としたアインハルトにとって、もはやこれが最終手段であった。
「来た」
登校時刻の10分前になりようやく現れた少年、変身こそしていないがアインハルトの心は夜の状態に近づいている。
(頼む事は一つだけ、昨日のことは見なかったことにしてもらう、ただそれだけ伝えれば)
校門を通ったところで少年に向かって一歩足を踏み出すと、少年もアインハルトに気が付いたのか二人の視線が交差する。
アインハルトは歩みを緩めず、少年もまたその進みを変えることは無い。
二人の距離が近づいていく、5m、3m、2m
1mの距離に至った時、不意に少年がその顔を背けた。
(!? え?)
不意を付かれた格好のアインハルトが自分を取り返す前に、その横を教室に向かって歩いていく少年。
昨日のように呆けたりせず、すぐに追いかけようとするアインハルト。だが、それでようやく回りの光景が目に入る。
(み、見られてる……)
走って追いかけたい衝動に駆られるが、流石にこの衆目の中全力で走るのは恥ずかしい、そもそも視線を集める事に慣れていない彼女は視線が自分に集まっているというだけで、既に恥ずかしさで顔が真っ赤になっている。
それをうつむくことで誤魔化すが、目標の少年は校舎の中に消えていった。
(……しかたありません、幸い誰かと登校した様子は無いようですし)
次の機会はある、そう、同じクラスなのだから。
とりあえず、まずは平常心を取り戻そう、茹で上がった身体に冷えろ冷えろと念じるアインハルトの耳には始業を告げるチャイムが届いた。
キンコンカンコンと学校の終業を告げるチャイムと同時に担任がホームルームの終了を告げる。
バタリと机に倒れるアインハルトに一瞬周りがギョっとするが、直ぐに放課後の予定に気を回していく。
「い、一度も話せなかった……」
休憩時間のたびに少年に声をかけようとするが、その悉くが失敗に終わっている。
他の男子生徒と雑談中だったり、選択授業の枠が違ったり、席を立ったと思ったら男子トイレだったりと。
流石にアインハルトも、昼休みに少年が行方不明になった時点で自分を避けていることは認識した。
どうも聞き耳を立てていた限り昨日のことを噂したりといったことは無いようだが、それでも一応一言くらい約束が欲しい。
放課後、流石に名前は確認したが、なるべくなら電話口よりも直接の口約束が望ましい、目標が学校指定の肩掛け鞄を持ったところで最後の追跡を開始する。
「え?」
少年が閉めた教室のドアを開けて追いかけようとしたアインハルト、その眼前にはその少年が立ちはだかっている。
つまりは、少年は自分が追いかけることを理解していたと判断したアインハルト、身に付いた覇王流の技がすぐさま臨戦態勢を築くが。
「って、何故構える!?」
「あ……」
自分達がいるところは学校の教室である、そんなところでクラスメイトに対して戦闘態勢、余りにもおかしすぎる。
不意打ちに付く不意打ち的展開、元々想定外な展開に弱いところのあるアインハルトは早々に頭に血が上り始めてしまう。
自分が望んだ展開に近いというのに、この後の行動をどうしようかと考えがまとまらない。
どちらかと言えば、考えようとすればするほど周りの視線が気になり、気にすれば気にするほど自分を見る周りの声が聞こえていく、完全な悪循環である。
そして、その悪循環の果てに、人間が行う行動は、極めて本能的である。
「キエーーーーーーーーーー!!」
「ぐふ……何故?……」
修行を重ねた格闘家の拳は、たやすく少年の人体急所を見事に貫く、恐らくクラスメイトの大半は生まれて初めて見ただろう。人間が膝から崩れることを。
そんな光景を生み出した本人、その混乱は頂点をぶっちぎっている、周囲の呆然とした視線をものともせず、被害者を肩から担ぐとそのまま爆煙を立てる勢いで走り去っていった。
「ちょっと、うるさいですよ、何の騒ぎですか?」
騒ぎを聞きつけた、学校で怒ると怖い人トップランキングに踊るシスターシャッハにまともに答えられる人間は流石にいなかった。
「な、何をやっているのでしょうか私は……」
屋上までノンストップで走りこんで担いだ荷物をベンチに下ろしたアインハルトに答えてくれる人は当然だが誰もいない。
想定していた行動の中ではぶっちぎりの最悪の展開、いやそれ以上だ。
はっきり言って自分のやったのは衆目の中の拉致以外の何者でもない、もしも要人拉致ランキングがあったら栄誉ある1位の座を射止めることだろう。
明日どころか帰ったら学校から呼び出しを受けるかもしれない、それどころかクラスに戻れるかも既に怪しい。
それもこれも、このベンチで目を回している目撃者が現れたところからがケチの付き始め、そう思うと逆恨みだと自覚していても妙な殺意が沸いてくる。
「い、いたい……ここは何処だ……」
目覚めた少年、アインハルトの交渉はここから始まる。
「うん、いいよー」
「早い!!」
速攻で交渉が終わってしまったことに思わずツッコミを入れてしまうアインハルト、目的は達せられたのだが、それはそれで釈然としない。
「い、いいんですか!?」
「昨日の路地裏で変身解いてたことだろ、別にいいよ」
軽い、あまりに軽い、違和感のもとはそこだ、アインハルトからしたら、最大の秘密であるべき覇王の姿。
しかし、それは事情を知らない人間からしたらただの変身魔法なのだ。
そこまでこの温度差の原因を考えたところでアインハルトはほっと胸をなで下ろした。そして同時に、そんなことのためにこんな大騒ぎを起こしてしまった事に頭を抱えることになる。
「しかし、その、いい加減にしたほうがいいんじゃないかなあ?」
「そう、ですね」
確かに今回はこれでいい、しかし今後このようなことが繰り返されたらもっと大事になりかねない、幸い自分の力量には自信が持てて来た、今度こそ聖王と冥王と、そうアインハルトが考えていたその時であった。
「ほら、うん、町中でヒーローごっことかさ、今度から俺達中等部じゃん」
……ヒーロー? 想定外の回答、むしろ心配が帰ってきた、これは一体どういうことだろうか。混乱の局地を突破して逆に冷静になるアインハルト、それを尻目に少年は話し続ける。
「いや、俺達もやったよ、変身魔法でマジックライダー、とかさ、だけどほら、色々さ」
そこまで言われて、ようやくアインハルトも理解した、そう、日曜日の朝等にやっている変身ヒーローものの特撮を、もしくは変身する魔女っ子アニメを。そう、それを前提にあの覇王スタイルのことを見返して見る。
ジャケット、すっきりとした格闘用のアンダー、そして伸びる身長と仮面……
「あ!!」
まさか、まさか、そう思って少年の表情をもう一度よく見直す。
そこにあったのは、ありえないものを見た驚愕ではなく。
「いやーアインハルトさんって話したことなかったけど、そういうの好きな人だったんだね」
呆れとほんの少しの共感の入り交じった、そう、『ああ、そういう人だったんだね、だからみんなと話さなかったんだね』とでも言いたげなそんな同情的視線である。
「ち、違います!!」
いくらなんでもアインハルトからしたらあんまりだ、自分からしてみればあれはご先祖様の由緒正しき戦闘服であり、自分はその技術を必死で学んでいるところなのだ。
それを何処かの特撮物の真似っこと一緒にされるなど、失礼ではないか。
だからといって、アインハルトにその当たりを上手に隠してカバーストーリーを作る話術など存在しない。
誤解を解くには、騒ぎを承知して真実を話す以外に道は存在しない。必死になって自分のことを話始めるアインハルト。
自分の夢の事、そしてそこから伝わってきた覇王の無念、痛み、そして悲しみ。
まるで自分のことのように感じてきたそれは、切実な響きを伴って言葉になる。しかし。
「えっと……」
まるで相手には伝わっていない、やはり荒唐無稽なのか、分かってもらおうとは思っていなかったが、勢いに飲まれてここまで話してしまったことに後悔の念が湧いてくるが。
「それって、ああ、うん、わかった、アレか、アレなんだ、じゃ」
「ちょ、ちょっと待てください!!アレってなんですか!!」
アレ、では納得できない、何か壮大な勘違いをされていることだけは理解できる、そこだけは解かないといけないと、覇王ではなく、現代を生きるアインハルトという少女の部分が叫んでいて。
「アレってのはさ、ほら、邪気眼ってやつだろ、うん」
「じゃ、なんですかそれは」
聞いたことのない言葉、だがそれはいい意味を感じない、そこから意味を聞き返そうとするアインハルトだが、少年は静止を振り切って逃げ出している。
「ま、待ってください、ジャなんとかってなんですか」
「調べてくれーとりあえず、一切秘密にするから、じゃ」
そういって、今度こそ走り去ってしまった少年。ポツンと取り残されたアインハルトが、自宅で言葉の意味を調べて悶絶するまで、後1時間。